彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救ったと伝えら
れる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。(戦国時代の軍団編成
の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編のこと)の兜(かぶと)を合体さ
せて生まれたキャラクタ。
マルクス解体 プロメテウスの夢とその先
斎藤幸平/ 竹田真登
講談社(2023/10発売)
資本主義をこえていく、新時代のグランドセオリー!
人新世から希望の未来へ向かうための理論。 英国で出版された話題書
Marx in the Anthropocene(ケンブリッジ大学出版、2023年)、待望の日本語
版! いまや多くの問題を引き起こしている資本主義への処方箋として、斎
藤幸平はマルクスという古典からこれからの社会に必要な理論を提示してき
た。本書は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論から、プロメテウス主義
の批判、未来の希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語るこれまで
の研究の集大成であり、「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる
新たな議論を提起する書
目次
第一部 マルクスの環境思想とその忘却
第一章 マルクスの物質代謝論
第二章 マルクスとエンゲルスと環境思想
第三章 ルカーチの物質代謝論と人新世の一元論批判
第二部 人新世の生産力批判
第四章 一元論と自然の非同一性
第五章 ユートピア社会主義の再来と資本の生産力
第三部 脱成長コミュニズムへ
第六章 マルクスと脱成長コミュニズム MEGAと1868年以降の大転換
第七章 脱成長コミュニズムと富の潤沢さ
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まえがき
ギリシャ神話の神プロメテウスは、全知全能の神ゼウスの怒りによって火
が奪われ、自然の猛威や寒さに喘ぐ人類に同情し、ゼウスを欺いて火を盗み、
人間に与えた。はじめ、火を手に入れた人類は自然の力に打ち克ち、プロメ
テウスの願い通りに、技術や文明を発展させていく。ところが、豊かになっ
ていく過程で人類は、火を使って兵器を作り、戦争で殺し合いを始めてしま
う。さらなるゼウスの怒りを買ったプロメテウスは、罰として、コーカサス
山の岩場に釘づけされ、半永久的に鷲に肝臓を啄ついばまれ続けることになる。
兵器だけではない。人類は「プロメテウスの火」の力で、原子力のような
自分達では制御できないリスクの大きい科学技術を発展させ、さらには大量
の化石燃料を燃やすことで、地球そのものを気候変動の影響で燃やし尽くそ
うとしている。人類の擁護者であるプロメテウスの「夢」は、「自然支配」
という人類の「夢」に転化した。だがまさにその夢が私たちの暮らす文明の
危機を引き起こしているのだ。その結果、ソ連崩壊後にフランシス・フクヤ
マが宣言した「歴史の終わり」(Fukuyama 1992)は 当時はまったく想定さ
れていなかったような終焉、つまり人類史の終わりを迎えようとしているの
である。
実際、新自由主義とグローバリゼーションの席巻は、第二次世界大戦終結
以降の人間活動による地球環境に対する負荷の急激な増大を加速させ----す
べての主要な社会経済および地球システムにおける指標がホッケースティッ
クの ような上昇曲線を描く「大加速(Grate Acceleration) McNeil and Engel
kc 2016)の時代だ----、文明の物質的基盤を破壊しようとしている。現在の
パンデミック、戦争、気候崩壊はすべてソ速崩壊後の「歴史の終わり」と資
本主義のグローバル化かもたらした事態であり、民主主義、資本主義、生態
系を慢性的な複合危機に陥れているのだ。
現在の生活様式が人類の破滅に向かっているという現実はもはや無視でき
ないものになっているが、資本主義は終わりなき過剰生産と過剰消費に対す
る代替案を提供することはできていない。実際パリ協定が目指す1・5℃目
標を達成しようとするなら、社会のほぼすべての領域における徹底的かつ急
速なシステムの大転換が必要であるが、そのような動きはどこにも見られな
い。さまざまな形での警告、批判、反対の声があげられてきたにもかかわら
ず、化石燃料の消費量が今も増え続け、格差が拡大している現状を見れば、
資本主義が現在の姿を大きく変えることができると信じるに足る理由もない。
だからこそ、資本主義の廃絶を掲げて直接行動をとる、よりラディカルな
社会運動が世界中で現れ始めている(Extinction Rebellion 2019)。ゴッホの
絵にトマト・スープをぶちまけた「ジャスト・ストップ・オイル」やフラン
ス政府に解散命令を出された「大地の蜂起」に参加する若者たちを想起して
ほしい。そこでは、有限の惑星で無限の蓄積を目指す資本主義こそが気候崩
壊の根本原因であると明言されるようにまでなっているのである。
若い世代を中心とした環境運動のラディカル化は、「歴史の終わり」の「
終わり」をもたらす。そしてこれこそソ速崩壊後「死んだ大」のように扱わ
れてきたマルクス主義にとって新たな歴史的状況を意味する。
環境運動の側が現在の経済システムの破壊的性格や不合理性をはっきりと
問題視するなかで、マルクスヘの関心が高まりつつあるのだ。ここで、マル
クス主義の側がより持続可能なポスト資本主義社会の具体的ビジョンを提示
できれば、マルクス主義は復活できるかもしれない。しかしながら、いまの
ところ、そのような試みは十分に成功していない。それどころか、ソ運の失
敗の後にマルクスの遺産を再び引き合いに出すことには反発かある。マルク
スの思想は、今日ではもはや受け入れることのできない生産力主義や自民族
中心主義に囚われていると、繰り返し批判されてきたからである。
惑星規模の環境危機に直面しながらも、グローバル・ノースを中心とした
資本主義におけるさらなる生産力の発展が人類解放に向けた歴史の推進力と
して機能し続けると考えるのは、たしかに今日では、あまりにもナイーブだ
ろう。事実、現在の状況はマルクスの時代とは決定的に異なっている。環境
運動にとって、資本主義はもはや進歩的ではない。むしろ、社会の生産と再
生産の一般的諸条件を破壊し、人間とその他の生命を深刻な脅威にさらして
いるのだ。資本主義が歴史的進歩をもたらすというマルクスの考え方は、絶
望的なほど時代遅れに見えるのである。
それでもマルクス主義の再生を望むなら、その際の必須条件は、いわゆる
「史的唯物論」という「生産力」と「生産関係」の間の矛盾を進歩の動力と
する悪名高い歴史観に依拠するマルクス像を解体することではないか。これ
こそ本書に込めた想いである。そのうえで惑星規模の環境危機を前に人類の
歴史を終わらせるような悲観主義や終末論に陥らずに、マルクス主義の観点
から明るい別の未来を構想したい。
その際気候変動の問題を扱うのであれば、「自然」の問題を避けて通るこ
とはできない。ビル・マツキベン(Mckibben 1989)はかつて、グローバル資
本主義は地球全体を大いに改変するため、近代世界が長きにわたって前提と
してきた「手つかずの自然」は永久に失われると警告した。マッキベンが描
こうとした事態は近年では一般に「人新世AnthroPocene」という地質学の概
念で呼ばれるようになっている。人類は巨大な科学技術力を持ち、惑星全体
をかつてない規模で変化させる「地質学上の一大勢力」(Crutzen and Stroer-
mer 2000; 18)になったというわけだ。
しかし、人類世の現実は、自然の支配によって人間の解放を実現するとい
う「プロメテウスの夢」の実現からはほど遠い。海面上昇、山火事、熱波、
大洪水やパンデミックを伴う気候変動は、「自然の終焉」が弁証法的に「自
然の回帰」(Foster 2020)に転じることを示している。その際には自然が疎
遠な力として人間に対立し、人間を屈服させることさえある。
このような自然の制御不能性の増大に直面するなかで、人類と自然の関係
を再考することが緊急の課題になっている(Rosa.Henning and Bueno 2020)。
しかし、そこで主流になりつつあるのは社会的なものと自然的なもののハ
イブリッドを特徴とする一元論的アプローチであり(Latorur 2014; Moore 20
15)、彼らはマルクス主義に批判的な態度を取っている。それに対し、本書
は、マルクスの物質代謝論に基づく「方法論的二元論」を展開することで、
人類世における人間と自然の関係を独自の仕方で把握していく。
人類世の存在論は、実践的にも重要な意味を持つ。マルクスの方法論を正
しく理解することで、ポスト資本主義をめぐる最近の議論にも、マルクスが
独自の貢献を成すことが判明するからである。かつてマーク・フィッシャー
(Fisher 2009)は、フレドリック・ジェイムソンの言である「資本主義の終
わりよりも世界の終わりを想像する方がたやすい」を引き、この「資本主義
リアリズム」の感覚が、私たちの政治的想像力を著しく制約し、私たちを資
本の体制に屈服させる、と嘆いた。同様の傾向は環境保護主義にも見て敢れ
る。
「資本主義の関係における実質的な変化を想像するよりも、地球上のすべ
ての生命を終わらせる全面的な破局を想像する方がたやすい」(ZiZek 2008;
334)というわけだ。しかし、経済、民主主義、ケア、環境といった多層的
に絡まり合う複合危機が深まり、その危機が新型コロナウイルスの世界的流
行とロシア・ウクライナ戦争によってさらに強められるにつれ、ラディカル
なフゾステム変革」を求める声が左派のあいだで大きくなっている。スラヴ
オイ・ジジェク(Žizek 2020a)とアンドレアス・マルム(Malm 2020)はと
もに「戦時コミュニズム」を主張し、ジョン・ベラミー・フオスター(Foster
2020)やミシェル・レヴィ(Löwy 2015)も「環境社会主義 ecosocialismg」
の理念を打ち出しているのだ。
だがより注目に値するのは、マルクス主義者ではない学者の間でさえも、
そのような議論が提起されるようになっているという事実だろう(Jackson
2021)。その典型は「社会主義の時が到来した」と断言するトマ・ピケティ
(Piketty)であるが、気候危機との関連でいえば、「環境社会主義」をはっ
きりと支持するナオミ・クラインの主張も重要である。
この事実〔ソ連とベネズエラが非エコロジカルであること〕を認めた上
で、強力な社会民主主義の伝統を持つ国々(デンマーク、スウェーデン、
ウルグアイなど)が、世界でもっとも先見的な環境政策を持つことを指摘
しておこう。社会主義はかならずしも環境保護を推進しないと結論づける
ことはできる。しかし、「民主的な環境社会主義」という新しい形態は、
先住民の教えから未来世代への義務や生命の相互の結びつきを学ぶ謙虚さ
を持っており、人類が集団的に生存するためのベストな方法であるように
見える。(Klein 2019: 251;邦訳296頁、強調筆者)
クラインはマルクス主義者ではないという事実を踏まえると、彼女が社会
主義を擁護するようになっているという事実は特筆すべき変化である。かつ
てエレン・メイクシンス・ウッドは次のように述べていた。
「平和と環境の問題は、強力な反資本主義勢力を生み出すのにあまり適し
ていない。ある意味、問題はそれらの普遍性そのものである。平和と環境が
社会的勢力を構成することがないのは、特定の社会的アイデンティティを端
的に持たないせいなのだ」(Wood 1995 266}。環境をめぐる今日の状況は、
ウッドの時代とは大きく異なっている。それはまさに、惑星規模の環境危機
が資本に抵抗する普遍的な政治的主体性を構成するための物質的基礎を提供
するようになっているからだ。つまり、資本主義はグローバルな「環境プロ
レタリアート」(Foster,York and Clark 2010: 47)を生み出している。それだけ
多くの人々の生活諸条件が無限の資本蓄積が引き起こす環境破壊によって著
しく損なわれるようになっているのである。
本日、購入し早速目を等し、前書きから読み出し、前書きを読み切り、興味を
惹いた箇所「部」「章」を読み切る事にするが、全体を読み切るかどうかは「内
容」と「割り当てる時間」次第。
風蕭々と碧い時
クボと二本の弦の秘密 吉田兄弟 2017年映画公開
● 今夜の寸評: 今さらでなく 今から
The moment when you make a resolution is the perfect time to start fulfilling it.
浄土宗 月訓