ラスト・ワンマイル...ですね。
彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる "招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん」
Video: FutureTimeline.net
Elon Musk:”A future worth getting excited about”; 「わくわくする未来」
世界は、ウクライナやミヤンマーで独裁者達が当該国民が虐殺・蛮行
を行っているというのに呑気に、イーロンマスクと TEDメディア責任
者のクリスアンダーソンが、今後数十年で人類が直面する課題と、な
ぜ私たちがもっと楽観的になるべき対談----気候変動、クリーンエネ
ルギー、電気自動車、AIとロボット工学の台頭、ブレインコンピュー
ターインターフェース、自動運転車、再利用可能なロケットの革命的
な可能性、火星への今後のミッション等を話し合っている。そこで、
マスク(推定純資産2730億ドル)の労働倫理と世界で最も裕福な自身の
洞察----将来予測背後の思考プロセスを離話す。アンダーソンは、生
きている他の誰よりも未来形成を自負していると対談を振り返る。し
かし、「儲けるために未来を語る」ことは重要なインセンティブ。リ
バタリアンや独裁者やハゲタカ投資家、エコロジスト、偏狭な国家主
義者であろうと関係ないことである。要は「鏡の裏」に張り付いてい
る「人類共通の倫理価値」だけである。つまり、それをわたし(たち
)が「進歩」と呼んでいるものである。
● iPSで人工涙腺作製、世界初
重症ドライアイなどへの再生医療・創薬研究を加速新技術
4月21日、大阪大学大学院医学系研究科の林 竜平寄附講座教授 (幹
細胞応用医学)、西田幸二教授(眼科学)らの研究グループは日本医
療研究開発機構(AMED)の支援を受け、ヒトiPS細胞から機能的な3次
元涙腺オルガノイドを作製する方法を新たに確立。
角膜と結膜に覆われる眼の表面(眼表面)の恒常性維持には涙液層
の存在が必須です。涙液層は主に涙腺からの涙液やムチン分泌により
維持されていますが、シェーグレン症候群などの自己免疫疾患などに
より涙腺に障害が起きると、眼表面が乾燥し、重篤なドライアイとな
る。同研究グループではヒトiPS細胞から角膜や結膜を作製することに
成功している一方で、涙腺の作製はこれまでに報告がなかった。角膜、
結膜、涙腺は同じ発生起源であることに着目し、以前に角膜、結膜の
誘導に用いた2次元眼オルガノイド(SEAMと命名)の誘導法を応用し、
新たに涙腺原基の分化誘導を試みた。まず、SEAM法で誘導した2次元
眼オルガノイド内に涙腺様細胞クラスターの出現を見出し、さらにセ
ルソーターを用いて iPS細胞由来涙腺前駆細胞を単離し、基底膜細胞
外基質を豊富に含むマトリゲル内で3次元培養を行うことで、導管の
出芽(budding)と分岐(branching)を生じる、3次元涙腺組織(オル
ガノイド)の作製に成功しました(上図1)。
図2. SEAMの模式図
SEAMは同心円状の4層構造を形成し、zone-3に涙腺・角結膜上皮原基
である眼表面外胚葉が発生する。
【要点】
1.研究グループが独自に開発したヒトiPS細胞を用いた2次元の眼様
オルガノイド誘導法により、涙腺様細胞が誘導できることを確認
2.誘導細胞の中から涙腺前駆細胞を単離し、3次元培養することで
腺発生に特徴的な導管の出芽(budding)と分岐(branching)を伴う
3次元涙腺オルガノイドを誘導することに成功
3.得られた3次元涙腺オルガノイドは動物(ラット)への移植によ
り、成熟した涙腺組織へと分化
4.ヒトiPS細胞から涙腺オルガノイドの作製は世界初の技術であり、
シェーグレン症候群等により引き起こされる重症ドライアイに対す
る再生治療法や薬剤の開発が期待されている
【ポストエネルギー革命序論 427: アフターコロナ時代 237】
現代社会のリスク、エネルギー以外も「分散時代」
● 三元系高分子太陽電池の安定性向上メカニズムを解明
出所:広島大学
塗布型で低コストの製品開発に貢献
4月21日、広島大学らの研究グループは,電子スピン共鳴を活用し,
従来の手法では難しかった三元系高分子太陽電池の安定性向上メカニ
ズムを分子レベルで解明。3種類の半導体材料を用いた三元系高分子
太陽電池は,高効率な次世代の太陽電池として注目を集めている。有
機材料を用いて安いコストで作製できるほか,プラスチック基板に塗
るだけで製造できるため,コストや環境負荷の抑制につながり,大面
積化も可能であることでも注目されている。しかし,分子レベルの劣
化メカニズムは不明で,太陽電池を長寿命化する上での妨げとなって
いた。独自に開発した太陽電池の構造を活用し,電子スピン共鳴と太
陽電池の性能を同時に計測する,世界初の測定手法を用いた。この手
法による計測の結果,太陽電池が動作している状態で,太陽電池の内
部の電荷状態(スピン状態)の変化が太陽電池の性能(電流や電圧)
と強く相関。また,太陽電池の性能の変化は,太陽電池の構成材料で
ある光活性層と電子輸送層の電荷状態の変化に由来することが分かっ
た。
❏掲載論文:
原題:Stability improvement mechanism due to less charge accumulation
in ternary polymer solar cells.; 三元系高分子太陽電池の電荷蓄積の減少
による安定性向上メカニズム,npj Flexible Electronics,
DOI: 10.1038/s41528-022-00153-z
● ドーパント用いないホール輸送材料開発
産業技術総合研究所・日本精化株式会社らの研究グループは、ペロブ
スカイト太陽電池(上図)に使われるホール輸送材料のうち、有機ホ
ール輸送材料は、一般的に無機材料よりも光電変換効率が高く、開発
事例も多い。有機ホール輸送材料の多くは、リチウムイオンなどのド
ーパントを添加剤として加えることによって、ホールを動きやすくし、
高い光電変換効率を得ている。しかし、リチウム塩などのドーパント
は一般的に吸湿性があるため、水分を引き込むことによりペロブスカ
イト層を劣化させ、耐久性を低下させる。そこで、ドーパントを添加
せずに、高い光電変換効率が得られるホール輸送材料を開発した。今
回、従来のホール輸送材料に新しい化学構造を導入し、ドーパントを
添加せずに、高い光電変換効率が得られる新規ホール輸送材料を得る
ことに成功した。従来のホール輸送材料(図左)にドーパントを添加し
ない場合と比較し変換効率が約3割向上した。さらに、耐久性を確認
するために耐熱性試験(未封止、暗所)を実施し、1000時間を経過し
ても初期の光電変換効率を維持することが分かったという。
【要点】
1.ドーパントを使用しない場合の従来ホール輸送材料に比べて変換
効率が約3割向上
2.耐熱性試験において初期効率を1000時間維持
3.従来型有機ホール輸送材料の分子先端を変えることで材料の高性
能化
✔掲載は二度目だが、印象が浅く再度読み込んだ事案。つまり、「鉛
のリサイクルできいればSDGs事業として合格するだけでなく、現在
のシリコン系太陽電池に置き換わるだけでく、人工光や散乱光も光電
変換でき、さらに、分散独立型デバイスの半永久的電源として用途拡
大できる。
● 「純水素型燃料電池を活用した実証施設」稼働
燃料電池、太陽電池、蓄電池の3電池を連携・制御
4月15日、パナソニック滋賀県草津拠点に5 kW純水素型燃料電池99台
(495 kW)と太陽電池(約570 kW)を組み合わせた自家発電設備、そ
して余剰電力を蓄えるリチウムイオン蓄電池(約 1.1 MWh)を備えた
大規模な実証施設を設置した。ここで発電した電力で草津拠点内にあ
る燃料電池工場の製造部門の全使用電力を賄うとともに、3電池連携
による最適な電力需給運用に関する技術開発および検証を行う。
【要点】
1.世界初、水素を活用した工場の再生可能エネルギー 100%化に向
けた実証
2.3電池連携のエネルギーマネジメントシステムで最適かつ安定し
た電力供給
3.純水素型燃料電池の複数台設置と運転制御による長期運用、無停
止メンテンナンス化
● 伝統工芸「切り紙」で創るフレキシブルな温度変調素子
身近なプラスチックを用いた新しい加熱/冷却技術
4月22日、国立研究開発法人物質・材料研究機構 (NIMS)は、固体の
伸び縮みに伴う温度変調現象「弾性熱量効果」を利用する 加熱/冷却
技術を開発。
【要点】
1.固体の伸び縮みに伴う温度変調現象「弾性熱量効果」を利用する
加熱/冷却技術を開発。
2.これにより、小型電子機器用の熱エネルギー利用技術やフレキシ
ブルな温度変調素子などへの応用展開できる。
3.提案・実証したのは、弾性熱量効果による吸発熱を、板材の「切
り紙」加工で制御する。切り紙加工により、非常に小さな引張応力
で任意の場所に大きな内部応力を集中的に発生させできる。その結
果、これまで弾性熱量効果の温度変調材料としては全く着目されて
いなかった身近なプラスチック材料の局所加熱/冷却能を大幅に向
上できし、その値は従来最高性能の弾性熱量効果を示していた形状
記憶合金をも凌ぐ。
4.切り紙加工は、プラスチックに限らず様々な物質に人工的に伸縮
性やフレキシビリティを与えられ、その加工パターンは多彩です。
今後、弾性熱量効果による温度変調に最適な加工パターンや物質の
選定を進めることで、電子機器に対する温度制御技術や曲面などに
も取り付け可能なフレキシブルな温度変調素子開発への展開を目指
図1.プレスリリース中の図 : (a) 弾性熱量効果による温度変調.
(b) 切り紙加工で作成した温度変調素子
❏掲載論文
原題:Elastocaloric Kirigami Temperature Modulator, Advanced Functional
Materials, 2022年4月19日, DOI : 10.1002/adfm.202201116
● 日産の2028年までに全固体電池セル化計画
日本の自動車メーカーである日産は、2028年に市場に投入することを
目指している、積層全固体電池セルのプロトタイプ生産施設を発表。
全固体電池(ASSB)は、電気自動車の画期的な技術であり、その人気
を加速させることが期待されている。ASSBのエネルギー密度は従来の
リチウムイオン電池の2倍、優れた充放電性能により充電時間が大幅
に短縮され、安価な材料を使用することでコストが削減される。
また、従来のバッテリーの可燃性液体電解質が不足している。より安
全である可能性があり、危険または有毒な物質の使用を回避すること
で、環境にも優れている。これらのメリットにより、日産は幅広い車
両セグメントで全固体電池を使用し、EVの競争力を高めることを期待
している。写真の新しいプロトタイプ施設は、東京のすぐ南にある日
産研究センター内にある。同社は、プロトタイプ施設で検討されてい
る材料、設計、製造プロセスに基づいて、2024年に横浜工場にパイロ
ット生産ラインを設立する予定。成功すれば、2028年までに自社開発
の全固体電池を搭載した電気自動車(EV)を発売。これらは現在の電
池の半分のサイズで、わずか15分で完全充電される。日産は、全固体
電池を2028年までに1kWhあたり75ドルに、その後は1kWhあたり 65
ドルに削減する。これによりEVはガソリン車と同じコストレベルとに
なる。独自開発した「マテリアルズインフォマティクスプラットフォ
ーム」と呼ばれるコンピューター化されたデータベースでNASAと協働
し、数十万のマテリアルの組み合わせをテスト中であり、非高価な希
土類化を促進。担当者責任者の小西は、分子レベルの電池材料研究か
ら安全で高性能なEVの開発まで、幅広い研究開発活動を通じて電化技
術のリーダー。EVを蓄電池として使用する都市開発も含まれると話す。
また、日産は最近、長期ビジョンであるNissan Ambition 2030を発表
しており。23の新しい電動モデルに加えて、2030年までにほぼすべて
の新しいモデルに次世代LIDARシステムを搭載した高度な自動運転車技
術導入を表明している。
✔ 日産の前身の「たま電気自動車」➲「プリンス自動車工業」で
あり、朝鮮戦争で鉛不足となり電気自動車開発は中断、いままさに、
トヨタと競い合うトップランナーである。高付加価値の全固電池は、
\1万/kWhを目指し頑張ってもらいたい。いや、必ず実現するだろう。
図1.全固体電池3Dプリンター電池の量産
Harvard Universityなどが3Dプリンターで作製したLIB。長辺は約1mm。
正極にはリン酸鉄リチウム(LFP)、負極にはチタン酸リチウム(LTO)
を用いた。これで電池として動作
● 全固体電池の有力な製造方法か
LIBなどの蓄電池を3Dプリンターで製造するメリットは幾つもある。
具体的には、
(1)正負極や電解質など素子構造の設計自由度の高さ
(2)素子構成の多層化によるエネルギー密度の20~70%向上
(3)電極の3D化で1セルの容量と放電レートの向上
(4)大規模量産、多品種少量生産(オンデマンド生産)の両方に対
応可能
(5)製造コストの低さ
via 日経クロステック
ところで、このブログの読者の諸氏はご存知だが、「3Dプリンタ」
は日本で誕生している(1991年年)。断念ながら特許は取っていなか
った。オバマ大統領がパクリ(これは表現が悪いが)、センセ-ショ
ナルに波及。その後。ハーバード大学が3DプリンタでLIBを作製する。
長辺は約1mm。正極にはリン酸鉄リチウム(LFP)、負極にはチタン酸
リチウム(LTO)を用いた。これで電池として動作するこに成功する。
小生が具体的知るのは「色素増感太陽電池」事業開発に着手した時(
社内)であった(2001年)。それはさておき、現在は、金型代替はも
ちろん、さまざまな製品の精緻な模型、生体組織から家まで3次元(3
D)プリンタによる成形はその適用対象を急速に応用展開、そして、
高エネルギー密度の全固体電池の製造にも応用される段階にあり、既
に量産が始まっている。
図 Sakuuの全固体LIBの体積エネルギー密度の推移と2023年12月時点
の目標値(出所:日経クロステック)
Blackstoneグループは2021年12月に50MWh/年の規模でLFP系LIBの量産
を開始。容量は50Ah。負極にはグラファイトを用いている。2022年中
に500MWh/年規模に拡大する計画。製造ラインは、既存LIBよりも簡素
になり、全固体NIBも3Dプリンタ技術で試作済みで、2025年の製品化を
想定。同社のLIBは既存のLIBに比べて重量エネルギー密度が20~30%
(40%)、体積エネルギー密度が30~40%(70%)高い(カッコは全
固体電池の場合)とする。Sakuuが2022年2月に発表した体積エネルギ
ー密度800Wh/Lの全固体LIB)。ただし、3Dプリンタは使わず。最初の
試作品からわずか1年半で既存のLIB製品の値を超える。2023年前半に
は量産想定の新技術を導入し、1200Wh/L以上の実現を目指すと同時に
サンプル出荷も開始する予定。
この項つづく
河出書房新社(2021/09発売)
サイズ 46判/ページ数 320p/高さ 20cm
商品コード 9784309228303 NDC分類 345.1 Cコード C0022
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第12章 第二次世界大戦、アメリカとナチス
市民からドルを引きはがすために設計された、史上最大の機械。
『タイム』誌(1942年10月)
労働、福祉、戦争----ナチスドイツの財源
そのため、これらを併せれば、平均的な賃金労働者は所得の約30%
を徴収されることになった、開戦が近づくころにも、国民の税負担は
重いままたった。消費を抑え、ボ備増強に回す金額を増やすためのこ
とだった。
ヒトラー自身は悦金の支払いに無頓着だった1934年、所得税の申告
と納税を怠ったためにミュンヘンの税務暑から罰金を科された。八日
間のうちに支払いをすますよう命じられたのだ財務省からの申し入れ
ののち、税務暑はつぎのような通知を出した。「総統閣下の納税義務
についてお知らせする納税通知書は、最初から無効でありました。し
たがって、総統閣下は納税を免除されております」
概して、政府債務に対する税収の割合はそれほど大きくなく、ドイ
ッの国民の税負担レベルはイギリスやアメリカと同じくらいだった。
だがいったん戦争か始まると、ドイッでは、連合国を構成する国々と
は褐なって、税負担が急激に増加することはなかった。
歴史学者のゲーッ・アリーによれば、「官僚は何度も税率を引き下
げようとしたが、ナチ指導部がすぐに引き下げてしまった。こうして、
ドイツの低所得者および中所得れは間接的に保護されていた」。新た
に設置された国防閣僚会議は、戦時の課税の立案にあたった。この計
画は、すべての国民の賃金に対して50%の加算税をかけるものであ
ったが、「最富裕層を除くすべての国民は、ただちに別家から除外さ
れた………。結局、国民全体のわずか4%の賃金労働者が50%の加
算税を支払うことになった。戦争の進行につれ、政府収入は約95%
増えたが、政府収入に占める税収の割合はますます小さくなった。
1943年、政府支出出のうち税収によって賄われる割合は4%だった。,
1944年には、それが16%になっていた。税収総額はドイツが借り入れ
ていた金額の不分に満たなかった。
ナチ党はある意味で運がよかった。政権を取った時点ては、ドイッ
政府の借金は比較的少なかったの通常の税金を支払うことに加え、雇
用者も労働者も労働戦線に寄付金を納めなければならなかったのだ。
ハイパーインフレの記憶がまだ生々しかったこのころ、ドイツは借入
や通貨拡大には新調だった。また、ナチ党は前政権が, 1932年に結ん
だ取決めからも恩恵を得ることになった。それは、ヴェルサイユ条約
によって規定された賠償金支払いについて、そのほとんどの期限を延
長するという内容たった。おかけで1933年に剰余金が発生し、ヒトラ
ーはそれを活用した。だが、やがて借入を開始した。1936年、ドイツ
帝国銀行総裁のヒャルマル・シャハトはインフレの恐れを指摘したが、
まもなく解任され、その警告は無視された。1937年ドイツの政府債務
の対GDP比は40%にのぼった。名目にはイギリスのほうが高かっ
たのだが、ドイツの場合、公表されていない債務が多くあった。終戦
時の政府債務の対GDP比は100%にまで上昇していたが、実は、
ドイツ政府の借金は極秘扱いされ、ナチ党から公表される情報は改ざ
んされていることが多かった。借金のほとんどは国内からの強制的な
徴収によるもので、戦争の終盤には、いわゆる秘密借用、強制借用が
よく行なわれるようになっていた。
借入、課税、インフレ税の手法のみでは、政府支出には足りなかっ
た。ナチ政権は収入を得るさらなる手段を探した。
ホロコーストと税
ナチ党はユダヤ系ドイツ人を劣等民族、異質民族と見なしたが、彼
らの持っている財産は別のことだった。ユダヤ人からの没収財産は、
ナチスドイツによって遂行された戦争の費用の約三分の一を賄った。
ナチ政権下の税務当局は「ユダヤ人の経済的絶滅」を積極的に推し
進めた。1934年以降、ドイツではユダヤ人を冷遇する税法がいくつも
制定された。ユダヤ人は、国内外の有形所有物および資産をすべて登
録するよう求められた。隠し資産が見つかれば、禁固10年の刑を科
されたうえ、すべての財産を没収された。さらに、宣戦布告がなされ
ると、帝国議会議長のヘルマン・ゲーリングにより、ユダヤ人は20
%の富裕税を徴収されることになった。ドイツの社会経済的集団のな
かでも、ユダヤ人はたいへん裕福だったので、この富裕税は莫大な金
額を集めることになった。どうにか外国に脱出できた人びとも、その
際には出国税を納付しなければならなかった。
ユダヤ人は一部のセクターでの労働を禁じられた----公務員、法曹
関係者、医療関係者として働くことができなくなったのだ。ユダヤ人
税理士は国家資格を取り消された。ユダヤ人医師は公的(国民)医療
保険基金からの医療報酬の支払いを制限された。ユダヤ人俳優は舞台
や映画への出演を禁じられた。ドイツではユダヤ人への課税を目的と
する役人の組織がつくられた。ミュンヘン大学のクリスティーネ・キ
ュラーによれば、役人たちは「住まいや銀行口座を探しだし、その中
身を空にした」。また、絶滅収容所に連れ去られた人びとの痕跡を入
念に消し去った。ナチ党は、絶滅収容所の収容者のみならず、国外脱
出者からも所持品を奪いとり、それらを売りさばいて富を築いた。ユ
ダヤ入の住居からかき集められた物品はオークションにかけられた。
その利益はいったんゲシュタポの銀行口座に預けられ、のちにベルリ
ンの帝国銀行に移された。バルト三国およびポーランドのユダヤ人の
住居で略奪が行なわれたとき、税務当局は、奪った物品と、その輸送
車両および輸送先をくわしく記した目録をつくった。入念に記録を取
ったのは、ユダヤ人のためではなかった。
1938年、軍事費が膨れあがり、支出がかさんで手に負えなくなると、
ユダヤ系ドイツ入の所有するすべての財産の国有化を定める法律がつ
くられた。ゲーリングは、ユダヤ系ドイツ入の財産を没収するかわり、
波らに戦時公債を発行した。それが僻遠されるのは、ドイツが戦争に
勝利した場合に限られていた。ドイツが侵略した地域----北はスカン
ジナヴィアから南はギリシャやイタリアまで、西はフランスから東は
ロシアまで----に関してナチ党は、古くから征服者たちがたどってき
た道をたどった。まず略奪し、つぎに課税したのである。略奪は手当
たりしだいだった----兵士たちは人びとの身の回り品、備品自動車な
どを盗んでいった。バスや列車までも持ちだされ、ドイツに送られた。
税額控除があったため、ドイツ兵はいっそう略奪、収奪に励んだ。征
服地の住宅、農場、商店などから盗みとった物品は、郵便袋に入るだ
けの量であれば、ドイツに送るとき関税がかからなかったのだ。1980
年、ソ連への侵攻開始から半年のあいだにドイツ兵が母国に送った略
奪品は350万袋分にのばった。
ナチ政府は占領地に派遣されていた兵士の手当今を引き上げた一方、
現地の通貨価値を引き下げたので、ドイツ軍の兵士の購買力は上がっ
た。彼らは、商品(事実上、市場価値よりも安価だった)を購入して
ドイツに送付することを奨励された。現地では物資が不足し、物価が
高騰したため、多くの住民が飢えに苦しみ、経済が行き詰まった。ギ
リシャの場合、結果的にハイパーインフレが発生した。
占領地の人びとは、近くに駐屯するドイツ軍部隊の衣食を支えるた
めに多大な負担を強いられた。また、保有する今をドイツ中央銀行に
送らされた。フランスでは、ドイツ側が証券取引所を掌握し、株式の一
部を売却して費用を工面した。
占領地の人びとは、所有物を盗まれたうえ、労働力を奪われた。さ
らには、命さえも取られてしまった。最初はユダヤ入、政治的な反体
制者、同性愛者、その他の犯罪容疑者が、そのつぎには戦争捕虜、一
般市民が、占領地から連れだされ、強制労働収容所に入れられた。ポ
ーランド入の場合、約 500万人が収容所に連れていかれ、そのうちの
300万人が 命を落としたと考えられている。歴史学者のマイケル・ア
レンの計算によれば、ドイツの工場および農場では、1944年には奴隷
労働が総労働力の四分の一を占めるようになっていた。
戦争に勝ち、平和を失った国
第二次世界大戦において、イギリスの納税者はアメリカの納税者と
同じような経験をした。所得税の税率は過去最高となり、その納税者
数も過去最多となった。1938年、イギリスの所得税納税者は総人口約
475万人のうちの400万人だった。終戦時には、その三倍である1,200
万人を超えていた。アメリカの高所得者の税率94%も過酷だったが、
イギリスのそれはなんと97・5%に達していた。
イギリス政府の債務はほぼ三倍に増えた。1939年に83億ポンドだっ
たものが、1945年には230億ポンド(約920億ドル)になっていた対G
DP比237%に追っていたのだ。だがイギリスは、国内からの融資を
もって戦争に乗りだしたが、終戦時にはアメリカを始めとする諸外国
の対外債権に頼るようになっていた。
イギリスは、戦費の調達ばかりでなく、戦後の復興にもたいへん苦
労した。たとえば、南東部だけでもドイツ軍の空襲によって200万
戸の住宅が破壊されていた(ヨーロッパのどの国もインフラを破壊さ
れたことで難儀していた。アメリカやカナダの場合、パールハーバー
を除けばこういう苦労はなかった。とりわけドイツは被害が大きく、
ヅュルツブルクでは市街地の89%、レムシャイトおよびボーフムでは
83%、ハンブルクおよびヅッパータールでは75%が壊滅状態になって
いた)。
戦争中、アメリカはレンドリース法を通じてイギリスに生活必需物
資を提供していた。戦優には、新たに5億8,600万ドルを貸し付けたほ
か、最大貸付金額を37億ドル、返済を50カ年の年賦とした。イギリス
にとって痛かったのは、この借金がドル建てだったことで、ポンドの
価値が下がれば下がるほどそれだけ負積が人きくなった。イギリスは
事実上の自治権を失った。アメリカは、保有する金およびドルの一部
を売却するよう強く要求し、くりかえし監査を実施した。イギリスは、
保有する資本的資産、とりわけアメリカに置いているそれの多くを売
却せざるを得なかった。概して、イギリスはこの戦争によつて国際秩
序における立場と大英帝国としての地位を失った。
第二次世界大戦のときと同様に、インフレも大きな役割を演じた。
国民の生活コストは193年から1946年に60%上昇した。そして、1951
年には2倍以上になっていた。つまり、ポンドが50%以上も価値を下
げたのだ。もう一つ、インフレの油断ならない影響として、所得税納
税者はより高い所得額枠に分類され、それだけ高い税率を適用される
ことになった。
第二次世界大戦では、征服地での略奪、収奪、課税による収入が戦
費に充てられていた前時代の戦争とは異なって、戦勝国の人びとが犠
牲を強いられた。とりわけイギリスではそうだった。たしかに戦勝国
ではあったが、勝利の美酒に酔いしれることはなかった。1946年から
1947年の国民の税負担は戦前の三倍にのぼった。ほんの少し前までは
世界屈指の富裕国だったのに、1954四になっても食品配給制度を余儀
なくされていた。同盟国のカナダとアメリカに対する債務の返済がよ
うやく終わったのは2006年のことである。ドイツが1953年にすべての
対外債務の支払いを猶予された一方、概してイギリスは戦時債務を履
行したといえる。ドイツと日本は「平和を勝ちとった」といわれるが、
そのおもな要因はこの点であるといえそうだ。
George Bernard Shaw
第13章 社会民主主義の発展
ピーターから奪ってポールヘの支払いに充てる政
府は、いつでもポールからの支援をあてにできる。
ジョージ・バーナード・ショー(1944年)
二つの世界大戦が終結したのち、政府支出は減ったが、税収は戦前
の水準にならなかった。それに近くなることもなかった。むしろ、も
っと高い水準に落ち着いたのである。
二十世紀、所得税はすべての人にとって、この時代の生活の特徴に
なった。戦争をきっかけに、所得税の負担はあれよあれよという間に
大きくなり、もはやもとには戻せなかった。財政研究所(IFS)は
その過程を「つめ車の効果」と呼んでいる。再選の重圧のため、政治
家は平時に増税することに消極的だったが、「戦争はこの重圧を消し
去った」。そして、いったん新鋭が設けられたり、税率が引き上げら
れたりすれば、それらが廃止されることはめったになかった。
今日でも、所得税率は第二次世界大戦にかかわった国のほうが高い
傾向にある。たとえば、OECD加盟国のなかでもっとも所得税率が
低い(対GDP比)チリは、第二次世界大戦にほとんど関与しなかっ
た。これは厳密な基準ではないが、それでも心に留めておく価値があ
る。OECD加盟国のうち、歳出総額が少ないのはチリ、アイルラン
ド、コスタリカ、韓国、スイスである----これらの国々は、歳出総額
ランキングの上位五カ国、フィンランド、フランス、デンマーク、ベ
ルギー、ギリシャにくらべ第二次世界大戦への関与がないか、ごく小
さかった。
高税率が維持されたのは、戦争のあいだに政府がいくつもの新たな義
務を背負いこんだためでもあった。戦績の返済、再建、戦争被害者の
支援などである。また、人気を集めたい、あるいは業績を残したい政
治家が、将来的に多額の支出を余儀なくされる政策を立案したことも
理由の一つだった。もっと立派な道路、学校、福祉を約束する政治家
は、筒単には放りだせない義務をつくりだす。約束されるものの規模
が人きくなればなるほど、それだけ政府の規模も大きくなく----そし
て、そして、二度の世界大戦を経たおかげで、いまや課税の構造はそ
ういう約束にかなう形になっている。今日の納税者の背負う義務は、
ずっと昔の決定の結果である。そのなかには、100年も前のものまで
ある。今日の政府支出の約束も、未来の人びとに同じような義務を背
負わせるのだ。
こうして政府は、従来の経済的領域----軍、警察、インフラ----か
ら別の経済的領域、とりわけ教育、福祉、医療に手を広げていった。
上は経済問題研究所によって作成された表で、1870年以降の歳出の大
幅な増加をあらわしている。オーストラリアでは二倍、ドイツ、フラ
ンス、イギリスでは四倍以上、アメリカでは約五倍に増えている。
時代によって変動はあるものの、だいたいの傾向として、政府の規
模は大きくなっている。二十世紀に入るころ、ヨーロッパ諸国の政府
支出の対GDP比は10%前後で、国民の税負担は軽かった。その百
年後の二十一世紀初頭、政府支出の対GDP比はヨーロッパの多くの
国で50を超え、税負担はより重くなっていた。この増加の多くの部
分は、政府のもっとも大きな収入源である所得税によって賄われてい
た。第二次世界大戦後から1970年代まで、イギリスは比較的税金の高
い国たった。政府支出の対GDP比は1948年から1977年までのあいだ
に増加の一途をたどった。1960年代後半における国民負担率の上昇は、
戦時を除けば、二十世紀でもっとも顕著かつ長期の上昇となった。だ
が、1970年代後半に風向きが変わった。マーガレット・サッチャーが
イギリス首相に、ロナルド・レーガンがアメリカ大統領に就任したの
だ。この二入のリーダは低い国民負担率と小さな政府を信奉しており、
増加しつづけていた政府支出の対GDP比は横ぽいとなった。また、
英米以外のほとんどの先進国でも、少なくとも1980年代に入るまで、
多くの場合はそれ以降も、政府の規模は大きくなりつづけた。レーガ
ンとサッチャーが政権を取ったのと同時期に、所得税の最高税率を引
き下げる傾向があらわれた。それは世界的な現象だった。1900年、最
上位の高所得者は所得に課税されることがほとんどなかった。最高限
界税率は1910年以降に導入され、以後上昇しつづけた。イギリスの場
合、1950年代から1960年代の最高税率は、所得区分の超過分への課税
額をあわせれば、実質90%たった(戦時のほうが高かった)。1978年、
最高所得層の所得税率は、基本的には98%たった(所得の全額では
なく、一定の額を超える部分に課税された)。当時はインフレが途ん
でいたが、所得区分は変わらなかったため、ますます多くの人びとが
高所得区分に組みこまれ、より高い税率を課されることになった。
1980年前後から、多くの国で最高脱率が引さ下げられた。サッチヤ
ーは晨高税率を60%に下げたのも、1988年には40%にまで引き下
げた。今日のイギリスの最高税率は45%となっている。ドイツとフ
ランスはそれより数%と高い。アメリカは39.6%である。最高税率の
引き下げは、政府の規模縮小にはつながらず、規模拡大の速度を揺る
めただけだった。
地方自治体の緩慢な死
しかし、すべての税の税率が引き上げられたわけでもなければ、政
府のすべての領域が大きくなったわけでもなかった。二十世紀の税制
の目立った特徴に、地方レベルでの税収滅があった。二十世紀初頭の
イギリスでは、地方自治体の収入総額に占める地方税の割合は三分の
一程度たった。それが、今日では三%から四%程度になっている。そ
して、IFSがいうように、「いまある唯一の重要な地方税----カウ
ンシル税でも、地方自治体の支出総額のおよそ七分の一である」。
アメリカでも同様の傾向が見られる。二十世紀に入るころ、地方自
治体の税収は連邦政府のそれよりも多かった。人恐慌の直前でも、地
方自治体はアメリカ政府の収入総額の半分にあたる金額を集めていた
財産税----地方レベルで徴収されていた----だけでも40%を占めて
いたのだ。しかし、財産税収入は大恐慌のさなかに激減した。第二次
世界大戦の終結までに、地方自治体の収入総額のたった10%まで落
ちこんだ。その理由の一つは、その他の税----とりわけ所得税----の
税率が大きく引き上げられた一方、地方税ではそれはどの引き上げが
なかったことである。しかし、もう一つ別の要素もある。
おそらく、徴収しやすいところから徴収することが、課税の第一の
法則になっているのである。国民から責任を追及しづらい相手、中央
当局が源泉徴収する所得税は、徴収しやすい部類に入る。地方税の場
合、概して、源泉徴収は行なわれない。納税義務の不履行の余地がよ
り大きいのである。人は、すでに手中にある資金から税金を支払え
といわれても、なかなかその気にならないものだすでに連邦レベルで
納めているならば、なおさらそうだろう,よくいわれるように、「入
は、中央政府への納税の際には悲しみを、地方政府への納陛の際には
怒りを感じる」。地方税の場合、税吏とのやりとりの機会がより多く
当局に責任を追及しやすい。
いうまでもないことだが、地方脱----人頭税と弗楡されたコミュニ
ティ税をもっと徴収しようとしたマーガレット・サッチヤー首相、不
評を買い、結局は政治力を失った。脱収総額のほとんどか地方税収で
ある北欧諸国の場合、このパターンには当てはまらないたが北欧諸国
では、地万税を含め、何種類もの税が給与から源泉徴収されている。
たいていの国で、税は中央で徴収され、地力に分配される。それに
より,中央当局に力がもたらされる税収を握る者が力を握るのだ。今
日、政府はいっそうの中央集権化を進めており,国民から遠ざかりつ
つあると同じに、地域性を薄れさせ、さまさまな意味で、説明責任を
添たすことか少なくなっている中央当局が地方灯よりもすりとうまく
収入を増やせるようになったことで、いまや政府そのものの性格が変
わってきている。
この項つづく
✔ 益々のめり込んでいる面白さを感じている。勉強なります。
風蕭々と碧い時代
イマジンJohn Lennone
●今夜の寸評:虐殺を傍観する日々
毎日映像が飛び込み虚しくなり、落ち込みます....。