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最新ロギング工学

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    本日9月28日、私、福山雅治は、吹石一恵さんと結婚致しました。

 

 

【省エネ実践記: 冬に備えて】

今夜は大きなニュースが2つ。午後5時過ぎに福山雅治が結婚するというのだが、テレビ画面のアナ
ウンサーを観ていると全国の女性の悲鳴を、驚嘆する姿を肌に感じた。そして、このニュースを伝え
ると彼女が部屋入るなり瞳孔をはち切れんばかりにあけ、「○△※・・・」と叫び声に似たような奇
声をあげていた。やはりこんなことがあるんだと、貴重な体験?をする。2つめは、火星に水が存在
することが映像――火星軌道上から分光計を使ってこれを観測したところ、模様の部分から塩の結晶
とみられる鉱物を計測。NASA がこの結果から、この模様が「塩水が流れていた跡」である可能性が
高いと分析――でとらえられらこと。

※ "Water on Mars: Nasa reveals briny flows on surface - as it happened" theguardian 2015.09.29

 

毎年のこの時期になる冬の暖房対策と節電を考えることがパターン化している。ということで、2つ
のアイテムの購入検討を行う。1つは衣料品。ディギンズとオーバーオール――股下が蒸れて困ると
いう残件があるが――の着用は定着したといことで、この冬のアイテムにタートルネックウォーマ、
あるいはオフネックウォーマーとも呼ばれるが、上写真(定価699円)のオフタートルネックを購
入することを決定する。もう1つのアイテムは、電子レンジ用ブレッドメーカ(ルクエ)という調理
容器(下写真)。ブレッドメーカーとしてだけでなく、材料をまぜレンジで数分チン!するだけでお
肉やお魚は素材から出る油でおいしくローストでき、スチームロースター(レクエ製)の約2倍の大
きさで、パンはもちろん、肉、魚、野菜料理にも、野菜はシャキシャキでヘルシー料理でかんたんに
楽しめ、スポンジでさっと洗えお手入れも簡単。値段は高いが、アイデア次第でレシピの数はひろが
る。



【最新ロギング工学: バイオロギングが拓く未来】

生産現場は、人間力、総合科学力で決まると思う。電子部品の製造プロセスのスループットからスル
ーアウトの製造問題解決に長年携わった経験からそう思う。複数のプロセスにまたがる中間製品の製
造で発生する問題を臨機応変で対処するためのツールとして、30、40年前にはデーターロガーな
ど存在すらしなかったと言えば、『デジタル革命渦論』の進展で高性能で、コンパクトが普及した現
在では信じられないだろうが、例えば、中間製品の不良原因を調査に、その製品にセンサとデータロ
ガーを搭載し、その履歴データから原因を突き止めることもできなかったし、できたといても大きな
ものとなり、そのための工程変更が必要になり、変更によるまた新たな不良を発生させるという、時
には危険な目にあいながら、工程管理担当者から叱責さらなが、失敗を重ねてきたが、極小で、極薄
軽量で、高性能なセンサとデータロガーが搭載することがあれば、無駄な生産コストを逓減できる。

さて、バイオロギング(上図)の話。 野生生物の行動をモニタリング技術として,バイオロギング
とバイオテレメトリという技術があるが、下図の特許のように、導電性の十分低い淡水中を自由行動
する魚、亀、イルカ、鯨などの移動体(信号源)に取り付けた電極、温度センサ、圧力センサ、速度
センサ、位置センサないしトランスジューサなどから得られる電磁波信号をとぎれなく受信する水中
テレメトリー装置であって、該水中に多数の単位受信アンテナをお互いに大略波長以上の距離を離し
て分布配置し、これら多数の単位受信アンテナの各々から得られる受信信号をすべて同振幅と同位相
にて加算して受信機入力とする如く構成した水中テレメトリー装置を移動体の移動時の姿勢も分析で
きるデータを記憶させることができる、よりコンパクト構造の耐圧性データロガー装置が提案されて
いる(特開2011-080850)。また、水圏生物の複数の個体を、長期間にわたり、安定し高い信頼性で
追跡できる水圏生物のモニタリング装置及び方法を提供が提案されている(特開2013-044670)。さ
らに、音情報を視覚化する発光装置を用いた音源定位推定システムの提案がされている(特開2010-
133964)。
 

ここでは、昆虫の固体に、超小形カメラとデータロガーを搭載したバイオロギングが例はないが、近
い将来、虫ピンほどの薄さのデータロガー、センサや爪楊枝の径のカメラが開発されれば、広く社会
に応用展開され、旦那の浮気履歴データが法廷に提出され裁かれるといった現場か誕生しているかも
せれない。これは、大変面白いことだが、このように、えらい目に遭っているかもしれない。 



● 折々の読書 『職業としての小説家』9


   文学賞というものについて語りたいと思います。まず最初に、ひとつの具体的な例として、芥川龍之介
 賞(芥川賞)について話します。わりに生々しいというか、かなり直接的で機微に触れる話題な
 ので、語りにくいところもあるのですが、でも誤解をおそれずに、ここらへんでひとつ話してお
 いた方がいいかもしれない。そういう気がします。芥川賞について語ることは、あるい は文学
 賞というものについて総体的に語ることに通じるかもしれません。そして文学賞について 語る
 ことは、現代における文学のひとつの側面を語ることになるかもしれません。

  少し前のことですが、某文芸誌の巻末コラムに芥川賞のことが書かれていました。その中に芥
 川賞というのはよほど魔力のある賞なのだろう。落ちて騒ぐ作家がいるから、ますます名声が高
 まる。落ちて文壇から遠ざかる村上春樹さんのような作家がいるからますます権威のほどが示さ
 れる」という文章がありました。書いたのは「相馬悠々」という名前の人ですが、もちろん誰か
 の匿名でしょう。 

  僕はたしかにその昔、もう三十年以上前のことですが、芥川賞の候補に二度なったことがあり
 ます。どちらのときも受賞しませんでした。そしてたしかに文壇みたいなところから比較的離れ
 た場所で仕事をしてきました。でも僕が文壇から距離を置いて仕事をしていたのは、芥川賞をと
 らなかった(あるいはとれなかった)からではなく、そういう場所に足を踏み入れること自体に、
 そもそも関心も知識も持っていなかったからです。本来関係のない二つのものごとのあいだに、
 このような因果関係を(いわば)勝手に求められても、僕としては困ってしまいます。
 
  こういうことを書かれると、世の中には、「そうか、村上春樹は芥川賞をとれなかったから、
 文壇から離れて生きてきたのか」と素直に思い込んでしまう人だっているかもしれない。下手を
 したらそれが通説になってしまう恐れもあります。推論と断定とを使い分けるのは、文章を書く
 ことの基本じゃないかと思うんだけど、そうでもないのかな。まあ同じことをしていても、昔は
 「文壇に相手にもしてもらえない」と言われていたのが、最近では「文壇から遠ざかる」と言わ
 れるようになったのだから、むしろ喜ぶべきなのかもしれませんが。

  僕が文壇からわりに遠いところにいたのは、ひとつには僕の側に「作家になろう」というつも
 りがもともとなかったからだと思います。普通の人間としてごく普通に生活を送っていて、ある
 ときふと思い立って小説をひとつ書いて、それがいきなり新入賞をとってしまった。だから文壇
 がどういうものなのか、文学賞がどういうものなのか、そういう基礎的な知識をほとんどひとか
 けらも持っていなかったわけです。

  それからそのときは「本業」を持っていたので、日々の生活がなにしろ忙しく、片づけるべき
 ものごとをひとつひとつ片づけていくだけで手一杯だった、ということもあります。身体がいく
 つあっても足りないというか、必要不可欠ではないものごとと関わりを持つような時間的余裕が
 なかったのです。専業作家になってからは、そこまで忙しくはなくなったけれど、思うところあ
 って現実的に早寝早起きの生活を送るようになり、日常的に運動をするようになり、おかけで夜
 中にどこかに出かけるということもほとんどなくなりました。だから新宿のゴールデソ街にも足
 を踏み入れたことかありません。何も文壇に対して、あるいはゴールデン街に対して反感を持っ
 ているというのではありません。ただ現実的にそういう場所に関わったり、足を運んだりする必
 要性も時間的余裕も、その当時の僕にはたまたまなかったというだけです。

  芥川賞に「魔力がある」のかどうか僕はよく知らないし、「権威がある」かどうかも知らない
 し、またそういうことを意識したこともありませんでした。これまでに誰がこの賞を取って、誰
 が取っていないのか、それもよく知りません。昔から興味があまりなかったし、今でも同じくら
 い(というか、ますます)ありません。もしそのコラムの著者がおっしゃるように、芥川賞に魔
 力みたいなものがあったとしても、少なくともその魔力は僕個人の近辺にまでは及んでいなかっ
 たみたいです。たぶんどこかで道に迷って、僕のところまではたどり着けなかったのでしょう。

  僕は『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』という二作品でこの芥川賞の候補になり
 ましたが、正直に申しまして、僕としては(できればそのまますんなり信じていただきたいので
 すが)、とってもとらなくてもどちらでもいいと考えていました。
  『風の歌を聴け』という作品が文芸誌「群像」の新入賞に選ばれたときは本当に素直に嬉しか
 った。それは広く世界中に向かって断言できます。僕の人生におけるまさに画期的な出来事でし
 た。というのは、その賞が作家としての「入場券」になったからです。入場券があるのとないの
 とでは、話はまったく違ってきます。目の前の門が開いたわけですから。そしてその入場券一枚
 さえあれば、あとのことはなんとでもなるだろうと僕は考えていました。芥川賞がどうこうなん
 て、その時点では考える余裕さえありませんでした。

  もうひとつ、その最初の二作品については、僕自身それほど納得していなかったということも
 あります。それらの作品を書いていて、自分が本来持っている力のまだ二、三割しか出せていな
 いな、という実感がありました。なにしろ生まれて初めて書いたものなので、小説というものを
 どのように書けばいいのか、基本的な技術がよくわかっていなかったのです。今にして思えばと
 いうことですが、「二、三割しか力を出せていない」ということが、遂にある種の良さになって
 いる部分はなくはないと思います。しかしそれはそれとして、本人としては、作品の出来には満
 足しかねる部分が少なからずありました。

  だから入場券としてはそれなりに有効だけど、これくらいのレベルのもので「群像」新入賞に
 続いて芥川賞までもらってしまうと、遂に余分な荷物を背負い込むことになるかもしれない、と
 いう気がしたのです。今の段階でそこまで評価されるのは、いささか「トゥーマッチ」なんじゃ
 ないかと。もっと平たく言えば「え、こんなものでいいんですか?」ということですね。

  時間をかければ、これよりもっと良いものが書けるはずだ――そういう思いが僕にはありまし
 た。ついこのあいだまで自分が小説を書くなんて考えてもいなかった人間としては、かなり傲慢
 な考えかもしれません。自分でもそう思います。でも個人的な見解を正直に述べさせていただけ
 れば、それくらいの傲慢さがなければ、人はだいたい小説家になんてなりはしません。

 『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』、どちらのときもマスコミ的には芥川賞の「最
 有力候補」と言われ、まわりの人も受賞を期待したみたいだけど、前に述べたような理由で、僕
 としては受賞を逃してむしろほっとしたくらいでした。落とす方の選考委員の人たちの気持ちも、
 「まあ、そういうもんだろうな」と僕なりに理解することができました。少なくとも恨みに思っ
 たりはまったくしなかった。またほかの候補作品に比べてどうこうというようなことも考えませ
 んでした。

   その当時僕は都内でジャズ・バーのようなものを経営しており、ほとんど毎日店に出て働い
 ていたので 賞を取って世間的に脚光を浴びたりしたら、まわりが騒がしくなって面倒だろうな、
 ということもありました。
  いちおう客商売ですから、会いたくない人間が来ても、逃げるわけにいかない-とはいえ、耐
 えきれずに 逃げ出したことも何度かありますが。
  二度候補になり、二度落選したあとで、まわりの編集者だちから「これでもう村上さんはアガ
 リです。この先、芥川賞の候補にはなることはないでしょう」と言われて、「アガリって、なん
 だか変なものだな」と思ったのを覚えています。芥川賞というのは基本的に新人に与えられるも
 のなので、ある時期がくると候補リストから外されるようです。その文芸誌のコラムによれば六
 回も候補になった作家もいるということですが、僕の場合は二回でアガリだった。どうしてなの
 か、事情はよくわかりませんが、とにかくそのときは「村上はこれでもうアガリ」というコンセ
 ンサスが、文壇的・業界的にできていたみたいです。きっとそういうしきたりだったのでしょう。

  でもアガリになったからといって、別にがっかりすることもなかった。かえってすっきりした
 というか、芥川賞についてもうこれ以上考える必要がなくなった、という安堵感の方が強かった
 ように思います。僕自身は受賞してもしなくても、ほんとにどちらでもよかったんですが、候補
 になると、選考会が近づくにつれて周囲の人たちが妙にそわそわして、そういう気配がいささか
 煩わしかったことを覚えています。変な期待感かあり、モれなりの細かい苛立ちみたいなものが
 あった。また候補になるだけでメディアにも取り上げられ、その反響も大きく、反撥みたいなも
 のもあり、そういうあれこれが何かと面倒でした。二回だけでもずいぶん彭陶しいことが多かっ
 たのに、毎年そんなことが続いていたらと想像すると、それだけでかなり気が重くなります。
 
  中でもいちばん気が重かったのは、みんなが慰めてくれることでした。落選すると、多くの人
 が僕のところにやってきて、「今回は残念でしたね。でもきっと次には絶対とれますよ。次作、
 がんばってください」と言ってくれました。相手が――少なくとも多くの場合――好意で言って
 くれていることはわかるんだけど、そう言われるたびに、何と返事すればいいのかわからなくて、
 僕としてはなんだか複雑な気持ちになりました。「ええ、まあ……」みたいなことを言って話を
 適当にごまかすしかありません。「かまわないんですよ、とくに取らなくても」と言ったところ
 で、誰も額面通りには受け取ってはくれないだろうし、かえって場がしらけそうだし。

  NHKも面倒だったですね。候袖になった段階で「芥川賞を受賞されたら、翌朝のテレビ番組
 に出演してください」と言われます。そういう電話がかかってくる。僕は仕事が忙しいし、テレ 
 ビになんか出たくはないから(人前に出るのがもともと好きじゃない性格なので)、いやだ、出
 ませんと言ってもなかなか引き下がってくれない。遂になぜ出ないのかと腹を立てられたりもし
 ました。候補になるたびにそういうことがいろいろあって、煩わしく感じることが多かったです。


                                      「第三回 文学賞について」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく

  

 

 

 


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