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ころたんと生物多様性

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    生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。
                それは、変化に最もよく適応したものである。

                                               チャールズ・ダーウィン

 




庭先の木製プランターに植えたシラキの新緑があまりにも鮮やかで、常に携帯しているデジカメ
に収める。カメラの性能と腕の悪さ―これは多分に老眼と乱視の影響が大きい――で焦点の花芽
(♂花)の鮮明さが台無しだ。

  

 

● ころたんと生物多様性

  地球上には種々さまざまな生物が、多様な環境の下で生息している。
  生物多様性とは、普通は種数多様性のことであるが、同種の個体にも個性があり、さらに
 それらが一緒に生活する生物群集にもそれぞれの特徴があり、生物多様性は種数多様性だけ
 に還元できるわけではない。
  また、生物の基本設計プラン自体の多様性(異質性)も生物多様性の大きな要素である。
 生物多様性が生じる根本原因は進化にあるが、異質性を生じさせる進化メカニズムと種数多
 様性を生じさせる進化メカニズムが、同じか異なるかについては議論が多い。

  地球上で知られ学名がついている生物種め数は約150万種であるが、実際には少なくと
 も10倍以上の種が生息していと推定されている。その中で極端に種数が多いのは昆虫類で、
 昆虫だけで3000万種ほどいるのではないかと推定している人もいる。また、それらのほ
 とんどは、熱帯爾林の林冠に生息している。

  なぜ、特定の分類群に偏って種数多様性が高いのがという問題と、なぜ特定の地域に偏っ
 て種数多様性が高いのかという問題は、生物多様性に関する2大難問で定説はない。
  前者に関しては、単なる歴史的偶然だとの考えと、特定の高次分類群はシステムの特性と
 して他の分類群よりも種分化を起こしやすいとの考えがある。後者に関しては、何らかの根
 拠があるとする点でおおかたの意見は一致するが、根拠は何かという点に関しては議論が多
 い。一般に資源量が大きく、それを利用する種の生態的地位が細かく分割されていればいる
 ほど種数は大きくなる熱一帯一雨林でこのことが起こりやす理由としてば太陽エネルギー量
 が多いことと、地質学的上な時間幅で生態系が完全破壊を免れてきたことの2づが有ガであ
 ると考えられている。 

                       池田清彦 著 『新しい生物学の教科書』

5月17日に届いた ミニメロンのころんたの苗(『高野豆腐パウダー開創』)の1本が見事に成
育(下写真)し、シェイド兼用の蔓繁殖ネットに蔓が絡みだした。残りの2本はというと、発育
が悪いので玄関先にプランタを移し育てている。彼女は苗によるのよと言うので、そういうもの
なんだろうねと応じたが、先天的なものか、後天的な理由によるものか、違いが歴然としている。
しかし、待てよ、花咲くことになれば繁殖差がなくなっているのではないだろうかとの淡い期待
を抱くがたぶん駄目だろうなと呟くもうひとりがいる。

苗(台木は「ネバルト」とは記されているが不詳。たぶん、メロンつる割病とえそ斑点病に複合
耐病性メロンつる割病(フザリウム)、メロンえそ斑点病、うどんこ病などの複合耐病性の共台
木をつかっているのだろう)は、メーカの手で育てられているので完全な無農薬というわけには
いかない。因みに、チウラム・ペノミル水和剤(種子消毒)、塩基性硫酸銅(銅殺菌)、炭酸カ
ルシウム(銅水和剤による薬害の軽減など)、イミノクタジンアルベシル酸塩水和剤(殺菌)、
ジノテフラン(防虫)、マンゼプ・メタラキシルM(硫黄系殺菌)、硫黄(同左)、シアゾフアミ
ド(シアノイミダゾール系殺菌)を散布しているようだ。ここは特別にコメントしておこう。アレルギー罹
患抑制には、農薬使用総量の大幅削減と罹患農薬の特定が必要であることは大前提ではあるが、
人工環境型植物工場の普及は欠かせないとだけいっておこう。

さて、整枝作業期間に入ろう。




   

【日本の政治史論 29:政体と中枢】   

「古賀の乱ってなんだ "I am not ABE  " 」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。  

  福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)    

                             古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』  

   目 次     

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策   った出張 

  第4章 役人たちが暴走する仕組み     

                                   回転ドア方式で官民の出入りを自由に

   次に「外部人材の登用」。本来は「官民の人材交流の促進」と双方向の記述にすべきだが、
  ここではあえて、民から官への登用を強調しておきたい。なぜなら、官から民へは、能力さ
 えあればいつでも転職できるからだ。現に若手を中心にどんどん民間へ転職する者か増えて
  いる。
    他方、民から官への転身は極めてむずかし。もう一つ要注意なのは、官民交流というと、
 官僚はすぐに官から民への押しつけ的な派遣などを画策することだ。これはすでに述べた通
 りだ。従って、ここでは「外部人材の登用」としたが、心は、バランスの取れた官民の人材
 交流の促進である。

  多様性を拒否し、単一の価値観の人間ぱかりになっている組織は澱み、活力を失う。いま
 の霞が関は、この陥穿に嵌まって抜け出せなくなっている。これを官から民へ、民から官へ
 と自由に行き来できる仕組みに変える。このように自由に出入り可能な人材登用法は、「リ
 ボルビングドア(回転ドア)」方式と呼ばれている。
  リボルビングドア方式を導入すれば、官で培ったノウハウを民に出て生かすこともできれ
 ば、逆に官への民間の有能な人材の登用も可能になる。

  たとえば、経度省で八年経験を積んだ若子が民間企業から誘いを受けた。前々から民間の
 仕事にも興味があり、どれだけ自分かできるのか腕試しもしてみたかったし、官僚の仕事に
 もマンネリを感じていたので誘いに乗った。役人の衣を脱いで民間に再就職してみると、仕
 事は新鮮でおもしろい。霞が関で働いていた頃には見えなかった発見が日々あり、刺激的で
 ある。
  意欲的に仕事に取り組む彼に対する会社の評価はうなぎトりで胃進も速い。このまま民間
 のビジネスマンとして一生を終えるのも悪くはないな、と彼は考えていた。だが、10年ほ
 ど経った頃から、この民間での経験を行政に活かしたいという思いか次第に膨らんできた。
 ちょうどそんなとき、ネットで経産省が幹部職員を公募しているのを知り、これに応募し、
 官に戻った。

  現在の片道切符の官から民への再就職ではなく、出入り自由なダイナミックな制度が確な
 されれば、彼のように官と民を股にかけて持てる能力を存分に発陣できるようになる。
  リポルビングドア方式は、民、官どちらの組織にもメリットをもたらす。視点の異なる有
 能な人材が行き来すれば、新風か吹き込まれ、組綿は活性化する。とりわけ、組織か硬直化
 し、国家が危機的状況に置かれていても僕て直す能力を失っている官僚機構には、外部の血
 の導入が絶対に不可欠だ。

  ここまで書くと、なかには2011年3月の原発事故に思い至る力がいるかもしれな事実
 は、原子力安全・保安院には原了力の専門家は一部しかいない。しかも民間に比べれば、そ
 の専門知識もはるかに低いのだ。
  もし、実力ある民間人を採用できる仕組みになっていれば、全体のレベルが格段に上がっ
 ていただろう。また、こうした専門分野では、欧米の専門家なども積極的に一定数採用して
 国際水準から大きく遅れを取ることがないようにする必要もある。

  ただし、リボルピングドア方式を実現するためには、官は現在の年功序列制は捨てなけれ
 ばならない。実績主義の民間で高い能力を発揮し、相応のポストと高収入を得ている若手が
 霞が関で政策立案に携わりたいと望んでも、年功序列の厚い壁が阻めば、リポルピングドア
 方式は実現しない。高給とポストを捨ててまで、年功序列制で頭を押さえつけられる官僚組
 織に飛び込みたいと思う民間の若手など、ますいないからだ。
  すなわち、官民の人材交流の促進は、官の年功序列制の廃止と能カ主義の導入を前提とし
 ている。

  私は省庁の幹部は最低5年間は民間に出た人でなければならないという規定を作るべきだ
 とさえ思っている。民間で5年武者修行して、成果を残した人が役所に幹部として残る。
 あるいは、民間企業で5年以上勤めて実績を挙げた人を幹部に登用する。役人の場合、その
 身分のまま派遣する方法もあるにはあるが、前にも述べたような弊害もある。若手であって
 も一回辞めて出る制度にしたほうがすっきりする。
  仮にこの制度を導入すると、はじめから民間に就職した大のほうが役所の幹部にはなりや
 すくなるかもしれないか、それぐらいでちょうど良いのではないか。
  リボルビングドア方式は、遅かれ早かれ実現するはずだ。5年以内にほなんとかなるので
 は、というのか私の見通しである。だとしたら、すでに役所を辞めて民間で活躍している中
 堅・若手の元官僚が再び役所に帰ってきて活躍できる日が来るということだ。
  ただ、ある同僚は私にこういった。「5年じゃあ、とても無理だろう……」。


回転ドア方式の導入は賛成、米国の事例研究をよく踏まえての上でという条件付きで。さらに、
天下りの議論も深め、対象企業の事業(プロジェクト)に骨を埋める精神が必要で、従来の口利
き程度の仕事で厚遇されるような「甘い制度」は直ちに払拭する必要があるだろう。

   中川秀直チャンネル

                                      法律無視の民主党政権

  ところで、洒費脱増脱をめぐる議論には、民丿党は殊のほか熱心であった。増税の議論を
 急ぐ根拠として、平成21年の「所得税法等の一部を改正する法律」の附則第104条にあ
 る「平成23年度までに必要な法制上の措置を講ずるものとする」という規定を、全科玉条
 のごとく振りかぎしている。法律だから与野党を問わずこれを守らなければいけない」とい
 うのだ。
  国民から見ればれば「良くそんな偉そうなことがいえるな」ということになるのではない
 か。なぜなら、国家公務員制度改革基本法には、様々な改革についてはっきりと期限が書い
 てある。

  内閣人事局設置のための法的措置は、2009年の夏までに取らなければならなかった。
 麻生内閣はこれに間に合わせようということで国家公務員法の改正法案をちゃんと出した。
  だから、民主党は政権交代後、すぐに臨時国会に改正案を出すべきだったが、これを放置
 した。2010年の通常国会には大幅に後退した案を出したが、あまりにいい加減な法案だ
 ったから廃案になった。その後の臨時国会には、法案を提出しなかった。こんないい加減な
 政権が、法律は守りましょうなどと良くいえたものだ。そんな国民の声が聞こえる。
  さらに、安倍内閣のときに成立した国家公務員法改止法では、天下りを第二者に監視して
 もらうための再就職等監視委員会の設置が規定されている。これも、れっきとした法律によ
 って決められていることだ。しかし民主党は、政隆交代後.年半もこの委員会の人事案を出
 さなかった。

  その結果、2011年1月に経度省の元資源エネルギー庁長官か東京電力に天下りしたと
 きにも、経産省の秘書課長に調査させて国民の尊略を買ったことは前にも書いた。ここでも
 重要な法律違反を犯しているのである。「法律に澄いてあるから増税を決めなくてはいけな
 い」などという強弁を、良くも恥ずかしげもなくできるものだ。

                               「Jリーグ方式」で幹部の入れ替えを

  残念なことだか、このように、二年以ヒも的に成立した国家公務員制度改革基本法の改革
 が滞っている。早急にに推進すべきだが、当時とは状況が変化しており、基本法に盛り込ま
 れた基本的な改革に加えて、さらに大胆かつ具体的な改革を一刻も早く進める必要がある。
  国家公務員制度改革推進本部事務局にいた頃、若手官僚の声も入れながら、私が考えた改
 革案は次のようなものだった。
  公務員は法律上、身分が保障されている。これを少なくとも、中央省庁の部長級以上は民
 間の取締役のように任期割にして、政治主導の人事ができるようにするべきだ。厳格な目標
 設定と評価を行い、目標が達成できない幹部の入れ替えを果敢に行う。もちろん、民間、あ
 るいは若手からも実力主義で思い切って登用する。

  恒常的な新陳代謝を促すためには、長くしがみついていれば得をする現行の給与法も改め
 ねばならない。たとえば、給与は50歳以降は逓減する体系に改め、給与の削減輔は、定年
 の60歳までに3割程度減を目安とする。長く在職すれば退職金も減る仕組みにする。これ
 により、長くいてもかえって損するかもしれないという状況を作り出す。

  また、役職定年制も導入する。これは役職者が.一定の年齢に達したら管理職ポストを外
 れ給与も大幅にドげられるように下る制度だ。
  さらに組織に緊張感をもたらし、有能な人材を活かせるよう.局長、部長、課長などの各
 クラスごとに人員の最低一割を毎年、無条件で入れ替える制度を採用する。分かりやすくい
 えば、「Jリーグ方式」だ。
  サッカーのJリーグでは、毎年、一部リーグの下位チームは強制的に二部に降格され、代
 わって部リーグの上位チームが一部に昇格する。入れ替え戦は行わない。つまり、下がる人
 が上がる人よりも劣るとは限らなくても、とにかく有無をいわさずに、.割ほどの人員を強
 制的に降格、昇格させるのだ。

 「Jリーグ方式」のヒントとなったのは、クロネコヤマトの名で知られる宅配便のヤマト運
 輸の本社ヤマトホールディングスの人事システムだった。
  同社では、役員にも課長にも、管理職には全員、評価に順番がついている。たとえば役員
 が 10人いれば、1から10番までランクがある。そして、下位1割は、たとえ失点がな
 くても、自動的に入れ替えられるシステムになヮている。10人役員がいると、10番目の
 役員は降格し、代わって下から1人、新役員に抜擢されるわけだ。

  むろん、いったん下に落ちても、次の年に成績が良ければ、再ぴ役員に返り咲くことがで
 きる。このようなシステムが全管理職に適用されているのだ。
  この方式を導入する最大の目的は、強制降格することで必ずポストに空きか生じる状況を
 作り、そこに外部の民間人や有能な若手を登用することを可能にすることだ。上のポストか
 やかなければ、若手の抜擢、民間人の登用、などといくら声高に叫んだところで絵に描いた
 餅に終わってしまう。
  また、霞が関の役人は、「トコロテン人事」というぬるま湯で昇進してきた人か多いので、
 Jリーグ方式を導入すれば、官僚の大きな意識変革につなかるだろう。

                                     事務次官廃止で起きること

  公務員の最高ポストとしての事務次官ポストも廃止したほうがいい。
  自民党政権時代、各省の事務次官で構成する事務次官会議か、実質的に政策にふるいをか
 けていた。事務次官会議を通過しない政策は閣議には諮れないというおかしな慣習がまかり
 通っていたのだ.実質的にこれを破ったのは、安倍内閣のときに一度あるだけ。民主党政権
 に交代して、事務次官会議と事務次官の定例記者会見は廃山されたものの、事務次官のポス
 トはいまだに残っている。

  民主党政権では、その程度はともかく、大臣、副大臣、政務官の政務三役が実質的な省庁
 の司令塔として機能した。いや、正確にいえば、機能することになっていた。そして、省内
 の収りまとめや省外との調整は政務三役に一本化されるはずであった。
  官僚のトップである政務次官と政治家から選ばれた政務三役の二本立てになっているいま
 の制度は、双頭の蛇のようなもので、効率も悪いし、政治主導も円滑に進まない。民間企業
 にたとえれば、方針の戮なる社長が二人いるようなものだ。

  仮に、政治主導が貫徹できたとしても、組織として頂点に大臣、副大臣、政務官という小
 さなビラミッドがあり、その下に次官を頂点とする大きなピラミッドかぶら下がっている極
 めておかしな形だ。私はこれを「イカ型」と呼んでいる。「政と官の二階建てピラミッド」
 といっても良いだろう。まるで、政治家と事捕方が対峙しているようだ。まさにそれが、政
 治主導が行われてこなかったことを表している。
  事務方の意見を取りまとめてから政治家に送る、これが従来の官僚主導である。もし政務
 二役の方に直接、各局長がつけば、事務方が一致団結してサボタージュするという構図をか
 なり和らげることができるはずだ。分割して統治せよという政治の鉄則にもかなっている。

  もちろん官僚を最高意思決定機関に加えたいということもあるだろう。その場合は、その
 官僚を政務官にすればよい。
  もっとも、事務次官ポストを廃止すべきだなどと主張すれば、霞が関から袋叩きに遭う.
 官僚にとって最大の既得権益はポストだからだ、ゆえに霞が関は天下り先を作った者を評価
 し逆にポストを減らす改革は、何かあっても阻止しようとする。

  政務次官のポスト廃止に対する松強い抵抗は、民主党の方針転換を見れば分かる。200
 9年2月、当時民主党幹事長だった鳩山由紀夫前首相は、「(政権を奪取した暁には)各省
 の局長以上の官僚には、度辞表を出していただく」と、公務員剖度改依への意欲を表明して
 いたかすぐに発言を撤回した。
  政権誕生後、仙谷行政刷新担当相は、われわれの提案を、度は受け入れたのか、事務次官
 ポストの廃止に乗り気だったか、結局、官僚の抵抗に遭ってすぐに引っ込めてしまった。

  さらに、菅総理は2011年1月21日、官邸に各省庁の次官を集めて、政権交代後に逸
 めてきた「政治主導」について「現実の政治運営のなかでは、反省なり行き過ぎなり不十分
 なり、いろいろな問題があったことも事実だ」と述べ、さらに、「1年半を振り返り、より
 積極的な形での協力関係を作り上げていただきたい。政治家のルートと並行し、事務次官や
 局長のレベルでの調整が必要なのは当然だ」と官僚に擦り寄り、次官に助けを求めた。ここ
 まで来ると、国民も、開いた目が塞がらないだろう。
 結局、民主党には政治t導を行う実力がなかったということだろう。民主党は「政治打導」
 のやり方を少し修正しただけだといっているが、本当のことをいえば、国民に幻想を振りま
 いた「政治主導」は最初からどこにもなかつたのだ。序章で述べた通り、慨日本大震災でそ
 の欠陥が露呈するという、最悪の事態になってしまりた。

  第一に、そもそも民主党の閣僚には「政治主導」の意味か分かっていなかった。事務ルー
 トの調整を.切排除しようと思ったこと自体、それを示している。政務一役が.電卓を叩い
 て政治主導を演出しようなどと考えることも政治主導のはき違えだ。
  国民のために国家の進路を政治家か判断し、その実睨のために官僚をうまく使う。当たり
 前のことだ。しかし、実際は、事業仕分けやj算編成は財務官僚に丸投げするかと思えば、
 外交は官僚を無視して国益を損なうような失敗続き。政治主導が何なのか、まったく哲学か
 ないまま「政治主導」の言葉が躍っただけだった。

  第二に、民主党の閣僚はじめ政務三役には「政治主導」を行う実力がなかったということ
 だ。おそらく、仙谷氏たちはそのことを早い段階で察知し、政治主導はむずかしいと判断し
 たのではないか。だから、途中から官僚とうまく協調することを閣僚に促し、重要な場面で
 は、官房長官自らが各省の案件に垂り出して行く。それによって、なんとかして官僚支配に
 陥ることを避けようとした。そんな風に私には見える。

  ある政務三役が、「官僚の話を聞くと喘されるから話は問かない」というのを聞いて、こ
 んな人たちに任せて大丈夫かと不安な気持ちになった人も多いだろう。まさにそのときの嫌
 な予感が的中してしまった。


                         実は働かない幹部職員

  いずれにせよ、官僚個々人か自らの評価を認識できる仕組みが必要だ。現行の年功序列割
 は若手官僚にとって、幸せな制度になっているとはいいがたい。、
  各省庁に入省したキャリアの新人は、単線を走る蒸気機関車に乗り込んだようなものだ。
 この機関車にずっと乗っていれば、課長職という駅までは必ず到達する。その後は、駅に止
 まるたびに何人かが降ろさね、終着駅まで辿り着く乗客はたった一人。

  途中の駅で降ろされた人は、その後、支線に乗り換えるよう指示され、自分の意思とは別
 に行き先を決められる。そちらへは行きたくないと思っていても、自力で旅を続けるとなる
 と凍え死んでしまうのではないかという不安があり、拒否できない。民間の人々は新幹線や
 電卓に乗って旅をしている。いまさら、自分が彼らに追いつけるとも思えず、再び旧式の蒸
 気機関車に乗り換える直を選ぶ。

  若いときの自分は、人生を旅する能力は他の大よりずっとあったはずだ、どこで道を間違
 えてしまったのだろうか、と思う。笞えははっきりしている。乗った機関車か悪い。官僚の
 仕事は、もともと成果がはかりにくい、年功序列制なので、余計に成果は評価の基準にはな
 らない。霞が関の役所の評価基準は大きく分けるとI.つしかない。
  一つは労働時間、もう一つは先輩、そして自分の役所への忠誠心だ。霞か関では、仕事を
 効率的にやるという努力は無駄に終わる。だらだらとでもいいから、なるべく長く仕事をし
 たほうが勝ちだ。

  深夜、霞が関をタクシーで通ると、どの庁舎も煌々と灯りががいている・霞が関は不夜城・
 官僚は批判されているけれど、なんだかんだいって一生懸命働いているじやないか、と思わ
 れる人もいるだろう。
  だが、実態はお寒い限りだ。夜の9時頃から九時頃まで多くの幹部が席を外している。外
 部との打ち合わせと称して、酒を飲んでいるのだ。上司から「お前も来い」といわれれば、
 若手もついていくしかない。疲れているところヘアルコールが入るのだから酔いも回る。そ
 れでも、みんな戻って代参をする。

  私はアルコールを、滴も飲まないので、酔っ払いながらも仕事をやっている人を見ると、
 ある意味、凄いなと思うものの、その一方で、どう考えても実のある仕事ができるとは思え
 ない。仕事ははかどらず、気がついたときは、時計の針は零時を回っている。終電は終わっ
 ているので、タクシーを飛ばして帰るしかない。
 
 一時期、業者の接待は厳禁されて幹部の外出も一気に減った。「居酒屋タクシー」が問題に
 なり、深夜のタクシーの使用が議論されたこともあったが、ほとぼりが冷めると結局、昔と
 同様に各省庁の周りにはタクシーがずらりと並んで待っている。
  日々、このような生活を送っているのだから、日中の仕事も効率が上がらない。要は、だ
 らだらと仕事を続けているに過ぎないのだ。

  本来なら酒など飲みに行かず、さっさと仕事を片づけて帰宅し、家族との時間を持ったほ
 うがいいと考えている官僚も多いはずだが、そうならないのは、いかにサボりなから仕事を
 しているように見せられるかが、霞が関では重要であるからだ.。
  仮にこれを民間でやったらどうか。「私はこれほど長時間働いている。がんぼりを評価し
 てもらいたい」などといっても誰も相手にしない。逆に「それだけ働いて、たったこれっぽ
 っちの成果か」と、無能の焙印を押されてしまう。そもそも管理職がそんな無駄な残業は許
 さない。

  事業仕分けで廃止とされた分野があっても、役人がいうことを聞かないのは、指示を守っ
 ても霞か関ではまったく評価されないどころか、逆に×がつくからだ。
  普通の会社で社長がこうしろと命令したのに、どこ吹く風で無視したりすると、クビにな
 らないまでも評価はがた落ち。昇進は遅れるし、ことによっては給与もカットされる。だが、
 霞が関では大臣にいくら逆らっても、ペナルティはない。次官の意向に添っていればまず飛
 ばされない。前に説明した大臣・次官の双頭の体制になっているからだ。

  大臣あるいは内閣の意向に添った評価と信賞必罰の人事をセットで導入しなければならな
 大字を卒業した時点で、潜在的な能力か非常に高くても、原石は磨かなければ光らない。い
 まの霞か関の制度は、せっかく秘めていた能力を花咲かせるどころか、伸び悩ませるシステ
 ムになっている。前にもいった通り、霞が開は人材の墓場」なのである。
  これを正常な・評価システムに変えれば、途中下車の道も開ける。民間でも十分やれそう
 だという手ごたえを感じた人は、残るよりも辞めたほうが得だと思うケースも出てくる。天
 下りなどに頼らず、早期退職するという選択肢が増えたほうが、官僚という職業の魅力も増
 す。


ここまで、読み終えて、官僚機構の評価方法(基準)って何だろうと考え、「理想的な官僚とは、
憤怒も不公平もなく、さらに憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ひたすら義務に従う人間の
ことである」のマックス・ウェーバーの「ひたすら義務に従う人間」」を考えたが難しいという
思いが残った。


                                    この項つづく

 

 

 


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