愛国者は常に祖国のために死ぬことを語るが、祖国のために殺すことは語らない。
バートランド・ラッセル
【縮原発論 Ⅲ: 核ごみ廃棄処理のススメ】
目次
第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
第4章 世界的なウラン産業の誕生
第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
第6章 産業界のおぞましい人体実験
第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
放射性物質が持つ長期性と濃縮性
この章では、第1章で述べた大被害がどのように出るかを、もう少し具体的に予測し
てみる。
フクシマ原発事故の被バク経過を見た通り、日本の原子力産業に巣喰うシンジケート
集団は、現在もすべて、半世紀以上前の1950年代に広島・長崎の原爆被曝者をモル
モルモットにして観察したアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)なる組織が秘密
に収集した資料と、アメリカで大気中の核実験を実施したAEC(後述する原子カエネ
ルギー委員会)が語ったカビの生えた言葉と、さらにICRP(国際放射線防護委員会)
が”勝手に”定めた安全基準を、おうむ返しにくり返しているだけなのである。
※ ICRP勧告 日本語版シリーズ「PDF無償公開のお知らせ」
セント・ジョージ住民を殺したのは、体内に取りこまれた死の灰である。ところが、
中川恵一らの”日本の放射線の専門家と「自称する」ほとんどの人間”が引用している
ICRPの基準は、レントゲン写真――医療用の放射線――自然界から受ける放射線・
飛行機に乗って浴びる放射線――すべて体の外から浴びる空間線量である。このような
外部被バクだけを論じて、内部被バク量を無視しているので、医学的な根拠など、まっ
たくないのである。
原発事故の場合、危険の尺度となるのは、休の中に入ってくる放射性物質の量である。
その放射性物質(死の灰)には、発癌性のほかに、ふたつの特徴がある。
ひとつは、長期性であり、もうひとつは、濃縮性である。そして体内で濃縮を起こす
のが、内部被曝なのである。
この最大の特徴が、ICRPとIAEAによって無視され、踏みつけられ、闇に葬ら
れてきたために、いまだに世界中のほとんどの人に、大被害の危険性が認識されないの
である。
その結果、日本の新聞とテレビも、大手食品業界も、フクシマ原発事故の内部披バク
問題をほとんど真剣に議論していないのだ。わが国における、フクシマ事故後の基準(
2012年以降現在までの食品1キログラムあたり100ベクレル)という数字が、あ
まりに危険すぎるにもかかわらず、この数字を超えない食品は安全だという迷信が、日
本じゅうに流布している。
そのおそろしさを説明しよう。
ユタ州の場合、原子カエネルギー委員会の死の灰や研究班ハロルド・ナップ博士が調
べあげながら、闇に葬られたデータがある。それによれば、空気中での放射能の測定値
がわずかに4ラドという地域でさえ、そこに生活する羊のノドにある甲状腺が、3万5
000ラドの被バク量を示す放射性物質の濃縮を起こしていた。胃腸でも1万2000
ラドと、空気中の3000倍まで濃縮が起こっていたのである。当時は、生物の体の部
位・臓器ごとに受ける放射啼量を、このようにラドという単位で表現していたが、百ラ
ドは、36頁の「換算の数値グレイを合計したものが、全身抜バク量のシーベルトとな
る。
「われわれは、畏い間まちがった計算をしてきた」と、ナップ博士は公聴会で証言し
た。空気中での空間線量の測定値に対して、羊の甲状腺ではその1万倍の被バク量に相
当する濃縮を起こし、胃腸でも数千倍の濃縮が起こっていた、ということになる。
人体でも、それぞれの人間の体が集めている放射性物質の量を、直接測定しなければ
意味がない。しかしそれは、すぺての臓器を取り出して生体解剖しないと測定できない
ので不可能だ。
人体の中に蓄積された放射性物質の量は、現在ではホールボディーカウンターと呼ば
れる全身測定器で測ることができ、体内の”量の変化”を知るには有効だが、セシウム
137がバリウム137に安定化するまでに放出する透過吐の高い“ガンマー線”しか
測定できないので、絶対量の測定ではない。ストロンチウム90や、”染色体異常を引
き起こす放射性水素トリチウム”が出すベータ線は、まったく測定できない。日本全土
に降ったセシウム137が出しているのは、実はそのべータ線である。また、猛毒物プ
ルトニウムが出す“アルファ線”エネルギーは特に強く、ガンマ線より20倍も影響が
深刻だが、この危険物も測定できない。どのような曝類の放射性物質が、体内のどこに
どれほど蓄積しているかを測定できなければ、実際の被バク量を計算することは不可能
なのである。
※ EXPERT FAULTS U.S. ON 50'S ATOM TESTS The New York Times 1982.10.10
フクシマ事故後の日本の新聞を見ていると、一放射能摂取量(ベクレル)×実効線量
係数=被曝量(シーペルト)」なる換算式がまことしやかに書かれ、あたかもベクレル
とシーベルトを換算できるかのような錯覚を与えてきた。しかし、地震にたとえると、
放射能の量を示すベクレルは、震源地で発生した地震の大きさ(エネルギー)を示す「
マグニチュード」であるのに対して、被バク量のシーベルトは実際の建物や人間が受け
た摺れの大きさを示す「震度」に相当する。つまり、いくら地震のマグーチュードが大
きくとも、どれほどの被害が出るかは、地震の揺れを受けた場所によって、まったく異
なる。マグュチュードを震度に換算するバカはいない。それと同じように、一人ずつの
部位ごとの体内放射能の測定が不可能だから、ベクレルをシーベルトには換算できない。
医学的に何の根拠もない計算式である。
しかも現在のホールボディーカウンタjの測定は、胸部だけを図って、簡易測定です
ませる場合さえある。これでは全身の測定ではない。呼吸によってノドに蓄積した放射
性物質も、胃腸や筋肉、骨に蓄積した放射性物質も測っていないのだ。体内の放射能を
調べるのにも有効な尿検査もほとんどおこなわれていない。
多くの人が測っている空間線量の2時間あたりマイクロシjベルト」の数値、36頁の
「換算表」の「線量当量]のところにある通り、モれを8・76倍すると「一年間あた
りのミリシーベルト」になる。あまり汚染していない地域の平均的な空間線量は、測定
条件と、場所や地面からの高さによって変るが、およそ毎時0・05マイクロシーペル
ト(年間0・44ミリシーベルト)前後である。しかしこの数値は特別に危険な地帯を
知るための、ほんの目安でしかないことを肝に銘じておく必要がある。
常に同じ条件で測定しているこの数値が、大事故が発生した場合のように、普段より
一桁以上も高くなれば、それは「確実に危険だ!」と叫んでよい。だが日常、空気中
が多少低いシーベルトでも、内部被バク量が分らなければまったく安全とは言えないの
である。
そこで、注意深い多くの人は、内部被バクを減らすために、食品中のセシウム137
を測定している。なぜなら、このセシウムが出す放射線のエネルギーは、人間の体内の
分子を結合しているエネルギーの10万倍もある!!プルトニウム239では100万
倍だ!!つまり、医療用X線より10倍も100倍も大きなエネルギーであるから、体
内の分子をずたずたに引き裂くのだ。したがって医療用放射線と比較してはならない。
現在もフクシマ原発事故現場から大量に、それも天文学的な量のセシウム137と”
ほとんど測定されていないストロンチウム90やトリチウム”が外洋に流れ出し、コン
トロール不能の状態が4年以上も続いて、太平洋全域を大汚染海域に変えてきた。観測
親に洗われるそのフクシマ沖合の海を、あの食卓の王様サケ、サバ、サンマ、カツオが
泳いでいる。だが、日本のマスメディアは、まったくその深刻さを伝えていない。食卓
にあがる魚介類の放射能を測定するだけでは、安心できないのである。
小さな生物のブランクトンが死滅した場合には、海中の魚介類が餌を失って生息でき
なくなり、やがて太平洋の生態系が連鎖的に崩れることも指摘されている。
誰でも知っているように、カルシウムは骨をつくる元素である。そしてストロンチウ
ムは原子の構造がカルシウムと似ているため、カルシウムと行動を共にする傾向がある。
したがって海で魚に取りこまれた放射性物質は、魚の体内で数千倍にも濃縮され、魚
や人間の骨に蓄積される。これが「魚粉」に加工されて牛や豚の家畜飼料になり、小魚
であればニボシになって、すでに食卓に浸入してきているのだ。カルシウムに似たスト
ロンチウム90が人間の体内入ったあと、骨に運ばれてゆき、骨に固定される。われわ
れ人間は、その背骨の中で血液をつくっている。こうして骨に一旦固定されてしまうと、
容易に排出されずに、血液をつくる骨髄(背骨)に強い放射線を浴びせ続けることにな
る。
体という文字は、"體”と書いた。つまり骨のまわりが豊かになって 肉体ができる。
それは、胎児から小児へ、小児から成人へと発育してゆく過程で、新しい養分を次から
次へと吸収することによって身長が伸び、体重が増え、体積を増やして、大人になって
ゆく人間の姿を示している。そのとき、ほとんど測定されていないストロンチウム90
が食べ物に混入していると、骨のなかに吸収され、それが微量ずつ一日一日と蓄積され
てゆく。
放射線を出すストロンチウムが濃縮されれば、骨髄で生産される白血球のいくつかが、
その影響を受けて癌細胞になる。この異常の発生する割合が高くなり、人体が持ってい
る修復機能を超えて、癌細胞が血液中で増殖しはじめ、正常な白血球に打ち勝った時、
ナダレ現象のように白血病の疾患があらわれる。
成人の場合には、発育は止まっている。しかし新陳代謝も鈍くなっているため、一旦
固定された物質が体内から追い出されるまでに、非常に長い期間を要する、今夜の食事
に入っていた"死の灰”のカケラが、死ぬまで体の中に残る。こうしで、取りこみ速度も
鈍い代りに排出速度も鈍いとき、体内では、ゆっくりと無気味な濃縮が起こってゆく。
脂肪、蛋白質、炭水化物のように口々刻々と新陳代謝を進めながらエネルギー源とな
る有機物に比べて、ストロンチウムやプルトニウムのような無機物は、体内での停滞期
間がことに長い。そのため、濃縮を起こす。さらにこれらストロンチウムやプルトニウ
ムが、水俣病の大悲劇を招いた水銀のように、有機化して全身をめぐり、脳に達する危
険性もある。
また医学的には、人体と、個々の臓器は、個人差が千差万別である。
○男と女(精子と卵子)――チェルノブイリ汚染地での甲状腺癌は、女性が男性の5
倍というデータがある。卵子への放射性物質の濃縮度は特に大きい
○胎児を体内に持つ妊婦と、出産後の授乳期にある女性と、妊娠していない女性
○細胞分裂が盛んな幼児と、成長が止まった高齢者
○白人・黒人・黄色人種による違い
○大きな人間と、小さな人間-肥満とやせつぽち--大食漢と少食、などの体質
○病弱者と、健常者(すでに病気を持っている人は、放射線被曝を受けて病状が悪化
しても、被害はまったく無視される,モの傾向は高齢者でも同じである)
そのため、同じ食品を食べても、実際の被曝の影響は、個々の人によってまったく異
なる。
ところが、食品中の放射性物質の規制基準は、特別の注意が必要な妊娠中の女性でも
、高齢者でも一律、1キログラムあたり100ベクレルである。"乳児用"食品だけ半分の
50ペクレルにしているが、育ち盛りの幼稚園児・小学生・中学生・高校生・大学生の
世代については、まったく考慮されていない。
この世代が、大人と同じ汚染物を食べれば、大被害が出ることは明白だ。
特に、汚染物を同量摂取しても、少量ずつ毎日食べた場合と、高濃度の汚染物質をま
とめて食べた場合では、少量ずつ摂取したほうが、体内の濃縮度(蓄積量)がはるかに
高くなる。
この事実から考えると、若い世代にとって、現在のような100ベクレルの高い基準
がきわめて深刻になるので、基準を大幅に引き下げるよう、日本政府に要求する国民的
運動が必要である。
最大の問題は、最も危険な地帯である福島県内で現状おこなわれている実質的なシー
ベルトの測定が、空間線量である、という点にある。つまり、モ’一タリング・ポスト
や線量計などで空気中を飛び交う放射線を測っているのだから、内部被バク量とは関係
のない数値である。
内部披パクにとって最も重要な単位は、体内に取りこむ食品と、水と、呼吸する空気
中の放射性物質の種類(アルファ線、ベータ線、ガンマ繍の違い)と絶対量(ベクレル)
の総計なのだから、東日本全域の土壌の放射能濃度(ベクレル)を実測しなけれぱなら
ないのだが、日本では空間線量の推定図ばかりが横行して、ベクレル実測がおこなわれ
ていないのである。
20年で100倍に激増した自然界の放射能
もう少しくわしく、現状の地球の全体像を説明しておこう。
なぜ大気中の核実験のように危険なことがおこなわれたかという歴史の経過は、第4
章以下にくわしく迷べるが、大気中の核実験が終ったあとも、放射性物・質は、原子力
発電所の日常の運転でも匯突と排水ロから放出され、年々大量に、地球上の空気と水を
汚染してきた。
1970年に、アメリカ環境問題協議会がニクソン大統領向けに出した,「環境評価
レボート」の中には
――いまや、”天然自然の放射線”という言葉を使うのはふさわしくない時代になっ
てきている。なぜなら、原子力から人工的に出される放射能を、天然のものと区
別することはできないからである。その量は、きわめて大きくなりつつある――
という趣旨の警告が書かれていた。今から45年も前のレポートである。その後、19
79年にアメリカでスリーマイル島原発事故、1986年にソ連でチェルノブイリ原発
事故、2011年にフクシマ原発事故が起こって、一挙に大量の放射性物質がぱらまか
れた。つまり、日本の放射線専門家たちが呪文のように唱えている「自然界にも放射線
があります」という数字は、大昔の話なのだ。アメリカで最初の原爆実験がおこなわれ、
ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下された1945年より以前にしか成り立だない話なの
である。
彼らが測っている被バク量は、「自然界」の被バク量ではない。「原水爆と原子力発
電」による被バク量を大量に加えた量であろ。
1982年10月6日には、国連の放射線委員会がつぎの内容のレポートを総会に提
出した。
――原子力発電所から生活環壇のなかに放出される放射能の量は、1960年に比べ
て、20年後の1980年には、その100倍に漱増してきている――
このレポートのあと、チェルノブイリ原発事故とフクシマ原発事故が起こって、地球
上の人工放射性物質が激増したのだから、「自然界にも放射線があります」という言葉
は悪質な冗談でしかない。ところが日本では、IAEAやICRPが宣伝に使うこの言
葉が横行しているのである。
地球にしのび寄る影がまだまだ存在しているに違いない。ところが一方でわれわれが
聞いているのは、アペゴベに、”人類の平均寿命が伸びある”という朗報である。
実はこの平均寿命の伸びという迷信は、第一に「乳幼児の死亡率が激減したこと」と、
第二に「近年、主虻高齢者に対する延命治療が普及したこと」が最大の要因なのである。
したがって、これは統計的な数字上のトリック虻すぎない。むしろ逆に、平均寿命の伸
びの蔭にまったく別の形で人類の背後にしのび寄ってくる影がある。
フロリダ大学のドハティ博士が、アメリカの大学生を対象に調べたところ、精液1cc
あたりの精子の数は、ちょうどネバダの大気中核実験開始の直前にあたる1951年に
平均1億個だったものか、1981年時点では、6000万個へと減少し、核実験前の
6割しか含まれていないことが明らかにされている。
これは、30年間で4割の精子が自然に抹殺されていることを意味する。ドハティ博
士の研究では、学生のほぼ4人に1人の高い割合で、精子のなか突然変異の原因となる
物質も発見されている。精子にしのびよる影があるなら、放射能が濃縮しやすい女性の
卵子にはそれ以上の影響があるはずだ。
ローレンス・リヴアモア研究所のワイロベク博士も、やはり同様の研究をおこない、
こうした男性の精子異常と、女性の出産異常とのあいだに明瞭な関係を発見している。
この影響が、胎児→新生児→小児→青年へと、年齢的な段階を追って、ゆっくりと現わ
れてくる。
男性の精子は最も幼い生命である。30年間で4割の死滅が起こっていろなら、生き
残った6割の生命には、死と違う形で、障害がおよぷのも当然である。死産の難関を乗
り越えて出生したあとも、放射性物質の発癌作用は残り続ける。
結局、地球上の”空気”や”水”がほんのわずか放射能で汚染されているとしても、
人体は、桁違いの放射能による影響を受けていることになる。
ここに死の灰の”長期性”のおそろしさがある。
アメリカ原子カエネルギー委員会と日本の電力会社と、自称,放射線の専門家がこれ
まで住民に説明してきたような、レントゲン写真による被バク量を、これら体内の披バ
ク量と比較すること自体が非科学的であるという事実が、これまでの大量犠牲者の実害
によって、実証されてきたのである。
それでも日本人は、ICRPの基準に身を任せるのか?
ここでは、歴史的事実を検証しながら、暴走しモンスター化した"原子力エネルギー政策”
”国家官僚と専門家”とそれに加担する政治家、産業資本家や経営者への痛烈な批判と告
発を行い、そして、無防備な勤労国民への警告を行う。ここは慌てず熟っくりと読み進め
ていくことに。
この項つづく
● 非連続・読書日記: 蛍・花火・火花
沿道から夜空を見上げる人達の顔は、赤や青や緑など様々な色に光ったので、彼等を
照らす本体が気になり、二度目の爆音が鳴った時、思わず後ろを振り返ると、幻のよう
に鮮やかな花火が夜空一面に咲いて、残滓を煌めかせながら時間をかけて消えた。自然
に沸き起こった歓声が終るのを待たず、今度は巨大な柳のような花火が暗闇に垂れ細か
い無数の火花が捻じれながら夜を灯し海に落ちて行くと、一際大きな歓声が上がった。
熱海は山が海を囲み、自然との距離が近い地形である。そこに人間が生み出した物の中
では傑出した壮大さと美しさを持つ花火である。このような万事整った環境になぜ僕達
は呼ばれたのだろうかと、根源的な疑問が頭をもたげる。山々に反響する花火の音に自
分の声を掻き消され、矯小な自分に落胆していたのだけど、僕が絶望するまで追い詰め
られなかったのは、自然や花火に圧倒的な敬意を抱いていたからという、なんとも平凡
な理由によるものだった。
この大いなるものに対していかに自分が無力であるかを思い知らされた夜に、長年の
師匠を得たということにも意味があったように思う。それは、御本尊が留守のうちにや
ってきて、堂々と居座ったようなものだった,そして、僕は師・匠の他からは学ばない
と決めたのだ。
花火を夢中で見上げる人々の前で、最終的に自暴自棄になった僕が、「インコは貴様
だ」と飼い主に絶叫するセキセイインコをやり始めたところで、ようやく僕達の持ち時
間である十五分が終了した。汗ばかりかいて、何の充実感もなかった。そもそも、花火
が打ち上がるまでに余興は全て終7Jする予定だったのだ。大道芸を披露した老人会の
面々が観衆にのぼせあがり、大幅に持ち時間を越えたために、このような惨事が起きた
のである。今宵の花火大会において末端のブログラムに生じた些細なずれなど誰も修正
してくれはしない。たとえば僕達の声が花火を脅かすほど大きければ何かが変わっただ
ろうけれど、現実には途方もなく小さい。聞こうとする人の耳にしか届かないのである。
又吉直樹 著『火花』
『時代は太陽道を渡る Ⅲ』(2015.07.18)でとりあげた、『火花』を休息がてら呼んでみる。
芸人が花火会場で運命的な先輩との出会いに触れられているプロローグの場面。作者の「侘
び(imperfect)描写」がいかにも巧みである。