『呉子』
春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。『孫子』と併称される兵法書。前四
世紀楚の宰相であった呉子の言を集録したものという。
序 章
魯の上将軍であった呉子は、中傷によって失脚し、やがて新興旧説を訪れた。『呉子』の言はこ
こから始まる。
1.図 国(とこく)
政治と戦争。戦争手段にうったえるまえに、まず政治を正さなければならない、として、呉子は
戦争を分析、戦争の種類に応じた戦い方、用兵の原則を述べる。
「戦いて勝つは易く、守りて勝つは難し」
国をおさめ、軍を統率するためには、人民を礼によって教化し、大義のもとに奮いたたせなけれ
ばならない。そして、人民の問に恥を恥とする気風を養うことである。これができてこそ、攻撃
して勝つことも、防禦によって勝つことも可能となる。
さて、攻撃によって勝つことはむしろやさしい。むずかしいのは防禦によって勝つことである。
だからこそ、こういわれるのだ。「天下の強国のうち、四度、五度もの戦いによって勝った者は、
戦乱に苦しみ、国力が疲弊する。三度の戦いによって勝った者は一代の絹者にとどまり、二度の
戦いによって勝った者は王、コ肢の戦いで勝利した者こそが天下を統一する帝となり得る」
古米、連戦連勝して天下をとった者は少なく、かえって滅亡したものが多いのは、こうした理由
による。
【下の句トレッキング:よき香ちるなり初夏の雨】
24歳に発刊された与謝野晶子の『みだれ髪』の399首に含まれる「夏」の歌は13首、それ
に対し「春」のそれは80首と格段に少なくなるという(内藤明『紅への志向』)。そこで、明
治四五年に欧州旅行中での「初夏」の五月のパリの歌『夏より秋へ』から三首を歌う。
四つ辻の薔薇を積みたる車よりよき香(か)ちるなり初夏の雨
物売にわれもならまし初夏のシヤンゼリゼの青き木のもと
初夏やブロンドの髪くろき髪ざれごとを云ふ石のきざはし
What a early summer!
Men and women with blonde and black hair are innocently tolking jokes upon stone steps.
【エネルギータイリング事業:最新薄膜ソーラータイル技術】
盛んに研究開発さていたペロブスカイト系ハイブリッドソーラー技術の研究開発がなリを潜めつ
つある。今夜は、国内外の関連情報ピックアップしてみる。
❏ 特開2018-056233 太陽電池 積水化学工業株式会社
下表の「(2)高温高湿耐久性」結果――太陽電池の電極間に電源(KEITHLEY社製36
モデル)を接続し、強度100mW/cm2のソーラーシミュレーション(山下電装社製)を用
い、露光面積0.01cm2で光電変換効率を測定し、得られた光電変換効率を初期変換効率と
した。その後、太陽電池を85℃、湿度85%の環境下に100時間置いて高温高湿耐久性試験
を行っている。これによると、初期変換効率と同様にして、高温高湿耐久性試験後の光電変換効
率を測定し、高温高湿耐久性試験後の光電変換効率/初期変換効率の値を求め、高温高湿耐久性
に優れた太陽電池の提供が可能であることが示されている。
○:高温高湿耐久性試験後の光電変換効率/初期変換効率の値が0.8以上
×:高温高湿耐久性試験後の光電変換効率/初期変換効率の値が0.8未満
【要約】
下図表のように、基板2上に複数の太陽電池セルを有する太陽電池であって、複数の太陽電池セ
ルは、それぞれ、下部電極3と、上部電極4と、下部電極と上部電極との間に配置された光電変
換層5とを有する積層体からなり、複数の太陽電池セルは、上部電極が、隣接する太陽電池セル
の下部電極と接続することで電気的に接続しており、電子顕微鏡にて観察した太陽電池の断面図
において、下部電極の上面に接する光電変換層の側面の角度をθ2としたとき、θ2が90°未
満である高温高湿耐久性に優れた太陽電池を提供する。
【符号の説明】
1 本発明の太陽電池 1’ 従来の太陽電池 2,2’ 基板 3,3’ 下部電極
4,4’ 上部電極 5,5’ 光電変換層
【特許請求の範囲】
基板上に複数の太陽電池セルを有する太陽電池であって、前記複数の太陽電池セルは、それぞれ、下部電極と、上部電極と、前記下部電極と前記上
部電極との間に配置された光電変換層とを有する積層体からなり、
前記複数の太陽電池セルは、前記上部電極が、隣接する太陽電池セルの前記下部電極と接
続することで電気的に接続しており、
電子顕微鏡にて観察した前記太陽電池の断面図において、前記下部電極の上面に接する前
記光電変換層の側面の角度をθ2としたとき、θ2が90°未満である
ことを特徴とする太陽電池。 電子顕微鏡にて観察した太陽電池の断面図において、基板の上面に接する下部電極の側面
の角度をθ1としたとき、θ1が90°未満であることを特徴とする請求項1記載の太陽
電池。 電子顕微鏡にて観察した太陽電池の断面図において、下部電極の形状、及び/又は、光電
変換層の形状が、上底の長さが下底の長さよりも短い台形形状であることを特徴とする請
求項1又は2記載の太陽電池。 光電変換層は、一般式R-M-X3(但し、Rは有機分子、Mは金属原子、Xはハロゲン
原子又はカルコゲン原子である。)で表される有機無機ペロブスカイト化合物を含むこと
を特徴とする請求項1、2又は3記載の太陽電池。 更に、上部電極上を覆って複数の太陽電池セルを封止するバリア層を有することを特徴と
する請求項1、2、3又は4記載の太陽電池。
❏ 特開2018-056213 フレキシブル太陽電池及びフレキシブル太陽電池の製造方法 積水化学工業株式会社
【要約】
下図7のように、基板上に複数の太陽電池セルを有するフレキシブル太陽電池であって、複数の
太陽電池セルは、それぞれ、下部電極と、上部電極と、下部電極と上部電極との間に配置された
光電変換層とを有する積層体からなり、複数の太陽電池セルは、上部電極が、隣接する太陽電池
セルの前記下部電極と接続することで電気的に接続しており、前記基板及び/又は前記下部電極
の上面の端部にアライメント用マークが付与されているフレキシブル太陽電池。
【符号の説明】
1 本発明のフレキシブル太陽電池 1’ 一般的なフレキシブル太陽電池 2,2’ 基板 3,3’ 下部電
極 4,4’ 上部電極 5,5’ 光電変換層 6 アライメント用マーク 7’ バリア層
❏ 特開2018-049941 光電変換素子およびその製造方法 国立大学法人岐阜大学
【要約】
下図1のように、方の対向電極12側に光吸収層22および第1の固体電荷移動層24を積層し
て設けると共にナノカーボン材料を付与する。また他方の対向電極12側に第2の固体電荷移動
層26を設ける。そして、この第1および第2の固体電荷移動層24,26を重ね合わせることで、固体電
荷移動層24,26にナノカーボン材料からなるナノカーボン層28を設けることで、電解液を用いることなく
固体の電荷移動層を用いて光電変換効率に優れた光電変換素子およびその製造方法を提供する。
【符号の説明】
12 第1の導電性基板(対向電極) 14 第2の導電性基板(対向電極)
20 光電変換層 22 光吸収層 24 第1の固体電荷移動層(固体電荷移動層)
26 第2の固体電荷移動層(固体電荷移動層) 28 ナノカーボン層
ソーラーパネルの変換効率はいまやシリコン結晶系の技術改良の結果20%以上となり、耐用年
数20年が定着化していくようにあるなか、ペロブスカイト系などの薄膜系が生き残る道は、そ
のコスパにある。シリコンの10分の1以下で変換効率20%超で耐用年数が10年であれば、
表面マントの意匠フィルムや10年に1度の交換回収リサイクルの技術改良実現すればコストは
シリコン系の10分1以下の価格で拡販できるとわたしたちは考えている。
世界はわれわれの畑だ。 ヘンリー・ジョン・ハインツ(1844~1919)
第3章 伝説化されたアメリカの加エトマト産業
第1節 イギリス、ロンドン。大英図書館
1.
『ア・ゴールデン・デイ』は、美しく装丁された、端正な活版印刷の本だ。凝った意匠の青い函
に収められている。この本には、加エトマト業界の知られざるエピソードがつづられている。こ
れを読むと、この業界がグローバル社会のパイオニア的存在であったことがよくわかる。
1924年10月11日、ある会社の盛大なパーティーが世界62都市で同時開催された。
ピッツバーグで一8時30分、サンフランシスコで15時30分、ロンドンで23時30分と、
時差を越えて同時に始まった。アメリカ、カナダ、イギリス、スコットランドの会場で、集まっ
た招待客たちに同じ料埋か1万皿分、ちょうど同じ時刻に提供された。
ペンシルベニア州ピッツバーグのメイン会場では、3000人の客がディナーを楽しんだ。
そこで披露されたスピーチやコンサートのもようは、最先端の通信技術を使ってほかの会場にも
生中継された。アメリカで行なわれたスピーチを、電波を通して南アフリカのケーブタウンで聞
くことができたのだ。62ヵ所の会場の内装は、いずれも同社のコーポレートカラーで彩られた
。世界でもっとも多く消費されているトマトケチャップのラベルに使われている、緑色、金色、
クリーム色の3色だ。
『ア・ゴールデン・デイ』には、その日の出来事が克明に記録されている。ハインツが創業55
周年と、創案者生誕80周年を記念して催したパーティーだ。その日の朝、ピッツバーグのハイ
ンツ本社では、5年前に他界した創業者の記念碑の落成式が行なわれた。円形の建物のなかで、
縦溝彫りの円柱が並ぶ大理石のフロアに、多くの人々が集まった。勤続年数がもっとも長い女性
従業員が勢いよく布を引くと、その下から背の高いブロンズ像が現れた。ハインツの創業者で、
加工トマト業界のリーダー、ヘンリー・ジョンーハインツだ。
ヘンリー・ジョン・ハインツは、生前、アメリカでもっとも富裕な10人のうちのひとりに数え
られた[1」。産業資本主義を語るうえで避けることのできない重要人物だ。1919九年に彼
が死去したとき、ハインツはすでに、ケチャップ、トマト味のベイクドビーンズ、ピクルスの生
産で世路のトップに立っていた。世界中で9000人以上をフルタイムで雇用し、収穫期にはさ
らに4万人の労働者を臨時雇用した。製品運搬用の車両は400台も所有していた。ブロンズ像
と2枚の石造レリーフは、20世紀初頭に多くの王族の肖像を手がけたことで知られる画家・彫
刻家、エミル・フックスによって制作された。
2.
「今夜ここで行なわれていることは、数年前なら”奇跡”と呼ばれていたでしょう」
アメリカ大統領ジョンーカルヴィンークーリッジは、会場に電話でメッセージを届けた。その日
のパーティーでもっとも重要なスビーチだ。大統領はハインツの栄光を惜しみなく称えた。 「
世界中の一万人の従業員と経営者が、この素晴らしい会社の創立55周年をいっしょに祝ってい
るのです。(中略)世界各地で、みなが同時に同じ人のスピーチを聞き、同じ料理を昧わってい
ます。なんと科学の進歩は素晴らしいのでしょう。人類は常に発見や発明をしつづけていかなけ
ればなりません。人類の進化の速さに合わせて、わたしたちも日々スピードを上げていかなくて
はならないのです」
多くのエコノミストや歴史学者によると、1923年から1929年まで大統領を務めたクーリ
ッジは、富裕層に有利な税率引き下けと、政府が市場に干渉しない自由放任主義によって、19
30年代の大恐慌の原因の一部を作ったとされる。
創立55周年に当たる1924年、ハインツはある新聞折り込み広告を出した。大きな世界地図
が描かれ、各大陸の上に、さまざまな民族衣装を着た肌の色が異なる労働者たちがいる。
すべての人が青い徐で中央の青い円につながれており、その周囲にはたくさんのフルーツや野菜
が並んでいる。書かれているコピーは、157種のおいしい食品」と「世界の畑から世界の市場
立だ。世界各地にちらばる195の支社、代理店、倉庫は、ハインツの工場に原材料を供給する
ためになくてはならない拠点だと言いたいのだ。そしてそれは、この広告によると「57種の食
品を、世界中のすべての文明国に届けるため」だという。
3.
ハインツの『ア・ゴールデン・デイ』から6年が経過した1930年11月8日、再び同じよう
な全世界同時開催パーティーが行なわれた。今回も、世路各地の数万人の従業員があちこちの会
場に一斉に集まった。前回と違うのは、従業員の人数がやや増えたことと、スペインとオースト
ラリアにも会場ができたことだった。そして今回は、第31代大統領のハーバード・フーヴァー
が会場にメッセージを送った。
「世界中の従業員のみなさんとごいっしょに、わたしも御社の社長に祝辞を捧げることができる
ことを、大変光栄に思っております。(中略)60年以上も繁栄しつづける御社の創立記念日を
祝福できることはこのうえない喜びです。これほど長く存続できるのは、経営者と従業員がみな
満足し、互いに尊重しあっていることの、何よりの証拠でしょう」
確かに、ハインツでは、創業以来一度も従業員ストライキが起きていなかった。当時のアメリカ
で、これほどの規模の会社ではきわめて珍しいことだった。
「この近代文明では、どうも機械化ばかりが取り沙汰されて大切なことを忘れてしまいがちです。
もっとも素晴らしく、もっとも強い機械は、じつはわたしたち人間なのだということを」
前任者のクーリッジと同様、フーヴァー大統領もハインツヘの称賛を借しまなかった。当時、す
でに世界一のケチャップメーカーだったハインツは、自動車業界におけるフオードに並ぶ、アメ
リカの花形企業だったのだ。それにしても、政治家、実業家、経済評論家たちは、どうしてハイ
ンツをこれほど高く評価したのか?生産性の高さや、最新の加工技術とパッケージングのためだ
けではない。この会社が唯一無二の、理想的な経営を行なっていたからだ。
世界的に社会主義が広がりを見せ、労働組合が声高に権利を主張するなか、労使間の争いが起き
ることなく大きな剰余価値を生みだしている……つまり、労働コスト以上の労働力を引きだすこ
とに成功していたからだ。しかも、グループ傘下にある世界中のすべての会社において例外なく。
「労使紛争は、産業における最大の損失です。生産のスピードを遅らせ、生産量を減少させるだ
けでなく、人々の生活を悪化させ、心に傷を負わせます。それに、生産量や利益を失うだけなら
まだ取り返しがつきますが、人が傷ついたり命を落としたりしたら決して取り返しがつきません」
と、フーヴアー大統領は力強く述べた。
ハインツがこの二度目の「全世界同時パーティー」を開催したのは、1929年10月のニュー
ヨーク株式市場大暴落の翌年だった。世界大恐慌の真っロハ中だ。フーヴアー大統領は、クーリ
ッジ前大統領と同様に自由貿易を擁護し、ほとんど不況対策をしなかったため、恐慌を深刻化さ
せてしまったと言われている。そういう人物だからこそ、ハインツの経営者と労働者に向けて、
今後もさらにグローバル化を進めていくよう熱い口調で呼びかけたのだ。さらに大統領は、ほか
のアメリカ企業がハインツのように国際的ではないことを遺憾に思う、とも述べ
た。
「もしすべての企業が御社のようであったら、人類はもっとずっと幸せになれたでしょう」
フーヴァー大統領はこう言って絶賛した。ハインツは、アメリカの産業の救世主として伝説的な
存在だったのだ。
この項つづく
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン : 弦楽四重奏曲第38番 変ホ長調 「冗談」 Op. 33
弦楽四重奏曲第38番変ホ長調op.33-2は、オーストリアの作曲家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
によって、1781年に作曲された弦楽四重奏曲である。まとめて出版されたop.33「ロシア四重奏曲
」6曲(第37番-42番)中の2曲目であることから、「ロシア四重奏曲第2番」とも呼ばれ、また、
第4楽章のユーモアある終わり方から、「冗談」というニックネームを持っている。