難しいかもしれないと思ったが、8.29メートルを超えるとができてうれしい。
マルクス・レーム
October 23, 2015
【中国の思想: 墨子Ⅴ】
公輸――墨子と戦争技術者※
尚賢――人の能力を正当に評価せよ
兼愛――ひとを差別するな※
非攻――非戦論※
節葬――葬儀を簡略にせよ
非楽――音楽の害悪
非命――宿命論に反対する
非儒――儒家批判
親士――人材尊重
所染――何に染まるか
七患――君子の誤り七つ
耕柱――弟子たちとの対話
貴義――義を貴しとなす
公孟――儒者との対話
魯問――迷妄を解く
※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。
● 君主に何を説くか
弟子の魏越が遊説に旅立つにあたって、きいた。
「今後、行く先ざきで君主に会うことになりますが、そのさい、まずだいいちに何を説いたらよいで
しょうか」
墨子はこたえた。
「その国がどんな問題に直面しているかを見抜くことだ。
国の秩序が乱れているさいには、『尚賢』と『尚同』を説け。国が貧しければ、『節用』と『節葬』
を説け。君主が音楽にふけっている国では、『非楽』と『非命』を説け。信仰心がなく、礼を尊垂し
ない国では、『尊天』と『事犯』を説け。侵略戦争ばかりしている国なら、『兼愛』と『非攻』を説
くことだ。とにかく、その国が、どんな問題に直面しているかを見抜いて説くことが大切なのだ」
子墨子游、魏越曰、既得見四方之君子,則將先語。子墨子曰、凡入國、必擇務而從事焉。國家昏亂、
則語之、尚賢、尚同。國家貧、則語之節用、節葬。國家說音湛湎、則語之非樂、非命。國家遙僻無禮、
則語之尊天、事鬼。國家務奪侵凌、即語之兼愛、非攻。故曰擇務而從事焉。
● 折々の読書 『職業としての小説家』35
さきほども申し上げました上げましたように、好景気に沸く日本に留まっていれば、『ノルウェイ
の 森』を書いたベストセラー作家(と自分で言うのもなんですが)として、仕事の依頼は次々にあ
りますし、その気になれば高い収入を得ることもむずかしくありません。でも僕としてはそういう環
境を離れ自分が一介の(ほとんど)無名の作家として新参者として、日本以外のマーケットでどれく
らい通用するかを確かめてみたかった。それが僕にとっての個人的なテーマになり目標になりました。
そして今にして思えば、そういう目標をいわば 旗印として掲げられたのは、僕にとって善きことで
あったと思います。新しいフロンティアに挑もうという意欲を常に持ち続ける――それは創作に携わ
る人間にとって重要なことだからです。ひとつのポジション、ひとつの場所(比喩的な意味での場所
です)に安住していては、創作意欲の鮮度は減衰し、やがては失われます。僕はちょうど良い時に良
い目標、健全な野心を手にすることができたということになるか もしれません。
僕は性格的に、人前に出て何かをするのが得意ではありませんが、外国ではそれなりにインタビュ
ーも受けますし、何かの賞をいただければセレモニーに出てスピーチなんかもします。朗読会も講演
みたいなものも、ある程度引き受けます。そんなに数多くではありませんが――僕は海外でも「あま
り人前に出ない作家」という評判が定着しているみたいです――僕なりにがんばて、自己の枠組みを
少しでも押し広げ、外に顔を向けるようにしています。それほどの会話力もありませんが、できるだ
け通訳なしに自分の意見を自分の言葉で語るように心がけています。でも日本ではそういうことは、
特別な場合を除いてまずやりません。だから「外国でばかりサービスしている」「ダブル・スタンダ
ードだ」と非難されたりもします。
でも言い訳するのではありませんが、僕が海外でできるだけ人前に出るように努めているのは「日
本人作家としての責務」をある程度進んで引き受けなくてぱならないという自覚をそれなりに持って
いるからです。前にも述べましたように、バブル時代に海外で暮らしていたとき、日本人が「顔を持
だない」ことでしばしば淋しい、味気ない思いをしました。そういうことがたび重なると、海外で生
活する多くの日本人のためにも、また自分自身のためにも、こういう状況は少しでも変えていかなく
てはと、自然に考えるようになります。僕はとくに愛国的な人間ではありませんが(むしろコスモポ
リタン的な煩向か強いと思います)、外国に住んでいると、好むと好まざるとにかかわらず自分が「
日本人作家」であることを意識せざるを得ません。まわりの人々はそういう目で僕を捉えますし、僕
自身もそういう目で自分を見るようになります。そしてまた「同胞」という意識も知らず知らず生ま
れます。思えば不思議なものです。日本という土壌から、その固い枠組みから逃れたくて、いわば「
国 外流出者」として外国にやってきたのに、その結果、元ある土壌との関係性に戻っていかざるを
得ないわけですから。
誤解されると困るのですが、土壌そのものに戻るということではありません。あくまでその土壌と
の「関係性」に戻るということです。そこには大きな違いがあります。外国暮らしから日本に戻って
きて、一種の揺り戻しというか、妙に愛国的(ある場合には国粋的)になる人を時折見かけますが、
僕の場合はそういうのではありません。自分が日本人作家であることの意味について、そのアイデン
ティティーの在処(ありか)について、より深く考えるようになったというだけです。
僕の作品は今のところ五十を超える言語に訳されています。これはずいぶん大きな達成であると自
負しています。それはとりもなおさず、いろんな文化のいろんな座標軸の上で作品が評価されている
ということですから。僕は一人の作家としてそのことを嬉しく思うし、また誇りにも感じています。
でも「だから僕のやってきたことは正しかったんだ」という風には考えませんし、そんなことを口に
するつもりもありません。それはそれ、これはこれです。僕はいまだに発展の途上にある作家だし、
僕にとっての余地というか、「伸びしろ」はまだ(ほとんど)無限に残されていると思っているから
です。
それでは、どこにそのような余地があるとおまえは思うのか?
その余地は自分自身の中にあると僕は思っています。まず日本で僕は作家としての地歩を築き、そ
れから海外に目を向け、読者の層を広げました。そしてたぶんこの先、僕は僕白身の内部に降りてい
って、そこをより深く遠くまで探っていくことになるだろうと思います。それが僕にとっての新しい
未知の大地となり、おそらくは最後のフロンティアとなることでしょう。
そのフロンティアがうまく有効に切り拓けるかどうか、それは僕にもわかりません。しかし繰り返
すようですが、何かしらの旗印を目標として掲げられるというのは素晴らしいことです。たとえ何歳
になろうが、たとえどんなところにいようが。
「第11回 海外へ出て行くフロンティア」
村上春樹
何かしらの旗印を目標として掲げられるというのは素晴らしいことです。たとえ何歳になろうが、たと
えどんなところにいようが――いいですね。『デジタル革命渦論』のおかげもあるでしょうが?同感と共
感の部屋中に割れんばかりの拍手を送っています。さて、次回は最終章の「第十二回 物語のあるところ・
河合隼雄先生の思い出」へ移る。
【逆境を超え世界記録を達成】
マルクス・レーム 8.40メートルの世界新記録達成@ドーハー障害者陸上競技。
【ジャジーな風に吹かれてⅡ:ル・アームストロング】
ルイは飛びきりの「大衆演芸家」といわれる。本人は「芸術家」などとは考えていなかったかが、実際に
は類例のない芸術家だったと。ジャズ史上最も初期の、その最も偉大な例が彼のホット・ファイヴとセヴ
ンの吹込(25~28年)だ。オーケー吹込を集大成した8枚組セットは、大衆芸術家の生んだ芸術が燦
然と輝いてる。ジャズの飛躍の起爆剤となった屈指の名演奏といわれている。
ルイ・アームストロングはニューオリンズに生まれた。子供の頃から大く良く通った声だったので、新聞
売りをしたり、スパズム・バンドで近所を廻りチップを稼いでいた。これは洗濯板、金たらい、葉巻煙草
の箱で作ったギター等を使って演奏するドタバタバンドで、手足をバタバタさせたり、身体を痙撃させた
りして、とにかく人目をひき、チップを貰うバンドの事である。貧しい子供たちのボロボロの服は穴だら
けで、コインを口の中に入れてもらっていた。ルイの口は並外れて大きく、皆から「サッチェル・マウス」
(がまロ)と呼ばれていたのが縮まり「サッチモ」という渾名で呼ばれ始める。
その後、ルイ・アームストロング・オールスターズを結成、『タウン・ホール・コンサート』、『アット・
シンフォニー・ホール』、『サッチモー950』の歴史的名演奏を世界に送り出し名声を得た。少年時代
から厳しい人種差別の中で培われたエネルギーをトランペットで燃焼させ――米国の影は米国太陽を生む
――しゃがれた温かい歌声で世界中の人々の心を癒した類稀な不滅の巨匠である。
「ジャズ?あなたはその柄じゃない」と彼女が言い放つ。バカ言うな、曾根崎界隈を学校をただ通ってい
ただけでジャズは染みつき「ソウル」の一部となっているのだ。そんこともわからないのか、このブス(
毒婦)!と心で思い ながら言葉を押し殺し、気まずい雰囲気が続く。偉そうにジャズの解説するヤッ―
村上春樹もそのひとりかって?それは小説のなかでの話だ。よくわからないってか?どうでもいいじゃな
いか――がいるが、そんなことはお構いなしだろと、そう正直に思う。