彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん。
【今日のひとり鍋ランチ③:自家厚揚げソーセジ風鶏スープ鍋】
イタリア語における "bravo" は、古典ギリシア語由来のラテン語
“barbarus" (野蛮な)とラテン語 “pravus” (悪い・ゆがんだ)の
混交を語源とし、もとは「野蛮な」「狂暴な」といった意味の形容詞。
フランス語の “brave”([名詞後置]勇敢な・[名詞前置]善良な
)と同源が、このフランス語の影響を受けて16世紀以降「勇敢な」「
有能な」といった意味に変化し、次第に「良い」、「素晴らしい」、
「偉大な」、「優秀な」、「賢い」といった幅広い語義を持つように
なった[1]。 転じて、「よくやった」、「素晴らしい」といった意味
の感嘆詞ともなり、特に劇場などで聴衆が演者にかける喝采として用い
られる【W杯】長友連呼。ではなくて、「自家(マイ)厚揚げソーセジ
風鶏スープ鍋」。具の野菜は、しめじ、白ネギ、白菜、にんじん。そ
して、ウインナーソーセジ、厚揚げで一味とポン酢を加えてチン!で
そして、【W杯】長友連呼。
【男子厨房に立ちて環境リスクを考える:】
【琵琶湖の魚はなぜ美味しいのか Ⅱ】
【完全クローズド太陽光システム事業整備ノート ⑯】
【再エネ革命渦論 77: アフターコロナ時代 276】
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コンパクトでスマートでタフな①光電変換素子と②蓄電池及び③水電
解に④水素系燃料電池、あるいは⑤光触媒由来有機化合物合成と完璧
なシステムが実現し社会に配置されようとしている。誰がこれを具体
的に想定しただろうか。その旗手に常に日本や世界の若者達の活躍が
あった。
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● 技術的特異点でエンドレス・サーフィング
再生可能エネルギー革命 RE100 ➢ 2030 74
図1.Cs0.5FA0.5PbBr3薄膜の(a)高解像度透過型電子顕微鏡像
と(b)走査電子顕微鏡像。右下はUV照射下薄膜の写真を示す。
耐水性/伸縮性ペロブスカイト材料を創出
ペロブスカイトナノ結晶はハロゲン組成や粒子サイズにより発光波長
の制御が可能であり,シャープな発光スペクトルと非常に高い発光量
子収率を示すことから,次世代発光物質としてLED材料,ディスプレー
用バックライト光源,低閾値レーザーなど幅広いアプリケーションへ
の応用展開が期待されているが、ペロブスカイトナノ結晶は酸素や水
に対して極めて敏感であり,その優れた光学特性をエレクトロニクス
デバイスへ活用するには高いハードルがある。山形大学の研究グルー
プが開発した混合カチオン型ペロブスカイトナノ結晶Csx-1FAxPbBr3と
国立台北科技大学の研究グループが合成した自己修復性ポリマーを混
合することで,高い安定性と優れた自己修復機能をもつ発光材料を創
出。
図2.Csx-1FAxPbBr3ナノ結晶LEDの(a)デバイス構造と(b)発光スペク
トル。
Csx-1FAxPbBr3は,イオンサイズの異なる有機および金属カチオンを用
いた混合カチオン組成により,優れた発光特性(発光波長515nm,半
値幅22nm,発光量子効率95%(薄膜では86%))をもつ緑色発光のナノ
結晶を合成し,ペロブスカイトナノ結晶LEDの高性能化を達成した。
また,自己修復性ポリマーと緑および赤色ペロブスカイトナノ結晶を
用いることで,バックライト型LEDに応用可能な高演色な白色発光
(0.33,0.34)を達成した。開発したCs0.5FA0.5PbBr3ナノ結晶薄膜では,
低閾値での増幅自然放射(ASE)特性が発現しており,割れたガラス基
板を自己修復性ポリマーで補修したデバイスにおいてもASE特性を示し,
低閾値でのASEの発振が可能なレーザーデバイスの応用にも成功したと
する。さらに,自己修復性ポリマーは,耐水生や伸縮性を有するだけ
でなく,ペロブスカイトナノ結晶中の鉛イオンの漏出についても効果
的に抑制でき,次世代のオプトエレクトロニクスデバイスにも求めら
れる伸縮性と機械的強度を両立することに成功したという。 これらの
ことから研究グループは,ペロブスカイトナノ結晶と自己修復性ポリ
マーを融合することで,伸縮性と機械的強度の両立をしたオプトエレ
クトロニクスデバイスを創出できると主張する。
図4 図4:(a)割れたガラス基板を自己修復ポリマーコートした模式
図と(b)発光強度・半値幅-ポンプ光特性
【要点】
1.イオンサイズの異なる混合カチオン組成のペロブスカイトナノ結
晶を合成し、結晶構造や光学特性を詳細に解析するとともに、自発
光ダイオード型 (LED) の高性能化に成功
2.自己修復ポリマーにペロブスカイトナノ結晶を分散することで、
耐水性と伸縮性を両立した白色バックライト型LEDの開発に成功し、
鉛イオンの閉じ込めにも有効である
3.自己修復ポリマーを用いることで、割れたガラス基板を使用した場
合においても増幅自然放射特性が発現することから、レーザーデバ
イスにも応用可能であることを
図3.:(a)自己修復ポリマー中にペロブスカイトナノ結晶を分散した
サンプルの発光画像と(b)バックライライト用LEDの発光スペクトル
【背景】
近年、有機EL(OLED)ディスプレイを採用したテレビやスマートフォ
ンは、従来の液晶ディスプレイよりも優れた視認性を示し、高コント
ラストな映像が特徴である。しかし、有機発光材料の発光スペクトル
がブロードであり、高色純度化には課題を残している。ペロブスカイ
トナノ結晶は半値幅が40 nm以下のシャープな発光スペクトルを示し、
自然界の99.9%の色を再現することができる。また、高い発光量子収率
を示し、印刷プロセスにより薄膜形成が可能なことから、次世代の自
発光型LED材料に加えて、ディスプレイ用途のバックライト型LEDや低
閾値で発信するレーザーデバイスなど幅広いアプリケーションへの応
用が期待されている。 しかしながら、ペロブスカイトナノ結晶は、
イオン性の結晶構造に起因する耐水性や耐熱性に課題があり、ナノ結
晶自体の構造および化学的な安定性の向上が望まれている。また、LED
やレーザーなどのオプトエレクトロニクスデバイスには、伸縮性や自
己修復性と機械的強度の両立が求められる。
【関連論文】
雑誌名:Advanced Materials
原 題:Synergistic Effect of Cation Composition Engineering of Hybrid Cs1−
xFAxPbBr3 Nanocrystals for Self-Healing Electronics Application
DOI : :doi.org/10.1002/adma.202207617
掲載日:2022.12.07
中世期最大の詩人のひとりであり、学問と識見とで当代に数すく
ない実朝 の心を訪れているのは まるで支えのない奈落のうえに、
一枚の布をおいて坐っているような境涯への覚醒であった。本書
は、中世初の特異な武家社会の統領の位置にすえられて、少年の
うちからいやおうなくじぶんの<死の瞬間>をおもい描かねばなら
なかった実朝の詩的思想をあきらかにした傑作批評。
【目次】
1 実朝的なもの
2 制度としての実朝
3 頼家という鏡
4 祭祀の長者
5 実朝の不可解さ
6 実朝伝説
7 実朝における古歌
8 〈古今的〉なもの
9 『古今集』以後
10.〈新古今的〉なもの
11 〈事実〉の思想
実朝における古歌 補遣
実朝年譜
【著者略歴】 吉本隆明(1924-2012年)は、東京生まれ。東京工
業大学電気化学科卒業。詩人・評論家。戦後日本の言論界を長き
にわたりリードし、「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」など
と称される。おもな著書に『言語にとって美とはなにか』『共同
幻想論』『心的現象論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ
論』『宮沢賢治』『夏目漱石を読む』『最後の親鸞』『アフリカ
的段階について』『背景の記憶』などがある。
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Ⅶ 実朝における古歌
東歌の稚拙な表現をもとにしてかんがえれば、対になったひと
びとによる掛けあいの和唱の場 (たとえば歌垣とか集団の仕事
の場)をじっさいに想定してもよいほどである。そういう揚で、
ひとりが「筑波嶺のをてもこてもに守部すゑ」と事実をうたうと、
もうひとりのたれかがこれをうけて即興的に「母い守れども魂ぞ
あひにける」と掛けあい、どっと囃し声があがるといった場面で
ある。いまでは、こういう即興的な掛け合いでも、専門的な修練
を必要とするようにみえるかもしれないし、じじつひとかどの芸
人でなければできなくなっているが、そういうことは、集団的な
雰囲気のなかではあまり不可能ではなかったはずである。ところ
が上旬が下旬の〈暗喩〉として必然化された表現の段階では、お
そらくそういうことはあまり可能性がなくなって、やはりある意
味での専門化と、個人の創作という意味が前面にくることを余儀
なくされたはずである。
ところで〈和歌〉形式は、ここまでたどりつく過程で、すでに
数えきれないほどの錯覚をつみかさねているとかんがえることが
できる。その錯覚は表音からくるよみ代え(たとえば〈海邦語歌〉
が<天語歌>に転化するというような)も数えきれないほどあった
ろうが、詩形式からくる錯覚も数えきれないほどあったにちがな
い。そしてそのついど、、錯覚のほうが真実になりといった過程
がくりかえされた。いまのこされている最古の古典語をもとにし
ても、隣接地域の言語と共通の祖語に到達しにくいのは、はじめ
に表音として借りた文字が、世代を下るにつれて表意的に読みこ
まれたというような、錯覚が真実化してゆく過程に、はっきりと
樹が打ちこめないからである。また古典詩の展開のされ方をたど
るのが困難なのは、かきのこされた最古の歌謡をもとにしても、
すでに無数の形式的な錯覚が真実に転化してしまうといった過程
がはっきりされていないからである。
実朝が『万葉集』を手にしたのは、『五‥妻鏡』によれば建保
元年十一月二十三日とされている。
「京極侍従三位(定家郷)相伝の秘本万葉集一部を将軍家に献ず、
是二条中将(雅経)を以て尋ねらるるに依るなり」云々と記され
ている。もちろん当時流布されていた歌書によって部分的には『
万葉集』に通じていたにちがいない。
しら雪のふるの山なる杉村の
すぐる程なき年のくれかな
我宿の籐のはたてに這ふ爪の
なりもならずもふたり寝まほし
沖つ島鵜のすむ石による浪の
問なく物お心ふ我でかなしき
金掘るみちのく山にたつ民の
命もしらぬ恋もするかな
これらの実朝の作品で、上旬はすべて〈暗喩〉であって、一首
の意味はただ下旬にのみあつまっている。いままでのべてきたよ
うに、このかたちは、〈和歌〉が詩として成立したときの初旅に
あるもので、その意味では現在にいたるまで貢かれている。実朝
は『古今泉』から『新古今泉』にいたる八代の勅撰集をみている
可能性かおり、この手法はまたハ代泉のなかにもつかわれていて
珍らしくない。だが実朝に『万葉』の影響があったというとき、
この影響の意味を表現としてうけとるかぎり、これらの作品をま
ずとりあげるよりほかない。
べつに実朝の歌は、力強いから『万葉』調なのでもなく、『万
葉』を模倣したから『万葉』詩人なのでもない。実朝のある種の
秀歌が、〈和歌〉形式の古形を保存しているから『万葉』の影響
があるというべきなのだ。引用のうたは、いずれも恋歌とみられ
るが、実際の〈恋〉を詠んだものではない。もしそうだったら『
万葉』の影響をうけることはできなかったろう。実朝は『万葉』
の東歌をよく読みこんでいたとみられる形跡かおるが、さすがに
そこまで質的に影響をうけとることはできなかった。たぶん、こ
の四つの歌には『万葉』からの影何の極限のかたちがあらわれて
おり、また、それが主題として恋歌で、しかも架空の恋うたであ
るというのも偶然ではない。歌によるかぎり、実朝は奥向の局と
じっさいに恋愛関係にあったとみられるI、二の例があるが、そ
のばあいの歌は『万葉』の影響をうけようがなかったのである。
よく説かれているように、賀茂頁淵は「歌意考」、「にひまなび」、
「国歌八論金言拾遺」、「国歌論臆説」などで『万葉』尊重の立
場から、くりかえし実朝の歌に賛辞をあたえている。真湖の評価
は、実朝の歌そのものについてならば嘘のおおいものだが、ほん
とうは実朝の歌から察知される 『万葉』の読みこみ方に傾倒し
たといってもよかった。実朝の歌で、すこしでも古歌を本歌とし
ているかもしれぬとおもわれる作品をみてみると、たしかに『万
葉』学者である真湖のかんがえ方に、詩の感性から類似している
とみられなくはない。真湖はそれを実朝の洞察力の深さとみたの
である。
「にひまなび」に、
鎌倉の右大臣実朝の歌は、当時の都ぶりの歌人として此のひ
とという第一人者である。その歌体は古い『万葉』の風儀にか
なっているので、たまたま『古今歌集』の言葉つかいをまじえ
てつかっているものでさえ、『古今』とは似つかぬものとなっ
ており、歌のもとの心も調べもすぐれ玉筒いことがわかる。さ
てこの実朝将軍の歌「筥根道を吾が越え来れば」、「ものゝふ
の矢並つくらふ」などのような、世にもすぐれた歌が多いこと
は云うまでもないことである。事もなく詠みなされているよう
な歌「此の寝ぬる朝けの風に薫るなり軒端の株の巻の初花」、
「王藻刈る井手の櫛巻かけて咲くや河辺の山吹の花」などのも
とになる表現の仕方、またごくありふれた事を巧みに云いなし
ている末の調べの心の高さをみよ。また「株間服雨」という題
で「吾が宿の株の花咲けり春雨はいたくな降りそ散らまくも惜
し」と詠まれた歌を考えてみると、実朝が、当時、京の都で歌
を詠んだ人々をみて、みな進んだ技法を心にもってかえって技
巧負けしているにちがいない、そこでいざ古風によって歌を詠
んでみせようと考え、天下の専門歌人たちを見くだした気持が
あったのではないかとも推察されるほどである。このような雄
々しい心をもたぬひとが、またすこしでも先覚的な人の技巧す
ぐれた歌をきくとそれに背けず、また離れられないような気持
になるのとくらべれば、とても実朝には及びがたいことだと考
えるべきである。
真淵には古典学者として、『万葉集』にたいするはっきりした
見解があった。真淵はじぶんが重要だとかんがえている『万葉』
の個所から、実朝もまたその影響をうけているとみたのである。
真淵のいい分は、『万葉』のうち巻一と巻二だけが明瞭に橘諸兄
の撰によるものだということであった。だが宇のちがい、訓の誤
りがきわめておおい。これについでは巻十一、十二、十三、十四
が撰ばれたものであるかもしれない。このうち巻十一、十二、十
三はよみ人知らずの古い歌であることはたしかであろう。いずれ
も都ぶり・宮廷ぶりであるが、巻十四は東歌で、多く国ぶりであ
る。そこで巻十三はきわめて古い長歌と短歌がふくまれているの
で、これを巻三とし、巻十一、十二を巻四、五とすればよろしい。
『万葉集』といえばすべてよい歌だとかんがえたら間違いで、よ
いものとよくないものとを区別できなければいけない----という
ものであった。そこで真淵の実朝にたいする評価は、実朝がよく
このことを心得て、本歌を取っているという点からなされた。
実朝が連係元年(一二一三年)、定案から私本の『万葉集』を
おくられた以前に、それほど深く
『万葉』をよみこんでいたかどうかは確定できない。しかし、真
淵が実朝に商い評価をあたえた根拠は、たぶん、つぎのような実
朝の作品が、真淵の万葉観と類似しているという点にあった。た
だしこの類似性はわたしの推測にすぎないので、実朝が実際に『
万葉』のこれらの作品を本歌としたかどうかは別問題であり、そ
れを実証しようとするいとまはない。
※賀茂真淵は『万葉集』を研究し、"国学"を樹立。"国学"は、江戸
時代"漢学"に対して起こった新しい学問で、『古事記』『日本書紀』
『万葉集』などわが国の古典を研究して、古代の思想・文化を明ら
かにし、そこに生き方のより所を求めようとした学問。 契沖・春
満が創始し、真淵が樹立し、本居宣長が大成し、平田篤胤が発展さ
せた。[契沖・真淵・宣長を三哲、春満・真淵・宣長・篤胤を四大
人と言う。]。真淵は、特に『万葉集』の研究に心をくだき、その
研究は、『万葉集遠江歌考』『万葉解』『万葉考』にまとめられて
います。他に真淵の著述として、『冠辞考』『語意考』『歌意考』
『にひまなび』『国意考』『祝詞考』などがある。真淵は、歌人と
しても優れ、万葉調を復興。
Ⅶ 実朝における古歌
筑摩書房刊
この項つづく
風蕭々と碧い時代
Jhon Lennon Imagine
曲名: 有難や節 1960年 唄: 守屋浩 ジャンル: 歌謡曲
作詞: 浜口庫之助 作曲: パブリックドメイン(公有)
1960年代に流行した。この曲を原作として日活映画『有難や節 あゝ
有難や有難や』(監督:西河克己、主演:和田浩治)が1961年に公開さ
れている。この映画には守屋も出演し、劇中で本曲を歌うシーンがあ
る。1960年10月21日に日本教育テレビで放送された『大学は花ざかり
』の劇中で、守屋によって歌われた。1961年2月時点でレコード売上
は14万枚に達している。 もともとは四国地方のご詠歌であったとする
資料もあるが、はっきりはしておらず、名古屋市で俗謡として歌われ
ていたと言われる。 守屋 浩(もりや ひろし、本名:守屋 邦彦(も
りや くにひこ)、1938年9月20日 - 2020年9月19日)は、日本の歌手、
俳優である。千葉県出身。安田学園中学校・高等学校卒業。女優、歌
手の本間千代子は元夫人。 尚、1957年、スイングウェストのバンドボ
ーイとして芸能界入りし、1958年に日劇ウエスタンカーニバルでデビ
ュー。ほぼ同時に堀プロダクションを設立した堀威夫の提案により芸
名を「守屋浩」とする。日本コロムビアのディレクター長田幸治の「
浜口庫之助の曲を守屋に歌わせたら」というアイデアにより、浜口庫
之助に楽曲制作を依頼。すき焼きを食べながら堀威夫に口説かれた浜
口は「僕は泣いちっち」を守屋に提供し大ヒットとなる。デビューよ
り堀が銀座ACBの谷富次郎と設立した東洋企画に所属して活動していた
が、1960年に堀が同社を追放されると、堀が設立した堀プロダクショ
ンに移籍。その後も「大学かぞえうた」や「有難や節」などをヒット
させる。なお、プロダクション設立時堀の自宅には電話がなく、電話
を引いていた守屋のアパートを仮事務所としてホリプロはスタート。
ホリプロタレントスカウトキャラバンの立ち上げに関わり、1976年の
第1回(榊原郁恵と荒木由美子を発掘)。
● 今夜の寸評:(いまを一声に託す)ありがたや
巨大な時代ストレスを受け止めるには、パワー不足。ここは「引き算
思考」(➲ポジティブ思考)で回避する。その場所が「入浴」。湯
船に浸かると「極東極楽」。口を突くのが、この「ありがたや」。