彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん」。
トルコ・シリア大地震 2300万人被災か
⛨ 引き寄せられる混沌 現実化を象徴している!?
新・国債の真実―99%の日本人がわかっていない
目次
はじめに
1章 まず「これ」を知らなくては始まらない―そもそも「国債」っ
て何だろう?(企業は金を借りて運営する、国も同じ;政府は予算
を立て、「足りない額の国債」を発行する ほか)
2章 世にはびこる国債のエセ知識―その思い込い込みが危ない(
何の知識もなく語っている人が多すぎる;「倹約をよしとする」と
「借金は悪」となる ほか)
3章 国債から見えてくる日本経済「本当の姿」―「バカな経済論」
に惑わされないために(なぜ財務省は「財政破綻する」と騒いで
いるのか?;財務省ロジックに乗っかる人々もいる ほか)
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第3章
金利を見れば一発でわかる
「日本国情は暴落しない」
「日本国債は暴落する」といっている人が、何をもって「暴落」と
いっているのかは、よくわからない。
ただ常識的に考えれば、国債暴落は財政破綻とセットで起こる。「
日本という国が倒産しそうだ」となれば当然、日本の国債は叩き売ら
れ価格はまさに暴落する。本当に倒産すれば返済不可能な借金となる。
企業が不渡りを出すようなものだ。
では、この常識的な定義での国債暴落は、起こりうるのだろうか。
それは、金利を見れば一発でわかる。何度もいっているように、国
債は政府の借金だ。基本的には、民間のお金の貸し借りと同じように
考えてかまわない。金利も同様だ。
お金を貸すほうからすれば、貸した金が利子付きで戻ってくるかど
うかが、一番重要だ。だから、しっかり返すアテのありそうな相手な
ら、「低い金利で貸してよかろう」という判断になる。
一方、返すアテのなさそうな相手だと、利子は一気に高くなる。最
初から高い利子をつけないとリスクヘッジにならないからだ。その極
端な例がヤミ金だ。信用のない企業や個人は、借金を踏み倒すリスク
が高いと見られる。ほば確実な借り手しか相手にしない銀行は、こう
いう企業や個人にはお金を貸さない。それでもお金が必要だという弱
みにつけこんで、ヤミ金が超高利でお金を貸すのだ。
このように、借金する側のリスクが低ければ、低利子でお金を貸し
てもらえる。リスクが高くなるほど、誰も低利子では貸してくれなく
なり、高利子になっていく。これを国債に当てはめて考えてみればい
い。
今、日本の国債の金利は国債の種類によって多少の違いはあるが、
だいたいO・I%前後だ。いっておくが、これはかなりの低金利であ
る。国債の利ざやで儲けようといったって、ほとんど儲けの出ないく
らいの金利だ。
それでも、日本国債を買う人がたくさんいる。「日本だったら、低
金利で貸してよかろう」と判断している人が多いということだ。
これは、日本の財政が安泰と見ているからにほかならない。本当に
財政破綻がささやかれるほど日本の財政が危ういのなら、誰もこんな
低金利ではお金を貸してくれないだろう。
前章では、「国債発行額残高がGDPの200%でも心配に及ばな
い理由」を説明した。それとまったく同じロジックで、日本の財政破
綻および日本の国債暴落リスクはきわめて低いということが説明でき
るのだ。
今後、「日本は早晩、財政破綻するし、国債は暴落する」という人
に出会ったら、こう返してみるといい。
「じやあ、どうして、日本国債の金利はこんなに低いんですか」
「財政破綻リスクが高いのに低金利の国債を買ってくれるなんて、
お金が返ってこなくてもいいから日本にお金をあげようという、お人
好しが多いんですね」相手は何もいえなくなってしまうはずだリ
本当に財政破綻すると思っている人は
「CDS」を買えばいい
財政破綻論者の不思議なところの一つに、根拠がないのに「自分か
正しい」といい張ることが挙げられる。財務省や財務省の御用学者、
御用記者なら魂胆がわかるが、それ以外の人たちが「日本は財政破綻
する」といい続けているのは解せない。
しかも、「日本は財政破綻する」といっておきながら、自分自身は
財政破綻に向けて対策を講じているようには見えないのだから、余計
に謎だ。いずれ破綻するとわかっているのなら、破綻したときに自分
か最大利益を得られるように動けばいいようなものであるが。
たとえば「CDS(クレジット・デフオルト・スワップ)」という金
融派生商品(デバティブ)を知っているだろうか。これは、株や債券
の発行体(企業など)の倒産に備える保険のようなものだ。
たとえば、私がA社の10万円の社債を買ったとして、A社が倒産し
たら社債は紙くずになる。利子も受け寂れなくなるし、元本も戻って
こない。でもCDSを買って保証料を払っていれば、万が」、A社が
倒産してもCDSの売り手がその損失を保証してくれる。
一方、CDSの売り手としては、契約期間内に発行体が倒産しなけ
れば、買い手から入る保証料が丸ごと利益になるわけだ。
CDSは債券をもっていなくても買うことができる。その場合、契
約期間内に債券の発行体が倒産しなければ、払った保証料が丸ごと損
になる。
逆に、契約期間内に債券の発行体が倒産すれば、保証されたお金が
入ってくる。
もともと債権を買ってはいない(つまり元手を払っていない)のだ
から、これは保証というよりは、保証料を差し引いた額が丸ごと儲け
になるわけだ。
簡単にいうと、CDSはこういう仕組みである。
となれば、財政破綻論者がしておくといいことは、明らかだろう。
仮に彼らが「10年以内に日本は財政破綻する」と見ているのなら、
10年契約の日本国債のCDSを買えばいい。
幸い、彼らの予想に反して日本国債のリスクは低いと考えられてい
るから、CDSの保証料率もかなり低い。そこで予想どおり日本が財
政破綻したら、100%元本保証される。
保証料を払うのを投資と考えれば、非常に高い投資効率になる。
これほどおいしい話はないはずだ。
なぜ財政破綻論者がこのおいしい話に乗らないのだろうか。不思議
で仕方ない。
もちろん、本書の読者にはおすすめしない。日本が財政破綻する確
率は、きわめて低いから、保証料をまるまる損する確率が高い。
財政破綻論で騒ぐのは、
ホラー映画を見ているようなもの
今までの話で、日本が財政破綻する可能性は、きわめて低いという
ことが、だいぶわかつてきただろう。
金融市場では、日本国債ほど安牌と見られている商品も珍しいとい
える。だから国債そのものの金利も低いし、破綻時に損失保証するC
DSの保証料率も低い。すべてが「日本国債は安全」ということを示
している。
すなわち、日本の財政破綻のリスクは今のところ、ほとんどないと
見ていいということだ。少なくともそれが、金融市場の見方である。
いつておくが、市場ほど明瞭に、世の中の実相を映し出すものはな
い。都合のいいことも悪いことも、すべて明らかにしてしまう。
そういう意味では非情ともいえるが、うがった見方や忖度など働く
余地もない、正直な世界なのである。その市場が、日本の財政破綻リス
クは低いと見ているわけだ。
そして、そういう見方は、後で述べる日本政府の統合政府(日銀な
どいわば連結子会社ともいえるものを含めたもの)のバランスシート
で見れば正当化できる。
それなのに、単なる官僚の都合で「財政難だから増税」と繰り返す
財務省、その肩をもつ(というか、理解できないから財務省のいうこ
とを鵜呑みにする) マスコミのせいで、根拠のない財政破綻論が根
強く流布されている。
これは受け取る側のリテラシーが問われていると考えたほうがいい。
流言飛語に惑わされるのは、危機感とは呼べない。単なる雰囲気で
怖がっているだけだ。そもそも、財政破総論や国債暴落論を恐れる人
のなかに、失ったら困るくらいの額の国債をもっている人が、どれく
らい、いるのだろう。
おそらく、ほとんどいないのではないか。
自分の国の財政が破綻するかもしれないと聞いたら、たしかに、誰
でも恐怖を感じるだろう。ただ、何度もいっているように国債は国の
借金であり、その借金がどうなるかは、貸し手と借り手の間の問題で
しかない。つまり、国債をもっていなければ、たとえ財政破綻して国
債が暴落しても、それほど困らないということだ。
少なくとも、多額の国債をもっており、暴落したら大損を披る人ほど
は困らない。
だから、国債ももっていないのに、何の知識もなくマスコミに煽ら
れて「財政破綻する」だの「国債暴落する」だのと馴いでいる人たち
は、じつは本心から心配などしていないのではないか、とすら私には
見える。いってみれば、ホラー映画を見ているようなものだ。
怖いもの見たさで、ドキドキしながらホラー映画を見る。
いもしないオバケを疑似体騒して、ワーキャーと騒ぐ。
これと同じように「日本は財政破綻するよね、まずいよね」「国債
は暴落するよね、日本も終わりだね」などとうそぶく。
こんなのは、お祭り騒ぎと何も変わらない。
ホラー映画は好きなら見ればいいが、国の経済、財政については、
もう少しリテランーを高めてから考えてみてほしいものである。
軽率にも乗っかる人がいるから、財政破綻論者や国偵暴落論者たち
も増長するのだ。
たった一つの表でわかる
「日本に財政問題はない」
金融市場は、目本の財政破綻のリスクはきわめて低いと見ている。
市場は世の中の実相を非情なまでに映し出すといったが、今度は実
相そのものに目を向けてみよう。
日本の財政は、実際のところ、どうなっているのか。じつはたった
一つの表で、国の財政状態がわかるのだ。
簿記を習ったことのある人なら、「バランスシート」が何であるか
は知っているだろう。バランスシートとは「貸借対照表」、つまり組
織の「資産」と「負債」のバランスを一枚の表にまとめたものだ。
企業であれば、バランスシートは必ず作らなくてはならない。
銀行にお金を借りたいといっても、バランスシートがなくては相手
にしてもらえない。負債がどれくらいで、資産がどれくらいあるかが
わからなくては、貸しても大丈夫かどうか判断できないからだ。
要するに1枚の表で財務状態がわかる、非常に便利で重要な書類な
のである。
国の財政状態も、バランスシートを見れば一発でわかる。ちなみに
26年ほど前の1995年ごろ、最初に政府のバランスシートを作った
のは私だ。信じがたいことに、それまで大蔵省(今の財務省)では
づフンスシートで財政状態を把握してこなかったのだ。私が作った後
も10年ぐらいは公表せずお蔵人りにされたが、小泉政権になってよう
やく公開された。
では現在、日本政府のバランスシートはどうなっているのか。
実際のバランスシートにはいろいろな勘定科目があって、素人には
わかりにくい。
そこで財務省が公表しているものをざっくりまとめると、図5のよ
うになる。
負債が資産を大きく上回っているから、これだけ見ると「日本は財
政難だ」という人もいるかもしれない。
しかし、これはあくまで「日本政府のバランスシート」だ。日銀は
「政府の子会社」のようなものだから、日銀のバランスシートを足さ
なくては、日本の財政の本当のところはわからない。
そこで日銀のバランスシートを、これまたざっくりまとめたうえで、
先はどの日本政府のバランスシートに合体させると、図6のようにな
る。ついでに、政府の「見えない資産」ともいえる徴税権(税収)も
加えた。
このように、政府と中央銀行のバランスシートを合体させたものを、
「統合政府バランスシート」と呼ぶ。
するとどうなったか。今度は資産が負債を上回ることが見て取れる
だろう。ちなみに、日銀券は、前に説明したように、利子負担なし、
償還(返済)負担なしだから、実質的には債務とはいえない。したが
って税収を除いても、「統合政府バランスシート」の資産と負債は、
ほばイーブンになる。 これが、日本の財政の実相である。
図6を見てもなお、「日本は財政難」という人はいないだろう。
図6.総合政府バランスシート
財政問題をいう人は、
「借金」だけを見て騒いでいるだけ
「統合政府バランスシート」を見れば、日本に財政問題がないことは
明らかだ。日本政府だけのバランスシートと比べてみたことで、それ
がよりいっそうわかってもらえたのではないか。
にもかかわらず「財政問題がある」と主張する人は、いったい何を
根拠にしているのだろうか。
会計学では、負債の総額を「グロス』、負債から資産を引いた額を
「ネット」という。」のうちどちらに着目するかがポイントだ。ひとこ
ことでいえば、財政問題があると行っている人たちは政府ののバラン
スシートの右側(負債)だけヽつまりグロス債務またはグロス債務残
高の対GDP比を見ているのだ。
政府のグロス債務残高は1000兆円ヽこれはGDPの2倍である。
だから「日本は大変な財政問題を抱えている」「財政再建が必要だ」
「そのためには増税と歳出カットだ」と主張しているわけである。
こればどの財政難のなかで借金がさらに増えては困る(国債をたく
さん発行しては困る)から、増税で税収を増やす一方、政府の支出を
減らそう、もっと倹約しようというわけだ。
これの何かおかしいか。
すでに「答え」をいってしまったようなものだから、もうわかる
はずだ。要するに彼らは、「借金」だけを見て騒いでいるのであ
る。
ここで少し前に話したことをちょっと思い出してほしい。
経営難に陥った企業の借金だけを見て批判するのは理不尽だ、とい
う話だ。問題は借金に見合うだけの資産を築いていなかったことであ
り、いくら借金をしても、見合うだけの資産があればかまわないと説
明した。国の場合もまったく同じで、大事なのはグロスではなくネッ
ト、つまり負債の総額ではなく負債と資産の差し引き額だ。
バランスシートの右側の数字から左側の数字を引いてみると、本当
の財政状態が見えてくるのである。たしかに政府の偵務残高1000
兆円はGDPの2倍だ。ただ一方で、政府には豊富な金融資産がある。
さらに政府の「子会社」である日銀の負債と資産を合体させれば、政
府の負債は相殺されてしまう。これは前項で説明したとおりだ。
だからやっぱり日本に財政問題はない。
したがって、増税の必要も歳出力ツトの必要もない。じつに単純な
話である。
「統合政府バランスシート」が
世界の常識
伝統的な財政の考え方では、政府のグロス債務、またはグロス債務
残高の対GDP比に着目する。バランスシートの右側だけを見て、借
金がどれだけあるか、その借金がGDPに占める割合はどれくらいか、
ということだ。
ただしすでに説明したように、借金だけを見るのは一面的すぎて、
本当の財政状態はつかめない。それを、まずバランスシートの右側と
左側の両方を見よう、しかも日銀のバランスシートも合体させて見よ
う、というのが「統合政府バランスシート」だ。
これは私が勝手にいっていることではない。
ノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学教授、ジョセフ・ステ
ィグリッツ氏が2017年に来日し、経済財政諮問会議に出席した際
のことである。 そこでスティグリッツ氏が出した提言は、「財政政
策による構造改革を進めるべきだ」というものだったが、そのなかで
「政府や日銀が保有する国債を相殺することで、政府の債務は瞬時に
減少し、不安はいくらか和らぐ」という主旨の記述があったこの提言
には、スティグリッツ氏が政府の財務状態を「統合政府バランスシー
ト」 でとらえているという前提がある。だから「政府や日銀が保有す
る国債を相殺すると、政府の債務は瞬時に減少する」という発言にな
った。
政府と日銀のバランスシートを合体させると、政府の負債である国
債と、日銀の資産である国債が相殺される、だから瞬時に政府債務は
減少してしまう、ということだ。このように、一国の財務状態を「統
合政府バランスシート」で考えるのは、海外では当たり前なのである。
何も私が無理屈を通そうとしているのではなく、しごくまっとうな見
方だと思ってぼしい。
因みにスティグリッツ氏が出した英文原資料を見ると「Cancelling」
という言葉が使われて過大債務の実態は不変 銀行課税リスクは避け
られないスティグリッツ教授の「日銀保有国債の無効化」提案 した。
これは会計用語で「相殺」という意味だ。
だから私も、たった今、「相殺」という言葉を使った。ところが、内
開府が用意した和訳では「無効化」となっていた。「無効化」とは、
「なかったことになる」ということだから、これれでは、かなり意味
が追ってしまう。浅はかな人が真に受ければ、先に挙げた「政府は国
債について支払い義務がない」のようなトンデモ論の類が、また飛び
出しかねない。何がどうなっても、政府の負債が「無効化」すること
などない。「統合政府バランスシート」で考えれば、政府負債の国債
の一方には日銀資産の国債があるから両者は相殺できる、ということ
なのだ。もし政府負債の国債が「なかったこと」になれば、その裏側
にある日銀資産の国債もなかったことになる。すると、日銀が国債を
買って発行した日銀券もなかったことになる。バランスシートがどん
どんおかしなことになっていく。こういう会計学の基本知識がないか
ら、つまらないミスをおかすのだ。あるいはわかっていて、あえて誤
訳したのか。「相殺」より「無効化」のばうがインパクトは強い。も
し、あえて訳したのだとしたら、資料作成に関わった人たちは相当な
やり手である。
この項つづく
【関連情報】
・過大債務の実態は不変 銀行課税リスクは避けられないスティグリ
ッツ教授の「日銀保有国債の無効化」提案、ORICON NEWS、2017.3.29
✔ 「市場ほど明瞭に、世の中の実相を映し出すものはない。都合の
いいことも悪いことも、すべて明らかにしてしまう。そういう意味で
は非情ともいえるが、うがった見方や忖度など働く余地もない、正直
な世界なのである」の"非情"との社会現象がどのような"反動"を伴う
のかが問題なのだが、畢竟、名言である。それにしても「バランスシ
ート」がないとは、羅針盤なき経済政策運用ではないかと改めて驚く。
コロナ禍で出生数が急減、このまま我々は手をこまねき「小国」への
途を受容するのか。人口は国力の源である。国際関係の基本構造は、
「大国」が定め、「小国」はその中で生き残る方策を考えるしかない。
人口急減に直面する日本は、一億人国家の維持すら危うい状況にある。
このままでよいのか。本書は、介護保険の立案から施行まで関わり「
ミスター介護保険」と呼ばれた著者が、豊富なデータと学識、政策現
場での深い経験をベースに、危機的な日本の人口問題を正面から論じ
た超大作。 人口問題は、社会経済に深く関係し、国家存亡にも影響を
与える重要テーマ。それだけに我々の価値観に関わる根深い意見対立
も存在する。そこで様々な登場人物が異なる視点から語る小説形式を
とる。政府、政党、国会がどのように関わりながら政策・法案が練ら
れ、諮られていくのか、超リアルなストーリーに沿って、人口問題の
深刻さを知り、解決策の手がかりが得られるまったく新しいタイプの
書籍。 ※本書はフィクションである。登場人物は著者による創作で、
モデルは存在しない。しかし、登場人物が語り、取り組む人口減少問
題の内容は、すべて公開資料に基づく事実である。
『目次』
プロローグ 衝撃の海外レポート
第1章 一億人国家シナリオの行方
第2章 高出生率国と低出生率国の違い
第3章 出生率向上のための「3本柱」
第4章 「地方創生」と「移民政策」
第5章 議論百出の人口戦略法案
第6章 波乱の「人口戦略国会」
エピローグ 「始まり」の終わりか、「終わり」の始まりか
【著者略歴】
山崎 史郎(やまさき しろう、1954年〈昭和29年〉12月17日 - )は、
日本の厚生・厚労官僚。リトアニア国駐箚日本国特命全権大使等を経
て、内閣官房参与(社会保障・人口問題担当)。
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【最後の読書録 Ⅱ】
"小さく産んで大きく育てよ" はまちがっていたのか
1979年1月6日、わたしたちの家族つくりはこの言葉ではじまった。そ
して、冬銀河を見つめ、この国とこの世界の行く末を考える。
第1章 一億人国家シナリオの行方
「人口減少」----5つの不都合」
特有の原埋か働く、その原理とは何か。それは、人口の増減に関わる
「行動」と、それがもたらす「結果」との間には、通常、長期間の「
時間差(タイムラグ)」が存在するということ、つまり、私たちが直
面している人口減少の状況は、ここ数年の短期間のうちに出来上がっ
たものではなく、過去数十年前からの人々の結婚や出産といった「行
動」が、時間の経過とともに積み重なった「結果」として、表れてい
るものであり、それゆえに、人口減少の問題に対応するといっても、
かなりの部分は、今更変えようがない過去の「行動」に縛られている
ことである➲だから、今、私たちが問題に気づいて「行動」を変え
ても、事態はすぐには良くならない。行動の「結果」が本格的に表れ
るのも、これから長期にわたって「行動」が積み重なった後の数十年
先となる。
このことを知ると、つい先人たちに文句を言いたい気分になるかもし
れない。しかし、同じことは、現在を生きる私たちについても言える。
今、しっかりとした行動をとらなければ、その影響を受けるのは、私
たち自身よりむしろ、子どもであり、孫であり、さらにその後の将来
世代であり、このように自分が生きている間のことさえ考えればよい、
というわけにはいかないのが人口問題である。
「今後、事態は悪化する」という危機感
人口減少「5つの不都合」では、1点目は、先述したように、日本の
人口減少は始まったばかりで、これから本格的な減少期を迎えるとい
うこと。人口の減少スピードは、これから数十年は年々高まっていく
。年開城少数は、現在(2020年は53万2,000人だが、人口推計(中位推
計)によると、2030年代は年間80~90万人、2040~50年代は年間90万
人後半、2060~70年代は年間100万人程度にまで達する。よく人口は「
ネズミ算のように増える」と言うが、それと逆の姿で減少していく。
したがって、ここが重要なのだが、現状をそのまま引き延ばしてい
く「現状延長型」の対応では到底追いつかない。「今後、事態は悪化
する」という「危機感」を持って、将来を先取りした。
「先手、先手」の対応をしていくことが重要となる。
2点目は、地域によって人口減少の状況が大きく異なることである。
人口減少の話をすると、ある人は、「人口って本当にそんなに減っ
ているの? 頭では分かるけど、なかなか実感できない」と言う。一
方、他の人は、「これから人口が減るといっても、もう自分の周りは
空き家だらけ。今さら、間に合わないでしょう」と言う。実は両者と
も正しい。
きっと、前者は東京圈の人、後者は地方の人である。
地方では、人口減少が数十年前から始まり、すでに非常に厳しい状
態になっている地域も多い。一方、東京圈では、いまだに人口増加が
続いているというように、大きな「地域格差」がある。これは、若年
世代を中心に、地方から東京圈へ人口が大量に流出し続けてきたから
である。
こうした現状認識の格差は厄介である。なぜなら、人口減少の問題
をいくら訴えても、東京圈に性んでいる人たちにはピンとこないから
である。しかし、それでは困る。地方は、低出生率の上に若年世代の
流出が重なったため、人口減少という現象が先行して表れた。それに
対し、東京圈は、超低出生率が人口流入によってカバーされてきたた
め、人口減少が遅れている、単にそれだけのことである。
地方の人口減少が進み、地方からの流人が枯渇すると、すぐに東京
圈も深刻な事態が生じる。
地方の大都市も同じ構図である。都市を支える後背地(ヒンターラ
ンこが消滅すれば、都市も衰退する。東京圈も大都市も早晩、人口が
急速に減少していく時期を迎える。したがって、そうした地域に性む
人たちも、「明日は我が身」という「危機感」を持ってほしい。
しかも、若年世代が東京圈に流入し続けた結果、2019年10月1日現
在、東京圈に住んでいる20~30代の女性人口は約432万人に速している。
これは、日本全体の同世代の女性人口の約33%、つまり3分の1にあ
たる。ゆえに、日本全体の出生率は、東京圈の動向によって大きく左
右される状況にある。東京圈に性む人たちには、それを自覚してもら
わなければならないと
「簡単には解決しない」という覚悟
第3点以降は、今後、人口減少問題に立ち向かおうとする際に、あら
かじめ留意、いや、覚悟しておかなければならない点を挙げる。まず、
将来の出生数の勤きについてである。
人口減少を止めるには、出生数を増やす必要があるが、そのためには、
当然ながら出生率の向上が必要となる。そこで政府は、これを「国民
希望出生率」である1・8まで引き上げることを目標とする。
ここで、国民希望出生率の考え方を説明しておきたい(図1-5)。
社人研の「出生動向基本調査」(2015年)言によると、18~34歳の独
身者は、男女ともに約9割は「いずれ結婚するつもり」であり、また、
結婚した場合の子ども数については、男性は1.91人、女性は2.02人を
希望しているという結果が出ている。こうした若年世代の希望が叶う
場合に想定される出生率(国民希望出生率)を、一定の仮定に基づき
計算すると、おおむね1.8となる。算出方法は次頁のとおりである。
この1.8は、かなり高い目標と言える。しかし、ここで認識しておか
なければならないのは、人口安定の上では、1.8は「通過点」に過ぎ
ないということである。最終的に人口減少を止めるには、移民を考え
ないとすると、出生率を人口置換水準2・07以上に回復させるしか方
法はない。
そして、ここで再び厄介な問題が出てくる。それは、今後、仮に出
生率が2・07まで回復しても、人口減少は簡単には止まらないという
ことである。人口には、いったん方向が定まると、その後は突き進ん
でいく、「慣性」ともいうべき性質(「人ロモメンタム」という)が
ある。日本は、長期間にわたって少子化か続き、その結果、ついに
2008年から人口減少が始まった。そうなると、この動きは簡単には止
まらない。なぜかというと、仮に出生率が回復しても、その後も年間
の出生数はそれほど増えない(または減る)一方で、死亡数は増えて
いくため、人口加減少していく状態が続く。
そう言うと、「出生率が回復したら、人口は増えるんじゃないの?」
という疑問が湧くが、いくら出生率が回復しても、出生数を決める、
もう・-つの要素の「再生産年齢の女性人口」がすでに少なくなって
いるし、これからも急速に減少していくので、出生数が死亡数を上回
るようになるのは難しいから、という答えになる。
「女性人口のほうは、変えられないの?」という質問には、「変え
られます」という答えで矛盾がつづくが、「出生率を上げれば」とい
うことになる。「じゃ、出生率が上がるなら、女性人口も増えるん
じゃないの?」と思うかもしれないが、そう簡単にはいかない。なぜ
か。そこに、先ほど述べた「時間差」の問題が関わってくるからであ
る。少し詳しく説明する。まず、再生産年齢の女性人口は、最近25
年間で2割近く減っている。移民がないとすれば、現時点で生まれて
いる女性人口の総数は、すでに確定していて、変えることはできない。
そして、女性人口は、年齢別に見ると、若くなればなるほど少なくな
っている。なぜそうなったかというと、出生率が長期にわたって人口
置換水準を大きく下回り続け、女性の年間出生数加年々減少し続けて
きた。ある年の「再生産年齢」の認~49識の女性人口を考えると、そ
の年に50歳になって対象から外れる女性の数より、15歳に到達する女
性の数のほうが圧倒的に少ないため、再生産年齢の女性人口は、1年
ごとに差し引きで減っていく。このように再生産年齢の女性人口が減
少していく状況は、少なくとも、これから認年間(今年生まれたo歳
児の女子が巧歳になるまでの期間)は続く。現在の女性の出産時期は
30識前後なので、実際に出生数にちえる影響は、30年間は続くと考え
たほうがよい。過去の出生率の動きが、現在のみならず将来の人口動
向に大きな影響を与えている。
その裏返しだが、私たちがこれから起こす行動も、その効果が本格的
に表れ、出生数が死亡数を上回り、人口減少が止まるまでには長い期
間を要する。仮に、今年から出生率が急回復したとしても、当然なが
ら、すでに生まれている女性人口に対して与える影響はまったくない。
それが将来に影響を与え始めるのは、これから巧年先であり、実際に
は30年ぐらい先ということになる。したがって、たとえ出生率が2.07
まで回復しても、すぐには人口減少は止まらない。人口が安定状態に
達するためには、それ以降も高い出生率が長期間にわたって維持され、
再生産年齢の女性人口が安定し、人口の年齢バランスが回復する必要
があり、その間は、人口減少が続くこととなる。まさに「時間差」の
原理による、人口減少の慣性の怖さとして現れるという
「できる限り早く、かつ粘り強く」という基本姿勢
第4点は、人口減少対策である。今、私たちが人口減少の問題に気づ
いて行動を起こしても、状況はすぐには良くならない。それならば、
せめて時間をかけ、じっくり考えてから対策を講じていきたい。そう
思いたくもなる。ところが、事態はそんな時間的猶予も許さないので
ある。人口減少は、何もしなくてもどんどん進行していく。そのため、
出生率回復がいつの時点になるかにより、将来、安定的に維持される
人口規模(定常人口)が決まってくる。図1-6は、先に紹介した「
一億人国家」シナリオの試算である。仮に出生率が2030年に1.8、40
年に2.07に回復するなら2060年には総人口1偉人程度を確保し、その
後、2110年頃に定常人口となることを見込んでいる。この試算による
と、出生率の回復が5年遅れ、2035年に1.8となるケース(図の参考士
では、2110年の定常人口の規模は約350万人程度低下し、10年遅れるケ
ース(図の参考2)では、約690万人程度低下するとされる。5年の
遅れごとに、おおむね350万人程度低下していく。このように、これか
ら10年間の出生率の動きだけ見ても、90年先の定常人口の水準に大
きな影響を与える。ここでまた、「時間差」の原理が働くのである。
したがって、将来の人口規模を考えると、できる限り早く対策を実行
に移すことが求められる。
第5点は、以上のような人口問題の特性を踏まえた上で、出生率向上
のために講ずべき施策のについてである。重要なのは、「これさえす
れば」というような即効薬はないということ、出生率の低下には、様
々な社会的、経済的な要因が有機的に総み、人口減少の基調を変える
ためには、社会経済の構造を変えるような総合戦略が必要となってく
る。ただし、ここで注意しなければならないことがある。様々な施策
を講じていくとしても、多種多様な施策をただ羅列的に並べて、メリ
ハリなく資源を投入すればいいというわけではない。施策相互の関係
性を熟慮した上で、施策の「組み合わせ」と、優先順位に即した「手
順」が適切に行われないと、効果は上がらない。理想としては『一波
動けば万波生ず』のように、取り組んだ施策が次々と他に連鎖してい
き、最終的に全体を大きく変えていくような展開が望まれる。
そして、様々な要因が終んでいるということは、出生率が短期間の
うちに急回復することはまずない、ということである。しかも、仮に
出生率が上昇しても、それが人口減少を止めるまでには相当の時間を
要することは、これまで述べたとおりである。慢性疾患の治療に似て
いるかもしれない。辛抱強く長期間にわたって、健療づくりや生活習
慣改善に取り組み、体質を改善していくような心構えが必要となる。
さらに、人口減少問題において、最も重要でかつ対応を難しくして
いるのは、当然ながら、結婚や出産は個人の意志が最優先されるべき
事柄であり、政府はそのことを十分に尊重しなければならないことで
ある。
このように、人口減少の流れを変えることには、大きな困難を伴う。
本格的に取り組み始めても、成果は簡単には上がらず、途中であきら
めたくなるような気持ちに陥るかもしれない。
しかし、人口減少問題を抱えているのは、何も日本だけではない。
他の国も同じような状況に直面し、それぞれの国が懸命に立ち向かっ
ている。フランスは100年以上もの長きにわたって少子化対策に取
り組み、今日の高出生率を成し遂げたのである。
✔ やはり統計調査の現場にはいらなくとも、(情報)公開されてい
る数字及び解析法を俯瞰したくなる。この作業は先回同様、読破後に
考察する。
この項つづく
Jhon Lennon Imagine
● 今夜の寸評:(いまを一声に託す)六月になれば再び
さて、六月になれば、山登りを再開。
国際デジタル情報犯罪局の設置を①
「Windows 11はスパイウェアと化している」
プライバシー侵害が指摘される!
Windows 10はプライバシー設定をオフにしてもMicrosoftのサーバに
データを送信や、子どものネット閲覧履歴や著作権侵害行為に関する
情報などを自動送信しているとウワサされたりと、Microsoftはユー
ザーのプライバシーを侵害していると非難されている。敵国だけでな
く自国の巨大企業も犯罪に手を染めるご時世である。「正義の国際化
」が喫緊のかだいである。