狭い意味の「行軍」ではない。車を戦場にすすめる場合の基本がここに述べられている。な
かでも現象によってその本質を見破る観察法はするどい。
地形に応じた戦闘配置
戦闘位置について敵と対特すろには、地形の特徴をみて、それに応じてこれを利用すること
が大切である。
まず、山岳地帯で戦う場合――山地を巡かには、谷に府って行き、視界の開けた高所に位置
する。高所にいる誼と戦うには、こちらから登っていかずに、敵を誘いおろすのがよい。
河川地帯で戦う場合――河を亘った場合、必ずその河から遠ざかって戦うことである。川岸
では足場が悪くて損害を蒙ることがある。敵が河を良って攻めかけて果たときは、水中で迎
え撃ってばならない。半数が絞りきったところで攻撃を加えるのが有利である。こちらから
鎚んで戦おうとするときには、河に近づきすぎてはならない。河岸では、高所に位置すべき
である。下流にいて、上流の敵と戦うのはよくない。
湿地帯で戦う場合――湿地を絞るときは、できるだけ早く賜翁すべきである。ぐずぐずして
いて、足場の囲いところで攻められると一大事である。どうしても湿地で慨わなければなら
ないときは沼や茂みを利用し、木々を背にして、少しでも有利なように工夫する。
平地で慨う場合――片側と特価に高地のある身働きの自由な場所に位置する。また、戦いに
くい不利な地形を前にして、商い地形を役にするのがよい。
以上が、それぞれ四つの地形に応じた有利な布陣の方法である。しかし、黄帝が天下を統一
できたのもこれを川いたからにほかならない。要するに、軍を配流するには、低いところよ
り高いところがよく、湿った日陰より日当りのよい場所がよいのである。こうすれば、将兵
を元気づけて、気力を充実させることができ、軍には故障が生じない。これが「必勝」とい
うことなのである。
快感原則 心理学でいう「快感原則」と一致する。すなわち、人間は暗いところより明るい
ころ、陰気なところより陽気なところに向かおうとするのが通常である。プラスの誘意性に
向かい、マイナスの誘意性を避けようとする心理を、戦闘にさいして活用せよというのであ
る。
※ つまり、「予備情報能力の機動性原則」とでも呼べる。
【エネルギータイリング事業篇:体温発電型マートウォッチの上陸】
4月12日、米国の新興企業MATRIX Industries社の自分の体温で発電――人の体から発す熱量
は、100W分に相当する。アスリートでは1kW相当に達する。人の体を使った発電によりセン
サやスマートウォッチなどの駆動――するスマートウォッチが販売。MATRIX PowerWatchの
最大の特長は、熱電変換によって発電した電気で駆動する点。具体的には、スマートウォッ
チ本体の表面温度と、体温(手首の皮膚の表面温度)との温度差を電圧に変換する。それを
専用の昇圧コンバーター(ASIC)で昇圧し、内蔵のリチウムイオン電池を充電してスマート
ウォッチを駆動する仕組(詳細上写真)。同社では、常時発電できるよう、スマートウォッ
チ本体の表面温度と皮膚温度の差が常に1℃以上になるように設計され、変換効率は1%。
日本ではビーラボが販売元となり、2018年4月12日から販売を開始。ベゼルがブラックとシ
ルバーの2種類があり、本体価格はシルバーが3万2800円、ブラックが3万7800円。尚、フル
充電の状態で腕から外した場合、約数カ月間は時計として動き続け、使い方によっては、内
蔵のリチウムイオン電池は10年以上もつと予測されている。
Apr.12, 2018
【ソーラータイル事業篇:千葉大発ベンチャーが営農型太陽光】
3月27日、千葉大学発のベンチャー企業である千葉エコ・エネルギーは千葉市に出力777
kW のソーラーシェアリング(営農型太陽光発電所)「千葉市大木戸アグリ・エナジー1号
機」を竣工し連系開始した。発電所は自社で所有し、太陽光パネルの下や周辺で行う農業も
自社で行う体制を整え、「スマート農業」の実現を目指す。まず、ニンニクを栽培し、初年
度6トンの収穫を見込んでいる。事業資金は城南信用金庫から融資を受けた。耕作面積約1
万平方メートルの農地に藤棚式の専用アルミニウム製架台設置。パネルの出力は 777.15 kW、
パワーコンディショナ(PCS)の定格出力は625kW。年間発電量は83万 kWhを想定する。売
電単価は27円/kWhで年間2200万円程度の売電収入を見込む。架台の設計では、斜めの筋交い
がない構造とすることでトラクターなど農業機械の作業性を確保したほか、作物の畝設計に
合わせた支柱間隔などの工夫をした。
栽培作物はニンニクを選定した。国内市場の約59.4%が輸入品のため国内自給率の向上を目
指すほか、市場ニーズがあり加工も視野に入れた場合に収益性が高いと見ている。また、ニ
ンニクは、比較的、管理の手間が容易で機械による省力化も可能で、発電設備の下でも安定
して栽培できる可能性が高い、などの利点もあるという。中国トリナ・ソーラー製の太陽光
パネル(275W/枚)を2826枚、独SMAソーラーテクノロジー製のPCSを導入(千葉大発ベンチ
ャーが営農型太陽光、ニンニク栽培、日経 xTECH(クロステック) 2018.04.13)。
■ なぜ「にんく」のか
栽培作物 に選定した 「にんく」 は、国内市場の は、国内市場の 約 59.4 %が輸入に頼
ってい る。現状があります。 農産物の国内自給率 の向上 のほかに、本事業では以 下の
4つの理由から 作物 選定 を行う 。
①市場のニーズがあり 、加工も視野に入れたとき高収益化が見込みやすい
②市場や周辺農家のバランスを崩さない作物
③管理の手間 が容易 であり、 機械化 による省力も可能
④発電設備の下でも比較的 安定した 栽培 ができる 可能性が高い
■
今ソーラーシェアリングは、固定価格買取制度(FIT)を活用することで、太陽光発電の収
益を農業の支援・継続に活用できるため次世代農業モデルとしても期待されている。一方で
、全国で1000件程度しか普及していない背景には、発電事業と農業の両立を図るためのノウ
ハウを持つ事業者が少ないことが挙げられる。同社は、2017年3月に千葉県匝瑳市で竣工し
た匝瑳メガソーラーシェアリング第一発電所の事業化に関わり、大規模ソーラーシェアリン
グの事業スキーム構築やファイナンスの経験を得た一方で、農業者の減少、耕作放棄地の拡
大、地域の過疎化、食の安全性など、日本が抱える農業問題の現状を目の当たりにしたこと
から同事業への参入を決定している。農業への参入にあたり、この分野で幅広い業務を手掛
け、行政からの受託事業を行うなどの実績があるマイファーム(京都市)からの農業経営指
導を受けた。
ニンニクについてはブログ掲載も多々あるが、一刻も早く「安くて、安全で、美味しいニン
ニク」を沢山食べたいということに尽きる。「ソーラーシュアリングのニンニクで世界一の
健康立国を実現しよう!」
高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』
第4章 プラザ合意は、日本を貶める罠だったのか?
第7節 「前川レポート」はただ状況の変化をなぞっただけのもの
「金融ビッグバン」も、さも改革が行われたかのような大げさな言葉ですが、実態はあまり
大きく変わっていません, そもそも金融機関の経営はミクロの話です。金融機関の相互参
入が認められようと、そうでなかろうと、マクロ経済にはさほど関係かおりません。ミクロ
経済の金融業界の話とマクロ経済の金融政策の話は明確に分けて考えないと、混乱してしま
います。
第5章 言ブル経済」を引き起こした主犯は誰だ?
第1節 バブル経済になったのは、プラザ合意対策のせい?
1985年のプラザ合意から時を経ずして、日本は「バブル景気」に突入していきます。一
般にバブル期とは、1986年12月から1991年2月までの51ヵ月だとされます。プ
ラザ合意によって「ダーティ・フロート」をやめた日本国内では、むしろ 「円高不況」が
心配されていました。プラザ合意の前には1ドル=235円前後だったものが、一年後には
1ドル=150円前後になったのですから、その心配ももっともです,
では、それなのになぜ、日本はバブル経済に突入したのでしょうか。プラザ合意の直後にバ
ブル期が始まったので、「バブルが起きたのはプラザ合意のせいだ」とする意見も数多くあ
ります。それは、こんな理屈です。日本銀行は1985年のあいだは、公定歩合(=当時の
政策金利)を5・00%1983年10月~)から下げませんでしたが、1986年1月に
4・50%、同年3月に4・00%、同四月に3・50%、同11月に3・00%と引き下
げ、1987年2月には当時史上最低だった2・50%まで持っていきます。
しかし1987年になると、国際的にドル安の行き過ぎが懸念される状況になり、折しも日
本の公定歩合が引き下げられた2日後の同年2月22日に、フランスのルーブル宮殿でG7
(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)が開催されて、「為替レートを当面の水準で安定
させる」という「ルーブル合意」が行われます。円高不況は1987年には回復基調に入っ
ていたものの、このルーブル合意によって、日本はドルを支えるために利上げをしにくくな
りました(利上げすれば、さらなる円高・ドル安への圧力になってしまうため)。
結局、1989年5月に3・25%に引き上げられるまで、公定歩合は低いまま据え置かれ
ることとなり、この「金融の超緩和」が不動産や株式に対する過剰な投機を促し、バブル景
気をもたらした というのです。この見方は、果たして正しいのでしょうか,
第2節 バブル期は、株と土地以外は「超フツーの経済」だった
1980年代後半ので、「ハブル期」ほど誤解されているものはないと思います。バブル期
には何でも価格が上がり、著しいインフレが起こっていたかのように思っている人がたくさ
んいます。
しかし、現実は追います。価格が上がっていたのは土地や株式など一部の資産価格だけです。
一般物価はそれほど上がっていませんでした。「バブル期はものすごく経済の調子がよく、
経済成長率も非常に高かった」という認識も誤りです。当時の経済成長率は、先進国水準で
はごく平均的なものでした。実際の数字を見てみましょう,1987年から1990年まで
の経済状況は次のようになっていました(表2)
実質GDP成長率は4・2~6・2%であり、それほど高いわけではありません。毎年のよ
うに10%を超えていた1960年代の高度成長期とは比べものになりません。物価上昇率
もO・1~3・1%ですから、健全な物価上昇の範囲内に収まっています。1974年の狂
乱物価のときには、年平均23・2%の物価上昇率でしたから、こちらも比べものになりませ
ん。今から振り返って見ると、とても健全な経済であり、いわば「フツーの経済」です。バ
ブル期はネガティブに見られることが多いのですが、マクロ経済指標では異常な要素は見当
たりません,一般物価を見る限り、狂乱物価でもなくバブルでもありませんでした では、
何が「バブル」だったのか。異常に高騰していたのは、株価と不動産価格です。
日経平均株価は1986年には1万5000円程度でした。1987年10月19日にブラ
ックマンデーかおり一時株価を下げましたが、その後、株価は急騰していきました,198
9年12月19日の大納会の日には3万8957円の史上最高値をつけています,年が明け
ると一転して株価は下がり始めます。1990年末にかけて2万3000円程度まで一気に
下がり、1992年初めには2万円を割り込みました。2年ほどで最高値から半分になってし
まいました。この問に高値で株をつかんだ人は大きな含み損を抱えることになりました。
土地の価格も異常に上がりました。土地の価格は、株価より1~2年遅れて1991年ごろ
にピークを迎えています,都心では地上げや土地転がしなどが横行し、都会の小さな土地が
高値で取引されました。狭小な上地は一定規模の大きさにまとめて転売され、転売に次ぐ転
売で異常なほどに値を上げていきました。その土地を担保に金融機関は融資をしました。そ
の資金が不動産市場に流れ込むというスパイラル状態でした。バブルがはじけて以降は、土
地の価格が下落して上地は担保価値を失いました。金融機関は融資の回収を急いだものの、
回収しきれずに多額の不良債権を抱えることになりました。このように株と不動産に関して
は、異常な状態でした。その一方で、GDP成長率、物価上昇率、失業率などマクロ経済の
ほうは至って健全でした。
片方は極めて異常で、もう一方は健全な状態です。この状況を当時の日銀は正しく分析する
ことができませんでした,両者を分けずにまとめて1つの経済状態と考えてしまったのです
そのため、インフレではないにもかかわらず不要な引き締めをすることになり、以後、それ
を正当化するための施策が続くことになるのです。
第3節 「バブルかどうか」は当時は誰にもわからなかった
バブル期は社会的には異様な状況でした。私が見聞きした範囲でも、今では考えられないも
のがありました,当時、私は大蔵省証券局にいましたが、あるとき新興の証券会社から「デ
ィーリングルームの視察に来て下さい」といわれました。視察を断るわけにもいかないので
行ってみると、体育館のようなものすごく大きなディーリングルームでびっくりしたことか
あります。新興の証券会社はやることが派手でした。
各省庁の官僚に対する接待もエスカレートしていきました。霞が聞の道路にはハイヤーがた
くさん停まっていました。ほぼすべて接待のハイヤーのはずです。「仕事が終わったらいつ
でもいいので乗って下さい」といわれて、ハイヤーに乗ると接待会場に連れて行かれたと聞
いたことかあります。私も上司のお供で義務的に接待に呼ばれたことかおりますが、酒を飲
まないほうなので、けっこう苦痛でした。官僚たちがツケで飲める料亭もあって、飲みに行
っている人もいました。一度、ある大蔵省の幹部の手帳を見せてもらったことかおりますが
接待の予定が毎日3件くらいずつ入っていて、半年先まで埋まっていました。接待を受ける
側も体がタフでないと、とてもやっていけません。
銀行・証券の人たちも好きで接待しているわけではなく、会社のためと思ってやっていたの
だと思いますが、バブル期の銀行・証券の接待は異様な状態でした。それが行き過ぎてしま
って大蔵省接待スキャンダルにつながっています。 しかし、当時は誰も「今はバブルだ」
とは思っていませんでした。バブルは、あとになってからでないと気がつかないのです。
FRBのグリーンスパン元議長は、「バブルは、崩壊して初めてバブルとわかる」と述べて
います。まさにその通りで、崩壊してからでないとバブルには気づけないものです,
バブルはめったに起こらない現象のようにいわれていますが、実は世界ではよく見られる現
象です。不良債権問題が生じたかどうかでバブルの有無を判断するのなら、先進国に限らず
世界のほとんどの国で頻繁に起こっています。IMF(国際通貨基金)のレポートによると
1970年から2007年までの約40間に、不良債権問題による銀行危機が124例も発
生しています。同レポートでは、日本の銀行危機の際の財政コストはGDPの14%、生産損
失はGDPの18%だったとされています。
世界各国の銀行危機の平均的な財政コストはGDPの13%、生産損失はGDPの20%となっ
ていますから、日本のバブル崩壊による損失は世界の平均的な数字でした。歴史上有名なバ
ブルとして、チューリップ・バブル(17世紀、オランダ)や、ミシシッピ計画(18世紀、
フランス)、南海泡沫事件(18世紀、イギリス)などかおりますが、日本のバブルはそれ
らの歴史的なバブルと並べられるような大きなものではありませんでした。いかにバブルが
世界中でしばしば起こっている現象かを痛感させられたことかおります。かつて私は世界銀
行で「日本のバブルはこんなにすごかった」と自倣げに話しました。すると、各国の人から
「うちの国では3回もバブルがあった」「いや、うちのほうがもっとバブルだった」といわ
れてバブル自慢合戦のようになってしまったのです。
それほど頻繁に起こっているにもかかわらず、事前にバブルに気づくことはできず、あとに
なって「あれはバブルだった」とわかります。もしバブルを予測することができるのであれ
ば、その人は大金待ちになっているはずです。借金をしてでも高騰しそうな株や土地を買う
でしょう。予測ができるのなら回避もできますが、バブルを予測して防ぐことは地震予知の
ようなレベルの難易度です。現実的にはバブルの回避策はまずありません。それでも、バブ
ル期のことを学んで教訓にすれば、バブル発生後の早い段階で気づくことはできるかもしれ
ません,
なぜバブルが発生し、崩壊したか、どんなバブルだったのかを分析しておくことは重要です。
当時、大蔵省証券局に在籍していた私は証券局内部のことを知っていますので、バブルの核
心について触れたいと思います。
この項つづく
【量子ドット工学講座 No.54:電子に強烈な影響を与える偏光】
現代の電子工学は、負の電荷を帯びた数多くの電子の動きによって打ち立てられきたが、電
子のふるまいの詳細は未だ明らかでない。例えば、偏光した電磁波の影響を受けた際、電子
はどのように動くかという疑問は未解明。偏光は、電磁波や光波などの波が回転するときに
発生するが、時計回りまたは反時計回りに回転する電場をもつマイクロ波の電磁場は、理論
的には電子の回転に影響を及ぼす考えられている。しかし実験をしてみると、電子がマイク
ロ波の偏光に影響を受けていないように見える。
1月26日、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究グループらは、この理論と実験結果の乖
離を説明することに成功する。同上のグループは、二次元平面上の電流を測定→マイクロ波
の偏光を変化させる偏光が実際に電子の動きに影響を及ぼすことを証明。
従来の実験では、電子の動きは、半導体のような固体状態の材料で研究されていたが、固体
材料の不純物の除去が不可能な不純物が実験結果を左右していたが、液体ヘリウムで半導体
機能をよく模倣した実験システムを作り→真空槽内の液体ヘリウム表面上の電子を、絶対零
度まで冷却(固体で理想的な材料はない)。電子とマイクロ波の両方の場が、同方向に回転す
ると、偏光効果が最も強くなるが、回転の方向が反対であれば、効果がかなり減少すると仮
定し今回の発見に至る。
ヘリウムは、絶対零度に達しても、液体状態であり続けるてユニークな性質をもつ一方、他
の化合物(ヘリウム内の不純物)は凍結して容器の壁に付着する。 超低温では、ヘリウムの
表面の電子が「量子化」され、液体に垂直な電子の動きは、2次元空間内に「凍結」される
というもの。この実験システムでは、円形の偏波マイクロ波を電子層に送り、マイクロ波場
の回転と同じ方向に電子を回転させると、電圧をかけた測定中の電子の流れが、磁場で振動
する。磁場の方向を変えて電子の回転を反転させると、振動が著しく弱りなった。さらに電
子の回転を変えず、マイクロ波場の回転方向を逆転させても、同様の挙動を観察する。
上記の実験結果から、電子は電磁波の偏光の影響を実際に受けることを意味、これらの電子
的振る舞いが、なぜこのようにふるまうのか、さらに正確に理解する必要がある結論する。
つまり、現時点では、数多く存在する理論のうち、どれが主要な理論なのか示すことができ
なとのこと。
『Diamonds』 歌 プリンセスプリンセス 作詞・作曲 中山加奈子、奥居香
「Diamonds」(ダイアモンド)は、前作「GET CRAZY!」がドラマ主題歌となったことによ
り、徐々に知名度を上げていたプリンセス・プリンセスが、前作からちょうど半年ぶりにリ
リースした作品。前作で成し遂げられなかったオリコンシングルチャートTOP10入りを成し
遂げ、ついには1位にまで上り詰める大ヒット曲となった。1993年10月21日には「世界でいち
ばん熱い夏」の再レコーディングバージョンが新たに収録されて再発売されている。調はホ
長調(終盤はヘ長調に転調)。
好況で忙しい1989年、世にいう「平成バブル」下のヒット曲。
● 今夜寸評:19歳の青年に何があったのか
市内の河瀬駅前交番で男性巡査部長が射殺され同僚巡査の少年が殺人容疑で逮捕された。テ
レビで報じられ、すぐさま、家内を忠告し施錠し、市内に住む知人に警戒・施錠を促す電話
を入れる。就眠途中目を覚まし背筋の寒気に見舞われる。詳細は不明だが、殺人の衝動を抑
止する命への慈しみ情操教育に思いを馳せた。在り来たりなことは言わぬ。現代社会の「人
々の絆の劣化」を真正面にとらえたい衝動にかられることとなった。