隠公四年、州吁(しゅうく)の乱とその後 / 鄭の荘公小覇の時代
※ 四年春、衛の公子州吁が桓公を殺して、みずから位についた。おりから
魯の隠公は、先年の宿(国名)における宋の殤(しょう)公との盟約を
更新する時期が近づいていたので、その準備をすすめていたところであ
った。そこへこの報せである。そこで隠公は予定を変更して、とりあえず
同年夏、殤公と清(衛の邑)で略式の会合を行なった。当時、宋は鄭と
反目していた。すなわち、先年、殤公が位についたとき、公子馮(ひょ
う)は鄭に出奔したが、公子に同情した鄭は、かれを宋に送り入れよう
と画策していたのである。さて衛の州吁が位につくと、一つには先君荘
公が鄭に受けた怨みをはらし、また一つには諸侯の信用をかち得ることで、
民衆の反感をやわらげるため、宋に使者を派遣して、こう申し入れた。
「今こそ鄭を討って、邪魔な存在をとり除くとき。もし貴国が立ち上が
るなら、及ばずながらわが国も助勢をくり出し、陣・蔡両国とともにお
味方いたす所存である」宋は、この申し出を受諾した。当時、衛と陣・
蔡両国とは同盟関係にあった。かくて、宋、衛、陣、蔡の四カ国は鄭を
攻撃した。鄭の都城の東門を囲むこと五日で、この戦いは終わり、連合
軍は兵を引き揚げた。「あれで、衛の州吁は君主がつとまるだろうか」
魯の隠公が首をかしげると、大夫の衆仲が答えた。「人民の反感をやわ
らげるのに徳に頼るなら話はわかりますが、力に頼るとはきいたことか
ありません。力に頼れば、あたかも糸がもつれるように、事態をますま
す悪くするだけです。州吁のように、武力を特んで残虐にふるまえば、
結果は明らかです。人民からは見放されるし、まわりの近親者からは孤
立して、とうてい君位を全うすることはできません。武力は火のような
ものです。使い方をあやまると、かえってわが身を火傷させてしまうの
です。もともと州吁は主君を殺し、武力を侍んで人民に臨んだ男です。
ところが、かれは反省して徳を身につけようとしないばかりか、いぜん
として力に頼って事を行なっているのですから、とうてい罪は免れませ
ん」
秋になって、諸侯はふたたび郎を攻めた。わが魯に対しても、宋公から
助勢を求めてきたが、隠公は断わった。そのとき、困ったことが起きた。
公子の羽父が隠公のところへやってきて、軍を率いて諸侯の軍に加わり
たいと言ってきたのである。隠公は許さなかったが、羽父は執拗に言い
はって、とうとう出陣してしまった。『春秋経』で、「車(羽父のこと)、
師を帥る」と記録しているのは、羽父の行動を非難しているのである。
秋の戦いでは、諸侯の軍は鄭の歩兵を敗走させ、稲を略奪して引き揚げ
た。
May 08, 2017:Paris 1.5°C target may be smashed by 2026
【急速に加速する地球温暖化】
● Interdecadal Pacific Oscillation(IPO)は今後10年間に地球温暖化が加速すると予測
メルボルン大学の地球物理学研究書によると、今後10年間に地球温暖化の急激に加速する可能性があ
ると予測している。1999年以来、マイナス期にあったが、2014年、2015年および2016年の連続した暖
かい年が記録され地球温暖化の加速が進行しているる。2031年までに地球温暖化対策の目標値である
1.5℃を突破する可能性が高いことを示しているとする。同報告書では、世界がパリ条約の目標を
達成を望むならば、政府は温暖化ガス排出量削減だけでなく、大気から炭素を除去すべきで1.5℃
の限界を超えると、地球温暖化を抑えその水準以下に制御する必要であると主張。
IPOは、10〜30年の期間にわたりゆっくりとした変化そのもに影響し、熱帯太平洋の海洋温度は異常と
なる、この地域以外の北南の地域では異常に冷たくなっている。過去には、1925-1946年から1977-19
98年にかけ、これらは両方とも、世界の平均気温が急激な上昇期間であった。世界は気温が下がった
1947年から1976年にかけ逆の経験をする。IPOの最近の今世紀の否定的な特徴は、世界平均の表面温
度が遅い速度で上昇し続けている。このため"政策立案者は、1.5℃にどれほど急速に接近している
ことを認識しなければいけない。排出削減の課題は本当に喫緊であるという。
【RE100倶楽部:太陽光発電篇】
● クラウドファンディング中:世界初のSolarGaps社製スマートブラインド
ウクライナの発明家Yevgen Erik が設立したSolarGap社のスマートなソーラーブラインドは、屋内生活
に革命を起こすかもしれない。同社によれば、外部設置することで10平方フィート(約0.93平方メート
ル)窓あたりで最大100ワット、内部設置の場合、最大50ワット発電でき、余剰電力は貯蔵、電力会社
に売電でき、また南向きの窓を備えた3部屋のアパートメントでは、1日あたり600ワット時または約
4キロワット/日も発電できる。また、このスマートブラインドは簡単に家庭用機器に電力供給できる、
発電状況がスマートフォーンやパソコンでリアルタイムでチェックすることができ、また、太陽の自動
追尾でブラインドの角度変更や上下動開閉の遠隔操作もできる。
Pledged of $50,000 gold: June 15 2017
現時点では、量子ドットハイブリット型なのか、ペロブスカイトハイブリット型太陽電池なのか不詳
(要調査)。このようなアイデアは国内特許で出願されているので抵触する可能があるものの、商品
として開示されたのは世界初となる。都会などのパネル設置が困難な空間では、このように、廉価、
薄膜で散乱光吸収型は最適である、例えば、氷点下から百℃の対応で、耐久性が10年以上で変換効率
が20%以上という基本仕様を満たせば、革命的に世界のエネルギー環境は一変する。その前駆体を担
うのがこの商品ではないかと考えている。これは楽しいことである。下記に、関連特許を参考掲載す
る(すでにこのブログで掲載済み)。
♞ doi:10.1038/nenergy.2016.157:Doctor-blade deposition of quantum dots onto standard window glass for
low-loss large-area luminescent solar concentrators
25 真実がどれほど深い孤独を人にもたらすものか
「あなたに折り入ってひとつお願いしたいことかあるのです」と免色は言った。
その声音から、彼はその話を切り出すタイミングを前々からずっとはかっていたのだろうと私
は推測した。そしておそらくはそのために私を(また騎士団長を)この夕食会に招待したのだ。
個人的な秘密を打ち明け、その頼みごとを持ち出すために。
「それがもしぼくにできることであれば」と私は言った。
免色はしばらく私の目をのぞきこんでいた。それから言った。「それは、あなたにできること
いうよりは、あなたにしかできないことなんです」
突然なぜか煙草が吸いたくなった。私は結婚するのを機に喫煙の習慣を断ち、それ以来もう七
年近く、煙草を一本も吸っていない。かつてはヘビースモーカーだったから、禁煙はかなりの苦
行だったが、今では吸いたいと思うこともなくなっていた。しかしこの瞬間、煙草を一本口にく
わえてその先端に火をつけられたらどんなに素敵だろうと、ずいぶん久しぶりに思った。マッチ
をする音まで間こえてきそうだった。
「いったい、どんなことなのでしょう?」と私は尋ねた。それがどんなことかとくに知りたいわ
けではなかったし、できれば知らずに済ませたかったが、話の流れとしてやはりそう尋ねないわ
けにはいかなかった。
「簡単に言いますと、あなたに彼女の肖像画を描いていただきたいのです」と免色は言った。
私は彼の口にした文脈を順の中でいったんばらばらに解体し、もう一度並べ直さなくてはなら
なかった。とてもシンプルな文脈だったのだけれど。
「つまり、あなたの娘さんかもしれないその女の子の肖像画を、ぼくが描くということですね」
免色は肯いた。「そのとおりです。それがあなたにお願いしたかったことです。それも写真か
ら起こしたりするのではなく、実際に彼女を目の前に置いて、彼女をモデルにして絵を描いてい
ただきたいのです。ちょうど私を描いたときと同じように、あなたのうちのスタジオに彼女に来
てもらって。それが唯一の条件です。どのような描き方をするかはもちろんあなたにお任せしま
す。好きなように描いていただいてけっこうです。あとのことは一切注文はつけません」
私はしばらくのあいだ言葉を失ってしまった。疑問はいくつもあったが、いちばん最初に順に
浮かんだ実際的な疑問を私は目にした。「しかし、どうやってその女の子を説得するのですか?
いくら近所に住んでいるとはいえ、まったく見ず知らずの女の子に『肖像画を描きたいからその
モデルになってくれないか』と持ちかけるわけにもいかないでしょう」
「もちろんです。そんなことをしたら径しまれ、警戒されるだけです」
「じやあ、何か良い考えをお持ちなんですか?」
免色はしばらく何も言わず私の願を見ていた。それからまるで静かにドアを開けて、奥の小部
屋に足を踏み入れるみたいに、おもむろに口を間いた。「実をいいますと、あなたが一番よく知
っています。そして彼女もあなたのことをよく知っています」
「ぼくは彼女のことを知っている?」
「そうです。その娘の名前は秋川まりえといいます。秋の川に、まりえは平仮名のまりえです。
ご存じでしょう?」
秋川まりえ。その名前の響きには間違いなく聞き覚えがあった。しかしその名前と名前の持ち
主とが、なぜかうまくひとつに結びつかなかった。まるで何かにブロックされているみたいに。
でも少しして記憶がはっと戻ってきた。
私は言った。「秋川まりえは小田原の絵画教室に来ている女の子ですね?」
免色は肯いた。「そうです。そのとおりです。あなたはあの教室で、講師として彼女に結の指
導をしています」
秋川まりえは小柄で無口な十三歳の少女だった。彼女は私の受け持っている子供のための絵画
教室に通っていた。いちおう小学生が対象とされている教室だから、中学生である彼女は最年長
だったが、おとなしいせいだろう、小学生たちに混じっていてもまったく目立たなかった。まる
で気配を殺すように、いつも隅の一方に身を寄せていた。私が彼女のことを覚えていたのは、彼
女が私の亡くなった妹にどこか似た雰囲気を持っており、しかも年齢が妹の死んだときの年齢と
だいたい同じだったからだ。
教室の中で秋川まりえはほとんど口をきかなかった。私が何かを話しかけてもこっくりと肯く
だけで、言葉はあまり口にしない。何かを言わなくてはならないときは、とても小さな声で話し
たので、しばしば聞き返さなくてはならなかった。緊張が強いらしく、私の顔を正面から見るこ
ともできないらしかった。ただ絵を描くのは好きなようで、絵筆を持って画面に向かうと目つき
が変わった。両目の焦点がくっきり結ばれ、鋭い光が宿った。そしてなかなか興味深い面白い絵
を描いた。決して上手というのではないが、人目を惹く絵だった。とくに色使いが普通とは違う。
どことなく不思議な空気を持った少女だった。
黒い髪は流れるようにまっすぐ艶やかで、目鼻立ちは人形のそれのように端正だった。ただあ
まりにも端正過ぎるために、顔全休として眺めると、どことなく現実から乖離したような雰囲気
が感じられた。客観的に見れば顔立ちは本来美形であるはずなのに、ただ素直に「美しい」と言
い切ってしまうことに、人はなんとな座戸惑いを抱くのだ。何かが――おそらくある種の少女だ
ちが成長期に発散する独特の生硬さのようなものが――そこにあるべき美しい流れを妨げている
のだ。でもいつか、何かの拍子にそのつっかえが取り払われたとき、彼女は本当に美しい娘にな
るかもしれない。しかしそれまでには今しばらく時間がかかりそうだった。思い出すと、私の死
んだ妹の顔立ちにもいくらかそういう傾向があった。もっと美しくてもいいはずなのに、とよく
私は思ったものだ。
「秋川まりえはあなたの実の娘であるかもしれない。そしてこの谷間の向かい側の家に住んでい
る」と私は更新された文脈をあらためて言葉にした。「彼女にモデルになってもらって、ぼくが
その肖像画を描く。それがあなたの求めていることなのですか?」
「そうです。ただ個人的な気持ちとしては、私はあなたにその絵を依頼しているわけではありま
せん。私はあなたにお願いしているのです。絵が出来上がったら、そしてもちろんあなたさえよ
ろしければ、私がそれを買い取らせてもらいます。そしていつでも見られるように、このデスク
に飾ります。それが私の求めていることです。というか、お願いしていることです」
しかしそれでもまだ、私には話の筋が今ひとつ素直に呑み込めなかった。物事はそれだけでは
終わらないのではないかという微かな危惧があった。
「求めておられるのは、ただそれだけなのですか?」と私は尋ねてみた。
免色はゆっくりと息を吸い込み、それを吐いた。「正直に言いますと、もうひとつだけお願い
したいことがあります」
「どんなことでしょう?」
「とてもささやかなことです」と彼は静かな、しかし僅かにこわばりの感じられる声で言った。
「あなたが彼女をモデルにして肖像画を描いているときに、お宅を訪問させていただきたいので
す。あくまでたまたまふらりと立ち寄ったという感じで。コ皮だけでいい、そしてほんの短いあ
いだでかまいません。彼女と同じ部屋の中にいさせてください。同じ空気を吸わせてください。
それ以上は望みません。また決してあなたのご迷惑になるようなことはしません」
それについて考えてみた。そして考えれば考えるほど、居心地の悪さを感じることになった。
何かの仲介役になったりすることを私は生来苦手としている。他人の強い感情の流れに―――そ
れがどのような感情であれ、巻き込まれるのは好むところではない。それは私の性格に向いた役
柄ではなかった。しかし免色のために何かをしてやりたいという気持ちが私の中にあることもま
た確かだった。どのように返事をすればいいのか、慎重に考えなくてはならない。
「そのことはまたあとであらためて考えましょう」と私は言った。「とりあえずの問題は、そも
そもそも秋川まりえが絵のモデルになることを承諾してくれるだろうかということです。それを
まず解決しなくてはなりません。とてもおとなしい子供ですし、猫のように人見知りをします。
絵のモデルになんかなりたくないと言うか心しれません。あるいは親が、そんなことは許可でき
ないというか心しれません。ぼくがどういう素性の人間なのかもわからないわけですから、当然
警戒もするでしょう」
「私は絵画教室の主宰者である松嶋さんを個人的によく知っています」と免色は涼しげな声で言
った。「それに加えて、私はたまたまあの教室の出資者というか後援者の一人でもあります。松
嶋さんがあいだに入って口を添えてくれれば、諾は比較的円滑に進むのではないでしょうか。あ
なたが間違いのない人物であり、キャリアを積んだ画家であり、自分かそれを保証すると彼が言
えば、親もおそらく安心するでしょう」
この男はすべてを計算してことを進めているのだ、と私は思った。彼は起こりそうなことをあ
らかじめ予測し、囲碁の布石のように、ひとつひとつ前もって適切な手を打っておいたのだ。た
またまなんてことはあり得ない。
免色は続けた。「日常的に秋川まりえの世話をしているのは、彼女の独身の叔母さんです。父
親の妹です。前にも申し上げたと思いますが、母親が亡くなったあとその女性があの家に同居し
て、まりえの母親代わりをつとめてきました。父親には仕事があり、日常の世話をするには忙し
すぎますから。ですからその叔母さんさえ説得すれば、ものごとはうまく運ぶはずです。秋川ま
りえがモデルになることを承諾したときには、おそらく彼女が保護者としてお宅まで付き添って
くるはずです。男が一人暮らしをしている家に、女の子を単独で行かせるというようなことはま
ずないでしょうから」
「でもそううまく秋川まりえがモデルになることを承諾してくれるでしょうか?」
「それについては任せてください。あなたさえ彼女の肖像を描くことに同意してくだされば、あ
とのいくつかの実務的な問題は私か手をまわして解決します」
私はもう一度考え込んでしまった。おそらくこの男はそこにある「いくつかの実務的な問題」
を「手をまわして」うまく解決していくことだろう。もともとそういうことを得意としている人
物なのだ。しかしそこまで自分かその問題に――おそろしくややこしく入り組んだ人間関係に
深く関わってしまっていいものだろうか。そこにはまた免色が私に明かした以上の、計画な
り思惑なりが含まれているのではあるまいか?
「ぼくの正直な意見を言ってかまいませんか? 余計なことかもしれませんが、あくまで常識的
な見解として問いていただきたいのです」と私は言った。
「もちろんです。なんでも言ってください」
「ぼくは思うのですが、この肖像画のプランを実際に実行に移す前に、秋川まりえが本当にあな
たの実子なのかどうか、調べる手立てを講じられたほうがいいのではないでしょうか? その結
果もし彼女があなたの実子でないとわかれば、わざわざそんな面倒なことをする必要はないわけ
です。調べるのは簡単ではないかもしれませんが、たぶん何かうまい方法はあるはずです。免色
さんならきっとその方法くらい見つけられるでしょう。ぼくが彼女の肖像画を描けたとしても、
そしてその結があなたの肖像画の隣にかけられたとしても、それで問題が解決に向かうわけじや
ありません」
免色は少し間を置いて答えた。「秋川まりえが私の血を分けた子供なのかどうか、医学的に正
確に調べようと思えば調べられると思います。いくらか手間はかかるでしょうが、やってできな
くはありません。しかし私はそういうことをしたくないのです」
「どうしてですか?」
「秋川まりえが私の子供なのかどうか、それは重要なファクターではないからです」
私は目を閉ざして免色の顔を見ていた。彼が首を振ると、豊かな白髪が風にそよぐように揺れ
た。それから彼は穏やかな声で言った。まるで頭の良い大型犬に簡単な動詞の活用を教えるみた
いに。
「どちらでもいいというのではありません、もちろん。ただ私はあえて真実をつきとめたいとは
思わないのです。秋川まりえは私の血を分けた子供であるかもしれない。そうではないかもしれ
ない。でももし仮に彼女が私の実の子供であったと判明して、そこで私はいったいどうすればい
いのですか? 私が君の本当の父親なんだよと名乗り出ればいいのですか? まりえの養育権を
求めればいいのですか? いや、そんなことはできっこありません」
免色はもう一度軽く首を振り、膝の上でしばらく両手をこすり合わせた。まるで寒い夜に暖炉
の前で身体を温めているみたいに。そして話を続けた。
「秋川まりえは今のところ、父親と叔母と一緒にあの家で平穏に暮らしています。母親は亡くな
りましたが、それでも家庭は――父親にいくらか問題はあるものの――比較的健全に運営されて
いるようです。少なくとも彼女は叔母になついています。彼女には彼女なりの生活ができあがっ
ています。そこに出し抜けに私がまりえの実の父親だと名乗り出て、それが真実であることが科
学的に証明されたとして、それで話がすんなりうまく収まるでしょうか? 真実はむしろ混乱を
もたらすだけです。その結果おそらく誰も幸福にはなれないでしょう。もちろん私も含めて」
「つまり、真実を明らかにするよりは、今の状況をこのままとどめておきたいと」
免色は膝の上で両手を広げた。「簡単に言えばそういうことです。その結論に達するまでには
時間がかかりました。しかし今では私の気持ちは固まっています。『秋川まりえは自分の実の娘
かもしれない』という可能性を心に抱いたまま、これからの人生を生きていこうと私は考えてい
ます。私は彼女の成長を、一定の距離を置いたところから見守っていくことでしょう。それで十
分です。たとえ彼女が実の娘であるとわかっても、私はまず幸福にはなれません。喪失がより痛
切なものになるだけでしょう。そしてもし彼女が自分の実の娘ではないとわかったら、それはそ
れで、別の意味で私の失望は深いものになります。あるいは心が挫けてしまうかもしれない。ど
ちらに転んでも、好ましい結果が生まれる見込みはありません。言わんとすることはおわかりい
ただけますか?」
「おっしやっていることはおおよそ理解できます。論理としては。でももしぼくがあなたの立場
にあるとすれば、やはり真実を知りたいと思うはずです。論理はさておき、本当のことを知りた
いと望かのが人間の自然な感情でしょう」
免色は微笑んだ。「それはまだあなたがお若いからです。私ほどの年齢になれば、あなたにも
きっとこの気持ちがおわかりになるはずです。真実がときとしてどれほど深い孤独を人にもたら
すかということが」
けて日々眺め、そこにある可能性について思いを巡らせること――本当にそれだけでかまわない
のですか?」
免色は肯いた。「そうです。私は揺らぎのない真実よりはむしろ、揺らぎの余地のある可能性
を選択します。その揺らぎに我が身を委ねることを選びます。あなたはそれを不自然なことだと
思いますか?」
私にはそれはやはり不自然なことに思えた。少なくとも自然なこととは思えなかった。不健康
とまでは言えないにせよ。しかしそれは結局のところ免色の問題であって、私の問題ではない。
私はスタインウェイの士の騎士団長に目をやった。騎士団長と私の目が合った。彼は両手の人
差し指を宙に上げ、左右に広げた。どうやらくその返答は先延ばしにしろ〉ということらしかっ
た。それから彼は右手の人差し指で左手首の腕時計を指さした。もちろん騎士団長は腕時計なん
てはめていない。腕時計のあるあたりを指さしたということだ。そしてもちろんそれが意味する
のは、〈そろそろここを引き上げた方がいい〉ということだった。それは騎士団長からのアドバ
イスであり、警告だった。私はそれに従うことにした。
「あなたのお申し出についての返答は、少し待っていただけますか? いささか微妙な問題です
し、ぼくにも落ち着いて考える時間が必要です」
免色は膝に置いた両手を宙に上げた。「もちろんです。もちろん、ゆっくり心ゆくまで考えて
ください。急がせるつもりはまったくありません。私はあなたに多くのことをお願いしすぎてい
るかもしれない」
私は起ち上がって夕食の礼を言った。
「そしてあなたが求めているのは、唯一無二の真実を知ることではなく、彼女の肖像画を壁にか
「そうだ、ひとつあなたにお話ししようと思って、忘れていたことがあります」と免色は思い出
したように言った。「雨田典彦さんのことです。以前、彼がオーストリアに留学していたときの
話が出ましたね。そしてヨーロッパで第二次大戦が勃発する直前に、彼がウィーンから急速引き
上げてきたことについて」
「ええ、覚えています。そんな話をしました」
「それで少しばかり資料をあたってみたんです。私もそのあたりの経緯にいささか興味があった
ものですから。まあずいぶん古い話ですし、ことの真相ははっきりとはわかりません。しかし当
時から噂は囁かれていたようです。一種のスキャンダルとして」
「スキャンダル?」
「ええ、そうです。雨田さんはウィーンでとある暗殺未遂事件に巻き込まれ、それが政治的な問
題にまで発展しそうになり、ベルリンの日本大使館が動いて彼を密かに帰国させた、そういう噂
が一部にはあったようです。アンシュルスの直後のことです。アンシュルスのことはご存じです
ね」
「一九三八年におこなわれたドイツによるオーストリアの併合ですね」
「そうです。オーストリアはヒットラーによってドイツに組み込まれました。政治的なごたごた
の未に、ナチスがオーストリア全土をほとんど強権的に掌握し、オーストリアという国家は消滅
してしまった。一九三八年三月のことです。もちろんそこでは数多くの混乱が生じました。どさ
くさに紛れて少なからぬ数の人が殺害されました。暗殺されたり、自殺に見せかけて殺されたり、
あるいは強制収容所に送られたり。雨田典彦がウィーンに留学していたのはそのような激動の時
代だったのです。噂によれば、ウィーン時代の雨田典彦には深い件になったオーストリア人の恋
人がいて、その繋がりで彼も事件に巻き込まれたようです。どうやら大学生を中心とする地下抵
抗組織が、ナチの高官を暗殺する計画をたてていたらしい。それはドイツ政府にとっても、日本
政府にとっても好ましい出来事ではありませんでした。その一年半ほど前に日独防共協定が結ば
れたばかりで、日本とナチス・ドイツとの結びつきは日を追って強くなっていました。だからそ
の友好関係を阻害するような事態が持ち上がることは極力避けたいという事情が、両国ともにあ
りました。そしてまた雨田典彦氏は若いけれど、日本国内では既にある程度名を知られた画家で
もあり、それに加えて彼の父親は大地主で、政治的発言力を持つ地方の有力者でした。そういう
人物を人知れず抹殺してしまうわけにもいきません」
「そして雨田具彦はウィーンから日本に送還された?」
「そうです。送還されたというよりは、救出されたと言った方が近いかもしれな
い。上の方の〈政治的配慮〉によって九死に一生を得たというところでしょう。そんな重大な容
疑でゲシュタポに引っ張られたら、仮に明確な証拠がなかったとしても、まず命はありませんか
ら」
「しかし暗殺計画は実現しなかった?」
「あくまで未遂に終わりました。その計画をたてた組織の内部には通報者がいて、情報はすべて
ゲシュタポに筒抜けであったということです。だから組織のメンバーは一網打尽に逮捕されてし
まった」
「そんな事件があったら、かなり大きな騒ぎになっていたでしょうね」
「ところが不思議なことに、その話はまったく世の中に流布していません」と免色は言った。
「スキャンダルとして密かに囁かれていただけで、公的記録も残されていないみたいです。それ
なりの理由があって、事件は関から関へと葬られたらしい」
とすれば、彼の絵『騎士団長殺し』の中に描かれている「騎士団長」とはナチの高官のことだ
ったのかもしれない。あの絵は一九三八年のウィーンで起こるべきであった(しかし実際には起
こらなかった)暗殺事件を仮想的に描写したものなのかもしれない。事件には雨田典彦とその恋
人が関連している。その計画は当局に露見し、その結果二人は離ればなれになり、たぶん彼女は
殺されてしまった。彼は日本に帰ってきてから、そのウィーンでの痛切な体験を、日本画のより
象徴的な画面に移し替えたのだ。つまりそれを千年以上昔の飛鳥時代の情景に「翻案」したわけ
だ。『騎士団長殺し』はおそらくは雨田具彦が自分自身のために描いた作品だったのだろう。
彼は青年時代の厳しく血なまぐさい記憶を保存するために、その結を自らのために描かないわけ
に はいかなかった。だからこそ彼は描きあげた『騎士団長殺し』を公にすることなく、堅く包
装して家の屋根裏に人目につかないように隠していた。
あるいは日本に戻ってきた雨田具彦が、洋画家としてのキャリアをきっぱりと捨て、日本画に
転向することになった理由のひとつは、そのウィーンでの事件にあったのかもしれない。彼は過
去の自分白身と決定的に離別したかったのかもしれない。
「あなたはどうやってそれだけのことを調べられたのですか?」と彼は尋ねた。
「私が実際にあちこちを歩き回って調べたわけではありません。知り合いのある団体に頼んで調
査してもらったんです。ただそうとう昔の話になりますし、話のどこまでが確実な事実なのか責
任は持てません。しかし複数のソースにあたったから、基本的には情報として信頼できるはずで
す」
「雨田典彦さんにはオーストリア人の恋人がいた。彼女は地下抵抗組織のメンバーだった。そし
て彼もその暗殺計画に加わることになった」
免色は首を少し傾けた。そして言った。「もしそうであればなかなか劇的な展開ですが、事情
を知る関係者はほとんど死んでいます。真実が正確にいかなるものであったか、もはや我々には
知るすべもなさそうです。事実は事実として、そういう話にはだいたい尾ひれがつくものです。
しかしいずれにせよメロドラマのような筋書きだ」
「彼自身がどの程度深くその計画に関係していたかまではわからない?」
「ええ、そこまではわかりません。私はただメロドラマの筋書きを勝手に思い描いているだけで
す。とにかくそのような経緯で雨田典彦氏はウィーンから追放され、恋人に別れを告げて――あ
るいは別れを告げることさえできず――ブレーメン港から客船に乗せられ日本に帰国しました。
戦争中は阿蘇の田舎にこもって深い沈黙を守り、戦後まもなく日本画家として再デビューを果た
し、人々を驚かせた。これもまたなかなかにドラマチックな展開です」
そこで雨田典彦についての話は終わった。
来たときと同じ黒いインフィニティが家の前で静かに私を待っていた。雨はまだ断続的に細か
く降り続き、空気は湿って冷えていた。本格的なコートの必要な季節がすぐそこまで近づいてい
る。
「わざわざおいでいただき、とても感謝しています」と免色は言った。「騎士団長にもお礼を申
し上げます」
こちらこそお礼を申し上げたい、と騎士団長が私の耳元で囁くように言った。しかしもちろん
その声は私の耳にしか届かない。私はもう一度免色に夕食の礼を言った。本当に素晴らしい料理
だった。堪能しました。騎士団長も感謝しているようです。
「食事のあとでつまらない話を持ち出して、せっかくの夜を台無しにしたのでなければいいので
すが」と免色は言った。
「そんなことはありません。ただお申し出については、もう少し考えさせてください」
「もちろんです」
「ぼくは考えるのに時間がかかります」
「それは私も同じです」と免色は言った。「二度考えるよりは、三度考える方がいい、というの
が私のモットーです。そしてもし時間さえ許すなら、三度考えるよりは、四度考える方がいい。
ゆっくり考えてください」
、 この項つづく