彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救ったと伝えら
れる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。(戦国時代の軍団編成
の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編のこと)の兜(かぶと)を合体さ
せたせて生まれたキャラクタ。
2024.1.1 能登半島地震とは
能登半島地震は、2024年1月1日16時10分(JST)に、 日本の石川県能登半島にあ
る 鳳珠郡穴水町の北東 42kmを震央として発生した地震。地震の規模は、気象庁
マグニチュード(Mj)7.6、震源の深さは16 km(いずれも暫定値)]。観測された
最大震度は、石川県羽咋郡志賀町で観測された震度7で、震度7を記録した地震の
発生は2018年の北海道胆振東部地震以来、7回目。また気象庁によれば、この地
震 は石川県能登地方で観測した地震としては、記録が残る1885年以降で最大規
模。 地震発生を受け、気象庁は石川県能登に大津波警報を、日本海各地の沿岸
にも津 波警報・注意報を発表した。大津波警報の発表は、2011年3月11日に発生
した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災を引き起こした巨大地震)以来で、石
川県輪島市の輪島港では最大1.2m以上の津波が観測された。同日、気象庁はこの
地震並び に2020年12月以降の一連の地震活動を「令和6年能登半島地震」と命名
地震災害に対して気象庁が命名を行うのは、2018年9月の北海道胆振東部地震以
来。地元紙の『北國新聞』では1.1大震災、能登大地震、石川大震災という名称
も用いられた。 via jp.Wikipedia
2024.1.2 日本航空516便衝突炎上事故とは
2024年1月2日、日本の東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)で着陸した日
本航空516便が海上保安庁の航空機と滑走路上で衝突・炎上した航空事故である。
516便には乗客367人と乗員12人の合わせて379人が搭乗しており、乗客14人が負
傷しながらも全員が脱出した。海保機には6人が搭乗しており5人が死亡、機長が
重傷を負った。
事故機
1.日本航空516便
事故機のJA13XJは日本航空(以下JAL)にとって13機目のA350-900であり、2021
年11月18日に運用を開始した。本事故はエアバスA350における世界初の機体全損
事故であり、JAL所属の機体が起こした全損事故では1985年8月12日のJAL123便墜
落事故以来となる。この便は社内規定に基づく副操縦士の訓練を兼ねており、機
長と副操縦士に加えてセーフティパイロットの副操縦士が乗務していた。
2.海上保安庁所属みずなぎ1号
機長は総飛行時間3641時間のベテランで2017年2月に機長となってから
1149時間余りの経験があった。前日(1日)には中国公船警戒のため別
の機体で沖ノ鳥島周辺まで7時間の飛行を行っていたが、ある海保幹部は
直前の勤務状況は過酷ではなく健康状態に問題はなかったとしている。
事故機のJA722A「みずなぎ1号」は、事故前24時間において。前日に発生
した令和6年能登半島地震の対応のため2回飛行していた。事故時は被災
地向けの物資を中継場所となる新潟航空基地へ搬送する途上であった。
当初の報道では「海上保安庁の固定翼機(MA722)」として言及されてい
た。また、機種名として「ボンバルディアDHC8-300」とする報道機関も
ある。当機は2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大
震災)による津波で仙台空港にて被災し、修復されて約1年後の2012年
3月29日に復帰した。仙台空港で被災した航空機では唯一復帰した機体で
あった。なお、当機には、ADS-Bは非搭載であった。
事故原因
事故原因は現在も調査中だが、以下のことが判明している。海上保安庁
側の機長によれば離陸の許可を得た上で滑走路に進入したとのことであ
るが、事故翌日に公表された両機と管制塔との交信記録によれば、事故
前に海上保安庁側に滑走路に入る直前の停止位置までの進行指示が発出
され、海上保安庁側も復唱していたものの、滑走路への進入許可は発出
されていなかったという。
JAL機はこの際海保機を視認できておらず、海保機が停止位置を誤ったか
「ナンバー1」というJAL機着陸後の離陸順の指示を離陸の許可を得たも
のと勘違いした可能性がある。一方、JAL機は17時43分に滑走路への進入
指示を受けていた。その後、着陸許可も出された。(後略)
via jp.Wikipedia
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