彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん」
【男子厨房に立ちて環境リスクを考える】
生前、母親は出生地の吉野山は柿の葉寿司の創業1901年の「やっこ」
から取り寄せ食していたのが我が家のならわしで、お届けものなどは
そこから注文していたが、
今日のランチも大作亭「檸檬風勝ちん豚和蕎」^^;。
ザ・日清背徳の麺トリオ
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中世期最大の詩人のひとりであり、学問と識見とで当代に数すくない
実朝 の心を訪れているのは まるで支えのない奈落のうえに、一枚の
布をおいて坐っているような境涯への覚醒であった。本書は、中世初
の特異な武家社会の統領の位置にすえられて、少年のうちからいやお
うなくじぶんの〈死の瞬間をおもい描かねばならなかった実朝の詩的
思想をあきらかにした傑作批評。
【目次】
1 実朝的なもの
2 制度としての実朝
3 頼家という鏡
4 祭祀の長者
5 実朝の不可解さ
6 実朝伝説
7 実朝における古歌
8 〈古今的〉なもの
9 『古今集』以後
10.〈新古今的〉なもの
11 〈事実〉の思想
実朝における古歌 補遣
実朝年譜
【著者略歴】 吉本隆明(1924-2012年)は、東京生まれ。東京工業大
学電気化学科卒業。詩人・評論家。戦後日本の言論界を長きにわたり
リードし、「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」などと称される。
おもな著書に『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現
象論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』『宮沢賢治』『夏
目漱石を読む』『最後の親鸞』『アフリカ的段階について』『背景の
記憶』などがある。
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Ⅺ 事実の<思想>
建仁三年(一二〇三年)八月、実朝の兄偵察は身心の病悩がはなは
だしいという理由で、弟実朝 (千幡)に関西三十八カ国の地頭職を
ゆずり、わが長子一幡に関東二十八カ国の地頭職ならびに惣守護職を
ゆずる旨をあきらかにした。しかし、この申出が偵察の自発的な意志
によるものであったかどうかは疑わしい。また、身心の病悩というの
も、じつは無茶苦茶な所行によって北条氏に抗ってみたものの、思い
とおりにゆかず、身辺がすこぶる危うくなったことから必然的にノイ
ローゼに かかったということかもしれなかった。 偵察の外戚比企能
員は、当然、偵察の子一幡が将軍職をつぐべきものであるのに、弟実
朝に関西全域の地頭職が分配されるのが不満であった。また実朝に地
頭職を分配することは、やがて外孫一幡と実朝とのあいだに、将軍職
の継承について争いがおこり、その争いは北条氏との争いに帰するこ
とは眼にみえていた。比全能員は、北条氏を除くのはいまをおいてな
いと判断し、将軍頼察にはかって北条氏を討伐しようと企てたが、失
敗に帰し、孫一幡もろともに、かえって北条氏与党に攻め亡ぼされた。
あとがら、能員とわが子一幡が殺されたことをきかされた頼家は、「
欝陶に堪えず」宿老和田義盛と新田四郎忠常にはかって北条一族を洙
討しようと企てた。だが、偵察にはこれらの宿老を動かすだけの器量
と威力がなかった。かえって母北条牧子から、ノイローゼで統率の器
なしという理由をつけて僧体にさせられ、伊豆惨禅寺に態よくおしこ
められてしまった。
実朝は執権を北条特攻として、兄にかわってすぐに将軍職についた。
翌年、偵家はなにものともわからぬものから、無惨な殺され方をした。
『吾妻鏡』は元久元年(一二〇四年)七月十九日の項に「伊豆国の飛
脚参着す、昨日、左金谷拝聞(年廿三)当国修禅寺に於て苑じ給ふの
由、之を申すと云々」とそしらぬ風をよそおっているが、頼家を殺害
したものが、なんらかの意味で北条氏の息のかかったものであること
は、まったく疑問の余地はなかった。豪勇の頼家は不意をうたれ、首に
綱をかけ余光を新りとられたりして惨殺されたといわれている。
まず、将軍職になったばかりで、兄偵察の惨殺を古音、その惨殺を
密命したものがじぶんであるということになる政治的論理にくみこま
れたとき、実朝はなにを感じたであろうか。実朝は頼家とちがって文
学好きであり、頼家のように、ことごとに横車をおして北条氏に抗う
ということはできなかった。しかしどうかんがえても、将軍職は居心
地のよいはずはなかったにちがいない。頼家の殺害が、ちょうど実朝
が「癩病」にかかって臥していたあいだに行われたのも偶然とはかん
がえられない。実朝は十三歳になっていたが、じぶんの行手が幸さき
のよいものでないことを充分にしったはずである。ただ、実朝は頼家
とちがって、複雑なよく耐える心をもった人物であって、ある意味で
は北茶時政にもそう手易く御しうるような存在ではなかった。その年
に嫁をむかえる段になって、きめられていた上総の前司足利義兼の娘
をめとることを拒絶して、京都から迎えようという意志をしめしてい
る。もし、足利義兼の娘をめとれば、たとえ北条氏の息がかかってい
るとはいえ、やがて外戚となった義兼と北条氏とのあいだに争いを生
ずることになるにちがいない。そうすれば、じぶんの運命は頼家とひ
としいものになる。それより係累もなく、また〈和歌〉や文筆をつう
じて関心をもっており、またべつに武力で北条氏と争う力も必然もな
い京都の堂上から嫁をむかえるほうがずっとよかった。実朝が和歌の
習作や遊びごとから、家風の文化にあこがれていたという説もあるが、
ほんとうかどうかわからない。生涯のうち京へ出かけてみようという
発想を実朝はいだいたことはない。だが、宋へ渡ろうという発想はあ
ったのである。祭祀権者としての義務であった伊豆・箱根権現への〈
二所詣で〉をのでいて、実朝が鎌倉幕府の周辺をでようとおもいたっ
たことがないのは興味ぶかい。また、どうせゆくならば京都ではなく
〈宋〉の国だという発想はけっしてわるくはない。
こういう実朝にとって、歌ははじめ〈玩具〉であったかもしれない。
幼少のときから、あたかも謎ときのように作歌に熱中した。元久二年、
十四歳のとき、はじめて十二首の和歌を詠んだことが『吾妻鏡』にみ
えているが、もちろんその以前から習作にうちこんでいたであろう。
それはこの年九月二日の記事に、実朝が和歌を好むことが京都にきこ
えているように記していることからも推察される。また、『金塊集』
にあつめられた実朝の作品が、何歳からのものか確定できないとして
も、創造はまず幼少期の模倣からはじまるということを、あまりには
っきりとみせていることからも推測される。
実朝が将軍職について、まずはじめに当面しなければならなかった
のは、宿老畠山重患の伏誅であった。北条時政の後妻牧氏が、時政を
そそのかして、女婿平賀朝雅と不仲であった畠山重患父子一族を謀叛
の企てありとして、強引に滅ぼしてしまった事件である。牧氏は時政
とはかり、勢いにのって、実朝を殺害し、女婿平賀朝雅を将軍職につ
けようとした。しかし時政の子義時も、時政の娘、政子もこれを許さ
ず、実朝を推して逆に平賀朝雅の一党を滅ぼし、同時に父時政を僧体
にして隠居させてしまった。この一連の事件で、実朝がどんな貌をみ
せたのかまったくわからないが、危うく生命をおとすようなはめにで
あったことはたしかである。
この事件をへて北条氏の実権は義時にうつり、また義時のひきいる
北条一族に相伴うような形で、実朝の位置も安泰になったかにみえた。
しかし、この事件をへて、実朝ははじめてじぶんをとりまいている武
門の内談がどうしておこり、またどういうことによって安定するかを
みきわめたにちがいない。
実朝はじぶんがたんなる武門権力の御輿にのってかつぎあげられた
〈象徴〉にすぎないことをしった。そして同時に、この〈象徴〉が武
門勢力にとって絶対に必要であるゆえんも悟ったにちがいない。もし
じぶんが存在しなければ鎌倉の幕府はゆくところまでゆきつくまでは
陰謀と不意打ちの合戦の府にかわってしまうだろう。なぜ武門は弱年
のじぶんをひつようとするのか。それはじぶんが幕府を創始した将軍
の正統をつぐ子孫であることが第一の条件である。第二の条件は、じ
ぶんが武門の実力者に強いて抗おうとしないかわりに、かれらが自由
に将棋の駒のように動かそうとするには、少しばかり炳ったい人格でも
あるということであるにちがいない。歌を詠んでも権力などそなわる
はずもないが、歌作の修練がひとにあたえるものは、徒労の生命でさ
えなお耐えて通りぬけてゆかねばならない体験ににていないことはな
い。
雨いたくんれる夜ひとりほととぎすを
郭公なく声あやか五月々み
きく人なしみ雨けふりつつ
実朝は、しばしば深更に起きだして、廊から街商をながめるのが好
きであった。そのある夜の作であるにちがいかい。この詠み目は犬古
今集』のわりあい初期のものに似ている。とすればそれは実朝にはこ
のふたつの意味がよく判っていたはずである。
実朝は疱瘡のあとずっとそうであったといえばいえなくもないが、
晩年にちかづくにつれて、神事・仏事に熟がはいらなくなって、おお
くは代理を奉幣させるようになっている。ようやく青年にたっしたと
きには、実朝のこころは乾いてしまっていたかもしれない。なぜそう
いう臆測をくだすかといえば、実朝の〈景物〉はあたかも〈事実〉を
叙するというよりほかないような独特な位相であらわれ、けっして〈
物〉に寄せる〈心〉でも、〈心〉を叙するために〈景物〉をとらえる
叙情でもないとしかいいようがないところがあるからである。
みな月廿日あまりのころ夕の風すだれ
うごかすをよめる
秋ちかくなるしるしにや玉すだれ
小簾の間とばし風の涼しさ
萩をよめる
秋はぎの下葉もいまだ移ろはぬに
けさ吹く風は袂さむしも
十月一日よめる
秋は去ぬ風に本の葉は散りはてて
山さびしかる冬はきにけり
霰
もののふの矢並つくろふ籠手の上に
霰たばしる那須の篠原
同
笹の葉に震さやぎてみ山べの
嶺の木がらししきりて吹きぬ
これらの〈景物〉を叙している歌は、八代集のどこにも場所をもうけ
ることはできない。『万葉』の後期にいれるには、あまりに〈和歌〉
形式の初原的な形をうしないすぎているし、『古今』にいれるには、
語法が不協和音をいれすぎている。『後拾遺』にさしこめば、あまり
に古形を保存しすぎている。そうかといって『新古今』にさしはさむ
には、もっと光線が不足している。この独自さは実朝の〈景物〉の描
写が、〈禁物〉をただ〈事実〉として叙して、かくべつの感情移入も
なければ、そうかといって客観描写のなかに〈心〉を移入するという
風にもなっていないところからきているようにみえる。実朝の〈心〉
は冷えているわけではないが、けっして感情を龍めようともしていな
い。感情の動きがメクフィジックになってしまっている。実朝は青年
期にたっしたとき、すでにこういう心を身につけなければならない境
涯におかれていた。
〈夕べの風がすだれをうごかして透ってくる涼しさ〉という表現は、
〈涼しいな〉という主観でもなく、。〈涼しくわたってくる風〉とい
う客観描写でもなく「風の涼しさ」という状態でとめられている。そ
れだからどうしたということではない。この止め方は実朝の詩の方法
のひとつの特徴である。この特徴が表象しているものは、「風の涼し
さ」を感じているじぶんを、なんの感情もなく、じぶんの〈心〉がま
た〈物〉をみるように眺めているという位相である。だから心情の表
現が叙景の背後にかくされているのではなく、〈じぶんの心情をじっ
と眺めているじぶん〉というメタフィジックが歌の背後にあらわれて
くる。このメタフィジックもまた詩人としての実朝に独特のものであ
るといってまい。
「けさ欧風は快さむしも」というのは、まったく主観的にくさむい
ことであるな〉といっているにもかかわらず、さむがっている作者で
はなく、さむがっているじぶんという〈事実〉をながめているじぶん
という位相しかったわってこないようにおもわれる。なぜこういうこ
とになるのだろうか。たぶん実朝の〈心〉が、詩的な象徴というより
も、もっと奥深くのほうに退いているからである。
この独得の距離のとり方が実朝の詩の思想であった。「秋は去ぬ風に
木の葉は徴りはてて」の歌でもおなじなのだ。「山さびしかる冬はき
にけり」を〈山はさびしき〉とか〈山ぞさびしき〉と表現すれば、並
の叙情歌になったろうが「山さびしかる」と表現しているために、
〈心〉は奥のほうに退いて〈山はさびしくなるだろうなとおもってい
るじぶんを視ているじぶん〉というようにうけとれることになる。
「もののふの矢並つくろふ」は真顔もあげ、子規も引用している周
知の歌だが、かれらのいうこの万葉調の力強い歌は、けっしてそうは
できていない。名目だけとはいえ征夷将軍であったものが、配下の武
士たちの合戦の演習を写実した歌とみても、そういう情景の想像歌と
してみても、あまりに無間心な〈事実〉を叙している歌にしかなって
いない。冷静に武士たちの演習を眺めている将軍を、もうひとりの将
軍が視ているとでもいうべきか。
「笹の葉に裳さやぎてみ山べの」も、叙景のようにみえて、〈景物〉
を叙しているじぶんの〈心〉を〈心〉がみているという位相があらわ
れざるをえない。
実朝の詩の思想をここまでもっていったものは、幕府の名目人とし
て意にあわぬ事件や殺戮に立ちあいながら、祭祀の長者として振舞わ
ねばならない境涯であった。
この項つづく
● 技術的特異点でエンドレス・サーフィング
【再エネ革命渦論 91: アフターコロナ時代 292】
世界の低炭素エネルギー技術への投資額、初めて1兆ドル突破
1月26日の情報となるが、サプライチェーンの混乱やマクロ経済の逆風
をものともせず、2022年のエネルギー移行投資は31%増と飛躍的に伸
び化石燃料への投資額と同等になる。調査会社ブルームバーグNEF(BN
EF)のレポートによると、エネルギー危機と政策措置がクリーンテク
ノロジーの展開を加速させたため、低炭素エネルギー移行への世界的
な投資は1年に1.2022兆ドルに達し、新記録と前年からの大幅な加速。
別の最初のケースでは、低炭素技術への投資は化石燃料を支援する資
本と同等に達した模様。 エネルギー転換投資動向は、BNEFが企業、金
融機関、政府、エンドユーザーにどれだけの資金を提供しているかを
示す年次会計である。レポートで取り上げられているほぼすべてのセ
クタは、再生可能エネルギー、エネルギー貯蔵、電化輸送、電化熱、
炭素回収貯留(CCS)、水素、持続可能な材料など、2022年に新記録的な
レベルの投資を記録した。原子力投資だけが記録を樹立せず、概ね横
ばいで推移した。風力、太陽光、バイオ燃料、その他のエネルギーを
含む再生可能エネルギーは依然として最大のセクタあり、2022年には
前年比、17%増の4,950億ドルの新記録を達成。
しかし、電気自動車とその関連インフラストラクチャへの支出を含む
電化輸送は、再生可能エネルギーを追い抜くところまで漸近、2022年
には54,660億ドル、前年比で54%という驚異的な増加となる。水素は、
民間部門からの強い関心と政策支援の高まりにもかかわらず、わずか
11億ドル(全体の1.0%)と、最も財政的コミットメントを受けていない
セクタだが、水素は最も急成長しているセクターであり、投資は前年
の3倍以上となっている。
また、BNEFのデータによると、中国でのエネルギー移行への投資は、
5,460億ドルと群を抜いて最大、世界全体のほぼ半分を占めた。米国は
大幅に差を付けられて1,410億ドルで2位となったが、欧州連合(EU)
をひとくくりにすると、EUが1,800億ドルで2位となる。ドイツは3位
を維持し、英国は一つ順位を下げて5位、フランスは4位に順位を上げ
た。移行への投資額が初めて化石燃料投資と同額に-ネットゼロ投資
の拡大が必要また、BNEFは同リポートの中で、世界の化石燃料投資に
ついてトップダウン分析による予想を行っており、これには、上流、
中流、下流、そして排出削減対策が講じられていない化石燃料発電が
含まれる。この数字は、比較のためだけに算出されたもので、2022年
にはエネルギー移行への投資総額と同じ1兆1,000億ドルになると試算
されている。これは、昨年のエネルギー危機により化石燃料にむけた
投資が増加したにもかかわらず、世界のエネルギー転換への投資額が
それと初めて並んだことを示す。 移行への投資額が初めて化石燃料
投資と同額に-ネットゼロ投資の拡大が必要 さらに、BNEFは同リポー
トの中で、世界の化石燃料投資についてトップダウン分析による予想
を行っており、これには、上流、中流、下流、そして排出削減対策が
講じられていない化石燃料発電が含まれ、この数字は、比較のためだ
けに算出されたもので、2022年にはエネルギー移行への投資総額と同
じ1兆1,000億ドルになると試算されている。これは、昨年のエネルギ
ー危機により化石燃料にむけた投資が増加したにもかかわらず、世界
のエネルギー転換への投資額がそれと初めて並んだことを示す。
✔ 毎度のことですが、「日々新たであれ」と一声に託す。
ビル外壁にフィルム型ペロブスカイト太陽電池を導入
積水化学工業とNTTデータが、フィルム型ペロブスカイト太陽電池を建
物外壁に設置する実証実験を2023年4月から開始。既存建物外壁への太
陽電池モジュールの設置方法の確立。垂直面における発電効率の確認
などを行い、都心部の既存建物などへのペロブスカイト太陽電池の導
入拡大を目指す。
積水化学工業では、同社の独自技術である「封止、成膜、材料、プロ
セス技術」を生かしたフィルム型ペロブスカイト太陽電池開発を進め
ており、約10年の屋外耐久性や、30cm幅のロール・ツー・ロール製造
プロセスを構築。さらに、同製造プロセスによる発電効率15.0%のフ
ィルム型ペロブスカイト太陽電池の製造に成功する。
今回取り組む実証では、まず積水化学工業の開発研究所の外壁に小面
積のフィルム型がペロブスカイト太陽電池を設置。約1年間にわたって
発電を行い、次のステップとしてNTTデータのNTT品川TWINSデータ棟の
外壁に設置して実証を行う。実証では既存建物外壁への太陽電池モジ
ュールの設置方法の確立、垂直に設置する外壁面での発電効率の測定、
予測値と実測値の比較、塩害地域での耐久性、発電した再エネの建物
内利用の実用性などの検証を目的とする。
今回の実証の他、2023年度からJR西日本うめきた(大阪)駅や東京都
下水道局森ヶ崎水再生センターへの設置など、各種用途における技術
実証と設置・施工方法の確立を進める。並行して、新エネルギー・産
業技術総合開発機構(NEDO)のグリーンイノベーション基金を活用し
1メートル幅での製造プロセスの確立、耐久性や発電効率のさらなる
向上に向けた開発を進め、2025年の事業化を目指す。
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via スマートジャパン 2023.2.17 ビル外壁にフィルム型ペロブスカイ
ト太陽電池を導入、積水化学らが実証実験
出典:NITE ※実際の事故画像ではない破損イメージ。
積雪で破損の太陽光パネルは4年間で7.5万世帯分
2023年1月、製品評価技術基盤機構(NITE)が太陽光発電に関する事故
のデータベースを分析した結果、雪量が多い時期に太陽光発電設備の
事故が増加する傾向----2018年度から2021年度までの事故分析を行っ
た結果、分析を行った4年間の積雪に起因する破損被害は、住宅用ソー
ラーパネルの約7.5万世帯分の発電出力に相当----が分かったと報じた。
特に全国で記録的な大雪が確認された2020年度、2021年度は多発して}
おり、2018年度が1件、2019年度が0件だったのに対し、2020年度は28
件(自然災害に係る年間破損事故の約45%)、2021年度は14件(同約
26%)発生していたとのこと。
【対策】
・除雪計画の作成やマニュアル化を行い、月間・週間天気予報や発電
所の監視結果などを参考に、架台やパネル及びパネルの軒下、現地
への通路も含め、予防点検や除雪を行う
・冬期は除雪機材を常備する、もしくは優先して実施してもらえるよ
う除雪業者と契約する
・既に大雪が発生している地域では、(可能な範囲で)積雪後の巡視
や除雪等を強化する
・架台の設計基準を満たした上で、地域の気象条件に応じて、架台の
設計強化やパネル傾斜角や設置高度の増加などの更なる積雪対策を
施す(主に新設または再築時)
・パネルと架台を固定する金具を、雪の滑落を妨げない形状の金具に
交換する。
2023.2.15
第69回大河内記念生産賞を受賞
「Cu-Cu接続」を用いた高精細な積層型SWIRイメージセンサ
ソニーセミコンダクタソリューションズ(SSS)とソニーセミコンダ
クタマニュファクチャリングは,「Cu-Cu接続を用いたヘテロジニア
ス積層型高精細SWIRセンサの開発」で,大河内記念会から「第69回(
令和4年度)大河内記念生産賞」を受賞。
2019.2.13
※同賞は,故大河内正敏博士の功績を記念して設けられ,わが国の生
産工学,生産技術の研究開発,および高度生産方式の実施などに関す
る顕著な功績を表彰。
※今回の受賞は,多画素化とセンサーサイズの小型化を両立した,可
視光までも撮像できるSWIRイメージセンサーの量産化と実用化が高く
評価されたもの。一般的に,短波長赤外光(SWIR:Short-Wavelength
InfraRed)は物質に対する透過率や吸収率が可視光とは異なるため,
その性質を使ってさまざまなシーンに活用されている。同社の積層型S
WIRイメージセンサーは,化合物半導体のInGaAs(インジウム・ガリウ
ム・ヒ素)層でフォトダイオードを形成し,それを読み出し回路のシ
リコン層と,独自のCu-Cu(カッパーカッパー)接続と呼ばれる積層技
術により直接接続している。これにより,これまでのSWIRイメージセ
ンサでは難しかった画素の微細化による多画素化やセンササイズの小
型化に加え,可視光から短波長赤外までの幅広い帯域での高感度な撮
像を実現。
今の国情発行額では、
足りないくらい?
国債を発行するほど、政府が使うお金が増え、世の中に出回るお金
が増え、結果的に物価が上がる。
これはデフレ不況のときには、景気回復を叶える財政緩和策となる
が、インフレが進みすぎるとそれはそれでよくない。したがって国債
の適切な発行額は、インフレになりすぎない程度、ということになる。
こうして、「ほどほどの量の国債」が金融市場で出回るように保つ
ことが理想だ。
では現在の国債発行額はどうか。多すぎるのか、それとも少なすぎ
るのだろうか。
「日本政府は借金が多すぎる」と目くじらを立てる人が多いようだ
が、結論からいえば、もっと国債を発行してもいいくらいなのである。
前に、現在の国債発行残高はGDPの200%くらいといった。し
かし、そのうち半分ほどを日銀が保有しており、金融市場に出ている
のは、GDPの50~60%程度だ。
これでは、じつは足りないくらいなのだ。
すでに説明したように、「統合政府バランスシート」で考えれば、
日本の財政再建
はとっくに済んでいる。だから、もっと金融市場に国債を提供するた
めに、財務省が国債を発行すればいい。
しかし財務省は、いまだに「財政再建が先」といって譲らず、日本
政府は国債増発に腰が重い。依然として金融市場では、国債が「品薄
」状態が続いている。
そこで2020年3月23目、日銀は「異例」ともいえる手を、3年
ぶりに繰り出した。
「国債売り現先オペ」という手法で、約8000億円もの国債を、市
場に供給したのだ。
これは、ひとことでいえば、日銀がもっている国債を、「期間限定
」で金融市場に放出するオペレーションだ。一定期間後に買い戻す条
件で、日銀が国債を売るのである。
それまで日銀は民間金融機関から国債を買うという、金融緩和策(
量的緩和)を続けてきた。だが3月の決算期を前に、金融市場で国偵
需給が過度に引き締まるのを抑制することを目的として、この異例の
一手を出したのである。
先に説明したように、国債は金融市場の「コメ」だ。▽定量の国債
がなくては、銀行も証券会社も、まともな金融取引が行なえなくなる。
銀行は、個々人から預金を集めて、それを貸し出すことで利ざやを
稼ぐ。しかし、預金のすべてを貸し出しに回すことはできない。
あなたも銀行口座をもっているはずだが、もし銀行が預金のすべてを
貸し出しに回してしまったら、引き出したいときに引き出せなくなっ
てしまう。だから銀行は預金の引き出しに備えて、いつでも換金でき
る資産をもっておく必要がある。
一般的な金融機関であれば、預金に対する貸し出しの比率は6~7
割で、その他は、いつでも換金できる「流動資産」だ。その一つは現
金である。
ただし、お金をお金のままもっていても利子は生まれない。そこで、
少しでも収益性を高めるために、国債をもつことが多いのだ。そのう
え、国債は金融取引にも欠かせないから、銀行はつねに大量の国債を
もっておきたい。
証券会社も、国債がなくては商売ができない。「株と国債」「社債
と国債」という具合に、金融市場では、国債が取引の媒介、いってみ
れば「お金」のような役割を果たすと前に説明したことを思い出して
ほしい。
そこで日銀がとった異例オペが「3月」だったというタイミングに
も、意味がある。
決算を前に、余計な現金をもっておくより、国債に替えたほうがい
いという「決算対策」のために、国債の「品不足」が起こる。これを
放置するのはまずいというわけでったのだ。
日銀は異例の一手をとったのだ。
ただし、本来であれば日銀は、民間金融機関から国債をどんどん買
って、もっとお金が出回るようにしなければならない。
世の中に 今回の異例オペは、苦肉の策としては適切だったといえる
が、国債を供給するのは、本来、日銀の役割ではない。
では誰の役割かといえば、先に答えはいってある。
政府である。
つまり、政府が国債をもっと発行すべきだったところ、それをしな
かったから、日銀が動かざるをえなかった。
いってしまえば、政府が国債発行をサボったツケが日銀に回ってき
たというのが、ことの顛末なのである。
災害復興こそ、銀が動かざるをえなかった。
いってしまえば、政府が国債発行をサボったツケが日銀に回ってき
たというのが、ことの顛末なのである。
「超・長期国情」の出番だった
国債を毛嫌いすると、「財源が必要なら増税すべし」というロジッ
クに簡単にはまってしまう。
東日本大震災後の2014年の消費増税などは、その典型といえる。
「東日本大震災の復興の財源が必要だ。ついては国民全体で痛みを
分け合うべく、増税を断行せざるをえない」
こんなロジックに、国会も国民も、まんまと乗せられてしまった。
あのころは、さかんに「絆」といわれていた。東北の人たちを助けた
い、そのための増税なのだから、甘んじて受け入れるべき、という空
気が日本中を覆っていた。
しかしこれは、個人の道徳や良心につけこむという、財務省お得意
の手段といわざるをえない。
なぜなら、本当に災害復興を目指すなら、国債を発行するのが、も
っとも効果的だからだ。災害時に増税するほどバカな話はないのであ
る。
災害で特定地域が大打撃を受けているときに、増税をしたらどうな
るか。人々の財布のヒモは堅くなり、消費が冷え込む。本来ならば、
災害が起こっていない地域の経済力で、被災地を支えなくてはいけな
いのに、その経済力を奪ってしまうのが増税なのだ。
いってみれば、人助けに向かう人に足をひっかけて転ばせるような
ことなのである。
災害が起これば、当然、政府の税収は下がる。だからといって、災
害時に増税をするなんて政策は、古今東西、聞いたことがない。
災害時に税制をいじるなら、むしろ経済を活性化させるために減税
するのが普通だ。
もうI度いうが、災害復興の財源確保のためには、国債がもっとも
適切だ。それも、100年債や500年債といった超・長期国債がい
い。
というと、また「借金を後世に押し付けるのか」という批判が上が
りそうだが、ちょっと待ってほしい。じつのところ、災害が起こった
世代だけで復興財源を出そうとするほうが、不公平なのである。
経済を大きく揺るがすほどの大災害が起こるのは、100年に一度、
500年に一度のことだ。そこで今から100年、500年をかけて、
世代間で復興財源を出し合うというのが、100年債、500年俵の
考え方だ。100年に一度、500年に一度、必要なお金なら、10
0年、500年をかけて返していけばいいのである。
これは私だけが勝手にいっているのではなく、「課税の平準化理論」
という基本的な経済理論に基づいている。「痛みを分け合え」という
のなら、こちらのほうが、よほど公平な分かち合いといえないだろう
か。
国價には将来世代への
「投資」という側面もある
国債というと、どうも借金が悪いものというイメージが拭いがたい
ようだが、元をただせば、国債とは国を回していくのに必要な資金を
集めるためのものだ。
ここで「税収だけで国を回せ」というのは無理屈だ。
現在の税収だけでは足りないことは明らかで、増税に直結する。税
金は万人に等しく課せられる。しかし、国債は「欲しい人」が買う。
税金を払わないと違法になるが、国債は買いたくないなら買わなくて
もいい。現に、誰も国債購入を強要されたことなどないだろう。国に
お金を貸したい人が貸す。それで国が回っていくのだ。それの何かい
けないのかと聞いてみたいものである。
国債は、その特質上、未来投資にも向いている。
たとえば私が前々からいっているのが「教育(投資)国債」だ。
一般的に、教育水準が高いほうが、所得は高くなる傾向が強い。所
得が高くなれば、当然、納める税金が多くなり、国への貢献度が増す
。そういう人材を育てるために、教育を目的とした国債を設ければい
いという提案だ。ひとことでいえば、教育国債は「出世払い」で、投
資効果が出る将来世代に働いて返してもらう、という考え方だ。
といっても、市場では「赤字国債」と「建設国債」が区別されてい
ないように、国債発行時に「これは教育国債です」などと銘打たれる
わけではない。お金に色はついていない。買う側は、単に国債の「利
率」と「償還期間」で判断するだけだ。
ただ、「教育国債」を設けることで、国債を売って集めたお金は、
以前より多くが教育部門に割かれることになる。―章で見た予算内訳
でいえば、「文教及び科学振興費」などに多く費用が回る。「教育の
無償化」も、教育国債でまかなえばいいというのが、私の考えだ。
国が行なう投資というと、どうしても、ハコモノなどの公共投資に
偏りがちだ。それはそれで雇用剔出になるから、いい而もある。ただ
有形資産である「物」ばかりではなく、無形資産である「人の教育」
にも投資したらどうかという話だ。
他国の例に目を転じてみれば、フランスの「サルコジ国債」が有名
である。2009年、サルコジ大統領は元老院(上院)、国民議会(
下院)の両院合同議会において、大規模な特別国債の発行を発表した。
そこでサルコジ大統領は、未来への投資のための国債発行の重要性を
強調した。
これは、私がいっている教育国債の考え方そのままである。
一方には税を財源とすればいい、という考え方もあるだろう。
しかし、教育への投資は、イコール将来への投資であり、社会的に
大きなリターンが期待できる。このように長期的な便益が見込めるも
のには、国債のほうが理にかなっている。
先はども「出世払い」といったように、長い目で見て投資し、長い
目で見て回収していけばいいのだ。しかも、教育を受けて所得が高く
なった人ほど余分に所得税を払うので、社会への恩返しという意味で
理にかなっている。
財務官僚は「無形資産はうまく計れない」などと小言をいうだろう
が、後でも見るように、教育の投資効果は、じつは有形資産を凌駕す
るほど大きい。有形資産と無形資産を差別するなというのは、まった
く異論の余地のない正論なのである。
ただし、今の財政法では、有形資産に対してしか国債発行を認めて
いない。したがって教育国債を実現するには、財政法の改正が必要だ。
これは、つねに自分都合で物事を動かしたい財務官僚が一番、嫌うと
ころなのだが、必要とあらば、政治はそこにも切り込んでいかねばな
らない。
この項つづく
風蕭々と碧い時代
Jhon Lennon Imagine
● 今夜の寸評:(いまを一声に託す)