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レモンの花咲くZEB

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     荘公十年:長勺(ちょうしゃく)の戦い / 斉の桓公制覇の時代  
                  

                            

       ※ 西紀前六八四年、小国の魯が、強国有を敗った。魯国十五代目
         の君主荘公は、曹劌(そうけい)の戦術を採用して、前年秋の
         乾時の敗戦に報いたのである。魯にとって誇らしい戦いであっ
         た。しかも相手の有の桓公は、盟約にそむいて魯に侵攻して来
         たのであり、非は彼にあった。

       ※ 十年春のこと、斉はわが魯国にむかって軍を進めた。荘公が応
         戦の準備をしてい仁ときのこと、曹劌という者が、荘公に謁見
         を願い出ようとした。曹劌の郷里の人々はかれを押しとどめて
         言った。
         「お偉い方たちのなさることだ。われわれふぜいが嘴を入れる
         ことはあるまい」
         が、曹劌は、
         「お偉い方たちは了見がせまくて目さきがきかぬものだ」
         と言って、荘公にお目通りした。かれはまずとうきりだした。
         「何を頼みに戦をなさるのですか」
         荘公は答えた。
         「人民だ。日ごろ、わたしは私利をかえりみず、人民の生活の
         安定をはかり、衣食を十分にあたえてきたはずだ」
         「そのような恩恵に浴していろのは、ごく一部の特にすぎませ
         ん。そのために人民全部がついてくるとはかぎりません」
         「では神だ。神にはつねに誠意をこめて犠牲や宝物を供えてい
         る。きっと味方をしてくれよう」
         「そのような信頼は真実のものとは申しかねます。それで神が
         味方をしてくれるとはかぎりま廿ん」
         「それでは今までの公平な裁きかただ。訴訟事は大小を問わず
         必ず情理を尽して裁いてきたつもりだ」
.        「なるほど、それならば真心を尽くしたものと申せますから、
         戦の頼みにしてよいでしょう。一戦してしかるべきです。その
         際はわたしにもお供をさせてください」

         荘公はかれを兵車に同乗させ長勺(魯の地)で百の軍と椙まみ
         えた。荘公が太鼓を打とうとしたとき、曹劌は、「まだ早すぎ
         ます」と言って止めた。そして敵軍が三度目の太鼓を鴫らした
         とき、
         「さあ今です」
         と荘公を促した。荘公がいわれたとおりにすると、斉の軍は総
         崩れとなった。敵軍の乱れに乗じて、荘公が追撃しようとする
         と、曹劌はまた言った。
         「ちょっとお待ちください」
         そして兵車の上から見下ろして、敵の兵車の跡をしらべ、それ
         から軾(しょく:車前の横木)の上に立って、敵方を眺めてか
         ら、荘公に告げた。
         「よろしいでしょう」
         そこで魯の軍は斉の軍を追撃した。
         さて、勝利をおさめかのも、荘公は曹劌に向かってなぜ止めた
         のか、その理由をたずねだ。すると曹劌はこう答えた。
         「戦の勝敗を決するのは勇気です。勇気は、一度目の大鼓で湧
         き、二度目の大鼓で衰え、三度目の大鼓で消えるものです。敵
         の勇気が消えたときに、こちらの勇気が湧いたからこそ、勝つ
         ことができたのです。また相手は何しろ大軍、油断は禁物です。
         どこに伏兵を置いておくかわかりません。そこでわたしは敵の
         兵車の跡と旗の勣きを見ました。その乱れ工合から、伏兵のい
         ないのは明らかでしたので迫撃するよう申しあげたのです」

         〈お偉い方たち〉 原文は「肉食者」。大夫以上の官にある人
         々を指す。肉の食えぬ階級の肉の長食える階級に対する反感、
         羨望の気持がここに見られる。曹劌は下級の士であったのであ
         ろう。

       ※ 斉の地は今の山東省、山を背にし海に臨む。その恵まれた地理
         的条件を別して、管仲は製塩・製鉄等の産業をおこし、貨幣を
         鋳造して物価を統制し、また軍隊組織を整備するなど、富国強
         兵策を言々と実行した。春秋最初の和泉はそうした基礎の上に
         成しとげられた。
 

  No.21

【RE100倶楽部:ZEH篇】 

● 太陽光40キロワットでネット・ゼロ・エネルギー・ビルディング

 Mar. 21, 2016

今月17日、竹中工務店は、東関東支店(千葉市中央区)のビルの年間エネルギー収支が「プラス」を達成し
たことを公表。2003年に竣工したオフィスビル(地上2階建て、敷地面積1432m2、延床面積1318m2)
を、支店の業務を続けながら省エネ改修するとともに太陽光発電システムを設置した。改修の期間は、
2015年10月~2016年3月。改修後の本格運用を2016年5月に開始し、2017年4月で1年間が経過した。そ
の間の太陽光の発電量がエネルギー消費量を上回った。利用中のオフィスビルを、執務を続けながら
改修し、ネット・ゼロ・エネルギー・ビルディング(ZEB)化を実現した国内初の事例となる。



回収による外装の高断熱化、きめ細かな環境制御技術、業務スタイルの変革によって、建物全体の一
次エネルギーの年間消費量は403MJ/m2となり、改修前と比べて70%以上削減した。一方、太陽光発電
による発電量は単位エネルギー量換算で、年間417MJ/m2。導入した太陽光発電システムの出力は約40
kWで、太陽光パネルは屋上に並べた。ネット・ゼロ・エネルギーを目指し、太陽光パネルの設置容量
を最小限に抑えたという。1年間の運用により、さまざまな効果を確認できた。例えば、建物全体の
断熱性を高めることで外装負荷が削減されるとともに、年間を通じて窓廻りでも温度差の少ない快適
な室内環境を実現できた。

❶自然採光を最大限に活用し、❷外付けブラインドの開閉を自動制御することで、室内の明るさを確
保し、❸かつ照明電力を削減。新たに開発した❹小型デシカント空調機と❺地中熱・太陽熱を直接利
用する放射空調により、快適性を維持しながら、空調エネルギーを削減。❻また、ウェアラブル端末を
使った執務者の活動量の計測や、体感申告から個人の好みを学び、最適な温度や気流に調整するウェルネ
ス制御を実現。これらの成果によって、消費エネルギーが最小化されたことで、災害時にインフラがダウンし
た場合でも、建物の機能を維持できる時間が長くるとのこと。

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』        

   29.そこに含まれているかもしれない不自然な要素 

  「そのとおりです。一九三八年の十一月に起こった事件です。ドイツ政府は自発的に広がった暴
 動だという発表を出しましたが、実はゲッベルスを主導者とするナチ政府がその暗殺事件を利用
 し、組織的に画策した蛮行でした。暗殺犯であるヘルシェル・グリュンシュパンは、自分の家族
 がドイツ国内でユダヤ人として苛酷な扱いを受けていることに抗議するために、この犯行に及び
 ました。最初はドイツ大使の殺害を狙ったのですが、それが果たせず、目についた大使館員をか
 わりに射殺しました。殺されたラートという大使館員は皮肉なことに、反ナチの傾向があるとい
 うことで当局の監視を受けていた人物でした。いずれにせよ、もしその時期のウィーンでナチの
 要人を暗殺する計画みたいなものがあったとしたら、間違いなく同様のキヤンペーンがおこなわ
 れていたでしょう。そしてそれを口実として、反ナチ勢力に対するより厳しい弾圧がおこなわれ
 ていたでしょう。少なくともその事件がこっそり間に葬られるというようなことはなかったはず
 です」



 「それが公にならなかったというのは、公にできない何かの事情があったということなのでしょ
 それも事件が封印された理由のひとつになっているということです。しかし真偽は確かではあり
 ません。戦後になっていくつかの証言が出てきていますが、それらの周辺的陽百にどれほど信憑
 性があるか、今ひとつ定かではありません。ちなみにその抵抗グループの名前は〈カンデラ〉と
 いうものでした。ラテン語で地下の闇を照らす燭台のことです。日本語の〈カンテラ〉はここか
 らきています」

 「事件の当事者がひとり残らず殺されてしまっているということは、つまり生き残ったのは雨田
 典彦さんひとりだけだということになるのでしょうか?」
 「どうやらそういうことになりそうです。終戦間際に国家保安本部の命令により、事件に間する
 秘密書類は残らず焼却され、そこにあった事実は歴史の間に埋もれてしまっています。生き残っ
 た雨田典彦さんに、当時の詳しい事情を間くことができればいいのでしょうが、それも今となっ
 てはきっとむずかしいのでしょうね」
  むずかしいと思うと私は言った。雨田典彦はその事件に関しては今まで一切話ろうとはしなか
 ったし、彼の記憶は今ではそっくり厚い忘却の泥の底に沈んでいる。

  私は免色に礼を言って、電話を切った。

  雨田典彦は記憶が確かだったあいたち、その事件については堅く口をつぐんでいた。おそらく
 口にはできないなんらかの個人的理由がそこにあったのだろう。あるいはドイツを出国するとき
 に、何かあっても沈黙を守るように当局から因果を含められたのかもしれない。しかし彼はその
 生涯にわたって沈黙を守る代わりに、『騎士団長殺し』という作品をあとに残した。彼は言葉で
 表すことを禁じられた出来事の真相を、あるいはそれにまつわる想いを、おそらくその絵に託し
 たのだろう。

  翌日の夜にまた免色から電話があった。秋川まりえが今度の日曜日の十時に、うちにやってく
 ることに決まったということだった。前にも話したように、叔母さんが付き添ってやってくる。
 免色は最初の日には姿を見せない。

 「しばらく日にちが経って、彼女がもう少しあなたとの作業に馴染んだころに、私は顔を出すよ
 うにします。最初のうちはきっと緊張も強いでしょうし、お邪魔をしない方が良いだろうという
 気がしたものですから」と彼は言った。

  免色の声には珍しく上ずった響きがあった。おかげで私までなんとなく落ち着かない気持ちに
 なった。

 「そうですね。その方が良いかもしれません」と私は返事をした。
 「でも考えてみれば、緊張が強いのはむしろ私の方かもしれませんね」、免色は少し躊躇してか
 ら、秘密を打ち明けるように言った。「前にも言ったと思いますが、私はこれまでただの一度も、
 秋川まりえの近くに寄ったことかありません。離れたところからしか目にしたことはありませ
 ん」
 「しかしもし彼女の近くに寄ろうと思えば、そういう機会はおそらくつくれたでしょうねJ
 「ええ、もちろんです。そうしようと思えば、機会はいくらでもつくれたはずです」
 「でもあえてそうはしなかった。なぜですか?」

  免色は珍しく時間をかけて言葉を選んだ。そして言った。「生身の彼女をすぐ目の前にして、
 そこで何を思い、どんなことを目にするか、自分でも予側かつかなかったからです。ですから、
 これまで彼女の近くに寄ることを意図的に避けてきました。谷をひとつ隔てて、遠くから高性能
 の双眼鏡で密かにその姿を眺めることで満足してきました。私の考え方は歪んでいると思います
 か?」
 「とくに歪んでいるとは思いません」と私は言った。「ただ少しばかり不思議に思えるだけです。
 しかしとにかく今回は、私の家で彼女と実際に会おうと決心をされたわけですね。それはなぜだ
 ろう?」

  免色はしばらく沈黙していた。それから言った。「それはあなたという人が我々のあいだに、
 いねば仲介者として存在しているからです」
 「ぼくが?」と私は驚いて言った。「でも、どうしてぼくなんだろう? こんなことを申し上げ
 るのは失礼かもしれませんが、免色さんはぼくのことをほとんど知りません。ぼくもまた免色さ
 んのことをよく知りません。我々はほんのIケ月ばかり前に知り合ったばかりだし、谷間をはさ
 んで向かい合って往んでいるというだけで、生活環境も暮らし方も、それこそIから十まで違っ
 ています。なのにあなたはなぜぼくをそれほど信用して、いくつかの個人的な秘密を打ち明けて
 くれるのでしょう? 免色さんは簡単に自分の内面をさらけ出すような人には見えないのです
 力」
 「そのとおりです。私はいったん何か秘密を持ったら、それを金庫に入れて鍵をかけ、その鍵を
 呑み込んでしまうような人間です。人に何かを相談したり、打ち明けたりするようなことはまず
 しません」 
 「なのにどうしてぼくに対しては――どういえばいいんだろう――ある程度心を許せるんですか
 ?」

  免色は少し沈黙した。そして言った。「うまく説明はできないのですが、あなたに対してはあ
 る程度無防備になってかまわないだろうという気持ちが、お会いした最初の目から私の中に生ま
 れたような気がします。ほとんど直観として。そして後目、あなたが描いた私の肖像画を目にし
 て、その気持ちは更に確かなものになりました。この人は信頼に足る人だ。この人なら私のもの
 の見方や考え方を、自然なかたちでそのまま受け入れてくれるのではないかと思ったのです。た
 とえそれがいくぶん奇妙な、あるいは屈曲したものの見方や考え方であったとしてもですJ
 いくぶん奇妙な、あるいは屈曲したものの見方や考え方、と私は思った。
 「そう言っていただけるのはとても嬉しいのですが」と私は言った。「ぼくがあなたという人間
 を理解できているとはとても思えません。あなたはどう考えても、ぼくの理解の範囲を超えたと
 ころにいる人です。正直に言って、あなたに間する多くのことがぼくを率直に驚かせます。時に
 は言葉を失わせます」
「でもあなたは私のことを判断しようとはなさらない。違いますか?」

  言われてみれば、たしかにそのとおりだった。私は免色の言動や生き方を、何かの基準にあて
 はめて判断しようとしたことは一度もない。とくに賞賛もしなければ、批判もしなかった。ただ
 言葉を失っていただけだった。

 「そうかもしれません」と私は認めた。
 「そして私があの穴の底に降りたときのことを覚えていますか? 一人で一時間ばかりあそこに
 いたときのことを?」
 「もちろんよく覚えています」
 「あなたはあのとき、私を暗い湿った穴の中に永遠に置き去りにしようと、考えもしなかった。
 そういうことだってできたのに、そんな可能性はちらりとも頭に思い浮かばなかった。そうです
 ね?」
 「そのとおりです。でも免色さん、普通の人間はそんなことをしてみようなんて、思い浮かべも
 しませんよ」
 「本当にそう言い切れますか?」
 そう言われると返答のしようもなかった。ほかの人間が心の底で何を考えているかなんて、私
 には想像もつかない。
 「あなたにもうひとつお願いがあります」と免色は言った。
 「どんなことでしょう?」
 「今度の日曜日の朝、秋川まりえとその叔母さんがおたくにやってくるときのことですが」と免
 色は言った。「できればそのあいだおたくを双眼鏡で見ていたいのですが、かまいませんか?」

  かまわないと私は言った。騎士団長にだって、ガールフレンドとのセックスの様子をすぐそば
 でじっと観察されていたのだ。谷間の向かい側から双眼鏡でテラスを眺められたところで何の不
 都合があるだろう。

 「いちおうあなたにはお断りしておいた方がいいだろうと思ったものですから」と免色は弁解す
 るように言った。

  不思議なかたちの正直さを身につけた男だと私はあらためて感心した。そして我々は話を終え、
 電話を切った。受話器をずっと押しつけていたせいで、耳の上の部分が痛んだ。
  翌日、昼前に内容証明つきの郵便が届いた。私は郵便局員の差し出した用紙にサインし、それ
 と引き替えに大型の封筒を受け取った。それを手にしてあまり明るい気持ちにはならなかった。
 経験的に言って、内容証明つきの郵便で楽しい知らせがもたらされることはまずない。

  予想したとおり、差出人は都内の弁護士事務所で、封筒の中には離婚届の書類が二組入ってい
 た。返信用の切手が貼られた封筒も入っていた。用紙の他には、弁護士からの事務的な指示の手
 紙が入っていただけだった。手紙によれば、私がやらなくてはならないのは、そこに書かれてい
 る内容を読んで確認し、異存がなければ一組に署名捺印をし、送り返すことだけだった。もし疑
 問の点があれば遠慮なく担当弁護士に質問をしていただきたい、とあった。私は書類にざっと目
 を通し、日付を書き込み、署名捺印した。内容についてはとくに「疑問の点」はなかった。金銭
 的な義務はどちらの側にもまったく発生しなかったし、分割するに値するような財産もなく、養
 育権を争うべき子供心いなかった。きわめて単純で、きわめてわかりやすい離婚だ。初心者向け
 の離婚、とで心いったところだ。二つの人生かひとつに重なり合い、六年後にまた別れていく。
 それだけのことだ。私はその書類を返信用の封筒に入れ、封筒を台所のテーブルの上に置いた。
 明日絵画教室に行くときに、駅前にある郵便ポストに教り込めばいい。

  そのテーブルの上の封筒を、私は午後のあいだぼんやり眺めるともなく眺めていたのだが、そ
 のうちに、その封筒の中には六年間に及ぶ結婚生活の重みがそっくり押し込められているように
 思えてきた。それだけの時間――そこには様々な記憶と様々な感情が染みついている――が平凡
 な事務封筒の中で窒息させられ、じわじわ死んでいこうとしている。そんな様子を想像している
 と胸が圧迫され、呼吸がうまくできなくなってきた。私はその封筒を取り上げ、スタジオまで持
 って行って棚の上に置いた。薄汚れた古い鈴の隣に。そしてスタジオのドアを閉め、台所に戻り
 雨田政彦にもらったウィスキーをグラスに往いで飲んだ。まだあたりが明るいうちは酒を飲まな
 いと決めていたのだが、まあたまにはかまわないだろう。台所はとてもしんとしていた。風もな
 く、車の音も聞こえなかった。鳥さえ鳴いていなかった。

  離婚すること自休にはとくに問題はなかった。我々は実質的には既に離婚していたようなもの
 だったから。正式な書類に署名捺印することにも、さして感情的なこだわりはなかった。彼女が
 もしそれを求めているのなら、私の方に異論はない。そんなものはただの法的な手続きに過ぎな
 いのだから。
  しかしなぜ、どのようにしてそんな状況がもたらされたのかということになると、私にはその
 経緯が読み取れなかった。人の心と心が時間の経過に従って、状況の変化に沿って、くっついた
 り離れたりするものだというくらいのことはもちろんわかる。人の心の動きというのは、習慣や
 常識や法律では規制できない、どこまでも流動的なものなのだ。それは自由に羽ばたき、移動す
 るものなのだ。渡り鳥たちが国境という概念を持たないのと同じように。

  でもそれは結局のところ、あくまで一般的な物言いであって、あのユズがこの私に抱かれる?
 とを拒み、他の誰かに抱かれることを選んだことについては――そのような個別のケースについ
 ては――それほど容易く理解することはできなかった。私が今こうして受けているのはひどく理
 不尽な、酷く痛切な仕打ちであるように私には思えた。そこには怒りはない(と思う)。だいた
 い私は何に対して腹を立てればいいのだ? 私が感じているのは基本的には麻痛の感覚だった。
 誰かを強く求めているのに、その求めが受け入れられないときに生じる激しい痛みを和らげるべ
 く、心が自動的に起動させる麻痛の感覚だ。つまり精神のモルヒネのようなものだ。

  私はユズをうまく忘れることができなかった。私の心はまだ彼女を求めていた。しかし仮に私
 の住まいから谷間を挟んだ向かい側にユズが暮らしていたとして、そしてもし私が高性能の双眼
 鏡を所有していたとして、私はそのレンズを通して彼女の日々の生活を覗き見ようとするだろう
 か? いや、そんなことはまずしないだろう。というかそもそも、何があろうとそんな場所を住
 居として選んだりはしないだろう。それは自らのために拷問台をこしらえるようなものではない
 か。

  ウィスキーの酔いのせいで、私は八時前にベッドに入って眼った。そして夜中の一時半に目を
 覚まし、そのまま眼れなくなった。夜明けまでの時間はおそろしく長く、孤独なものだった。本
 を読むこともできず、音楽を聴くこともできず、私は一人で居間のソファに座って、ただ何もな
 い暗い空間を見つめていた。そして様々なことについて考えを巡らせた。その大半は私が考える
 べきではないことだった。
  騎士団長でもそばにいてくれればいいのだが、と私は思った。そして何かについて彼と語り合
 うことができればいいのだが、と。何についてでもいい。話題なんて何だってかまわない。ただ
 彼の声が聴ければそれでいい。
 しかし騎士団長の姿はとこにも見当たらなかった。そして彼に呼びかける手段を私は持だなか
 った。

                                     この項つづく

 ● 今夜の一曲

我が庵にも朝が来ると、柑橘系の庭木――レモン・トゥリー、花ゆず、ブラッド・オレンジの花が咲
きほころび、陽ををあびた玄関先は花の芳香(ニオイ)に包まれ、イングリッシュローズ グラハム・
トーマスやルージュピエールドゥロンサールの薔薇系も負けじと落ち着きのある芳香を放っている。


さて、「レモン・トゥリー」(Lemon Tree)は、ウィル・ホルトが1950年代後半に書いたフォークソ
ング。ピーター・ポール&マリーのデビュー・シングルとして知られる。邦題の表記はワーナーミュ
ージック・ジャパンの公式サイトに拠る。本作品は「Meu limão, meu limoeiro」というブラジルのフ
ォークソングをもとにして書かれた。同曲は1937年に José Carlos Burle によって編曲され、ブラジル
の歌手、Wilson Simonalのバージョンで広まる。ウィル・ホルトは1961年にドリー・ジョナとデュエ
ット・アルバム『On the Brink』を発表。その中でも歌っている。同年6月、キングストン・トリオ
が『Goin' Places』の中でカバー。1962年4月、ピーター・ポール&マリーがデビュー・シングルとし
て発表する]。B面は「アーリー・イン・ザ・モーニング」(この曲もお気に入りだ)。同年6月9日付
のビルボード・Hot 100で35位を記録する(Wikipedia)。

   When I was just a lad of ten, my father said to me,
   "Come here and take a lesson from the lovely lemon tree."
   "Don't put your faith in love, my boy," my father said to me,
   "I fear you'll find that love is like the lovely lemon tree."

   Chorus:
   Lemon tree, very pretty, and the lemon flower is sweet,
   But the fruit of the lemon is impossible to eat.
   Lemon tree, very pretty, and the lemon flower is sweet,
   But the fruit of the lemon is impossible to eat.

   One day beneath the lemon tree, my love and I did lie,
   A girl so sweet that when she smiled, the stars rose in the sky.
   We passed that summer lost in love, beneath the lemon tree,
   The music of her laughter hid my father's words from me.

   Chorus

   One day she left without a word, she took away the sun.
   And in the dark she left behind, I knew what she had done.
   She left me for another, it's a common tale but true,
   A sadder man, but wiser now, I sing these words to you.                                   

                                                                                          Music&Word Will Holt

 



 


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