人は勝つこともあるし、負けることもあります。
でもその深みを理解していれば、人はたとえ負け
たとしても、傷つきはしません。
人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。
人はいつか必ず負けます。
大事なのはその深みを理解することなのです。
村上春樹
● ウィンドウズ10騒動で朝を迎える
ウィンドウズ7(Windows 7)で作業をしていたが、画面にウィンドウズ10への無償ダウンロード
がチコチョコ表示されていたが、それと同期するかのように、IEなどのエラーがでてくるようにな
り、いよいよこれはだめかと考え載せ替えてみたが、タブレットやスマホを意識した、ワイヤレス、
マウスレスのフラットデザインに変化し、いかにも指先で画面移動できるような中途半端なOS思想
で設計。(1)アイコンはなくなり、(2)表示フォント太めの「Meiryo UI」で美しくなく、(3)
スタートメニューがなくなり、(4)言語変換のATOKなどが使いずらいえない囲み込み(マイク
ロソフト以外のアプリをボイコット)。フォント変換をネット上のフリーソフトを使うも、ホームペ
ージ作成中、文字化けが発生、(5)動作が重いとストレスが溜まる一方。これではだめと判断し、
ウィンドウズ7(Windows 7)にリカバリーさせ、アプリを再搭載させるとという操作にはいる。お
陰でほぼ三日潰すことに――この損害と慰謝料をマイクロソフト社に請求しようかとも考える。さら
に、夜になるとアルコール消費量が急増し、サントリーの角瓶のほぼ1本を要することに。それだけ
ではない、マイクロソフトのIEは、米政府の国土安全保障省が昨年年4月28日、ハッカーの攻撃
を受ける可能性があるため使用停止――細工されたウェブサイトにアクセスするとウイルスに感染し
個人情報を抜き取られたりパソコンを乗っ取られたりする可能性があるバージョン6から最新の11
が対象――要請が行われていた。
ストレスが溜まった精神を解放するため、湖北野鳥センタの"コハクチョウ"を観察しにいこうと車を
走らせる。湖岸を走らせている、対向車線を大量のクラッシカーが走り抜けるが、ドライバー(ある
いは同乗者)の多くは外人だった。天候は良好で目的地に到着、目当てのコハクチョウはというと、
南方沖合に移動し望遠鏡では観察できないということだった。彼女が、女性の係員から聞いた話では
日中は食餌のため山里に移動し、夕暮れになると湖畔に移動し眠るとのことだ。へぇ~そんなものか
と感心。野鳥センタから光り輝く湖面を背景に帰ってくる。
● 折々の読書 『職業としての小説家』18
第一稿を終えると、少し間を置いて一服してから(そのときによりますが、だいたい一週間く
らい休みます)、第一回目の書き直しに入ります。僕の場合、頭からとにかく全部ごりごりと書
き直します。ここではかなり大きく、全体に手を入れます。僕はそれがどれほど長い小説であれ、
複雑な構成を持つ小説であれ、般初にプランを政てることなく、展開も結末もわからないまま、
いきあたりばったり、思いつくままどんどん即興的に物語を進めていきます。その方が書いてい
て断然面白いからです。でもそういう書き方をしていると、結果的に矛盾する箇所、筋の通らな
い箇所がたくさん出てきます。登場人物の設定や性格が、途中でがらりと変わってしまったりも
します。時間の設定が前後したりもします。そういう食い違った箇所をひとつひとつ調整し、筋
の通った整合的な物語にしていかなくてはなりません。かなりの分ほをそっくり削ったり、ある
部分を膨らませたり、新しいエピソードをあちこちに付け加えたりします。
『ねじまき鳥クロニクル』を書いていたときのように、「ここの部分は全体的に見てもうひとつ
そぐわないな」と判断して、章のいくつかを丸ごと削除し、その削除したものをベースにして、
まったく新しい別の小説(『国境の南、太陽の西』)を立ち上げていったりするようなケースも
あります。まあこれはかなり極端な例で、おおかたの場合削除した部分は削除したまま消えてし
まいます。
その書き直しに、たぶん一か月か二か月はかかります。それが終わると、また一週間ほど置い
て、二回目の書き直しに入ります。これも頭からどんどん書き直していく。ただし今度はもっと
細かいところに目をやって、丁寧に書き直していきます。たとえば風景描写を細かく書き込んだ
り、会話の調子を整えたりします。筋の展開にそぐわない点がないかどうかチェックし、一読し
てわかりにくい部分をわかりやすくし、話の流れをより円滑で自然なものにします。大手術では
なく、細かい手術の積み重ねです。それか終わると、また.一服してから次の書き直しにかかり
ます。今度は手術というよりは、修正に近い作業になります。この段階では、小説の展開の中で、
どの部分のねじをしっかり締めるべきか、どの部分のねじを少し緩ませておくかを見定めること
が大事になります。
長編小説は文字通り[長い話]なので、隅々まできりきりとねじを締めてしまったら、読者の
息か詰まります。ところどころで文啄を緩ませることも大令です,そのへんの呼吸を読まなくて
はなりません。全体と細部のバランスをよくすること。そういう観点から文章の細かい調整をお
こないます。ときどき評論家で長編小説の一部を抜き出して『こんなに雑な文章を河いていては
いけない」と批判する人がいますが、それは僕に言わせればあまりフェアな行為とは汗えない。
というのは、長編小説というものには――ちょうど生身の人間と同じように――ある程度雑な
緩んだ部分だって必要だからです。そういうものがあってこそ、きりきりと締めた部分か正当な
効果を発揮します。
そしてだいたいこのあたりで、一度長い休みを取ることにしています。できれば半月から一か
月くらいは作品を抽斗にしまい込んで、そんなものがあることすら忘れてしまいます。あるいは
忘れてしまおうと努力します。そのあいだ旅行をしたり、まとめて翻訳の仕事をしたりします。
長編小説を書くときには、仕事をする時間ももちろん人事ですか、何もしないでいる時間もそれ
に劣らず大事な意味を持ちます。工場なんかの製作過程で、あるいは建築現場で、「養生」とう
い段階があります。製品や素材を「寝かせる」ということです。ただじっと置いておいて.そこ
に空気を通らせる、あるいは内部をしっかりと固まらせる。小説も同じです。この養生をしっか
りやっておかないと、生乾きの脆いもの、組成が馴染んでいないものかできてしまいます。
そのように作品をじっくりと寝かせたあとで、再び細かい部分の徹底的な書き直しに入ってい
きます。しっかり寝かせたあとの作品は、前とはかなり違った印象を僕に与えてくれます。前に
見えなかった欠点もずいぶんくっきり見えてきます。奥行きのあるなしか見分けられます。作品
が「養生」したのと同じように、僕の頭もまたうまく「養生」できたわけです。
しっかり養生を済ませたし、そのあとある程度の書き直しもした。この段階で大きな意味を持
ってくるのか、第三者の意見です。僕の場合、ある程度作品としてのかたちかついたところで、
まず奥さんに原稿を読ませます。これは僕の作家としてのほぼ最初の段階から、一貫して続けて
いることです。彼女の意見は僕にとっては、言うなればか楽の「基準書」のようなものです。う
ちにある古いスピーカー(失礼)と同じことです。僕はすべての種類の音楽をこのスピーカーで
聴きます。とくに立派なスピーカーじやありません。一九七〇年代に買ったJBLのシステムで、
図体は大きいんですが、現代の最新の高級スピーカーに比べれば、出てくる音の領域はかなり限
られています。跨の分離もそれほど良いとは言えません。いねば骨董品みたいなものです。でも
僕はなにしろこのスピーカー・システムでこれまで、ありとあらゆる音楽を聴いてきたので、そ
こから出てくる音が僕にとっての音楽の再生の基準になっているわけです。それが身についてし
まっている。
こういうことを言うと、あるいは腹を立てる人もいるかもしれませんが、出版社の編集者は日
本の場合、専門職とはいっても、結局のところサラリーマンですから、それぞれの会社に属して
いるし、いつ配置換えになるかもしれません,もちろん例外はありますか、大方の場合、上から
「君がこの作家を担当しなさい」と指名されて、担当編集者になっているわけで、どこまで親身
につきあえるか予測の在たないところがあ今その点、友というのは良くも悪くも、まず配置換え
にはなりません、僕が「観測定点」と言うのは、そういう意味です,長年つきあっているから、
「この人がこういう感想を持つのは、こういう意味合いで、こういうところから来ているんだな」
というニュアンスがおおよそ理解できます(おおよそと僕が言うのは、妻についてすべてを理解
するのは原理的に不可能だからです)。
でもだから、相手から言われたことかそのまますらすら受け入れられるかというと、そうはい
きません。こちらは長い時間をかけて、長い小説を書き終えたばかりで、養生によって多少冷め
たとはいえ、頭にはまだじゅうぶん血がのぼっていますから、批判的なことを言われると頭に来
ます。感情的にもなります。激しい言い合いになることだってあります。他人である編集者を相
手に、正面からそんなきつい物言いをすることはできませんから、そのへんはまあ身内の利点と
言えるかもしれない。僕は現実生活においてはとくに感情的な人間ではありませんが、この段階
ではある程度感情的にならざるを得ないところかあります。というか、感情をいったん外に吐き
出してしまうことが必要になってきます。
彼女の批評には、「たしかにそうだな」「ひょっとしたらそうかもしれない」と思えることも
あります。そう思えるようになるまでに、数日を要する場合もありますが。また「いや、そんな
ことはない。僕の考えの方がやはり正しい」と思うこともあります。でもそのような「第三者導
入」プロセスにおいて、僕にはひとつ個人的ルールがあります。それは「けちをつけられた部分
かあれば、何はともあれ書き直そうぜ」ということです。批判に納得がいかなくても、とにかく
指摘を受けた部分があれば、そこを頭から書き直します。指摘に同意できない場合には、相手の
助言とはぜんぜん違う方向に書き直したりもします。
でも方向性はともかく、腰を据えてその箇所を書き直し、それを読み直してみると、ほとんど
の場合その部分か以前より改良されていることに気づきます。僕は思うのだけど、読んだ人があ
る部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題か含ま
れていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れか、多かれ少なかれつっかえている
ということです。そして僕の仕事はそのつっかえを取り除くことです。どのようにしてそれを取
り除くかは、作家か自分で決めればいい。たとえ「これ完璧に占けているよ。書き直す必要なん
てない」と思ったとしても、黙って机に向かい、とにかく書き直します。なぜならある文章か「
完蔡に潟けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。
今回の書き直しは頭から順番にやっていく必要はありません。問題になった部分、批判された
部分だけを集中して、書き直していきます。そして書き直した部分をもう一度読んでもらい、そ
れについてまた討論をし、必要があれば更に書き直します。それを読んでもらい、まだ不満かあ
れば、更にまた書き直します。そしてある程度片がついたところで、また頭から書き直して全体
の流れを確認し、調整します。いろんな部分を細かくいじったせいで、全体のトーンか乱れてい
れば、それを修正します。そこで初めて編集者に正式に読んでもらいます。その時点では、頭の
過熱状態はある程度解消されていますから、編集者の反応に対しても、それなりにクールに客観
的に対処することができます。
「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
村上春樹 『職業としての小説家』
長編小説を読むのも、ビジネスマンにとって所要時間が大きくなるので、ぱっと斜め読みして、ピン
とこなければそのまま積んでおくだけということはよくあることではないか――作家にすればどんな
にエネルギーを要し、神経をすり減らても―――と思っている。ここでは、書き手のノウハウが開陳
されているものの、ここではそのまま鵜呑みにして読み進める。さて、今回もノーベル文学賞は、ベ
ラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチが受賞。ノンポリ派作家?の村上春樹の評価は、
かっての文学論争での「テーマの積極性」が優位に働き分が悪かったのではとの考えが頭を過ぎる。
だからといって、彼の秀抜な作品集の輝きは失せることはないのだが。
この項つづく
【時代は太陽道を渡る 16】
● ハウステンボス「変なホテル」 太陽道システム導入
東芝は、ハウステンボスから、自立型水素エネルギー供給システム「H2OneTM」を受注したと発表。
16年3月にオープン予定のスマートホテル「変なホテル」第2期棟に設置する。同システムの受注
は初めてで、太陽光の余剰電力を水素として蓄え、燃料電池で電気に戻すことで、日照変化による出
力変動を安定化させるためのもの(「ハウステンボスの「変なホテル」、太陽光と水素でエネルギー
自活」 日系テクノロジー・オンライン 2015.10.08)。
今回、受注した水素エネルギー供給システムは、リゾート施設向けとして設計する。エネルギーイン
フラが十分に整っていない地域でも、再生可能エネルギーと水素を活用して、ホテル・リゾート施設
内のエネルギーを自給自足できるもの。例えば、日照時間の長い夏の間、太陽光で発電した電力の余
剰分を利用し、水素製造装置で水素を製造して水素タンクに貯蔵しておく。貯蔵した水素を日照の減
る冬期に利用、燃料電池で発電することで、年間を通じてホテル1棟分の電力量を安定的に供給する。
今回、導入する「H2OneTM」では、水素を高密度で貯蔵できる水素吸蔵合金を水素貯蔵タンクとして
搭載する。従来の水素タンクと比べ、貯蔵タンクのサイズが10分の1以下になり、敷地面積の限ら
れる場所でも導入が容易になる。これは太陽光発電だが、風力発電などで電解すれば水素製造も可能。
特開2012-255200 電解装置及び電解方法
● パナソニック モジュール変換効率で世界最高22.5%達成
パナソニックHIT太陽電池――内層の単結晶シリコンと表面層の薄膜シリコン(アモルファスシリ
コン)を組み合わせた構造を採り、量産品としては最も変換効率が高い太陽電池、わずかに遅れて単
結晶太陽電池が追う。変換効率の「第2グループ」はCdTe太陽電池とCIS太陽電池、多結晶シリ
コン太陽電池。セル変換効率の世界記録ではいずれも20%を超える。新製品「HIT N330(VBHN330
SJ47)」は、96セルを用いた出力330ワットの太陽電池モジュール(上図)。モジュール効率は
19.7%。一般的な多結晶シリコン太陽電池製品(出力260ワット)と比較して最大出力が約27
%高い。新製品を15枚設置したときの出力は4.95キロワット、260ワット品の3.90キロワ
ットよりも1キロワット増となる。
HIT N330は、変換効率24.3%の太陽電池セルを用いる。同社は14年4月に太陽電池セル
で25.6%という世界記録を達成。太陽電池モジュール製品の効率向上はまだ余裕がある。同社は、
HIT N330を16年3月、英国と欧州諸国向けに投入。断念ながら、日本は太陽電池市場で向
けとしてでなく、N330は欧州向け、日本向けに投入する予定はないというから不思議な話である
が、変換効率で世界最高レベルなのである。
● 人口10万人単位のコミュニティーソーラーブロック構築
このように考えていくと、「太陽光と無償電気温水器をセットで提供」(『北陸新幹線「新三都物語
」』2015.10.08)で掲載しように、人口10万単位とした、コミュニティーソーラーブロック圏を組
織し、(A)各世帯別に(1)太陽光発電パネル、(2)燃料電池、(3)蓄電池と(B)コミュニ
ティ専用の(1)メガソーラー発電、(2)余剰蓄電設備――①電解水素、②蓄電池、③揚水発電、
④その他、(3)配送電制御設備――コミュニティーソーラーブロック間の調整システムを備え(A)
の設備を会員に格安リース(設備工事費込み)、リース費用は、コミュニティーソーラー所有パネル
プラス(A)で所有しているパネルの発電量と消費電力の差額電力費用(メンテ費用もリース料金に
含まれている)で相殺し、その結果、余剰電力分は基本的に会員の収入となるが、そのトータル量が
コミュニティーソーラー大幅超過しないように管理組織(民営)がコントロールすることを基本とす
る。ここに関わる設計・設備製造・保全・サービスなどの機構は民間(=営利企業)が行う――そん
なことを構想してみたがどうだろうか。