彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救った
と伝えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。(戦
国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編のこと
)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひこにゃん」。
【思い出南イタリア:青の洞窟の三毛猫】
2009.05.16
南イタリアの印象で、ツアーのレストッランテに飼われていた三毛猫に
驚く。日本では珍しくないネコだが、日本国外では比較的珍しく、キャ
リコ(英: calico)、またはトーティ・アンド・ホワイト(英: tortie and
white)と呼ばれる。フランス語風にトリコロール(仏: tricolore),ある
いはトライカラー(英: tricolour、米: tricolor)と呼ばれることがある。
ただし、英語のトライカラーは錆び猫(トータスシェル:: tortoiseshell〉
または短縮形のトーティ〈英: tortie〉と呼ばれる)も含み、かつ「真の
」トライカラーは赤(茶、オレンジ)、白、黒の3色、もしくは赤黒が「
薄まった」色が全てある猫である、ただ、白の部分が極めて少なく、2
色に見える場合も含む。西欧や北米にあっては、ジャパニーズボブテイ
ルが「ミケ」(Mi-ke) の愛称で珍重されているという。
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【再エネ革命渦論 107: アフターコロナ時代 306】
● 技術的特異点でエンドレス・サーフィング
”再エネ・リサイクル・ゼロカーボン最先進国”宣言!
進まぬリチウムイオン電池のリサイクル バッテリーのリサイクル業界が
直面する課題 電気自動車(EV)が環境にもたらす利点は誰もが認めると
ころだが、EVに電力を供給するリチウムイオンバッテリーについてはま
だ結論が出ていない。バッテリーに使われる原料の多くは危険物であり
調達や再利用が難しい。New York Timesの報道によると、EV業界が循環
経済(サーキュラーエコノミー)に向けて努力する中で、EV用バッテリ
ーの再資源化と再利用は投資家や起業家にとって優先事項になっている
という。だが、EV用バッテリーの再資源化や再利用に取り組む新興企業
は、そうした事業に以前から取り組んできた企業と同様に、根本的なビ
ジネス課題に直面している。特に米国では、EV用バッテリーの再資源化
は少なくとも10年は収益が見込めそうにない。理由は単純で、急速に拡
大している事業に投じるだけの使い切ったバッテリーがない。
規模の経済をめぐる課題はエレクトロニクスのサプライチェーンで顕著
にみられる。部品やバッテリーのメーカーやサプライヤーは環境責任への
コミットメントを強化しているが、製造/販売した機器が役目を終える
ところまで管理できることはほとんどない。さらに、サプライヤーは製
品の返品を受け付けているので、欠陥品や旧式のデバイスを在庫として
抱えていることが多い。ROI(投資利益率)はほんのわずか。
IP&E(産業機械/エレクトロニクス)専門のディストリビューターであ
るTTIで総合品質担当バイスプレジデントを務めるKevin Sink氏は、米国
EE Timesに対し「1台のトレーラーに積まれたスクラップを集めると、約
100万~125万米ドル相当の在庫になる。それを密閉してリサイクルに回
すわけだが、当社の取り分は2万5000~3万米ドルくらいだ。とはいえ、
重要なのは安全性と責任である。一般人がゴミ箱をあさって欠陥部品を
取り外し、それをエレクトロニクスのサプライチェーンに戻す、という
ようなことはあってはならない」という。 それでも、New York Timesに
よると、自動車メーカーやエネルギー企業、ベンチャーキャピタリスト
は、バッテリーの再利用事業を手掛ける多くの欧米新興企業に投資して
いるという。だが、ビジネス課題の一つは規模の経済である。例えばEV
業界を率いるTeslaは、2008年から自動車を販売してきた。同社がわずか
10万台のしきい値を達成したのは2017年のこと。
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風蕭々と碧い時代
Jhon Lennone Imagine
【J-POPの系譜を探る:1976年代】
曲名: 冷たい雨 1976年 歌:Hi- Fi Set
作詞&作曲: 荒井 由実 編曲: 松任谷正隆
「冷たい雨」は、1976年にハイ・ファイ・セットてオリコン最高位30位
15.4万枚のセールスを記録。ハイ・ファイ・セットは、フォーク・グル
ープの赤い鳥のメンバーだった山本(新居)潤子、山本俊彦、大川茂に
より1974年に結成されたヴォーカル・グループ。1975年にシングル「卒
業写真」でデビュー。赤い鳥の洗練されたコーラスワークを受け継ぎ、
「フィーリング」「冷たい雨」「風の街」「素直になりたい」「燃える
秋」などをヒットさせた。1992年に活動休止。
尚、愛のフィーリング」(Feelings)は、ブラジルのシンガーソングライ
ター・モーリス・アルバート(Morris Albert)が1975年にリリースしたシ
ングルを日本では、コーラス・グループのハイ・ファイ・セットが「愛
のフィーリング」をカヴァー。カバー・バージョンは、日本語詞をなか
にし礼が担当し、曲名を「フィーリング」として1976年末にリリースさ
れた。翌年の1977年に大ヒットとなり、ハイ・ファイ・セットは同年末
の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしている。
※ another song; 卒業写真 山本潤子 with 小田和正
【概要】一九九〇年代、日本の音楽産業は急激な成長を遂げる。CDの
ミリオンセラーが続出し、デジタル化や多メディア化とともに市場規模
は拡大し続け、いまや日本は世界第二位の音楽消費大国である。こうし
た変化をもたらした「Jポップ」現象とは何か。産業構造や受容環境の
変化など、音楽を取り巻く様々な要素から鋭く分析する。
【目次】
第1章 「J」の時代のポピュラー音楽
第2章 デジタル化は何をもたらしたか
第3章 テレビとヒット曲
第4章 「ココロ」の時代の音楽受容
第5章 日本という音楽市場のかたち
第6章 Jポップ産業の挫折―急成長の十年が終わって
【著者該歴】
烏賀等弘地(うがやひろみち):ジャーナリスト、1963年京都市生まれ。
86年に京都大学経済学部を卒業し、朝日新聞社記者になる。91年から
2001年まで『アエラ』編集部記者。92年にコロンビア大学修士課程に自
費留学し、国際安全保障論(核戦略)で修士課程を修了。同誌では音楽
・映画などポピュラー文化のほか医療、オウム真理教、アメリカ大統領
選挙などを取材。98年から99年までニューヨークに駐在。03年に退
社しフリーランスに※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修
者、イラストレーターなどの紹介情報です。
J-POP(ジェイ-ポップ、英: Japanese Popの略で、和製英語である)の
定義についは、Wikipediaからの拾い読みしし、「日本で制作されたポピ
ュラー音楽を指す言葉であり、1989年頃にその語と概念が誕生した後、
1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識される
ようになった。つまり、J-POP以前と以後の違いは、BPM----西洋音楽において
の拍の時間----の速さや洋楽の影響を受けたメロディ・コード進行・リズムにあ
り、特に、昭和歌謡の時代の邦楽と比較して、歌詞の構造が解体された代わ
りにグルーヴが洗練された作品は増加。一般的な音楽ジャンルとは異なり、
先に「J-POP」という言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入
っていったもので、発生した音楽ジャンルではないと了解しているが、一連の
研究結果はもう少し先なる。
● 今夜の寸評:(いまを一声に託す)さぁ!自信をもって進もう⑧