「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。
レイチェル・カーソン
● 最新食品加工工学: カンピョウ麺やパウダーの考案
NHK放送の朝の「うまいッ!」で栃木県は上三川町でのかんぴょう作りとそれを使った料理が
紹介されていた。栃木県では、およそ三百年前から栃木県南東部で作られはじめたかんぴょう。
現在では、国産かんぴょうの98%を占める国産かんぴょうの代名詞的存在とか、実は、滋賀県
の水口市では、水口かんぴょうが約四百年前の桃山時代にまで遡る。あの歌川励重の浮伊絵「東
海道五十三次」水口宿で、かんぴょうを干す風景が映し出されるほど古い。
現在水□地域ては、代々受け継がれてきた種子を使用し、13軒の農家(水ロかんぴょう部会)
がで作付けている。かんぴょうは、夕顔(ゆうがお)の果実(ふくべ)を加工したもの。7月上
旬から8月中旬、早朝に10キロ前後の実を収穫し、すぐに白い実を幅3センチ・長さ3メート
ル・薄さ2~3ミリの帯状に機械で剥ぐ。それを1本1本でいねいに竿にかけ、ムラのないよう
ずらしながら、約1日半、天日干しするのが特長で栃木と同様に消費者から大好評だとのこと。
栃木では、夏場は日本一雷の多い地域として知られ、95%が水分という実の成長を左右し、短
時間に大量の水を供給する雷雨が、水分を含み急激に成長させることで、あまさやうまみが貯め
こまれていくという。また、雄花の花粉を雌花の中心全体に受粉させることで、丸く育ち、丸い
実は加工の工程で均一な厚さに仕上がりやすく、コリッとした食感が生れるのが上三川町のかん
ぴょう特徴だという。、
番組の中では、みそ汁からバターなどのラクトを使ったフランス料理まで料理の幅は工夫次第で
まだまだ広がっていきそうだとか。因みに、上の写真の「かんぴょうと卵のお吸い物」が紹介さ
れていて、無漂白かんぴょう――亜硫酸ガスで硫黄燻蒸を行う漂白かんぴょうと、燻蒸を行わな
わず、塩もみと下ゆでをして無漂白かんぴょうがある――を使えば、かつお出汁にかんぴょうの
あまみが溶けだしおいしくいただけるという。全国的には、巻き寿司の干瓢巻き(木津巻き、鉄
砲巻き)、巻き寿司の具、ちらし寿司の具、煮物の昆布巻きや揚げ巾着の結束に用いるのが一般
的な用途。産地の栃木県では、この他に、煮物、炒め物、金平、卵入りの干瓢汁、酢の物等にも
用いることが多い。近年では、サラダ材料や揚げ物の衣としての使い方もある。
さらに、上記のように、かんぴょうの特徴は、食物繊維が圧倒的に多く、また、カルシウム、カ
リウムを豊富に含まれているので、整腸作用や体内毒素成分の排出や排便促進の効果が期待でき
そうである。 かんぴょうは昆布じめや巾着の口じめ紐に使用されるように(下図特許装置参照)、
かなり嚼みごたえがあり、特開2006-314234の「かんぴょうの調理方法」の乾物かんぴょうを水
戻ししたものを浸漬後のpHが6~9になるようにアルカリ溶液に浸漬・加熱・水洗いし改善向
上され、調味後もちぎれにくい無燻蒸のかんぴょうの調理方法も提案されているほどだ。
特開2011-189979 紐状体に結び目を作る方法及び装置
ここで注目しているのは、むしろ、下図のように、ちぎれやすくし、直径1~数ミリの麺状ににしたり、パウ
ダーに加工する方法に注目し、健康食用として商品開発することを考えている。因みに、下図、特許考案
は、複数の乳酸菌を用いて、植物由来原料を発酵させ→発酵産物を乾燥させ→物質吸着性をもたせた
食物繊維素材を製造する方法が提案され、、大豆だけでなく、豆類では、あずき、えごま、いんげん豆、
ごま、アーモンド、テンペ、ピスタチオ、グリーンピース、おくら。野菜では、しいたけ、ごぼう、ぶなしめじ、
えのきたけ、西洋かぼちゃ、ブロッコリー、舞茸、ほうれん草、こんにゃく及びかんぴょう。穀物では、小麦
胚芽、ライ麦、押麦、アマランサス及び玄米のいずれかに由来する原料、果物では、例えば、柿、プルー
ン、バナナ、アボカド、オリーブ、バナナ、キウイ及びリンゴがその対象とし、乳酸菌は、Lactobacillus
属の菌株――例えば、Lactobacillus curvatus、Lactobacillus casei、Lactobacillus acidop-
hilus、Lactobacillus plantarum、Lactobacillus fermentum、Lactobacillus salivarius、La-
ctobacillus brevis、Lactobacillus rhamnosusを用いる。
特開2010-173984 物質吸着特性を有する食物繊維素材の製造方法
また、パウダーにすることで、数種類食用に任意に加えることで機能性食品としての付加価値を
高めることも可能。かんぴょう素麺で猛暑をおいしくいただける日がくるかもしれない。これは
面白い。
● 現代大量虐殺史 Ⅶ
【縮原発論 23: 核ごみ廃棄処理のススメ】
目次
第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
第4章 世界的なウラン産業の誕生
第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
第6章 産業界のおぞましい人体実験
第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
あとがき
第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
IAEAがチェルノブイリ原発事故で正体を現わし、大被害を隠した
IAEAの軍事組織としての正体が露骨に表面化したのは、1986年4月26日深夜に、
ソ連のチェルノブイり原発4号機の原子炉を吹き飛ばす最悪の爆発事故が起こった時期から
であった。
翌1987~88年にかけて、当時まだドイツが東西分裂していた時代に大事件があった。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年に東.西ドイツが続合される直前のこと
である。
西ドイツの交通事故から、奇妙な事件が発覚した。該物質を輸送していたトラッククが横
転し、警察が積み荷を調べたところ、輸送が許可されていない原爆物質が国境を越えて運ぱ
れていたことが発覚したのだ。
1988年に、西ドイツの雑誌「シュテルン(Stern)"がこの事件を執拗に追跡したところ、
驚くべき事実が暴露された。この1月21日号の表祇のコラージュは、右側に描かれたジェ
ントルマンのシャツのカフスボタンに"AECとIAEAのロゴ"と同じ「原子力の平和利用」
を示すアトムマークが入っている。
その背景には原爆が詐裂している写真。そして紳士の手と手のあいだには、ドイツ・マル
ク紙幣が交わされている。一体"シュテルン"は、「原子力力の平和利用」と「原曝」と「大
金」を組み合わせて、何を暗示したのだろうか。
同誌が事件の関係者を追及すると、西ドイツの「原子力の平和利用」で該物質を扱う化学
会社ヌーケムが、西側諸国が「テロ国家」と非難するパキスタン、スーダン、リビアの3ヶ
国に原爆材料のウランやブルトニウムを密輸し、数百万マルクの大金が動いていたという悪
事が明るみに出たのである。当時の1マルク=80円として、数億円にのぽる核物質の密売
であった。チェルノブイリ原発事故が起こった1986年には、おそるべきことに原爆70
個分、その前年には188個分の核物質が西ドイツで行方不明になっていた。1987年7
月と12月には、この件で取り調べを受けていた容疑者ふたりが自殺を遂げた。事件の真相
を解く秘密の鍵を握っていたそれらの重要な証人は、「事件が発覚したため暗殺された」と
いう噂が絶えない。
密売先の3ヶ国は、どのような性格の国であろう。
パキスタンは、1998年に"イスラム最初の原爆実験をおこなった国"であった。
アフリカのスーダンは、エジプトの南に隣接して、ナイル川の上流地帯にある。1998
年にケニアなどのアメリカ大使館が曝破されたテロ事件のあと、その黒幕としてアメリカが
テロリストと指弾したウサマービンラディンが関与しているとして、アメリカがミサイル攻
撃をしかけた国がスーダンである。
リビアは、これらアメリカのミサイル攻撃に激怒し、カダフィ大佐の先導で痛烈な反米デ
モをくり広げ、テロ国家に指定されて経済制裁を受けていた国である。
このような性格の3ヶケ国に、西側の原子力産業が、最も危険な該物質を密売していたの
だ。
ドイツの雑誌「シュプーゲル」「シュテルン」がすっぱ抜いた通り、この密売を仕組んだ
のは、ほかならぬ、リピアとイランを査察してきたIAEA人脈だったのである。「敵側」
に核兵器の拡散が進まなければ、西側の原子力産業が核兵器を保有する動機づけがなくなる
からであった。
原爆と同じ核暴走でプルトニウムを噴出した福島第一原発3号棟
それだけではない。ここに日本の原子力産業か関与していたのだ。
西ドイツの原発から発生する使用済み核燃料を一手に引き受けていたのが、この核物質の
密輸に関与したヌーケム社であった。ヌーケム社の使途不明金が、当時のレートで日本円に
して十数億円にのぼることが判明した。当時の西ドイツでは、ソ連のチェルノプイリ事故直
後に猛烈な原発反対運動が起こって、プルトニウムを取り出すヴァッカースドルフ再処理工
場の建設計画が行きづまり、ヌーケムは苦悩していた。そのため、秘かにベルギーのモルに
ある国立原子力研究センタ(CES――Center d'Etude de l'Energic)に、原発からでる使用済み
核燃料を運び込みプルトニウムとウランの抽出(再処理)を依頼した。
なぜ秘かにおこなったかと言えば、ベルギーの工場は、再処理工場としてプルトニウムを
抽出することが許されていない「無法プラント」たったからである。しかしCENは、まる
でSF映画のように再処理をおこなってプルトニウムを収り出し、閤のなかでヌーケム社に
廃棄物と原曝材料を返還した。
このCENに技術的に関与していたのが、同じベルギーにある核燃料製造会社であった。
それが、東京電力がMOXと呼ばれるプルトニウム・ウラン混合燃料の製造を依頼して問
題になった会社(Belgonucleairer)であった。日本ではベルゴ・二ーュークレア社と書かれ
ていたが、正しくはベルゴニュクレエールと発音する。
このプルトニウムMOX燃料を使って運転していたのが、福島第1原発の3号機であった。
東日本大震災発生から4日目の2011年3月14日、大爆発を起こしたのがその3号機
である。その2日前に起こった1号機の最初の水素爆発と違って、3号機では核燃料を空高
く吹き上げ、次頁の写真のように、その黒いかたまりが空から降ってくる曝発の映像から、
「核爆発と推定される」として、多くの日本人に衝撃を与えた原発である。実際、空から降
ってきたのは、とてつもない量のプルトニウムを含む燃料であった。
※ ベルゴ・二ーュークレア社の再処理工場解体(2014.12.27)上図記事はオランダ語
3号機では、水素爆発が起こったため、使用済み核燃料プールで冷やしていた燃料棒の集
合体が激震を受け、燃料棒と燃料棒のあいだの距離が接近して、原煉と同じ核暴走による爆
発が起こった可能性が高いことを、アメリカの科学者で、スリーマイルー島原発事故調査団
のメンバーだったアーノルド(アーニー)・ガンダーセ 日本はこれまで、フランスに使用
済み核燃料を輸送して、取り出されたプルトニウムをベルギーに送ってMOX燃料を製造す
るよう依頼してきたが、そもそも日本とベルギーのあいだには原子力協定が結ばれていない
ので、これも国際法に違反する無法な取引きであった。
ベルゴーニクレエールの子会社にトランスニューベルという会社があり、その昧の20%
を保有していたのが、ヌーケムの子会社トランスヌークレアという輸送会社であった。この
トラフクが、前述の使用済み核燃料とプルトニウム廃棄物を輸送していたところ、交通事故
を起こして、とんでもない積み荷であることが露顕したのである。したがって、これらの原
子力企業は、ドイツとベルギーにまたがっていなから、ひとつの同じ資本で動かされていた。
事実上の資本は、ヌーケムの味35%を保有するデグサ(ドイツ)、10%を保有するメ
タルゲゼルシャフト(ドイツ)、10%を保有するインペリアル・スメルティング(イギリ
ス)であり、これら合計55%を支配するのが、ロスチャイルド財閥であった。つまりひと
つの財閥の傘下にある同族企業グループであった。これら社名などの事実関係は、西ドイツ
で最も信頼されている雑誌「シュテルン」「シュピーゲル」が1988年当時、詳細に報道
した内容である。
ロスチャイルド家はユダヤ人財閥であって、ユダヤ人国家イスラエルの建国者である。
そこから「イスラムの最も危険なテロリストだ」と彼ら自身が非難している敵国に、自ら原
爆材料を横流ししていたことになる。
やがて、さらに驚愕すべき事実が発覚した。この輸送事件に関与したスイス人のルドルフ・
ロメッチが、自分の自家用車でプルトニウムを運んでいたことが暴露され、ドイツで大スキ
ャンダルとなったのである。というのも、ロメッチは、ば「核兵器の拡散を防止する」国際
原子力機関(IAEA)の幹部であった、そして、チェルノビリ事故直後に、事故の原因や
被害を議論した。「IAEA総会で議長」をつとめて被バクの大被害を隠蔽しようとした原
子力マフィアの親分であった。さらに彼は、わが国の科学技術庁(現・文部科学省)とも親
しく、来日して講演した人物であった。
そのプルトニウムを自家用車で運んでいたロメッチの主導したチェルノプイリ事故直後の
IAEA総会が、事実上の「原発事故の被害は終った」という国際的な宣言セレモニーとな
ったのである。
29年後にも200万人が苦しむチェルノプイリ事故の現実
ウクライナのヤヌコビッチ大統領が、「現在もチェルノブイリ事故のため、200万人が
放射能被バクの苦しみにあえいでいる」と題ったのは、事故発生から27年後のチェルノプ
イリ原発事故記念日、2012年4月26日であった。それはフクシマ事故の翌年にあたる
現在のことだ。
チェルノプイリ事故の被害の実情を紹介しておこう。
フクシマ事故前年のアメリカ小児科アカデミー学会誌2010年3月22日号によれば、
2000~2006年にウクライナの低線量被爆地券のリウネ(Rivne)地方で生まれた9
万6438人の新生児の奇形発生率は、珀万人あたり222人で、全ヨーロッパで最も高か
った。この地方は、チェルノブイリ原発から250キロメートル以上も離れている。250
キロとは、東京駅と福島第一原発より遠い距離だ。
ソ連崩壊後に独立したウクライナとベラルーシ国内の被害は.白血病と小児甲状腺癌だけ
ではない。失明に至る白内障、心筋梗塞、狭心症、脳血管障害、気管支炎など、数えきれな
い疾愚か急増している。現在も進行中のこの大被害を"ゼロ"に見せようとしたのが、IAE
Aと日本の放影研一派であった。
2013年4月26日に出版された『チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店)を開くと、
ロシア科学アカデミー顧問でECRR(ヨーロッバ放射線リスク委員会)の委員でもあるア
レクセイ・ヤブロコフをも高名な著者が「チェルノプイリ原発事故による死者の推計は、2
004年までにほぽ100万人に達している」という驚異的な医学的データを突きつけ、戦
慄すべき事実を実証しているのに、である。同書に対しては、現在もインターネット上で、
IAEAが国際的な人脈の(日本人を含む)御用学者を動員して、根も葉もない卑劣な中傷
を続けている。ウクライナとベラルーシの国民が事故から29年後の現在も苦しんでいるの
だから、フクシマ原発事故でも、人口密度がそれよりはるかに高い日本では、同じ規模の大
被害が静かに進行しているのである。
その後も、IAEAは平然と、チェルノブイリ原発事故による健康被告は、きわめて限ら
れている、という結論をふりまいてきた。だが199年、チェルノブイリ被バク国であるべ
ラフルーシのゴメリ医科大学初代学長の病理解剖学者ユーリ・バンダジェフスキー教授が、
「突然死と放射性物質の体内摂取の因果関係」と題して、"セシウム心筋症"が激発している
という明白な医学的事実を発表した。その直後、バンダジェフスキー教授は故なく汚職容疑
で逮捕され、2001年に物的証拠が一切ないまま8年の強制労働の刑が言い渡されたのだ。
勿論、ベラルーシ政府が「少量の放射性物・質であれば安全」としていた政策を、教授が
完全に護す論証をしたためのおそるべき冤罪であった。のち6年後にバンダジェフスキー教
授は、多くの科学者の千で救済されたが、IAEAは、国際的な連携でおこなったデータ控
造によって、バンダジェフスキーが明らかにした科学的事実を闇に葬ろうとしてきた。
いま福島県民と、東京など東日本全域の住民のあいだで急速に進行していると言われるの
が、バンダジェフスキーによって実証された放射性セシウムが筋肉に濃縮して起こる心筋梗
塞や狭心症など、つまり心臓に係わる病気である。チェルノブイリ事故のベラルーシ被災者
のあいだでは、事故から16年後に、事故前の10倍にも心筋梗塞が増加して、23年後の2
009年のベラルーシ全体の死亡原因の54%が心臓病となったのだ。
この年の死因の13%が癌であった事実と比べれば、その影響の大きさは驚異的である。
そして潜伏期をすぎた事故5年後から、ベーフルーシの人口の増減は、モれまでのプーフ
スから大幅なマイナスに転じて、2010年までの20年間で7%という人口減少を続けて
きたのだ。
なぜなら、全身に血液を送る「心臓」と、呼吸を続ける「肺」は、人間が生きているあい
だは一瞬も動きを止めることができない。心臓と肺は、この生命維持運動のために、筋肉の
かたまりでできている。セシウムが最も濃縮しやすいのが、その筋肉であることを、数々の
病死者の解剖によって実証したのがバンダジェフスキーだったのである。これまで半世紀に
およぶ放射能障害の研究調査は、主に病気のJ匹例の発生率〃を追跡する疫学的な統計解析
に頼っていたが、彼は追っていた。特に成人が受けるアルコールやニコチンなどの影響がほ
とんどない子供の心臓の細胞も調べ、放射性セシウムが筋肉細胞と周辺組織を破壊すること
を細胞学的に確認し、セシウムが体内でどのように振る舞うかを解剖学的な所見から初めて
実証した学者が、彼であった。
これからの日本人は、心臓病だけでなく、セシウムが筋肉に濃縮して生ずる全身の肉腫も
非常に気がかりである,
一方、茨城県鉾田市で、2015年4月10日に、イルカが150頭も座礁して打ち上げ
られた事件があった。「自然界の異変か」、「地震の予兆か」と騒がれたが、そこは福島第
一原発からの大量の汚染水が親潮に乗って南下する150キロほど南の海域に面した海岸で
あった。実は、死んだイルカを解剖してみると、専門家も「見たことがない」と言うほど、
ほとんどのイルカの肺が真っ白になって、血液が流れていない状態であった。イルカは人間
と同じように肺呼吸する哺乳類だが、まさに心筋梗塞のような状態だったのである。
ここも、"事実は小説より奇なりなり"である。
この項つづく