天才は誤りはおかさない。天才のエラーは意志によるもので、発見の門なのである。
ジェイムズ・ジョイス 『ユリシーズ』
A man of renius makes no mistakes, His errors are volitlonal and are the portals discovery.
James Joyce : Ulyses
※ volitional : 意志による portal : 入口
February 1882 – 13 January 1941
【中国の思想: 墨子Ⅴ】
公輸――墨子と戦争技術者※
尚賢――人の能力を正当に評価せよ
兼愛――ひとを差別するな※
非攻――非戦論
節葬――葬儀を簡略にせよ
非楽――音楽の害悪
非命――宿命論に反対する
非儒――儒家批判
親士――人材尊重
所染――何に染まるか
七患――君子の誤り七つ
耕柱――弟子たちとの対話
貴義――義を貴しとなす
公孟――儒者との対話
魯問――迷妄を解く
● 所染 ― 何に染まるか ―
用いる染料が変われば、仕上がる色も変わるように、君子も臣下も、周囲にいる人のよしあしに
よって運命が左右される。優子が糸を染める光景をみて、ともすれば他人に染まり、自己の判断を
あやまりやすいことを悲しんだ故事として伝えられる一編である。
「蒼に染むれば蒼となり、黄に染ひれば黄となる。入るところのもの変ずれば、その色もまた変ず」
「善く君たる若は、人を論ずるに労して、官を治むるに侁す」
1、国にも染まりかたがある
あるとき、墨子は糸を染めている光景をみて、深く嘆息した。
「藍草で染めると青色となり、黄色の染料で染めると黄色となる。用いる染料が変われば、仕上が
る色も変わる。つまり、何を染料とするかによって、仕上がりがさまざまにちがってくる。してみ
ると、染色作業はよほど慎重でなければならない」
これは糸を染める場合にかぎらない。国にもいろいろな染まりかたがある。たとえば―――
舜は許由や伯陽に染まり、禹は皋陶や伯益に染まり、湯玉は伊尹や仲虺に染まり、武王は太公や周
公に染まった。この四人の王は用いた染料がよかったので、天下の王となり、功名は嗚りひびいだ。
仁義にすぐれた人物をあげる場合、世の人々はきまってこの四人の名をあげる。
いっぽう、夏の桀王は干辛や推哆に染まり、殷の紂王は崇優や惡來に染まり、王は公長父、榮夷
終や蔡公穀に染まり、幽王は傅公夷や蔡公穀に染まった。この四人の王は用いた染料がよくなかっ
たので国は滅びわが身は死に追いやられ、天下の笑い者となった。不義をはたらいた恥知らずな人
物をあげる場合、世の人々はきまってこの四人の名をあげる。
時代はくだって、斉の桓公は管仲や鮑叔に染まり、晋の文公は舅犯や高偃に染まり、楚の荘王は
孫叔や沈尹に染まり、呉王闔閭は伍員や文義に染まり、越王勾践は范蠡や大夫種に染まった。この
五人の君主は用いた染料がよかったからこそ、諸侯の覇者となり、功名は後世に伝わったのである。
いっぼう晋の范吉射は長柳朔や王胜に染まり、中行寅は籍秦や高彊に染まり、呉王夫差は王孫雒
や太宰嚭に染のまった。また、晋の知伯搖は智國や張武に染まり、中山尚は魏義や偃長に染まり、
宋の康王は唐鞅や佃不禮に染まった。
この六人の君主は用いた染料がよくなかったため、国家は破滅し、わが身は処刑の憂き目にあい、
宗廟は破壊され、子孫は絶え、君臣は離散し、人民は他国へ逃れ去ったのである。非道な政治を行
なった代表といえば、きまってこの六人の名があげられる。
子墨子言見染絲者而歎曰。染於蒼則蒼、染於黃則黃、所入者變、其色亦變。五入必而已、則為
五色矣。故染不可不慎也。非獨染絲然也、國亦有染。舜染於許由1、伯陽、禹染於皋陶、伯益、
湯染於伊尹、仲虺、武王染於太公、周公。此四王者所染當、故王天下、立為天子、功名蔽天地。
舉天下之仁義顯人、必稱此四王者。夏桀染於干辛、推哆、殷紂染於崇侯、惡來、王染於公
長父、榮夷終、幽王染於傅公夷、蔡公穀。此四王者所染不當、故國殘身死、為天下僇。舉天下
不義辱人、必稱此四王者。齊桓染於管仲、鮑叔、晉文染於舅犯、高偃、楚莊染於孫叔、沈尹、
吳闔閭染於伍員、文義、越句踐染於范蠡大夫種。此五君者所染當、故霸諸侯、功名傅於後世。
范吉射染於長柳朔、王胜、中行寅染於籍秦、高彊、吳夫差染於王孫雒、太宰嚭、知伯搖染於智
國、張武,中山尚染於魏義、偃長、宋康染於唐鞅、佃不禮。此六君者所染不當、故國家殘亡、
身為刑戮,宗廟破滅、絕無後類、君臣離散、民人流亡。舉天下之貪暴苛擾者、必稱此六君也。
凡君之所以安者、何也以其行理也、行理性於染當。故善為君者、勞於論人、而佚於治官。不能
為君者、傷形費神、愁心勞意、然國逾危、身逾辱、此六君者、非不重其國、愛其身也。以不知
要故也。不知要者,所染不當也。非獨國有染也、士亦有染。其友皆好仁義、淳謹畏令、則家日
益、身日安、名日榮、處官得其理矣、則段干木、禽子、傅說之徒是也。其友皆好矜奮、創作比
周、則家日損、身日危,名日辱、處官失其理矣、則子西、易牙、豎刀1之徒是也。詩曰。必擇所
堪。必謹所堪者、此之謂也。
《五人の君子》斉の桓公(前613-592)、晋の文公(前636-628)、
楚の荘王(613-591)、呉王閣閣(前514-496)、越王勾践(前49
6-465)。いずれも、春秋時代の覇者として諸侯に君臨した。
《茫吉射、中行寅、知伯搖》春秋時代末、晋国の実権は六卿とよばれる有力な家臣
団の手に移った。韓・魏・趙・范・中行・知の六氏である。范吉射、中行寅はそれ
ぞれ芭氏、中行氏の子孫であり、前五世紀半ば、他の四氏によって滅ぼされた。知
伯搖も知氏の族長として、一時晋国の実権を握ったが、韓・魏・趙の連合軍に滅ぼ
され、これ以後、腎は三国に分割された。
《呉玉夫差》呉玉闔閭の子、在位前495-473年。越王勾践に滅ぼされた。
《中山尚》中山は国名。魏の公子弟の子孫に当たるが、その時代は崇子より後であ
る。。
《宋の康王》在位前328-286年。斉の湣王によって絨ぼされた。
悲染、ともすれば他人に染まり、自己の判断をあやまりやすいことのたとえとして、伝えられる
故事である。李白の「古風」はこの故事をふまえてこううたっている。
惻惻泣路岐 哀哀悲素絲
路岐有南北 素絲易變移
惻惻として路の岐れに泣き
哀哀として素き絲を悲しむ
路の岐れは南北あり
素き絲は変移し易し
※ 太白の古風五十九首は老荘的色彩を帯びつつも現実主義的諷刺を詩経精神への回帰をもって
結んでいる(大野實之助「李白の古風五十九首」2011.12.28)。
、
パーティー
昨日の夜、ひとりで、愛する人から三千マイルも
離れたところで、僕はラシオをジャズの局にあわせ、
大きな鉢いっばいのポッブコーンを作った。
たっぷり塩をふって。上からとろりとバターもかける。
明かりを消し、ポップコーンとコークの缶を手に、
窓の前の椅子にどっかり腰をおろした。この世界の
大事なことなんてみんな残らず忘れてしまった。ポップコーンを
食べなから、窓の外のどんよりと暗い海と、
町の明かりを眺めているあいだは。
ボッブコーンはバターでべとべと、
塩まみれ。僕はそれをぱくぱく食べて、あとには
はじけ損ないかひとつまみ残っているだけ。それから
手を洗った。もう二本ばかり煙草を吸いながら、
あとに残ったささやかな音楽のビートに
耳を澄ませた。あたりはすっかり静まっていた。
海の水はまだ相変わらず流れているけれど。侠が立ち上がって
三歩あるいて、ターン、また三歩あるいて、ターンというのを
やっているあいだに、風が最後にひとつ大きくぐらっと家をゆらせた。
それから侠はベッドに入って、いつもみたいに
一点の曇りもなく眠った。いやいや、これが人生というもの。
でも僕は思った、これはひとこと書き置きしとかなくちゃな、と。
どうしてこんなに居間が散らかっているのか、
昨夜ここで何がおこなわれていたかという説明がいるな、と。
万が一僕の明かりが消えて、ぽっくりいってしまったときのために。
そう、昨夜ここでパーティーがおこなわれたんだょ。
そしてラジオはまだつけっぱなしになっている。オーケー。
でももし僕が今日死んだら、それは幸せな死だね――愛しい人の
ことを想い、あと最後のポップコーンのことを想っているんだから。
The party
あの男のことを わたしに 語ってください ムーサよ 数多くの苦難を経験した「あの男」を……
Ἄνδρα μοι ἔννεπε, Μοῦσα, πολύτροπον, ὃς μάλα πολλὰ
Odyssea
【非定期なメモ書き】
深夜に繰り広げられた清原容疑者の逮捕劇。2年前に逮捕目前の噂があったとか、最近、ブログを立
ち上げ、英語で"adapter ; アダプター"と呼ぶらしいが、現役引退後のセカンドライフへの移行がスム
ーズに行けず、喪失・虚無の深淵から必死に這い出すため、リアルな映像を貼り付け心情を吐露して
いたてことをニュース番組で解説していた。この時期の不安定な心情は誰しも経験することで特別扱
いするほどでもでもないのだが、「さみしかったんや」と語った江夏豊(1993年覚せい剤取締法違反)
を思い出し、大選手も心の葛藤(complications)の呪縛から解放することの困難さ(difficulty)を目の
あたりにしている。おなじPL出身のライバル?の桑田真澄と比較するのも気が引けるが、鮮やかな
コントラ(contrast)を見せつけが、いずれにしても、偉大な人間より凡夫の方が気軽なのかもしれな
い。いや、絶対にそうなんだろう。
彼女が、朝日新聞の切り抜きを持ってきて、なんで、原発を再稼働させるのかしらと言うので、確認
の意味で、法的道義違反をしゃべり応え、ホームページに掲載する。膨大な税金を投入しながら、計
り知れないリスクをさらに増大させるというのだから、この国はどこか狂っている。
朝日新聞 Feb 03.2016
もうひとつ。今夜は彼女が節分でたねやの富久豆の面をかぶり、豆まきをするという。さて、どうい
うことになるのやら。楽しみではある・・・。