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エネルギー通貨制時代

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第38章 仁義礼智は虚飾
徳の上なるものは、徳であろうと努めない。だからこそ、真の徳となる。徳の下なるものは、徳であろう
と努める。だからこそ、徳でなくなる。
徳の上なるものは、徳であろうと作為せず、徳の名を得ようともしない。徳の下な・るものは、徳であろ
うと作為したうえ、拍の名を得ようとする。

仁の上なるものは、仁であろうと作為するが、仁の名を得ようとはしない。
義の上なるものともなれば、義であろうと作為したうえ、義の名を得ようとする。
礼の上なるものに至っては、みずから礼であろうと作為するだけでは事足りず、ひとにまで礼を強制する。

したがって、以下のようにいえるだろう。「道」にのっとろうとする「徳」が現われるのは、無為自然の
道が失われた後であり、「仁」が現われるのは、徳が失われた後であり、「義」が現われるのは、仁が失
われた後であり、そして「礼」が現われるのは、義さえも失われてしまった後である。
そもそもこの礼たるや、人の本性が忘却されてはじめて生ずるのであって、乱のはしりにほかならない。
「智」に至っては、道から見ればうわべの飾りであって、限のはじまりにほかならないのだ。
志操堅固な人間は、本性を守って虚飾を捨てる。つまり、仁義礼智を顧みず、ただ「道」にのっとるのみ
である。

上徳は不徳 孟子は、「仁義礼智」を人間に内在するものと考え、性善説を展開した。ところが老手は、
これらをすべて作為として片附ける。あまつさえ老子は、「徳」さえも作為の一種と公言してはばからな
い。それは、作為・を捨てることを志向する作為であるゆえに、「道」に近いといえるだけである。「道
を失いて而る後に徳」。老子は限りなく「道」を慕いながらも、それが限りなく辿いものであることを、
厳しく自覚していた。

● 読書日誌:カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』 No.15 

  

第3章
翌朝、アクセルが目覚めると、日の光が幾筋も部屋に射し込んでいた。昨夜は床の上に寝たが、柔らかな
絨毯を重ねてベッドにし、そこに暖かい毛布を何枚もかけて寝たのだから、自分の家で寝ているよりよほ
ど豪勢だったと言える。目覚めたいま、腕も脚もよく休めた感じがした。また、何やら楽しい記憶が頭の
中に漂っている状態で目覚めて、気分もよかった。

ベアトリスが横で身動きしたが、目はまだ閉じたままだ。呼吸も安らかにつづいている。アクセルは妻を
しげしげと見た。期のこんなとき、よくそうしながら胸に静かな喜びが満ちてくるのを待つ。いまも期待
どおりに喜びがあふれてきたが、今朝はそこに少しの悲しみが混じっていた。予想外のその感覚にアクセ
ルは驚き、妻の肩にそっと手を滑らせてみた――そうすることで悲しみの影を拭い去れるとでもいうよう
に。外に物音が聞こえたが、夜中に起こされたときのような騒音ではない。これは、普通の朝に村人が普
通に仕事に出かけていくときの物音だ。とすると、ベアトリスと二人、きまりが悪いほどに朝寝坊してし
まったことになる。だが、それでもまだ妻を起こす気にはならず、じっ見つめつづけた。やがて注意深く
ベッドを抜け出し、木のドアまで歩いていって、そっと押してみた。

このドアは、木の蝶番で開閉する本物のドアだ。きしみながら少し開いて、その隙間から太陽が力強く押
し入ってきた。ベアトリスはまだ眠りつづけている。あまりの熟睡ぶりに少し心配になり、ベッドに戻っ
て、わきにしゃがみ込んだ。しゃがむとき、膝にこわばりを感じた。妻がようやく目を開き、アクセルを
見上げた。

「起きる時間だよ、お姫様」ほっとして、だがそれを見せずにアクセルは言った。「村中起き出して、こ
この主もとうに出かけた」
「もっと早く起こしてくれればよかったのに、あなた」
「安らかな寝顔だったし、昨日は長い一日だったし、眠れるだけ眠るのがいいと思ってな。今朝のおまえ
は苦い娘みたいに元気そうだ。眠らせておいてよかった」
「何をつまらないことを……夜に何かあったのかまだわからないのに。でも、外の物音からすると、互い
に殺し合ったってこともなさそうですね。子供の声が聞こえるし、犬も満腹でご機嫌みたいだし。ね、ア
クセル、顔を洗う水はあるのかしら」

しばらく待ったが、アイバーは戻らない。二人はできるだけ見苦しくないよう服装を整え、何か食べるも
のを探そうと、からりとして明るい空気の中へ出ていった。今朝の村は、昨夜よりずっと穏やかな場所の
ように見える。暗闇の中であれほどでたらめに配置されていた丸い造りの家々が、いまは整然と並んで二
人の目の前にある。その家々から落ちる影が一本の大通りを形成し、村の中を伸びている。手に道具を持
った男や洗濯桶を抱えた女が忙しそうに行き交い、子供たちが集団でその後を追っていく。犬は相変わら
ずの多さだが、みなおとなしそうだ。

 Sept. 29, 2018

昨夜、ここが手の付けられない場所だったことを思い出させるのは、唯一、井戸の前で日の光を浴びなが
ら気持ちよさそうに脱糞している驢馬くらいだろうか。村人のなかには、通りかかる二人にうなずき、小
声で挨拶してくれる人までいる。ただ、さすがに話しかけてくる人はいなかった,

さほど歩かないうちに、通りの前方にアイバーと戦士を見つけた。じつに対照的な二人だが、いま頭を寄
せ§って何事か話し白っている。アクセルとベアトリスが近づいていくと、アイバーが一歩下がって、照
れくさそうな笑いを浮かべた。

「あまり早く起こしたくなくてな」と二人に言った。一だが、主人としては失格だな。お二人とも餓死寸
前だろう。長屋までついてきてくださらんか。腹いっばいにしてさしあげよう。そのまえに、昨夜の偉大
な英雄を紹介しておこう。ウィスタン殿だ。ウィスタン殿はわれわれの言葉もよく解する」

アクセルは戦士に向き直り、頭を下げた。

「妻もわたしも、大いなる勇気と寛大さと技を兼ね備えたお方にお会いできて、光栄に存じます。昨夜は
すばらしいお手柄でした」
「手柄などと大げさな、ご老人。技も特別なことはありません」戦士の声は昨晩と変わらず穏やかで、目
の周りには笑いがあった。「昨夜は運が味方してくれたうえ、勇敢な同志もいて力添えを頼めましたから」 
「この方の言う同志は、小便を漏らすのに忙しくて戦いに加わるどころでなかった」とアイバーが言った。

「悪鬼を倒したのはこの戦士殿お一人よ」
「長老、もうやめましょう」戦士はアイバーにそう言いながら、いまアクセルをじっと見つめていた。ア
クセルの顔に何かの印でもあって、それに心を奪われたとでもいうように。

 Apr. 1, 2015

「わたしたちの言葉を上手にお話しになります、戦士殿」相手の真剣な眼差しに驚いて、アクセルが言っ
た。

戦士はアクセルを見つめつづけたが、はっとわれに返って笑った。

「お許しを、ご老人。一瞬あなた・・・・・・いや、お許しを。この身は骨の髄までサクソン人ですが、ここか
ら遠くない場所で育って、ブリトン人とも交わりがありました。それで、自分の言葉のほかに、あなた方
の言葉も覚えました。ただ、最近は遠くの沼沢地に住んでいて、あまり話す機会がありません。あそこで
はいろいろな言葉を聞きますが、あなた方の言葉だけは聞かないもので。ですから、誤りがあったらお許
しください」
「いやいや、戦士殿。あなたならブリトン人でも通ります」とアクセルが言った。
「じつは昨晩も、あなたの帯刀のしかたが、普通のサクソン人とは遠うなと思っていました。位置が腰に
近く、そして高い。歩くときに、手がちょうど柄の上に来ます。ブリトン人のやり方によく似ていると申
し上げたら、お気を悪くなさるでしょうか」

ウィスタンがまた笑った。「サクソンの仲間にはいつもからかわれていますよ。帯刀だけでなく、剣の振
るい方もです。じつは、わたしの剣技はブリトン人に教わったもので、あれ以上の教えはないといまでも
思っています。多くの危険を切り抜けてこられたのも、その剣技があればこそ。昨夜もそうでした。失礼
を承知でお尋ねします、ご老人。あなたもこのあたりの方ではないのではありませんか。ひょっとして西
の国のお生まれですか」
「わたしたちは隣の国から来ています、戦士殿。ここから一日のところです」
「しかし、昔はもっと西に住んでいたということは?」
「申し上げたとおり、隣国の者です」
「ぶしつけをお許しください、ご老人。遠く西へ旅してきて、子供のころを過ごした国に――もう少し西
ですが――郷愁などを感じまして。ここまで来ると、半分覚えている人の面影をいたるところに見るよう
な気がします。お二人はもう今朝のうちにお戻りになるのですか」
「いえ、戦士殿。わたしたちは東にある息子の村へ行きます。二日のうちに置きたいと思っています」
「では、森を通る道を?」
「いえ、山の道を行くつもりでいます。途中に賢人のいる修道院があるとのことで、その方にお会いした
いものと思いまして」
「なるほど」とウィスタンが何やら考えながらうなずき、もう一度、じっとアクセルを見た。
「険しい上りだと聞いています」
「わしの客人は朝食がまだだ」とアイバーが口をはさんだ。
「だから、失礼するよ、ウィスタン殿。これから長屋までお連れする。できれば、そのあとで、またいま
のつづきをしたいが、いかがかな」

アイバーは低いサクソン語で話し、ウィスタンがこくりとうなずいた。アイバーはまたアクセルとベアト
リスに向き直り、首を振りながら重々しく言った。
「昨夜は戦士殿にたいへんなお骨折りをいただいたのに、村の問題はまだ解決から程遠い。ついてこられ
よ、お二人さん。腹ぺこだろう」

 Jun. 29, 2018

アイバーは一歩ごとに杖で大地を突きながら、ぎくしやくとした足取りで進んだ。何かに気をとられてい
るらしく、混雑した路地で二人が後れはじめても、それに気づかないようだった。数歩先を行くアイバー
を追いながら、アクセルがベアトリスに
「あの戦士はすばらしい男だ。そうは思わないかい、お姫様」と言った。
「確かにね」とベアトリスがそっと笞えた。「でも、あなたをじっと見るときの目つきがおかしかったで
すよ、アクセル」

もっと何か言いたそうだったが、アイバーが二人を迷子にさせそうになったことに気づき、曲がり角で立
ち止まって待っていた。


やがて、三人は日当たりのいい中庭に出た。真ん中を人工の小川が流れ、鷲鳥(しちょう)が放し飼いに
なっている。小川と言っても、地面に浅い溝を掘っただけのものだが、そこをけっこうな勢いで水が流れ
ている。幅が一番広いところに二枚の平らな岩が並べられ、橋代わりの飛び石として使われている。いま
一方の岩に年長の子供が一人しゃがみ込み、着るものを洗濯している。

ほとんど牧歌的とも言えるその光景にアクセルはうたれ、できるものならもっと見ていたいと思ったが、
アイバーがかまわずどんどん進んでいく。向かっていく先は、中庭の端にある建物だ。庭の幅いっぱいを
使った長く低い建物で、屋根はびっしりと草で葺かれている。

外見はともかく、長屋の中に入ってみれば、現在でもあちこちの施設で見られる丸太づくりの食堂とさし
て変わらないことがわかるだろう。長いテーブルとベンチが何列にもわたって並べられ、一方の端には厨
房と配膳室がある。現代の施設との最大の違いは、とにかく干し草が目立っていることだ。頭上に干し草
があり、足元にも干し草がある。テーブルの表面も干し草だらけだが、これは意図されたものではなく、
ときおり吹き抜ける突風の置き土産にほかならない。ニ人の旅人が朝食の席についている今朝のような晴
れた日には、舷窓にも似た窓から日の光が射し込み、空中に大量に漂っている干し草の屑までもはっきり
と浮かび上がらせていたはずだ。
                             カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』

※ 「The Buried Giantにおけるイシグロ文学の継承と発展」池園宏、2018.5.25

この本タイトルのごとく巨人の発掘に参加できそうで面白くなってきた。

                                        この項つづく 

       

【社会政策トレッキング:バラマキは正しい経済政策である 12】  

 Yutaka Hrada, Wikipedea 

第2章 ベーシック・インカムの思想と対立軸
第9節 BIと富の正当性
結局のところ、BIの水準をめぐる論争は、所得再分配自体を是とするか、さらにそれは、富の正当性を
認めるか認めないか、富が何から生まれ、その機能が何であるかの論争に帰着する。BIの水準を引き上
げるためには、より多くの財源が必要となる。人々が自分の努力によって得た所得や富に高い税を課すと
いうことは、人々の所得や富を奪うことに他ならない。すると、人々の所得や富が正当なものである、ま
たは、社会にとって有用なものと認識すれば、そのような高い税は正当化されない。

一方、所得や富が不当でないにしても偶然の結果にすぎず、また有用なものではないと認識すれば、より
高い税が正当化される。しかし、ある富が偶然の所産、あるいは過去の略奪の結果だからといって、それ
を取り上げることを認めたら、社会はとんでもない災厄に見舞われることはないか。これは本章の「現実
所得分配状況と再分配政策」の項で述べた論点である。

1937~41年に三度にわたって首相となる近衛文原(1891~1945)は、1918年、27歳
のときに「英米本位の平和主義を排す」という論文を書いている。その要旨は以下のようである(要約は、
岡義武『近衛文麿――「運命」の政治家』岩波新書、1972年、による)。

 (第一次世界大)戦後の世界において民主主義、人道主義の思想がいよいよさかんになることは、今
 や否みえない。……わが国としても「民主主義、人道主義の傾向」の発達をはかることは、甚だ望ま
 しい。しかし、残念なことには近来わが国の論壇が英米政治家の華々しい宣言に全く魅惑されて、彼
 らのいう民主主義、人道主義の背後に意識的無意識的な利己主義が潜んでいることを洞察できず……
 これを正義人道の要求に合致するものとなすのは、見苦しい。英米の論者のいう平和とは、実は彼ら
 に都合のよい現状維持のことであり、それを人道の名において美化しているのである。

 ……戦前のヨーロッパの状態は英米にとっては最善のものであったかもしれないが、正義人道の上か
 らは決してそうはいえない。英仏などはすでに早く「世界の劣等文明地方」を植民地に編入し、その
 利益を独占していたため、……すべての後進国は獲得すべき土地、膨脹発展すべき余地もない有様で
 あった。このような状態は、……「各国民の平等生存権」を脅かすものであって、正義人道に反する
 こと甚だしい。

要するに、富は略奪から生まれるもので、先に略奪したものがそれを望ましい秩序とし、民主主義、人道
主義の言葉で現状を正当化するのは許されない。冨を持っていないものは、略奪ゲームをやり直す権利が
あると言っていることになる。これでは戦争をするしかないことになる。なお、近衛の言葉 にある「劣
等文明」は植民地にしていい地域、「後進国」とは日本やドイツのような持たざる文明国 ということに
なる。

何という軽率な言葉だろうか。世界において富が略奪であるなら、国内の富は略奪ではないのだろうか。
藤原鎌足(614~669)の子孫である近衛家の富は、中大兄皇子(後の天智天皇、後の626~67
1)の蘇我蝦夷・人鹿父子を賠殺したクーデター(大化の改新、645年)に協力したことと、天智天皇
の後継をめぐって争った弟の大海人皇子(後の天武天皇子(後の天武天皇、?~686)と天智の皇子で
ある大友皇子の争いである壬申の乱(672年)で天武側についたことによる。その富が正当であるのは、
中大兄皇子のクーテターについては天皇の正当性から認められるとしても、壬申の乱については、その結
果を覆すことができないという以外になんの正当性もない。

 NDC分類 289.1

第10節 近衛の危険思想の背景
近衛がなぜこのような危険思想を抱くようになったかは詳らかではないが、近衛は1904年、13歳で
父を失っている。父は、東亜同文会や国民同盟会を組織し、夏犬な借金を抱えていた。父を失うと、取り
立て屋が押しかけてきた。このころ近衛は、人の裏表を知って憂曇になる少年だったという(矢部貞治著、
近衛文麿伝記編纂刊行会編『近衛文麿』上、29~30頁、弘文堂、1952年)。

父と死別した頃は、私の家の財政は決して豊かなものでなかった。それに人情というものはまことに軽薄
なもので、父が盛んに活動していた頃は、朝から晩まで家に出入するものが引っきりなしにあって、私な
どもそれら周囲のものだちから、チヤホヤされていたのであるが、父がなくなってからというものは、ま
るで火の消えたように淋しくなってしまった。なおそればかりならまだしも、今まで父に政治上の意味で
世話になった人などが、……金を返えせと言って来るような始末、ある金持の如きは、こちらが現金で返
えすことが出来ないので、抵当に掛軸など差出すと、それを無慈悲に二度も三度も突っかえすという有様
で、私もはじめて世の風の冷たさを知ったわけであっだ。

こんなことで、……私の心の中に、社会に対する一種の反抗のようなものが起って来た。中学から高等学
校にかけての私は、トルストイのものや西欧の奇激な文学を読み耽る、社会に対してひがみが多い、憂患
な青年になってしまった。

 ……(中等科の)ころのある日、
 「昨夜実に気色の悪い夢を見た」
 と母堂にいうので、どうしたのかと聞くと、
 「三井だか岩崎だか、何でも金持のところに招待され、嫌だというのに無理にご馳走されたのですが、
 金持に膝を屈するわけがないのに、誠に残念なことだ」といった。
 ……京都の歌人が、大黒さまの持つような槌に、この槌は大黒さまの槌ならず

 と書いて、下の句をお付けなさいといったら、文麿は直ぐさま
   不忠議員のあたま打つ槌
 とっけた。当時金持と政治家は嫌っていたと見える。

父を失ったときの経験が、近衛に新興の金持ちたちへの反感を抱かせたのだろう。若いころの近衛はマル
クス主義へのシンパシーを示している。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス(1881~1973)の、反
資本主義感情は労働者ではなく土地貴族から生まれたという考察は真実鋭いものがある(L・V・ミーゼス
『自由への決断――今日と明日を思索するミーゼスの経済学』20頁、村田稔雄訳、広文社、1980年、
原著1979年)。

 

しかし、富は略奪であり、そこに正当な権利がないと最初に言ったのは近衛文麿その人だった。近衛こそ
は世界革命的共産主義者だった。近衛の「英米本位の平和主義を排す」の主張が正しければ、中国の利権
回収、革命外交はもっと正しく、中国と日本との協定(日本に戦争で負けたことによって押し付けられた
)も守る必要のない紙切れということになる。近衛は、当然に中国の革命外交を力でねじ伏せようとして
いたが、そうであるなら欧米が中国で持つ利権を否定するのは矛盾している。日本の利権も、欧米の利権
も、当時の帝国主義の慣行において得た、等しく「正当な」権利だったからだ。

 NDC分類 308

中国の革命外交には、戦前一貫して反軍、自由主義思想を抱いていたジャーナリスト、清沢冽(1890
~1945)も批判的だった。清沢は、中国が帝国主義の犠牲になり、帝国主義的利権の回収を求めるこ
とには同情的だった。しかし、条約を尊重せず、一途に利権回収を叫び、そのためにはいかなる手段も許
されるという外交には、批判的だった。清沢は言う。

 支那人は上海は、彼等のものだといふ。如何にも上海が支那の国内にあることだけは明らかだ。併し
 上海の有する価値――世界的港湾としての上海が、支那人のものであるとは何人が断言し得るところ
 で あらう。世界有数の港になるために、上海に与へた支那人の努力は皆無といってもいヒそれは満
 目でも、青島でも、天津でも同じである。……そして外国人によって発達した土地も一度、支那人の
 手に戻るが最後、無茶苦茶になるのは、青島や山東鉄道の例でも分る。
 ……その土地は如何にも支那人のものであるには違ひないが、その上に建てられたる文化らしい文化
 は、悉くが外国人の努力によったものだといふことである。
 ……他国大の礎き上げたものを、殆んど無償で取り上げようといふのだから、第二これくらいうまゐ
 話しはない。(清沢冽『黒潮に聴く』、山本義彦編集・解説『清沢渕選集第二巻』434頁~436
 頁、日本図書センター、1998年、原著1928年)

これでは中国は、国際秩序の担い手たりえない。清沢は、このような一方的な排外主義を抑えるために、
日本は英米と協調すべきであるとしている(清沢前掲書、431頁)。
しかし、近衛の「英米本位の平和主義を排す」が正しければ、中国の革命外交を批判することはできない。
にもかかわらず、近衛は、「英米本位の平和主義を排す」の主張と自分の中国に対する態度に矛盾がある
ことを最後までまったく意識しなかったようだ。中国は、中国が植民地にしてよい劣等文明国であり、日
本が持たざる更新国であるという近衛の認識を決して許さないだろう。

                 原田 泰著 『ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか』



                                       この項つづく 

【ワンポイント英熟語:#OnePoint #Eng'idiomatic】
〼 give rise to   ~を起こす、生じる(=cause)
"Does depreciation of the yen give rise to inflation ?"
(「円安は物価高のもとになりますか」)

”Anytime, anywhere ¥1/kWh  Era” 

【エネルギー通貨制:いつでもどこでも1キロワットアワー1円時代 】

● 日本国内の太陽光発電設備能力の現状と予測

上図は全国に導入された太陽光発電設備能力を見える化したもの(左:2016年12月25日時点で9,033 4MW/
右:2018年10月5日で時点18383.3MW)1,013日で約2倍に逓増。2020年7月14日には、単純外延すれば
約3倍まで膨れあがる。2031年3月7日には、約9倍に膨れあがり、蓄電装置を最適配置すれば、分散型オ
ール・ソーラー・システムだけでも百パーセントの再生可能エネルギーで実現可能という数値になる(一
人当たりの消費電力が変わらない前提)。

 Oct. 4, 2018
Cumulative Potential for Behind-the-Meter Residential Flexibility, 2017-2023E

● 米国の家庭用太陽発電設備導入予測
米国内の家庭には、発電とグリッド接続された分散型デバイスが3千万台近くあり、2023年にはさらに数
百万台の需要が見込まれている。これらのデバイスは、顧客と電力網の双方に柔軟性を提供できる。Wood
Mackenzie Power&Renewablesの調査報告書は、2023年までに米国の住宅用関連設備は88ギガワットと予
測。「需要の柔軟性」は、ユーティリティーや市場オペレーターが望む負荷形成のハードウェア/ソフト
ウェア能力を表す。フレキシビリティによる分散リソース活用が広がり、新しい企業に市場機会を産む。
第1に、スマートホームデバイス、家庭用エネルギー蓄電池および電気自動車充電の顧客関心が高まり、
電力供給余裕が大きく貢献。第2に、規制は伝統的な需要対応プログラムを超えた柔軟性を実現させてお
り、系統接続デバイス普及につれ新たな政策枠組みが出現すると予測する。

 Sep. 27, 2018

● C4V社製固体蓄電池 来年第2四半期に実用固体蓄電池販売

9月27日、同社はエネルギー密度400Wh/Kgと750Wh/Kgの2つを来年第2四半期に生産開始するこ
を公表(詳細は上図参照)。電気自動車用だが、ここでえられた知財はリチウムや金属-空気などの全固
体型蓄電池の高品位化貢献すると考える。いよいよ、エネルギー通貨制が電子マネー、暗号、時間などの
新通貨制に加わることになる。これは大変愉快だ。

  


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