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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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いつ見きとてか恋しかるらむ

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8.泰 伯 たいはく
ことば------------------------------------------------------
「人のまさに死せんとするや、その言うこと善し」(5)
「士はもって弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し」(8)
「民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず」(10)
「その位に在らざれば、その政を謀らず」(15)
「学は及ばざるがごとくするも、なおこれを失わんことを恐る」(18)
------------------------------------------------------------
20.見ほど偉大な君主がまことあろうか。高くそびえるもの、大
いなる天、その天の法則を体現した者こそ、ほかならぬ見だった。
かくて、そのひろがりは果てしもなく、これを名づけようにも、人
民には形容するすべがなかった。尭は、そびえるばかりの治績をう
ちたてたばかりでなく、かがやかしい文化をも築いたのだ。(孔子)

子曰、大哉、尭之爲君也、巍巍乎唯天爲大、唯尭則之、蕩蕩乎民無
能名焉、巍巍乎其有成功也、煥乎其有文章。

Confucius said, "What a great sovereign emperor Yao was! He
served only the heaven majestically, and only he followed the
heaven at the time. His reign was so peaceful as people could
not express it with any words. He achieved the majestic succ-
ess,and developed brilliant culture."



【佐竹本三十六歌仙下句トレッキング;藤原兼輔⑦】 #TheThirtySixImmortalPoets#FujiwaranoKanesuke





みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ

        『新古今和歌集』恋・996、小倉百人一首・27番

みかの原を二つに分けて、湧き出て流れる泉川のように、いったい
いつあの人を見たといってこんなにも恋しいのだろうか。

藤原 兼輔(ふじわら の かねすけ、元慶元年(877年)-承平3年
2月18日(933年3月16日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原
北家、右中将・藤原利基の六男。賀茂川堤に邸宅があったことから
堤中納言と号した。小倉百人一首では中納言兼輔。和歌管弦に優
れ、従兄弟で妻の父である三条右大臣・藤原定方とともに当時の
の中心的な人物であり、紀貫之凡河内躬恒など多くの歌人が邸
宅に集まっている。『古今和歌集』(4首)以下の勅撰和歌集に5
6首が入集。家集に『兼輔集』がある。

歌の舞台「瓶原(みかのはら)」は、京都府の南部、奈良県との境
に近い木津川の流域で、京都府相楽郡加茂町にあたる。この辺りに
は8世紀に恭仁京が置かれ栄えた。現在では、恭仁小学校の北に大
極殿の礎石跡が残っている。また加茂町には、恭仁京で鋳造された
という日本最古の貨幣、「和同開珎(わどうかいちん)」の鋳造所
も発掘されている。さらに、国宝の三重塔や阿弥陀堂がある浄瑠璃
寺などもある。

 
佐竹本三十六歌仙絵巻は、三十六歌仙を描いた絵巻物で、鎌倉時代
(13世紀)に制作された。久保田藩(秋田藩)主・佐竹家に伝来し
た、三十六歌仙絵の草分け的存在にして、代表的な作品である。書
は後京極良経、画は藤原信実によると伝わる。元は上下2巻の巻物
で、各巻に18名ずつ、計36名の歌人の肖像と住吉大明神が描か
れていたが、1919年(大正8年)12月20日に各歌人ごとに
切り離され、掛軸装に改められた。原型とは異なっているが、一部
を除き重要文化財に指定されている。


人口減少時代のまちづくり㉑

29 「核家族化」が何を引き起こしたか
【要点】
①家事などの女性・主婦への過重な負担。
②家庭内相互扶助力の低下。
③家族介護の困難。

1 核家族化の進行~本当か。  
核家族の進行とよく言われる。一般に核家族とは、夫婦のみの世帯、
夫婦と子どもから成る世帯、男・女親と子どもから或る世帯と言わ
れている。特に、高度経済成長の過程で都市部への人口集中が進み、
核家族化に向かったと言われており、祖父母・父母・子の3世代家
族等の大家族が減少したことによるもの。統計上の動きを見ると、
第1回国勢調査の1920(大正9)年時点で、核家族が全世帯の
半数を超える結果となっていた。その後も含め、出生率が高い時代
であっても、同一住居で同居できる夫婦及び世帯は限られ、長子以
外の子どもだちは結婚すると実家を出て、自分の家を持つという背
景もあって、戦前から核家族が多かったようだ。直系家族世帯等の
大家族世帯の割合が4削弱で減少傾向にあることからもそのことが
うかがえます。近年においても50%台後半で減少傾向を示しなが
らも椎移しているが、内訳を見ると「夫婦のみ」世帯と「ひとり親
と未婚の子」世帯の割合が増加傾向にあり、核家族内でさらに小さ
い家族への変化が起こっている。

2 核家族を生んだ背景~産業構造の変化、都市部への流
出、単独世帯の増加
さらに戦後の核家族化の大きな理由として挙げられるのは、産業構
造の変化。それは第一次産業から第二・三次産業へのシフト。農林
漁業から、都市部における雇用力のある製造業や小売、サービス業
への雇用構造の変化です。それは、その後の進学率の高まりや生産
年齢人目の増加とあいまって、都市部への転出と定着という形で核
家族化を促進・維持することになりす。また、企業の全国展開によ
って転勤族が増えたこと。さらに、プライバシー重視の生活感の高
まりなども、核家族化に繋がったと考えられる。

また、核家族化は、世帯数の増加と世帯人員の減少という形で表れ
てきました。時系列でみると、世帯数は増加している一方、平均世
帯人員数は、60年の4人から減少を続け、90年に3人を割って
以降も減少、直近の2015年では2・33人となっています。こ
うした世帯人員の減少にあわせて、若者や高齢者の単独世帯の増加
によって核家族化か進行している。



3 核家族化、世帯人員減少が引き起こした問題~家庭内
相互扶助力の低下  
核家族化の結果、大家族世帯では家事などを多くの世帯人員で分担
できたが、核家族世帯では難しくなり、例えば、女性・主婦への過
重な員担となることが多い現状となっています。さらに、世帯人員
の一層の減少も加わり、親、特に母親対子だけの閉鎖された環境に
おける育児ストレス、共稼ぎの増加による下校後の子ども(小中学
生)の居場所の問題などが挙げられている。祖父母等の世代間、兄
弟・姉妹間の助け合いや役割分担等の家庭内相互扶助力の低下や家
庭内孤立に繋がりやすい家族構成になってきた。
こうした状況が少子化や児童虐待を誘引しているとも言われている。
さらに、核家能化は、家族介護の困難さの問題にも繋がる。

4 今後の取組み~子育て、コミュニティ、福祉等幅広い
取組み  
核家族化は、様々な要因が絡んで発生してきた。そのためにも、幅
広い総合的な取り組みが必要。当面は、地域雇用や子育て対策、女
性の社会進出を踏まえた男性の育児・家事への参加、さらに、親世
帯と子世帯がお互いサポートしあえるよう近い位置で暮らす「近居
」という取組みも求められるでしょう。また、地域コミュニティの
充実により核家族世帯に新しいつながりの場を提供していくこと。
あるいは、高齢化する核家族への対応などの取組みが求められる。           
キーワード 大家族世帯減少/家庭内相互助力


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