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二兎を追いて一兎も得ず

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彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救
ったと伝えられる "招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤
備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした
部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ
ー。愛称「ひこにゃん」

    
                                     
15 衛霊公 えいれいこう
-----------------------------------------------------------
「人、遠慮なければ、必ず近憂あり」(12)
「これをいかん、これをいかんといわざる者は、われこれをいか
んともするなきのみ」(16)
「君子はこれをおのれに求む。小人はこれを人に求む」(21)
「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」(30)
「仁に当たりては、師にも譲らず」(36)
-----------------------------------------------------------
1 衛の霊公が孔子に向かって、軍隊の配叙法をたずねた。
礼のことならいささか心得がありますが、軍事学は一向不案内で
す」と言って、この問に答えなかった。そして翌日、霊公を見か
ぎって衛の国を去った。

衛靈公問陳於孔子、孔子對曰、俎豆之事、則嘗聞之矣、軍旅之事、
未之學也、明日遂行。
Marquis Ling of Wei asked about battle formation. Confucius
replied, "I learned about the rites. But I have never lear-
ned about military affairs." Confucius left Wei the next day.
⛨ 新型コロナの起源を探るⅠ
2月、中国・武漢の武漢ウイルス研究所のチームが英科学誌ネイチ
ヤーに発表た論文が注目を集めている。遺伝子配列が新型コロナと
96%重なる近縁種を7年前に見つけていた「RaT13」と 名付けられ
たウイルスは、どう見いだされたのかその足路を記者がたどってみ
た.「Ra」はコウモリの一種、「13」は2013年に 採取されたことを
表す。2013年、武漢ウイルス研のチームは10年前に中国を襲ったさ
SARS(重症急性呼吸器症候群)の起源を追っていた。どのウイルス
がどんな動物を宿主として変化し、人に感染する能力を得たのかを
採ろうと中国各地に赴きウイルスを集めていた。道端で一豆を干し
ていた女性に尋ねると「銅山は閉鎖された。昔、人が亡くなったと
聞いたと言葉少なだった。銅山に近づくほど、住民の□は重くなっ
た。「あの山は危険だ」「あそこへは行くな」。やがて道は生い茂
るやぶに遮られ、進めなくなった。銅山で働いていたという男性(
61)を見つけたが、調査をつきつめた結果、もっとも近い存在とし
て浮かんだのが「RaT13」だった。(一部抜粋・ウイルス潜む山「
危険だ-新型コロナ・中国・雲南で起源探る」、朝日新聞




世界を揺さぶる新型コロナウイルスのルーツや特性を、科学者たち
はどう解き明かそうとしているのか。太陽の光冠(コロナ)のよう
な突起を持つコロナウイルス。その起源をたどる上で科学者が注目
するのがコウモリ。世界各地に生息する哺乳類で、様々なウイルス
を宿していることが多い上、行動範囲が広いために拡散させやすい
と言われる。SARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスを研究谷
する武漢ウイルス研究所のームも、コウモリに善目。RaTG13の
銅山から約170㌔㍍離れた夕陽郷という地域で調査を続けた。少
数民族イ族が暮らす村にある「燕子洞(ツバメの穴)」。直径拍舒
ほどの縦穴に、多くのコウモリが生息する。チームは2015年、燕子
洞と、約6㌔㍍先にある別の洞窟の聞にある村を分析した結果、40
~50代盲の住民の血液を調べた。218人の血液 の男女6人からSA
RSウび武漢のウイルス学者は、乗換えできるコウモリのコロナウ
イルスが増える。石正麗博士は、Covid-19ウイルスの近親者が中国
以外の自然界で流行している可能性が高いと話す中国南部と南西
部のフロンティア地域のコウモリは、すでに人間に渡る能力を持っ
ている他のコロナウイルスを抱えている。中国南部と南西部の未開
地域のコウモリは、すでに人間への感染能力を持つ。武漢ウイルス
研究所の石正麗は、Covid-19を引き起こすSars-CoV-2の近親者を含
むこれらのウイルスは、中国を越えて自然界で循環している可能性
が高く、中国だけでなく南アジアの国々でも調査する必要性がある
と云う。フランスの医学および獣医アカデミーが主催するウェビナ
ーで行われた彼女のコメントは、2つの国際チーム(1つは世界保
健機関、もう1つはランセット医学雑誌設立)の調査準備時に開催
され、1年後には一連の取り組みが高度に政治化されてしまう。米
国と中国は、貿易戦争が激化する中、パンデミックの原因だとお互
いを非難する状態を招く。また、インドを含む他の国々も、可能な
情報源として挙げられている。石正麗らの研究室は、今年初、偶発
的なウイルス漏えいの原因であると非難されたが、主張を裏付ける
証拠はなく、当然、彼女はそれを否定している。Sars-CoV-2の自然
の貯蔵所はコウモリである考えられており、石正麗は、ウイルスが
人間に感染する前に別の動物に伝染した可能性が高いと述べたが、
その動物(中間宿主)は特定に至っていない。また、昨年末にウイ
ルスが検出されるまでに、その動物またはヒトでウイルスがどのく
らいの期間循環していたかは不明であり、どちらか一方に「非常に
長い間」存在していた可能性がある話す。シドニー大学のエドワー
ド・ホームズ教授は、ウイルスが長い間、そしておそらく人間でさ
え、数ヶ月間中間宿主にあった可能性があると云う。ウェビナーに
参加していなかった同ホームズは、「最初の種間感染が武漢自体の
中または周辺で発生しなかった可能性は十分にありうると話してお
り、これを解決するには膨大な数の宿主の調査を必要とし、そのこ
とは湖北省で発生したとは断定できないだろうと云う。石正麗らの
グループはこれまで、湖北省の首都である武漢周辺で採取した家畜
や野生生物からウイルスを検出できておらず、中間宿主が鱗甲目で
ある場合、中国に到達するすべての鱗甲目がインドを含む他のアジ
ア諸国から密輸されており、ウイルスがコウモリから中国国外の鱗
甲目に感染した可能性があるが、グラスゴー大学のデビッド・ロバ
ートソン教授は、調査は引き続き中国に焦点を当てるべきと云う。
中国に輸入された後、おそらく馬蹄形コウモリからウイルス感染し
たと確信している。彼のグループの研究では、Sars-CoV-2 がコウ
モリに感染し、ウイルスを人間に感染させる突然変異のほとんどを
獲得したことを示したと云う。前出のランセットと WHOの調査に携
わった人々は、事件後、ウイルスが人間に伝染するまでの正確な経
路を明らかにすることはできないと見ており、彼らの目標がクロス
オーバーの再発生防止の生態学的に突き止めることにある。石正麗
らのグループは昨年、中国、特に南部と南西部にホットスポットが
あり、SARSのようなコロナウイルスの高い遺伝的多様性をもち、高
い変異能力を保持していることを突き止めている。10月に発表され
たチームの分析によると、すでに人間の細胞に浸潤できるものも突
き止めている「驚くべき発見」である。2012年にサウジアラビアで
中東呼吸器症候群(Mers)の発生を引き起こしたものに関連する他
のコロナウイルスは、欧州とアフリカの動物で感染循環しており、
「これらのウイルスは、ヒトへの種間感染のリスクが高いと考えら
れていると彼女は云い、人間以外の動物起源の病気が人間の病気に
なる連鎖の2つのポイントは、つまり①野生動物と飼いならされた
動物または飼育された動物の間、②および飼育された動物と人間の
間の監視を強化するよう求めた。たとえば、最近、英国の養鶏場で
の鳥インフルエンザの発生の監視が強化されているように、人間の
側にとって、人類は明らかに新しい病気の発生を監視強化する必要
があると前出のとロバートソン氏はこう指摘している(China Bat
Expert Says Her Wuhan Lab Wasn’t Source of New Coronavirus:
wuhan-lab-wasnt-source-of-new-coronavirus-11587463204)。
✔  この記事を読み終え、ふと、中国プラントでの記憶が----わた
しを含めたメンバーの多くが帰国後、風邪の症状に似た風土病に冒
されていた----結局のところ全員なにも無きように回復したが、わ
たしは、帰国後の市議会補欠選挙の故・田中豊一氏の応援の主幹で
もあったのだが、正午過ぎになると微熱と倦怠感を繰り返す病が続
き、途中選挙カーで横になっていた頃を思い出し、ひょっとすると、
この折免疫力(交差免疫)がついていたのではとも考えた。翻って、
そうであれば、この新型コロナも世界中が「北京の蝶が羽ばたけば
メルトダウンを起こす」ではないが、今後も悩まされるのではと想
像もしてみた。やっかいなことは、感染力の大きさだけでは、突然
変異種の発生でまた同様の感染症に人類は悩まされるのではとか、
いや、地球規模の気象変動で今後も人類はこの手の「パンデミック」
に見舞われる覚悟はしておくべきだろうと想像する。そうであれば、
「GO TO EAT」などのその場限りの経済喚起策より、「パンデミック
=ニューディール」政策と「STOP THE 温暖化」政策を推進する他な
いのではと再確認する。



なぜ頼朝は辺境の地・鎌倉Ⅱ
辺境の地、鎌倉  歴史家たちは頼朝が鎌倉を本拠地にした理由
を「平家の勢力が隠然と各地に残存していたから鎌倉で守りを
固めた」や「頼朝は朝廷との癒着を嫌い、朝廷たちの手練手管
に陥らないよう京都から離れた」としている。しかし、平家は
まちがいく壇ノ浦で壊滅していた。源氏は圧倒的な強者であり、
平家に対して鎌倉で守りを固める必要はなかった。朝廷との癒
着を嫌った、というのも不自然である。頼朝は単に京都から離
れたのではない。根を越えてしまったのだ。当時の京都からみ
れば、箱根の山々は日本文明の束のドン詰まりであった。頼朝
はその箱根を超えてさらに東の鎌倉に構えてしまったなぜ、箱
根まで超えてしまったのか? なぜ、文明の辺境の鎌倉に構えた
のか? 壁の防御装置であった。由比ケ浜は夏には家族遠れでに
ぎわう遠浅の海岸である。遠浅の砂浜は船団の急襲を防ぐこと
ができる。船団が進入しても、水深が1メートルにもなれば船
は砂浜で座礁してしまう。船から兵士が海に飛び込み、陸ヘ向
えば弓矢で射抜き放題にされる。上陸する前に全滅するか、上陸
してもずぶ濡れで刀を抜いて戦うどころではない。辺境の地の
鎌倉、鉄壁の防御都市の鎌倉、その鎌倉を頼朝は本拠地とした。
頼朝は徹底的に京都から離れ、かたくなに鎌倉に閉じこもった。
なぜ、頼朝はこの鎌倉に閉じこもったのか? 頼朝は何を恐れた
のか? この謎を解く鍵は、頼朝の青春時代にあった。(なぜ、
頼朝は境の地・鎌倉、(その1)一平清盛を引き継ぐ-竹村公太
郎元国土交通省河川局長、環境ビジネス  2020年秋季号)  

1159年、平治の乱で頼朝の父、源義朝は平清盛に敗北した。長
男の頼朝は伊豆へ配流となった。配流となった土地は、伊豆の
「蛭ケ小島」であった。こう聞けば、頼朝が流されたのは伊豆の
海の島だと思ってしまう。ところが「蛭ケ小島」は、伊豆半島の
狩野川の中流に位置する韮山町(現在は伊豆の国府リこあを蛭
ケ小島は決して海の中に浮かぶ島ではない。伊豆半島の中央に
あった。頼朝は14歳から34歳までの20年間、この伊豆半島で過
ごした。この伊豆の山々を越えれば、平家の眼が届かない相模
湾、東京湾が広がっている。青春の真ん中の20年間、頼朝は三
浦半島や房総半島で囲まれた相模湾で育っていった。肌は真っ
黒に日焼けして、新鮮な海の幸、山の幸を食し、三浦半島の三
浦氏や房総半島の千葉氏と酒を飲み交わした。そして、温泉に
浸かり、恋愛をくりかえしていた。東海から関東の位置図であ
る。

鉄壁の鎌倉
1192年、征夷大将軍に任命された源頼朝は、辺境の地であり防
御に強い鎌倉に閉じこもった。頼朝は流人を恐れた。流人が溢
れ、スラム化する都を恐れた。その流人を防ぐため鉄壁の鎌倉
が必要であった。鎌倉の山々は清浄な水と燃料と山の幸を与え
てくれた。鎌倉の地形は全体的に海に向かって緩やかな斜面と
なっている。人々の排泄した汚物は自然流下で相模湾に流れ、
その汚物は豊かなプランクトンを育み、ブランクトンは貝や小
魚の餌となり、小魚は大きな魚のえさとなり、海は魚介類の宝
庫とリなっていった。鎌倉は流人の膨張を許さない、持続可能
な清浄な都となった。しかし、鎌倉は辺境の地である。鎌倉は
今のJR東口本の東海道本線言道本線の大船駅から分岐する横須
賀で、東海道本線と盲腸線の横須薦賀線を示す。世界史をみて
も、権力者が頑丈な城に閉じ龍ることはあった。しかし、権力
者がその拠点を交流軸から外れた辺境の地に構えた、など聞い
たことがない。権力は情報を持たなければならない。権力は決
して情報の交流軸から外れたりしない。頼朝はそのルールを破
ってしまったのか? は、鎌倉は辺境の地ではなかった。鎌倉は
東日本への要の土地であった。平清盛の神戸・福原京が、西日
本への要の土地であったことと酷似していた。

隠された関東の地形
歴史は地形と気象の舞台の上で演じられる。この舞台を忘れ、
舞台上で踊る人間模様に目を奪われていると、歴史の本質は見
えなくなる。ただし、地形を考える時に大切なことは、21世紀
現在の地形ではない。歴史が繰り広がれていた当時の地形が大
切である。
日本史の中で、最も劇的に変化した地形は関東平野である。関
東の大改編は、1590年以降の徳川幕府が行ったが行った。関東
の歴史は、その大改編される以前の地形に戻らなければならな
いことが、頼朝の時代、江戸湾には多摩川、荒川のほかに利根
川と渡良瀬川が流れ込んでいた。21世紀の現在、利根川と渡良
瀬川は銚子に向かっている。その利根川の流れは、江戸時代以
降の人工の流れである。上図は江戸時代以前の関東平野の地形
図である。関宿の地形を見ると、この地形が利根川と渡良瀬川
の流れをブロックしていることがわかる。利根川と渡瀬川はこ
こで南下し、江戸湾に流れ下っていった。400 年前、この関宿
地点の高台を掴り込み、利根川を銚子に向ける工事を開始した
のは徳川家ケ康であった。それ以前、利根川、渡良瀬川そして
荒川は全て江戸湾に流れ込んでいた。それら河川の土砂が堆積
した河口部は、真水と海水が入り混じる見渡す限りのアシ、ヨ
シが広がる不毛な湿地帯であった。江戸以前の関東は大湿地た
った。そのことを認識し、関東が大湿地帯であったこと知ると、
日本史のいくつかの謎が自然と解けていく。

            

頼朝は典型的な健康志向の湘南ボーイであった。その湘南ボー
イが天下を取った。この湘南ボーイが嫌悪し、避けたかったモ
ノがあった。それは劣悪で不衛生な都であった。アスリートの
平清盛が不潔な京都を嫌ったように、頼朝も不潔な京都を嫌っ
た。征夷大将軍に任命された頼朝は、劣悪な環境の京都に背を
向け鎌倉に閉じこもった。平清盛が京都から兵庫の福原京へ遷
都しようとしたと同じように。荒廃の京さかのぼること400年
前の794年、桓武天皇は京都に遷都した。東西4.5km、南北5.2
kmの都には公家、僧侶、武士、商人、職人、農民が住んでいた
が、それ以上にこの都には数知れない流人がいた。世界中の都
という都には共通した現象がある。それは、都には流人が入り
込んでくることである。都に行けばどうにかなる、と人々が止
めどもなく流れ込んでくる。平安京の人口は少なくとも約20万
人はいた。 20万人が生きていくためには年間最低200万本の立
木の伐採が必要となる。 200本ではない200万本である。桓武
天皇が平安京へ遷都してから源氏が政権を握るまでに400年が
経ていた。その間、京の周辺の木々は伐採しつくされ、京都周
辺の山々は荒れ放題とっていた。京はスラム化し、疫病が毎年
のように蔓延した。鴨長明の「方丈記」でも疫病で4万2千人の
死者がでて、鴨川は死体の山であったと記されている。京は死
臭溢れる都市となっていた。生態系豊かな都・鎌倉 湘南で青
春時代を過ごした頼朝にとって、京は息もできない不潔な都で
あった。頼朝がそのような京に我慢できるわけがない。京に居
るどころではない。京に背を向け、箱根を越え、防御の鉄壁の
鎌倉に閉じこもってしまった。頼朝は平家の残党を恐れたので
はない。頼朝は流人を恐れた。流人が溢れ、スラム化する都市
を恐れた。その流人を防ぐため鉄壁の鎌倉が必要であった。何
しろ鎌倉は青春を過ごした慣れ親しんだ思い出の地であった。
鎌倉の山々は清浄な水と燃料と山の時間脈動している。波は汚
物をプランクトンの栄養源に変え、そのプランクトンは小魚の
えさとなった。小魚を目指して人魚も寄ってきた。由比ガ浜は
豊穣の魚介類の海となり、人間と生態系が連携した循環システ
ムが形成された。この鎌倉の地形は、平清盛の兵庫の福原京と
似た地形であった。鎌倉は流人を防ぎ、生態系豊かな持続可能
な都となった。 幸を与えてくれた。鎌倉の地形は全体的に海
に向かって緩やかな斜面となっている。人々の排泄した汚物は
自然流下で相模湾に流れ出た。 相模湾の由比ガ浜の波は、365
日24時間脈動している。波は汚物をプランクトンの栄養源に変
え、そのプランクトンは小魚のえさとなった。小魚を目指して
人魚も寄ってきた。由比ガ浜は豊穣の魚介類の海となり、人間
と生態系が連携した循環システムが形成された。この鎌倉の地
形は、平清盛の兵庫の福原京と似た地形であった。鎌倉は流人
を防ぎ、生態系豊かな持続可能な都となった。



               (環境ビジネス 2020.AU)
関東の大湿地帯

下図は、利根川、渡良瀬川、荒川が流れ込む関東平野は大湿地
帯であり昔の旧道は江戸を避けていたことを示している。日本
列島を歩き回っていた人々は、関東に広がるアシ、ョシの大湿
地帯を避けて通っていった。関東を通り西日本から東口本に行
くルートは主に4つあった。中山道(東山道)の長野から群馬
ヘ出て、桐生、足利そして栃木を経由して東北に向かうルート。
甲府盆地から相模川をって平塚に出て、藤沢、鎌倉を通り三浦
半島の横須賀から船で、房総半島に渡り茨城東北へ向かうルー
ト。箱根を越えて小田原に出て、藤沢、鎌倉、横須賀そして房
総半島から東北へ向かうルート。さらに、西から太平洋を航海
してきた船が、相模湾を超えて三浦半島でいったん停泊し、房
総半島へ渡っていくルート。どのルートも、やっかいな関東の
大湿地帯を避けていた。そして、南関東の街道は、全て三浦半
島の根元にある鎌倉を通っていた。  



東日本を抑えた三浦半島 三浦半島と鎌倉は日本列島の盲腸で
はなかった。ここは東日本へ行く陸と海の関所であり、要の土
地であった。さらに、三浦半島には大きな河川がない。そのた
め、河川から流出する土砂堆積や干潟はない。航海してきた船
は、安心してこの三浦半島に近寄ることができ、上陸できた。  
太平洋に張り出している三浦半島全体が、日本列島の大きな港
の機能を持っていた。頼朝は情報の流れから外れた辺境の地に
拠点を構えたのではなかった。日本列島の重要な港の情報拠点
の三浦半島に幕府を構えたの頼朝の700年 後の幕末、太平洋を
渡ってきた黒船が、三浦半島の浦賀沖に来航し、久里浜に上陸
した。明治の文明開化、西欧文明の窓口の港は、三浦半島の根
っこにある横浜となったさらに、21世紀の今、横須賀には自
衛隊艦隊の横須賀地方総監部があり、米国海軍第7艦隊の基地
であり、東アジア及び日本首都圏の重要な防衛拠点となってい
る。頼朝が三浦半島を抑える鎌倉を拠点にした先見性は、何と
1千年経った21世紀の今でも続いている。私が通った中学、高
校はこの横須賀港の入口の田浦にあった。授業中、教室の窓か
ら横須賀港を出入りする艦隊や潜水艦を見て過ごした。半世紀
以上の年月を経て、やっと、この三浦半島の歴史的重要性を整
理することとなった。



竹村公太郎氏: 元国土交通省河川局長、日本水フォーラム代表
理事、事務局長。1945年生まれ。1970年、 東北大学工学部土木
工学科修士課程修了。同年、建設省入省。以来、主にダム・河
川事業を担当し、近畿地方建設局長、河川局長などを歴任、現
在は(特非)水フォーラム代表理事。著書に、ベストセラー『日
本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫) 『水力発電が日本を
救う』(東洋経済新報社)など。

🗻  自然に人類があわせていく典型例なのだが、地理学・
地質学・気象学・海洋学・生態学・疫学・都市工学・生活学な
ど読んでいても説得力を感じている。感想はまとめてこのシリ
ーズの終わりで記載したい。  
   

❐ ポストエネルギー革命序論 228:アフターコロナ時代㊴
♘ 現代社会のリスク、エネルギー以外も「分散の時代」
      


  
QuantumScapeの画期的全固体電池           
QuantumScapeは、秘密の10年間、数億ドルを費やし、数百人の
科学者やエンジニアの努力を経て、今週、全固体電池の性能結
果と電気自動車業界への潜在的な影響を発表しました。画期的
なバッテリー性能の主張の世界では、QuantumScapeは実際によ
り良いバッテリーを構築するのに最も近いようです。同社の「
アノードレス」設計とセラミックセパレーターは、完成したセ
ルが充電されるときに金属リチウムのアノードがその場で形成
されるバッテリーを作成します。最高のバッテリー科学者がラ
ボでバッテリーをテストし、テスト結果を初めてリリースする
とジャグディープシン取締役は云う パフォーマンスデータ テ
スト条件:テストされたセルは、アノードと厚いカソードに過
剰なリチウムがゼロの単層ポーチセルで、30Cで1Cの充電と1C
の放電の速度で動作した。高速充電:パフォーマンステストで
は、QuantumScapeのセラミックセパレーターが高電力で動作し
15分間で80%の容量まで充電できることが示された。これは、
従来型またはソリッドステートのあらゆるタイプのEVバッテリ
ーが提供できるものを超えている。デンドライトの形成がない
ため、充電を抑える必要はない。同社のリチウム金属バッテリ
ーのエネルギー密度は1キログラムあたり400ワット時を超える。
 アノードにリチウム金属を使用しないと、エネルギー密度を十
分に高くすることができないとシン氏は述べる。ゼロ過剰リチ
ウム:ソリッドステート設計は、アノードに過剰リチウムを使
用しないため、カーボンまたはカーボン/シリコンアノードを排
除し、エネルギー密度を高める。長寿命:同社のバッテリー技
術は、80%を超える容量保持率で、800サイクルを超える走行が
可能であり、数十万マイルの運転に耐えるように設計されてい
ると言われている。低温動作:フレキシブルセラミックセパレ
ーターは-30℃まで動作。この温度では他のバッテリー設計は失
敗する。安全性:QuantumScapeの固体分離器は不燃性であり、
高温でもアノードをカソードから分離します。ロックスターバ
ッテリーの専門家のパネルは、バッテリーの飛躍的進歩につい
て健全な懐疑論を維持したが(そして、エジソンの引用を引用
した)、QuantumScapeの数値に感銘を受けた。リリースされた
ばかりのパフォーマンスデータ リリースされたばかりのパフ
ォーマンスデータの一部を次に示す。テスト条件:テストされ
たセルは、アノードと厚いカソードに過剰なリチウムがゼロの
単層ポーチセルで、摂氏30度で1Cの充電と1Cの放電の速度で動
作した。 高速充電:パフォーマンステストでは、QuantumScape
のセラミックセパレーターが高電力で動作し、15分間で80%の
容量まで充電できることが示される。これは、従来型またはソ
リッドステートのあらゆるタイプのEVバッテリーが提供できる
ものを超えている。デンドライトの形成がないため、充電を抑
える必要はありません。 CEOのJagdeepSinghは、リチウム金属
電池のエネルギー密度は1キログラムあたり400ワット時を超え
ていると主張し、アノードにリチウム金属を使用しないと、エ
ネルギー密度を十分に高くすることはできない。

ゼロ過剰リチウム:ソリッドステート設計は、アノードに過剰
リチウムを使用しないため、カーボンまたはカーボン/シリコン
アノードを排除し、エネルギー密度を高めます。
長寿命:同社のバッテリー技術は、80%を超える容量保持率で
800サイクル以上の走行が可能であり、「数十万マイルの運転に
耐えるように設計されている。
低温動作:フレキシブルセラミックセパレーターは、摂氏-30度
まで動作。この温度では、他のバッテリー設計が失敗するか、
ヒーターが必要になる。
安全性:QuantumScapeの固体分離器は不燃性であり、高温でも
アノードをカソードから分離。

Rockstarバッテリーの専門家、「新しいロードマップ」 ロック
スターバッテリーの専門家のパネルは、バッテリーの飛躍的進
歩について健全な懐疑論を維持しましたが(そして、エジソン
の引用を引用しました)、バッテリーの魔術師は、QuantumScape
の数値に感銘を受けたようです。リチウムイオン電池の共同発
明者であり、2019年のノーベル化学賞を受賞したスタンウィッ
ティンガム博士は、エジソンを引用し、半世紀前にエクソンで
製造された元のリチウム電池は金属リチウムであると述べまし
た。彼は、エネルギー密度は増加し続けていますが、従来のバ
ッテリーの半分のスペースを占めるグラファイトアノードによ
って制限されている。 文献には肉よりも誇大宣伝が多いと述
べたが、QuantumScapeの結果は実際の進歩のように見えた。エ
ネルギー密度を50%から100%増加させることは、実際のブレ
ークスルーです。動作する全固体電池を作る上で最も難しいの
は、高エネルギー密度(1,000 Wh / L)、高速充電(つまり、
高電流密度)、長いサイクル寿命(800サイクル以上)の要件
を同時に満たす必要があることです。および広い温度範囲の動
作。 QuantumScapeのコンサルタントでカーネギーメロン大学
の材料科学教授であるVenkatViswanathan氏は、急速充電の結
果に「魅了された」と語った。 「このデータは、15分で80%
の容量まで充電できることを示しています。これは、1分あた
り最大1ミクロンの驚くほど高いリチウム堆積速度に相当。グ
ラファイトではメッキが問題になりますが、それはリチウム金
属電池が機能するメカニズムです。これにより、急速充電の実
際の意味が再考され、急速充電の意味に新たなフロンティアが
開かれ、これらの結果は、以前は全固体電池で可能であると考
えられていたものを吹き飛ばす。

【関連特許】
❏ US10056609B2 固体エネルギー貯蔵装置
【概要】固体エネルギー貯蔵システムおよびデバイスが提供さ
れる。固体エネルギー貯蔵デバイスは、導電性電極間に配置さ
れた活性層を含むことができ、活性層は、量子ドット、量子粒
子、量子井戸、ナノ粒子、ナノ構造、ナノワイヤ、およびナノ
ファイバーなどの1つまたは複数の量子閉じ込め種(QCS)
を有する。固体エネルギー貯蔵装置は、少なくとも約500V/sの
充電速度および少なくとも約150 Whr/kg のエネルギー貯蔵密度
を有することができる。


🌣
26.5%の効率のペロブスカイト-シリコンタンデムセル
スイスの科学者は、4cm²のペロブスカイトシリコンタンデムセ
ルで26.5%の効率を達成し、業界標準のスクリーン印刷メタラ
イゼーションに依存しており、大規模生産と低コスト発電の技
術の可能性をさらに実証している。
スイス電子工学マイクロテクノロジーセンター(CSEM)は今週
これら両方の面での進歩を報告し、4cm²のタンデムデバイスの
効率は26.5%であると主張。このデバイスは、CSEMで製造され
た片面テクスチャシリコンヘテロ接合(HJT)セルで構成され、
その上に混合ハロゲン化物ペロブスカイトが堆積されている。
ペロブスカイト層はスピンコーティングを使用して堆積されま
すが、CSEMは、そのセルがスクリーン印刷された接点を備えて
いる一方で、報告されている主要なタンデムセル効率のほとん
どは熱蒸着された銀接点に依存していると指摘している。大量
生産では法外に高価になります。CSEMによると、ペロブスカイ
トの損傷を防ぐために温度を摂氏130度に下げる以外に、その
スクリーン印刷プロセスは、工業用HJTセル生産で使用される
プロセスに匹敵する。いくつかの改善のおかげでCSEMは、効率
を昨年達成した25.4%を大幅に超えて押し上げることができ、
デバイスをより一般的な1cm²の研究サイズではなく4cm2にスケ
ールアップすることができた。
CSEMによると、新しい効率の鍵は、2つのセル間のインターフ
ェースでの作業であり、デバイスの開回路電圧を1.86Vに押し上
げる有機パッシベーション層を挿入しました。指と前面の間の
接触抵抗の改善 電極も役立ち、曲線因子を76%に押し上げた。
CSEMは、カプセル化せずに空気中のセル効率を測定したが、光
浸漬、湿熱、またはその他の安定性テストを受けていない。ま
た、ヘテロ接合-IBC技術をヨーロッパで大量生産することを目
指しているコンソーシアムにも参加しているスイスの研究所は、
まもなくこの効率を27%を超えることができると期待。このた
めに調査している戦略には、標準の酸化インジウムスズよりも
優れた性能を発揮する新しい透明電極材料の使用、セル内の光
管理の作業、2つのセル層間に追加の酸化物ベースの微結晶接
触を配置することが含まれる

風蕭々と碧い時代:Bon Jovi, Do What You Can
(作詞)(作曲)Jon Bon Jovi



最新アルバム『2020』。このアルバムに収録され、7月に先行
公開された「Do What You Can」は、ファンから歌詞を募集し、
コロナ禍の全ての人を元気づける応援歌。新曲のカントリーヴ
ァージョンが制作され、ジェニファー・ネトルズ(Jennifer
Nettles)が参加したミュージック・ビデオが公開されている。
この曲はとても感動的な曲。気分を良くしてくれるし、自分が
できないことがあっても、できることをやればいいんだ、とい
うメッセージがまさに今の時代にぴったりだと思うとネトルズ
はこの曲について語り、誰もが孤立感に悩まされている今、曲
作りのプロセスに貢献できたことに感謝の意を表している。




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