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資本主義と自由⑪

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彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる "招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん」



【男子厨房に立ちて「環境リスク」を考える 51】
冬になれば鍋。卓上ガスボンベと南部鉄鍋で湯豆腐が定番なのだが、
電子レンジ湯豆腐を頂くことにすることで、簡単つくることとフード
ロスと再エネ百を実現しする。それにしても豆腐はうまいね。

 

特集|サーキュラーエコノミー




□ 政府機関の完全なペーパーレス化を達成 中東ドバイ
  (2021年12月12日)

 




【ポストエネルギー革命序論 385: アフターコロナ時代 195】
現代社会のリスク、エネルギー以外も「分散時代」

環境リスク本位制時代を切り開く

積雪で2日わたる除雪作業で運動不足は解消されたが、舗装上の凍り
ついた雪を剥離・除雪作業は酷い。そこで最新技術を速効調べ、下記
の3件を選択してみた。

1.特開2021-155296 モルタルまたはコンクリート用組成物および
 その成形品
【概要】セメントを含む結合材と、細骨材と、短繊維と、水と、増粘
剤とを含有してなるモルタルまたはコンクリート用組成物であって、
JIS  A  1148に記載の凍結融解試験方法に基づく凍結融解試
験による、前記モルタルまたはコンクリート用組成物により作製した
モルタルまたはコンクリート供試体における所定の凍結融解サイクル
での凍結融解抵抗性は、前記モルタルまたはコンクリート用組成物と
は増粘剤を含まないことのみが異なるモルタルまたはコンクリート用
組成物により作製したモルタルまたはコンクリート供試体における前
記所定の凍結融解サイクルでの凍結融解抵抗性よりも優れ、短繊維を
含有するとともに、凍結融解抵抗性に優れたモルタルまたはコンクリ
ート用組成物およびその成形品を提供する。

2.特開2021-114882 太陽光発電パネル、融雪装置および太陽光発
 電パネルの制御方法
【概要】下図1のごとく、光入射面に照射された光を電力に変換する
光発電モジュール(15)と、電気エネルギーを熱エネルギーに変換
する加熱モジュール(13)を備え、加熱モジュール(13)は光発
電モジュール(15)の光入射面とは反対側に配置されている太陽光
発電パネル(10)で構成し、冬季の積雪時にも発電を継続すること
が可能な太陽光発電パネル、融雪装置および太陽光発電パネルの制御
方法を提供する。


図1 

3.特開2021-004535 路面加熱装置、その施工方法、路面加熱方法、
 および路面加熱システム
【概要】下図1のごとく、帯状の電熱シート110が、加熱を要する
道路200の進行方向に施工区間を複数に分割した分割区間に、道路
200の進行方向に路面に対して平面を直交させて複数埋設され、接
続構造が電力線150を介して、複数の電熱シート110を連結して
電源に接続することで、省エネルギーで道路を加熱でき、かつ保守性
に優れた路面加熱装置、路面加熱装置の施工方法、路面加熱方法、お
よび路面加熱システムを提供する。

図1.





⛨ AIが予測
オミクロン株拡大で東京感染者数1日3000人超のおそれ
▶2021.12.17 NHK
新型コロナウイルスの東京都内の今後の感染状況を名古屋工業
大学のグループがAI=人工知能を使って予測したところ、仮に
変異ウイルスのオミクロン株の感染拡大と年末年始が重なるな
どした場合、2022年1月末には1日当たりの感染者数が3000人を
超えるおそれがあるという計算結果となる。専門家は「いま感
染者数が少ないからと油断せず、対策を続けることが大切だ」
と話している。予測を行ったのは名古屋工業大学の平田晃正教
授のグループ。グループでは人流のデータや過去の感染状況、
それに現時点で報告されているオミクロン株の感染力やワクチ
ンの効果に対する影響などのデータをAIに入力し、今後の東京
都内での新型コロナウイルスの感染の広がりを予測した。

【ウイルス解体新書 95】


序 章 ウイルスとは何か
第1章 ウイルス現象学
第7節 新型コロナウイルス
7-1 新型コロナウイルスのライフサイクル
7-2 変異ウイルス
7-2-1 感染・伝播性の増加や抗原性の変化が懸念される新型
   コロナウイルス(SARS-CoV-2)の新規変異株について (第9報)
第9節 感染予防・検査・治療
9-1 検査方法・装置設備
9-2 ワクチン
9-2-1 変異ウイルスとワクチン
1.ワクチン開発の現状
1-1 国内ワクチン
1-1-1 海外メーカーも国内で臨床試験
1-1-2 なぜ国産ワクチ開発が遅れたのか
1-1-3 国内ワクチン開発の現状
1-1-4 熾烈な国産ワクチン開発競争
1-1-5 新型コロナに感染しても「軽症で済む人」と「重症化する
            人」
1-1-6 田辺三菱製薬-メディカゴ社
⛨ 田辺三菱製薬 子会社開発のワクチン 年内にカナダで承認申請へ
9-3 治療薬
□ 細胞に侵入するのを防ぐ薬 



国内で承認されている薬のうち「抗体カクテル療法」の薬と「ソトロ
ビマブ」は抗体医薬と呼ばれ、ウイルスが細胞に侵入する際の足がか
りとなる、表面にある突起の「スパイクたんぱく質」を標的にして攻
撃することで細胞への侵入を防ぐ。これらの薬は、患者が軽症のうち
に重症化を防ぐために点滴で投与されます。海外で行われた臨床試験
では、新型コロナウイルスに感染した人の入院や死亡のリスクが「抗
体カクテル療法」ではおよそ70%、「ソトロビマブ」ではおよそ79%
低下したとしている。これらの薬のオミクロン株に対する効果につい
て、専門家からはオミクロン株では「スパイクたんぱく質」におよそ
30もの変異があることから、標的としているスパイクたんぱく質の部
分に変異があれば、細胞へのウイルスの侵入を防ぐ効果に影響が出る
おそれがあるとする指摘が出ている。 愛知医科大学の森島恒雄 客員
教授は「抗体医薬はスパイクたんぱく質そのものを標的にしているの
で、今回の変異による影響は大きいと思う。ただ、標的のスパイクた
んぱく質がウイルスが変異した部分と重なっていなければ、治療効果
が保たれる見込みがあると思われる」と指摘。▶2021.12.17 NHK
9-3-1 スーパー中和抗体(抗体療法)
9-3-2 コロナ飲み薬
9-3-3 開発・承認・供給の現状
第2章 COVID-19パンデミックとは何だったのか
第1節 各国の動向と対策の特徴
1.米国
1-1 COVID-19委員会の創設を提案

第2節 謎のCOVID-19起源
2-1 消えぬ武漢研究所人為的発生説

第3節 新型コロナウイルスで分かったこと
3-1 人体の免疫システムからの逃避機構
▶2021.11.16 北海道大学

   
第6章 史上もっとも偉大なる憲法

     税金だって、ハハハ!税金!素晴らしい、すてきな税金!
     アハハ!アハハ!
          ジョン王、ディズニー映画『ロビン・フッド』
                                  (1973年)の登場人物

伝説が事実よりも力を持つとき
          国王と諸侯はその草原にやってきた。彼らの会談の結果、
                            史上もっとも偉人な憲章が成立した。
             トマス・デニング卿、イギリスの裁判官(1957年)

イギリスの高名な裁判官だったデニング卿は、マグナ・カルタの犬勢
いる信奉者の一人たった。だが、マグナ・カルタおよび古来の自由の
保護にまつわる伝説は一人歩きを始めてしまい、実際の大憲章よりも
っも素晴らしいものになっているかもしれない。デニングは「専制対
生の勝手な裁量に対抗する個人の自由の根幹」と呼んだが、実をいえ
ばマグナ・カルタは、一般市民の権利よりも、国王と貴族の関係のほ
うを市税する内宮だった。数多あった条項のうち、今日の法に残って
いるものはたった三つである。それ以外はすべて廃止された。廃止の
時期は、ほとんどの場合は二、三〇〇年前だ。

しかし、マグナ・カルタの伝説はつねに説得力富み、また偶像視され、
自由の象徴としてもてはやされてきた。ピューリタン革命のときにも
そうだった。当時、マグナ・カルタによって国王も一般市民も等しく
コモン・ローの対象になったといわれていた。また、マグナ・カルタ
により陪審制の原型が形づくられたともいわれていた。1688年の名誉
革命のときには、人びとの政治的思想にたいへん大きな影響を与えた。
おそらくもっとも心安なことに、イングランドの植民地開拓者が新世
界に出発するとき、国王から発行された勅許状には、彼らがイングラ
ンド生まれの市民と同じ「自由、参政権、免責特権」を持つと強調さ
れていた。植民地開拓者は、マグナ・カルタは基本法であると信じて
いた。アメリカ独立戦争でイングランドと戦ったときには、新たな自
由を獲得するためというよりも、マグナ・カルタに記されている自由
を保護するために戦うのだと思っていた。
アメリカ国立公文書記録管理局によれば、「アメリカ革命当時、マグ
ナ・カルタは自由を守る戦いの呼び水になったし、そういう戦いを正
当化する一助にもなった。植民地開拓者はイングランド人と同等の権
利を有すると信じていた。つまり、マグナ・カルタに保障された諾権
利である。彼らはそれらの権利を自州の法律に盛りこんだ。のちには
合衆国憲法や権利章典にも」。

合衆国憲法の修正第五条には、「いかなる人も、正当な法の手続きが
なければ生命、自由、財産を奪われることはない」という一節がある。
これは、マグナ・カルタの条項の、今日のイギリスのコモン・ローに
残っている三つのうちの一つに由来している。「すべての自由人は、
同輩による合法的裁判または国法によるのでなければ、逮捕、監禁、
自由保有地・自由・自由慣習の侵奪、法外放置、追放またはその他の
方法によって侵害されることはない。また朕も、その者を有罪と宣内
することはない」
フランクリン・デラノ・ローズヴェルト大統領は1941年の就任演説で、
アメリカ国民に向けてこう述べた。「歴史上、民主主義をこい願う思
いは近年に生まれたものではない。マグナ・カルタにすでに記されて
いるのである」
ジョン王およびそれ以前の歴代の王たちの過酷な税制への反発から約
700年前に考案されたマグナ・カルタは、アメリカ合衆国の国民の
ものの考え方を形づくった。今日に至っても、超大国アメリカの国民
の根幹の一部でありつづけている。

第7章 里死病がヨーロッパの租税を変えた

        この闘いに、朕は自ら出陣するつもりだ。
        広すぎる宮廷やむやみな大盤振る舞いのせいで
        少しばかり手元が苦しくなってきているから
        やむを得ず、王領の土地を耕させることとしよう。
        その収入で当座の必要を賄おう。
              ウィリアム・シェイクスピア、 
              『リチャードニ世』(第一幕第四場) 

今日では封建制として知られる中世の支配体系は、基本的には税制体
系であった。その頂点には国王がいた。神から支配権を授かった国王
は、富のおもな源泉である土地をことごとく所有した。そして、その
一部、おそらく四分の一ほどを手元に残し、残りの一部を教会に、一
部を貴族たちに分け与えた。
その対価として貴族たちは、生産物の一部、収入の一部、軍務、要求
されれば配下の騎士および兵士、それに忠誠心を国王に捧げた。
同じような力関係----土地と保護を与えるかわり、農産物、利益、労
働を受けとった----は、食物連金を払うことな鎖のずっと下の不自由
農や農奴にまで当てはまった。農奴のほうはローマ帝国時代の奴隷の
子孫であると考えられ、その立場はその奴隷とほぼ変わらなかった。
彼らは領主である騎士、貴族、教会、あるいは国王に労働を提供しな
ければならなかった。彼らは領主の土地での農作業に一週間のほぼ半
分を費やした。残りの半分は所有を許されているささやかな土地の耕
作に使った。収穫の時期には農作物の一部を納めることになっていた。
彼らが自分の土地でとれた穀物を挽いて粉にするには貴族の穀物倉ま
で行かなければならず、貴族はそこからの自分の分け前とるのだった。
けものの解体の際には食肉の一部を持っていった。農奴は土地に縛り
つけられていた。新たな領主がやってくれば、その人物が土地と農奴
とを所有することになった。農奴は領主の許可がなければその土地を
離れることができず、勝手に出ていった場合には法の保護を受けられ
なくなった。騎士や貴族と同じく、農奴もその身分を世襲したので、
何世代にもわたって奴隷のような地位に甘んじることになった。これ
は、基本的には税制体系だった。武力によって強制された、支配およ
び統治の体系である。

そんななか、1300年代半ばに黒死病が流行した。
黒死病による死者数は約5000万人で、ヨーロッパの総人口の60%にの
ばった。当時人口の90%が位んでいた農村地域への打撃はとくに深刻
だった。数字については諸説あるが、イングランドではおよそ600万
人だった人口が約三分の一の200万人にまで減ったと考えられている。
ヨーロッパ全土において、封建制度への影響は甚大だった。「あらゆ
る種類の使用人が、過去になかったと思われるほど不足した」と、当
時の年代記作者が記している。農奴は不足していた。だが土地はそう
ではなく、手入れをされずに捨て置かれた。賃金は増えた。だが地主
の利益は減った。1340年から1380年までの期間に、農村の労働者の購
買力は40%上昇した。黒死病によって領主を失う農奴も少なくなく、
彼らは結果的に自由の身になったく解放されたのだ。死なずにすんだ
農民を引き止めるため、領主は彼らに自由を与え、自分の土地で働い
た分の賃金を支払うようにすらなった。農民は、歴史上はじめて金銭
を取り扱うようになった。
この上昇移動は支配階級にとって好ましくなく、彼らはそれを禁止す
る法律をつくることにした。1349年、黒死病がイングランドで流行し
はじめてから一年足らずのうちに、法律によって賃金および物価の上
昇に規制が設けられた。だが、効果はなかった。二年後、労働者法の
制定により、考えうるすべての職業----農業、馬具屋、仕立屋、魚屋、
肉屋、ビール醸造業、パン屋など----の一日の賃金の上 限が定めら
れた。人びとは、商品もしくは労働の対価として黒死病流行前よりも
高い金額を取ることを 禁じられ、違反すれば罰として焼印をおされ
たり投獄されたりした。法の執行をつかさどる判事には、 地方の地
主がたくさんいた。1359年には、よその土地に移住した者は法律によ
って罰せられること になり、1361年には、労働者法の規制がいっそ
う厳しくなった。こういうやり方は人びとの不評を 買ったが、政府
はそれらの法律の制定にあたり、地方の地主と結託していたわけでは
けっしてなかった。 だが、法律で時代の動きは止められなかった。
下層階級の人びとは、身分の高い人びとが着ているものに似た上等な
衣類を身につけ、良質な食事をとるようになった。そのため、1363年
に豪奢禁止法が成立した。それにより、平民の食事の内容や衣服の質
および色は、社会階級ごとに絹かく規定された。一方、イングランド
とフランスは、のちに百年戦争と名づけられる戦いの真っただ中にあ
った。1377年、イングランドのリチャードニ世はまだ幼かったため、
その叔父で、国内で一番の金持ちであったランカスター公ジョン・オ
ヴ・ゴーントが事実上の政府の長となっていた。彼は、かさみつづけ
る軍事費を補填するために人頭税を導入した。農民からも地主からも
徴収することとしたのである。貴族はこの税に賛成した。人頭税を農
民から集め、その上前を撥ねられると考えたのだしてみれば、この人
頭税には新しいところがあった。現物ではなく金銭、すなわち一人あ
たり四ペンスを納めなければならない点である。それは、労働力が,
不足した結果、経済情勢が大きく変化したことのあらわれだった。つ
まり、下層階級がすでに現金をやりとりするようになる。一年後にふ
たたぴ徴収された。このときの税収が期待ほどではなかったため、さ
らにもう一度徴収されることになった。十六歳以上の者一人につきコ
ーペンスの定額税である。一週間の賃金とほぼ同額であったこの人頭
税を、貧乏人も金持ちも支払った。これは労働者階級を対象にする税
と見なされていた。

人びとはあの手この手で人頭税を回避しようとした。登録を拒否する
者は多かった。納税額を確認したジョン・オヴ・ゴーントは、少なす
ぎることに気づいて激怒した。そこで、地方長官に管轄地区の調査を
命じ、誰が徴収に応じなかったかを突き止めようとした。この命令を
受けた地方長官の一人にトマス・バンプトンという治安判事がいた。
1381年5月30日にエセックスのフォビング村にやってきたバンプトン
は、村人たちに出頭を求めた。すると、村人たちは弓やこん棒で武装
してあらわれた。バンプトンは、改めて人頭税を納めてもらいたい、
今回出頭しなかった者の分も支払ってもらわなければならないと説明
した。フォビング村の代表者はパン屋のトマスたった。彼は、村から
はすでに人頭税を納めている、これ以上支払うつもりはないと告げた。
バンプトンは彼の逮捕を命じた。トマスは抵抗した。揉み合いになり、
バンプトンの部下の事務官3人が殺されたが、彼自身はどうにか逃げ
ることができた。
その翌日、主席判事のサー・ロバート・ベルナップが兵士数人ととも
に村を訪れた。騒ぎを起こした張本人たちを処刑すれば、他の村人た
ちは怯え、人頭税を支払うだろうという単純なもくろみだった。とこ
ろが、村人たちは彼に襲いかかり、兵士たちを叩きのめした。そして、
「二度とこのような呼び出しを行なわないこと、また、裁判官ぶって
こういう審問を間かないことを、聖書にかけて誓わせた」。解放され
るや、「サー・ロパートは大慌てで帰っていった」 それが農民一揆
の始まりだった。

国王につばを吐いたタイル職人

         さあ、農奴の身分というくびきを振り落とし、
                 自由を取り戻すときが来た。
             ジョン・ボール、説教師(1238~1381年)

歴史上、農民一揆はやや嘲笑的にとらえられており、杜撰だったとか、
お笑い種たったなどとすらいわれている。だが、実はその遂である。
軽蔑的なニュアンスのある「農民」という言葉を用いているのも不正
確だ。農民もいたが、反乱者のなかには一般の労働者も、職人も、小
規模な事業を営む者もいた。
今日ならばミドルクラスと呼べる人びとである。さらに、これは自然
発生した暴動ではなく、入念に計画されたものであって、明快で、さ
まざまな意味で実にみごとな戦略のもとに遂行された人頭税廃止作戦
だった。この騒動により、イングランドの権力構造がもう少しで転覆
するところだったのである。
この運動の理念を支える闘士はジョン・ボールという説教師で、権威
ある人びと、とりわけカンタベリー大司教と衝突したことで破門され、
何度か投獄されてもいた。彼は、少なくともその二〇年前から、
説教のなかで経済的不平等を訴えていた。上位の聖職者である司教だ
ちから「教会区および教会での説教」を禁じられると、彼は「路上、
広場、田畑で話をするようになり」、火を吐くように熱弁をふるった。
周囲には黒山の人だかりができた。当時の批判的な人びとの一人によ
れば、彼は「無知な人びとに人気があり」、多くの聴衆を引きつけた。
また、「耳にここちよい言葉を操り、高位聖職者の悪口をいい、人び
とを説教に引き込むことが常であった。」





【概説】
貨幣、帳簿、市場……資本主義の基幹エンジンたる仕組みの歴史を紐
解く。そしてケインズ、ハイエク、フリードマンの思想へ。ほころび
始めたグローバル資本主義の未来を見据えながら、その本質に迫る。
【目次】
第3章 君臨する経済学(間宮陽介『市場社会の思想史』一三三六夜
ジョン・メイナード・ケインズ『貨幣論』一三七二夜 ほか)
第4章 グローバル資本主義の蛇行(マンフレッド・スティーガー『
グローバリゼーション』一三五八夜;スーザン・ストレンジ『マッド
・マネー』一三五二夜 ほか)
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資本主義と自由⑪
 松岡正剛の千夜千冊⑰  交貨篇 1336夜(2009.123.23)
第3章 君臨する経済学
間宮陽介『市場社会の思想史』一三三六夜

アダム・スミスの「見えざる手」。リカードからマルクスに及んだ階
級の経済学。ロマン主義によるリストの国民経済学。メンガーやジェ
ヴォンズの数理に変じた経済人間像。異能ヴェブレンや異才ポランニ
ーの経済社会批判。18世紀の理性から解き放たれた経済学は、ケイ
ンズに向かい、ケインズから離れ、あげくのはてで、なぜにまた、マ
ネタリズムに向かっていったのか。かの市場原理主義が生まれてきた
背景を今夜から数夜にわたってスケッチしてみたいと述べ、「理性主
義の18世紀」がどのように「偶然と確率の19世紀」に向かったの
か、その後は「たまたま」の正体がどう哲学されてハイデガー(91
6夜)などに至ったのかをあらまし瞥見べっけんし、ここに加えなければなら
ないのは、①同じ時期に併走していた経済思想のストリームと、②自
由主義をめぐるストリームと、③個人主義思想に関するストリームな
のだが、なぜ、この3つなのかといえば、この3つの奇っ怪な"まぜ
まぜ"によって資本主義のマッドマネー的歪曲(1352夜)がおこり、
この思想ストリームを3つまとめて矯正する目をもつことが、そのう
ち重要になるが、紆余曲折を見るには簡潔に通史を述べている『市場
社会の思想史-自由をどう解釈するか』を選択するが、アダム・スミ
スが発見したのは、「自己利益が社会利益に転化する」という法則で
あり、そこに見えてきたのは、”自然権としての自由”の制度として
の「市場社会」という。この見方はのちのちの社会経済思想にとって、
重要な分岐点----当時は、トマス・ホッブズ(944夜)が『リヴァ
イアサン』において、自然的自由は、「自然権としての自由が帰結す
るのは戦争状態にほかならず、その戦争状態を克服するために統治契
約というものがあるとみなし。統治契約があれば、その後の自由が臣
民にもたらされると考え。自由は大事だが無制限の自由は社会を戦争
状態(あるいは無政府状態)にするから、それを契約によって制限す
ることが真の自由だと考え、統治契約にもとづいて実現されるという
見解を意味し----スミスの市場主義は初めてこれに真っ向から対立す
るものである松岡とし、スミスは、契約は契約参加者を拘束するのみ
で、後世の社会を拘束する理由を与えない。そんな中途半端な契約で
人民を縛るべきじゃない。これは、主権者(国家・政府・権力)が私
人の経済活動に介入することの愚かさを説いたものでもあって、だか
らスミスは、主権者は防衛・司法行政・限定的公共事業だけをしてい
ればいいとの見解であり、今日の「小さな政府」論につながっていく
もの考える。

 整理していうと、アダム・スミスの登場は、「理性」よりも個人
 の「感情」や社会にひそむ「偶発性」を重視した思想の登場でも
 あった。それは18世紀の理性主義からの早々の脱却であり、同
 時に19世紀以降の資本主義市場の本質を予告したものだった。
                 松岡正剛の千夜千冊 1336夜
                             『市場社会の思想史』 間宮陽介

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 統計や確率は自立していない。そこには、サタンやサンタやアン
 タが関与する。純粋に見える数学が、なぜこうした主観的幻想に
 苛まれるのか。数学の解釈に由々しい問題があったからに決まっ
 ている。けれども長らく、経済学はこの問題を無視してきた。ト
 ヴァスキーやカーネマンが登場するまでは。しかしそろそろ数学
 の側からも訂正が入るべきなのだ。そして、統計と物語とが比較
 されるべきなのだ。 
                松岡正剛の千夜千冊 1341夜 
           『確率で言えば』 ジョン・A・パウロス          
            


本書はこの手のもののなかでは、めずらしく愉快な一冊だった。タレ
ブの『まぐれ』(ダイヤモンド社)やムロディナウの『たまたま』(
ダイヤモンド社)は、この本を“母”として羽ばたいていったにちが
いない。著者のジョン・パウロスはテンプル大学の主席研究員を務め
てきた有数の数学者だが、数学の意味に関してはそんじょそこいらの
数学者とは一線にならない。すでに『数学するヒント』(白揚社)や
『数学とユーモア』(紀伊国屋書店)で鮮やかな切り口を見せてきた。
それが本書では、統計的確率論を物語に引き付けて、統計も確率も「
情報を組み立てた」という点では物語と変わらないということを述
べ、物語は統計的数値に文脈を与えるだけでなく、そこに「意味」と
「価値」をもたらしているのである。こういう指摘は、語り口は柔ら
かいが、パウロスならではの「笑い」と「毒」が効かせ、「確率と物
語」を並べたのはパウロスが初めてだと感嘆し、つぎのように書く。

 ポストモダン以降、哲学や社会思想や文学理論では、とっくにこ
 の問題は周知の事実になっている。「何か互いをつなぐもの」が
 サタンやサンタやアンタでないこともわかっている。そういうふ
 うに思いこむ恐ろしいパラノイア(PPP=Probabilistically Pr-
 ovoked Paranoia)が、古来、人間につきまとうこともわかって
 いる。ところが統計学や確率論は、このような対比にひそむかも
 しれない「互いをつなぐ関係」を長らく考慮してこなかった。パ
 ウロスが言うように、統計学や確率論は度しがたく保守主義で、
 愚直なまでにツルツルだったのだ。
 そこでエイモス・トヴァスキーやダニエル・カーネマンがここに
 心理学を加え、まずは『不確実性のもとでの判断』を発表して
 “行動心理的経済学”ともいうべき鳥羽口を開き(行動経済学と
 総称されている)、ついでは、確率的統計がつくりだす数値には
 編集プロセスと評価プロセスがあって、そこには「意味の読み替
 え」がおこりうるのだということを調査研究したのだった。



そして、21世紀を迎えたときにビル・ゲイツが、「これからのマイ
クロソフト社の戦力はすべてベイズ・テクノロジーである」と明言し
たことから一挙に再注目を浴び、実際にもその前後から、ほとんどの
スパム・メールの選別や、マイクロソフト社の文脈依存型検索エンジ
ンや自然言語構文解析、グーグル社やオートノミー社のフィルタリング
などには、すべてベイズ・テクノロジーが応用されたものの、ベイズ
主義の評価は、今後の問題で、ベイズ・テクノロジーの過信にはまた
ぞろ社会的なブラック・スワンを出現させかねない----全く予想外の
出来事が発生すると、確率論や経験、常識が通用しないため、社会や
市場に極めて大きな衝撃を与えるとするナシーム・ニコラス・タレブ
認識論研究者の理論----暗部が潜伏している。マイクロソフトもグー
グルも、あまりにリスク回避的で、それを多少なりとも打破するため
には、フラクタル型の確率モデルや、カオス型の思考方法や、さまざ
まな社会経済学的な思考方法の可能性もありうる。ニクラス・ルーマ
ンのシステム論やリバタリアニズム(自由至上主義)の思想にもヒン
トがあろうと指摘し(松岡正剛の千夜千冊 1340夜 田渕直也著『確
率論的思考』 )、「重層的で、微妙な意味合いと相互参照する物語、
寓話、謎、注釈を備えたシステムを想定すれば、どんな厳密な数理的
な推論にも対応できるだろう」とのコンピュータ科学者のデヴィッド・
ゲラーンターが『タルムード』を研究すべしと言ったことを引用たの
ように空海(750夜)や白川静(987夜)をシステムに配置すべきでと
提案する。

  
宗教的寓意小説に仮託した出家宣言の書。 


数理経済学このかた、経済学はいささか数学を過信してきたようだ。
世の中は「不確実性」でできている。だから確率論や統計学が君臨し
たくなる。けれども、その数学そのものが不確実な歩みを秘めていた
としたら、さあ、どうするか。本書は、「ユークリッド以来の数に明
るい数学者」と言われたモーリス・クラインが、古今の数学の限界と
矛盾を縦横無尽に明示した名著。算術をふりまわすエコノミストやビ
ジネスマンと、「思索の法則」をなんとか求めたいと思う者たちは、
いったん、この本に戻らなければならない。(松岡正剛の千夜千冊,
1592夜, モーリス・クライン著『確実性の数学』
                                               この項つづく
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【概説】
今日の社会科学にとって重要な問いは、「社会とは何か」「それはい
かにして可能か」という抽象的な問いではない。ある歴史性をもって
誕生し、この問い自身が不可視にしてしまう「社会的」という概念を
問題化することである。本書では、この概念の形成過程を辿り直し、
福祉国家の現在を照射することから「社会的なもの」の再編を試み
る。
【目次】
1 社会的なものの現在(日本の戦後政治と社会的なもの;冷戦以後
 と社会的なもの;社会学と社会的なもの;社会民主主義)
2 社会的なものの系譜とその批判(ルソー;社会科学の誕生;批判
 と展望)
3 基本文献案内
【著者概歴】市野川容孝[イチノカワヤスタカ]
1964年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
専攻は社会学。明治学院大学社会学部専任講師を経て、東京大学大学
院総合文化研究科助教授
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風蕭々と碧い時代

曲名:クリスマスキャロルの頃には (1992年10月)
唄 :稲垣潤一/稲垣潤一&広瀬香美
作詞:秋元康 作曲:三井誠 編曲:清水信之





「クリスマスキャロルの頃には」(クリスマスキャロルのころ
には)は、稲垣潤一の27枚目のシングル。1992年10月28日にフ
ァンハウス(現:アリオラジャパン)から発売。最初のシングル
発売は1992年10月28日で、TBS系テレビドラマ『ホームワーク』
の主題歌として起用された。そのため、『突然バラエティー速
報!!COUNT DOWN100』(TBS)のランキングVTRでは、稲垣の他に
唐沢寿明・清水美砂・福山雅治・浦江アキコが出演。

2009年11月18日、広瀬香美とのデュエット・ヴァージョン版を
リリース。稲垣のデュエット・アルバム『男と女2』からのシン
グルカット曲となる。発売週のオリコンシングルチャートでは3
位だったが、2週目に1位を獲得した[要出典]。1週でランク落ち
するものの、3週連続を含む通算4週間1位を記録。

● 今夜の寸評:沸騰する欲望と対峙する知恵



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