それもそのはず、私自身が私に憐れみを感じることなど無いではないか。
『リチャード三世』第5幕第3場
【海底下生命圏探査工学: 海底下で世界最深の生命圏を発見】
海底下約7千メートルまで掘削できる能力を持つ、日本が世界に誇るJAMSTEC地球深部探査船
「ちきゅう」が、深海底のさらに下の地中2.5キロメートルに微生物の生態系を発見したこと
で、海底下部地層の生命が石炭から天然ガスを作る「海底下の森」を新たに発見し 2千万年以
上前の地層から世界最深の海底下生命の培養に成功する。
地球に残された最後の生命圏フロンティアとも言われる「海底下生命圏」である。その住人は、
直径がおよそ5百ナノメートル程度の、顕微鏡でしか見ることのできない小さな微生物たち。
過去10年以上にわたり、科学掘削船で海底を掘り、地層サンプルに含まれる微生物の研究が
行われてきた。最新データでは、海底下には地球全体で2.9×10の29乗個の単細胞の微生
物がいると考えられているこれは。宇宙空間の全恒星の数よりもはるかに多い天文学的な数で、
一つ一つの微生物は小さくても、その小さなパワーが無数に集まることで、地球内部の炭素循環
を調節する重要な役割を果たす。例えば、次世代エネルギーとも言われるメタンハイドレートは、
実は海底下の微生物が作ったものが多い。
ところがその実態についてはまだわからないことが多い。海底下のどのくらい深くまで生命が存
在するのか? それらはいったいどんな微生物で、どのように生きているのか? こうした謎の
解明に向け、12年7月から9月にかけ、地球深部探査船「ちきゅう」を用いて、青森県八戸市
の沖合約6キロの地点で、統合国際深海掘削計画(IODP)第337次研究航海「下北八戸沖石炭
層生命圏掘削」という国際プロジェクトを実施。ライザー掘削システムという石油業界で培われ
たテクノロジーを使い海底を掘り進み、当時の科学海洋掘削における世界最深掘削記録2111
メートルを19年ぶりに更新している、海底下2466メートルまでのサンプル採取に成功する。
この成果により 海底下約1.5キロより深い地層には厚さ30センチ以上の石炭層が17箇所あ
り、なかでも海底下約2キロの石炭層は、約7.3メートルもの熟成がはじまったばかりの褐炭
層がある。採取された地層サンプルに含まれる微化石や鉱物から、これらの地層が約2千万年以
上前に植物の生い茂る湿地や干潟のような沿岸環境で、日本海の拡大と日本列島の形成に伴い、
海に沈降したものであることも判明。当時の環境は、現在の釧路湿原のような泥炭(ピート)を
作る環境だったかもしれないという。海底下の環境は、深くなるにつれ温度が高くなるが、掘削
孔の最深部2466メートル地点の温度は約60℃と比較的暖かかった。これまでに122℃で
生育できる微生物が海底熱水噴出孔から分離されていることを考えれば、深いながらも十分に生
命が生息できる自然環境である。
● 2千万年以上前の地層から世界最深の海底下微生物の培養に成功
これまで、海底下の住人である微生物を実験室内で分離・培養することは、極めてゆっくり代謝
し棲息するため、難しいと言われてきたが、ウレタンスポンジを詰めたバイオリアクタ(生体触
媒反応装置)を使い、海底下約2キロメートルの石炭層サンプルから、これまでの深度記録を約
10倍も更新する微生物の培養に成功している。現場温度に近い約40℃の無酸素環境でリアク
ターを操作し、約1カ月後、わずかなメタンを生成していることをを確認。およそ9百日後、ス
ポンジに付着させ石炭層の粒子を電子顕微鏡で観察したところ、大量の微生物が石炭層に付着し
増殖していることを確認(下画像)。
また、培養微生物に二酸化炭素を添加し、超高空間分解能二次イオン質量分析器の元素イメージ
分析結果、添加した二酸化炭素を取り込んだ微生物を確認。このことで、地中深くの石炭層で二
酸化炭素を食べてメタン生成するメタン菌や、二酸化炭素を固定する微生物が棲息してる確証を
え、地上の森林土壌と同洋に、地球の炭素循環の「海底下の森」を実験室内で再現させた。
一般に、海底下の地層環境が深くなるにつれ、形成時代が古くなり、温度が高くなっていく傾向
があり、核酸やアミノ酸のタンパク質などの細胞基質物質(生体高分子)は逆に壊れやすくなる。
生命が生きていくには、これらの壊れた部分を酵素で修復するか、新しく再生するがある。どち
らも酵素や生合成代謝経路を働かすための水やエネルギー基質が、持続的に供給される必要があ
り、また、棲息する微生物も再生代謝機能を備えている必要がある。
下北八戸沖の海底下深部の場合、現場に生息する微生物の生存や存続に必要な水やエネルギー基
質の供給が十分ではなく、静かで安定的な環境であったことが「生命圏の限界域」を形成させて
いると推測している(下図参照)。このため、掘削した地層を60トンの加圧下でも、地層の鉱
物の間隙水は、数滴の涙ほどの量しか採取されず、外から水や含有物質の浸入できず、太古の陸
域土壌に由来する微生物生態系が保たれ、高温環境に適応できる新たな微生物が混入できなかっ
たと理解される。
ここでは、調査研究課題は多いが、「海底下生命圏利用工学」という言葉(これを包括する言葉
としてすでに「地球生命工学:Bio- CSS」がある)を即席で造語しイメージ拡張すれば、炭層に
、メタンバイオリアクター挿入しメタンガス変換し、発生するメタンガスを減圧回収し、燃料電
池でエネルギー変換し回収した二酸化炭素を山元還元し、バイオリアクターで固定する炭素の永
久循環システム――つまり、海底下生命圏で、人工的にメタン生成し→地上生命圏でエネルギー
変換し→二酸化炭素回収→海底下生命圏で固定あるいは貯蔵する――の実用展開が考えられてい
る。
【縮原発論 Ⅷ: 核ごみ廃棄処理のススメ】
目次
第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
第4章 世界的なウラン産業の誕生
第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
第6章 産業界のおぞましい人体実験
第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
20年以上苦しむ、ネバダ核実験の住民被害者が訴訟を起こした
1981年9月14日(大気中の核実験終了から24年後)、放射能被バク訴訟の“第一回
審理がはじまった。いたずらに裁判を長びかせるのは得策でないと判断したユタ州住民の原
告団は、総勢1192人の原告をわずか24人に絞って、この第一回審理にのぞんだ。原告
の一人、セント・ジョージのアーマートマス夫人は75歳になりながら、山のような手紙を
書き続けてきた。その宛名は、大統領、国会議員、医師、原子カェネルギー委員会、エネル
ギー省、国防総省……と果てしない。しかし報われることなく、ついに原告となって立ちあ
がった。いままで「私は裁判を望まない。お金を請求すれば誤解され、これまでの努力が分
ってもらえなくなる」と語っていた彼女も、1000人を超える人びとの声を代弁できるな
らと原告24人のなかに加わった。
ユタ州ゾルトレイク・シティー連邦地裁で審珊がはじまり、被害の長期性が証言によって
明白となった。
最初の証人の女性マーサ・レイノルドは、子供を白血病で失うまでを語った。
政府の弁護士は、「あり得ないことです。あのような微量の放射能で人が死ぬはずはあり
ません」と、はっきり因果関係を否定した。長瀧重信・山下俊一・中川恵一とそっくり同じ
言葉だ。
イレーヌープロストガード――私の父はつい5年限ど前まで、水上スキーをするほど元気
でした。でも、(大気中の核実験終了から廻年後の)1977年になって突然癌に襲われ、
つぎの年に死んでしまいました。セント・ジョージで癌にならないのは幸遅だったかも知れ
ません。それがやはり、私たちも結局、今になっても逃げられません。父は48歳の若さで
死にました。そして今、私も病気になっています。子供も自分も、父の亡くなりた48歳ま
で生きたいのです。高校のクラスメイトだった人達にも、つぎつぎと同じ病気が出はじめて
います。今になって。
エレーヌ・ブリスビイ――私はあの頃、夫に尋ねたことがありました。
「大丈夫かしら」
すると夫が答えました。
「心配することはない。見ろ、チャドはあの通り、ほかの子供と同じように外で遊び回って
るじやないか」
でもあの子が27歳になった時でした。頭痛と鼻血に苦しみはじめ、ある晩、物をつかめ
なくなったと言うのです。そして自分でソルトレイク・シティーヘ車を運転しながら病院へ
行ったのですが、帰りには友達が運転して、ヂャドを連れ帰りました。
骨髄腫でした。はじめステツキをついていたのですが、車椅子を必要とするようになり、
お風呂に入るにも私たちの手を惜りなけれぱならなくなりました。彼はそれをいやがりまし
た。そして28歳の誕生日の直前に……
私も夫も、家系には今まで一人もも癌がなく、みな80歳か90歳の長寿をまぅとうして
きました。チャドは、酒もタバコもやりませんでした。1954年から58年の問に、私は、
あの子のほかに5人の子供を生みました。この子たちが5年後か10年後にどぅなるかと思
うといてもなってもいられない気持です。
ノーマーポータ――私は、乳房と肪から腫瘍を取り除きました.その時、治療のおかげで
血が水のようになりました。医師は私が生きていることを信じません。けれどあと10年生
きたいのです。4人の子供を持てることができたのは神の思召しです。生きていることが嬉
しいのです,同じことが、ほかの人に起こらないようにと祈るばかりです。
エバン・クーパー――(大気中の咳実験終了から20年後の)1978牢まで、わが家は
大丈夫だった。しかしその時から、妻の体重が急に減りはじめた。仙骨に癌ができでいたの
だ。妻は、いま死ぬところだ。絶望しかない。莱なんて、文字通り妻をなぶり殺しにしてい
るだけだ。今やっていることは、馬が逃げ出したあとに納屋の扉をしめろようなものだ。
エルマー・ビケット――家族11人がみんな死んだ。伯父が一人だけ百歳を超えでもピン
ピンしているが、彼だけこの土地に住まなかったのだ。私が今思うに、この被害は永山の一
角だ。まだ、はじまったばかりだ。リンパ肉腫と白血病は、かなり表に現われてきている。
しかしほかの癌は進行中だ。
マーローストーンズ――私は一人息子を癌で失った。どれだり多くの人間がこの世にいて
も、私にとっては、彼以上の存在を考えられないのだ。(大気中の核実験終了から10年後
の)1968年だったが、息子の脚にK腫瘍が見つかった。15歳の若者に”脚を切断しな
ければならない”と言うのは辛いことだ。しかしその脚は切断されてしまった。
ある晩、彼を風呂に入れてやったが、立ち上がった時に、残りの脚が折れてしまった。別
の腫瘍ができていたのだ。彼は死んだ。
ここに紹介したのは、膨大な証言のなかからごく一部を取り出し、要約したものである。
これらの証言から分る通り、きわめて長期間にわたって、すさまじい被害が続いてきたので
ある。多くの人は、家族か死に至るまでの経過を、あるいは現在の病状を、この何十倍も克
明に語り、アーマ・トマス夫人のように患者のリストをつくり、それを地図のうえに示し、
ネバダとの因果関係を明らかにしてきた。ところが政判所では、原告がそれを語りはじめろ
や、アメリカ政府がこの一切の訴えを否定した。1981年Kペンタゴン総務顧問ウィリア
ム・ハワード・タフト四世がおそろしい非難の言葉で応酬していた。
「こんな被害を認めれば文明の終りを招く。低レベルの放射能が有害だということになれば、
原子力の計画は大ダメージを受けるおそれがあるではないか」
この原告24人に代表される怒れる人びとは、みな、実害を証言するためにをち上がった
のだ。賠償を晴求するのは、アメリカ合衆国にその事実を認めさせる一手段だという。しか
し、国家か認めなくとも、事実は明らかであった。ユタ州知事のスコット・マセソンが家族
10人を癌で失い、AECがいかに危険性を隠してきたかを証言したあと、自らも癌に襲わ
れて死亡するという事能にまで発展した。マセソンは、ウラン採掘業者や原子力産業の支援
を取りつけて州知事のポストを得たはずの人間だった。
パズルを解きはじめたアトミック・ソルジャーのポール・クーパー元軍軍曹は、合衆国全
士にひろがる大被害を、遂に説明してみせた。ほとんどの国民か気づかなかった秘密をこう
して明らかにするには、実に20年以上とい5長い歳月を要した。これだけ大量の犠牲者を
生み出してはじめて、人間は過去の失敗に気づいたのだった。
いや、果たして事実はそうだったのだろうか、
すべての被害を予測していたAEC(原子力エネルギー委員会)
とんでもない。このパズルの答は、核実験前から解き明かされ、核実験中に記録され、発
表されていたのだ。実は、ポール・クーパーに代表される人びとかこの問題に取り組んだと
き知ったのは、危険はすべて予知され、大被害が発生していると知りなから、核実験か続け
られてきた、という慄然とすぺき事実だった。それがそっくり、現在の日本と同じだったの
である。
セント・ジョージの住民は、殺されたのである。
それは、すでに数々の警告が出されていながら、Cれと並行して発表されてきたはるかに数
の多い当事者の安全PRを読み比べてみると、理解できる。
ある人間か”危険だ!”と叫んだ時、その声にかぶせるように数千人、数万人の組織され
た者が”奴は嘘つきだ。安全なのだ!”と叫び返していた。
その声を集録してみよう.(これはみな、公式の文書であり、公式のアナウンスである)
★被バク量は、きわめて低く、作戦に参加した兵士でさえ、レントゲン写真より少ない量
しか被バクしていません――国防総省ウィリアム・ハワード・タフト
★埃さえかぶらなければ、放射能を受けることはありません――陸軍当局
★安全を守るために、あらゆる対策がとられているので大丈夫です 国防総省ロバート・
E・モンロー
★これからおこなわれる核実験は、すべての人類匝とって利益となるものである。多少の
危険があるからと言づて引き返すようなことはできない――国防総省
★まったく危険はありません。まったく危険はありません――AEC(原子カエネルギー
委貝会ラジオ放送
★核実験について心配しないことこそ、あなたにとりて最善の行勁なのです-AEC
★羊などの動物が.死んだのは、核実験に原因があるのではありません。さまざまな気象
条件と疫病が重なり合って起こった現象でしょう――AEC
★牛乳は安全そのものです――AEC
★羊が死んだのは核実験のせいだとおっしやいますが、羊について訓べられた色々な異常
について、一体どのような証明ができるのですか――アメリカ政府(裁判所における牧
童への発言)
★核実験の恐怖は、共産党によるデノチあ・げであるということが充分に考えられます―
ネバダ州上院議員ジョージ・マローン
★核戦争に比べれば、核実験によって起こる危険性は、小さな犠牲にすぎない――トルー
マン大統領
当局は、住民が抱く危険性の敬ポロK対抗して、ウェスタンスタイルのマンガを使って、
安全PRを必死に展開してきた。大気中の核実験を終了する前年(1957年3月)には、
次のような内容のパンフレットが住民に配布された。
.
ネバグ、ユタ、アリゾナなどでは、放射線測定器(ガイガー・カウンター)を持つ人か増
えてきました。その結果、”おや、カウンターがいやにうるさく鳴るな。ここは危険なのか
も知れないと考えるようなことが起こるかも知れません。このような事態は、人びとを不必
要な不安に陥れるものです。ガイガー・カウンターは、非常に弱い放射線を見つけるための
ものです。したがってこれが鳴り出しても、人体への危険はまったくありません。
フィルム・バッジ、コンピューター、モニタリング・ポストなど、さまざまの精密な機器
を使りて、絶えず放射能の監視をおこなっているので安全です。
測定の結果、近くで生活する住民が受ける放射能は、人体に対してまったく影孵のないこ
とが明らかにされてきました。
年間の最高被バク量は、過去6年間を調べたところ、つぎの通りでした。
セント・ジョージ 500ミリレム(現在の単位で5ミリシーベルト)
シーダー・シティー 70ミリレム (現在の単位で0・7ミリシーベルト)
当時は、このパンフレットに書かれているように、被バク線量を『レム』の脈位で表わし
ていた。その後は、100レム――シーベルトに換算して、現在はシーベルトが使われるよ
うになりでいる(36頁の「換算表」参照)。このパンフレットに書かれているセント・ジ
ョージの最高被パク吸500ミリレムー5ミリシjベルトとは、1958~84年までIC
RP(国際放射線防護委員会)が定めた一般人の字間被バク限度の勧告値、いわゆる安全基
準値(線量限度)であり、1980年代前半までの安全基準的と同じである。1985年か
らは、この安全基準値が一般人で年間Iミリシーベルトに下げられ、現在に至っている。
もし原子力関係者の説明と測定値が正しいなら、セントージョージではわずか5~ミリシ
ーベルトの被パク量で、山のような癌患者と癌死者か発生した、ということにならないか?・
原子力規制委員会が言うように福島県民が年間20ミリシーベルトの汚染地帯に帰還すれば、
人生は終る。
核実験を主導レだAECは、次のようにも安全性を宣伝していた。
――これらの数値は、私たちが自然から受ける放射線100ミリレム(1ミリシーベルト)
と比べて、ほとんど変らない安全な量です。また、医療に使われている放射線より、ずっ
と低いものです。高い山に登ると、240ミリレム(2・41ミリシーペルト)の放射線
を受ける場所がたくさんあります。人間の体のなかにも、もともと放射線を出す物質が入
っています。
しかも私たちが目標にしているのは、この数字でなく、ネバダの核実験場の外で住民か受
ける放射能を、ゼロにすることです。そのため、数々の研究がおこなわれ、あらゆる努力
が払われています。
AEC(原子力子エネルギー委貝会)
日本の御用学者、中川恵一と山下俊一
これらの文句は、一字一句、現在の福島県民と日本人が、どこかで聞いた言葉ではないか?
「目民党・公明党の安倍昔三政権による日本政府広報」2014年8月17日
(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・福島民報・福島民友 PR欄)
――放射線について慎重になりすぎることで、生活留演を悪化させ、発がんリスクを高
めている――
全身に2000ミリシーベルトの放射線を浴びた方も多かった広島や長崎でさえ遺
伝的影響はなかったと考えられています。……国際的にも100ミリシーペルト以
下の被ばく量では、がんの増加は確認されていません……100~200ミリシー
ベルトでも、発がんリスクは野菜不足と同じぐらいです。……国際放射線防護委員
会(ICRP}は「10ミリシーベルト以下では、大きな被ぱく集団でさえ、がん
罹患串の増加は見られなごと発表Lていることからも、福島では被ばくによるがん
は増ないと考えられます。
東京大学医学部附属病院放射線科准教授 中川恵一
IAEAの保健部長と共にこのPR欄に登場した中川恵一は、フクシマ事故直後の”週刊
新湖”(2011年3月24日発売の3月31日号)で、まだ事故の真相が何も分らない時
点で、「通常よりやや高いと言っても、現在の放射線レペルは人体に影響を及ぽすものでは
ないことが分かります」と、安全論を吹聴した男だ。つまりAECと同様に、実害を調べず
に最初から根拠のない結論を持って、語る人間であることが分る。先に述べたように彼はフ
クジマ事故の翌年、2012年9月にも、福島県内で特に大汚染して放置された問題の”飯
舘村”の中学生に向かって、「安心しなさい、大丈夫です」と、放射線教育の特別授業をお
こない、「平均的な日本人の年間被パク量は約6ミリシーベルトです…福島でがんか増える
理由はない」と語った人物である。――飯舘村の住民の檀ぼ半数にあたる2837人が、フ
クシマ事故のため自宅に戻れなくなったとして、2014年に巨額の賠償を東京電力に求め
ているにもかかわらず。
彼ら日本の原子力御用学者は、AECと同様「人間の体の中にはカリウム40のような自然
界の放射性物質がある』と言って放射能安全治を吹聴してきたが、これは”子供をだます”
のによく使われてきた妄言である。自然界の放射性物質でも人体に悪影響はあるが、実際に
は、地球上に現存する生物は、進化の過程で”体内に入りやすい自然界の放射性物質”を絶
えず体の外に排出して濃縮しない、あるいは免疫機能を備えるなど、さまざまな適応能力を
獲得した生物だけが生き残ってきたのである。ところか、ヨウ素・ストロンチウムーセシウ
ムのように。核分裂で生まれる人工放射性物質は、広島・長崎に原爆が投下された1945
年より前に、自然界にほとんど存在しなかった。そのため、生物はこれらの危険物に適応能
力を持っていなかった。だからこそ、次々とすさまじい実害が出てきたのである,つまり、
この問題の答は、実害だけ正しいのである。
――福島における健康の影響はない。ないのに放射線や放削能をおそれて、恐怖症でいつ
でも心配しているということは、復興の妨げになります。
フクシマ原発曝発から8日後の3月20日
いわき市で山下俊一が講演して語りだ言葉
――放射線の影響は、実はニコニコ笑てる人には来ません。クゴクヨしてる人に来ます。
……笑いが皆様方の放射腺恐岸症を取り除きます。
フグシマ原発曝発から9日後の3月21日
福島市で山下俊一か講演して語った言葉
(この悪名高い人物については、その来歴を先にくわしく述べた。)
レントゲン写真との比較、医療用放射味との比較、自然界から受ける放射線との比較……
一体、彼らはどこを間違えて、被害者を出Lてきたのか!なぜ実害に目を伏せるのか!
乾燥した砂漠と温帯森林の違いはどのようなものだろうか? 内部被曝禍を無視し、暴走する唯線
量偏重の本質とその結果責任は? さて、次回は、いったん第9章に飛び、70年目の「8・15」
に備える。
この項つづく
● 今夜の一冊
2025年に日本列島にセットされた時限爆弾は、爆発か?不発か? それは神のみぞ知る。