成公三年( -588) 楚囚十年 / 晋の復覇刻の時代
※ 知罃(ちおう)(荀罃)は晋の中軍の副将荷首の愛児。邲召の戦いに捕虜と
なり、楚囚十年の辱しめを受けている。今や晋が新たに斉と鞌(あん:斉の
地・山東省済南付近)に戦って大勝し、意気大いにあがっているのに反し、
楚は荘王没してその子共王が立ったばかり。晋から捕虜父換の申し入れがあ
ったので、渡りに船と受諾した。経の文はない。
※ 「晋いまだともに争うべからず」
晋は楚に対し、知罃の身柄を返還するよう申し入れた。晋が抑留している楚
の公子穀臣、連尹、襄老(衛の夏姫の夫)の遺体を楚に引き渡すことが交換
条件となっていた。当時、知罃の父荀首(知荘子)は、斉の中軍の副将であ
った。禁としてもこの取引きは損でないと判断して、この申し入れに応じた。
楚の共王は、知罃を晋に送り出すに際し、その心境を問うた。
「わたしを怨んでいるかね」
「いいえ。国と国との戦いに、捕虜となったのは、わたしの責任です。それ
にもかかわらず、血塗りの儀式(抽肩を殺して太鼓に血を塗る)もなさらず、
いま本国に節して罪に服させようとのお心づかい、感謝に耐えません。責め
られるべきはこのわたくし、誰を怨んだりいたしましょう」
「では、わたしに言を感じているのか」
「国と国とが、互いの利益と人民の利益とを考えたうえで、妥協点を見出し
たのです。双方がそれぞれ捕虜を釈放する条件で交渉が成立しました。これ
は、あくまで国と国との取引きであり、わたくし個人のあずかり知るところ
ではありません。したがって、誰に言を受けたとも思いません」
「帰国の上は、何か返礼を考えているであろうが……」
「いま申しあげたとおり、わたくしにはあなたを怨む理由はない、あなたに
はわたくしに思を着せる理由はない。言も怨みもないというのに、何で返礼
の必要がありましょう」
「そういえばそれまでだが、もっと腹蔵のない考えを聞かせてもらいたい」
「あなたのおかけをこうむり、いったん捕虜となったわたくしが本国に骨を
埋めることになりました。帰国のうえ、処刑を受けることができるのです。
あなたへの感謝は、死んでも忘れません。
もし、おかげを蒙り、処刑をまぬがれた場合には、わたくしの身柄は、父
荷首に引渡され、父は主君に願い出て、わたくしを先祖の廟でみすがら成敗
することでしょう。その場合もわたくしはあなたへの感謝を忘れません。
また、父の願いがいれられず、わたくしが生き永らえて家付を継ぐことに
なるかもしれません。そして、もし、戦が起こり、わたくしが兵を率いて国
境を固める事態に立ちいたった場合には、たとえ、貴国の軍勢と対峙しても、
けっして逃げはしません。全力をあげ兪をかけて、二心を抱くことなく、晋
の臣下として本分を尽くしたいと恩います。これをあなたへの御恩返しと思
っていただきたい」
知罃との会見を終えると、共王は感服のおももちで臣下に言った。
「あの男がいるうちは、晋を敵にまわすことはできないぞ」
そして、充分に礼をつくしたうえで、知罃を晋におくり返した。
✪ 勝率7割超 ドジャースは誰も止められない!
✔ Will the 2017 Los Angeles Dodgers Break the MLB Record For Wins?
MLBの記録を塗り替えるかどうかで話題となっている。故障者リストのカーシューの復帰しダルビ
ッシュのトレードで(前田健太もいっしょだ)、その可能性もでてきた。これは目が離せないぞ。
Critical flood situation in Assam, 2.3 million affected, death toll mounts to 104 Aug. 13, 2017
【世界大規模季候変動情報:豪雨・洪水篇】
13日、豪雨によって引き起こされた地すべりと洪水により、ネパール南部で少なくとも47人が死
亡し、数千人のホームレスが残っているとの警察が明らかにしている。ヒマラヤ国の少なくとも9つ
の南部地区で長豪雨の3日後にさらに死者が約2人が増え死亡者が続出する恐れがあると、警察の報
道官はいう。先週金曜日に始まった洪水と地すべりにより、電話塔・電源線を崩壊させ、広域で通信
電力不通に陥入り、少なくとも約3万1千世帯が避難している。また、絶え間ない雨や多くの場所で
のため救助活動が妨げられ、ネパールの主要な東西高速道路の交通が分断された。東部の Biratnagar
市では、滑走路が水深0.5メートル以上で没したため空港を閉鎖している。ネパール地方では毎年
6月から9月にかけモンスーンの雨期に入る( Floods, landslides triggered by heavy rain kill 47 in Nepal、
ABC News, Aug. 13, 2017 )。
ヒマチャル・プラデーシュ州 地滑りでバス2台の乗客者48名死亡
13日、地滑り被害を受けた2台のバスの死亡者数は、少なくとも同乗者数が50~60人と推定される
ため、はるかに高くなる可能性ある。48名の死亡者のうち23名のの身元確認できている。救助活動は
地滑りの恐れの、日曜日の夜遅く中断。救助活動は月曜日の朝に再開する。国家災害対応軍隊、陸軍
と州警察のチームが現場に駆けつけ、2台のバスが瓦礫から掘り起す土木重機を配備し救済にあたっ
ている能っている(Landslide kills 48 in Himachal Pradesh, The Asian Age、Aug. 14, 2017)。
中国内陸部で大雨による浸水被害相次ぐ
13日、中国の内陸部では先週から続く大雨で浸水の被害が相次ぎ、甘粛省では、観光客約300人
が集中豪雨による増水で、一時、身動きが取れなくなる、その後当局によって救助されている。中国
の内陸部では先週から続く大雨で各地で被害が出ていて、このうち24時間の雨量が257ミリを記
録した江西省では、広範囲にわたって住宅や商店など浸水。中国では、湖南省でもおよそ4万8千人
が避難しており、各地で浸水の被害が相次いでいる。
❏ インフレ目標の達成の意味を問う
秋の臨時国会では補正予算が提出される。政府が掲げる「2%物価目標」を実現するには、その規模
はどの程度が適切なのだろうか。そのカギを握るのが、「GDPギャップ」である。それを埋めるに
は25兆円程度の有効需要を上乗せすればよく、いまの国債市場の玉不足を考えれば、国債増発による
財政出動は正当化される(安倍内閣内閣が問われる「20兆円財政出動」で物価目標2%達成、高橋洋
一の俗論を撃つ! 2017.08.10, ダイヤモンド・オンライン)。ここで、鍵語の「潜在GDP」の見
積もり誤差が問題となる。つまり、経済の過去の動向の平均的な水準で、資本や労働力などの生産要
素を投入した時に実現可能なGDPと定義されるが、GDPギャップの大きさについては、前提とな
るデータや推計方法などにより結果が大きく異なる。このため相当の幅(誤差/許容幅)をもって見
る必要がある。
上の2つのグラフから、インフレ目標2%とのGDPギャップとの差に宗とする+4.5%とあり、
25兆円のギャップがあることになる。従って、処々考慮しても政府による財政出動に余裕があると
の結論が導出されているが、わたし(たち)も同意である。
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』
第46章 高い強固な壁は人を無力にします
「どれくらい長くですか?」
「四百と三十五日です」と何でもなさそうに免色は言った。「この数字を忘れることは一生ない
でしょうね」
狭い独房の中の四百三十五目が恐ろしく長い期間であることは、私にも容易に想像できた。
「あなたはこれまで、どこか挟い場所に長く閉じ込められたことはありますか?」と免色は私に
尋ねた。
ない、と私は言った。引っ越しトラックの荷室に閉じ込められて以来、私にはかなりひどい閉
所恐怖の傾向がある。エレベーターにさえうまく乗れない。もしそんな状況に置かれたら、神経
がすぐに壊れてしまうだろう。
免色は言った。「私はそこで挟い場所に耐える術を覚えました。日々その上うに自分を訓練し
ていったのです。そこにいるあいだにいくつかの語学を習得しました。スペイン語、トルコ語、
中国語です。独房では手元に置いておける書物の数が限られていますが、辞書はその制限に含ま
れなかったからです。ですからその勾留期間は語学を習得するにはもってこいの機会でした。幸
い私は集中力に恵まれている人間ですし、語学の勉強をしているあいだは、壁の存在をうまく忘
れることができました。どんなことにだって必ず良い側面があります」
どんなに暗くて厚い雲も、その裏側は銀色に輝いてる。
免色は続けた。「しかし最後まで恐ろしかったのは地震と火災でした。大きな地震が来ても、
火事が起こっても、なにしろ檻の中に閉じ込められているわけですから、すぐに逃げ出すことが
できません。その挟い空間に閉じ込められたまま押しつよされたり、焼け死んだりすることを考
え始めると、恐怖のために息が詰まってしまいそうになることもありました。その恐怖はなかな
か克服できませんでした。とくに夜中に目が覚めたときなんかは」
「でも耐えたんですね?」
免色は肯いた。「もちろんです。連中に負けるわけにはいかなかった。システムに押しつよさ
れるわけにはいかなかった。とりあえず相手の用意した書類に署名さえすれば、私はその檻から
出て、普通の世界に戻ることができました。でもいったん署名をしてしまったらおしまいです。
自分がやってもいないことを認めることになります。これは天から自分に与えられた大事な試練
なのだと考えるようにしました」
「あなたはこの前、この暗い穴の中に一時間一人でいたとき、そのときのことを思い出していた
のですか?」
「そうです。ときどきそうやって原点に立ち戻る必要があります。今ある私を作った場所に。人
というのは楽な環境にすぐに馴染んでしまうものですから」
特異な人物だ、と私はあらためて感心した。普通の人は何か過酷な目にあった経験があれば、
それを少しでも早く忘れてしまいたいと望むものではないのだろうか?
それから免色は、ふと思い出したようにウィンドブレーカーーのポケットに手を入れ、何かを
くるんだハンカチを出した。
「さっき、穴の底でこれをみつけました」と彼は言った。そしてハンカチを間いてそこから小さ
なものを取り出した。
小さなプラスチックの物休だった。私はそれを受け取り、懐中電灯で照らしてみた。黒い紐の
ストラップのついた全長一センチ半ほどの、白と黒に塗装されたペンギンの人形だった。よく女
子生徒が、鞄だか携帯電話につけているようなフィギュアだ。汚れてはいなかったし、まだ真新
しいもののように見えた。
「この前、私が穴の底に降りたときにはそんなものはここにはありませんでした。それは間違い
ありません」と免色は言った。
「じやあ、そのあとでここに降りた誰かが、それを落としていったということでしょうか?」
「どうでしょう。それはたぶん携帯電話につける飾りのようなものです。そしてストラップは切
れていません。おそらく自分でほどいて外しています。ですから、落としていったというよりは
むしろ、意図してあとに残していったという可能性の方が大きいのではないでしょうか?」
「穴の底まで降りて、これをわざわざ置いていった?」
「あるいはただ上から落としたのかもしれません」
「でも、いったい何のために?」と私は尋ねた。
免色は首を振った。わからないというように。「あるいはその誰かは、護符のようなものとし
てそれをここに残していったのかもしれません。もちろん私の想像に過ぎませんが」
「秋川まりえが?」
「おそらくは。彼女のほかにこの穴に近づきそうな人はいないわけだから」
「携帯電話のフィギュアを護符として置いていった?」
免色はもう一度首を振った。「わかりません。でも十三歳の少女はいろんなことを考えつくも
のです。そうじやありませんか?」
私はもう一度、自分の手の中にあるそのペンギンの小さな人形を見た。そう言われてあらため
て見ると、たしかに何かのお守りのように見えなくはなかった。そこにはイノセンスの気配のよ
うなものが漂っていた。
「でもいったい誰が梯子を引き上げて、あそこまで持っていったのでしょう? そして何のため
に?」と私は言った。
免色は首を振った。見当がつかないということだ。
私は言った。「とにかくうちに縁ったら、秋川笙子さんに電話をかけて、このペンギンのフィ
ギュアがまりえさんの持ち物かどうか、確かめてみましょう。彼女に訊けばたぶんはっきりする
はずです」
「それほとりあえずあなたが持っていてください」と免色は言った。私は肯いて、そのフィギュ
アをズボンのポケットに入れた。
それから我々は梯子を石壁に立てかけたまま、もう一度穴の上に蓋を彼せた。その木材の上に
重しの石を並べた。私は念のためにもうコ皮、その石の配置を頭に刻んでおいた。それから雑木
林の小径を抜けて帰路についた。腕時計を見ると、時刻はすでに午前0時をまわっていた。帰り
道、私たちは目をきかなかった。二人とも子にした明かりで足下を照らしながら、押し黙ったま
ま歩を運んだ。それぞれの考えを順に巡らせていた。
家の前に着くと、免色はジャガーの大きなトランクを開け、ランタンをそこに戻した。それか
らようやく緊張を解いたように閉じたトランクに身をもたせかけ、しばらく空を見上げていた。
何も見えない暗い空を。
「少しお宅にお邪魔してもかまいませんか?」と免色は私に言った。「家に縁ってももうひとつ
落ち着けそうにないので」
「もちろん、どうか寄ってください。ぼくもしばらくは眠れそうにありませんから」
しかし免色はそのままの姿勢で、何かを考え込むようにじっと勣かなかった。
私は言った。Tっまく説明できないのですが、秋川まりえの身に何か良くないことが起こって
いるような気がしてならないんです。それもどこかこの近くで」
「でもそれはあの穴ではなかった」
「そのようです」
「たとえば、どんな悪いことが起こっているのですか?」と免色は尋ねた。
「それはわかりません。でも、彼女の身に何か危害が及ぼうとしているような気配を感じるの
です
「そしてそれはどこかこの近くなのですね?」
「そうです」と私は言った。「この近くです。そして梯子が穴から引き上げられていたことが、
ぼくにはとても気になるんです。誰がそれを引き上げて、わざわざススキの茂みの中に隠してお
いたかが。それが意味しているのはいったいどういうことなんだろう?」
免色は身を起こし、また私の腕にそっと手を触れた。そして言った。「そうですね。私にもま
ったく見当がつきません。しかしここでただ心配していてもらちがあかない。とにかく家の中に
入りましょう」
うちに帰って革ジャンパーを説ぐと、私はすぐに秋川笙子に電話をかけた。三度目のコールで
彼女が受話器をとった。
「あれから何かわかったことはありましたか?」と私は尋ねた。
「いいえ、まだ何もわかりません。何の連絡もはいってきません」と彼女は言った。うまく呼吸
のリズムがつかめないときに人が出す声のようだった。
「警察にはもう連絡をしましたか?」
「いいえ、まだしていません。どうしてだかはわからないけれど、警察に話をするのはもう少し
だけ待ってみようと思ったんです。今にもふらりとうちに帰ってきそうな気がして―――
私は穴の底でみつかったペンギンのフィギュアの形状を彼女に説明した。それを見つけた経緯
には触れることなく、ただ秋川まりえがそういうフィギュアを身につけていたかどうかを尋ねた。
「まりえは携帯電話にフィギュアをつけていました。たしかペンギンだったと記憶しています。
・・・・・・ええ、そうです。たしかにペンギンでした。間違いありません。小さなプラスチックの人
形です。ドーナッツ・ショップの景品でもらったものだと思うんですが、あの子はそれをなぜか
とても大事にしていました。お守りみたいにして」
「それで彼女はいつも携帯電話を持ち歩いていたんですね?」
「ええ、だいたい電源を切ったままにしていましたが、持ち歩くことはちゃんと持ち歩いていま
した。応答はしなくても、用事があってたまに自分の方から電話をかけてくることはありました
から」と秋川笙子は言った。それから数秒間かあった。「ひょっとして、そのフィギュアがどこ
かで見つかったのですか?」
私は返答に窮した。本当のことを打ち明ければ、私はあの林の中の穴の存在を彼女に教えなく
てはならなくなる。そしてもし警察が関与してくれば、彼らにもやはり同じ説明を――より納得
のいく説明を――しなくてはならないだろう。そこで秋川まりえの持ち物が発見されたとなれば、
警官たちはその穴を細かく検証するだろうし、あるいは雑木林の中の捜索が行われることになる
かもしれない。私たちは根掘り葉掘り質問を受けるだろうし、免色の過去もたぷん蒸し連される
ことだろう。そんなことをしたって役に立つとは思えない。免色が言うように、話がややこしく
なるだけだ。
「うちのスタジオの床に落ちていたんです」と私は言った。嘘をつくのは好むところではないが、
本当のことは言えない。「掃除をしているときに見つけました。それでひょっとして、これはま
りえさんの持ち物ではないかと思ったものですから」
「それはまりえのものだと思います。間違いなく」と少女の叔母は言った。「それで、どうした
らいいでしょう? 警察にはやはり連絡をするべきでしょうか?」
「お兄さんとは、つまりまりえさんのお父さんとは連絡がついたのですか?」
「いいえ。まだ連絡がつきません」と彼女は言いにくそうに言った。「今どこにいるのかわから
ないんです。もともとあまりきちんとは家に帰ってこない人なもので」
いろいろと複雑な事情がありそうだったが、今はそんなことを詮議している場合ではなかった。
警察に届けた方がいいでしょうと、私は彼女に簡潔に言った。時刻は既に真夜中を過ぎて、日付
も変わっている。どこかで事故にあったという可能性も考えられなくはない。すぐに警察に連絡
すると彼女は言った。
「ところで、まりえさんの携帯はまだ応答がありませんか?」
「ええ、何度もかけてみましたが、どうしてもつながりません。電源が切られているようです。
あるいは電池が切れてしまったか。どちらかです」
「まりえさんは今朝、学校に行くと言って出ていって、そのまま行方がわからなくなってしまっ
た。そうでしたね?」
「そうです」と叔母は言った。
「ということは、今でもたぶん中学校の制服を着ているということですね」
「ええ、制服を着ているはずです。紺色のブレザーコートと白いブラウス、紺色のウールのヴェ
スト、格子柄の膝までのスカート、白いハイソックス、黒のスリップオンです。そしてビニール
のショルダーバッグを肩にかけています。学校の指定したバッグで、学校のマークと名前が入っ
ています。まだコートは着ていません」
「他に画材を入れたバッグも持っていたと思うんですが?」
「それは普段は学校のロッカーに入れてあります。学校の美術の時間に使うためです。金曜日に
はそれを持って、学校から先生の教室に行きます。うちからは持って行きません」
それは彼女が絵画教室にやって来るときのいつもの格好だった。紺色のブレザーコートと白い
ブラウス、タータンチェックのスカート、ビニールのショルダーバッグ、画材の入った白いキャ
ンバス・バッグ。私はその姿をよく覚えていた。
「他に荷物は何も持っていないのですね?」
「え兄え、持っていません。だから遠くに行くようなことはないはずです」
「もし何かあったら、いつでもいいから電話をください。どんな時刻でもかまいませんから、遠
慮なく」と私は言った。
そうすると秋川笙子は言った。
そして私は電話を切った。
免色はそばに立って、ずっと我々の会話を聞いていた。私が受話器を置くと、彼はそこでよう
やくウィンドブレーカーを脱いだ。その下に彼は黒いVネックのセーターを着ていた。
「そのペンギンのフィギュアはやはりまりえさんの持ち物だったのですね?」と免色は言った。
「そのようです」
「つまり、いつだったかはわからないけれど、彼女はおそらく∵人であの穴の中に入った。そし
て自分にとっての大事なお守りであるペンギンのフィギュアをそこに残していった。どうやらそ
ういうことになりそうですね」
「つまり、護符みたいなものとして残していったということでしょうか?」
「おそらくは」
「でもこのフィギュアが護符であるとして、それはいったい何を護るためですか? あるいは誰
を護るためですか?」
免色は首を振った。「私にはそれはわかりません。でもこのペンギンは彼女がお守りとしてい
つも身につけていたものです。それをわざわざはずして置いていくからには、そこにははっきり
した意図があったはずです。人は大事なお守りを簡単に手放したりはしません」
「自分よりも大事な、護るべきものが他にあったということかな?」
「たとえば?」と免色は言った。
二人ともその問いに対する答えは思いつけなかった。
我々はしばらくそのまま口を閉ざしていた。時計の針がゆっくりと確実に時を刻んでいた。
刻みごとに世界が少しずつ前に押し出されていった。窓の外には夜の闇が広がっていた。そこ
に勣きらしきものはなかった。
そのとき私は鈴の行方について騎士団長が言ったことをふと思い出した。「そもそも、あれは
あたしの持ち物というわけではないのだ。あれはむしろ場に共有されるものだ。いずれにせよ、
消えるからにはたぶん消えるなりの理由があったのだろう」
場に共有されるもの?
私は言った。「ひょっとして、秋川まりえがこの人形を穴に置いていったのではないかもしれ
ません。あるいはあの穴はとこか別の場所に繋がっているのではないでしょうか。閉ざされた場
所というより、むしろ通路のようなものなのかもしれない。そしていろんなものを自らのうちに
呼び込んでいくのかもしれません」
頭に浮かんだことを実際に口に出してみると、それはずいぶん愚かしい考えに聞こえた。騎士
団長ならおそらく私の考えをそのまま受け入れてくれるだろう。しかしこの世界では無理だ。
深い沈黙が部屋の中に降りた。
「あの穴の底から、いったいどこに通じることができるのだろう?」と免色がやがて自らに問い
かけるように言った。「あなたもご存じのように、私はこのあいだあの穴の底に降りて、一時間
ばかり一人でそこに座っていました。真っ暗闇の中で、明かりもなく梯子もなく。その沈黙の
中で意識を深く集中しました。そして肉体存在を消してしまおうと真剣に努めました。ただ思念
だけの存在になるうと試みました。そうすれば石の壁を越えてどこにでも抜け出せます。拘置所
の独房にいるときにもよく同じことを試みたものです。しかし結局どこにも行けなかった。それ
はどこまでも、堅牢な石の壁に囲まれた逃げ場所を持たない空間でした」
あの穴はひょっとして相手を選ぶのかもしれない、と私はふと思った。あの穴から出てきた騎
士団長は私のもとにやってきた。彼は寄宿地として私を選んだ。秋川まりえもまたあの穴に選ば
れたのかもしれない。しかし免色は選ばれなかった
何らかの理由によって。
私は言った。「いずれにせよ、さっきも話し合ったように、警察にはあの穴のことは教えない
方がいいと思うんです。少なくとも今の段階ではまだ教えない方がいい。しかしこのフィギュア
を穴の底で見つけたことを黙っていれば、明らかに証拠の隠匿になります。もし何かあってその
ことが明らかになったら、我々はまずい立場に置かれるのではないでしょうか」
凄い展開になってきたぞと思ったところで体調が悪くなった。この続きはまた別の日に。
この項つづく