8.泰 伯 たいはく
ことば------------------------------------------------------
「人のまさに死せんとするや、その言うこと善し」(5)
「士はもって弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し」(8)
「民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず」(10)
「その位に在らざれば、その政を謀らず」(15)
「学は及ばざる がごとくするも、なおこれを失わんことを恐る」(18)
------------------------------------------------------------
10.人民を心服させることが為政者の要件なのだ。政策まで理解
させる必要はない。(孔子)
子曰、民可使由之、不可使知之。
民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず
Confucius said, "You can make people follow you. But it is
difficult to make people understand the reason."
❦ 政策が間違っているのに人民が心服することはない、と考える。
忘れられた巨人最終章⑤ 第4部
ガウェインの追憶-そのⅡ
第17章
「わたしは信用しますよ、アクセル,あの船頭さんは約束を守る」
「どうしてわかる、お姫様」
「わかるの、アクセル。いい人よ。わたしたちを裏切ったりしない。
いまは言われたとおりにして、戻ってくるのを陸で待っていて。す
ぐ迎えにきてくれますよ。あの船頭さんのやり方でいまやらないと、
千載一遇の好機を逃すことになるかもしれない。二人一緒の生活を
約束してもらえたんだもの。そんなこと、一生添い遂げた夫婦でも
めったに認められないのよ。しばらく待つのがいやだからって、そ
んな大きなご褒美をふいにしていいの? 船頭さんと喧嘩しないで。
つぎの船頭さんが獣みたいな人だったらどうするの。だから仲直り
して、アクセル。腹立ちまぎれに気を変えられたら困る。いるの、
アクセル?」
「おまえの目の前だよ、お姫様。わたしたちは、いま、ほんとうに
別れ別れになる話をしているんだろうか」
「ほんの一瞬だけね、あなた。船頭さんはいま何をしている?」
「まだあそこにじっと立っている。長い背中とつるつるの頭をこっ
ちに向けて立っているよ、お姫様。ほんとうにあの男を信用できる
と思うかい」
「思いますよ、アクセル」
「あの船頭と話したんだろう? 弾んだかい」 「そう、楽しかっ
た。あなたは違ったの?」
「いや、弾んだと思うよ、お姫様」
入り江の夕日。背後には静寂。そろそろ後ろを向いてもいいだろう
か。
「教えておくれ、お姫様」爺さんが言っている。
「おまえは霧が晴れるのを待っているかい」
「この国に恐怖をもたらすものかもしれないけど、わたしたち二人
には、ちょうど間に合ったって感じね」
「わたしはな、お姫様、こんなふうに思う。霧にいろいろと奪われ
なかったら、わたしたちの愛はこの年月をかけてこれほど強くなれ
ていただろうか。霧のおかげで傷が癒えたのかもしれないI
「いまはもうどうでもよくなくって、アクセル? 船頭さんと仲直
りしてね、そして島へ渡してもらいましょう。最初一人なら、つぎ
はもう一人。 なぜ船頭さんと喧嘩するの。ね、アクセル?」
「わかったよ、お姫様。おまえの言うとおりにしよう」
「じゃ、いまは下りて、岸に戻って」
「そうするよ、お姫様」
「ほら、いつまでもぐずぐずしていないの、あなた。船頭さんだっ
て、いつかは痺れを切らしますよ」
「わかったよ、お姫様。だが、もう.度だけ抱きしめさせておくれ」
「なんだ、いま抱き合っているのか。さっきおれが赤ん坊みたいに
包んで置いてきたのに。爺さんのほうは膝を突いて、硬い舟底で奇
妙に体をくねらせねばならんだろうに。そうしているんだろうな、
この静けさのつづいている間は。いまは振り向くまい。おれの手に
は擢。おや、揺れる波に擢の影が落ちているのではないか。あとど
れほどだ。おっと、ようやく声が、戻ったか。
「島でもっと話そう、お姫様」爺さんが言っている。
「そうしましょう、アクセル。霧が晴れたら、いくらでも話すこと
がありますよ。船頭さんはまだ水の中?」
「ああ、そうだ、お姫様。では、わたしは仲直りに行こう」
「じゃ、さようなら、アクセル」
「さようなら、わが最愛のお姫様」
爺さんが水の中を歩いてくる音がする。
おれに言葉をかけるつもりかな。仲直りすると言うっていたよな。
おや、こっちがせっかく振り向いたのに、向こうは見てこないぞ。
陸地と、入り江に低くかかる太陽なんか見ている。ま、おれもとく
に目を合わせたいわけじゃない。爺さんはおれの横を通り過ぎ、な
のに振り返らない。じゃ、陸で待っていてくれたまえ、友よ。おれ
はぽつりと言う。だが、爺さんは聞いておらず、先へ進んでいった。
❦ 以上、ここで物語は終わる。アクセルも島へ行ったとは言って
いない。それではどこに行ったのか。陶友公(2018.03.10)の「
《忘れ去られた巨人》に隠された希望」によると、イシグロはこの
小説のことを「ラブストーリーだ」と述べたとし、「ラブストーリ
ーだ」とすれば、結末 は悲しいものだが、あの「ラブストーリー」
を題とするクラシックなアメリカ映画のような「死別」はけっして
偉大な愛情に遜色を与えるものではないと評している。❏
「物語の設定:当時のイングランドにはクエリグ(Querig) という
雌龍がいて、その吐息で形成される霧によって、人々が健忘になっ
ている。実は一昔、ブリトン人 の名君アーサー王が、魔法師マー
リン(Merlin)の計略を 取り入れて危険極まりない雌龍を穴に陥
れて魔法をかけ、その吐息を利用して直前にあったサクソン人への
殺廖を人々の記憶から覆い隠す。その御陰で国に住むブリトン人も
サクソン人も共生していたが、クエリグの霧は人々を一様に健忘に
させているで、その影響がいろいろな形で表れる----老夫婦は息子
の住む村へ行くと言っているが、実はその村がどこにあるのか不明
のままであったものの、この小説の中で、イシグロの思いとは異な
る----少なくともガウェインとマーリンの二人の登場人物はアーサ
ー伝説の中の人物に忠実に描かれているが、この雌龍のほかに、鬼
や死後の地を象徴する神秘な島など、「ファンタシック」な要素が
組み入れた「ファンタジー小説」だと評価される。老夫婦は、小説
の終わりで別れ別れになった。ベアトリスはクエリグが殺されてか
ら、夫とのいざこざ(不実)で我が子をなくしことを想起し→夫が
自分の最愛なる子供への墓参りを長い間禁じたことも想起→今まで
持ちつ持たれつここまでに来た二人の将来を考えるより→まずは最
愛の子のいる世界へ行ってみることを優先→その一方で、過去の自
分を思い出し去っていく妻の最後の旅路を同伴しながら→世の中の
将来の不安----クエリグが殺されたことで血なまぐさい過去史が呼
び起され、動乱に乗じてサクソン人が侵攻、ブリトンの村々が血の
海に---なると予感する。
❏「教えておくれ、お姫様」爺さんが言っている。「おまえは霧が
晴れたのを喜んでいるかい」「この国には恐怖をもたらすものかも
しれないけど、私たち二人には、ちょうど間に合ったって感じね」
「わたしはな、お姫様、こんなふうに思う。霧にいろいろと奪われ
なかったら、わたしたちの愛は年月を かけてこれほど強くなれて
いただろうか。霧のおかげ で傷が癒えたのかもしれない」とアク
セルがたずねると、「いまはもうどうでもよくなくって…」とペア
トリスは、終わりになったことはどうでもよいことだと答える。も
う一つ、ペアトリスは記憶が戻り、二人が知り合う以前の、アクセ
ルはいかに大きな夢を抱いて活躍をし、いかに深く傷づいて自分の
ところに接近し、あの悲惨な戦争と共にその前に短い平和があった
ことを査証する「法」と「協定」が一方的に破壊され、報復の到来
を予告するアクセルがこの世に踏みとどまらんとする「意志」を「
希望」を暗示させ物語が結ばれたことを、陶友公と供に共感。
このようにBG(The Buried Giant)一作品からでなく、NLMG(Never Let
Me Go)の共通するイシグロの愛情の存在確認を巡る特異なプロセ
スに直目する池園宏の「The Buried Giantにおけるイシグロの文学」
----イシグロの作品群を顧みれば,初期の頃から提示の仕方を変え
つつ変奏曲のように繰り返されてきた事実に思い至る。たとえば,
A Pale View of Hills(1982)やWhen We Were Orphans(2000)で
は親子の関係,An Artist of the Floating World(1986)では親
子関係に加えて芸術家の師弟関係,またThe Remains of the Day
では執事と主人の主従関係ならびに男女の異性関係, というように
広い意味での愛情のあり方が様々に形を変えて問いかけられていた。
しかし,21世紀に書かれた二作品NLMG とBG においてひときわ目を
引くのは,愛情の所在を問う確認行為,あるいは「愛情のテスト」
(test of love)がプロット上の重要な要素として組み込まれ,か
つ,そのプロセスが一風変わった,かつ極めてストレートな形で訴
えかけられるという共通点----によれば、BG では,息子探しの旅
に出かけた主人公のアクセル(Axl)とベアトリス(Beatrice)老
夫妻が,互いの愛情の絆をやはり第三者の前で問われており、夫妻
が旅の途上で出会った船頭は,自分が船渡しする目的地の島へ夫婦
ともども赴くには,二人の最も大切な記憶を別々に話してもらい,
それによって“an unusually strong bond of love between them”,
“a bond of love unusually strong”が証明される必要があると
告げる。奇抜で風変りな愛情の立証方法であるが,これらのエピソ
ードは両作品に共通してプロット上の核となる不可欠な要素だと指
摘する。二人がそれぞれ船頭と話をし,自分たちの意に反して,ベ
アトリスがアクセルを残して先に船に乗ることになった場面での最
後の対話は“Farewell then, Axl.”“Farewell, my one true love
というもので、何気ない簡潔なやりとりは,二人の行く末について
必ずしも明示的でなく,オープンエンディングの様相を呈すとする。
“Are you still there, Axl?” “Still here, princess.”
“Axl, are you still there?” “Of course I’m still here.”
でさらに特筆すべき点は,こうした愛情と記憶の乖離の問題が,以
上のような対幻想レベルのみならず,社会,国家,民族のレベルへ
と拡大され,両者がパラレルに提示されているという事実に注目し、
池園は、以前までの作品とは異なるこの新たな試みについて,イシ
グロは以下の----I’ve written all these books about individ-
uals struggling with their personal memories....and not know-
ing when to hide from their past and when to confront their
past for some sort of resolution. But what I really wanted
to do was to write about that kind of struggle at the societal
level. Most countries, when you look at them, have got big
things they’ve buried.----最後の表現は小説のタイトルとオーバ
ーラップするものであり、過去のイシグロ作品においても,私的な
個人に相対するものとしての公的な国家の歴史は扱われてきたが、
公の歴史そのものは動かさざる明確な事実であるという確固とした
前提があったが、それがなく、公の歴史や社会の「集的記憶」(
collective memory) そのものが疑問視され,覆される。これも記
憶の消失を前提とした世界観を持つ本作品だからこそ可能となった
プロット設定だと指摘し----『忘れられた巨人』は,「社会におけ
る記憶」を扱った作品です。人間はいかにして憎しみを作り上げる
のかについて書きました。この社会では時として,過去をあえて掘
り起こして,今では存在しないはずの憎しみを過去の記憶から新た
に作ったり,世代から世代へと伝えていくことがあります。歴史を
コントロールすることによって,憎しみが再創出されることがある
のかという問題を描きました(「平成の原節子,世界的作家に会い
に行く:綾瀬はるか×カズオ・イシグロ」『文藝春秋』2(2016)
:220.))----を引用し、BGは,太古を舞台としたファンタジー小
説という表向きのイメージとは裏腹に、実は希望のない悲観的なデ
ィストピア小説であるという結論が導き出せるかもしれない。と、
問題提起しつつ、愛情の特異な提示手法を皮切りに,消失する記憶
という新たに試みられた主題の意味,それらが個人のみならず民族
や国家といった従来の作品以上に大きく動的なスケールで提示され
ている事実,そして公私両方に通底する生死や存亡の可能性に対す
る作者の姿勢について考察を行ってきた。
その中で,イシグロが長年にわたる構想期間を経て生み出したこの
小説が,過去の作品群,とりわけイシグロ自身が共通点の存在を認
めるNLMGと深い結びつきを持っている点,加えて,この作品には、
単なる関連性や継承性のみならず,記憶の扱い方や歴史認識のあり
方等を巡って新たな発展的要素が随所に盛り込まれている点を確認
した。本作品は出版直後よりファンタジー的要素を巡る議論が書評
等でさかんになされてきたが,イシグ日本人もいろいろな場所で発
言しているように,それ自体は第一義的な問題とは言えない。むし
ろ、そのジャンル的枠組みをまとった本作品が,本質的にはいかな
る思想的,手法的側面を追究しているのか,結果としてイシグロ文
学の中でどのように位置づけられるのかを検証することにこそ意義
があるだろうと結んでいる。このように、文学的価値の評価を確認
するとともに、歴史修正(歴史的反動)のバイアス(=神話)の足
り扱いに思いをいたす好機となったことに感謝する。
この項了
サリドマイド 発育に必要なたんぱく質分解で薬害か
安全なサリドマイド系新薬の開発へ
【要点】
①サリドマイドは胎児に催奇形性を示す薬剤ですが、サリドマイド
はp63というタンパク質の分解を誘導することで手足や耳の発生を
阻害していることがゼブラフィッシュのモデル実験系により明らか
となる。
②サリドマイドは本研究グループが以前に同定したサリドマイド標
的タンパク質、セレブロンに結合し、セレブロンの働きを乗っ取るこ
とで、p63の分解を誘導する。
③本成果により、サリドマイド催奇形性の詳細なメカニズムが判明
した。本研究の知見を活かして、サリドマイドの副作用を軽減した
新薬が開発されることが期待される。
10月30日、妊婦が服用して世界的に薬害を起こした「サリドマ
イド」は、手足などの初期の発育に欠かせないたんぱく質を分解す
ることで、障害を引き起こす可能性が高いことを東京医科大学など
の研究グループが動物を使った研究で明らかにした。「サリドマイ
ド」は、1960年代までに妊婦の「つわり」を和らげるために処方さ
れ、生まれた赤ちゃんの手足や耳などに深刻な障害が起きる薬害が
世界的な問題となったが、薬害を引き起こすメカニズムは正確には
分かっておらず、現在は再び一部のがんやハンセン病の治療薬とし
て使われている。東京医科大学の半田宏特任教授などのグループは、
サリドマイドをゼブラフィッシュと呼ばれる魚の卵に投与して解析
したところ、細胞の中の不要なたんぱく質の分解に関係する酵素に
結合した結果、「p63」と呼ばれるひれの発育に欠かせないたんぱ
く質を分解し、成長が十分に進まないことが分かった。「p63」は
人では手足や耳の発育に必要なたんぱく質であることが分かってい
て、グループではこのたんぱく質が分解されることで、薬害が引き
起こされた可能性が高いとしている。半田特任教授は、現在は一部
のがんなどに投与されるようになっていて、メカニズムが分かるこ
とでより安全な使い方ができるようになると話している。
↧
忘れられた巨人最終章⑤
↧