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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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沸騰大変動時代(二十八)

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彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦
国時代の軍団編成の一種、あらゆる武具を朱りにした部隊編のこと)
と兜(かぶと)を合体させて生まれたキラクタ「ひこにゃん」。
【季語と短歌:夏の歌会に向けての言葉あそびのトレーニング】

 ゴミ捨場に歌を歌える子どもには歌いたいから歌う歓び
                    『チョコレート革命】

 愚痴、不満、悲観、諦念、母からのマイナスイオンたっぷり浴びる                       【アボカドの種』
                                                                             佐々木定綱 選
                              『明るさ』
 
俵万智はまあ異常である。何か異常か。変わらないのである。全歌集
を通読してびっくりする。『サラダ記念日』から『アボカドの種』ま
で変わらない。いやいや、相聞をずっと歌っているというのはそうか
もしれないけれど、歌集ごとに相聞の歌いぶりも変わっているし、自
身の子を歌うようになったし、社会的要素も多く歌うようになった、
結構変わっているじゃないか。と思うかもしれない。おっしゃる通り。
細部の変化はある。では、何か変わらないのか。その明るさである。

人間はこんなにポジティブに存在できるのか?と思うほどの明るさ。
俵万智の歌集はすべて光属性である。うっすらと光を放っている。多
くの人の心を引き付ける理由がよく分かる。生きることは暗闇を歩く
ことにほかならない。その中で暖かな光を求めるのは必然であろう。

一首目は、ゴミ捨場に歌を歌える子どもには歌いたいから歌う歌び(    
『チEコレート革命』)ゴミ捨て場で生活をしている子どもの歌。日
本の光景ではない。衛生環境も良くなければ置かれた社会的状況も良
くない。未来に安易な明るさがあるとはいい難い。そんな中でも俵は
光を見る。この歌に曇天の光景は似合わないだろう。子どもは生きる
喜びを知っている。そして自由がある。歌いたければ歌えるのだ。

この底から湧き上がるような明るさはどこからくるのか、生来の気質
歌に対するスタンス、さまざまあるだろうが、一番の要因は「今」の
瞬間を歌っているということだと思う。前述の歌も、子どもの歌声が
響いているのは今の瞬間である。音楽は瞬間芸術だ。空気の振動、伝
わるエネルギーが消えてしまえばなにも残らずに消えてゆく。その俸
さの共有こそが感動を与える。
歌の中に過去と未来を内包しつつも、立ち上がる情景は「今」なのだ。
愚痴、不満、悲観、諦念、母からのマイナスイオンたっぶり浴び(『
アボカドの種』)
さて、そんな中で最新歌集である。ここでも現在の瞬間が歌われてい
る。ただ、ついに出た。間がのっそりと光の世界に姿を現してきたの
だ。顕著なのは家族の歌、父と母の歌だ。家族に健やかな愛情だけを
感じている人間などいないだろう。この歌でも嫌な母が歌われる。同
じ時間を共にするのもうんざりしてしまう状態の母親。「声」という
消えてしまうものではあるが、こちらの声は心に嫌なものを残してい
きそうである。これは変わらなかった俵万智の特殊な変化なのではな
いかと思っている。第七歌集にして、陰影がより深まっている。同時
代を生きられることの最大の幸福を感じている。

※ 相聞(そうもん)とは、互いに安否を問って消息を通じ合うとい
 う意味の言葉であり、雑歌・挽歌とともに『万葉集』の三大部立を
 構成する要素の1つである。
※ 1986年に東京都世田谷区で、歌人で早稲田大学政治経済学部助教
 授(当時)の佐佐木幸綱の次男として生まれる。成城大学大学院文
 学研究科国文学専攻修士課程修了。書店員として働いていた2017年
 に「魚は机を濡らす」で第62回角川短歌賞を受賞。現在、非正規雇
 用として働きながら、様々な文芸雑誌や新聞にエッセイや書評を寄
 稿している。またNHKや朝日新聞などのメディアでの萩原慎一郎『歌
 集 滑走路』についての評論や研究でも知られている。 2019年11月
 に『歌集 月を食う』を出版し、第64回現代歌人協会賞を受賞した。
 2022年度NHK短歌選者(第4週担当)。






第1章 円高・緊縮病を患った売国奴
日銀の金融政策における三つの黒歴史
過去、日銀はデフレから完全脱却できないなかで金融引き締めに転じ
たことで、景気に悪影響を及ぼした「黒歴史」が三つある。

まずは00年8月、ゼロ金利を解除してしまったときだ。
99年、米国のITバブル波及により日本でも景気回復の兆しが見えて
いた。だが、インフレ率はせいぜいゼロ%程度で、政府内でも「ゼロ
金利解除は早すぎる」という異論が多かった。当時、筆者は米プリンストン大学に留学中だった。のちにノーベル経
済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授(当時)から直接メール
で「日銀のゼロ金利解除は間違っている」と連絡を受けたほどだった。
次に、01年3月に導入した量的金融緩和政策を06年3月に解除
してしまったときだ。
筆者は当時、小泉政権でマクロ経済について意見を言える立場だった
ので、これには反対した。量的緩和解除後の景気悪化を予測したが、
その通りになった。
この失敗のあと、08年にりーマン・ショックが起こり、震源地でもな
い日本が大打撃を当時、筆者は米プリンストン大学に留学中だった。
のちにノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授(当時
から直接メールで「日銀のゼロ金利解除は間違っている」と連絡を受
けたほどだった。
この失敗のあと、08年にり-マン・ショックが起こり、震源地でもな
い日本が大打撃を受けた。政府の反対を押し切って解除した日銀に、
安倍音三首相(当時)らは大きな不信感を抱いていた。
最後は、リーマン・ショック直後の08年10月、各国の中央銀行がす
ぐに金融緩和で対応して協調利下げを実施しだのに、日銀がそれに
加わらなかったときだ。
そのため日本は猛烈な円高になった。どの国でも自国通貨高は経済活
動にとってマイナスだ。当時の日銀の決定はあまりにひどすぎた。
いずれも金融引き締めのタイミングが最悪で、デフレ脱却のチャンス
を逃したり、デフレをさらに深刻化させたりする結果につながってし
まった。だから日銀の方針は「インフレ目標」ではなく「デフレ目
標」だと鄭楡されていた。
そういった点で考えると、13年から黒田束彦総裁になった日銀では、
それまでの三つの黒歴史のようなひどいミスはなかった。
16年のイールドカーブ・コントロール導入は、金融緩和のペースを低
下させたのでベストだったとは言いがたいが、それ以前の大きなミス
ほどではない。
今回、「悪い円安」とのフレーズで利上げを促す論調が多いが、そう
する必要はまだない。米国では、生鮮食品とエネルギーを除く消費者
物価指数(CPI)の対前年同月比が6%台になって、初めで赫上げ
したぐらいだ。
もし円安是正のために金融引き締めを行うというなら、日銀の黒歴史
に新たな1ページが加わることになる。それはインフレ目標に基づく
金融政策ではなく、目標逸脱行為になって日銀法の趣旨に反すること
だ。そもそも為替操作を目的として金融政策を行ったら、セントラル
バンカー失格だ。

四つめの黒歴史を刻もうとしている黒田&岸田コンビ黒田総裁は岸田首相と共謀して、四つめの黒歴史を刻もうとしている。
これまで日銀と政府は「2%の物価目標実現」と明記した共同声明を
堅持してきたが、22年12月、それを見直す動きが出てきた。
筆者の見立てでは、本格的に共同宣言を見直すのは、おそらく次の日
銀総裁体制下の23年中になるはずだったが、退任間近の黒田総裁が先
取りで発表を決行したのだろう。
その内容は、日銀が容認する長期金利(10年国債金利)の上限と下限
をO・25%程度からO・5%程度にまで拡大するというものだ。こ
れについて黒田総裁は会見で「利上げではない」と主張しているが、
どう見ても事実上の利上げだ。変動許容幅をO・25%からO・5%
にすれば、O・5%まで上がるに決まっているからだ。
このタイミングでなぜ長期金利を引き上げたのか、甚だ疑問だ。
日銀の発表を受けて市場は混乱した。為替は3~4円も円高に振れて、
日経平均株価は一時600~700円も急落した。
黒田総裁は、安倍元首和や荷前首相の時代は真面目に仕事をしていた
が、岸田首相に代わった途端、そちらになびいてしまった。元財務官
僚の体質はそのままだったようだ。
というのも、黒田総裁は財務省で主税局にいた時代が長かった。主税
局というのは、税金を上げるのが仕事といっても過言ではない部局だ。
岸田首相は防衛増税を決めたが、黒田総裁はそれと足並みを揃えるた
め、利上げに踏み切ったのかと一瞬疑ってしまった。これは半分冗談
だが、黒田総裁のメンタリティはそういう部分があって、消費増税の
ときも賛成していた。いままでは安倍首相がそのあたりをしっかりコ
ントロールしていたから、黒田総裁も絶対に利上げするそぶりを見せ
なかった。だが、黒田総裁は財務官僚出身だから、自ら進んで金融緩
和していたというわけでもない。徐々に緊縮増税派の本性をあら粒に
してきた黒田総裁は、次の新総裁のための地ならしとして、あえて利
上げに踏み切ったという面があるかもしれない。

しかし、海外に比べると、現在の日本のインフレ率はまだ大した段階
ではない。
仮にインフレ率が5%くらいになって、景気が過熱しているなら利上
げも理解できるが、現状は全くそうなっていないし、物価も大して上
昇していない。インフレ率が3%くらいになってから、利上げを考え
るのがセオリーだ。
せめてあと2~3年してから利上げを行えばいいものを、それすらも
我慢できないのは、金融業界を助けたいという本音が漏れてしまった
からだろう。
金融政策では、しばしば、「Behind the curve」という言葉が用いら
れる。これは「少しばかりインフレになっても、我慢してすぐに動か
ず、ゆっくり動こう」という意味だが、それを黒田総裁ができていな
いのは非常に残念だ。 

大企業のなかで金融業界だけは利上げに大喜び
99年4月の段階では、黒田総裁は円安ドル高について「現状では日
本経済にプラス面のほうが大きい」と発言していた。それに対し、当
時の日本商工会議所・三村明夫会頭は「デメリットのほうが大きい」
と述べていた。
為替の動向は輸出入や海外投資を行う事業者にとっては死活問題にな
る。円安は輸出企業にとってはメリットだが、輸大企業にとってはデ
メリットだ。
また、これから海外進出を考えている企業にとってもデメリットだが、
すでに海外進出して投資を回収している企業にとってはメリットとな
る。
中小企業は大企業に比べて輸出が少なく輸入が多い。だから円安によ
るデメリットを受けやすい。そういう意味で、三村会頭の意見は中小
企業を代弁していたといえる。
一方、当時の黒田総裁の意見は、経済界全体を考慮してのものだった。
輸出業を営んでいるのは大企業、とくに世界市場で伍していけるエク
セレントカンパニーだ。この場合、エクセレントカンパニーに恩恵の
ある円安のほうが、日本経済全体のGDPを押し上げる効果は高い。
これは日本に限らず、世界のどの国でも見られる普遍的な現象だ。
だから、主として大企業で構成されている日本経済団体連合会の十倉
雅和会長は当時、円安について大騒ぎすることではないという見解を
示していた。
ただし、大企業のなかでも金融業界の意見は特殊だ。
                         この項つづく

     

❏ 飛翔黄金の時代 ❏
いそしぎ』(The Sandpiper)、1965年のアメリカ合衆国のドラマ映
画。監督はヴィンセント・ミネリ。当時、夫婦だったエリザベス・テ
イラーとリチャード・バートンの、結婚後の初の共演作であり、主題歌
『シャドウ・オブ・ユア・スマイル』は第38回アカデミー賞の歌曲賞を
受賞している。










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