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征服者の因果律

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  沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。 /  平家物語

 

「最新量子ドットソーラー工学 」(2015.08.03)で掲載したが、こんどは、九州大学と、ミラ
ノ・ビコッカ大学(イタリア)の国際共同研究グループが、太陽光程度の弱い光で効率を最大
化する個体材料の開発が、世界で初めて成功したことを発表している(環境ビジネス 2015.08.
05)。それによると、分子組織化を利用し、溶液中でアップコンバージョン効率を高めること
には既に成功していたが、金属錯体骨格(MOF)という結晶性材料中にアクセプター分子を規
則的に配列させ、溶媒を含まない固体中での高効率化に成功したという。 

開発された有機・無機材料は、汎用性の高いプラスチックに組み込むことが可能であり、折り
曲げたり伸ばしたりできるフレキシブルなデバイスの基盤材料としても期待される。将来的に
近赤外光を可視光に、また可視光を紫外光に変換する技術に応用すれば、太陽電池や人工光合
成の効率を高める画期的な方法となるとのこと。

 

 

これまで、太陽光のような弱い光を用いたアップコンバージョンの高効率化は困難で、その実
現には、(1)いかにドナーからアクセプターに励起三重項エネルギーを効率よく移動して、
(2)の励起三重項エネルギーをアクセプター分子間で高速に拡散させる、2つの課題を解決
する必要があった。そのため、1つめの課題は、これまで固体状態ではドナー分子が凝集して
アクセプター分子にうまくエネルギーが渡らなかったが、MOF(金属錯体骨格)のナノ結晶
合成し、そのナノ結晶表面をドナー分子で修飾するというコロイド・面化学的な新しいアプロ
ーチを導入し、この問題を解決(上図の左上参照)。さらに2つ目の課題は、これまでは柔ら
かいポリマー中に色素を分散する方法は、十分な色素の拡散速度が得られず、そこで、MOF
の構造中にアクセプター部位(ジフェニルアントラセン)を規則的に配列することで、励起三
重項エネルギーを高速拡散させることに成功(上図の上/右)。このように2つの課題を解決
し、太陽光程度の弱い光でアップコンバージョンの効率を最大化(約2%、上図の下)するこ
とに世界で初めて成功したとのこと。

 

また、分子を拡散させる既存の手法では、力学特性の劣る柔らかい高分子しか適用できなった
が、今回開発したドナー修飾MOFナノ粒子はポリメタクリル酸メチル(PMMA)などの力
学特性に優れた硬いプラスチック中に分散が可能であり、汎用性の高いプラスチック材料を高
機能化して再生可能エネルギー分野に応用する新たな道を拓いた。
 

 【縮原発論 Ⅵ: 核ごみ廃棄処理のススメ】 

  目次 

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

 

  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか

                       ネバダ核実験による映画人の被害者

  このような状況にいたる60年も前、1951年1月27日にアメリカ西部ネバダ州で
 最初の原曝実験が開始されたのだが、この被害の実相が、フクシマ事故を体験したわれわ
 れ日本人に何を教えているか、さらにくわしく被バクの経過を調ぺてみると、現在の日本
 と同じような驚くべき事実が、次々と出てくるのである。

  核実験とは、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発して、米ソ冷戦どころか、ソ連・
 中国・北朝鮮の共産主義国との”熱戦”となった出来事であった。その結果、ネバダ州で
 大気中の核実験が大規模に開始され、広島・長崎の原曝被曝書をモルモツトにしたABC
 C(原爆傷害調査委員会)創設者のシールズ・ウオーレンがその全期間にわたって、放射
能関係の最高責任者をつとめ、死の灰について世界一の権威として君臨するようになった。
そして山下俊一と同じように彼が安全だと定めた基準に従って核実験がおこなわれ、死の灰
が降りつもる風下地帯では、膨大な数の住民がそのなかで生活を続け、大量の癌患者をこの
地帯に生み出すことになった。



 1951~58年Kアメリカ国内のネバダ核実験場で実施された大気中核実験の爆心地か
 らの放射能雲が通過した地域は、この地図に示される通りである。この図中、最も黒く湊
 い部分の中心がセント・ジョージなど、ユタ州南部で、その風下地帯で大量の癌患者・死
 者を出したのでも 先に述べたように、ネバグ州でおこなわれた大気中の原爆実験ほぼ百
 発に比べて、フクシマ原発から放出されて地上に降った放射性物質は、それより2割多い
 のである。風下住民におけるすさまじい被バク被害については、『ジョン・ウェインはな
 ぜ死んだか』(広瀬隆著、文豪春秋、1982年初版)にくわしく報告してある。



  同書は、これら”死の灰”の風下地帯で、西部劇などの映画ロケをおこなったハリウッ
 ド映画人のうち、ほぽ。10人に4人の割合で癌死亡者が発生してきた事実を、アトミッ
 ク・ソルジャーやセント・ジョージなどの住民被害と共に、放射性物質の影響を追究した
 内容である。この事実の数々が、フクシマ事故に襲われた現在の日本人に、冒頭述べたよ
 うに、最も身近な比較対象となる未来を教えてくれたのである。そして今から述べるよう
 に、この被害をさらにくわしく調べると、現在のわれわれ日本人の置かれている状況が、
 この被害者ときわめて似ていることに気づかされ、驚かされるのである。

  というのは、セント・ジョージからわずか15キロメートルの距離にあるスノウ・キャ
 ニオンと呼ばれる砂漠の渓谷で、核実験時代の1954年に、ジンギス・カンを主人公に
 した『征服者』の映画ロケが敢行され、ハリウッドでトップのドル箱スター、主役のジョ
 ン・ウヱインを含めて、次のように癌の大量発生を見たからである。




 1963年、『征服者』の監督ディック・パウェル、リンパ系の癌と肺癌転移のため死亡。
       『征服者』の男優ベドロ・アルメンダリス、リンパ系の癌で余命3ケ月の宜
        告を受けて自殺(すでに4年間、腎臓癌と闘病後)。
       『征服者』のアート・ディレクター、キャロル・クーフーク、前立腺癌に罹
        患する。
       『征服者』のメイクアップ・チーフ、ウェブ・オーバーランダー、肺癌の切
        除手術を受ける。一九六四年、『征服者』の男優ジョン・ウェイン、肺癌
        のため肺切除の手術を二度受ける。
 1965年、『征服者』の女優ジーン・ガースン、皮膚癌を発病(後年、乳癌を発病後、
        乳房を切除)。
 1968年、『征服者』のロケに同行したティム・パーカー(主演女優スーザン・ヘイワ
        ードの息子)、ロ内腫瘍のため摘出手術を受ける。
 1969年、『征服者』のロケに同行し、端役で出演したパトリック・ウェイン(ジョン・
        ウェインの息子)、胸部腫瘍のため手術を受ける。
 1974年、『征服者』の女優アグネス・ムーアヘッド、子宮癌のため死亡。
 1975年、『征服者』の主演女優スーザン・ヘイワード、皮膚癌、乳癌、子宮癌を併発
        しながら、脳腫瘍のため死亡(約10年前から発病)。
       『征服者』のロケに同行したマイケル・ウェイン(ジョン・ウヱインのもう
        一人の息子)、皮膚癌を発病。
 1979年、『征服者』の主演男優ジョン・ウヱイン、胃癌の手術後、腸癌のため死亡。

  ロケのため、ユタ州のインディアン、シヴウィット族が300人ほどエキストラとして
 この映画に参加していたが、その人たちの間にも続々と癌患者が発生し、シヴウィット族
 を一部族に持つペイユート族は、絶滅の危機に瀕した。
 『征服者』のロケ地スノウ・キャニオンに赴き、「ジョン・ウェインはここで死んだ」と
 語っていたユタ大学のロバート’ペンドルトン教授が、1982年の夏、忽然と他界した。
 ユタ大学で放射線生物学部長をつとめていた彼は、この分野で世界的な研究者として知ら
 れていたが、その職をはずされ、もの言えぬ立場に追いこまれた。

 「核実験に反対しているため、仕事には大変な苦労がある。いっそ、すべてを放り出して
 大学にデータを手渡してしまいたい気持だ。AECの長い腕が、私の仕事の上に伸びてき
 ている」

  これが生前の言葉だった。

  ハリウッド映画人はなぜ大量に癌で死んだか・・・:・
  答を出すのは、造作のないことである。すでに答は出ている。ネバダの核実験がハリウ
 ッドの映画人も殺したのだIIIと読者は考えるに違いない。
  だが注意深い読者は、30頁に示した”ネバダ大気中の核実験”の一覧表で、ロケがおこ
 なわれた1954年には、ネバダでの原爆実験が1度もおこなわれなかったことに気づか
 れるだろう。

 

  その年に、ジョン・ウェインたちがユタ州での『征服者』ロケに参加したのである。
  正確に言えば、その前年の1953年6月4日に炸裂した”クライマックス”という原
 爆の実験がおこなわれて以来、ジョンーウェインらがユタ州に入る1954年6月まで丸
 一年間というもの、ネバダの砂漠では、まったく原爆実験がおこなわれていない。
 『征服者』の集団は、火の玉を見るどころか、まったく静かなロケ地で撮影に取り組んだ
 のだりだ。このロケ地は、核実験場から200キロ以上も離れている(福島第一原発~東
 京駅の距離とほぼ同じ)。それでもなお、『征服者』のロケ隊に、つぎつぎと癌患者が発
 生し、生存者に恐怖を与え続けてきたのである。その答は、彼らが馬上にまたがり、汚染
 した砂と埃にまみれてスペクタクル・シーンを撮影し続け、またロケ地スノウ・キャニオ
 ンから大量の汚染土砂をハリウッドに運んで、スタジオでも映画撮影を続けたことにあっ
 たのだ。

  1980年11月10日号の週刊誌”ピープル”には、ジョン・ウェインの死と原爆実
 験の因果関係が特集されペンタゴンの原子力局トップがこう発言した。
 「おお神よ、どうか、われわれがジョン・ウェインを殺したのではないように……」
 『征服者』と”セント・ジョージ”同集団のパズルに対する答は、つぎのようなものだっ
 たのである。

                        被バク者として避ばれた人びと

  原子力発電所をかかえる日本の13の道県および”その周辺”の人たちは、以下の史実
 をしっかり認識しておいていただきたい。ネバダでおこなわれた大気中の核実験は、きわ
 めて広い範囲に死の灰を降らせたが、フクシマ事故の放射性ガスもまったく同じであった。

  原爆が爆発すると、発ガン性を待った死の灰が降ることを、この1950年代の初めに
 当局は充分に知っていた。この死の灰を浴びると、人間の体にさまざまの障害が出るとい
 う危険性は、すでに数多の調査研究によって明らかにされていた。第4章からくわしく述
 べる歴史で明らかな通り、ニューメキシコ州で、広島で、長崎で、ビキニで、人体実験で
 被バク女工の調査で、いままで知らなかった死の灰が与えるおそろしい影響が克明に観察
 され、それが放射能という単位で測定されるぶ”特殊なエネルギー”によるものである
 ことが、すでに突きとめられていた。

  そこで軍部と、AEC(原子カエネルギー委員会)、大続領たちは、人口が密集してい
 る地域に死の灰が降らないように配慮した。ネバダに隣接する州のなかでも、特にハリウ
 フドを含むロサンジェルスなどの大都会を避けるため、カリフォルニア州に向かって風が
 吹いている時には、一度たりとも原爆実験をおこなわなかった。この法則はまた、ネバダ
 州内で最も南のほうにあるギャンブルの街。ラスベガスに対しても適用された。たくさん
 の人間が集まるその歓楽街に、死の灰が降ってはならなかったのである。

  こうしてネバダ州の西側カリフォルニアと南側ラスベガスが制限されると、逆に開放さ
 れるのは、北東にひろがる扇状の部分になる。それは、北東に向かって風が吹いている時
 をねらって原爆に点火することを意味した。その結果、95頁の図のように、ネバダ州およ
 びアリゾナ州の一部と、ユタ州全土を含む地域に集中して、死の灰が降り続けたのである。
  セント・ジョージは、この降R地帯のなかにあって、核実験場に近い位置にあった。
  それはちょうど、フクシマ事故で北西方向に”最大量の放射性ガス”が流れ、浪江町や
 飯舘村と、福島市、二本松市の周辺が大汚染したのと同じ現象であった。

  セント・ジョージで生活していたモルモン教徒の住民は、モルモットにされたのだ。西
 部は、東部の上流社会に対する,”アメリカの田舎”として切り捨てられたのである。
  当局はこの危険性について、「死の灰は”ほとんど人の住まない土地”に降るので安全
 だ!」と説明した。これを聞いた”サンフランシスコ・クロニクル”紙は、「アメリカに
 は、いま実に奇妙な新しいタイプの市民が生まれつつある。それは、”ほとんど人の住ま
 ない土地に住む”という市民である」と皮肉った。

  この皮肉な論評が、モルモツトの事実を言い当てていた。ほとんど人が住まない土地に
 降るので安全である、とは?裏返せば、その土地に住む数少ない人たちの危険性には目を
 つぶって貰うほかない、というのが当局のあからさまな見解だった。マーシャル諸島など
 の南太平洋で各国の核実験がおこなわれたのも、そこにいる島民はどうでもよいという、
 まったく同じ思想からであった。

 

                                  安倍晋三の長州藩歴代犯罪の系譜

  そのAECの思想をそのままそっくり輸入して原子力産業をスタートしたのが、わが国
 であったのだ!日本政府による原子力推進の基礎的な思想は、1964年5月27日に、
 科学技術庁長官・佐藤栄作(安倍晋三の大叔父)を委員長とする原子力委員会のメンバー
 が策定していた。彼らが定めた原子炉立地審査指針――第1項「原子炉立地審査指針」の
 2「立地審査の指針」2‐2は、原子力発電所を建設する場所を、こう定義した。

  ―原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であ
   ること。
   ここにいう「ある距離の範囲」としては、仮想事故の場合、何らの措置も講じなけれ
    ば、範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲を
      とるものとし、「低人ロ地帯」とは、著しい放射線災害を与えないために、適切な措
   置を講じうる環境にある地帯(例えば、人口密度の低い地帯)をいうものとする。
 
    つまり、ネバダの核実験とまったく同じルールで、人口密度の高い大都市には原子炉を
  立地してはならない、とする指針であった。言い換えれば、原子力発電所の大事故は起こ
 り得るので、低人口地帯(過疎地)の人間であれば著しい放射線災害を受けても致し方な
 い、としていた。

  この指針が定められて2年後の1966年7月25日、わが国最初の商業用原子炉・東
 海発電所が茨城県で運転を開始し、”安部晋三が尊敬する祖父”岸信介(佐藤栄作の実兄)
 が1959年に決定したこの東海村原子炉によって、現在まで続く原子力発電の時代に突
 入したのである。

  こうして日本のモルモット地帯として選ばれたのが、北海道(泊原発)、青森県(東通
 原発・六ケ所再処理工場)、宮城県(女川原発)、福島県(福島第一・第二原発)、茨城
 県(東海発電所・東海第二原発・東海再処理工場)ヽ静岡県(浜岡原発)ヽ新潟県(柏崎
 燈影発べ石川県(志賀原発)、福井県(敦賀原発・美浜原発・大飯原発・高浜原発・高速
 増殖炉もんじゆ)、島根県(島根原発)、愛煙県(伊方原発)、佐賀県(玄海原発)、鹿
 児島県(川内原発)――それぞれ原子力発電所と再処理工場を有する13の道県の住民グ
 ループであった。確かに、このなかには肝心の電力の大消費地である東京大都市圏も、大
 阪関西経済圏も、名古屋中部経済圏も入っていない……。

  誰が被害者になるのか? しかし大都会の人間であっても、原発事故の風下地帯は、。
 その時の風向き々が決めるのであり、事実、東京がフクシマ原発の放射能を大量に浴びた
 のだから、日本全土どこでも、原発の再稼働を傍観して、安眠できる人はいないだろう。

  さて、ネバダでB期間の第一発目の原爆がキノコ雲をあげる45日前(1950年こ1月
 13日)に出された極秘の原子カヱネルギー委員会(AEC)レポートには、つぎの記述
 がある。

  ――安全な実験場は、全米のどこにもない。しかし人口の少ない所を選べば、一定の予
    測された危険性にもとづいて実験が可能である。アラスカと、xxxxと、xxx
    xが適している。
    このレポートにはあちこちにスミ塗りがあるので判然としないが、当局が、こうし
 て過疎地ネバダの砂漠を実験場に選んだことが分る。すると、そっくりこのAEC思想を
 輸入した
  日本の原子力発電所がある場所は、「日本のアラスカ」か「日本の砂漠」として選ばれ
 たのか?

  実験開始後のAECレポートには、死の灰が降りはじめてからの風下の分布地帯が示さ
 れているが、その地図では、セント・ジョージが危険地帯にすっぽり入ってしまい、ラス
 ベガスはかろうじて免れているように見える。大汚染地となったユタ州は、全世界に輸出
 されている小麦、トウモロコシ、大麦などの有数の産地でもある。

  そして福島県もフクシマ原発事故が起こるまでは、原発発祥の地・茨城県と並んで、首
 都圏にとって最大級の農産物と魚介類の供給基地であったのだ。いや、原子力発電所と再
 処理工場を有する13の道県は、いずれも大都会を避けたのだから自然蕪かな。日本の大食
 糧?である。日本全土に向けて大量の酪農製品と魚介類を供給している食料自給率200
 %の北海道に、泊原発3基があるのだ。

  コシヒカリを生んだ福井県は、現在も原発11基を抱える原発銀座であり、大事故があ
 れば関西地方1400万人の水がめ・琵琶湖が壊滅する。日本一の米どころ新潟県に柏崎
 刈羽原発7基がある。九州では、食料自給率が佐賀県94%、鹿児島県82%で、この両
 県が最大を誇っているが、そこに玄海原発3基と川内原発2基があって、再販働候補トッ
 プなのだ。この九州から「台風と同じ進路で北上する風」と、「カツオが泳ぐ太平洋沿岸
 の黒潮」と、「日本海全域を流れる対馬海流」が、次の大事故で、日本列島と海を総なめ
 にするわけだ。

  四国の伊方原発3基の風下地帯も同じ風向きだが、ここでは瀬戸内海と大阪’神戸を含
 めた沿岸13府県の全域が壊滅する。食料自給率がゼロに近い大都会の人間も、原発の再
 嫁勣を傍観すれば、フクシマ事故でかろうじて大汚染を免れた陸と海が全滅して、一切の
  食料を失う道しか残されていない。それでも原発の再稼働に熱中する安倍晋三の罪は、万
  死に値する。

   原発事故の大被災地・福島県では、県内の7割を占めるのが山林である。したがって、
 山林の汚染地帯を除染することはほとんど不可能なので、地元の農林業の関係者は、目の
 前の美しい阿武隈山系を見やって、「どうやってこの山野を洗うんだ」と、無念の言葉を
 甑ってきた。

  ネバダ核実験の汚染地帯についてここまで述べたことは、平らな紙の上に描かれる単純
 な距離と方位の関係を示す説明である。実在の土地はこれより複雑である。その凹凸の状
 態を、立体的に説明してみよう。
  核実験の汚染地帯の形状を頭に思い浮かべるには、馬蹄を目の前に置いてみるとよい。
 この馬蹄がシエラ・ネバダ山脈から北上してカスケード山脈に至る左側の連山と、ロッキ
 ー山脈に支配される右側の連山を成し、この左右の連山が頭のところでぶつかり合っている。
 馬蹄の中心部は広大な盆地を成し、その中心の下の方に、ネバダの核実験揚がある。この
 ような起伏を持った馬蹄の外側のハリウッドから、『征服者』の映画ロケのため、ジョン・
 ウェインらの一行が、馬蹄の内側に入りこんできたのである。セント’ジョージの町がち
 ょうど馬蹄の先端に位置しているので、ロケ隊は死の谷を越えて、この円内に侵入してき
 たことになる。

  さて、この馬蹄形の真ん中で、しかも風向きが北東のときを選んで原爆を爆発させると、
 どのようなことが起こるだろう。
 。”死の灰”はセント・ジョージをめざして猛進したあと、ロッキーの商い壁(ほぼ富士
 山の高さに相当する山脈)に行手をさえぎられ、セント・ジョージの町を空から直撃した。
 特に、『征服者』ロケがおこなわれたスノウ・キャニオン(雪の峡谷)のように凧の吹き
 こみやすい谷間には、死の灰が雪のように降りそそぎ、その峡谷を死の谷虻変えていった。



長谷川健郎氏撮影 「生活と自治」2014年8月号


  当時、セント・ジョージ近くのシーダー・シティーに住む羊飼いカーン・プロックの羊
 が1200頭以上も原因不明の死をとげていたのだ。これは、大変な数である。
  同じようにフクシマ事故では、原発がある双葉町から北西方角虻大量の放射性ガスが流
 れ、汚染地帯の酷農家は牛をすべて殺処分するよう政府から指示されて、涙を流しながら
 愛するすべての牛の命を新たなければならなかった。しかし双葉町に隣接する浪江町で、
 原発から14キロメートルのところで「希望の牧場・ふくしま」を経営してきた酪農家・
 吉沢正己さんは、日本政府・農林水産省の「牛を殺処分(安楽死処分)せよ」という指示
 に強く抵抗し、”原発事故の生き証人”として観察するため和牛の放牧を続けてきた。そ
 の結果2015年現在、飼育する300頭以上のうち、すでに20頭以上の牛が、黒い体
 の表面に大量の無気味な白い斑点を出すまでになっている。チェルノブイリ事故で多くの
 家畜が白血病になった事実から考えて、20頭以上という数は間違いなく、牛の体内に進
 行する重大な病変を示している。


「事実は小説より奇なり」。事例研究報告を淡々と確認して読み進める。次回も第3章。


                                  この項つづく

 

【進化するドローン Ⅰ】

 

 

 


すごいことだと感心する反面、、騒音が気になる。静粛性の高い方法、機構、システム設計
が重要になるだろう。

 


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