あなたが大もうけし、私が稼げないのは不公平だ。
レオス元国際サッカー連盟理事
有料か無料かが議論されている琵琶湖大橋※をめぐり、県市長会は有料継続を求める意見書を県
と県議会に提出する。大津市内で5月27日あった臨時会で決めた。意見書では、無料化すれば
年間3億5千万円の維持管理費が必要になると指摘。県全体の道路財源を圧迫し、県内道路網の
課題解決にならないと主張する。橋周辺の渋滞解消のための四車線化も必要だとしている。
1964年開通の琵琶湖大橋は通行料による収益で建設費用を償還できる状態。償還を終えた有
料道路は無料化するのが原則だが、管理者の県は維持管理費用の捻出方法などについて有識者に
も意見を求めて対応を検討している。三日月大造知事は県議会6月定例会議初日の同月24日に
方針を示すと表明しているという(「中日新聞」 2015.05.28)。
※ 滋賀県の湖東と湖西を連絡し、県政の均衡のとれた発展と琵琶湖観光の開発を図るため建設
され、昭和39年9月に開通。開通以来産業経済、観光発展に大きな役割を果たし、滋賀県を代表
する有料道路。1981年3月に大橋の自転車歩行者道の添加、その後の交通量増加に対応するため、
大橋の四車線拡幅事業を行い1994年7月に供用され、琵琶湖大橋有料道路として滋賀県道路公社
が管理している。
ところが、県市長会の意見書には、無料化による便益性や県内の経済的寄与性(=経済成長性)につい
ての独自評価については触れられていないことがきになぅた。そこで、よせばいいのに、「第4回道路事
業の評価手法に関する検討委員会 資料 費用便益分析マニュアル(案)[見え消し版] 2008.
11.25)など関連資料などを目を通してみた(上/下図参照)。これにより、便益性の計量法の
基本的な考え方が理解できたが、琵琶湖大橋の無料化による、周辺の道路利用県民の便益の計
量ができるとしても、運輸業、観光業、商業、サービス業などへの波及効果予測を行うことで、
総合的な予測が必要になる。そのことで、滋賀県の「便益費+経済寄与費」が管理維持費が上回
われば無料化は達成されるから、3年間程度の実績データの結果を待って、無料化の継続の有無
の結論をだせば良いのではと考えた。
「便益費+経済寄与費」>「維持管理費」
しかし、(1)予測試算段階でが右辺の管理維持費が上回る場合、県民の理解が得られるかどう
か不明であり、(2)仮に左辺の経済的寄与費が上回る場合でも、その算定方法(試算対象範囲
や測定要素感度)の不明さが依然として残る。つまり、今夜のところは「理解の筋道」を立てて
みたというわけで、その精神は、あくまでも公正に緻密に計量したいということ、決して、「維
持管理費=有料化」先にありきでないということに尽きる。
「古賀の乱ってなんだ "I am not ABE " 」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』
目 次
序 章 福島原発事故の裏で
第1章 暗転した官僚人生
第2章 公務員制度改革の大逆流
第3章 霞が関の過ちを知った出張
第4章 役人たちが暴走する仕組み
第5章 民主党政権が躓いた場所
第6章 政治主導を実現する三つの組織
第7章 役人―その困った生態
第8章 官僚の政策が壊す日本
終 章 起死回生の策
第3章 霞が関の過ちを知った出張
削られた報告書三ページの中身
若い官僚は感度もまだ鋭敏で視野も広い。ところが、時とともにアンテナは錆びつき、削
界が狭くなる。そして霞か関で20年も過ごせば、感性はほとんど劣化し、麻痺状態になる。
いささか誇張していえば、霞が関のベテラン官僚が見ているのは、せいぜい半径1キロメ
ートルである。官僚がもっとも気になるのは「霞が関村」の掟だ。よく批判されるように、
「霞が関村」では省利省益最優先。先輩のやった政策は、たとえ疑問があっても非難はタブ
ーといった不文律ができあがっている
福島原発でも、実は津波に備えて、非常用のディーゼル発電機を原子炉浬屋内に置くべき
いう問題意識はあったようだ。しかし、これを実行すれば、先輩は安全を十分に配慮してい
なかったことになる。そのため、原子力安全・保安院の官僚はもとより、官僚よりも官僚的
といわれる東電マンは、なんの対策も打たなかったのだ。
もし、この掟を破れば、村から追放されるか、もしくは村八分の憂き目に遭うか、それが
分かっている官僚は、村の掟から逸脱しないよう、細心の注意を払う。
これは官僚個人の資質とは別の問題である。現在の官僚機構のシステムでは「霞が関村」
の掟に逆らうと生き残れない仕組みになっているのだ。
どれほど内向きの論理が色濃く霞が関を覆っているか-私の長期出張の圖末をお話しすれ
ば、理解していただけるのではないか。
出張を終えた私か急いで報告書にまとめて提出すると、すぐに官房長から電話があった。
官房長と私は同期の間柄で、忌憚なく話せる関係である。彼は私が電話に出ると、要領を得
ない挨拶をしてから軽い調子で、こういった。
「この報告書ちょっと書き換えてくれないかなあ」
理由を間うと、「中小企業庁に回したいんだけど、これじやあ、ちょっとねえ』という。
官房長が問題にしたのは、報告潜の最後の3ページである。ここに私は「所感」と題して、
出張で感じたことを率直に記した。そのなかには、「国の機関が中小企業政策を挺うことの
限界」「中小企業政策は予算と権限ごと県に移管することが効率的だ」「弱者保護の対策は
直ちにやめて労働移動の円滑化対策だけに絞るべき」「モデル事業的なものは全廃して、ベ
ンチャー支援の睨鯛とミドルリスクミドルリターンの企業金融だけに絞ることにしてはどう
か」「淘汰を促進するという明確な意思を持った政策に転換していくことが必要』といった
提言を盛り込んだ。
そう、官房長は、中小企業庁は要らないと取られるような報告激は中小企業庁にはとても
回せないというのだ。
「でも、中小企嬰庁の職員のなかにも僕と同じ意見を持っている人はたくさんいるよ。書き
換えると、出張した意味がなくなる。そもそも、他の職員にはない目で調査して報告しろと
いったのは君だろう」
と答えると、官房長は反論できないと思ったのだろう、急に「中身の問題というより、君
のことを考えただけなんだけどね」と言い訳して、「分かった。じやあ、これは官房だけで
保管して、中小企業庁などには回さないようにする」という。
やはり、私の少々過激な所感か公式文壽として残るのはまずいと思ったのだろう。「最後
の2ページは報告じやないよな」と食い下がる。’いや、一体のものとして出したのだから
報告だよ」と応じながら、私の頭には、要するになんのための山張だったんだという思いと、
もうどうでもいいやという思いがよぎる。
これ以上話をしても時間の無駄だと思って、「僕は、官房長と次官に報告書を出した。そ
れをそっちでどう扱うかは僕の問題じやないけどね」と投げかけると、「そうだな,これは
官房への報告だけど、われわれ限りということにするから.そもそもこれは君の感想だから
ね」といって電話は切れた。
後に国会から私の出張報告書の提出要求を受けた経産省は、結局、問題の3ページの存
在を隠蔽するため目次に細工を施し、最後の3ページを削除して捉出した。これが、後に報
告書の改竄として、河野太郎議員や世耕弘成議員らによって取り上げられろことになる。
この官房長が極めつきの守旧派というわけではない。むしろ、どちらかといえば開明激とい
ってもいいだろう。人間的にも明るく温厚なほうだ。しかし、省庁で幹部まで上がる官僚た
ちは、良かれと思ってこうした行動に出てしまう。決しておかしなことだとは思わない。む
しろこれが普通の感覚なのだ。
だから、私のような者でさえ、彼らと話していると、どうも自分のほうがおかしいのかな
という錯覚に陥りそうになる。それくらい、霞が関の幹部クラス全体が、こと省益の保護と
いうことになると、金太郎飴のごとく奇麗に考えが揃っているのである。誰と話しても答え
は同じだ。そのなかに入った名は、自らの価値基準のほうかおかしいと思わされてしまうほ
どに・・・・・・。
後日、河野太郎議員のブログでこの問題を知った友人が私に尋ねた。『経産省の官房長と
か次官ってキャリアなんだよな?」と。その後、こんなやり取りが続いた。「そうだよ。一
番優秀ということでそのポストに就くんだ」「東大出てるのか」「そうだよ」「それで、な
んでそんなことするんだ?誰がどう見ても報告書だって分かるだろ?それを勝手に隠したら
問題になるに決まってるよな。俺より常識ないんじやないの。そんな奴らが経産省のトップ
にいるのか?ぶったまげたなあ一と、とどまろところを知らない。ひとしきりその話題が続
いた。
私は、「やはり国民から見ればそういうことだよな」と、なんとなくほっとした。
官房長官の逆鱗に触れた発言
さて、ここで第一章冒頭の2010年10月15日、参議院f算委員会の舞台に戻る。
あの長期出張で、前口から四国を訪れていた私は、その日の朝、急速、吸収を命じられた。
参議院予算委員会で小野次郎議員が出席を求めているというのだ。その目の訪問先の企業に
向かう車中で指示を受けた私は、そのまま空港へ直行することになった。何の準備もないま
ま国会に向かう。
衆議院の予算委員会では、その前年に民主党の松本則明議員の質問に答弁した経験があっ
たが、参議院の予算委員会は初めてだった。予算委員会は数ある国会の委員会のなかでもも
っとも格が高く、予算審議などで技術的な質問があれば局長板の官僚が答弁に茫つこともあ
るか普通は答弁の大半は人臣が行う。そこに、局長でもない私か呼ばれること自体か異例た
った。
しかも、払は特に仕事のない、ただのぶB房付」の身分だ。ますます異例だ。
議場に入ると役入用の控えの席に座る。なんとなく他の官僚たちの冷たい視線が気になる。
針のむしろというのはこういうものか。席で質問を待ちながら、私は迷っていた。どこまで
思つていることを話せばいいのか、と。国会で公式に発一Jするとなると、影響は大きい。
不用意な発言はできないな、と躊躇する気持ちもあった。
しかし、質問にたったみんなの党の小野次郎議員が「天下り根絶というスローガンが骨抜
きになっている」して、仏の考えを述べるよう促されると、それまでの迷いが嘘のように消
え、いつも考えている持論を、次々と正直に話していた。
「天下りがいけないという理由は二つある。天下りによってそのポストを維持する、それ
によって大きな無駄か生まれる、無駄な予算がどんどん作られる、あるいは維持されるとい
う問題が一つ」
「もう一つは、民間企業などを含めてそういうところと癒着が生じる。そして、たとえばそ
の企業あるいは業界を守るための規制は変えられないというようなことが起こる。ひどい場
合は、官製談合のような法律に違反する問題さえ見えてくる。
「一部に退職金を3回取るのが問題だという話もあるが、それは本質的な問題ではなくて、
重要なのは、無駄な予算が山のようにできあがる、あるいは癒着がどんどんできる、これが
問題なのだ」
「この点は民主党も非常に強く批判していた。それによって天下り規制の事実上の緩和のよ
うな措置は実施できず止まっていたものか、今回、『退職管理基本方針』で決定した現役出
向や民間派遣のような形で堰を切ったように実施されている」
「現役で出ていけば問題ないというのは非常に不思議なロジックだ。無駄が生まれる、ある
いは維持される、それから不透明な癒着ができるということは、公務員の身分を維持して出
ていってもまったく同じことが起きる可能性があるので、その点か非常に問題だ」と、こん
な趣旨のことを答えた。
予算委員会では答弁席から見て、右手に閣僚が、左手には民主党議員が居並ぶで反応が気
になったので、喋りながらも、議員の方々の様子をみているろ、みな真剣に耳を傾けてくだ
さっている。それどころか、野党だけでなく、大きく頷いている民紅党議員も少なからず目
に入った。
民主党の議員の方々のなかにも私の考えを理解してくれる人は大勢いるんだな、と心強く
感じ、答弁はより滑らかになった。
小野議員の質問が尖閣諸島の問題に移り、私への質問は終わった。その時点では、「ああ、
やっと終わった」と、ただただほっとしただけである。ところが、尖閣諸島問題の答弁にな
った仙谷官房長官の最初の一言で私の体は硬直した.「私には質問はいただいておりません
けれど」という前置きの後、第一章冒頭の発電が飛び出したのだ。
もちろん、渦中の私の心中は穏やかではない。仙谷長官の批判は直接的には、私ではなく、
私を招致した小野議員に向けられている。しかし、小野議員の行動か原因で、なぜ私の将来
に傷かつくのか。
「彼の将来を傷つける」、そう長官がいったのは、官僚である私が政権の政策批判を展開し
たからだ。仮に、私が政権を擁護する発言をしていたら、あの油谷長官の発言は出なかった
はずだ。つまり小野議員への批判を借りて、私が政権批判した発言を非難し、私を脅したの
だと考えるしかなかった。
仙谷長官は当時、「陰の総理」と呼ばれる実力者となっていた。彼のぎ凱に触れた仏にど
のような仕打ちが待っているか、想像しただけでもゾッとした。その感覚は、帰宅しても消
えず、いまも時として、あのときの国会でのやり取りが鮮明に甦ってくる。
その後、仙谷長官は記者会見で、「(私を)恫喝したつもりはない。本当に心配している」と
いうL旨の答えをしている。.介の公務員に過ぎない私には、その尽俄を信じる以外に選択
肢は与えられていなかったのだか・・・・・・。
次官と前次官に呼び出されて
仙谷長官の真意はどうてあれ、この.件を境に、経蔵省での私への風当たりは暴風威に突
入した。
実は、あまり報道されていないが、例の仙谷長官発百の質疑の際に、小野次郎議員が、私
の出張に関する新聞報道を引用して、この出張が『大人の賤界の陰湿ないじめではありませ
んか」と聞いたのに対して、大畠章宏経産大臣が次のような答弁をしている。
「ご本人のお話等も承りなから、ご本人の経験やあるいはそして能力、そういうものが十分
発揮できるような形で対処してまいりたいと思います」
普通の人が聞けば、何か私に相応しいポストを用意する、といっているように聞こえる。
その後も何度か記者会見で私の人事が取りトげられているが、たとえば11月10日には、
こんな大畠人臣の発言もあった。
「本人か一番、よし、やるぞという、そういう気持ちを持って仕事に励めるようなところに、
その人事を持っていくというのか一番だと思いますから、だからそういう意味で官房長には
そういう話をして、いまいろいろ話をしてもらっているということです」
国会で答弁したのは10月15日の金曜日だったが、すぐさま官房艮から連絡があり「次
官かお前と飯を食いたいといっている。月曜の夜、時間を空けるといっていろがどうか」と
いう打診かあった。
なぜ、この時期に事務次官が払と夕食をともにしたいのか、おおよその見当はついた。多
忙な次官にわざわざ夜の時間を割いてもらうのは忍びないので、月曜の昼食ならと答えた。
指定されたのは、青山のイタリアンレストランだった。
次官との会談は、一言でいえば沈黙の連続だった。
会談の内容をいま詳しく話すことはできない。その会談は、あくまでも非公式のものだつた
からだ。次官から、正式の会談ではない、個人的な話だから、その内容は外に話さないで欲
しい、といわれている、私が次官と話したのは実はこれか初めてだった。
確かその翌日だったと思うが、今度は前次官から呼び出しを受けた。彼は、「個人的な会
談だ」などという建前をいうような人ではない。いつも正々堂々隠し立てなく話をしてくれ
る。ただ、現次官の話を内密にして、たまたまオープンな人だからといって前次官の話を表
に出すのはフェアではないから、これも次の機会ということでご勘弁いただきたい。
では、その後どうなったのか。この他の経産省幹部からも話があつたが、その後の推移か
ら推測するに、大畠人臣が私の処遇を求めたのに対して、経産省は事実上それを無視して、
時間稼ぎに出たようだ。
あれだけ国会で騒がれ、しかも、その後、出張報告書の改竄問題で河野議員らから追及を
受けている最中に私をクピにしては、非難囂々となることは明らかだ。人事当局は、私に対
して、あまり騒がしいときに辞められても困るという感じのことを伝えてきた。
10月末の退職期限は串実ト撤回された。しかし、だからといって、真剣にポストを探す
わけでもなく、大畠大臣が交代するか、マスコミか私のことを忘れる日が来るのを待つ作戦
に出たのだろう.
経産省の判断は吉と出た。年が明けた2011年1月14日、菅政権の内閣改造に伴い、
大畠大臣は国E交通大臣に横滑りし、その代わりに海江田万里経済財政担当大臣が、これも
横滑りで経産大臣に就任したのだ。これで、大畠発言のくぴきから解放される、そう想って
経産省幹部は喜んだだろう。
さらに、大畠大臣は、退任記者会見で私の人事について質問を受け、よほど官僚のサポタ
ージュに腹が立ったのだろうか、こんな発言をしてしまった。
「経済産業省のなかの人事の問題ですから。これは官房長の管轄なんです、基本的に。私が
云々というよりもね。……後は官房長のほうでよく聞いていただきたいと思います」
これで、経産省事務方としては、私の人事について、官房長に.任されたと解釈するだろ
う.しかし、人事権はあくまで大臣にある。こんな状況でパトンを渡された海江田大臣から
見れば至極迷惑な話だろうと思う。
果たして、私は大臣官房付のまま、一年数ヵ月を過ごした。
【日本の政治史論 24:政体と中枢】(「ナチズムとボリシェヴィキズム」2015.08.04)で触
れた福島第一原発の予備電源設置の遅れた経緯に触れられているが、先回の感想と内容は変わら
ないことを追記しておく。
この項つづく
● 今夜の一枚 Basket Bierdfeeder
野鳥用の「餌箱」の特集が掲載されていた。多様な素材でデザインしたものが多く紹介されてい
る。これはチョットしたカルチャーショックだ。
2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の招致に絡み、賄賂を受け取ったなどとして起訴
された国際サッカー連盟(FIFA)元副会長、ジャック・ワーナー被告は3日、事件の内幕を
全て暴露すると宣言した。辞意を表明したブラッター会長に関する秘密も例外視しないと述べた。
FIFA理事会、副会長職に居座った被告が米司法省などとの司法取引に応じて供述すれば、事
件の解明が一気に進む可能性があるという(毎日新聞 2015.06.05)。また、ワーナー被告はこ
れまで、在任中の行為に違法性の認識はなかったと強気を保ってきた。だが、米司法省の調べに
息子2人が罪を認めただけでなく、3日に公開された元理事の公判記録などから、南ア側からワ
ーナー被告などに渡ったカネが賄賂だった可能性が一段と高まっていたという(同上)。
ところで、サッカーのような世界的人気のある競技誘致にまつわる汚職は古今東西にはじまるわ
けではないが、巨額なまでの賄賂などの汚職は非常に現在的で、新興国を含めた「高度消費社会」
のスポンサー(国家、企業)とオルガナイザー(主催者)の関係が、深く産業構造の変化と関係
していることを物語っている。そして、そこから導出されるものは「組織目的」「組織倫理」の
再確認というわけだが、このわたしも、一度はこんな甘い誘惑に酔ってみたいと思わないことは
ない? ^^;。