第57章 策にこだわるな
正義は、政治の役に立つ。奇策は、戦争の役に立つ。だが、正といい奇といっても、所詮は相対的な
区別にすぎない。それにとらわれてはならないのである。民心を帰服させて天下を洽めるには、正否
を超越した無為によらねばならぬ。なぜ無為でなければならないか。次の事実を見るがよい。
そもそも、禁令がふえればふえるほど、人民は貧しくなり、人民の知恵が増せば増すほど、社会は乱
れているではないか。技術が進めば進むほど、不幸な事件が発生し、法令が整えば整うほど、犯罪者
は増加しているではないか。
聖人はこういっている。
「わたしが無為であれば、人民はおのずと生きる。わたしが勤かずにいれば、人民はおのずと正しく
なる。わたしが手をくださなければ、人民はおのずと豊かになる。わたしが無欲であれば、人民はお
のずと本性に返る」
第58章 策にこだわるな
正義は、政治の役に立つ。奇策は、戦争の役に立つ。だが、正といい奇といっても、所詮は相対的な
施策の跡を意識させぬほど自然な政治なら、そのもとにある人民はつねに心安らかである。
重箱の隅をつつくような政治なら、そのもとにある人民はつねに戦々恐々としている。
そもそも、禍にはつねに福が寄り添い、福にはつねに禍がひそむものだ。禍福は誰にも見きわめが
つかぬ。両者を区別する規準はどこにもないのだ。正は邪となり、善は悪となる。人がこの対立転化
の道理を忘れ、迷妄に陥ってから、すでに久しい。聖人は、相対的な価値を絶対親しない。方正であ
って、方正をてらわない。清廉であって、清廉をてらわない。実直であって、実直をてらわない。明
知であって、明知をてらわない。
Oct. 22, 2018
● 2050年にペルー氷河不可逆的消滅 ?!
アルバニー大学の研究によると、現在の温暖化傾向が続くならば、ペルーのケルカヤ氷冠は2050年代
半ばまで不可逆的な後退の状態に達するだろうと予測している。
”Anytime, anywhere ¥1/kWh Era”
【エネルギー通貨制時代 Ⅸ】
Mar. 3, 2017
エネルギー通貨制と書いた手前、総額でどの程度の額になるのか見積もる。米国政府のエネルギー情
報局(EIA)の予測数値によれば、2040年の全世界における発電量は36兆4,500億kWhになる(上図参
照)。これは、2012年には21兆5,600kWhなので、現在の約1.5倍超となる。また、国連の世界人口
予測値は2040年で91.57億人となり、1人あたり、10.91kWh/日となり、\1/kWhで換金すると\10.91/
人になる。因みに、2012年世界の名目GDPを$745,15億なので1.5倍の伸び率と仮定\106/$として、32.
50\/kWhとなる。ウッドマッケンジー(Wood Mackenzie)調査会社の予測では2012年の再エネ普及率
は2%、2018年6%で2035年16%と予測し、再エネを2012年の80倍としており2040年に100%を目標にする
と50倍。なにが言いたいかというと、\32.50kWhという数字は日本の一般家庭の\25kWhの現状からさ
ほどかけはなれていないが、再エネ100%での実行目標を\1/kWhと設定したときの達成投資金額を年間
当たりいくらに設定すれば好いかということになる。これが、このシリーズの出口論となることを確
認しておきたい。
因みに、2016月に米国政府のエネルギー情報局(EIA)によれば、2005年から2012年まで年率3.2%
のペースで伸びてきた全世界の発電電力量は、2012年からは2040年に向けて年率1.9%平均に鈍化す
る一方、発展途上国では3.3%のペースで増える。予測値はGDPの成長率を元に算出されている。 生
活の現代化で電気依存度は高まる。EIAは、全世界の電源構成は、水力発電や風力発電、太陽光発電
などの再生可能エネルギーと、二酸化炭素排出量が比較的少ない天然ガスによる発電量が増加し、地
球環境への負荷が大きい石油や石炭のシェアが低下すると観る。また、再エネの中でも成長率が最も
高いのは太陽光発電で、年率8.3%で増えると予測。次いで風力発電が6.7%
と続くが、現状の太陽光は発電量全体のわずか2.6%と報告されている。
こうした中で提唱されたGreen ITには、2つの側面――電力を消費するIT機器やデータセンタなど、
ITそのものの省エネルギー化を進める「Green of IT」と、ITによって電力消費の削減を実現する
「Green by IT」である。「Green of IT」としては、PCやサーバーの省電力化に加え、サーバー統合で
電力消費削減、データセンターの設計変更運用の電力消費特性などがある。ユーザー企業側としても
、省エネ設計されたIT機器を導入しGreen of ITに貢献する。また、メーカーサイド、ユーザーサイド
双方の努力結果、Green of ITは着実に成果を上げる。ミック経済研究所が2015年12月から翌年の2月
にかけて実施した「データセンター市場と電力消費・省エネ対策の実態調査」では2015年度の国内
のデータセンタ市場は、前年比8.0%増で、電力消費量は7.6%増に留まり、売り上げの伸びを電力
消費の伸びが下回った。因みに、大きい削減効果期待された省エネ対策に外気を直接サーバールーム
に取り入れる「外気冷却」効果を発揮。データセンタで一番電力を消費するのは冷却電力で、最近は
冷却機能が強化された省エネ効果が高いデータセンタが増加。
もう一つの「Green by IT」は圧倒的に大きな省エネ効果を発揮する。2006年当時、想定されていた、
ペーパーレス化による紙資源の消費の抑制や、テレビ会議システムやテレワークの導入による人の移
動の抑制だったが、こうした取り組みは、今ではどの企業でも当たり前に行われており人や物の移動
だけでなく、ITによって電力の消費を最適化する「BEMS」(ビルエネルギー管理システム)や
「HEMS」(家庭エネルギー管理システム)も広がり、今後さらに大きな省エネ効果につながると想
定するが、Green ITの省エネは「守りの省エネ」の側面が強く、テレワークなどを活用してワークス
タイルを変革することで、企業としての競争力強化する攻めの側面も持っものの、世の中のあらゆる
領域でITの役割が大きくなった今、例えば、太陽光発電の発電量を増やす鍵は「太陽光をどれだけ電
力に変換できるか」という変換効率。変換効率が2倍になれば、太陽光発電は同じ面積で2倍の電力
を発電でき、2040年までの年率8.3%の伸びが単純計算で年率16.8%になると試算できる。また、コ
ンピューターの処理能力は長足の進化を遂げ、かつてのスーパーコンピュータは手のひらサイズに
なりなお進化し続け、世界的な開発競争が続くスーパーコンピュータは今でも3年で約10倍に性能が
向上しているが、処理速度を10倍速くすることで1年かかっていた処理を1カ月程度で行える。3年で
10倍になるのであれば、3年後にはわずか10日程度で実行できる。そのスピードでシミュレーション
と分析を繰り返せば、太陽光発電の変換効率を劇的に向上させ続けることも可能で考えられない発電
方法も実用化されるかもしれない。ITの進化は、ビジネスの世界だけでなく、エネルギーの世界で
も破壊的な革命を起こすことになると10年前にわたし(たち)が想定していたことを追認しこのよ
うに結んでいがデフレーションも同時進行する時代でもある。
【社会政策トレッキング:バラマキは正しい経済政策である 21】
Yutaka Hrada, Wikipedea
第3章 ベーシック・インカムは実現できるのか
第17章 夢追い人を増やさないか
BIを前提に、ミュージシャン、アーティスト、アスリート、哲学者、詩人になる夢を追う若者が増
大するという可能性もある。それらが成功することの確率が極めて低い仕事であることを考えるなら、
それは青春の錘践を政府が作り出していることになり、好ましくないという批判があるかもしれない。
批判は正しいが、現在でも、政府が、弁護士になれない法科大学院、会計士になれない会計士大学院、
研究者になれないオーバードクター、薬剤師になれない薬科大学院、教師になれない教育大学院を作
っていることも青春の趾践を増大させていることになる。
私は、BIが青春彷徨の機会を作りうることを、むしろ積極的に評価したい。ミュージシャン、アー
ティスト、アスリートになる夢は、完全な自己責任として追求される。法科大学院やオーバードクタ
ーの上うに、政府が、そうなる夢を保証しているかに見えるものではない。私たちの社会は、優れた
ミュージシャン、アーティスト、アスリートを欲していると私は思う(哲学者や詩人を欲しているか
どうかは、私にはわからない)。しかし、どうすればその上うな人材が育っていくのかはわからない
。であるなら、貧困を消滅させるためのBIが、青春彷徨と文化への献身を増大させる側面を持つこ
とはむしろ好ましいのではないだろうか。
BIは、文化予算、スポーツ予算、奨学金予算を削減することもできる。ただし、文化予算は103
3億円、スポーツ予算は255億円(以上、文部科学省「平成26年度文部科学関係予算(案)のポ
イント」2014年3月20日)、奨学金予算は前述のように1000億円に満たない。文化予算の
多くは博物館、美術館、文化財修復などの予算である。BIの財政的実現性を議論するには、付随的
な意味しかない。
なお、文化庁には、「新進芸術家海外研修制度」というものがある。制度の名称を見れば、誰でも将
来有望な芸術家を海外に派遣して経験を積ませるものだと思うだろう。文化庁に、そんな名伯楽がい
るのかと心配になる人もいるかもしれない。しかし、心配はいらない。例えば劇作家、演出家の野田
秀樹氏が派遣されたのは、岸田圃士戯曲賞、紀伊図星演劇賞を受賞した後である。映画監督の崔洋一
氏が派遣されたのは、『月はどっちに出ている』(1993年)で、キネマ旬報、ブルーリボン、毎
日映画コンクール、日本アカデミーなど数々の賞を得てからである。新進ではなく、実績のある人を
援助する制度なのだ。私は、文化庁を批判しているのではない。役人に新進芸術家など見出すことは
できない。であるなら、実績のある人を援助するのが公平というものだ。ただし、名称は、「有名芸
術家海外研修制度」と変えるべきだろう。
それならば、BIが、成功を目指すミュージシャン、アーティスト、アスリートなどのためにもなる
という性格は評価してもよいのではないだろうか。成功した人々には、社会がその報酬を払う。一方
社会が直接報酬を払うことは少ないが、一見したところ、社会が望んでいるような成功に対しては
どうしたらよいだろうか。オリンピックのメダルを社会は望んでいるように見えるが、そのための報
酬を社会は払ってはくれない。これをどうしたらよいかは難しい問題であるが、BIは、人々のあらゆる
試みに、それが素晴らしいものであれ、客観的には愚行にすぎないものであれ、最低限の報酬を払うというこ
とでもある。私は悪くないことだと思う。
さらには、社会全体の富を増大する経済的成功をもたらすべき能力のある人々が、非世俗的満足を求
めて経済活動水準を低下させるという効果かおりうる。通常の能力の人々にとっては問題ない。前述
のように、年84万円のBIを得るよりも、普通に働いて年500万円を得ようとするだろう。しか
し、BIを前提に、高い能力のある人に、年金数理人になるよりも解けない数学的問題を解くことに
一生を捧げるような活動を促進することになったら、それは望ましいことなのだろうか。私にはわか
らない。しかし、すでに国家は、能力の高い人々を用いて、後述するように、社会全体の効率を下げ
るようなことをさんざんしてきた。BIの副次的効果は、それよりはましなことだと私は思う。
また、私は経済的成功がすべてだとも思っていない。イエスや釈迦のような人々が、利子の禁止や世
俗的活動の軽視によって社会の経済活動水準を引き下げたという批判が仮に正しいとしても、世界は
このような人々によって幸福度を増してきたのだと私は思う。
Nov. 23, 2017
※ここで、マージナルな経済活動(例えば銀行などの信用付与事業などを)を「卑しい行為」として
さげすむ思想(イスラム圏も含め)が"社会の経済活動水準を引き下げた”とは、言い換えれば"潜在
的な剰余価値(=付加価値)"を阻害するとはどのような事例を言っているかわからない(もしこれを
行動経済学として体系化できればノーベル経済賞ものだろうが)。
第18節 BIの付随的利点
BIは、すべての人に所得を給付する。具体的には、すべての人の銀行口座、子どもであればその母
親の銀行口座に政府がお金を振り込むということである。振り込むことのコストはほとんどゼロであ
る。またそれは、政府が人々の銀行口座を知るということである。これは政府の所得捕捉を容易にす
るという利点がある。政府は人々にB1番号を与え、銀行はこの番号を控える。一人の人間は一つの
BI口座しか持てない。すべての人は、あらゆる所得をとりあえず口座に通さなければならない。も
ちろん、この口座を通したうえで、別の口座に移すのは自由である。この口座を通さない所得があっ
たとき、正しく所得を申告したか否かの挙証責任は、この口座を通さなかった人のものとなる。この
制度によって、税務当局の仕事は軽減される。納税者番号と異なって、この番号は、まず政府が所得
を給付するためのものである。したがって、ほとんどの人がこの番号の使用に反対しない。恩典を与
える口座だからだ。
さらに、これはすべての国民に銀行口座を提供するものでもある。アメリカでは、低所得者が銀行口
座を持たないために、小切手の現金化で高い手数料を取られているなどの問題がある。日本では深刻
な問題にはなっていないが、将来、そのような事態を招かないためにも有益であろう。
第19節 BIとと地域
BIはすべての人々に生活の安心を与える。私たちは最悪の貧しさからは解放される。それに対して、
それは希望と発展のない世界ではないかという批判があるかもしれない。働くことが尊厳と希望を生
むのであって、働かなくても生きることだけはできるという社会は、決して楽しいものではないと批
判されるかもしれない。しかし、このような批判は誤解である。BIは、労働を否定していない。働
くことは賞賛され、現在と同程度の課税をされることはやむをえないが、それ以上に課悦されること
はない。私の提案は、BIの導入によって、公共工事などで無理やり仕事を作ることをやめようとい
うことだけだ。
政府は、無理やり仕事を作るとともに、第1章の最低賃金の項でも述べたように、わざわざ仕事をで
きないようにもしている。その目的は、既存の仕事を守ることだ。そんなことをやめれば、仕事は増
える。だから、心配することはない。だが、それに対しても、さまざまな仕事のありうる都市であれ
ばそうかもしれないが、地方には市役所と農協と建設業しか仕事がない、欲しいのは仕事であって、
最低限の所得などではないと反論があるかもしれない。
しかし、仕事には富を創る仕事と富を分配するだけの仕事がある。公務員の仕事の多くは必要だが(
地方公務員の仕事の多くが警察、消防、教員である)、その所得が地方の所得レベルよりも格段に高
ければ、その仕事は富の創造ではなくて、自分自身への富の分配である。現実に、地方公務員が、地
方の一般的な所得よりも高い賃金を得ることができるのは、地方の他の住民に課税しているからでは
なくて、都市からの所得移転があるからである。そのような所得移転が、もし正当化されるのであれ
ば、それは特定の人々ではなく、地方の住民に一律に分配してしまうべきものであるだろう。BIは
その上うなものである。
第20節 事実として地方にもさまざまな産業がある
地方には建設業者と公務員と農協しか仕事がないと言われることがあるが、それは事実ではない。上
図3‐1は、都道府県ごとの産業構造を示したものである(図が見やすくなるように、半分の都道府
県を示している)。大都市圏を含まない多くの県で、中央政府頼りとは異なる、製造業、卸・小売業、
サービス業などが大きな比重を占め、中央からの補助金頼みの政府サービス生産者(政府活動に要し
た費用。政府が購入した財・サービスと人件費などの合計。以下、単に政府と記す)、建設、農業の
比重は小さい。政府、建設、農業合計の比重は、全県の平均では15・3%、もっとも高い順の青森
(図では省略されている)、沖縄、鳥取でも、それぞれ27・4%、16・6%、25・4%である。
図3‐2は、一人当たりの県民所得と政府の規模の関係を免たものである。図から明らかなように、
政府の規模が小さいところほど豊かである。これに対しては、仕事がない、所得が低いから政府の仕
事を作っているのだという反論があるかもしれない。しかし、政府の規模が大きいほど所得が低いと
いうことは、無理やり政府の仕肩を作っても、讐かにはなれないということを示している。一方で、
多くの地域が製造業、卸・小売業、サービス業と自立した産業を持っている。
第21節 BIと富の正当性
もし、ある地域の所得が低いなら、その地域の自治体にではなく、その地域の所得の低い人々に直接
配ってしまったほうがよいのではないだろうか。図3‐3は、都道府県ごとのBIと所得税額の差(
BI-所得税額)の県民所得に対する比率をごく簡略に推計したものである(推計方法は図の注参照)。
BIの受取が所得税支払額よりも大きければプラスになるように作図してある。
所得の低い地域では、BIが、その地域での、所得のかなりの比重を占めることになりうることがわ
かる。これで確かに地方の経済を支えることができる。地方交付税は地方自治体に配るが、BIは地
方の人々に直接配る。東京大学の井堀利宏教授は、地方交付税を地方自治体にではなくて、個人勘定
交付税として、地方の住民に直接分配してしまうことを提案している(井堀利宏『誰から取り、誰に
与えるか-格差と再分配の政治経済学』130頁、東洋経済新報社、2009年)。もし、人々への
直接分配以上に、地方自治体が重要な仕事をできるというのであれば、地方独自に課税して、そのお
金を必要なところに使えばよいのである。上図3‐3には、都道府県ごとの地方交付税額の県民所得
に対する比も示してある。BIと交付税がほぽ同じような比率を示していることがわかる。BIは、
所得の低い地方への所得再分配である。そうであるなら、地方交付税など、それ以外の所得再分配は
減額してもよいのではないだろう。
原田 泰著 『ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるいか』
次回は、命題「第22節 ばらまき政策は悪くない」に入る。
この項つづく
●夜の一曲
『無言劇』 唄 THE ALFEE Music Writer:高見沢 俊彦
● 今夜の寸評:卓袱台返しのトランプ
トランプ米大統領が、米国と旧ソ連が結んだ中距離核戦力(INF)廃棄条約からの離脱方針を表明。
またもやトランプで「核再軍拡」。これは新冷戦時代だとコメテータ知ったかぶるが、ヴェストファ
ーレン条約締結などこ吹く風といった調子で後退する無教養さが恐ろしい。