彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん」
【男子厨房に立ちて環境リスクを考える】
十割の更科蕎麦@足利市「蕎遊庵」
https://www.kyouyuuan.com/
蕎麦が健康なエコな食品なのは、全粒食パウダーであり、かつ美味し
いことに尽きるが、米・小麦など穀類のほとんどが、栄養たっぷりな
胚芽の部分はまずいの で取り除き、胚乳部だけを食べるのに比べ、そ
ばは胚芽に相当する子葉が 中心部に位置しているため製粉の過程で胚
乳部と一緒に製粉され、またタンパク質や食物繊維に富む甘皮(種皮)
も食用に供されるから。といっても、ねずみ色で色彩がいまいちとい
うの米・小麦より劣るが脚気(ビタミンB1不足➲百グラムのそば
粉で40%賄えるから含水率を13.5%として250グラム)になることはま
ずないだろう。それいがいにポリフェノール、ルチンが含まれるので
アレルギー症体質以外のひとなら血液循環器系疾病予防にもよい。
via そばの秘密!? | 蕎麦空
その蕎麦でも、蕎麦の機の中核を取り出してつくる「背徳の更科蕎麦」
? があることを初めて知るが、真っ白で甘く香り高いという。勿論、
十割(じゅうわり/とわりと呼称されているが、ここでは韻律の整っ
た後者で呼んでいる)蕎麦であるが、喉越しの良い加工が難しい。
是非試食してみたい。加工技術が進化している現在なら、穀類だけで
なく他の白くできるし、食肉なみに栄養価を高くする加工など簡単に
できそうだし、食肉摂取プロセスでの近似ゼロカーボン課題もクリア
でき、食罪感も薄れるだろう。そんなことを考え檸檬麻辣辛風味かっ
ちんハム蕎麦を頂きました(日本と滋賀に感謝)。
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中世期最大の詩人のひとりであり、学問と識見とで当代に数すくない
実朝 の心を訪れているのは まるで支えのない奈落のうえに、一枚の
布をおいて坐っているような境涯への覚醒であった。本書は、中世初
の特異な武家社会の統領の位置にすえられて、少年のうちからいやお
うなくじぶんの〈死の瞬間をおもい描かねばならなかった実朝の詩的
思想をあきらかにした傑作批評。
【目次】
1 実朝的なもの
2 制度としての実朝
3 頼家という鏡
4 祭祀の長者
5 実朝の不可解さ
6 実朝伝説
7 実朝における古歌
8 〈古今的〉なもの
9 『古今集』以後
10.〈新古今的〉なもの
11 〈事実〉の思想
実朝における古歌 補遣
実朝年譜
【著者略歴】 吉本隆明(1924-2012年)は、東京生まれ。東京工業大
学電気化学科卒業。詩人・評論家。戦後日本の言論界を長きにわたり
リードし、「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」などと称される。
おもな著書に『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現
象論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』『宮沢賢治』『夏
目漱石を読む』『最後の親鸞』『アフリカ的段階について』『背景の
記憶』などがある。
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Ⅺ 事実の<思想>
和田義盛は兵を率いて将軍の幕下に攻め入った。同時に北条義時邸
と大江広元邸を囲んだ。和田合戦の模様は、嘘も真もこきまぜて『吾
妻鏡』が詳細に描写している。しかし、わたしにはそれほど興味がな
い。和田四郎左衛門尉義直が伊兵馬太郎盛重のために討取られたのを
きいて、義盛は、この愛する武勇の子のためにこそじぶんは上総の国
司を所望したのだ、いまはもう合戦にはげんでも何の意味もなくなっ
た、と声をあげて「悲哭」し、狂乱の態をなし、ついに江戸左衛門尉
能範の所従に討たれたという。
実朝はもちろん、和田義盛をはじめ一族が、じぶんに謀叛の気がな
く、ただ北条義時一族の勢力をそぐのが目的であったことをよくしっ
ていたし、また、一途な宿老の心中もよく察していた。北条氏一族も
また、それをよく心得ていて、『吾妻鏡』は北条泰時に「義盛上に於
て逆心を挿まず、只相州に阿当あだせんが為」、謀叛をおこしたのだ、と
いわせているくらいである。
実朝はついに父頼朝の代からの忠誠一途の宿老たちのすべてを失っ
たことを悟ったにちがいない。実朝の心にもはや何の希望もなくなっ
たのは、たぶん和田合戦のあとであった。実朝の乾いた心は、そのま
ま冷えたといってよい。 実朝が営中の南庭で丑の刻、夢のようにし
て青衣の女人が走りさり、光物が松明のようにかがやいて消えるのを
みたのは、その年の八月十八日であると記されている。それが幻覚か、
刺客か、和田氏の亡霊かはわからないが、『吾妻鏡』の編著者は、伝
説にしたがって、そう記すよりほかなかったかもしれない。
底の萩わづかにのこれるを、月さ
しいでて後見るに、散りわたるに
や花の見えざりしかばよめる
萩の花暮々までもありつるが
月出てみるになきがはかなき
それは萩の花であったのか、愛すべき老将和田義盛のすがたであっ
たのかわからない。また、
そがれに物思ひをれば我宿の
萩の葉そよぎ秋風ぞふく
山辺眺望といふ事を
声たかみ林にさけぶ猿よりも
我ぞもの思ふ秋の夕べは
十二月三日、実朝は寿福寺に詣で和田義盛一族の亡众ぼうぎんの得脱とくだつのため
に仏事を修した。
また十二月二十九日(建保と改元あり)には、自筆の円説経を写し
て寿福寺に供養し、その晩の夢告によって、この経巻を三浦の海に沈
めて和田一族の霊を慰めた。
建保三年(一二I五年)十一月二十五日、実朝は昨夜義盛以下の和
田一族の亡霊が幕下に群参する夢をみて、営中で供養の仏事を行った。
実朝の胸中を臆測すれば、宿将和田義盛とその一族の死は、ながく心
の傷をあたえた。それ以後、実朝はほぼ確実に自分の変死を信ずるよ
うになったとおもわれる。あとには北条氏一族と巧妙な三浦一族しか
のこっておらず、ほとんど信頼すべき家人とて無い有様であった。心
中ひそかに期するところがあった。もはや、何ものにもねずらわされ
ず我意をおし通そうと心に決めたのである。それは、すくなくとも二
つの事実となってあらわれている。
ひとつは東大寺の大仏修鋳を請負った来人陳和榔の東下りをきっか
けに渡来を計画したことである。
もうひとつは、強引ともおもえる位階昇進を、京都の朝廷に促進さ
せたことである。このいずれも北条氏の強力な反対にであったが、実
朝はこれを抑けて強行した。
渡来の計画は、母政子や北条義時や大江広元などの側近には気狂い
沙汰としかうけとられていない。実朝が和田合戦のあとで心中ひそか
に決心してしまったことが北条氏や側近の重臣たちにはわからなかっ
たのである。あたらしい仏教文化を媒介にした来の文物にたいする実
朝の憧憬、すでにどんな希望ももちえなくなった幕府の統領としての
生活、たび重なる天変と地異、陳和物による挑発といった、ありうる
すべての現実的な理由をかぞえても、渡来の計画は突飛であった。
しかし実朝の心の奥深くかくされたモチーフまでかんがえれば、あま
り唐突だともおもわれない。たとえば和田朝盛ならば父祖一党にも加
担しえず、また父祖一党に弓をひくことができないとすれば、難しく
はあっても、髪をおろして京都に逃れて遁世することもできた。しか
し、実朝が進むことも退くこともできないとすれば、結果や手続きが
どうであれ、渡来でも企てるよりほかにすべがなかった。
実朝は徹頭徹尾これを心中の奥ふかくにしまいこんだままもらさな
かった。うわべは北条氏とも大江氏とも母政子ともうまくいっている
ようにみせていたのである。ただ、北条氏にとっても母政子にとって
も、大江氏にとっても、すこしく常軌を逸したようにみえたことは間
違いない。幸か不幸か、陳和物の造船術は拙劣で、船は浮ばず実朝の
渡来の計画は頓挫した。この白けきった気持は相当なものだったろう
が、実朝はすぐにべつの吐け口をみつけだした。それは位階の昇進で
ある。北条義時は大江広元にはかって、みだりに官職の昇進をもとむ
べきではないと実朝をいましめた。
頼朝将軍は武門の一分を守って征夷将軍以外の官位を辞退した。し
かるに実朝将軍は、さしたる勲功もなく父祖の跡目にすわり、また若
年なのにしきりに位階の昇進をもとめるのはよろしくない。
武門の統領として征夷将軍の役責だけにつとめ、年をへてのちいかよ
うにも位階の昇進を願うべきだというのが義時や広元の諌言であった。
実朝は、申し条はもっともだが、じぶんでもって原案の正統はとだえ
てしまう。せめて位階の昇進を願うのが家門の最後としてじぶんのな
しうるすべてであるとこたえた。
もともと実朝には俗世的な状は薄かった。それゆえ、やたらに昇進
をもとめたことのなかに、なにも私心がなかったことは確実である。
ただ実朝の心中はかなり複雑であったにちがいない。和田合戦以後、
北条氏の専断はつのり、渡来事件をはじめ実朝がことごとく我意を通
しはじめたとき、すでにそれ相当の覚悟が実朝にはあったはずである。
また、北条義時も、すでは実朝を見捨て、ひそかに暗殺の両第もあっ
たかもしれない。そういうことを見通せないほど実朝は愚かではなか
ったはずである。『吾妻鏡』はこの間の経緯についてなにも記載して
いないが、おそらく北条一族は、原家将軍なしでも武門勢力を統御で
きるだけの抜んでた実力を獲得していたとみることができる。
実朝が位階の昇進をもとめ、律令王権のクモの糸にみずからもとめ
てからめとられていったとき、じつは鎌倉幕府が創生期からもってい
た限界が当然にゆきつくはずのものを〈象徴〉していた。頼朝には律
令王権を打ち倒してしまうという発想はすこしもなかった。ただ武門
の権力を、まったくちがった位相でうちたてたかったのである。そし
てある程度はそれを実現したといってもよい。実朝がつぎつぎに武門
のうち信頼すべき勢力を失ない、渡来によって一切から逃れようとす
る(あるいは宋朝からの威信をとりつけようとする)企ても座礁した
うえは、単独で律令王権の位階制のかにかくれるよりほかにどんな方
法ものこされていなかったとみてよい。この実朝晩年の意図は、文字
通り並びたっていた勢力をつぎつぎに滅亡させて、武門勢力を掌中に
して、武門政権樹立への自信を深くしつつあった北条氏の意図とはか
けはなれてゆくばかりであった。
実朝は律保六年(一二一五年)二月十四日、最後の二所詣でに進発
している。
箱根の山をうち出て見れば波のよる小
島あり。供のものに此うらの名はしる
やとたづねしかば伊豆のうみとなむ申
すと答侍しをききて
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や
沖の小島に波のよるみゆ
あら磯に浪のよるを見てよめる
大海の磯もとゞろによする波
われてくだけて裂けて散るかも
又のとし二所へまゐりたりし時箱根の
みづ海を見てよみ侍る歌
玉くしげ箱根の海はけゝれあれや
二山にかけて何かたゆたふ
同脂下向後、朝にさぶらひども見え
ざりしかばよめる
旅をゆきし跡の宿守をれくに
わたくしあれや今朝はい床だ来ぬ
走湯山参詣の時
わたつ海のなかに向ひて出る湯の
伊豆のお山とむべもいひけり
いずれも実朝の最高の作品といってよい。また真淵のように表面的
に『万葉』調といっても嘘ではないかもしれない。しかし、わたしに
は途方もないニヒリズムの歌とうけとれる。悲しみも哀れも〈心〉を
叙する心もない。ただ眼前の風景を〈事実〉としてうけとり、そこに
そういう光景があり、また、由緒があり、感懐があるから、それを〈
事実〉として詠むだけだというような無感情の貌がみえるようにおも
われる。ことに二所詣の下向後に近習や警備の武士たちのすがたがみ
えないのを「をれくにわたくしあれや」とかんがえる心の動き方は、
眼っているのでもなく、もとめているのでもなく、どこかにくどうで
もよい〉という意識があるものとよみとることができる。こういう
〈心〉を首長がもちうることを推察するには、武門 たちの〈心〉の
うごきはあまりに単純であった。
たぶんこれが実朝のいたりついたじっさいの精神状態である。また、
ある意味では鎌倉幕府の〈制度〉的な帰結でもあった。源泉三代の将
軍職は、実朝まできて、そこに〈将軍職〉があるから将軍がいるので
あって、必要だからいるのでもなく、また不必要にもかかわらずいる
のでもなく、ただ〈事実〉としてそこにいるのだ、ということになっ
てしまったともいえる。
これが、ようやく壮年期に入ろうとするものの心の動きかたとはう
けとりにくいが、あらゆることを〈事実〉としてうけとり、それにた
いして抗ってもならないし、うち込んでもならないし、諦めても捨て
てもならないという境涯にあまりにながく馴染みすぎたのである。こ
れ以外の心の動きかたをしても、行為にでても、すべて危険な死であ
ることは、兄の頼家や宿老たちの末路をみれば、はっきりとわかって
いたはずである。はじめは実朝にとって、歌はじぶんに固有な時間で
あり、その意味で慰安であったにちがいない。しかし、あとでは、た
だ〈心〉としても〈制度〉としても、実朝自身のおかれた状態の不可
避的な象徴となるほかはなかった。もちろん幕府の祭祀の長者として
もしだいに怠惰になっていった。
心の心をよめる
神といひ仏といふも世の中の
人のこころのほかのものかは
無常を
うつゝとも夢ともしらぬ世にしあれば
有りとてありと頼べき身か
人心不常といふ事を
とにかくにあな定めなき世の中や
喜ぶものあればわぶるものあり
道のほとりに幼きわらはの母を尋ねて
いたく泣くを、そのあたりの人に尋し
かば、父母なる身まかりしとこたへ侍
しを聞て
いとほしや見るに涙もとどまらず
親もなき子の母をたづぬる
慈悲の心
物いわぬはぬ四方のけだものすらだにも
なるかな親の子を思ふ
大乗作中道観歌
世中は鏡にうつる影にあれや
あるにもあらずなきにもあらず
得功徳歌
大日の種子よりいでてさまや形
さまやぎやう又尊形となる
歳暮
乳房吸ふまだいとけなきみどり子の
共に泣きぬる年の暮かな
老人憐歳暮
うちわすれはかなくてのみ過し来ぬ
哀と思へ身につもる年
歌が晩年に詠まれたものと、べつに主張しようとはおもわない。こ
の種の歌はなかなか類形がみつけられない。また叙景歌でもなければ
叙情歌でもない。そうかといって物語の語りが附着した叙事歌でもな
い。〈事実を叙するの歌〉とでもいうよりほかないものである。この
ばあい〈事実〉というのは、現実にある事柄とか、現実に行われてい
る事とかいう意味ではない。〈物〉に心を寄せることもしないし<物〉
から心をひきはなすこともしないで、〈物〉と〈心〉とがちょうどそ
のまま出遇っているような位相を意味している。
「心の心をよめる」という題辞は、ある意味では心の臭にあるもの
をうち明けてみれば、ということになる。「神といひ仏といふも世の
中の人のこころのほかのものかは」とおもいだした実朝が、武門たち
のように一族の祭祀や仏事をまともに心から実行したはずがない。ま
た、「人心不常といふ事」は、実朝にとって畠山氏や和田氏の一族の
最後を生々しくおもいおこすことなしに詠みえなかったろう。どうい
うわけか、実朝は、老人や幼児や捨て子たちの境涯に、とても壮年の
こころとはおもえないような関心のしめし方をしている。老人は畠山
氏や和田氏であり、幼児はじぶんを育てた乳母であり、捨て子はじぶ
ん自身のことであったかもしれない。
この中世期最大の詩人のひとりであり、学問と識見とで当代に数す
くない人物の心を訪れているのは、まるで支えのない奈落のうえに、
一枚の布をおいて座っているような境涯への覚醒であったが、すでに
不安というようなものは、追い越してしまっている。
鶴ケ岡八幡宮の別当になっていた頼家の子公暁が、その宮寺に参龍
したまま退出せず、除髪の儀もおこなわず、白河左衛門尉義典を伊勢
神宮に奉幣のため派遣し、そのほかの諸社にも使を立ててなにごとか
祈祷に入ったのは建保六年十二月五日であり、この知らせはすぐに営
中にとどけられ、人々はこれを怪んだ。北条義時が夢告によって建て
た堂寺に、薬師如来像を安置する供養を行ったのはその三日前である、
またこの日は実朝が右大臣に任じられた日であった。
たぶん、実朝には、翌年正月二十七日の右大臣就任の拝賀の日をま
たなくとも、この日にすべてがわかったかもしれない。
承久元年一月二十七日、実朝は鶴ケ岡八幡宮拝賀に出かけるまえ、
饗の毛一筋を抜いて記念のためとて公氏におくって歌をよんだ、
出テイナバ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ョ春ヲワスルナ
南門を出るとき霊鳩がしきりに鳴き囀り、車から下りるとき雄剱を
ついて折ってしまった。
実朝の辞世の歌として『吾妻鏡』や『北条九代記』が記載している
歌は、『新古今泉』の春歌上の部にある式子内親王「ながめつるけふ
は昔になりぬとも軒端の梅はわれをわするな」を換骨して、『吾妻鏡』
の編著者が挿入したものとおもわれる。
(『吾妻鏡』より)
この項了
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【最後の読書録 Ⅵ】
新・国債の真実―99%の日本人がわかっていない
目次
はじめに
1章 まず「これ」を知らなくては始まらない―そもそも「国債」っ
て何だろう?(企業は金を借りて運営する、国も同じ;政府は予算
を立て、「足りない額の国債」を発行する ほか)
2章 世にはびこる国債のエセ知識―その思い込い込みが危ない(何
の知識もなく語っている人が多すぎる;「倹約をよしとする」と「
借金は悪」となる ほか)
3章 国債から見えてくる日本経済「本当の姿」―「バカな経済論」
に惑わされないために(なぜ財務省は「財政破綻する」と騒いでい
るのか?;財務省ロジックに乗っかる人々もいる ほか)
4章 知っているようで知らない「国債」と「税」の話―結局、何を
どうすれば経済は上向くのか(経済を「道徳」で考えると、大きく
見誤る;政府がお金を使うということは、国内にお金を巡らせるこ
と ほか)
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4章 知っているようで知らない「国債」と「税」の話
教育国情は「将来へのツケ回し」ではない
国債は「国の借金」には違いないが、それは同時に「投資」でもあ
る。大事なのは、国債を売って集めたお金を、どう使うかだ。
今の社会のため、未来の利益のためを考えて債うのが、国の責任で
ある。だからこそ、まさに未来投資といえる教育国債は、われながら
いい提案だと思っていた。
そもそも教育の無償化は、民主党政権時代から政策に掲げられてき
たが、財源確保については詰められないままたった。
私は党を問わずに、教育国債がいいと進言してきた。これを受けて、
自民党では、大学など高等教育の無償化の財源として、教育国債を発
行することを検討し、首相直属の「教育再生実行本部」にプロジェク
トチームを設置する流れとなった(2020年に廃止)。
2017年に私が予算委員会の中央公聴会に呼ばれたときにも改めて提
言し、評判もよかったのである。
ところが、国会で教育国債が話題に上ったときに、当時の麻生財務
大臣が「赤字国債と何か違うのか。次世代への先送りになる」として
否定的な姿勢を示したことで、大きく話かすれてしまった。
この麻生大臣の意見は、「教育に投資しても、借金を将来に先送り
するだけだ」ということだ。要するに「教育には投資効果がない」と
いっているも同然ではないか。
教育関係者は怒っていいと思うが、どうだろうか。
いっておくが、教育には投資効果がないというのは誤りである。「
知識に投資することは、つねに最大の利益をもたらす」とは、ベンジ
ャミン・フランクリンの名言だが、データ的にも、教育の投資効果は
証明されている。
教育国債は、もちろん借金である。だが、何度もいうように高等教
育を施せば、そこで得た知識やスキルによって将来の所得増、失業減
が見込まれる。その結果、社会全体でかけた費用に対する便益が 2.4
倍になるとの試算があるのだ。
これは、現在の公共事業採択基準を、軽く上回る。逆にいえば、「
教育には投資効果がない」といってしまっては、すべての公共投資も、
効果がないことになってしまうのである。さらに国際比較でも考えて
みよう。図7は、先進国における高等教育投資の便益とコスト(B/
C)を私的・公的に算出したものだ。OECD(経済協力開発機構)
が公表しているデータの男女別統計を単純に合算して、数値計算した。
「私的B/C」とは、高等教育を受けると所得が高くなるなど、個人
が得るメリットである。一方、「公的B/C」とは、高くなった所得
から得られる税収増など、国が得るメリットだ。ここで図7を見ると
日本だけが、飛び抜けて私的より公的なB/Cが大きくなって いる。
これほど公的なB/Cが大きいのだから、なおのこと日本は公的資金
をどんどん教育に投人すべきなのだ。
すなわち、国債を発行して得た資金を、教育に使えばいいのである。
ちなみに、なぜ日本だけが公的なB/Cが飛び抜けて大きいかとい
えば、単純である。他の先進国に比べて、日本は高等教育における公
的負担が圧倒的に少ないからだ。国を挙げた高等教育の推進で、日本
は大きく後れをとっているともいえる。じつは「基礎研究と教育の財
源は国債」と、財務省ではいい伝えられてきた。財政法では認められ
ていないが、財務省内では長くこのような考え方が受け継がれてきた
のだ。
財務省のコンメンタール(法律に解説を施したもの)である『予算
と財政法』にも、こうある。
「技術の進歩等を通じて後世代がその利益を享受でき、その意味で
無形の資産と観念しうるものについては、後世代に相応の負担を求め
るという観点から公債対象経費とすることについて妥当性があるもの
と考える」
これを教育に当てはめれば、次のような考え方が成り立つ。
基礎研究や教育は、実際に成果が出るまでに時間がかかる。
このように長期的、なおかつ大規模で広範囲に行なう必要のある投
資は、役所が主導すべきだ。
ではその財源はどうするか。
将来に大きく花開き、見返りがあると考えれば、教育への財源は税
金ではなく国債が適切だ、というわけである。つまり、教育費は、財
務省のコンメンタールにもある。「無形資産」形成のためと見なせる
から、国債でまかなうのがふさわしい。
「教育国債は将来のツケになる」といった当時の麻生財務大匝の答
弁は間違っているのだ。
さらに昔の人もいいことをいった。
元首相、大蔵大臣で、リフレ政策の元祖である高橋是清もかつて、
「我邦の如き日清日露の事件に因りまして、所謂不生産的な公債を償
還いたしました。事情に照しまして、或るべく速やかに比の不生産公
債を償還致しますることが必要であります(・・・)生産的公債でありま
すれば、其の事業経営に依りまして自然に元利を償却することとなり
ますので、此種の公債の増加は国の信用に関係することが極めて少な
いと考えます」
と1913年5月の演説で述べている。
生産的な目的で発行される国債であれば将来的に自然と返済されて
いくから、発行額が増えても国の信用は傷つかない(財政負担になら
ない)というわけで、教育国債の考え方にも相通じるものがある。
国債発行で教育費をまかなう。すると、将来世代では教育効果が出て
所得増、失業減となり、納税額がおのずと増える。
その納税によって、国債による先行投資分を返してもらうと考えれ
ばいいのだ。
結局、財務省は「負債が大きいから増税」
といいたいだけ
前章で見たように、「統合政府バランスシート」で考えれば、「日本
の財政は火の車」というのは嘘だとわかる。誰が見ても明らかなこと
なのに、あまり知られていないのは、財務省が「知られたくない」と
思っているからに他ならない。
財務省は、国民の目が「資産」に向くことを恐れているのだ。だか
ら、天下り先ヘの出資金、貸付金は政府の巨額な資産の一部にもかか
わらず、国債の残高ばかりを強調する。ましてや日銀のバランスシー
トを統合した「統合政府バランスシート」で考えるなど、彼らにとっ
ては、もってのほかだ。
財政問題がないということが、一目でわかってしまうからだ。
財務省は、要するに「政府の負債が大きいから増税が必要」といい
たいだけなのである。これが、見解や考え方の相違などではなく、彼
らが天下り先を確保するために、前章で見たように、「統合政府バラ
ンスシート」で考えれば、「日本の財政は火の車」というのは嘘だと
わかる。誰が見ても明らかなことなのに、あまり知られていないのは、
財務省が「知られたくない」と思っているからに他ならない。
財務省は、国民の目が「資産」に向くことを恐れているのだ。だか
ら、天下り先ヘの出資金、貸付金は政府の巨額な資産の一部にもかか
わらず、国債の残高ばかりを強調する。ましてや日銀のバランスシー
トを統合した「統合政府バランスシート」で考えるなど、彼らにとっ
ては、もってのほかだ。
via MMTの懐疑的入門(2)基本的構図を知っておく※
財政問題がないということが、一目でわかってしまうからだ。
財務省は、要するに「政府の負債が大きいから増税が必要」といい
たいだけなのである。これが、見解や考え方の相違などではなく、彼
らが天下り先を確保するために、ひたすら自分たちの権限を保ち、さ
らに増したいがゆえであることは、前に説明したとおりだ。
政府の負債を大きくしたい(見せたい)がために、財務省は通常の
感覚からすると、ちょっと信じられないことまでしている。
政府の予算には、いろいろな勘定科目がある。どんなことにお金を
使うかを、分けておく。これは当たり前である。「国債費」もその一
つだ。国債を発行したことで、政府が払わなくてはいけない費用を計
上してある。これも当たり前のことだ。
ところが、その国旅費の内訳を見ると、おかしなことがわかる。図
8を見てほしい。
だが、ここで今まで話してきたことを思い出してほしい。すべての
借金には返済義務がある。国債も同じだが、国債は金融取引には欠か
せない。だから、民間金融機関にとって、国債はつねにたくさんもっ
ておきたい債券であり、国債の償還と同時にまた新たに国債を買うと
説明した。
だから、償還はあまり気にする必要がない、という話だっただろう。
要するに、「国債を償還するお金をプールしておくための予算」など
そもそも計上する必要がないのである。
ちなみに、国債を償還するための基金とは、「減債基金」という。
私は在省時代に、この管理を担当していたこともある。
減債基金に毎年繰り入れるのは、国債残高のI・6%と決められて
いる。なぜ1・6%かというと、60分のI、つまり、60年で償還する
という「60年ルール」があるからだ。
こうして、「減債基金」、「60年償還ルール」というと、その権威
にひれ伏す人はその存在を疑わない。
しかし、先進国では「減債基金」は今や存在していない。「減債基
金」が存在しないので、もちろん「60年償還ルール」もない。そして、
「減債基金」がなくても先進国ではまったく困っていない。目本だけ
が例外としてあるのだが、その理由は国債償還のためでなく、次に述
べるように、予算のカサ増しのために他ならない。
国債費の内訳には、「利払い費等」もある。国偵を発行することで必
ず生じる利子の支払いが計上されているのだ。これは必要な勘定科目
といえるが、ずいぶん余計に積んである。おそらく、国債発行額の1
~1・5%で計算してある。しかし実際には、O・I%程度で事足り
るくらいなのである。
これも前に説明したように、日銀からの国庫納付金(日銀に入る国
債の利子収入を国に納めるもの)と政府資産の利子収入で、大部分か
まかなえてしまうからだ。
このように、財務省は予算を積み増して、「ほら、今年もこんなに
お金が必要で、政府は借金まみれになるんですよ」といっている。
しかし実際には「債務償還費」と「利払い費等」を合わせた23・6
兆円のうち、およそ10兆円は、計上する必要すらないのだ。
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※高橋洋一vs.田中秀明「統合政府論」バトルを投資家視点で見ると
ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト 2016.12.6
※コモドンの空飛ぶ書斎 | ゆっくり考え、じっくり味わう、東谷暁
のサイト
【参考】
この項つづく
木材由来の透明な高強度・耐火板材
図1. (a) CNFのみからなる透明板材. (b) 厚いCNF板材. (C) 曲げ
・ねじり構造
2月20日、東京大学,海洋研究開発機構,東レリサーチセンタは,木材
由来のセルロースナノファイバー(CNF)から,透明かつ高強度の板状
材料を開発した。材料科学において、高い耐荷重性を有する透明な構
造材料の開発が課題となっている。コンクリートや金属など一般的な
建築物や輸送機の構造部材は光の散乱あるいは吸収により不透明であ
り,建築物や輸送機器の構造設計を制約。また、また,ガラスや透明
プラスチックは採光性の面材として使用されるが,力学強度が低く,
構造材料としては適用されない。したがって,透明かつ高強度の構造
材料が開発できれば,建築物の採光性や輸送機器の視認性を高める,
新たな構造設計の実現に繋がる。
【要点】
1.木材由来のセルロースナノファイバー(CNF)のみからなる、透明な
新規板材を開発した。
2.得られた透明なCNF板材は、高強度と自己消火性を兼ね備えていた。
3.木材由来の「透明な構造材料」としての活用が期待でき、建築物
や輸送機の採光性・視認性の向上に繋がる、新たな構造設計を実現
できる。
【新規性:オールCNF/自己接着力の応用】
CNF薄膜を多重に積層して接着し、厚みのある板状CNF材料を形成する
ことに取り組み、CNFシートが、CNF自身の自己接着力だけで高強度を
示すことに着目し、シート間の接着には、シート性能の低下を招いて
しまう既存の合成接着剤ではなく、CNF自身の自己接着性を活用する。
すなわち、得られた積層体はオールCNF材料。
本プロセスによって、1mm厚の透明CNF板材を作製することに成功した
(図1a)。積層数を増やすと更に厚いプレートが作製でき、成形して曲
げ・ねじり構造も形成できます(図1b,c)。CNF板材の強度は、アルミニ
ウム合金やガラス繊維強化プラスチックなどの軽量構造材料と同等で
あり、CNF板材はさらに軽量(図2a)。また、この板材を強力なバーナー
の炎に30秒間さらしても、板材に穴は開かず、瞬時に自己消火する(
図2b, c)。加えて、CNF板材は面方向と厚み方向で異なる熱伝導性を
示し、面方向はガラスより高伝熱性で、厚み方向はガラスよりも低伝
熱性である。さらに、CNF材料の共通課題である吸水性に対し、CNFの
表面化学構造を制御すれば、劇的に低減できることも実証。
図2. (a) CNF板材と他材料の強度と密度の比較. (b) CNF板材への30秒
間の火炎噴射. (c) 自己消火した後の板表面 (左) と裏面 (右).
【展望及脚注】
詳細は検討していないが、製造方法廉価に大量生産できそうであり実
用化も速そうである。これはネオコンバーテックと新規素材の革命渦
の1つである。注目!
画像:LGディスプレイ
従来パネルの構造(左)では迷光によって光の取り出しが少ない。
METAパネル(右)は光を前方に押し出す。
世界のほとんどの有機ELテレビメーカーは韓国LG Display(LGディス
プレイ)の白色有機EL†パネルを採用していた。その状況が2022年に
変わる。韓国Samsung Display(サムスンディスプレイ)が発表したL
G対抗の有機ELパネル「QD-OLED」を韓国Samsung Electronics(サム
スン電子)、ソニー、米DELL(デル)が採用。2023年の有機ELパネル
は「META Technology」と呼ぶ技術によって第3世代になった。画質改
善の観点からは第2弾となる。OLED.EXで得た技術レベルに加え、新し
く「迷光」を徹底的に追放することに挑戦した。OLED.EXまでは有機E
Lレイヤーにて発光した光の利用効率が悪かった。同レイヤーでは180
度、すなわち上方に発光するのだが、上層との間で反射が発生し、本
来ならまっすぐ上方に行くべき光が散乱し開口率が低下する。
図 フォトリソグラフィー工程でマイクロレンズアレイを製造
そこで、レンズの力を借り、不要な迷光を発生させず、光を前方に押
し出す仕組みを採用した。フォトリソグラフィーで形成されたマイク
ロメートルサイズの凸レンズの層「マイクロレンズアレイ」を有機EL
発光層の上にかぶせ、光を強制的に前方に押し出す。レンズの数は77
インチ(4K)の場合で1画素当たり5117個、合計で約424億個。効果は
てきめん。最大の収穫が輝度向上に。2022年のOLED.EXパネルのピーク
輝度1300nitsに対して、2023年のMETAパネルでは約60%向上の2100nist
を実現。視野角も改善した。もともと自発光デバイスは液晶よりは
るかに広い視野角を持つが、複数のレイヤーでの奥深い発光部からの
光を斜めから見ると、距離の問題から輝度と色の変化は避けられない。
METAパネルではトンボの目が数万個の凸レンズを通して広い世界を見
るように、マイクロレンズアレイ効果により、視野角はOLED.EXより
約30%拡張する。
2023年、パネル価格はテレビ、IT系ともに上昇へ:Omdia予測
同社によると、テレビ(液晶+有機EL)の出荷数は2017-2018年ころをピ
ークに、近年は減少傾向にあるという。コロナ禍で巣ごもり需要旺盛
とされていた2020年、2021年であっても出荷数自体は減少傾向にあっ
た。そのため、テレビ市場を下支えしていたのはパネルサイズの大型
化で、同社の計算では4-5年ごとに4000万m2ほど増加してきたという。
そのため、2022年はパネル面積の総量はマイナス成長となるものの、
買い替えサイクルから予測すると、第10.5世代(G10.5)のパネル価格
も下がってきているため50型以上を中心に伸びることが期待され、20
24年には総量としては2億m2に到達することが期待できると予想する。
風蕭々と碧い時代
Jhon Lennon Imagine
Albert Collins Ice Picking-
● 今夜の寸評:(いまを一声に託す)困難の道を行く
掟破りのウクライナ体制的自爆侵攻があり、それを間接的に支援する
プロパガンダ専国(旧一国社会主義国)プラス開発独裁国連合と群立
憲自由主義国家による世界大戦三次大戦前夜模様があり、ゼロカーボ
ン・デジタル革命渦ど真ん中で人為的異常気象・地殻変動渦、人口・
難民増大にパンデミックが輪を掛けた混沌状態が顕在進行中である。
と思いつつ、今夜は珍しく「再生エネ」ネタなし日記となった。^^;
"どうする人類 ?"....(あなたならどうする!?)
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苦難の道行く
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