彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦
国時代の軍団編成の一種、あらゆる武具を朱りにした部隊編成のこと
)と兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ-。ひこにゃんの
お誕生日は、2006年4月13日。
かりん叢書
塗中騒騒 - 歌集
【季語と短歌:7月16日】
どんみりと樗や雨の花曇り 芭蕉
【今日の短歌研究⑧】
「激動する短歌----歴史から未来へ」(現代歌人協会主催)
「コモンズと短歌③」 阪井修一
近代:欧化 エゴの表出天皇制の復活 海外進出と戦争 利活
用される自然
近代になって明治になると、西洋の色んな文化が入ってきます。西洋
の文化というとキリスト数的な宗数性がありますが、日本はここから
「われ」の文化が強くなるんですね。正岡子規もそうだし、与謝野鉄
幹は典型的ですよね。
細かいところは略しまして、ある程度熟してきたところの話をして
いきましょう。
いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ
『一握の砂』石川啄木
『一握の砂』は明治の終わり頃に出た歌集です。啄木の歌は、人生の
落伍者の歌、近代青年の失意の歌として見られがちですが、彼自身は
すごく知的な人です。近代青年の失意といったテーマ性はあるのです
が、だからといって「砂」というものに、『万葉集』などに表れる呪
的・霊的なものを見ているわけではないんですね。ある種の自分の象
徴的なものをそこに見てはいるけれど、あくまでも象徴であって、霊
と交しているわけではない。
そういう文化システムの差があって、やっぱり明治・大正時代にな
ると科学的な自然感とかを見なきゃいけないし、「われ」というもの
の位置付けが少し西洋に寄って行くし……という、そういう社会、そ
ういう文学になっていくわけですね。しかしながら、日本の近代は、
西洋に比べるといささか未熟な社会でありました。 そんなこんなの失望が、啄木の歌には表れているのではないかと思
います。ただ自分が情けないのではなくて、日本が情けない。そうい
う表現がなされていると読むことができる。 次は斎藤茂吉です。茂吉のすごいところは、日本的なアニミズムの
世界と近代的なものを、余人には得られないような描き方で言葉にし
ているところでしょうか。
草づたふ朝の螢よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ
『あらたま』斎藤茂吉
西洋風のエゴと、日本古来のアニミズムとがあって、螢になにか
を仮託するような感じです。
茂吉は、螢との関係というものを、直観的に深められる人なんです
よね。繋がりが無意識化にあるというのかな、そういうところで一瞬
で繋げられる感じ。
〈あま霧し雪ふる見れば飯をくふ囚人のこころわれに湧きたり〉
(『赤光』)という歌もあります。茂吉は精神科医として刑務所など
にも出入りしていたんですが、その「飯をくふ囚人のこころ」が自分
のものとして意識されるという。我々からはややもすると短絡的に見
えるところが、茂吉の場合は説得力を持つ。
西洋と日本の両方の感覚を持ちながら生きているということが当時
の近代の日本人の典型としてあり、それを表現できたという点で茂吉
はこの時代を代表する歌人として近代日本のコモンズというものを深
く象徴している人物だったと言えるでしょう。
戦後:民主化資本主義平和技術社会 搾取される自然と人間
さて、戦後に入り、塚本邦雄が出てきます。
五月来る硝子のかなだ森閑と嬰児みなころされたるみどり 『緑色研究』塚本邦雄
この歌の読みは予備知識の有無で変わってくるかなと思いますが、
なくても読めますね。硝子の窓かなにかを見ている。春に盛んになっ
てくる「みどり」を見ている。現実の風景としてはそれだけの描写な
のに「森閑と嬰児みなころされたる」という独特な言い方で、何事か
を伝えようとしているわけですね。何も知らなくても、昔そういう嬰
児虐殺があり、いま私はそれを思い返しているのだということは伝わ
るかと思います。
これは新約聖書のヘロデ王による幼児虐殺が下敷きになっています。
キリストの誕生を伝え聞いたヘロデ王が、その存在を恐れるあまり、
近年に生まれた国中の赤ん坊を金具殺せという命令を出したというお
話。それでベツレヘム中の子どもが殺されてしまうわけですが、ヨセ
フとマリアはキリストを連れてエジプトヘ行き難を逃れ、キリストは
生き延びることができました。そういう伝説です。
史実としては何も証明されていないらしく、実際にはなかったんじ
ゃないかと言われていますが、ともかく新約聖書には書かれています。
ここで問題なのは、近代の短歌というのは多くが「私」の歌であっ
たということです。戦争があって、親兄弟が死んでしまったことやそ
の悲しみを歌ったりしていました。
なのに、塚本邦雄の場合は、自分のことなんか何も詠ってないんで
すね。問題は「私」ではなく世界の在り方なのだ、という。現代短歌
の、特に前衛短歌の時代にはそういうふうに、コモンズとして「世界」
全体があるわけです。平和とかですね、そういうものに関わること、
国際情勢とかですね。それらが自分たちに直接関わることなのだとい
う認識があるんです。
塚本のこの歌は、新約聖書の話ですから二千年以上前のことを詠っ
ているんですが、それだけでなくて、予感や予言のようなものとして
も取れるわけです。この歌の初出は昭和三〇年くらいですので、今か
らだいたい七〇年前ですね。この頃の世界はまだそれほど不穏ではな
かったのかもしれません
次の歌は馬場あき子です。
秋の日の水族館の幽明に悪党のごとき騰を愛す 『阿古父』馬場あき子
年齢を重ねてからの歌です。馬場は私にとって母のような人なんで
すが、本当に悪党が好きなんですね。『鬼の研究』というのもそうい
う評論集です。
ここで言う「悪党」は、まずは文字通りの意味で取ってよいかと思
います。騰の醜悪さが、逆にとこか別種の美に変わるような、そうい
う面白さがあります。
さて、悪党というのは元々は、中世において支配階級に逆らって色
んな悪いことをした連中のことを言うんですね。そういう反体制的な
ものについての同情というのが、馬場の中には連綿とあって、[悪党
のごとき」という直喩を使って、言ってみれば人間らしいものの極致
はこういうものなのだと表現したわけです。
この時代のコモンズもここに表れていて、普通の人というけど、い
まとなってみれば、アフガニスタンやガザで実際によりは「騰」、
「悪党」に心を寄せるというところですね。
ジェノサイドが行われてしまうという現実が訪れていて、戦争を知る
塚本には当時からなにか予見されるものがあったのかもしれず、予言
の歌としての強さもあると言えるのではないかと思います。
ほかにも「嬰児」以降すべてひらがなに開いている表記面や、濁音
の使い方や下の句の句跨りといった音顔面に技法の凝らされた、非常
に塚本らしい一首です。
この歌は非常に馬場らしい歌です。四十代、五十代の頃は鬼という
ものを、人に見える動きというような視点から、かなりドラマチック
に描いていました。〈われのおにおとろえはててかなしけれおんなと
なりていとをつむげり〉(『飛花抄』)というような詠い方をしてい
たんですけど、それから二十年ほど経て、「騰」のようなものを少し
遠い比喩として訴えながら、日本人が無意識に持っているコモンズに
より近こういう想像の世界が、現代のコモンズのひとつを表している
のかもしれないですね。
習近平、ウラジーミル・プーチンありありと雲のごとくに
顔変はりたり
「かりん」二〇二二・六 米川千嘉子
この二人の政治家が、若いころと今と比べてどういう風に顔が変わ
ったかというと「雲のごとくに顔変はりたり」と言っているんですね。
おそらくそれは、二人が若い頃の世界にあった民主主義義とか憲法
とか自由と平等といった基本的な理念を、彼らが変えていってしまっ
たということによって、顔も醜くなっていったということなんでしょ
う。
二十世紀後半とは、馬場や塚本がああいう歌を詠っていた時代とい
うのは、実はとても良い時代だったんですね。本当に夢のような時代
です。
二十一世紀には持続性というものが失われていく時代で、滅びへ近
づいていく時代でしょう。ビッグブラザーや野蛮化といったものが現
実になってくる。夢の時代は終わったんだよ、と意識されている。
終わりに 今日お話ししたように、歌のコモンズは、基本的には呪術の世界か
ら西洋的リアルの世界へ移行していきました。しかしそれでも、物語
を描く力やアニミズムの考え方は消えずに持続したわけです。
短歌も、柿本人麻呂の歌から、先はどの鈴木加成太さんの歌まで、
ああいう歌が作られるということに、とても高度な文化があります。
全体の物語としてはあまり一神数的でないというか、ひとつに絞り込
まないことで形成される文化です。
今我々が考える歌のコモンズというのは、世の中を全部変えるとい
うのは難しいでしょうけど、そういうものの梃子として機能しうるの
ではないかなと思います。あんまり功利的に考えてはいけないのです
が、歌人ももっと自己主張していこうということかもしれない。
そういう話で、今日は終わろうと思います。どうもありがとうござ
いました。
※ 阪井修一:1958年愛媛県松山市生まれ。「かりん」編集人。現代歌
人協会副理事長。東京大学副学長・附属図書館長・未来ビジEン研究
センター特任教授。歌集に『望楼の春』(迢空賞)、『亀のピカソ』
(小野市詩歌文学賞)など多数。最新歌集は『塗中騒騒』。
(二〇二四年三月一〇日、奈良ホテル宴会場にて)
❏ “半導体増感”素子で熱を電力に
7月11日、東京工業大学発のスタートアップであるelleThermo(エレサ
ーモ)は「半導体増感型熱利用発電素子(Semiconductor-sensitized
Thermal Cell:STC)」を用いて、メキシコのナイカ鉱山†の坑内で、
セ氏42度の地熱を基に発電し、リチウムイオン電池(LIB)を充電す
に成功。
※残件扱い。❏ 世界半導体製造装置売上高、2024年は過去最高SEMIは、世界半導体製造装置(新品)の2024年央市場予測を発表。
2024年は前年比3.4%増の1090億米ドルに達し、過去最高の規模とな
る見通し。2025年も市場は続伸し、売上高は1280億米ドルと予測
❏ 不揮発メモリ機能発現に重要な役割を果たす酸素空孔日本原子力研究開発機構(JAEA)と物質・材料研究機構(NIMS)の研
究グループは、次世代不揮発メモリ材料として注目されているアモル
ファスアルミ酸化物(AlOx)について、不揮発メモリ機能の発現と構
造の関係性を明らかに。
❏ 赤外分光でダングリングOHの光吸収効率解明
東京大学の研究グループは,赤外多角入射分解分光法という新規赤外
分光法を用いて,20Kという低温な氷表面におけるダングリングOHの
光吸収効率を明らかにした。
❏ 構造色を示すフォトニック材料の開発
❏ 超薄膜型白金水素センサ」の令和6年度Go-Tech事業に2050年のカーボンニュートラルに向け水素利活用が進められおり、
安全で低コスト・低電力な水素センサが要望されている。加熱を必要
としない世界初の超薄膜白金による常温・超低電力水素検知技術を基
に、-40~100℃の自動車環境下においても高い性能、信頼性を
実現するデバイス構造、防水技術、環境温度補償技術を開発し、10
年以上使用可能な高い信頼性と、水素社会に向けた安全・安心を実現
する。【流行音楽ナウ:YOWASOBI 群青】
● 今夜の寸評:遅れてばっか。それでも前向きだよ、僕は!