彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん
【ひとり鍋ランチ:鶏しおうま塩】
⮚材料:鶏もも肉・鶏ひき肉・白菜・長ネギ・しめじ・にんじん・
木綿豆腐・味の素鍋キューブ(鶏だし・うま塩)・胡椒・生姜ペ
ースト
⮚栄養:エネルギー 280 kcal・塩分 3.2 g・たんぱく質 24.6 g・
野菜摂取量 156 g
さあ!ひとり鍋ランチのキック・オフ。
約1ヶ月かけ「電子レンジでひとり鍋ランチ」の新ジャンル創生成
が成立できるか模索するので乞うご期待。
【完全クローズド太陽光システム事業整備ノート ⑬】
【再エネ革命渦論 74: アフターコロナ時代 273】
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コンパクトでスマートでタフな①光電変換素子と②蓄電池及び③水電
解に④水素系燃料電池、あるいは⑤光触媒由来有機化合物合成と完璧
なシステムが実現し社会に配置されようとしている。誰がこれを具体
的に想定しただろうか。その旗手に常に日本や世界の若者達の活躍が
あった。
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● 技術的特異点でエンドレス・サーフィング
再生可能エネルギー革命 RE100 ➢ 2030 72
世界最細 直径15μmの「MgB2超伝導線」
耐曲げひずみ性を改善し、変動磁場による交流損失も大幅低減
11月29日、物質・材料研究機構(NIMS)と明興双葉は、直径が15μmと
いう超極細の「MgB2(二ホウ化マグネシウム)超伝導線」を開発。超
伝導モーターに用いられる超伝導線において、これまで課題といわれ
てきた「耐曲げひずみ性」を改善し、「変動磁場による交流損失」を
大幅に低減した。2050年にカーボンニュートラルを実現するため、水
素社会の構築が進められている。特に、液体水素を搭載した電動航空
機や超伝導発電機では、超伝導モーターなどを冷却するため、液体水
素の冷熱を活用することが検討されている。ただ、小型で大出力が可
能な超伝導モーターを実現するには、超伝導線の極細化など解決すべ
き課題もあった。
今回は、液体水素温度で超伝導を示す「MgB2超伝導体」に注目。超伝
導線の製造はこれまで、粉末を金属管に詰める方法で行っていた。今
回はこれに加え、ボンディングワイヤなどの製造に用いる伸線加工技
術も適用。この結果、MgB2超伝導線の超極細化に成功した。従来方法
だと直径は50μmにとどまっていたが、今回は直径15μmという細線を
実現した。なお、超伝導線を構成するMgB2超伝導フィラメントの直径
は約5.5μmで、交流損失の一つであるヒステリシス損失を低減するこ
とにも成功。導線の外皮には、銅(Cu)とニッケル(Ni)の合金「モ
ネル」を用いた。モネルとMgB2超伝導体の間にはニオブ(Nb)の拡散
障壁を設けるなど、熱処理時に互いが反応しないよう工夫している。
伸線加工直後は、中央部のMgとBが混合粉末の状態である。これを650
℃程度で熱処理すると、MgとBが反応してMgB2超伝導体になる。超電
導転移曲線により、臨界温度が約34Kで抵抗ゼロになることを確認。
試作したMgB2超伝導線は、直径約300μmの結び目を作れるほど柔軟性
があることも分かった。大きな性能劣化もない。
【展望】
さらなる極細化を追求するとともに、キロメートル級の長尺化や一層の特性
改善など にも取り組み、さらに多数本の超極細MgB2超電導線を束ねて集
合化したフレキシブルな大電流容量ケー ブルの開発を進める。これにより
超電導モーターなどの開発を加速させ、液体水素を搭載した電動航 空機
や超電導発電機など超電導応用機器の実用化を実現し、移動体分野にお
ける温室効果ガスの排出 量削減に貢献する。
【関連論文及び項目】
1.MgB2超電導線の直径50マイクロメートルの記録 S.I. Schlachter, A. Frank,
B. Ringsdorf, H. Orschulko, B. Obst, B. Liu, W. Goldacker, “Suitability of
sheath materials for MgB2 powder-in-tube superconductors”, Physica C
445-448 (2006) 777-783. A. Kikuchi, Y. Iijima, M. Yamamoto, M. Kawano,
M. Otsubo, “Ultra-Fine Superconducting Composite Wires and Cables”,
Presented at Applied Superconductivity Conference 2022 (Hawaii Convention
Center, Oct. 23-28, 2022) Presentation ID: 1MPo2D-06.
2.MgB2(二ホウ化マグネシウム)超電導体 J. Nagamatsu, N. Nakagawa
, T. Muranaka, Y. Zenitani, J. Akimitsu, “Superconductivity at 39 K in mag-
nesium diboride”, Nature 410 (2021) 63-64
3.ワイヤーハーネス:電源供給や信号通信に用いられる複数の細い電線
の束と、端子やコネクタで構成された集合部品です。自動車の車内配線
など、高性能かつ多機能な機械装置の内部に数多く張り巡らされている。
4.ボンディングワイヤー 半導体の集積回路などの電極とプリント基板やパ
ッケージの電極を接続する極細の金属線で、導電性に優れる金、銀、銅
アルミニウムなどが用いられる。
5.ヒステリシス損失 :外部磁界が変化する際の、磁束のピン止めに基づい
た超電導体の磁化変化に伴うエネルギー損失。
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RGB発光Si量子ドットフィルムの開発
太陽光、高温、高湿への高い耐久性は表面構造が鍵
量子ドットが光材料として本格普及するには以下の問題解決が求めら
れる。
①毒性:商品また研究で主力の量子ドットはインジウム系,カドミウ
ム系,鉛系などの重金属を用いている。
②発光の高効率化:Cd系や鉛系の量子ドットは最大100%の発光量子収
率を示す。しかし,発光量子収率70%を超えるSi量子ドット(SiQD)
が,近年,欧米ならびに研究グループより報告されている。この値
は,単結晶シリコンの発光量子収率0.01%と比較してはるかに高い。
同グループはこれまで,SiQD研究において,三原色発光するSiQD,白
色発光するSiQD,青色SiQD LED,1/380のコストでのSiQDの製造法,
最大80%を超える発光量子収率を持つ赤色SiQD,もみ殻を原料とした
赤・オレンジ発光のSiQD LEDなどを報告してきている。今回,三原色
発光する溶液分散型のSiQDを合成し,それらの量子ドットフィルムの
作製,加速劣化試験を行ない,更に発光と劣化の機構を解明した。研
究の結果,赤(34%),緑(20%),青(12%)の高い発光効率を示し,
特に青色シリコン量子ドットは大変高い耐久性も示し,その高い耐久
性の起源は表面構造(シロキサン修飾)にあった。具体的には,青色
シリコン量子ドットフィルムを1週間以上過酷条件(太陽光また80℃
の熱水)に暴露しても,85%程の発光性能(強度,発光効率)が維持
され,劣化は15%程だった。電子機器の加速劣化試験は温度85℃湿度
85%で行われることが多いが,更に過酷な炎天下での太陽光照射,熱
水への浸漬(温度80℃,湿度100%)での成果となる。
なお,太陽光や高温・高湿に対するシリコン量子ドット,その量子ド
ットフィルムの耐久性の研究は,これまで報告がないという。その
他,6種類の実験より,発光の劣化の機構,三原色発光の機構(赤:
量子閉じ込め効果,青・緑:表面効果)も解明。 現在,汎用的な材
料で,毒性がなく,重金属フリーのサステナブルな発光体が模索され
ている。研究グループは,シリコンは安全・安心・安価な発光体とし
て,各種ディスプレー,照明,生医学イメージングでの実用化が,
SDGsの視点からも期待している。
【展望】
より広範な波長・色、発光効率の上昇、ならびに三原色SiQDのLEDへ
の搭載を行い、更に耐久性も上げ、そして、実用化につながる基礎研
究を行う。米国の調査会社(グローバルインフォメーション)によると、
量子ドットの市場規模は2026年に86億ドルに到達と試算されている。
【関連論文】
掲載誌:ACS Sustainable Chemistry & Engineering
原 題 :Stability of Silicon Quantum Dots Against Solar Light/Hot Water:
RGB Foldable Films and Ligand Engineering
著 者 : Keisuke Fujimoto et al.,
https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acssuschemeng.2c03791 (link is external)
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医薬品等の副作用で生じるミトコンドリア毒性の指標分子を特定
創薬研究における医薬品の新たな毒性評価法への応用に期待
12月1日、近畿大学、田辺三菱製薬株式会社と産業技術総合研究所の
共同研究グループは、メタボローム解析と生物情報科学を用いて、医
薬品などの副作用として生じる薬物性肝障害の要因となるミトコンド
リア毒性機序を判別する指標分子を明らかにしたことを公表。このこ
とで今後、創薬研究における医薬品の新たな毒性評価法確立への応用
が期待されている。
研究グループは、ミトコンドリア毒性の機序判別の指標となる分子の
特定を目的として、毒性機序が異なる4種類の化合物をヒト肝がん由
来細胞株(HepG2細胞)に曝露し、メタボローム解析を行った結果、1
25成分の代謝物を同定。生物情報科学を用いて解析したところ、ミト
コンドリア毒性の機序が異なると、この125成分の分子プロファイル
が大きく異なることを明らかにした。さらに、生物情報科学を用いて
50成分の分子を絞り込み、機械学習によって検証した結果、この50成
分がミトコンドリア毒性の機序を識別する指標分となり得ることが分
かり、この指標分子を用いることで、ミトコンドリア毒性の機序を判
別できる可能性が示された。
【関連論文】
掲載誌:Toxicology and Applied Pharmacology(インパクトファク
ター: 4.46@2021)
原 題:Preliminary study to classify mechanisms of mitochondrial toxicity
by in vitro metabolomics and bioinformatics( in vitro メタボロミクスとバ
イオインフォマティクスによるミトコンドリア毒性メカニズムの分類
のための予備的研究 ) 著 者:日比野優衣1、井口亮2、財津桂3ら
所 属:1 田辺三菱製薬株式会社、2 国立研究開発法人 産業技術総
合研究所、3 近畿大学生物理工学部
【 新資本主義のとはなにか ① 】
このままでは、視力を失うのではないかとの恐れが露出するなか、能
力は低下するものの膨大な資料に目を通すスタイルは現在も変わりな
い。そのような中、まったという程、「現代経済(現代日本経済)」
への考察が遅々として進まないでいる中、第101代内閣総理大臣・岸
田文雄が掲げる経済政策]。小泉内閣以降の新自由主義的な経済から
脱却し、「成長と分配の好循環」や「コロナ後の新しい社会の開拓」
を目指している。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に
よれば、新しい資本主義は2021年自民党総裁選挙において当時候補者
であった岸田が「新しい資本主義の構築を目指す」として初めて発表
し、詳しい内容は、2020年9月11日に2020年自由民主党総裁選挙への
出馬に合わせて出版された著書『岸田ビジョン 分断から協調へ』に
書かれており、成長戦略として、①「科学技術によるイノベーション」
②「デジタル田園都市国家構想による地方活性化」、③「カーボンニ
ュートラルの実現」④「経済安全保障の確立」の四つを掲げている。
一方、主な分配戦略として、①「働く人への分配機能の強化」、②
「中間層の拡大と少子化対策」、③「看護、介護、保育などの現場に
働く人の収入増」の三つを掲げる。ところが、提唱者である岸田本人
がこれらの意味を演説などにおいて詳しく述べておらず、与野党から
もよく分からないとの声がある(➲アメリカ合衆国のジョー・バイ
デン大統領とのオンライン首脳会談では、岸田が新しい資本主義につ
いて熱く語った後、バイデン大統領が「素晴らしい、私のしようとし
ていることと全く同じだ」と発言して賛同している)。また、日本経
済団体連合会(経団連)会長の十倉雅和も、新しい資本主義は経団連が
掲げる「サステナブルな資本主義」と一致していると賛意を示してい
るとの支持も同調意見もあるというが、そのようななかで、2021年10
月15日に新しい資本主義実現本部が設置され、新型コロナウイルス
の感染再拡大やロシアのウクライナ侵攻、また2022年はこれらに起因
した世界経済の変動に端を発する物価高や円安の急速な進行などに迫
られて、世界や日本ののっぴきならない情勢下における喫緊の重要な
諸課題への対応を優先せざるを得ない状況が続いている。これに対し、
岸田文雄首相は、物価高・円安などの経済的困難への解決策であると
ともに、成長と分配の好循環を持続的にポンプアップさせる「構造的
な賃上げ」を、みずからが掲げる新しい資本主義の実現に向けた最優
先事項とする考えを改めて示しているという。via Wikipedia
ところで、EE Times Japan の「令和版所得倍増計画」の正体 ~全国民参加
の不労所得獲得戦略:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論」
(江端 智一著)※が関心を惹きまずはこのシリーズ目を通すことに決める。
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※EE Times Japanの人気連載「『英語に愛されないエンジニア』のための新
行動論」の筆者。大手総合電機メーカーの主任研究員。エンジン制御から
ネットワーク監視、無線ネットワーク、鉄道システムなどの研究に携わる。
米国での2年間の共同研究では、会話の1割の単語だけを拾って残りの9割
を推測し、相手の言っている内容を理解しないで会話を強行するという希少
な能力を獲得し、凱旋帰国。辛辣な切り口で語られるエッセイを「江端さん
のホームページ」で発表している。
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中世期最大の詩人のひとりであり、学問と識見とで当代に数すくない
実朝 の心を訪れているのは まるで支えのない奈落のうえに、一枚の
布をおいて坐っているような境涯への覚醒であった。本書は、中世初
の特異な武家社会の統領の位置にすえられて、少年のうちからいやお
うなくじぶんの<死の瞬間>をおもい描かねばならなかった実朝の詩的
思想をあきらかにした傑作批評。
【目次】
1 実朝的なもの
2 制度としての実朝
3 頼家という鏡
4 祭祀の長者
5 実朝の不可解さ
6 実朝伝説
7 実朝における古歌
8 〈古今的〉なもの
9 『古今集』以後
10.〈新古今的〉なもの
11 〈事実〉の思想
実朝における古歌 補遣
実朝年譜
【著者略歴】 吉本隆明(1924-2012年)は、東京生まれ。東京工業大
学電気化学科卒業。詩人・評論家。戦後日本の言論界を長きにわたり
リードし、「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」などと称される。
おもな著書に『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現
象論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』『宮沢賢治』『夏
目漱石を読む』『最後の親鸞』『アフリカ的段階について』『背景の
記憶』などがある。
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Ⅵ 実朝伝説
P.134
この時代の宗教的な情勢のうちにあって、坂東の武門勢力は、
その固有な俗信仰の土台のうえにそれにふさわしい伝説をつくり
だしたいとかんがえた。実朝という武門勢力にとって祭祀の長考
であり、当代の第一級の詩人である人物は、この伝説化に耐える
唯一の人物であった。そこに、たぶん『吾妻鏡』のもっている独
特な位相があったのである。
『吾妻鏡』の承元四年十月十五日の頃に、
十五日、庚午、聖徳太子の十七箇条の療法、ならびに物部守
屋逆臣のあとで官で没収した田地の広さと在所、および天王寺・
法隆寺に納めてある重宝などの記録について、実朝将軍は日ご
ろから尋ねられるところがあった。大江広元朝臣が、これを方
々にきき求めて、今日進覧に供した。
これが実朝を〈現神〉化するための作為でなければ、太子聖徳
の説話を実朝は鎌倉に下ってきた天台宗や真言宗の僧侶をつうじ
てよく知っており、また、四天王寺と法隆寺の地下には伏蔵があ
って、そこにはたくさんの重宝や仏像や舎利、木材などが埋めら
れているという伝説にも興味をもっていたことを意味している。
そして『吾妻鏡』にもし基本的な性格かおるとすれば、実朝の実
像と説話化とが、二定性としてあらわれるため、いつもツヴァイ
ドイッテッヒ(両親的)な解釈が可能であるところにあらわれて
いる。絹著者の作為としての実朝と、持異な性格の持主としての
実朝というように。
『吾妻鎗』の承元四年(一二一○年)十一月計二日の粂には、実
朝が太子聖徳の供養を行っていることがみえ、建暦二半六月廿二
日の条には、持仏堂で聖徳の聖霊会を施行している。これは当時
の聖徳説話が新旧の仏教宗派によってともども流布されていたこ
とを物語っている。実朝はその信仰のされ方にそのままのってい
るといっていい。のちに、じぶんの生涯が聖徳説話によって潤色
されるかもしれないことを知らなかったろう。また、『吾妻鏡』
の作為や曲筆の境界をどこで引いておけばいいのかもわからない
のである。ただ、いかに当時の聖徳伝説がはなはだしいものであ
ったかは、易行道をといた前借でさえやっている。「皇太子聖徳
楽讃」をひろってもはっきりわかる。
○救世観音大菩薩、聖徳皇と示現して 多々のごとくすてずし
て 阿摩のごとくにそひたまふ
○大慈救世聖徳皇 父の士とくにおはします 大悲救世観世音 母
のごとくにおはします
○和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 一心に帰命したて
まつり 楽譜不退ならしめよ
○上官皇子方便し 和国の有情をあはれみて 如来の悲願を弘
宣せり 慶喜楽譜せしむべし
親鸞にしてしかるか、という感慨を禁じえないが、掛け値のな
いところこうだった。現在からみれば想像を絶することだが、ど
んなにおもいをめぐらしても、当時の実体をつかむことはむつか
しい。中世とはこういう袋小路をいたるところにもっていたので
ある。
実朝は『吾妻鏡』の編著者によって聖徳伝説になぞらえて、超
能力をもった〈現神〉に祭りあげられ、その祭壇のうえで犠牲に
供されたおもむきがたしかにみうけられる。そして徐々に死の祭
壇に登ってゆき、ついにはじぶん自身でじぶんの死を予知したと
いうための伏線が引かれていると読むことはできるのである。た
だ、ここで重要だとおもわれるのは、北条氏の急がかかっている
とみられる『吾妻蹟』の編著者でも、実朝を人形のような据え物
として描くわけにはいかなかった必然性が、たしかに人間的にも
制度的にも、実朝の側にあることを認めざるを得ない点である。
実朝はたしかに特異な資質と鋭敏な洞察力をもった人物であり、
その象倣的な役割を無視することは『吾妻蹟』の筆者にもできな
かった。そのために、天台・真言系の宗派が太子聖徳にあたえた
説話とおなじような説話を、関東武家層の固有信仰である〈現神〉
信仰にのっとって実朝に附着させるほかはなかったのである。実
朝は鎌倉幕府の祭祀の長者であるとともに、律令王権の宗教的な
慣例ともつながりをもった祭祀権者としてフ扇のかなめを演ずる
ことになっている。そしてこの扇のかなめを演じられるものは実
朝をおいてなかったのである。実朝は夢告によって事を行うこと
ができる密教的な兄貴であるとともに、自己の死にいたる過程さ
えも正確に予知することができる〈現神〉でもあった。陳和郷の
いう実朝の前世は宋朝の医王山の長老であるという言葉は、まっ
たく聖徳太子が天台宗視慧思の生れかわりであり、天照大神や天
御中主が大目如来の生れかわりであるという中世仏教説話を、関
東武門に特有な方法で模倣したものにちがいない。そして奇蹟を
おこない、夢告によって超能力を発揮する『吾妻蹟』の実朝は、
すでに仏教宗派によって流布されていた聖徳太子説話のパターン
をもとにしてつくられたといっても過言ではない。
ただ、詩によって実朝を透視すれば、やはり『吾妻蹟』のどん
な曲筆によっても糊塗することのできない一級の詩人であった。
そこでは、どうしても説話的な役割を超えて、しっかりとした洞
察力で事態を視すえていた人物としてしかかんがえられない。晩
年のじぶんの運命にたいする予感も、過敏にすぎる夢想のなかの
悔恨も、人格的な根拠をもっていたといってもけっして不具合で
はない。
初期の鎌會幕府とくに実朝の下で、武門勢力の内乱は、私闘や
さやあての小競合をのでいては、ほとんどすべて北条氏にたいす
る反乱としておこなわれたといっても過言ではない。そして北条
氏に手むかうことは、源氏将軍に手むかうことだというように北
条氏は存在していた。ゆいつの例外といえば北茶時政と放吟の父
子が、実朝の擁立をめぐって親子で対立したときだけであるとい
っていい。
実朝はたしかな眼をもっていて、じしんはモダンな家風の遊興
が好きであったが、畠山定恵や和田義盛のような頑固で武骨な宿
将のほうが、北条氏や大江広元などより好きであった。しかしこ
れら幕府創業いらいの宿老たちの時代が過ぎつつあることをも、
よく洞察していたとおもえる。この聡明な将軍が、おいの公暁に
討たれたのは不覚の不意打であったろうか? それはあまり信じ
られないことである。実朝には、どう振舞えばじぶんは殺害され、
どう振舞えば生きのびられるかはよくわかっていたはずである。
それは北条氏執権にさからうかどうかによって決定された。だが
北条氏執権にさからわなければ、生涯を全うすることができるか。
そうではなかった。歴史が武門勢力に祭祀の長者を要求している
かぎり、北条氏にさからっても、さからわなくても実朝を殺害す
ることはできない。しかし、北条氏が鎌會幕府創業いらいの宿将
たちの一族をつぎつぎに滅ぼし、そしてつぎに律令王権にたいす
る関係をどうえらぶかについて制度的な識見と実行力を獲得した
のちは、ただ飾りものの将軍だけが必要であり、実朝はいずれに
せよ不要の存在となる。このときが刻々に近づいているかもしれ
ないことを、実朝がしらなかったとはとうていかんがえられない。
北条義時が拝賀の日に、気分が悪くなったからといって行列の途
中から消え、公暁は父の仇だと呼ばわって実朔と、義時の急な代
役をつとめた源仲章を殺したなどという『吾妻鏡』の記事は信じ
ようがないのである。
ところで、ある男がある別の男を怨恨によって討ち果したとい
う考え方を信じきれない次元では、公暁はただひとりの操られた
人形にすぎなかった。そしておなじように実朝もまた何ものかの
象徴にすぎなかったというべきである。そして公暁を背後で操っ
たであろう北条氏もまた象徴にすぎなかったともいえる。いった
い聯が誰を殺害したということになるのだろうか? たぶん北条
氏の背後には、武門勢力の祭祀の長者として、律令王権との懸け
橋となっていた源泉将軍の正統性を、足元から切りはなすべき社
会的な契機が熟しつつあった。もはや関東武家層の 〈惣領〉制
は、足元から崩壊しつつあり、〈家長家族〉の重さが無視しえな
くなったところで、〈惣領〉の威力もまた失墜しつつあった。そ
うだとすれば、たとえ行政権を掌握していても、祭祀の長者とし
ては無視することはできないような象徴的な主権者は、幕府には
不要であった。ただ操り人形のような名目の将軍職さえあれば充
分だったのである。たしかに関東の武門層の勢力は、律令王権と
すぐに抗争するという発想にまではいたってなかった。ただ将軍
職は操り人形でなければ御しにくいが、〈象徴〉としてだけは必
要であった。実朝がこの条件におあつらえむきでなかったことは
確かである。なぜならば祭祀の長者としての実朝の威儀と学識と
洞察力は、かれら武門勢力にとって、掛け値なしに摺伏するほか
ないものだったからである。
〈惣領〉-〈庶子〉制が変容せざるをえなくなったひとつのおお
きな原因は〈家族〉が家長を中心に、独自な位置をもちけじめ、
家族内の血縁と私的な従者との結合の強さが一門の〈惣領〉にた
いする忠誠心を相対的にゆるめていったことである。北条氏が諒
察将軍のしんがりである実朝を除こうとおもいたったのは、ひと
つは同格の宿将たちをつぎつぎに蹴おとして、政治力について自
負をたかめていったところにあった。けれど最終の理由は実朝の
もつ威力が、炳たくなってきたということであった。〈庶子〉層
の、家長を中心とした結合力が、独特の位置にせりあがってきた
とき、すでに祭祀だけの長者は必要でなくなった。祭祀の共同性
は、一門の共同体にとって重荷になっていったからである。もは
や本来的にいえば、祭祀は〈家長家族〉ごとの信仰の対象であり
共同の宗教は、しだいに実質を失いつつあった。実朝が、源氏の
正統がじぶんでおわると云ったとき、この情況をよく知りつくし
ていたかもしれない。
Ⅶ 実朝における古歌
本居官長は「石上私淑言」のなかで和歌の〈物のあわれ〉説を
いうために、『古事記』のイスケヨリヒメの物語に仮託された二
首を引用している。
伊須気奈辺比売命いすけよりひめめのみことの御歌に
さゐ川よ雲からわたりうねび山木の葉さやぎぬ風ふかむとす
うわび山ひるは雲とゐゆふされば風ふかむとぞ木の葉さやげる
このふたつの歌は大鳥神武が死んだ時に、手研耳介が、弟の皇
子たちを殺そうと謀ったのを、皇子からの母であるの士悲しんで
このことをしらせるために風雲に託してこううたったものである。
さて皇子たちはこの歌をききしってそれに備えたという。手研耳
は異母の皇子であった。
くわしいことは『古事記』にみえている。このほかにも類似の
歌の形がある。また後世にもなおこの類の歌がおおい。これらは
見るもの聞くものに触れて〈物のあわれ〉をのべているのである。
さてこの類の歌はとくにその物をひきよせて詠んでいるように聞
えるが、本来的にかんがえるとそうではない。すべて心に深くお
もうことがある時は、目にふれ耳にふれる物がことごとくそのよ
うに思われてしまうものなのである。つまりその物に託して詠み
だした歌であるから、これもまたおのずから自然なことであって
本来は工夫をこらしたものではない。官長のいいたいことは、心
にひとつの執着があるときは、どんなこともそうおもわれてしま
うもので、そこに〈物のあわれ〉を知る心があるのだという心理
的な根拠である。だが、官長は、かれがかんがえているより、は
るかに重要なことを〈和歌〉について暗示している。もちろん、
官長はこのうたを、そのままあった事実としてよむことをたてま
えとしているので、その意味では問題にならない。でたらめな物
語に任意の歌をはめこんだだけだから、解釈としてとりあげるに
は価しない。ただ詩観として重要さをもつということである。
中世詩人としての実朝を詩人たらしめているものは、〈和歌〉と
よばれる詩形式であった。そしでこの詩形或は、現在でもなお短
歌としてさかんに流布されている。ひとりの中世詩人について語
りたいなら〈詩〉を語ればよいので、〈和歌〉を語る必要はない
はずである。ただ、こう言いきることには、どうしてもある不可
解なためらいのようなものがのこされる。これは宣長のいうとこ
ろともかかわっている。いまの短歌詩人たちに、この詩形式につ
いてたずねてみるとして、まとをいいあてた答えに出会うのは絶
望的かもしれない。それでは中世詩の研究室にこの詩形式につい
てたずねたとする。べつに答えをきいてまわらなくても、やはり
事態は絶望的であるようにおもわれる。
この詩形式には言葉の錯覚の迷路をつきすすんでいるうちに、
いつかそういう形式と内容になってしまったといった不可解さが
含まれている。これは経験的にはつぎのような事実から想定する
ことができそうだ。
ひとりの詩人が、以前に俳句の創作体験をもっていたとする。
するとこの体験はかならず現代詩の創作にむすびつけることがで
きるにちがいない。また、ひとりの詩人が、かつて現代詩の創作
体験をもっていた。もしかれが小説の創作にのりだしたとすれば、
かつての詩体験をそこにむすびつけることができるはずである。
ここには詩的体験と散文的体験とのあいだに普遍的な契機を想定
することができる。ところで、ひとりの詩人が、以前に短歌の創
作体験をもっていた。そして、ある時期から、現代詩あるいは小
説の創造に転じた。かれのかつての短歌体験は、詩または小説の
創造に結びつけることができるだろうか? かれの短歌の創作体
験は、たぶんどこにもむすびつく契機をもたないはずである。短
歌はただ短歌的表現の迷路と深みにだけゆきつくようにみえる。
これにはとおい由来がなければならない。
記・紀信順を、いまのところもとめうる最古の詩形式とかんが
えると、このなかに〈和歌〉の形式をもった歌謡をいくつか数え
あげることができる。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
八重垣作る その八重垣を
これは神話のスサノオが出雲の国の須賀に新居をつくり、土地の
首長の女を得て、新たな家をつくり住む物語に押入されているもの
号ある。一首の意味はくたくさんの雲がのぼり立つ出雲の国で八重
も垣をめぐらした新居をつくり、あたらしく娶った女と一緒に住む
のだ〉といったものとされる。しかしこの〈和歌〉形式の詩的表現
を、そう解釈することは絶望的である。それで異説は、
八蛛断つ 出雲掟え書き 嬬龍みに
掟え書き作る その掟え書きを
これは土地に先住する原任放に掠奪婚の風習を断って、服従民とな
るべき契約をつくらせたという意味とされる。このような、まった
くちがったさし代えができるのは、でなにかを語っているとみなす
ことが不可能なところからきている。
風蕭々と碧い時代
Jhon Lennon Imagine
● 今夜の寸評:(いまを一声に託す)