『尉繚子』
紀元前三世紀、秦の始皇帝に仕えた兵法家・尉繚の説を収録したものといわれる。
3.制 談(せいだん)
軍は進むも退くも一体であってこそ、戦力を発揮できる。雑多な人間か二体にまとめるには、法
制を確立しなければならぬ。しかしその法制も、運用する人材を得なくては生きない、と説く。
統御の基本
そもそも、人間誰が死を喜び、生を厭うわけがあろうか。
にもかかわらず、生命の危険を冒して突き進むのは、命令が徹底してゆきわたり、法制が確立し
ているからである。賞罰の規定は明確、その適用は厳正、軍はこのようであってこそ、戦えばか
ならず目的を達成し、成果を収めることができるのである。 士卒百人にひとりの卒長を置き、
士卒千人にひとりの司馬を置き、士卒万人にひとりの将をおくのが、通例の定めである。この少
数の幹部でどのように多数の士卒を統御するか、つまり弱い者がどのように強い者を統御するか、
これこそ法制のかなめなのだ。
もしも、わたくしの考えている統御術を採用するなら、いかなる大軍であろうとも、わずか万人
を処罰するだけで、軍律の厳しさを周知徹底させることができよう。たとい父といえども子を例
外的に扱うことを許さず、子といえども父を例外的に抜うことを許さず、いかなる人間をも厳し
い統制のもとに服従させる、これがわたくしのいう術である。
刃物を振りかぎして町中を諾れまわる男がいれば、ひとは誰しも近づこうとはしない。だからと
いって、この男にだけ勇気があり、他の人間はみな腰抜け揃いだと断定するわけにはゆかない。
これはただ、死を覚悟した人間と、生に執着する芳との相違を示すだけのことだ。ところで、も
しもわたくしの統御術を採用するなら、いかなる大軍をも必死の一諾漢に変貌させ、進めばあえ
て立ち向かう芳もなく、退くにもあえて迫う芳もなく、さながら無人の境を行くがごとくになし
うるであろう。向うところ敵のない軍勢、これこそ、王芳たり和芳たるべき芳の軍なのである。
昔、十万の兵を率いて戦えば、天下に敵なしという人物がいた。斉の桓公がそれである。また、
七万の兵を率いて戦えば、天下に敵なしという人物がいた。呉起がそれである。さらにまた、わ
ずか三万の兵を率いて戦えば、天下に敵なしという人物さえあった。ほかならぬ孫武がそれであ
る。
だが、現在ではどうだろう。諸国の将は、だれにせよ二十万からの手勢をもっている。にもかか
らず、ひとりとしてみるべき完結もあげられずにいるのは、何故であろうか。ひっきょう、かれ
ら兵を統御する術を心将ていないからである。
統御の術を体得せよ。これによって一人を統御することができるなら、十人であろうと統御でき
る。十人を統御できるなら、たとい百人、千人、万人であろうと、統御できぬはずがない。さて
その上で兵器の整備に努め、怠らず戦闘訓練に励抒ことだ。こうしてわが軍は、一朝戦端を開く
ときは、さながら小雀を盛う漕のごとくI撃のもとに敵を粉砕し、千帽の谷に流れ落ちる急流の
ごとく遮りようのない猛威を発揮できるのである。
〈桓公〉 在位紀元前六八五~六四三年。名宰相管仲を用いて春秋五和の一に数えられた。
〈呉起〉 呉子。
〈孫武〉 春秋時代末期の名将。呉王開聞に仕えて大功があった。『孫子』の著者ともいわれて
いる。
Wikipedia
【日産リーフ蓄電池 アムステルダム・アレナエネルギー貯蔵システム】
電気自動車の蓄電池は、定置型エネルギー貯蔵事業で注目を浴びている。最新の日産リーフの蓄
電池、アムステルダ・アレンスタジアムに大型エネルギー貯蔵システムに導入されている。これ
は、スタジアム、来場者、近隣住民の電力網に、信頼/効率的なエネルギー供給と利用を提供す
る。このエネルギー貯蔵システムは、スタジアの自立型の持続可能なエネルギーとして貢献する。
スタジアム外の一時的な停電状態であってもオランダの電力網の安定化に貢献する。スタジアム
には42000のソーラーパネルのソーラー設備を所有する。
この事業は、日産、イートン、BAM、モビリティハウス、ヨハンクライフアリーナの協力で実現
し、アムステルダムの気候とエネルギー基金(AKEF)とインターレッグの支援を受けている。
日産は、商用ビル用リサイクル蓄電池と新型電気自動車蓄電池を使用する欧州最大の蓄電システ
ムだと説明している。148台の日産リーフ蓄電池相当で構成された3メガワット /2.8メガワ
ット蓄電システムを設置(出典:上写真参照)。
【特許事例研究篇:最新全固体型蓄電池技術】
デジタル革命渦論下でバッテリ革命が信仰している。この趨勢なら30年までにコンパクトで低
コストで安全/信頼/高エネルギー密度の全固体型蓄電池に置き換わっているだろう。今回は、
最新技術動向として下記の3件の特許事例を掲載する。
❏ 特開2018-088306 固体電解質組成物、固体電解質含有シートおよび全固体二次電池、なら
びに固体電解質含有シートおよび全固体二次電池の製造方法 富士フイルム株式会社
【概要】
固体電解質を含む層を用いる固体電池において正極と負極との短絡を防ぐ層を提供。正極と負極
の間に配置する固体電解質として、グラフェン化合物を含む層を用いる(下図参照)。グラフェ
ン化合物を含む層はリチウムイオンを通すことができる。また、グラフェン化合物を含む層には
予めリチウムイオンを含ませておく。具体的には、修飾剤を用い、層間距離が広がるエーテル、
エステルなどの官能基を化学修飾させたグラフェン化合物を用いることで、電気的特性の経時的
安定性に優れ、電池電圧の経時的な低下を効果的に抑制でき、また、固体電解質含有シートは、
全固体二次電池に用いることで、電圧の経時的な低下を効果的に抑制する。また、電池電圧が経
時的に低下しにくく、電池性能の経時的安定性に優れる。さらに、電解質含有シートの製造方法
/全固体二次電池の製造方法には、優れた性能を有する固体電解質含有シート/全固体二次電池
が製造できる。
JP 2018-88306 A 2018.6.7
❏ 特開2018-098200 二次電池およびその作製方法 株式会社半導体エネルギー研究所
【概要】
固体電解質を含む層を用いる固体電池において正極と負極との短絡を防ぐ層の提供。正極と負極
の間に配置する固体電解質として、グラフェン化合物を含む層を用いる。グラフェン化合物を含
む層はリチウムイオンを通すことができる。また、グラフェン化合物を含む層には予めリチウム
イオンを含ませておく。具体的には、修飾剤を用い、層間距離が広がるエーテル、エステルなど
の官能基を化学修飾させたグラフェン化合物を用いることで、固体電解質に炭素系材料を用いた
リチウムイオン二次電池を提供でき、酸化グラフェンを用いることで、両極の直接的な接触を防
ぎつつ、所望のイオン伝導性/機械的強度を、リチウムイオン二次電池の長期信頼性確保を実現。
また、一個/複数個の蓄電装置に一個/複数個の保護回路を設けることで携帯用電子機器に限ら
ず、医療機器、ハイブリッド車(HEV)などの次世代クリーンエネルギー自動車向け使用でき
る。
JP 2018-98200 A 2018.6.21
❏ 特開2018-101560 半導体固体電池 株式会社東芝 他
【課題】
エネルギー密度および出力密度の高い半導体固体電池を提供。N型半導体単層、P型半導体単層
またはPN接合型半導体層のいずれか1種からなる半導体層と、半導体層に絶縁層を介して設け
られた電極を具備することを特徴とする半導体固体電池。また、絶縁層は、厚さが30nm以下、
比誘電率が10以下であることが好ましい。また、絶縁層は膜密度60%以上であることが好ま
しい。これにより電解液を使用しない電池を提供できる。
【符号の説明】
1…半導体固体電池(第一の半導体固体電池)2…N型半導体 3…P型半導体 4…第一の絶
縁層 5…第二の絶縁層 6…電極(N型側電極) 7…電極(P型側電極) 8…半導体固体
電池(第二の半導体固体電池) 9…半導体 10…電子 11…正孔 12…電源
【RE100%篇:バーチャルパワープラント実証事業】
Jun. 27, 2018
6月27日、ソフトバンクグループのSBエナジー株式会社(SBエナジー)は、2018年05月29日に
経済産業省からVPPアグリゲーター事業(B-1事業)の間接補助事業者として採択された、18年
度「需要家側エネルギーリソースを活用したバーチャルパワープラント構築実証事業」の実施す
る(出典:上/下図)。バーチャルパワープラント(VPP)は、高度なエネルギーマネジメントで
自然エネルギーの発電設備と電気自動車(EV)を含む電力需要家側の蓄電設備を統合制御し、仮
想発電所のように電力の創出と調整する技術。実証エリアを拡大し、従来の九州電力エリアに東
京電力エリアと関西電力エリアを追加しVPP実証事業の間接補助事業受託申請。さらに、需給調
整市場の開設を見据えた調整力の提供(下図2)を本日から2019年02月28 日の期間中に東京電力、
関西電力および九州電力エリアで行う。
また、VPP基盤整備事業者からのデマンドレスポンス指令を受領して解析し、アグリゲーショ
ンコーディネーターからの充放電指示対象となる各リソースアグリゲーターの保有蓄電リソー
スデータと照らし合わせ、独自のアルゴリズムに基づいてリソースアグリゲーターの選定を自
動的に行う機械学習を用いたアグリゲーションコーディネーターシステムを構築する。さらに、
SB エナジーは、アグリゲーションコーディネーターの下で連携するリソースアグリゲーター
の1社としても、下記の技術を活用した実証事業連携を行う。
【鯖街道まっしぐら】
近江の「鯖ずし」や大和の「柿の葉ずし」に欠かせない鯖(福井の「へしこ」、長浜の「鯖そう
めん」もある)だが、季節(旬)や保存期間の関係で脂の変質などで食感を損ねることが多数(
あまた)経験。そこで、世界で広がりを見せている日本製の「鯖の水煮缶」あるいは「鯖とトマ
トの水煮缶」は癖がなく、レパートリーがひろく重宝されている。滋賀の湖西には鯖街道あり有
名であるが、焼き鯖、鯖ずしと限定され工夫に乏しいように見受けられる。ならばレパートリー
を広げてみようとイタリアンのパスタをネットサーフ(以前「へし」でも同じように調べたこと
があった(下写真)。
水煮、締め鯖(昆布締めなど)、焼き鯖、糠発酵には、燻製、塩漬け、味噌漬け、酢付け、醤油漬け、ハー
ブ漬け、オイル漬け、鯖節、天日干し、フレークなどあるだろうが、焼きにも、高周波、近赤、遠赤などの工
夫で脂抜きや液体二酸化炭素などで加圧処理などもある。トマトや野菜のスープ、、パスタ、カレー、鯖フ
レーと豆腐のソーセージ/ハムなど、工夫次第で、「鯖街道」は「グルメ街道」にやがて変わるだろう。
第8章 トマト加工工場の奇妙な光景
第2節 中国、北京
「今日はある本を持ってきました。2004年、カルキスの創立10周年に刊行された記念誌で
す。ここに掲載されている写真についてお話ししていただけますか?」
2016年8月21日、北京の自宅でわたしがそう問いかけると、同社の元経営者、リウ将官は
笑顔でIもちろん」と応じた。
「まず、これは1996年、イギリスでハインツと輸出契約を交わしたときの写真だ。この男は
中国政府の対外経済貿易部の元部長。カルキスの工場を視察に来たんだ。そしてこっちは全国人
民代表大会常務委員長の呉報国。それからこれは2001年のイタリア。アントニーノールッソ
と初めて大きな提携契約で合意したときだ」
呉報国は、中国共産党中央政治局常務委員会の実質ナンバーツーだった人物だ。国の最高権力者
のひとりとされている。
「イタリアヘはよく行かれていたんですか?」
「ああ。ナポリはわたしにとって第二の故郷のようなものだった。カルキスの発展にとって、イ
タリアはなくてはならない存在だったからね。ナポリ、そしてパルマには本当によく行っていた。
アントニオ・ペッティ、アントニーノ・ルッソとも親しくしていたんだ」
「ルッソはあなたのクライアントだったんですか?」
「クライアント以上の存在だったよ。アントニーノ・ルッソは、わたしの最初のビジネスパート
ナーだ。協力者であり、もっとも大事なクライアントでもあった。この業界のことをいろいろ教
えてくれたんだ。本当にいい人間だった。ルッソはどれだけの濃縮トマトをカルキスから買って
くれたと思う?すごい量だったよ。最初の大口の顧客がルッソたった。2001年から2006
年の間に、カルキスが生産した濃縮トマトの35パーセントから40パーセントを買ってくれた
んだ。わたしがカルキスを経営していた時代は、ナポリにあるルッソの工場に大量の濃縮トマト
を送っていた。わたしたちは真の友人だった。2001一年には、ルッソに工場をひとつ追って
もらったんだ」
「なぜ工場を追ってもうらうことになったんですか?」
「友だちだったからさ。友情の証に工場をくれたんだよ」
第9章 中国の加エトマト産業の暴走――始まりと発展、強制労働
第1節
1990代初めから、中国では、イタリア資本によるトマト加工工場が次々と建設された。加エ
トマト産業はみるみる発展し、2000年代に入ると、中国は濃縮トマトの生産量で世界トップ
に躍りでた。そして2004年、カルキス(中基)は、濃縮トマトをヨーロッパで販売する足が
かりとして、フランスの大手トマト加エメーカー、ルーカバノンを買収する。こうして、中国は
史上晨速でトマト加工品分野の大国に成長したのだ。
まったく経験がなかった分野で、中国がこれほどスピーディーに成長したことは、確かに大きな
驚きだった。だがそれ以上に驚かされたのは、工場のあまりにもずさんな管理体制だった。20
00年代、イタリアの機械メーカーによって工場が建設されすぎたため、その一部はもう使われ
ていなかった。新疆ウイグル自治区では、すでに取り壊されたものもあれば、廃墟のまま放置さ
れているものもあるという。
「信じがたいことだけど、中国人ときたら、多く造りすぎたと思ったら、1000万ユーロ以上
の価値がある工場でも平気で取り壊してしまうんだ」
イタリア《フード・ニュース》誌の元ジャーナリストで、中国の加エトマト栗界に詳しいダヴィ
デーギロッティはそう言った,それにしても、中国の加エトマト産業は、どうやって短期間にこ
れほどまでに成長できたのか?その理由を探る前に、まずはそれ以前の加エトマト業界の状況に
ついて知っておきたい。業界はどういう構造をしていて、誰が権力を握っていたのか。
戦後、匪界の加工トマト業界を取りしきっていたのは、イタリアのパルマとナポリだった。
当時、ホールトマト缶やトマトベースト缶などのトマト加工品分野は、少数の企業が市場を支配
する寡占状態だった。イタリアの市場を牛耳っていたのは、三つの分野のトップ企業だ。まずは
バルマ。北イタリアのこの町には、国内外に濃縮トマトの販売ルートを持つ大手商社と、最先端
のトマト加工機械のノウハウを持つ食品機械メーカーがあった。そしてナポリ。この南イタリア
の都一巾には、パルマの商社にとって最大のクライアント、大手食品メーカーのルッソとベッテ
ィがあった。
当時の加エトマト業界では、商社、食品機械メーカー、食品メーカーの3つが密接な利害関係に
ある、堅固なトライアングルを形成していた。関連企業の数は片手で数えられるほどだった。こ
れらごく少数の企業は、20世紀後半にわたって、揺るぎない関係を維持してきた。イタリアの
加エトマト産業は、まさにカルテルの様相を呈していたのだ。
第2節 イタリア、エミリア・ロマーニャ州パルマ
1930年、アルマンドとウーゴのガンドルフィ兄弟は、パルマで食品の卸売をする会社を設立
した。ウーゴはチーズとムを、アルマンドは缶詰などの保存食品を担当した。1969年にアル
マンドが死去すると息子のロランド・ガンドルフィが父の仕事を引き継いだ。以来、同社は海外
へも進出し、膨大な量の濃縮トマトを取りあつかうようになった。数多くのクライアントを抱え
ていたが、そこにハインツも含まれていた。20世紀後半、ガンドルフィはトマト加工品の取引
で世界観大の商社に成長し、今もその地位を守りつづけている。
1980年代、ガンドルフィ社は主にナポリ方面で取引をしていた。南イタリアのナポリ近郊、
アグロ・サルネーゼ・ノチェリーノ地域は保存食品産業が盛んで、そこにあるいくつかの食品メ
ーカーがクライアントだった。
「ナポリの会社は大量に商品を買ってくれたよ。アントニーノ・ルッソとは1979年に知り合
った。初めて会ったとき、工場の倉庫で、たくさんの木箱に囲まれて話をしたのを覚えている。
何時間も話しこんだ末、とうとう木箱の上に座りこんだりしてね。南イタリアの人間と仕事をす
るには、最初に信頼関係を築いておくことが大切なんだ。どれくらいの濃縮トマトが売れたか、
数えきれないくらいさ。とにかく当時は、ルッソとペッティが二大企業だった。ジグアーロはま
だそれほどでもなかった」
「かつて南イタリアの会社は、トマト加工後に残った屑でトマトペーストを作って、超激安価格
でアフリカで売っていたんだ。南ではそうやって加エトマト産業が発展した。トマト缶だけじゃ
ない、モモ、サクランボ、イングン豆などの缶詰もそうやって作られていた。当時、アグロ・サ
ルネーゼ・ノチェリーノでは、野菜とフルーツの市場のほとんどがカモッラ、つまり地元のマフ
ィアの手中に樫られていたんだ」
ルッソとペッティが巨大な加エトマ上巾場を二分するようになると、シェア争いが激しくなり、
互いに相手の取引先を横取りしようとするようになった。そしてさまざまな出来事があって、両
社は真っ向から対立しはじめた。アルジェリアやリビアなど北アフリカの国での入札のときもそ
うだった.「そういう入札で決まるのは、コンテナ数台レベルの話じゃない。数トンだ。だから
ルッソもペッティも、アフリカの市場を喉から手が出るほど欲しがった。そこでルッソは、ペッ
ティを出しぬくためにダンピングをやった。いくつかの商品を不当な低価格で売りけじめたんだ。
年に一度、アルジェリアとリビアで入札が行なわれるときは、それはもう大変な騒ぎだったよ。
今だから言うけれど、そういうときに一番効き目があるのは賄賂さ。その点に関して、リビア入
は最悪だった。際限なく要求してくるからね。アルジェリア入にはなんとか我慢できたが、リビ
ア入は本当にひどかった。まあ、今では状況が一変してしまったけどね。アルジェリア入は中国
から仕入れた濃縮トマトを、自分たちで缶に詰めて売るようになったから」
だが、ルッソとペッティの値下げ競争は、両社に原材料を供給しているガンドルフィ社にとって
は都合がよくない。そこでガンドルフィ社は、折りに触れて両社の仲を取りもとうとした。ロラ
ンド・ガンドルフィは、ルッソとペッティの和解交渉の場を設けるよう、右腕のピエラッチに命
じたという。ある日彼らは、ローマの高級ホテル、エデン・デ・ラ・ヅィア・ルドヴィージの客
室で、秘密裏に集まった。
「ロランドとわたしは、ルッソとベッティを何度も説得しようとした。争いの末、殺し合いにな
ってもしかたがないからね。市場がI〇〇買うと言ったら、それは100なんだ。それ以上にも
以下にもならない。だったら、互いに妥協できる線でルールを決めておくほうがずっといい。激
安で売って損をして、共倒れになるのはバカげてる。正当な値段で売ると互いに約束しておかな
いと、いずれはどちらも行き詰まってしまう。大損をして、大赤字になって、税金を収めるこ
とも、仕入れの支払いをすることもできなくなる。
トマトペースト缶だけじゃない、ホールトマト缶だってそうさ。だが、ホールトマト缶について
は、とうとうルッソとペッティを白意させることができなかった。二、三度、戦略を練って、市
場獲得と販売に関するルールを取り決めようとしたが、結局失敗に終わった。その一方で、トマ
トベースト缶についてはどうにか白意させることができたよ。とくにアルジェリアとリビアの入
札に関してはね。ルッソとペッティのどちらかが注文を受けたら、それを2社で折半するのさ。
しばらくはそれでうまくいっていた。どちらがどういう注文を取ってもね。ごく簡単なことさ」
ガンドルフィ、ルッソ、ペッティ……y』のイタリア三社の《濃縮トマトカルテル》は、198
0年代以来、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの加エトマト産業を支配している。豊かな国だけ
でなく貧しい国にも、大手食品メーカーやスーパーチェーンだけでなく独裁国の町の食品市場に
も、濃縮トマトを供給しているのだ。
「中国と仕事を始めたきっかけは、1990年代のある日、食品機械メーカーのインジェニェー
レ・ロッシからかかってきた電話だった。中国にトマト加工工場を売ることになったから、そこ
で生産される濃縮トマトを売るのに手を貸してくれないか、と頼まれたんだ。ハインツが中国に
参入したのも同じころだった」
第2節 中国、北京
2016年8月21日、カルキス(中基)の創案者で元経営者、リウ将官は北京の自宅でこう言
った,.
「中国の加エトマト産業の歴史において、イタリアはマルコ・ポーロと同じ役割を果たしてくた。
中国にトマト加工設備を最初に設置したのは、イタリアの会社だったんだ。北イタリアのパルマ
の機械メーカーが工場を建設して、いろいろなことを教えてくれた。機械の操作方法、さまざま
な技術とノウハウ、人材育成のしかた………何もかも向こうで手はずを整えてくれた。工場設備
のほとんどが、ロッシ&カテッリとインジェニェーレーロッシの製品だった。完成した工場で生
産された濃縮トマトは、南イタリアのナポリの食品メーカー、ルッソとベッティが買いとってく
れた。イタリアは工場を提供してくれたうえ、商品まで買ってくれたんだ。最初から全部ね。ア
ントニーノ・ルッソと初めて会ったのは、一丸九九年か、2000年だったかな。わたしが濃縮
トマトの商品サンプルを持ってナポリを訪れたんだ。そのサンブルを分析した結果を見て、ルッ
ソはとても驚いていた。うちの商品のコストパフォーマンスの高さにびっくりし、信じられない
という顔をしていたよ。そして、もっと詳しいテストをしたいからコンテナ1台分送ってほしい、
と頼まれたんだ。言われたとおりにすると、いきなり最初から5000トンの濃縮トマトを発注
してくれたよ。
商品が到着すると、ルッソは自社のために3000トンをキープし、残りはナポリのほかの会社
に分けてやったらしい。イタリアでは、カルキスの濃縮トマトの品質の高さに誰もが驚いたんだ。う
ちの商品は本当に優れていたからね。カルキスの名前はたちまち知れわたった。その後、新疆生
産建設兵団の副代表をナポリヘ連れていき、アントニーノールッソに紹介した。
そのとき、取引金額の白意が取れて、わたしたちのパートナーシップはよりいっそう強固になっ
た。2003年には、感謝のしるしにと、ルッソがもうひとつ工場を造ってくれた。わたしたち
は長年にわたって協力関係にあったんだ」。
この項つづく
● 今宵の一曲
Sarah Vaughan ft Quincy Jones & His Orchestra - Misty
ソプラノからコントラルトまで幅広く、美しいヴィブラートを聴かせる、オペラ歌手にも匹敵す
る声域と豊かな声量をもちつ。大胆なフェイクやスキャットを取り入れた歌唱力をも持ち味を特
徴とする。ジャズ・ボーカル史上ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジ
ャズ・ヴォーカリスト御三家の一人。
あたしだけ見て
まるで高い木の上に登り降りれなくなった子猫みたいに
そして雲にでもしがみついているような感じ
理解できないの
あなたの手をにぎっただけで霧に包まれたようにばるわたし
あたしはこのまま歩きたいの
すると一千ものバイオリンが奏ではじめ
それって、あなたが声を掛けてくれたようにも聴こえるの
あなたのそばにいると霧に包まれる
あなたに「ついておいで」といって欲しい
でもそれはあたしの想いだけかも
どんなふうにとまどっているのかわかる?
だからあなたについて行ってしまうの
独りで不思議な世界をさまよっているの
もう右足なのか、左足なのか
帽子なのか手袋なのか、
なにが何なのか
わたしはあなたに夢中なの