何も言わないから、役者もスタッフもレベルが下がっている。言って
あげた方がいいんですよ。みんな自覚してゼロからやりましょうと。
脚本家 遊川和彦
最近、はまったテレビドラマがある。昨夜の第2回目の『偽装の夫婦』がそれ。天海祐希が扮する嘉
門ヒロの作り笑いが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を彷彿さた。この感じは『家政婦
のミタ』の遊川和彦が手になることを理解すに時間はさほどかからなかった。映画『A・I』似の『
家政婦のミタ』のつくりと同じ、"奇想天外"つまり" It is a most unexpected original idea."、あるいは、
ファンタジック(風変わりな、幻想的な)映像に仕上げられている。ストーリーは、「孤高の美女」
「理想の女性」といわれながら、実際には人との付き合いが大嫌いだという嘉門ヒロを中心に展開。
25年前の大学時代に一度だけ恋愛を経験するも、理由不詳で姿を消し逃げられた彼氏・陽村超治(
沢村一樹)と再会するところから物語が始まり、その出会いをきっかけに「偽装結婚」生活を始めて
しまうというものらしい。
ヒロイン(ヒロ)は、考えによれば、強迫性パーソナリティ障害を、あるいは、これは天海の容貌か
らくる性同一障害を体現させ、ヒーロー(超治)の沢村一樹は、ゲイ(ホモセクシュアル)を演じる。
また、内田有紀扮する家庭内暴力(DV)の被害者・水森しおりは、ヒロを愛すという、これまた後
天性性同一障害を起想?させる。そこに、医者から余命3か月宣言された超治の母・陽村華苗(冨司
純子)やヒロとの再婚を夢見る田中要次図書館部長(須藤利一)が絡みどのような人間模様を展開し
ていくのか期待湧々だ。
ここから、勝手な想像に。高度産業消費社会あるいは高度資本主義社会と言ってよいが、日本は良く
も悪くも、欧米諸国民は何らかの精神疾患、あるいは精神病を抱える社会。ここで、精神病の原因に
は内因・外因・心因・環境因が、あるいはこれらの相互関連因が複数重なり発症――医学的、薬理学
的症状を除外した上――していると考えられるから、奇想天外なフィクションの映像であっても、リ
アルな社会現象と考えることも容易であろう。つまり、特別なものでもなく日常的なものとして演じ
られていくだろうと考える。これは面白い発見ができそうだ。
そもそも、こんな面白い構成でなくても、それに近いことを数知れず経験してきた、これまでのわた
したち夫婦は、元から偽装であった――よく彼女が口にする「しまった騙された」「こんなはずじゃ
なかった」の台詞は耳にたこができるくらいなのだから。そこで夕食で台所に立つ彼女の肩に手をか
けて「僕たちは理想的な偽装夫婦だね」と言葉をかけると、すかさず、「わたしも見た」と顔を見上
げ答え、少し間をおき「肩をもんでくれない」と言うので、「ああっ、それは食後にしよう」と応え
部屋に戻ろうとすると「もう~、駄目なんだから!」という言葉が飛んできて背中を射貫く。
● 折々の読書 『職業としての小説家』21
前述したレイモンド・カーヴァーは、あるエッセイの中でこんなことを書いています。
「『時間があればもっと良いものが書けたはすなんだけどね』、ある友人の物書きがそう言う
のを耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのことを思い出すと愕然
としてしまう。(中略)もしその語られた物語か、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとし
たら、どうして小説なんて書くのだろう? 結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精
一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで持って行けるのはそれだけである。私はその友人に
向かってそう言いたかった。悪いことは言わないから別の仕事を見つけた方がいいよと、同じ生
活のために金を稼ぐにしても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと.正直な仕事がある
はすだ。さもなければれの能力と才能を絞りきってものを書け。そして弁明をしたり、自己正当
化したりするのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな」(翻訳『書くことについて』)
On writing
普段は温厚なカーヴァーにしては珍しく厳しい物言いですが、彼の言わんとするところには僕
も全面的に賛成です。今の時代のことはよくわかりませんが、昔の作家の中には、「締め切りに
追われてないと、小説なんて書けないよ」と豪語する人か少なからずいたようです。いかにも「
文士的」というか、スタイルとしてはなかなかかっこいいのですが、そういう時間に追われた、
せわしない書き方はいつまでもできるものではありません。若いときにはそれでうまくいったと
しても、またある期間はそういうやり方で優れた什事かできたとしても、艮いスパンをとって俯
瞰すると、時間の経過とともに作風が不思議に痩せていく印象があります。
時間を自分の味方につけるには、ある程度自分の意志で時間をコントロールできるようになら
なくてはならない、というのが僕の持論です。時間にコントロールされっぱなしではいけない。
それではやはり受け身になってしまいます。「時間と潮は人を待たない」ということわざがあり
ますか、向こうに待つつもりがないのなら、その事実をしっかりと踏まえたhで、こちらのスケ
ジュールを積極的に、意図的に設定していくしかありません,つまり受け身になるのではなく、
こちらから積極的に什掛けていくわけです。
自分の書いた作品が優れているかどうか、もし優れているとしたらどの程度優れているのか、
そんなことは僕にはわかりません。というか、そういうものごとは本人の目からあれこれ語るべ
きことではない。作品にいて判断を下学のは、言うまでもなく読者一人ひとりです。そしてその
値打ちを明らかにしていくのは時間です。作者は黙してそれを受けとめるしかありません,今の
時点で言えるのは、僕はそれらの作品を書くにあたって惜しみなく時間をかけだし、カーヴァー
の言葉を借りれぼ、「力の及ぶ限りにおいて最良のもの」を書くべく努力したということくらい
です。どの作品をとっても「もう少し時間があればもっとうまく書けたんだけどね」というよう
なことはありません。もしうまく書けていなかったとしたら、その作品をおいた時点では僕には
まだ作家としての力量が不足していた
それだけのことです。残念なことではありますが、恥ずべきことではありません。不足してい
る力量はあとから努力して埋めることができます。しかし失われた機会を取り戻すことはできま
せん。僕はそのような書き方を可能にしてくれる、自分なりの固有のシステムを、長い歳月をか
けてこしらえ、僕なりに、丁寧に注意深く整備し、大事に維持してきました。汚れを拭き、油を
差し、錆びつかないように気を配ってきました。そしてそのことについては一人の作家として、
ささやかではありますが誇りみたいなものを感じています。個々の作品の出来映えや評価につい
て語るよりは、むしろそういうジェネラルなシステムそのものに対して語る方が、僕としては楽
しいかもしれません。具体的に語りがいもあります。
もし読者が僕の作品に、温泉の湯の深い温かみみたいなものを、肌身の感覚として少しでも感
じ取ってくださるとすれば、それは本当に嬉しいことです。僕自身ずっとそのような「実感」を
求めてたくさんの本を読み、たくさんの作目楽を聴いてきたわけですから。
自分の「実感」を何より信じましょう。たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係あ
りません。書き手にとっても、また読みfにとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありま
せん。
「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
村上春樹 『職業としての小説家』
積んで置くだけの本も多かった
小説を書くというのは、密室の中でおこなわれるどこまでも個人的な営みです。一人で書斎に
こもり、机に向かって、(ほとんどの場合)何もないところから架空の物語を立ち上げ、それを
文章のかたちに変えていきます。形象を持だない主観的なものごとを、形象ある客観的なもの(
少なくとも客観性を求めるもの)へと転換していく――ごく簡単に定義すれば、それが我々小説
家が日常的におこなっている作業です。
「いや、俺は書斎みたいな立派なものは持っていないよ」という人も、おそらく少なからずお
られるでしょう。僕も小説を書き始めたころには、書斎なんてものは持ち合わせていませんでし
た。千駄ヶ谷の鳩森ハ幡神社の近くにある、狭いアパート(今は取り壊されましたが)で、台所
のテーブルに向かい、家人が寝てしまってから、深夜に一人で四百字詰原稿用紙に向かってかさ
かさとペンを走らせていました。そのようにして『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』
という、最初の二冊の小説を書き上げました。僕はこの二作を「キッチン・テーブル小説」と個
人的に(勝手に)名付けています。
小説『ノルウェイの森』の最初の方は、ギリシャ各地のカフェのテーブルや、フェリーの座席
や、空港の待合室や、公園の日陰や、安ホテルの机で書きました。四百字詰め原稿用紙みたいな
大きなものをいちいち持ち運ぶわけにはいかないので、ローマの文具店で買った安物のノートブ
ック(昔風に言えば大学ノート)に、BICのボールペソで細かい字を書いていました。まわり
の席ががやがやうるさかったり、テーブルがぐらぐらしてうまく字が書けなかったり、ノートに
コーヒーをこぼしてしまったり、ホテルの机に向かって夜中に文章を吟味しているあいだ、薄い
壁で隔てられた隣の部屋で男女が盛大に盛り上がっていたりと、まあいろいろと大変でした。今
から思えば微笑ましいエピソードみたいですが、そのときにはけっこうめげたものです。定まっ
た住居がなかなか見つからなかったので、そのあともヨーロでハ各地をあちこちと移動しながら、
いろんな場所でこの小説を書き続けました。そのコーヒー(やらわけのわからない何やかや)の
しみのついた分厚いノートは、今でも僕の手元に残っています。
しかしたとえどのような場所であれ、人が小説を書こうとする場所はすべて密室であり、ポー
タブルな書斎なのです。僕が言いたいのは、要するにそういうことです。
僕は思うのですが、人は本来、誰かに頼まれて小説を書くわけではありません。「小説を書き
たい」という強い個人的な思いがあるからこそ、そういう内なる力をひしひしと感じるからこそ、
れなりに苦労してがんばって小説を書くのです。
もちろん依頼を受けて小説を書くことはあります。職業的作家の場合、あるいは大半がそうか
もしれません。僕自身は依頼や注文を受けて小説を書かないことを、長年にわたって基本的な方
針としてやってぎましたが、僕のようなケースはどちらかといえば珍しいかもしれません。多く
の作家は、編集者から「うちの雑誌に短編小説を書いてください」とか「うちの社の書き下ろし
で長編をお願いします」とかいった依頼を受け、そこから話が始まるようです。そういう場合、
約束の期日があるのが通常ですし、ことによっては前借りというかたちで前渡し金のようなもの
をもらう場合もあるみたいです。
しかしそれでもやはり、小説家は自らの内的衝動に従って自発的に小説を書くという、基本的
な筋道になんら変わりはありません。外部からの依頼や、締め切りという制約がないとうまく小
説が書き始められないという人も、あるいはおられるかもしれません。でもそもそも「小説を書
きたい」という内的衝動が存在しなければ、いくら締め切りがあったところで、いくらお金を積
まれ、泣いて懇願されたところで、小説は書けるものではありません。当たり前の話ですね。
そしてそのきっかけがどうであれ、いったん小説を書き始めれば、小説家は一人ぼっちになり
ます。誰も彼(彼女)を手伝ってはくれません。人によっては、リサーチャーがついたりするこ
とはあるかもしれませんが、その役目はただ資料や材料を集めるだけです。誰も彼なり彼女なり
の頭の中を整理してはくれないし、誰も適当な言葉をどこかから見つけてきてくれたりしません。
いったん自分で始めたことは、自分で推し進め、自分で完成させなくてはなりません。最近のプ
ロ野球のピッチャーみたいに、いちおう七回まで投げて、あとは救援投手陣にまかせてベンチで
汗を拭いている、というわけにはいかないのです。小説家の場合、ブルペンには控えの選手なん
ていません。だから延長戦に入って十五回になろうが、十八回になろうが、試合の決着がつくま
で一人で投げきるしかありません。
たとえば、これはあくまで僕の場合はということですが、書き下ろしの長編小説を書くには、
一年以上(二年、あるいは時によっては三年)書斎にこもり、机に向かって一人でこつこつと原
稿を書き続けることになります。朝早く起きて、毎日五時間から六時間、意識を集中して執筆し
ます。それだけ必死になってものを考えると、脳が一種の過熱状態になり(文字通り頭皮が熱く
なることもあります)、しばらくは頭がぼんやりしています。だから午後は昼寝をしたり、音楽
を聴いたり、害のない本を読んだりします。そんな生活をしているとどうしても運動不足になり
ますから、毎日だいたい一時間は外に出て運動をします。そして翌日の仕事に備えます。来る日
も来る日も、判で押したみたいに同じことを繰り返します。
孤独な作業だ、というとあまりにも月並みな表現になってしまいますが、小説を書くというの
は――とくに長い小説を書いている場合には――実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い
井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日
はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。その結果として生み出された作品が誰かに
褒められるということは(もちろんうまくいけばですが)ありますが、それを書いている作業そ
のものについて、人はとくに評価してはくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わな
くてはならない荷物です。
僕はその手の作業に関してはかなり我慢強い性格だと自分でも思っていますが、それでもとき
どきうんざりして、いやになってしまうことがあります。しかし巡り来る日々を一日また一日と、
まるで煉瓦職人が煉瓦を積むみたいに、辛抱強く丁寧に積み重ねていくことによって、やがてあ
る時点で「ああそうだ、なんといっても自分は作家なのだ」という実感を手にすることになりま
す。そしてそういう実感を「善きもの」「祝賀するべきもの」として受け止めるようになります。
アメリカの禁酒団体の標語に「One day at a time」(一日ずつ着実に)というのがありますが、
まさにそれですね。リズムを乱さないように、巡り来る日を一日ずつ堅実にたぐり寄せ、後ろに
送っていくしかないのです。そしてそれを黙々と続けていると、あるとき自分の中で「何か」が
起こるのです。でもモれが起こるまでには、ある程度の時間がかかります。あなたはそれを辛抱
強く待だなくてはならない。一日はあくまで一日です。いっぺんにまとめて二、三日をこなして
しまうわけにはいきません。
そういう作業を我慢強くこつこつと続けていくためには何か必要か?
言うまでもなく持続力です。
机に向かって意識を集中するのは三日が限度、というのではとても小説家にはなれません。三
日あれば短編小説は書けるだろう、とおっしゃる方がおられるかもしれません。たしかにそのと
おりです。三日あれば短編小説一本くらいは書けちゃうかもしれません。でも三日かけて短編小
説をひとつ書き上げて、それで意識をいったんちゃらにして、新たに体勢を整えて、また三日か
けて次の短編小説をひとつ書く、というサイクルは、いつまでも延々と繰り返せるものではあり
ません。そんなぶつぶつに分断された作業を続けていたら、たぶん書く方の身が持たないでしょ
う。短編小説を専門とする人だって、職業作家として生活していくからには、流れの繋がりがあ
る程度なくてはなりません。長い歳月にわたって創作活動を続けるには、長編小説作家にせよ、
短編小説作家にせよ、継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になってきます。
それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?
それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです――基礎体力を身につけるこ
と。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。
もちろんこれはあくまで僕の個人的な、そして経験的な意見に過ぎません。普遍性みたいなも
のはないかもしれません。しかし僕はここでそもそも個人として話をしているわけですから、僕
の意見はどうしたって個人的・経験的なものになってしまいます。異なった意見もあるとは思い
ますが、それは違う人の口から聞いてください。僕はあくまで僕自身の意見を述べさせていただ
きます。普遍性があるかないかは、あなたが決めてください。
世間の多くの人々はどうやら、作家の仕事は机の前に座って字を書くくらいのことだから、体
力なんて関係ないだろう、コンピュータのキーボードを叩くだけの(あるいは紙にペンを走らせ
るだけの)指の力があればそれで十分ではないか、と考えておられるようです。作家というのは
そもそも不健康で反社会的、反俗的な存在なんだから、健康維持やフィ″トネスなんてお呼びじ
やあるまい、という考え方も世の中には根強く残っています。そしてその言い分は僕にもある程
度理解できます。そういうのはステレオタイプな作家イメージだと、簡単に一蹴することはでき
ないだろうと思います。
しかし実際に自分でやってみれば、おそらくおわかりになると思うのですが、毎日五時聞か六
時間、机の上のコンピュータ・スクリーンの前に(もちろん蜜柑箱の上の四百字詰原稿用紙の前
だって、ちっともかまわないわけですが) 一人きりで座って、意識を集中し、物語を立ち上げ
ていくためには、並大抵ではない体力が必要です。若い時期には、それもそんなにむずかしいこ
とではないかもしれません。二十代、三十代……そういう時期には生命力が身体にみなぎってい
ますし、肉体も酷使されることに対して不満を言い立てません。集中力も、必要とあらば比較的
簡単に呼び起こせるし、それを高い水準で維持することができます。若いというのは実に素晴ら
しいことです(もう一回やってみろと言われてもちょっと困りますが)。しかしごく一般的に中
し上げて、中年期を迎えるにつれ、残念ながら体力は落ち、瞬発力は低下し、持続力は減退して
いきます。筋肉は衰え、余分な贅肉が身体に付着していきます。「筋肉は落ちやすく、贅肉はつ
きやすい」というのが僕らの身体にとっての、ひとつの悲痛なテーゼになります。そしてそのよ
うな減退をカバーするには、体力維持のためのコソスタントな人為的努力が欠かせないものにな
ってきます。
そしてまた体力が落ちてくれば、(これもあくまで一般的に言えば、ということですが)それ
に従って、思考する能力も徴妙に衰えを見せていきます。思考の敏捷性、精神の柔軟性も失われ
てきます。僕はある若手の作家からインタビューを受けたとき、「作家は贅肉がついたらおしま
いですよ」と発言したことがあります。これはまあ極端な言い方で、例外的なことはもちろんあ
ると思うんですが、でも多かれ少なかれそういうことは言えるのではないかと考えています。そ
れが物理的な贅肉であれ、メタファーとしての贅肉であれ。多くの作家はそのような自然な衰え
を、文章テクニックの向上や、意識の熟成みたいなものでカバーしていくわけですが、それにも
やはり限度があります。
「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」
村上春樹 『職業としての小説家』
この項つづく
Je suis une poupée de cire
Une poupée de son
Mon cœur est gravé dans mes chansons
Poupée de cire poupée de son
Suis-je meilleure suis-je pire
Qu´une poupée de salon
Je vois la vie en rose bonbon
Poupée de cire poupée de son
Mes disques sont un miroir
Dans lequel chacun peut me voir
Je suis partout à la fois
Brisée en mille éclats de voix
Autour de moi j´entends rire
Les poupées de chiffon
Celles qui dansent sur mes chansons
Poupée de cire poupée de son
Poupée de cire poupée de son
夢見るシャンソン人形
Music&Word Serge Gainsbourg
フランス・ギャルが最初に歌い、65年にルクセンブルクにて第10回ユーロビジョン・ソング・コ
ンテストでグランプリを獲得したのをきっかけに、このフレンチ・ポップス(イエイエ)の歌が大ヒ
ットしヨーロッパだけでなく日本でもヒットする。弘田三枝子が岩谷時子の訳詞で歌ったことを思い
出す。原題は「蝋人形、詰めもの人形」(文法構成からこのように対訳される)。また、ゲンスブー
ルの歌詞には、人生経験も浅く、若いアイドルが恋愛について歌うことの揶揄が含まれるため、イザ
ベル(フランス)・ギャルは、この歌詞の二重性に気付かなかったとし、後年は歌わなくなる。解釈
はいろいろあるだろうが、英米音楽の影響をうけたフレンチ・ポップは、団塊世代の学生には、甘く
切なく弾けた曲として受け入れられ、秋の夕暮れに似合う追憶の一曲。
なお、この曲は、前述のテレビドラマ『偽装の夫婦』の主題歌「What You Want」が挿入されたJU
JU31枚目のシングル、リーリス(15.11.18)されるCDに収録される(この曲は有償でダウンロ
ード済みだが、セブン&アイ・ホールディングスのCMとしてユーチューブでも視聴可)。