『呉子』
春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。『孫子』と併称される兵法書。前四
世紀楚の宰相であった呉子の言を集録したものという。
2.治 兵(ちへい)
統率の原則はなんであろうか。部下が戦いやすいような条件を作ってやることであり、必死の気
持をおこさせることだ。
順風には大声を
「全軍の前進と停止には何か原則があるものだろうか?」
武侯がたずねると、呉起は、
「”天竈(てんそう)”.”竜頭(りょうとう)”といわれる地形は避けねばなりません。”天
竈とは大きな谷の出入口であり、”竜頭”とは大きな山の端です。このようなところに大軍をと
どめていれば、敵襲を受けやすく不利を招きます。旗にも決まりがあります。青竜の旗を左に、
白虎の旗を右に、朱雀の旗を前に、玄武の旗を後ろにし、招揺の旗を中央にかかげ、将はその下
にいて命令を発します。
まさに戦おうとするときには、仔細に風向きを調べ、順風のときには大声を出して進み、逆風の
ときは陣を堅固にして待機します。」
〈青竜、白虎、朱雀、玄武、招揺〉 それぞれ星座の名。東、西、南、北、中央を意味する。今
日から見れば、とくに意味はない。ただ最後の一節、順風のとき云々は、チャンスを積極的に活
用して効果を大きくする意味に解することができよう。
軍馬の扱い
「軍馬を飼育するには、どんな方法があるだろうか?」
武侯がたずねると、呉起は、
「馬は、環境を静かにしておちつかせ、水や草を適宜に与え、飢えさせたり食わせすぎたりしな
いようにします。冬には厩舎を温かくし、夏にはひさしをかけて涼しくしてやります。毛やたて
がみは短く切り、注意深く蹄を切り落とし、耳目を保護してびっくりさせないようにしなければ
なりません。
走ること、進むこと、止まることを訓練し、人によく馴れるようになってから実戦に使うことで
す。鞍、くつわ、たづななどの馬具は、しっかりつけておきます。馬が傷つくのは、乗ってしば
らくたったときではなく、乗りはしめたときです。病気になるのは服が誠ったときではなく、必
ず食いすぎたときです。また、馬は寒さよりも、暑さに弱いものです。日が没してなお行く手が
遠ければ、乗ったままでなく、ときどき馬をおりておやりなさい。人間がくたびれても馬を授れ
させないくらいの心がけが必要です。いつも、馬に余力をもたせ、優勢な敵が襲ってきた場合に
備えることです。この点を十分に心得る者は、天下をわがものとできるでしょう」
〈軍馬〉古代中国では馬にひかせた車に乗って戦っていた。ついで馬そのものに梁って戦う騎馬
戦があらわれた。いずれにせよ馬は爪荷な戦力だった。
大爆笑のような桜の中千本およぎゆくなりわがうつしみは
ここにおいでだれの声なり耳すます入相の鐘ながるる吉野
陽のなかをふりゆくさくらが青みおぶ明るき花とついに思わず
鷲尾三枝子/歌集『褐色のライチ』
❦ 入相(いりあい)の鐘:日暮れ時に寺でつく鐘
連載が終了した『エネルギー革命元年』を最新事業開発の考察を継続しながら、新しい事業開発
の考察として『再生医療』の事業開発を掲載していくことにする。ところで、再生医療開発の考
察として『再生医療』の事業開発を掲載していくことにする。ところで、再生医療こと、再生医
学( Regenerative medicine)とは、人体の組織が欠損した場合に体が持っている自己修復力を上
手く引き出し、その機能回復の医学分野である。
【目 次】
・はじめに
・臨床ラッシュ 他人由来の細胞で治験へ 難病治療に広がる可能性/インタビュー 岡野栄之
(慶応義塾大学医学部長)/ロボットで脊髄損傷を治療 脳と神経のループを再構築
・パーキンソン病 インタビュー 高橋淳 京都大学iPS細胞研究所教授(神経再生学)
・3大疾病 がん 再生医療の「オプジーボ」? 免疫細胞を増強する新治療
・3大疾病 脳卒中 細胞が「薬」になって脳を刺激 慢性期脳梗塞の新治療法
・3大疾病 心筋梗塞 ヒトの「心筋」シート化 2018年度に治験開始へ
・毛髪再生 再生医療でフサフサ? 資生堂、京セラが参入
・カナダ・トロントリポート 官民の資金で成長後押し
・関連銘柄24 再生医療で広がる市場 迫る医療の「産業革命」
カナダ・トロントリポート
官民の資金で成長後押し
カナダが再生医療の産業化を猛烈に進めている。その中心オンタリオ州トロントをリポートする。
「細胞治療産業の世界的なハブとしてオンタリオの地位を強めるものになる」――カナダのジャ
スティン・トルドー首相がこう表現する再生医療の新施設が2018年末にカナダ最大の商業都
市・トロント(オンタリオ州)中心部の「マース・ディスカバリー地区」にオープンする。
花谷美枝(はなやよしき)(編集部)
連邦政府と州政府、米GEヘルスケアが合計4000万カナダドル(約34億円)を投じ、細胞
培養や製造を行う施設を造る。16年5月には、同じ地区に米製薬大手のジョンソン・エンド・
ジョンソンが研究施設「JLABS」を開設している。同施設はライフサイエンス分野のベンチ
ャー企業が50社ほど入り、研究開発を行う。米国外での開設は初めて。この施設にもオンタリオ
州政府が1940万カナダドルを投じている。
マース・ディスカバリー地区とその周辺は、トロント大学をはじめ大学の研究機関、がん研究セ
ンター、病院、ベンチャー企業の支援施設などライフサイエンス分野の機関が集まる。特に11
年に再生医療商業化センター(CCRM)が開設して以降は、再生医療関連の企業、研究者投資
資金が集まるようになった。
CCRMは連邦政府と州政府が共同出資する非営利組織で、技術開発や資金支援などを通じて、
研究機関と民間企業の橋渡しをする。CCRMのマイケルーメイCEOは、「細胞培養の設備を
整えることで、製造コストを大幅に減らせる。ベンチャー企業にCCRMが力を貸す効果は大き
い。今後は臨床試験の支援も加速させる」と、支援体制の強化に意欲を見せた。
大学発ベンチャーが多数
再生医療を】大産業に成長させるべく官民のマネーがこの地区に流れ込んでいる。
医療機関と連携して再生医療の研究を進めるマキューワン再生医療センターは、独バイエルなど
が設立する再生医療の新会社と協力して心臓の機能回復の研究を進めている。
カナダの心臓病研究の権威でもあるダンカンーステュワート博士によると、現在研究が進むのは、
心臓病を心筋細胞などの移植によって治療する「バイオロジカル(生物学的)・ピースメーカー」。
幹細胞から心筋細胞を作り、培養して患者に移植する。培養した心筋細胞を顕微鏡で見てみると
赤い塊が脈打つように動いていた。現在は動物実験の段階だが、早期にヒトでの臨床試験を目指
すという。
大学発のベンチャー企業も立ち上がっている。トロント大学のジョン‘デイビス教授が立ち上げ
たTRTは、臍帯(へその緒)血から間葉系幹細胞を取り出し、応用する技術の商業化を目指し
ている。
間葉(かんよう)系幹細胞は骨や血管のもとになる細胞で、細胞移植の治療の中でも活用の頻度
が高くなると見られている細胞の一つだ。身体の損傷部分に移植すると栄養を供給したり、血管
を作ったりする治療効果があると考えられているため、カナダ軍も注目している。
中でも臍帯から採取する間葉系幹細胞は成人の組織から採る細胞よりも、培養のしやすさ、炎症
を抑える効果など細胞の「質」が高いと言われている。臍帯は通常、出産後に破棄されるが、T
RTはこれを買い取り、冷凍して細胞に加工する。臍帯を加工していた女性研究員は、「この臍
帯は、向かいの病院から遅ばれたもの。このスピード感は研究上とても有利」と地の利の良さを
強調していた。
関連銘柄24
再生医療で広がる市場 迫る医療の「産業革命」
再生医療に上場企業が相次ぎ参入し、関連銘柄が増えてきた。投資家は、企業の技術力と開発の
段階、将来性を見極める目が求められる。
繁村京一郎(野村証券医薬・ヘルスケアチーム・ヘッドエグゼクティブ・ディレクター)
大手製薬企業にとって、再生医療は高付加価値型の新規領域として魅力的な市場だ。再生医療に
参入することで、従来の医薬品のコンセプトでは限定されがちな病気や加齢で衰えた組織に関わ
る未治療領域の開拓が進みそうだ。大日本住友製薬はバイオベンチャーのサンバイオと米国で共
同開発を行っており、武田薬品工業は京都大学iPS細胞研究所と共同研究を進めている。アス
テラス製薬は眼科領域の再生医療に強い米オカタセラピューティクス(現アステラス・インステ
ィチュート・フォー・リンエネレイティブ・メディシン)を買収している。基礎研究段階で世界
に先進した技術を保有することで、国際競争力を発揮できる可能性がある市場として参入が続い
ている。
ロート製薬が臨床試験へ
現在、再生医療等製品として上市(発売)したのは4製品で、これに続くことが期待されるパイ
プライン(開発品)を待つのが、サンバイオなどのバイオベンチャーだ。
サンバイオの再生細胞薬「SB623」は、慢性期脳梗塞を対象に米国で第2b相臨床試験が、
外傷性脳損傷については日米で第2相臨床試験が開始されている。日本では帝人が開発・販売権
を待つ慢性胡座梗塞について臨床試験の開始が待たれる。慢性期座梗塞はリハビリで現状維持を
図るほか今は手だてがない。SB623の成功イメージは、例えば「(脳梗塞の後遺症が残る)
長嶋茂雄氏が再びフルスイングできるようになる」というものだ。患者数が多い領域なので、上
市すれば売上高1000但円超の「ブロックバスター」級の大型品になる可能性かおる。同社は
他家(他人由来の)細胞の製造技術を確立しており、多くの患者へ供給し、アンメットメディカ
ルニーズ(治療法が確立していない分野)を普遍的治療に変えることが期待される。
未上場だが、国内ベンチャーのアイハート‘ジャパンはiPS細胞(人工多能性幹細胞)から
心筋細胞製品の開発を進めており、16年6月にはタカラバイオから研究用心筋細胞製品を発売し
ている。心筋細胞、内皮細胞、壁細胞を積層化した多層シートで機能改善を目指す。再生医療の
プレーヤーは医薬品関連企業に限定されない。再生医療で必要とされる技術には医薬品とは異な
る工学的手技も含まれる。製薬企業、バイオベンチャーだけではなく、ロボット開発企業やヘル
スケア領域への進出を狙う異業種、更にはビューティーケア関連からの参入など、多様な事業者
が参画し、市場が形成されつつある。
富士フイルムホールディングスはM&A(合併・買収)により再生医療企業を次々と傘下に収め
ている。・-PS細胞の開発・製造を行う米セルラー・ダイナミクス・インターナショナルを完
全子会社化し、再生医療等製品のパイオニア的存在であるジャパン・ティッシュ・エンジニアリ
ングも連結子会社化した。昨年12月には試薬メーカーの和光純薬工業の買収を発表している。
ロート製薬は、肝硬変を対象とした細胞治療の研究に取り組み、今春をめどにヒトを対象にした
臨床試験開始の届け出を目指すほか、大阪大学とともに重症心不全の治療研究にも取り組む。ま
た同社は目薬で培ってきた無菌製剤技術を生かして細胞自動培養装置も自社開発している。再生
医療の技術開発で得た知見を生かしたスキンケア商品「ステムサイエンス」も製品化し、こちら
はいち早く業績貢献が始まっている。
資生堂、京セラは毛髪再生の分野の研究開発を進めている。資生堂はカナダのベンチャー企業と
提携し、「毛球部毛根鞘細胞」を培養、移植して脱毛部位の健康な毛髪成長を促そうとしている。
京セラは理化学研究所、バイオベンチャーのオーガンテクノロジーズと共同開発契約を締結し、
髪の毛のもとになる「毛包原基」の作成、移植による臨床試験入りを目指している。
Apr. 29, 2018
iPS細胞を使った「再生医療」の未来
研究長期化・撤退リスクも
サイバーダインの医療ロボット「HAL(ハル)」は脳の信号を身体動作の改善に結びつける独
自技術で脊髄損傷や脳卒中患者の機能回復へ向けた治験を進めている。すでにドイツで労災保険
の適用対象となり、日本でも昨年、神経難病等で保険診療が始まった。同社の取り組みは、再生
医療が従来の「医薬品」の概念を超えた新たな産業領域となりうる可能性を示している。
再生医療産業化するためには、「高額で特別な医療」ではなく、「適正価格で誰もが受けられる
医療」になる必要がある。今は自家(自分由来の)細胞で治療に数千万円以上かかるが、細胞の
大量生産技術の進歩、他家細胞の活用により、数百万円程度まで下がると期待される。慢性疾患
を根本的に治療できるようになれば、治療費や時間の節約につながり、医療財政健全化に貢献す
るだろう。
20世紀前半に天然物由来の細菌などから医薬品が見いだされた段階を「医療1・O」とするな
ら、化合物の合成で医薬品市場が拡大した20世紀後半が「医療2・O」、1990年代になると
遺伝情報の解析が進み抗体医薬が開発される「医療3・O」の時代を迎えた。その次の「医療4
・0」が再生医療だ。既存医療では進行を遅らせるしか手だてがない疾患や難病を完治できる治
療法となる可能性を秘める再生医療は、医療の「産業革命」を起こす可能性かおる。
ただ、ほとんどが最初の製品の臨床研究や臨床試験中であり、実際に再生医療等製品が売上高や
営業利益へ寄与するまでには数年の時間がかかる。上市に至るまでには、開発期間の延期や撤退
のリスクもある。日本では14年11月に再生医療等製品の早期承認制度が導入されたが、早期
承認でも条件付きとなった場合は、正式承認まで厚生労働省への臨床データ報告が義務付けられ
る。臨床結果次第では正式承認に至らないリスクもあり、注意が必要だ。
再生医療は2050年に国内2.5兆円、世界で38兆円の市場と予測されている。2020年代
の半ばまでの、効果がコストに見合わない期間のギャップを埋める必要がある。早い段階から治
療とケア(ハビリテーション/リハビリテーション)とセットで行うことが必要である。就労支
援などの連動が重要だ。さらに、再生医療改革を円滑行うための重要課題としては、少子化など
連関する熟練者の不足が懸念されており、iPS細胞作製の技術/機能の技をAIでバックアッ
プし、機械化も求求められており、「言うは易し、行いは難し」の緊迫した状態が続きそうだ。
この項了
第5章 イタリアの巨大トマト加エメーカーのジレンマ
第1節 イタリア、トスカーナ州。マレンマ自然公園、アルベレーゼ
トマト畑の周回には、大きなオリーブの木が一列に植えられていた。真っ赤に熟した実が日差し
にキラキラと輝いている。「明日収穫します」と生産者が言う。有機栽培されたというそれらの
実は驚くほど立派だった。近づいていって、ひとつもぎとる。太陽をたっぷり浴びた実はほんの
り温かい。「ほら、ウサギよ!」と、ベッティの広報部の女性ふたりが声をかけた。.
2016年7月26日、わたしは、イタリアのトマト加エメーカー、ペッティが所有する畑にや
ってきた。1925年、ナポリのヴェスヅィオ山の麓で初代アントニオ・ベッティ(1886年
~1955年)が設立した会社だ。
20世紀を通じて、ペッティはアフリカと中近東に多くの市場を開拓した,.1971年には
ホールトマト缶、1980年代初頭にはトマトペースト缶の生産で、それぞれ世界第1位になっ
ている。2000年代初めには、アフリカで消費されるトマトペーストの70パーセント近くを
供給した。2005年からは、ナイジェリアに工場を構え、中国から輸入したドラム缶入り濃縮
トマトを再加工して出荷している。
ペッティは、いまや加工トマト業界で無視することのできない巨大メーカーだ。たとえるなら、
トマト色のチェスボードの上に立つクイーン。アメリカのハインツに次いで濃縮トマト輸入量も
世界第2位だ。イタリアのテレビでは、フヘッティはトマトが大好き」というキャッチフレーズ
のCMがしょっちゅう流れている。
ペッティの工場はイタリア国内に複数あるが、それぞれが違う役割を拒っている。カン八二ア州
サレルノ県のノチェーラ・スベリオーレには、ヨーロッパ最大のトマト加工工場がある。
ここではトマトペーストの缶詰とチューブを生産し、世界中へ輸出している。ただし、トマトか
らの加工はいっさい行なっていない。主に中国からドラム缶入り濃縮トマトを輸入し、大型機械
を使って再加工して個別の容器に詰めなおした後、「イタリア産」のラベルを貼って出荷してい
る。
現在の最高経営責任者(CEO)はそのノチェーラエ場にいるはずだった。創業者の祖父と同じ
名前の、アントニオ・ベッティだ。わたしはどうしてもこの人物に会いたかった。そしてそのイ
ンタビューは、今回の取材のハイライトになるはずだ。決して失敗は許されない。だが、カンパ
ニア州にあるトマト加エメーカーの経営者たちは、事業についてあまり話したがらないと間いて
いる,ダイレクトに攻めるのは危険かもしれない。
そこでまず、トスカーナ州ヴェントゥリーナを訪れることにした。わたしが今いる場所だ。
ペッティのトスカーナエ場では、イタリア産トマトを使って加工品が生産されている。トスカー
ナ産の高品質トマトは、ペッティの広告にしょっちゆう登場する。ここで作られるトマト缶は、
カン八二ア州のノチェーラエ場のものとはまったくの別物だ。イタリアで栽培したトマトしか使
われておらず、しかもその一部は有機栽培されている。ここで作られたトマトペーストとトマト
ソースは、イタリア国内のみで流通される。
広報部の女性たちが、美しい田園風景で知られるマレンマ自然公園を案内してくれた。とても素
晴らしいところだ。だがわたしは、ペッティにとってここは格好のショーウィンドウであること
を知っている。会社のよいイメージをアビールするための場所。有機栽培されたおいしいトマト
をかじりにやってきたウサギは、エデンの園が描かれた美しい絵のなかの重要な脇役だ。いいだ
ろう、喜んで散策しようじやないか。そうすることで、ノチェ士フ・スベリオーレで創業者の孫
で現CEOのアントニオ・ベッティに会えるのなら。だがあちらの工場には走り回るウサギはい
ないだろう。ここで禁断の実をかじってしまったわたしには、もしかしたら大変なことが待ち受
けているのかもしれない。
第2節 トスカーナ州、ヴェントゥリーナ・テルメ
世界中のどんなトマト加工工場でも同じだが、ここでもまた耳をつんざくような騒音が鳴りひび
いている。遠くのほうの機械から、けたたましいサイレン音が聞こえる。この匂いも特徴的だ。
夏の熱気に温められたトマトの山が発する甘ったるい匂い。最初はほんのりとやさしい匂いに感
じられるのだが、次第に鼻にまとわりつくようになり、やがて頭痛がしてきて吐き気さえ覚える
ことがある。工場経営者たちは「自宅のキッチンでトマトビューレを作るときと同じ匂いです」
と言うが、本当にそうだろうか。というよりこの場白け、夏の間ずっと毎日、一日2回時間、数
千トンのトマトを焼いたときの匂いというべきだ。あまりにも量が多すぎて具合が悪くなる。
建物内に入り、白い上着と帽子を身につけると、工場の幹部社員が案内に立ってくれた。時刻は
夜10時だ。ベルトコンベアの前でトマトを選別している女性作業員たちがいた。そばまで近づ
いてみる。トマトがすごいスビードで流れている。女性たちは、まだ青い実、傷んでいるもの、
茎などの異物を取りのぞいていた。ごく稀に小動物や昆虫が紛れこむこともあるという。トマト
は工場まで機械で収穫・運搬されるからそういうこともあるらしい。
世界のトマト加工工場はどこでもそうだが、ここでも毎年夏になると夜間も操業する。男も女も
働く。経営者にとっては、より多くのトマトを加工でき、機械の稼働率を上げ、工場の生産力を
最大限に活用することができる。利益を増やし、会社の競争力を高めることができる。
トマトを選別している女性作業員たちのそばに、真新しい機械が置かれていた。光学式選別機だ
。これはわたしも知っている。パルマで開催された業界のプロ向け展示会で、機械メーカー社員に
見せてもらったのだ。光学センサーによって、赤く然したトマト以外のものを認識して取りのぞ
く機械だ。滝のようなスピードで流れていく大量のトマトを、一秒当たり数十個の別海ですばや
くスキャンする。トマトがコンベアの上を流れている間に不要なものが検知されると、機械の仕
切り板がすばやく動き、コンマ数秒の速さで外へはじきだす。まだ赤くないトマト、なんだかよ
くわからない正体不明のものがすべて、カチッという乾いた音とともに即座に排除されるのだ。
「この技術はじつに素晴らしいです」と、パルマの展示会でメーカー社員は言っていた。
「体むこともミスすることもなく、一日二四時間働いてくれます。一番のポイントは、なんとい
っても人材を減らしてコスト削減ができるところです。それに、機械なら人間と追って疲れない
し、注意力が散漫になることもない。バカンスも有給休暇も不要です」
確かにこの選別機を導入すれば、会社は労働者を減らして、より多くの利益を挙げることができ
るだろう。
「イタリアでは人件費はとても高いのです!」と、工場内の騒音にかき消されないよう、案内を
してくれている幹部社員がわたしの耳元で叫んだ。
「この機械はじつに便利です。もちろん、大変高価で数十万ユーロもしますが、わずか数年で
元が取れますよ」
ほかのトマト加工工場のように、ここでもラインはトマトの選別と洗浄から始まる。その後、皮
をむかれ、種子を取られ、加熱粉砕され、水分を蒸発される。それからは、濃縮の度合いによっ
てトマトソースにされたり、ペーストにされたりする。だがこうした工程は、機械の内部や煙が
充満したパイプ内で行なわれるため、その様子を見ることはほとんどできない。
トマトの赤い邑が再び外に現れるのは、自動充填機でガラスボトルにトマトソースを注入すると
きだ。回転木馬のようにぐるぐる回っている機械で、空のガラスボトルを運びながら、そのなか
にすごいスピードでソースを注いでいく。ボトルがいっぱいになると蓋が閉じられ、減菌処理を
される。たくさんのソース瓶が、わたしの頭上や周囲をどんどん流れていく。
ラインの最後に、また別の最先端機器があった。克服後のボトルに異常がないかを調べるX縁検
査装置だ。コンマ数秒の速さでボトルを一本ずつ撮影し、その画像を解析する。もしボトルに傷
があったり、蓋が凹んでいたり、ガラス片や小石などの異物が混ざっていたりしたら、すぐにそ
のボトルをはじきだす。それと同時にアラームが鳴るので、作業員ははじかれたボトルをチェッ
クし、報告書に詳細を記載する。
Petti - Il pomodoro al centro
第3節
工場見学を終えたあと、パスクワーレーペッティに会うことができた。この工場の代表者で、ベッ
ティー族の後継者でもある。わたしたちは、工場の屋上にある幹部社員専用のテラスに上り、い
っしょにディナーをとった。夏の夜、屋外での食事は気持ちがいい。
パスクワーレは早口でしやべる男だった。テーブルの隅に席をとると、まるでひとり言のように
ぶつぶつつぶやきながら、大手スーパーチェーンに対する怒りをぶちまけはじめた。そうとう興
奮しているらしい。
「うちの工場の商品は、トスカーナ産生トマトを100パーセント使用している。高い品質を保
つために、そうとう苦労してるんだ。なのに大手スーパーチェーンのやつらときたら値段のこと
しか言わない。1セントでも安く手に入れることにしか関心がない。こっちの努力なんて、やつ
らにはどうだっていいんだ。そうさ、うちの工場では、あいつらのためにブライベ-トブランド
商品を作っている。でもそのおかげて、こっちはちっともやりたいことができない。あいつらの
やりかたを押しつけられて、まったく息が詰まりそうだよ。前回注文を受けた分をまだ納品も精
算もしていないうちから、また次の分のトマトソースを大量に作れと命令してくる。ぼくはペッ
ティのために戦ってるんだ。このブランドの価値を七げて、利幅を大きくし、社員が自社の商品
に誇りを抱けるようにしたいんだ。大手スーパーのやつらがメーカーに何を要求してるか知りたい
だろう?あいつらが何を欲しがってるか、教えてやろうか?どんなものを作れと言ってきてると
思う?」
パスクワーレがカリカリと怒りながらしゃべりつづける姿に、わたしはあっけにとられていた。
だが、相槌を打ちながら、相手の話にじっくり耳を傾けた。もちろん知りたい。大手スーパーは
いったい何を欲しがっているのか。
「やつらが欲しいのは、なるべく安い商品さ。それが少なくともトマトソースに見えて、消費者
が食べて死ななければ、なんでもいいんだ。待ってろ、見せてやる」
パスクワーレは突然立ち上がってどこかへ行ったかと思うと、トマトソース缶、大きなサラダボ
ウル、ボトルウオーター、スプーンを抱えて戻ってきた。わたしたちのテーブルのまわりでは、
ほかの幹部社員たちがみな、身動きひとつせずに表情をこわぼらせている。だが、一言も口出し
することなく、事の成り行きを見守っていた。
「いいかい?本物のトマトソースと、大手スーパーのプライベートブランドのクソみたいなトマ
トソースの違いを見せてやろう。さあ、こうしてトマトソースを少量ボウルに入れるだろう?
そこに水を注いでスプーンでかき混ぜて、さらに水をもっと……もっと入れて……」
パスクフーレは、相変わらず怒りがおさまらない様子で、スプーン数杯のトマトソースに水をた
っぷり注いでずっとかき混ぜている。少しずつ、ソースと水が混ざりはじめていく。とうとう、
大量の水とトマトソースによる赤い液体が完成した..
「ほら、これがプライベートブランドのソースだ。そちらは、トスカーナ産トマト100パーセ
ントの、ベッティブランドのトマトソース。食べ比べてみて、どう違うかI召ってくれ」暗かに
誇りに思うだけのことはある。バスクワーレ・ベッティの工場で作られたトスカーナ産のトマト
ソースは、味も舌ざわりもまさに本物だった。
この項つづく