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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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いのちのはてのうすあかり

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天   瑞 てんずい
ことば --------------------------------------------------------------------------------
「いずくんぞわが今の死の、昔の生に愈らざることを知らんや」
「生は死を知らず、死は生を知らず、来は去を知らず、去は米を知らず」
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死はいこい
子貢は学問をするのがいやになってしまった。そこで孔子に申しでた。
「しばらく休みたいのですが」
「人生に休みなどない」と孔子はいった。
「では、わたしは休ひことができないのですか」
「いや、あるとも。お墓をごらん。こんもりと、広々と、うず高く、深々としているではないか。
あそこに行けば休めるよ」
「なるほど、死とはたいしたもの。小人にとってはいやいや行くところだが、君子にとっては、い
こいの場所なのですね」
「そのとおりだ。世間の人は生きることが楽しいとばかり信じこんでいて、生きることの苦しみを
知らない。年をとれば心身が衰えることは知っているが、心安らかになることは知らない。死ぬの
がいやだと思いこんでいて、死がいこいだということがわからない」

「虚」
ある人が列子にきいた。
「あなたはなぜ『虚』を尊ぶのですか」
列子はこたえた。
「いや、『虚』は尊ぷも尊ばないもない」
尊べば虚ではない 『呂氏春秋』不二篇にこういう論評がある。「老前は柔を尊び、孔子は仁を尊
び、墨摺は廉を尊び、関尹は清を尊び、子列子は虚を尊ぶ」。だが、『列子』にいわせると、尊ぶ、
尊ばないという価値判断をくだすこと自体が、すでに「虚」でないというのだ。

金持になる秘訣
斉の国氏は大金持で、宋の向氏はたいへん貧乏だった。そこで、向氏は斉に出むいて、どうしたら ″
金持になれるかとたずねた。
国氏はこう答えた。
「うまく盗むのが秘訣だ。わたしは盗みだしてから、一年後にはどうにか食えるようになり、二年
で楽になり、三年で身上を残した。それ以後は隣近所にほどこしをするまでになった」
向氏はたいへん喜んだ。が、盗むということばだけをうのみにして、その盗みかたは考えなかった。
そこで塀をのりこえ人の家に忍びこみ、手あたりしだいに盗んだ。するとたちまちつかまって、前
から持っていたなけなしの財産まですっかり没収されてしまった。
向氏は、これも国氏にだまされたからだと文句をいいに行った。

「どんな盗み方をしたのかね」と国氏はきいた。
向氏はありのままに話した。
「ああ、まるっきり盗みかたをまちがえているな。いいか、では敢えてやろう。天には四季があり、
地には五穀、草木がある。わたしはその天の時、地の利を盗んで、穀物を植え、野菜を育て、垣根
をつくり、家をたてた。また鳥やけものをとったり、魚や貝をとった。これこそ盗みではないか。
いったい穀物・野菜・鳥獣・魚貝は、みな天が作ったものだ。もともとは人間のものではない。わ
たしは天から盗んだから、罪にはならない。どだい金銀財宝は人が集めたものだ。天があたえたも
のではない。あんたはこれを盗んだから罰せられたのだ。文句をいう筋あいはない」

向氏はわけがわからなくなって、また国氏が自分をだますのだな、と考え、東郭(とうかく)先生
にたずねた。東郭先生はいった。

「お前のからだだって盗んだものではないか。そもそもお前は、陰陽の和合を盗んで生まれてきた
のだ。ましてその他の物は、みんな盗んだものだ。天地万物は互いに区別がないものだ。それをこ
れだけは自分のものと境界をたてるからまちがいがおこる。国氏は、天地の物を公然と盗んだから
罪はない。お前は人の物をこっそり盗んだから罰せられたのだ。
だが公私の別をたてたところで盗みは盗み、また公私の別をたてずとも盗んでいるにはちがいない。
世にいう公は公、私は私としておいてもよい。だが、天地の節はそんなことを問題にしない。天地
の徳がわかれば、やれ、どれが盗みだとか、盗みでないとかいう区別をたてるには及ばない」

※ "天地の徳"とはつまりは共同体が生み出した叡智ある処世テックであり方便(レトリック)と
理解でいるだろう。

 


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