● 日中食品汚染 Ⅵ 第1章 見えない食品の恐怖
食品業者・周の予言
中国には日本向けの食品輸出を専門とする業者が多数ある。上海、北京、青島、煙台、南通
(江蘇省)、広州、大連など、日本とゆかりの深い地区に多く、経営者は日本での留学経験が
あり、個人営業者程度の規模といった共通点がある,日本の業者と組んで中国産食品を輸出す
る企業もある。しかし、最近はあまりいい商売ではなくなってきたと嘆く声を聞くようにもな
った。
これから登場する人物は、現地で日本向けにあらゆる食品の輸出をf掛ける周平華(仮名・
43歳)だ。周は日本の大学に留学した経験があり、日本語もうまいし、日本の食生活や味付け
好みや素材の選び方などもよく心得ている。
というのは、日本諸学校での勉学期間を含む日本滞在期間6年間のうち、大学生時代の4年
間は飲食店でアルバイトをして生活し、たまに調理の手伝いや早朝の市場通いまで手伝わされ
た経験があるからだ。卒業後は日本の小さな食品メーカーに就職したが、あるとき思い立って
中国へ帰国し、日本との貿易で身を々てることにした。その仕事が今の生活を支えている。性
格はおだやかで、頭脳も切れる万たったので細かいところにも気が付く。
周は、儲かりそうな食品があれば何にでも手を出すという。小さな会社だからできることで、
その分、忙しさも半端ではない。そんな周と久しぶりに会ったのは、北京の高級中華料理店で、
小部屋に2人きり、丸いテーブルに向かい合って座った,その晩の会計は、彼が持ってくれた。
まず冷たいビールを注文、その隆は赤ワインを飲もうということになった。最近は白酒は年配
の飲みものというイメージが定着し、赤ワインを飲む人が急増している。回鍋肉、青椒牛肉絲
ビータン、スープ、万頭・・・・・・など、わたしの好きな庶民料理が並んだ。
私が北京を訪れたのは、日中間の食品貿易で進む「食品モジュール化ーの実態を探るためだ
った。食品モジュール化とは、パソコンの組みをてのように、さまざまな産地から集めた原材
料を、これまた同カ国にもまたがって加工し、商品化することで、わたしの造語である。
「食品モジュールとはいい言葉を見つけましたね。中国語にすると"食品模組"でしょうか。
今、原産国が中国だと日本人消費者は敬遠しますよね。それでわたしも困っているんです。も
し、そのモジュール化か進むと、中国産という文字は食品から消えるかもしれません。生食用
の吸物や野菜、肉類や魚は重くて、輸送代がばかになりませんが、スープやエキスの粉といっ
た形にすれば、軽くなってどこへでも運べろし、儲かります。何よりも残留農薬検査が不要で
しょう。粉末になってしまえば険査のやりようがないじやないですか、逆に日本の水をエキス
にして、中国に輸入して第二の娃哈哈(中国最大のウォーター事業が大当たりした)にでもな
りましょうか」
周によると、食品モジュール化は食品加工技術次第では日中双方で想像できない食品スタイ
ルを生み出すかもしれず、食品の工業化を超えて、食品ソフトウエアー化(さまざまな食品モ
ジュールを買っておき、食べたいものをパソコン上で仮想調理し、必要な食材を特殊な鍋に入
れて火を通すと"マイめし"が完成する)が進む可能性があるという。あまり食べたくないもの
だが、そういう時代が来るのかもしれないとも思った。
進む「食品モジュール化」
食品のモジュール化とは何か?そして中国からの輸入食品とどんな関係にあるのかについて、
あらためて説明したい。
食品もパソコンの部品のように、形も色も中身も、味も香りもみな複雑に進化して、細分化
し、それらが絡み合ってひとつの食品としての品目を形成するようになった。パソコンは各国
が得意とする部品を別の部品に変えるために、方々の国を行ったり来たりして、最後に組み立
てる国へ集まって完成品となる。
それと同じようにしてできた食品は、汚染リスクの高い原材料が見えにくく、あるいは汚染
が発見されにくい形で輸入される。姿を変幻自在に変え、いかに検査の目をくぐりぬけるかを
意図した輸入加工食品が増えている。
日本は中国から、2012年に1兆830億円もの農林水産物を輸入した,ひとり当たり、
なんと8万6000円の勘定だ。ただし、その一方で輸出もしている。その額、たったの40
6億円。差し引きすれば1兆424億円の大赤字だ。中国の中継貿易港である香港へは986
億円、中国本土の2倍以上に当たる金額を輸出している。香港の人目は約700万人だから、
そんなに日本の農林水産物は必要ないはずだ。日本から輸入された農林水産物の相当部分は、
香港を経由して中国へ向かっていると見ていいだろう。それでも日本の大赤字に変わりはない。
現在、貿易上の取り決めで、日本から中国へ輸出できる農産物はリンゴ、ナシ、コメ、緑茶に
限られている。こんな制限があるため、日本産の果物や食品加工品、その他安全と思われてい
る食品が、香港経由で中国本土の富裕層のもとへ届けられている。さらにもし中国との問でF
TA(自由貿易協定)が実現するようなことになれば、中国へ本土の良品が届けられるに違い
ない,
といっても、今はまだFTAの交渉さえ人口で立ち止まったままの状態だから実現はかなり
先のことだ。現状を念頭におくしかないのだが、ではわたし達は中国のどんなものを輸入し、
食べているのだろうか?上位5位の品目はすでに紹介したので、こんどはもう少し細かく見て
いくとしよう。
食品の実態を探る
ただ品目を並べるだけではわかりにくいので少し工夫をしてみる,生物の発展・分化の仕方
によって分類する方法を真似てみるという手法だ。
生物はその発展の程度によって、ドメイン、界、門、綱、目、科、属、補の8つに分類され
る。たとえば、ヒト(学名、ホモ・サピエンス)は真核生物(ドメイン)、動物界(界)、脊
索動物門(門)、哺乳綱(綱)、霊長目(目)、ヒト科(科)、ヒト属(属)、ヒト(腫)と
分類され、最後の腫の段階ではじめて人間として現れる。では、この分け方をどうやって食品
に応用したらいいのか。私が参考にしたのは、HSコード(日本では貿易統計や関税率表に使
われている)という分類法だ。
既述のように食品は進化しており、原材料から高度な加工を経由しているため、従来の分類
法では現在の複雑化した需要に応えられなくなってきているのだ。厚労省が定めた「食品分類
法」(ひとつの分類や食品群に似たようないくつかの農産物を含めて分類する)や、栄養成分、
タンパク質、脂肪、炭水化物、ビタミンC、カロチン、無機質の6つの要素を基礎食品群とす
る区分方法では、本質的な実態は見えにくい。しかし、この分類方法を使えば、絢爛豪華なお
膳にのった上品そうに見える和食も、所詮は日本以外の産地から寄せ集められた「パーツ」を
組み合わせたり、飾り付けたりして、もっともらしく"調理"したものであるという正体が見え
てくるのだ。
国際的に定められているHSコードという分類方法は、"Harmonized Commodity DescriPtion
and Coding Systcm”(「商品の名称および分類についての統一システム」)の略で、世界税関
機構という組織が世界に呼びかけて作ったシステムだ。
鶏肉のくず、乾燥キクラゲ、砂糖の入った緑茶、砂糖の入らない茶、インスタント茶など、
これ以上細かくできない段階まで商品を分類する方法である。食品だけでなく、工業製品や天
然資源などもこの方法で分類されている。日本から輸出したり輸入された商品の種類・金額・
量を記した「貿秘統計」はこの分類方法によるものだ。
日本が中国から輸入している食品は、以前は収穫したままの野菜やとったばかりの魚など、
未加工の形が多かったので品目数は少なかったが、今やその数はどんどん増えている。
これにはWTO(世界貿易機関)やFTAなど2国問の貿M自由化交渉に際して、関税ルー
ルを定めるために品目名を統一する必要があるという背景もある。
食品モジュール表の考案
この輸入食品の品目を生物分類法を利用して分類すると、中国からの輸入食品がいかにモジ
ュール化しているかという実態がわかりやすい。2012年に中国から輸入した食品群を例に
「輸入中国食品モジュール表」を作ってみたのが表3だ。
右へ行くほど元の形から遠ざかり、ついには形が消えてしまう食品になることを示している。
たとえば収穫したすぐの段階では「門」に分類されるホウレンソウ(野菜)も、「綱」の段階
に移ると加工され乾燥ホウレンソウや冷凍ホウレンソウとなって日本にやって来る。日本では、
湯に浸けられたり解凍されたりして調理される前の段階の「目」の分順に移る。その後、「科
」の段階に移り、味付けされたり油揚げやゴマなどと混ぜられ弁当のおかずやスーパーの惣菜
コーナーに並ぶ。さらには、味噌汁やスープの具、あるいは木っ瑞微塵に切り刻まれて他の材
料や調味料と混合され野菜粉末などに姿を変える。最後の姿は「種」に移ることだ。そこでは、
機械で絞り上げられ、あるいは乾燥させられて野菜エキスヘと姿を変える。
ホウレンソウに限らず、あらゆる食品は形を変え続け、「種」の段階になると元が野菜だっ
たのか海藻だったのか、匂いでも嗅いでみるか、極端なことをいえばDNA鑑定でもしない限
り、区別できないくらいに変化する。
現代の農林畜水産物のほとんどがこのようにモジュール化されている。このうちの「綱]あ
るいは「目」の段階あたりまでは、以前は家庭で加エされ、食卓を飾ったものばかりだ。それ
がどうしたことか、家庭ではこうした調理はぱったりとされなくなり、ビニールや銀色の袋に
入った加工食品が幅を利かすようになっていった。
とくにスープやエキスとなると、食品モジュールの極限にたどり看いたようなもので、原材
料は不明、産地も不明、謎だらけのつかまえどころのない食品となる。これらは日本でも中国
でも製造され、両国で使用されている。中国に進出した日系食品メーカーが現地で製造し、日
本へ輸出する食品に使ったり、原液を日本へ輸出したりするケースもある。それを輸入した日
本の食品メーカーはカップラーメンやスープ、さまざまな調理の味付け、香り付けのための液
体として利用している。また中国の食品メーカーが日本へ輸出するケースもある。
高橋五郎 箸 『日中食品汚染』
ということは、トレーサビリティ(追証)が難しいということになるが、これは、技術者や工学者、起業家にとっ
ては、大きなチャンスとなる。これについては残件扱いとしておこう。
(この項つづく)
敷石道の曲がり角 その敷石を蹴ってみても
まだ来ない まだ来ない
あなたのために抱いてきたバラ
その花びらをみんなみんな ホラむしっちやって
なんだか辛くなっちやった
帰っちやおうかな ……ああ 帰っちやうから
小椋佳 『帰っちやおうかな』
私の初期の特別含みのない他愛ない、「待ち人来たらず」を悔しがる歌である。
サミュエル・ベケットの不条理劇『コドーを待ちながら』でもゴドーは結局現れないのであ
るが、この歌をそんなに難しく考えていただく必要もない。別役実作『やってきたゴドー』と
いう芝居を観たが、そもそも日本人はゴドーなど待つ心も歴史もないから、やってきてさえそ
れが何なのか分からない、あるいは関心を示さない、という事態が良く描かれていると私は解
釈した。私の場合、ここで歌おうとした待ち人なんてそもそも居ないのだと分かるまで、大分
時間がかかってしまったのだけれど……。この歌を創ったころ、色紙に「待つということは本
当は素晴らしいことなんです、それは何かが始まろうとしていることなんです」などと、「帰
っちゃおうかな」の歌とは逆主張の無責任なことを書いていたことを思い出す。言葉は言い回
し次第でさまざまな響き方をするものである。
「なるようになりますよ」という言い方と「なるようにしかなりませんよ」という言い方。こ
の二つは結局まったく同じことを言っているのだが、「なるようになりますよ」はポジティブ
な響きがあるのに、「なるようにしかなりませんよ」はどちらかというと捨て鉢なネガティブ
な響きで伝わる。妙なものである。
歳を取って、ひとつの同じ言葉を、若いころとはまったく異なる響きで受け止めていると自
覚される体験をしている。その言葉とは「頂事ないし些事」のことである。「些事」とは辞書
には「ささいなこと、つまらないこと」とある。些事の反対語は何だろう。正確な反対語ほと
りあえず見当たらないが、事件とか大事とかがそれに当たるだろうか。些事すなわち朝起きて
寝るまで、起きることも寝ることも含め、歯を磨き顔を洗い食事をし、その他、日々ルーティ
ンとしての洗濯やら掃除やら鉢への水やりやらちょっとした日用品の買い物やら。そうしたも
のはすべて若い日にはできればやらずに済ませたいものであったし、辞書にある通りつまらな
いことであった。そんなことだけで一日が過ぎてしまうと、その日は無駄に過ぎた一日という
位置づけたった。歳を取ってみたら、近年は、そうした些事を平穏にひとつひとつやっている
自分が結構愛しくて、生きている実感がもてて、まさに些事こそが大事になっている。不思議
な変化ではある。これこそ老化・老衰の兆候だろうか。
生前葬などをやってしまって、その後生き延びていたら何をするんだと尋ねられる。そこで
言う「何」とは、つまり「事件」とか「大事」のことなのだろうが、その意味でなら、何もし
なくてもいいではないかといまは思う。隠遁生活は私にはできないだろうが、俗に言う「楽隠
居」であればそれで結構ではないかと思う昨今ではある。また嘘をつくことになるかもしれな
いが……。
小椋 佳 箸 『前葬コンサート』
ここで、わたしは「また嘘をつくことになるかもしれないが……。」というフレーズが引っかかった。そこで少し
「嘘」について考えてみた。
米国の哲学者で『Love and Lie(愛と嘘)』の著者でもあるクランシー・マーティン(Clancy Martin)
は常に正直でいるなどとんでもない。良好な関係を築くためにはウソは必要不可欠だと言っている
という。ある研究によると、通常の会話において、私たちは10分毎に平均で2、3回ウソをついて
いるという("Good Lovers Lie", The New York Times 2005.02.07)。これを翻訳した白石里美は、
米国は、日本のような追体験文化(哲学者 三浦つとむ)がない国だと思われているが「実は大変
なことがあってね」などと、長々と自分の話をしないのが暗黙のルールになっています、相手の気
持ちや都合を考えず、自分の感情を表すよりも、負の感情をコントロールして常に穏やかでいる方
が品格があると考えられているようです。他人の気持ちを貶しめてまで自分を良く見せるためのウ
ソは問題外ですが、相手を傷つけず、人間関係を円滑にするために、ネガティブな感情を取り繕う
......。そんなウソを上手につくのは大人のたしなみと言えそうですと結んでいる(正直でいるよ
りウソをついた方が人間関係はうまくいく?」cafeglobe 2015.02.12)。
嘘は犯罪から発する音無しの屁だ。――中略――嘘は酒とおなじようにだんだんと適量がふえ
て来る。次第次第に濃い嘘を吐いていって、切磋琢磨され、ようやく真実の光を放つ。これは
私ひとりの場合に限ったことではないようだ。人間万事嘘は誠。ふとその言葉がいまはじめて
皮膚にべっとりくっついて思い出され、苦笑した。ああ、これは滑稽の頂点である。
太宰 治 『晩年』
また、太宰は、「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房 」で『嘘』(インターネットの図書館、青
空文庫(http://www.aozora.gr.jp/))を書いている。
それでは、嘘をつく機構を脳科学的側面から看るとどうなるのだろうか。『「サイコパス」の脳内構
造はこうなっている』(内藤 順, 東洋経済オンライン 2015.02.14)で ジェームス・ファロン箸
『サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅』の紹介でとして次のように述べる。
「山積されたスキャン写真の最後に読影した脳スキャン画像はひどく奇妙なものであった。それま
で私が記載してきたスキャン画像の中でもまさしくもっとも異常なものに思えた。この画像のかわ
いそうな持ち主はサイコパスであるか、少なくともこれとかなり一致する画像特徴を有しているこ
とを示していた。このスキャン画像の主が誰かに気づいた時に、なにかの間違いであろうと思いこ
まないではいられなかった……。しかし間違いではなかった。あろうことか、このスキャン画像の
持ち主とはなんと私(本書の著者、神経科学者のジェームズ・ファロン)であった」(原書「解説
より」)。
「人間の生物学的要因は,その行動にどの程度影響を与えるのであろうか?」
サイコパスの定義とは今日の科学の進展をもってしても、いまだ不確かなものである。一般的
に「精神病質」と表されるサイコパスの特徴は「平板な感情の動き」に代表される対人関係に
おける共感性の欠如である。映画『羊たちの沈黙』『ハンニバル』に登場するレクター教授の
ような、古典的なサイコパス像を思い出される方も多いだろう。
だが決して凶悪な殺人犯だけを指すわけではなく、人を思い通りに操縦しようとしたり、ウソ
に長け、口がうまく、愛嬌たっぷりで、人の気持ちを引きつけたりといった特徴も含むものと
される。
-中略-
そもそもサイコパスと言われる人達の脳には、いったいどのような特徴が見られるのか。これ
を著者は、自身の画像も使いながら説明していく。スキャン画像を眺めることで明らかになる
のは、健常な人の脳と比べた場合に眼窩皮質と扁桃体周囲の活動が低下しているということで
あった。この領域の活動が低下すれば、人は衝動的になるとされ、他者の感情を共有すること
に大きな障害を有する可能性が高い。
つまりサイコパスは、情動にかかわる認知(=熱い認知)のために使用される<前頭前皮質>
腹側システムの機能に乏しいが、理性的な認知(=冷たい認知)のための<前頭前皮質>背側
システムは活発なままである。そのため良心の呵責や共感を伴わず、冷静な計画の元に他人を
操ることができるのだ。
-中略-
彼は発育過程で環境と遺伝子とは数多くの仕方で相互に作用し合う、いわゆるエピジェネティ
クスに注目する。たとえば三世代以上に渡り幼児のうちに社会的暴力を経験していると、好戦
的な戦士文化が形成されてしまうため、暴力的になる可能性が高いという。いわゆる戦士の遺
伝子と呼ばれるものだ。
これらの研究結果を元に、著者は「三脚スツール」という名の理論を確立していく。サイコパ
スの要因となる3本の脚とは、①前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機
能低下、②いくつかの遺伝子のハイリスクな変異体、③ 幼少期早期の精神的、身体的、ある
いは性的虐待、以上である。それは著者自身の人生との間にも、十分に折り合いをつけられる
ものであった。
しかし、この考え方に、双極性障害を患っているのではないかという指摘を医師から受け、やがて
著者は、自分自身が向社会的サイコパスであることを受け入れるという逆転が解説されるからやゝ
こしい展開を見せるが、「第九章 サイコパスの脳を変えることはできるのか?」「第十章なぜサ
イコパスは存在しているのか?」としてサイコパスをめぐる科学の書として集約され、そして自由
への意志を語った希望の書となっていると解説されている。
さて、話はひろがった。嘘はさまだまだが、どのような嘘であろうと利害関係が絡めばその結果責
任が問われるが、それ以外は寛容さに委ねられ許されるというのが今夜の落ちである。
● 今夜の一品 デジタル認証ジッパー
昨夜から、ちょっとした波紋が生じている。彼女が短歌を書き始めだしたからだ。英会話の勉強だ
けでも迷惑なのに?書いたものを披露し感想を求めてくる。そうかと思うと、もうすでに、作品を
商業新聞社に投稿したともいうのだ。彼女はカメラ頭脳型(ずば抜けた記憶力?で数学頭の持ち主)
だが、アート頭脳型ではない。それで?秘書なら有能だったろうが、センスがない。作業中にあれ
これ聴いてくることが増えるだろうが、これは諦めるしかない。
● 引き寄せられる混沌 軍事紛争に加担する愚
それにしても、急進的なイスラム教(原理主義)信者によるテロが頻発している。どうやらパンドラ
の箱を開けてしまい、「希望」が残らず「千年戦争」が箱に残った感がする。それでは日本人はどう
すればよいのか? 答えは簡単だ。人道支援の基本原則――(1)人道原則、(2)公平原則、(3)中
立原則、(4)独立原則の4つ――を堅持することだ。