彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦
国時代の軍団編成の一種、あらゆる武具を朱りにした部隊編成のこと
)と兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ-。
【季語と短歌:季語と短歌】
立秋や巨大地震に核軍拡
【今日の短歌研究】
団地周辺
志垣澄幸(日向通信)
施設どか子らに引きどられゆきし団地のなかに空家増えゆく
雨粒が三つほど額に落ちしかなただそれだけの雨が過ぎたり
街並みが変はりて道ぞひに出でてきし見覚えのある樟の老木
鰯雲置き去りにして夕空は昏れてゆきたりバス待ちをれば
被らすにすみし戦時のへルメット 自転車 チャリ に乗らんといまし被りぬ
※台湾台北州台北市生まれ。母の故郷宮崎県西都市妻に移住。宮崎大
学教育学部卒業後、教職に就く。県内の公立中高校に勤務。宮崎第一
高等学校校長。20代で個人誌「丸木舟」を創刊、1968年「原型」に入
会し、斎藤史に師事。1976年に発起人として、伊藤一彦や浜田康敬ら
と現代短歌南の会を結成。現代歌人協会会員。吉川宏志は宮崎大宮高
校時代の教え子、2022年、『鳥語降る』で第37回詩歌文学館賞を受賞]。
わたしの経済論:「交換価値至上主義」とは③
1332夜 『グローバル資本主義の危機』 ジョージ・ソロス を踏まえ
産業革命の拡張と産業資本の集中がおこった十九世紀の時代から資本
主義もグローバルであったろうに、それが近年急激に「暴走する市場
原理主義」や「マッド・マネー資本主義」に向っていったのか。十九
世紀後半から二十世紀前半に広がった資本主義にもそういう傾向があ
ったのではと思う(松岡氏)。これについてソロスは、かつては次の
ようなストッパーが利いていたと考えた。①帝国主義列強が鎬をけ
ずりあい、資本の国際移動が制限された。②金という単一の国際通貨
が君臨していた。③金融界にも企業間にも、ある種の信条、倫理観が
共有されていたが、この“幸福”な時代が続かなかったのは。ストッ
パーが壊れたから。壊れたのは第一次世界大戦のとき。ヨーロッパ列
強が戦争にあけくれ、軍事が資本を完全に制圧した。そこに③の「信
条の腐敗」も加わり、壊れたストッパーを修繕できなかった。
った。それがそのまま一九二九年の世界恐慌に及び、さらに第二次大
戦の終戦直後まで続く。 ソロスが、世界恐慌の激震が走った一九三〇年、ハンガリーのブダ
ペストに生まれ。すでにヨーロッパは歪みきっていた。ドイツは戦争
賠償金とマルクの暴落に喘ぎ、ヒトラーが登場。ソロス十四歳のとき、
ナチスによるハンガリー侵攻がおこるおこった。この年ハンガリーで
は六万人のユダヤ人が死ぬ(ヨーロッパ全体で四〇万人)。ちょうど
このとき、壊れきったストッパーを繕うために、大西洋の海の向こう
でひそかに組み上げられたスキームが出現。一九四四年七月にニュー
ハンプシャー州ブレトン・ウッズ会議で、新たな設立の組み立てが決
議されたIMF(国際通貨基金)と世界銀行による「ブレトン・ウッ
ズ体制」。ブレトン・ウッズ体制は、大恐慌後のブロック経済によっ
て世界の貿易をたてなおすとともに、国際通貨システムの秩序の回復
をはかるべく為替レートを安定させ、貿易障害となっていた経常取引
による為替規制を取り払う役目を担う。戦前までの「保護・差別・双
務主義」は「自由・無差別・多角主義」に移行。
IMFは、加盟国の国際収支上の不均衡(つまり外貨準備不足)の
補填する融資より、当初はめざましいバランス装置として機能したが、
この体制は、いまだ固定相場制のもとでのドルと金の価値を強固に結
びつけるものだったのだ。金一オンス=三五米ドルの、“金=ドル本
位制”なのである。このアメリカ中心の“金=ドル本位制”が機能し
ているあいだは、国際経済がアメリカの独走とソ連の抑制を是とする
かぎりはそれでもよかったが、ドルの実質価値が低下していくと、お
かしくなる。また、ベトナム戦争の戦費拡大によってアメリカの財政
収支が悪化すると、ドルの信認は下がりはじめた。これに歯止めをか
けようとした「ニクソン・ショック」(ドル・ショック)である。一
九七一年八月、ニクソンはフリードマンの進言を受けてドルと金との
交換を停止た。かくて世界の主要国はいっせいに「変動相場制」に移
動した。ブレトン・ウッズ体制は崩れた。ところが直後に二度にわた
っての「オイル・ショック」(石油危機)がおきたため、非産油諸国
の経済状況が急激に悪化。IMFはそのまま融資機関としての役割を
ずるずると拡大させ、八〇年代にはラテンアメリカ諸国の債務危機に
出動、九〇年代には一二三二夜の『反米大陸』(集英社新書)でもふ
れた構造調整融資の名目のもと、アメリカの南米コントロールのため
の介入などが巧妙にも執行されていき、国の資本収支危機が露呈し、
リフレクシビティを発揮することなく、そこにファリビリティ(誤謬
性)を認める視点をもつ者も少ないまま、金融工学的乗り越えに軌道
転換していく。
ソロスはそうしなかった。ソロスはファリビリティを含ませた投資計
画により、事態を乗り越えた。その計画にはIMFや世銀の失敗は織
りこみずみだった。ソロスは新スキームを提案してセーフティネット
づくりに資金供を申し出たことが(一九九二年の)。IMFも世銀も
見向きもしなかった。彼はは独自の財団を設けたり、トービン税に代
わる課税制度を提案。トービン税はノーベル経済学賞のジェームズ・トービンが案出した国際通貨取引への課税だが、ソロス税は金融取引
への課税案である。たちまち金融界が反対し、ソロスは孤立した。堪
忍袋の緒が切れたソロスが最後に袋の中から持ち出したのは、IMF
がSDR(特別引き出し権)を配分して、富める国が自国に配分され
たSDRを国際協力のために“贈与”するというスキームだった。革
新的なアイディアを加えた。SDRが利付き資産であることに着目し、
そこから国際援助資金を金融市場とはべつに創出するというものだ。
詳細は省くけれど、このSDR贈与スキームには、①贈与メニュー
の設定委員会とドナーの贈り先とを切り離す、②贈与適確プログラム
は保健・教育・デジタルデバイド・司法改革などに絞る、③貧困対策
は除外する、④こうした社会投資のための取引所を創設する、⑤以上
の組み合わせのためのマッチングにはマイクロクレジットを使う、と
いったかなり斬新な提案が含まれていた。松岡氏がこの提案を知った
とき、贈与こそはモースやポランニーが未来に積み残した唯一の「経
済を社会に埋めこむための可能性」であったのである。
※ ソロス氏は社会主義を求めているわけではない。ただ、従来の資
本主義のままでは、格差がより拡大し、若い人たちが失望し、国の根
幹となってきた資本主義、さらには民主主義までも危うくなる。そう
警鐘を鳴らしているのだ。via.NHK 2019.11.26
この項了