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遠近両交・非攻結合論

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      日本では80何パーセントかの人が、自分は中流だと思っているわけです。食事の世話
                 くらいは誰かがしてくれるわけで、そういう社会になっているから自立が遅れる面があ
                 ります。どこからの時点で意志的に働きに出て、持続性のある仕事につく転換点がくる
                 はずで、結婚だったりするのでしょうが、いまの社会ではそれが割合に遅くてすむとい
                 うことなのでしょう。

                                                                               吉本 隆明

 

                                   

                                          Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

 

        ※ トップテンの富裕層が2%の所得を寡占する時代にあって、中流階級にいると錯覚
          する人が80数パーセントもいるとは驚くばかりであるが、多角的な視点からの分
          析が必要。 
 

 

 
 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】

 

  ● 目 次

   解題
   秦
   斉
   楚
   趙
   魏
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山

 

   秦

  黄河上流、函谷間の西、当時なお未開の地にあった秦(都は咸陽)が他国から。"虎狼の国"としてその富強
 を恐れられたのは、孝公のとき、商君を用いて大改革を行なってからのことだ。中央集権国家となった秦は、
 以後、張儀の連横策、范睢の遠交近攻を国是とし、着々と勢力を拡大する。勇将白起の力も大きかった。そし
 てついに、前221年、始皇の手で天下を統一した。

  「貧窮なれば、父母も子とせず」
  「人の世上に生まるる、勢位富厚、けだしもって忽せにすべけんや」
  「わが妻たらば、そのわがために人を罵らんことを欲す」
  「王、遠く交りて近く攻めんにはしかず。寸を得れば王の寸なり、尺を得るもまた王の尺なり」
  「一臣のために屈して天下に勝つなり」

    ● 遠交近攻 

       ――いくつかの勢カがいりまじっているとき、だれと結んで、だれと戦うか。自己保存のために
         は容赦は無用だ、として説きおこす戦略のすさまじさ。

  范睢が秦の昭王に説いた。

 「お国はまことに天険の地、北には甘泉、谷口、南には泥水、澗水、西には贈、蜀、東には函谷関、商阪の要
 害があります。また戦車は子柄、勇卒百万を擁しています。この武力をもって諸侯に当たるのは、名犬・韓盧
 がびっこの兎を追うようなもの。天下に覇を称えるのも難事ではありませぬ。それなのに、国境の守りを固め
 るばかり、あえて函谷関以東に出撃なさらぬのは、宰相穣侯の補佐がよろしくないからであって、王の落度で
 もあります」
 「どうして落度だというのか」
 「隣接の韓・魏をとび越して、遠い強国の斉を攻めるのは愚策であります。少々の兵力では、斉は破れません。
 かといって大軍をくり出せば、本国が危い。そこで、ご自分の兵はなるべく出さないで、韓・魏の兵を使おう
 となさる。それでは義にはずれています。
  また、同盟国が信頼できないのに、それをとび越して斉を攻めるのは、上策とは申せません。むかし、斉が
 楚を攻めたとき、さんざん相手をけちらして、大いに領土拡張の勢いをみせながら、結局わずかの土地も確保
 できずに終わりました。いかに領土が欲しくても、遠すぎて守り切れなかったからです。しかも、戦いで疲弊
 し、君臣の不和をまねいた斉は、諸侯に攻められて破れました。こうして、斉王は恥を天下にさらしました。
 それというのも、遠国の楚を討つことに熱中し、近隣の韓・魏をふとらせてしまったからです。まるで山賊に
 武器を貨し、盗人に食糧を与えるようなものではありませんか。
  王よ、遠国と結んで近隣を攻めるのがよろしい。一寸の地を得ればその一寸が、一尺の地を得れば、その一
 尺が、確実に王の領土となります。この良策を捨てて遠国を攻めるなど、誤りもはなはだしい。
  それにこういう例もあることです。かつて趙が五百里四方もあった隣国の中山を併呑した際、他の諸国の介
 入をいっさい許しませんでした。それというのも他の利を得ていたからこそできたのです。
  かの韓・魏は、中原に位置する国、 まさに天下の要です。天下に絹を称えようとするなら、まず韓・魏と
 結んで中原に進出し、楚と趙に圧力をか けるのです。趙が強ければ楚が、楚が強ければ趙が、秦になびきま
 しょう。両国ともになびけば、斉は必ず恐れて、鄭重に朝貢を請うてまいります。そうなれば、韓・魏を滅ぼ
 すのは難しいことではありません」
 「魏と親しくしたいが、なにしろ信頼のおけない国なので、因っている。どうしたものか」

  范睢は答えた。

 「こちらから朝貢してはなりません。土地を与えて機嫌をとってもいけません。攻撃するにかぎります」
  昭王は、魏の邢丘を攻めた。邢丘が陥ると、魏は朝貢を詔うた。范睢はさらに昭王に説いた。

  秦と韓の国境は、刺繍の糸のように交錯しております。秦から見れば、韓は木食虫、腹の病であります。ひ
 とたび変事が起これば、韓ほど厄介な国はありません。韓を味方につけておくべきです」
 「そうしたいとは思うが、相手がきかなければ、どうする」
 「韓の榮陽を攻めれば、成皐への通は不通になります。太行山の道を分断すれば、上党の兵は南下できません。
 そのすきにどっと榮陽を攻める。相手は三分され、滅亡は必至です。韓はそれがわかっています。従わないは
 ずはありません。韓が従えば、天下に剖を称えることができましょう」
 「なるほど」
 と、昭王は答えた。



 〈范睢〉 魏の人、宇を叔といった。長い間不遇な生活を送ったが、秦に行って昭王(在位・前306~25
 1年)に上書したことがきっかけとなって認められ、宰相にとりたてられる。かれが秦の昭正に説いた遠交近
 攻――遠国と結んで近隣を攻める――は、この後、秦の国是となり、秦の勢力拡大に大きな助けとなった。中
 原〉 中国ともいう。一口に東夷・南蛮・西戎・北秋と称された四方の蛮族から区別して、黄河中流に建国し
 た国々が、"中国"となのった。戦国時代でいえば、韓・魏・趙などの位置したあたりで、今の河南省を中心と
  した地域である。

古色蒼然とした武力(軍事力)を持って「遠交近攻」で領土を拡張し世界統一を図る帝國主義遺制から脱却するに
は、非軍事手段と"遠近両交論"で互いの国を解く努力を行っているのだろうか?!と再考を迫まる。戦前は、抗日
戦争に邁進すべく国民党と手を結び(国共合作)し敗戦とともに国共内政再開の後政権奪取に成功する、戦後は、
抗米、抗日、抗ソナショナリズムをバネとして「帝國のロングマーチ」を続けているが、その野望は単一国家によ
る覇権か中米ロの邦連(トロイカ)覇権なのか?どちらにしろ、中国の帝国主義膨張による、長期亘る膨大な軍事・
経済負担と国内外の人権抑制に耐きれず体制崩壊が待ち受けている。それの回避行政システム――たとえばリコー
ル制に是正――よるの構築に成功できるのか、強権政治に保守反動するのか細心要注意である。


                                            この項つづく

 


● 折々の読書  『China 2049』18


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     

                                                   マイケル・ピルズベリー 著
                                                   野中香方子 訳   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年
マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年
先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容とな
っている。 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

   第3章 アプローチしたのは中国 

                                  東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)

                                        毛主席への覚え書き(1969)より引用  

  カーター大統領はまた、1979年ごろ、中国北西部に信号情報を傍受する基地を設立することを許可した。
 この件については、元CIA秘密諜報員で後に駐中大使になったジェームズ・リリーが回想録「チャイナハン
 ズ 元駐中アメリカ大使の回想1916~1991」に記している。

  「わたしがCIAから勲功メダルを授与された理由の一つは、北京にCIA支局を開設したことで、もう
  一つは、戦略情報の収渠を中田と協力する体制を整えたことだ,{中略)突拍もないアイデアだと思える
  かもしれない,何しろほんの数年前までベトナムで代理戦争をしていたアメリカと中国が、対ソの情報収
  集で協力しようというのだから(注55)」

  1978年、わたしは上院予算委員会で専門スタッフとして働きながら、国防総省の顧問も務め、そこでは
 相変わらず中国関連の機密情報を分析したり、報告書にまとめたりしていた。1980年、ロナルド・レーガ
 ンが2期目を目指して大統領選に立候補したとき、わたしは顧問団のメンバーに指名され、外交政策に関する
 最初の選挙演説の、草稿の作成を手伝った。草稿には、アメリカははるかに大きな脅威であるソ連を打倒する
 ために中国を助けるべきだという、顧問団に共通する見解を盛り込んだ,レーガンが選挙で勝つと、わたしは
 政権移行チームのメンバーに選ばれた,当時のわたしは依然として、中国といっそう協力すべきだと主張して
 いた。国務長官のアレクサンダー・ヘイグはそんなわたしに力を貸してくれた。彼はカーター政権下で進めら
 れた、中国との初期の交渉のすべてを知っており、国務長官として北京を訪問するとともに、中国への武器輸
 出を公に提案した。

  1981年にレーガン大統領が著名したNSDD(国家安全保障決定令)11は、人民解敗軍の戦闘能力を
 国際レベルにまで底上げするために、先進的な空軍、陸軍、海軍およびミサイルの技術を中国に売ることを国
 防総省に許可するものだった。翌年出されたNSDD12は、中国の軍嘔力と民生用核開発(原子力発電所)
 計画を拡大するために、核分野で米中が陥力することを提言した。
  レーガンは前任者たちの対中政策に強い疑念を抱いており、それを巡って政権内の意見は大きく対なした。
 レーガンは、わたしを含め、波の政隆を支える中国専門家の大半より鋭く、中国の本質を見抜いていた。しか
 し、表面的には、中国を強くしようというニクソン・フォード・カーター路線を踏襲し、1984年のNSD
 D140では「強く安全で安定した中国はアジアと世界の平和を保つ力になるはずなので、その近代化を助け
 よう」と述べている(暗示的だが、国家安全保障会議のスタッフはNSDD140へのアクセスを厳しく制限
 した。それは15部しか作成されなかった――おそらく、中国強化という異論の多い目標の概略が記されてい
 たからだろう(注56)。

  レーガンは、中国に武器を輸出して軍服力強化を支援し、台湾への武器輸出は削減しようとする指示書に署
 名した,しかし前任者と違って、重要な意味を持つ但し書きを添えた。それは「対中支援は、中国がソ連から
 の独立を維持し、拙誠的体制の民主化を図ることを条件とする」というものだ。しかし残念ながら、この但し
 書きを彼の顧問団はほとんど無視し、どういう理由からか、レーガン自身も無視した。加えて、レーガン政権
 は、遺伝工学から自動化、バイオテクノロジー、レーザー、宇宙工学、有人宇宙飛行、知能ロボット工学にい
 たる分野で中国が新たに設立した研究機関を、財政と教育の両面で支援した。さらにレーガンは、中国の軍事
 使節団が、アメリカの安全保障の核の一つである国防総省国防高等研究計画局、すなわちインターネットやコ
 ンピューター・ネットワークといったハイテクプログラムを開発した研究機関を訪問することさえ承認した。

  レーガン大統領の在任中、米中が交わした軍事に関わる密約は、以前なら考えられなかったレベルにまで拡
 大した。米中は密かに協力して、反ソ連のアフガン反乱軍、クメールルージュ、アンゴラの反キューバ勢力に
 軍需品を提供した。中国は、ベトナムによるカンボジア占領にも対抗した。5万人のゲリラ兵の武装を含む、
 このカンボジア支援については、THe Combodian Warsという本で4名のCIA幹部が詳細を暴露し、議論して
  いる(注57)。ジョージ・クライルの著作、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』では、他のCIA幹部が
 さらに大きな秘密を暴露した。それはアメリカが中国から武器を20億ドル分購入し、反ソ連のアフガン反乱
 軍に提供したというものだ(注58)。キッシンジャーの回想録は、アンゴラでも米中は秘密裏に協力したと語
  っている(注59)。

  中国はなぜ、これほど大規模な隠密作戦をアメリカと協力して行おうとしたのだろう。本当のことは、中国
 政府がその記録を公開するか、非常に高位の要人が亡命するまでわからないだろう。ともあれ、中国が、アメ
 リカの力とテクノロジーを利用して、自国を長明的に増強しようとしていたのは確かだ,その本意は、「囲碁」
 の戦略、すなわち、ソ連による包囲を阻止することにあったようだ。中国が了フソンで先頭集団に良い込もう
 としているとは誰も想像すらしていなかった。それは中国が一貫して、アメリカの保護を必要とする、防衛が
 精一杯の弱々しい国というイメージを巧みに装っていたからにほかならない。

  ニューヨーク・タイムズ紙の記者、パトリック・タイラーによると、10番目のプレゼントとして、アメリ
 カはソ連との国境沿いで中国と協力して情報を収集することを約束した。これは密かに「チェスナット作戦」
 と命名された。1979年8月、カーターの副大統領のウォルター・モンデールが訪中した折に、国防総省と
 CIAはこの作戦で用いる機材を軍用輸送機で中国に運んだ,タイラーによると、中国はその輸送機、C14
 1スターリフターを、ソ連のジェット旅客機の隣に駐機させ、米中の協力がソ連に見えるようにしたという(
 注60)。

  タイラーによると、この時に作られた通信監視基地は、ソ連の防空施設からのレーダー信号や、航空交通に
 関する情報を収集するだけでなく、KGBの通信を傍受することもできた。また、ソ連の核兵器の警戒すべき
 変化も検知できた(注61)。そのおかげで中国は、仮にソ連に攻撃されても、態勢を整える時間の余裕を持て
 るようになった。1979年2月にソ連を後ろ盾とするベトナムがカンボジアに侵攻し、同年12月にソ連が
 アフガニスタンに侵攻するというきな臭い時代にあって、中国の安全保障は格段の進歩を遂げた。忍従の末に
 中国は、6年前にキッシンジャーとイクレとわたしが提案したよりずっと多くの支援を手に入れつつあった。

注55  James Lilley and Jeffrey Lilley, China Hands: Nine Decades of Adventure, Espionage, and Diplomacy in Asia (New
          York: Public Affairs, 2004), 214-15.
注56. NSDD120で、レーガン大統領は、アメリカ政府に「特に技術移転の自由化により、中国の近代化への努力に支援を
          差し伸べるyう指示した。NSDD 120, "Visit to the US of Premier Zhao Ziyang,” January 9, 1984,以下のサイトで人
          手可能。http://www.fas.org/irp/offdocs/nadd/  NSDD140は、「強く、安全で安定した中国は、平和のため成長する
    力となりうる」と断言した。NSDD 140. "‘President's visit to People's Republic of China,” Apr.21,1984,以下のサイト
          で人手可能。http://www.fas.org/irp/offdocs/nsdd/nsdd-140.pdf.
注57. Kenneth Conboy,The Cambodian ars; Clashing RMIES AND CLA Covert  Operation(Lawrence: Univcrsity Prcss of
          Kansas,2013).以下も参照。Andrew Mertha,Brothers in Arms Chinese Aid to the Khmer Rouge, .1975-1979(lthaca.
          NY: CornlI University Press,2014).
注58.  George Crile,Charlie Wilso's War: The Extraordinary Story of the Largest Covert Opertion in History (New York:
           Atlantic Monthly Press. 2003).
注59.  Kissinger、Ycarsof Renewal, 819.
注60.  Tyler,Great Wall, 284. 
注61.  同上、285.テイラーは 注97 でカーター他8名の大統領の名を挙げている。

                                                                                                                                                                                  この項つづく   

  ● 乞うご期待!

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