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現代大量虐殺史 Ⅱ

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 暴力は嘘によってのみ秘密にすることができる。また、嘘は暴力によってのみ 維持される。

                                            アレクサンドル・ソルジェニーツィン

  


【時代は太陽道を渡る Ⅷ:太陽光連系直流給電システム】

株式会社NTTファシリティーズは、データセンターの省エネ化を実現のため、産業技術開発機構
(NEDO)の委託で、米国テキサス大学オースチン校の先端コンピュータセンタに高電圧直流
(HVDC)給電システムを導入、省エネ実証事業(15年8月~17年3月)を開始した。これ
により太陽光発電システムとHVDCを連系接続するなど、効率化と二酸化炭素削減に取り組む。
具体的には、(1)太陽光発電システムと高電圧直流給電システムを連系接続し太陽光の発電電
力に応じ、このシステムの整流装置の運転台数を制御し環境負荷を低減し、(2)給電効率を、
15%向上させる。

 

尚、すでに国内では、さくらインターネットが8月10日に同様のシステム(高温超電導ケーブ
ルで直流送電)が稼働している。

以上のニュースを2つの関連技術特許を掲載する。


● 電力変換システム

【概要】

消費電力の低減を図るためには電力変換効率の向上を図るため、交流電源から供給される交流電
圧を第1の直流電圧に変換する電力変換器と該直流電圧を降圧するための降圧手段とを含む電力
変換システム(直流給電システム)として、上図4の交流電源110に接続されたHVDC(hi-
gher voltage direct current:高電圧直流給電装置)101及び該HVDC101に接続された複数
の19インチラック102-1~102-N(Nは2以上の整数)を備えて構成し、19インチ
ラックは主としてサーバ装置等の情報通信機器を数十台収納するラックを示している。

HVDC101は交流電源110から供給される交流電圧を第1の直流電圧に変換するAC-D
Cコンバータ106を含む直流電源部105を備えている。 各19インチラック102-1~
102-Nはそれぞれ各サーバ装置103-1~103-Nを備え、 各サーバ装置103-1~
103-Nのそれぞれの構成は全て同じであるので以下ではサーバ装置103-1を例にして説
明する。

サーバ装置103-1は、第1の直流電圧を第2の直流電圧(例えば48V)に変換(降圧)する
DC-DCコンバータ(例えば、特許文献1参照)107と、第2の直流電圧の出力のバラツキ
を抑制(定電圧制御)するDC-DCコンバータ108と、第2の直流電圧を第3の直流電圧に
変換(降圧)するDC-DCコンバータ109-1~109-N(Nは2以上の整数)と、DC
-DCコンバータ109-1~109-Nにそれぞれ接続され第3の直流電圧が入力される負荷
110-1~110-N(Nは2以上の整数)とを備えて構成されている。尚、DC-DCコン
バータ108、DC-DCコンバータ109-1~109-N及び負荷110-1~110-N
はサーバ装置103-1のオンボード104-1を構成。

上記の電力変換システムは電力変換部を備え、交流電源から負荷までの電力変換の変換段数は4
段で、AC-DCコンバータ106の電力変換効率は95%程度で、DC-DCコンバータに1
07の電力変換効率は95%程度で、DC-DCコンバータ108の電力変換効率は97%程度
で、DC-DCコンバータ109-1~109-Nの電力変換効率は91%程度となり、交流電
源から負荷までの電力変換効率は各電力変換効率を乗算すれば、交流電源110から負荷110
-1~110-Nまでの電力変換効率は80%程度。この電力変換手段の変換効率を向上するは
電力変換器の電子部品の材料特性の向上等が必要となりコスト逓増する。



この問題を解決するための電力変換システム(上図クリック)は、(1)入力側が互いに直列に
接続された複数の電力変換手段で、その直列接続された入力側全体における一端と他端の間に、
(2)交流電源から供給された交流電圧が入力され、各電力変換手段がそれぞれ入力電圧を直流
電圧に変換して出力するように構成された、複数の電力変換手段と、(3)入力側と出力側が絶
縁され、入力側が各電力変換手段の出力側にそれぞれ個別に接続されている複数の降圧手段とを
備え、複数の降圧手段の出力が並列に接続されて構成。

ここで、交流電源から供給された交流電圧を負荷が要求する直流電圧に電力変換するという点で
は上記した従来技術と同じだが、交流電源から負荷までの電力変換段数が4段であるのに対し、
複数の各電力変換手段で、分割した交流電圧を直流電圧に変換出力し、直流電圧を電力変換(降
圧)するため、交流電源から負荷までの電力変換の変換段数が2段となる(図1)。

また、従来技術ではが直流電源装置としてのHVDCに接続された構成となる
るのに対し、本発明では直流電源装置が19インチラックに含まれた構成で、19インチラック
内のサーバ装置と直流電源装置を接続するコネクタケーブルの長さを短い。従って、コネクタケ
ーブルにかかるコストを低減できる。

  19インチラック

また、この発明システムは、降圧手段の前段に蓄電池が接続されている。こうするこで、各降圧
手段の前段に配置された直流電源装置の電力変換手段に異常が生じた場合でも、蓄電池から電力
供給が継続され負荷への電力供給が停止することがない。以下、このシステムの特許請求範囲。

1.入力側が互いに直列に接続された複数の電力変換手段であって、その直列接続された入力側
 全体の一端と他端の間に交流電源から供給された交流電圧が入力し、各電力変換手段がそれぞ
 れ入力電圧を直流電圧に変換して出力できるよう構成し、複数の電力変換手段と入力側と出力
 側が絶縁され、入力側が各前記電力変換手段の出力側にそれぞれ個別に接続されている複数の
 降圧手段とを備え、数の降圧手段の出力を並列に接続している。
2.入力側が互いに直列に接続された複数の電力変換手段であって、その直列接続された入力側
 全体の一端と他端の間に交流電源から供給された交流電圧が入力し、各前記電力変換手段がそ
 れ入力電圧を直流電圧に変換して出力するように構成し、複数の電力変換手段と出力側にそれ
 ぞれ個別接続した降圧手段の出力側の複数負荷をもつサーバ装置を備え、複数の降圧手段の出
 力を並列接続している。
3.各降圧手段の前段に蓄電池を接続している。


● 組電池の放電制御システムおよび放電制御方法



使用目的に応じた電圧を得るため、リチウムイオンセルを複数直列に接続してリチウムイオン組
電池を構成し使用する場合、充電は組電池全体に対して行い、各セルの充電電圧を制御できない
ため、直列セル間(同一組電池内のセル間)で充電電圧のバラツキが生じ、電圧が高いセル、つ
まりSOC(充電状態:State of  Charge)が高いセルと、電圧が低いセル、すなわち、SOCが
低いセルとが混在する。また、セルの製造上のバラツキや、運用時の設置環境などでも、直列セ
ル間において劣化状態のバラツキが生じて、SOCの上限値に差が生じる。

また、組電池では、構成するセルが1セルでも放電終止電圧に到達した場合は、安全性維持のた
め組電池全体の放電を停止する必要がある。例えば図8(上図をクリック)のようにセル210
を複数接続し構成す組電池220の放電時に、コントローラ230が各セル210のセル電圧を
監視し、セル電圧が所定電圧より低いセル210がある場合は、スイッチ240をオフ(開)状
態とし、組電池220からの放電を停止しに制御する。

このため、放電時は、SOCの低いセルが他のセルより早く放電終止電圧に到達し、組電池全体
が放電を停止させボトルネックとなり、組電池の放電容量が低下しい非効率なエネルギーの利用
を引きおこす。こうした問題は、多数のセル(約百個)を接続して構成される高電圧直流(HV
DC)や無停電電源装置(UPS)では顕著になる。この対策に、複数個の単セルが直列に接続
構成した組電池に、負荷に放電する放電線内にスイッチを設置し、組電池内の各セルの電圧をモ
ニタし、セルの電圧に応じスイッチ開閉する制御信号を送出機能をもつ電池監視制御部を設け、
各セルの正・負極端子に接続された充電用配線で、充電を各セルごとに独立に行う方法が提案さ
れているが、セルの製造上のバラツキや、運用時の設置環境の差などで、直列セル間の劣化状態
にバラツキが生じて、SOCの上限値に差が生じる。

上図は、各セル2の電圧を監視する電圧計4と、各セル2に配設され、セル2の電圧を個別に昇圧可能
な昇圧コンバータ3と、各セル2の電圧に基づいて各昇圧コンバータ3を制御するコントローラ5と
を備え、コントローラ5は、一部のセル2の電圧が第1の所定電圧V1よりも低い場合に、一部
のセル2以外の他のセル2の電圧が昇圧されるように昇圧コンバータ3を制御することで、複数
のリチウムイオンセルを直列接続した組電池として使用する場合に、組電池全体としてより適正
に放電できる特許。

   


 【縮原発論 18: 核ごみ廃棄処理のススメ】   

  目次    

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき 

   第7章 国連がソ連を取りこみはじめた

                  マンハッタン計圖を始動させた黒幕の正体

  ヴィクター・ロスチャイルドは世界最大の金融財閥を生み出したネイサンーロスチャイル
 ドの直系子孫――孫の孫――であり、ロスザヤイルド銀行会長として世界金融の頂点に立ち、
 イギリスBBC放送の”影の総裁”として国際的通信ネットワークを支配し、シェル研究所
 の所長として西側の原爆開発の中枢にあった男だ。
  加えてこのソ連のスパイ、ヴィクタE・ロスチ?イルドの再従妹の夫、フーフンス人ベル
 トラフン・ゴールドシュミットは、二次大戦中のマンハフタン計画で開発リーダーとして活
 動したユダヤ人で、後年国連のIAEA(国際原T力機閔)の議長をつとめ、全世界のウラ
 ン・プルトニウムの原材料部門を動かす「総支配人」であった。

  さらにこのロスチャイルド財閥のアレグザンダー・サックス(ドイツ読みザックス)こそ、
 1939年8月2日に書かれたアインシュタイン書簡を、二ヶ月後にルーズヴェルト大統領
 に直接手渡した人物であった。マンハタッタン計画の起爆剤となったアインシュタイン書簡
 が、科学者の手で書かれたものとは思われないほど「資金調達」と「ウラン調達」に重点が
 おかれたれていたのは、ニューヨーク・ウォール街のマーチャント・バンク「リーマン・プ
 ラザース」副社長だったこのサックスが、すべて仕組んだからであった。




  読者は、2008年に全世世界を襲ったリーマンーショツクをど記憶であろう。ウォール
 街の強欲さが招いた世腎的な経済崩壊の源が、この「リーマンブラザース」にあったことを。
  1993年に発刊された『資料マンハツタン計画』(大月書店)という大部の書物には、
 ”資料3-アレギザンダー・ザタクスから大統領にあてた書簡 1939年10月11日と
 して、次のような文面が見られる。

  ――大統領領閣下
    ……アルペルト・アインシュタイン博士の書簡ならびに物理学者の実験K閲する関連
    資料を閣下にお届けする機会を設けていただけるものと存じます。――究極的可能性
    としては、これまでの想像を絶するような力と可能性をもつ爆弾が製造される。閣下
    にお渡しする書面のなかでアインシュタイン博士が述べていますように、「この型の 
    爆弾1個を船で運び、港湾で爆発させれば、それだけで、港湾全体のみならず、同時
    に周辺地域の一部をもたぷん破壊するでしょう。」……ドイツによるベルギー侵攻の
    危険にかんがみ、(ベルギーのてブリュツセルに本社をもつ(コンゴの)ウニオン・
    ミーエール・デュ・オートカタンガ社と協定を結び、なるべくなら外交ルートをつう
    じて、米国が十分なウラン供給量を確保できるようにすることが緊急問題となってい
    ます。……

  これを書いたリーマン・ブラザース副社長サックスは、当時ロシア領だったリトアニア生
 まれのユダヤ人移民のため家系譜の記録は残っていないが、「パレスチナにユダヤ人国家(
 イスラエル)を建設する暫定委員会」の設立者であった。ゴールドマン・サックス創業者の
 サックス家も、リーマン・ブーフザース創業者のリーマン家もロスチャイルド一族の近親ユ
 ダヤ人で、その直系一族と結婚したヘンリー・モルゲンソーJrがマンハッタン計画の全会
 計を掌握するルーズヴェルト内閣の財務長官として君臨し、イスラエル建国の独立債券発行
 会議議長であった。そうした数々の事実関係から、このアレグザンダー・サックスがロスチ
 ャイルド家の重要な血族だったことは間違いない。
  ロスチャイルド家がマンハッタン計画を始動させた黒幕たったのだ。


         ソ連の犯罪。カチンの森の虐殺に目をつぶったアメリ力

  ゾ連の犯罪は、ここからが本番である。戦時中の1943年.10月23日から、戦後の
 1946年1月24日までソ連大使をつとめたアメリカの鉄道王アヴェレル・ハリマンは、
 ロックフェ-フー財閥とモルガン財閥の中枢にあって、海外武器貸与主席行政官として連合
 国の戦時中における軍事物資のヨーロッパー調達を支配した”死の商人”であった。この鉄
 道王の娘カスリーン・ハリマンが、一次大戦中、ゾ連がポーランド将枚数千人を大量虐殺し
  た歴史上の悪名高い事件”カチンの森の虐殺”の現場に調査団員として派遣され、「これは、
 ナチス・ドイッによる虐殺だ」というソ連の発表した内容の”大嘘”をそのまま全世界に報
 告した問題の人物であった。ここにまで、アメリカとソ連の「連合国」同士の陰湿きわまり
 ないコネクションがあった。

  カチンと呼ばれる淋しい森のなかで起こった虐殺事件とは、今日まで明らかにされている
 限り、次のようなものであった。この経過は、『ロマノフ家の黄金』(広瀬隆薯、ダイヤモ
 ンド社、1993年初版)にくわしく述ぺたが、そこから要点を引用する。

  ナチス・ドイツの独裁者ヒットラーと、ソ連の独敗者スターリンのあいだで、「独ソ不可
 侵条約」(互いに侵略しないという協定)と、「独ソがポーランドを分割して分け合う」と
 いう秘密議定書がモスクワで交され、ソ連外相モロトフとドイツ外相リッペントロップの密
 約が成立したのが、1939年8月23日であった。

  その9日後の9月1日、この密約のもとにソ連の保障をとりつけたドイツ軍が、西側から
 ポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が幕を開いたのだ。
  それを見届けたソ連軍は、ほぼ二週間後の9月17日に、今度は東側からポーランドに侵
 攻していった。つまりこれまで、「ナチスがポーランドに侵攻して第二次世界大戦がはじま
 った書かれてきた歴史は、半分が嘘である。ソ連とナチスが”ポーランド分割”の密約を結
 び、独ソ両国が呼吸を合わせて第二次世界大戦をはじめたのだ。このソ連の戦争犯罪は、こ
 れまでほとんど不問にされてきたのではないか?



  この両軍は、ポーランドの首都ワルシャワから西へ170キロのところにあるブレストで
 出会い、ポーランド全土が独ソ両軍の手に落ちたことを祝った。しかしそのままでは、いず
 れも野獣であるドイツ軍とソ連軍が占領地を争い、衝突する危険性があった。そのため11
 日後の9月28日、ドイツ外相リッペントロップは再びモスクワヘ飛んで、両国の縄張りを
 定める会議を開いた。ここにポーランドが公式に東西に分割されたのだ。この時に引かれた
 縄張りの線が、ゾ迪が崩壊した1990年代まで”国境”として残った線である。現在、ベ
 ラルーシ(旧・白ロシア)領で、ボーランドの国境線返くにあるのが、独ソ両軍が進軍して
 出会ったこのプレストであった。

                    (中略)

  1943年4月、ドイッ軍が最後の決戦のため、やがて春が訪れるのを待っていた時であ
 る。ボーランド将校の音信が途絶えてからすでに三年も経っていたが、凍土がとけるロシア
 の森の中で、ナチスの部隊は大量のポーランド将校か虐殺され、無惨な姿で土の中に埋めら
 れているのを発見した。その森は、カチンと呼ばれていた。おそるべきナチスさえも震えあ
 がらせたこの惨殺の犯人を知っていたのは、身に覚えのないナチスと、手を下したソ連だけ
 であった。

  ドイツは直ちにこれを公表して、ソ連攻撃の材料とするため激しい非難をおこなった。だ
 が、1940年に同じボランドの南部にアウシュヴィッツ強制収容所を建設し、ユダヤ人虐
 殺を展開していたのがドイツだ。全世界を敵にして戦うファシストの言葉を信ずる者はほと
 んどいなかった。ポーランドの亡命政府外相ラチンスキーは、ロンドンでこの報を聞き、直
 ちにそれがソ連の行為であると見抜いたが、すでにソ連が連合国となったこの時点では、ナ
 チスを利するような行動は許されなかった。事情を知る誰もが、ナチスの言葉を聞かなかっ
 たふりをしたのである。 

                    (中略)

  そしてソ連政府は、「カチンの森の虐殺はナチス・ドイツによるものである」という調査 
 結果を発表した。連合軍のアメリカとイギリスもまた、すでにゾ連が犯人であることを示す
 状況証拠をつかみながら、その偽報告を黙認し、アメリカ財閥代表カスリーンーハリマンが
 ソ連を支持した(後略)。




                10万の囚人を使ったソ連の原爆開発部隊

  ソ連では、世界大戦が終った1945年から、かつての工業地帯のウラル地方に、新たな
 兵器開発の命令が発せられた。スヴェルドロフスク(エカテリンプルク)とチエリャビンス
 クのありだに位置するキシチムに、ドイツ人スパイのクラウス・フックスが伝えた機密情報
 をもとに、原爆製造工場を建設する極秘計画がスタートしたのである(この地名はロシア語
 でクイシチムだが、一般にキシチムとしてよく知られているので、本書では後者を用いる)。

  南太平洋でアメリカが戦後の原爆実験をスタートした1946年、ソ連ではモスクワの南
 西810キロのオブュンスクに、小型原子炉の建設が囚人の手で進められ、イーゴリ・クル
 チャトフをリーダーとする原爆開発班が組織されていった。物理学者クルチャトフは、スタ
 ーリンの70歳の誕生日、「1949年12月12日までに原爆第一号を完成せよ」という
 命令を受けて、猛烈な勢いでグループを監督した。大戦から二年後の1947年、キシチム
 に住んでいた人びとは、突然に全員が強制移住させられることになった。

  代ってそこに、シペリアなど各地の強制労働キャンプに収容されていた囚人が、10万人
 近くも送りこまれるという巨大で無気味なプロジェクトであった。およそ10ケ所の収容所
 から、この囚人たちがそっくりキシチムに移動する形で、人生最後の目的地に送りこまれた
 のである。というのは、キシチムに入った人間は、囚人だけでなく科学者や研究者のほぼ全
 員が、一生涯そこから一歩も出てはならないという幽閉状態に置かれたからである。

  このソ連の”マンハッタン計画″の人事を担当して実行に移したのが、秘密警察NKVD
 (のちのKGB)で最高幹部の長官をつとめたユダヤ人ぺリヤであった。囚人10万人を移
 動し、キシチムの住民を強制退去させてその町を”チェリャビンスク”の暗号名で呼び、2
 700平方キロメートルという広大な面積を牢獄につくり変える地獄の作業が”粛清人”ベ
 リヤの指令のもとに迎められた。たちまち鉄道が敷かれ、地下数十メートルに巨大な開発ブ
 ラントが設けられると、シベリアの入口はまさしく人呼んで”シベリアの恐怖の町”と変っ
 た。
 
  キシチムに秘密都市が建設された翌年(1948年)、この軍事センタの原爆用の原子炉
 がついに運転を開始する日を迎えた。チャーチルから”鉄のカーテン”と非難され、トルー
 マンから”冷戦”の宣戦布告を受けていたスターリンは、一刻もいくアメリカと同じ原曝を
 自分の枕元に置いて眠りたいと思っていた。



 
  かくして1949年8月29日、シベリアのチェリャビンスクから東南東1400キロ余
 りのカザフ共和国セミパラチンスク核実験場(現・カザフスタンの北東部)において、早朝
 に一発の閃光がひらめいた。ソ連が一初の原爆実験に成功したのである。これは長崎に投下
 されたアメリカのフアット・マンのコピーとして製造されたプルトニウム型厚子爆弾であっ
 た。クラウス・フックスは、翌年にスパイであることが発覚して逮捕された。

  核実験がおこなわれた一帯では、すさまじい数の被バク者を生み出し、セミパラチンスク
 地方では、1990年代に至るまで少万く見積もっても数十万人という人びとが、アメリカ
 のセント・ジョージと同じように死の灰を浴びて殺されるか、激しい放射線障害で半世紀の
 地獄を味わうことになった。セミパラチンスクでおこなわれた核実験は、199年に閉鎖さ
 れるまで合計498回を数え、うち100回以上がネバダと同じ大気中の核実験であり、ソ
 連崩壊後の1993年には、この地方における癌の大量発生が続いている事態と、子供たち
 の中枢神経系の異常疾患が報告された。2002年には、「核実験場周辺の住民の体では、
 DNAの突然変異率がほかの地域に比べて180%になっている」との調査結果を、国際
 研究グループがアメリカの科学誌”サイエンス”に発表した。



                                   この項つづく

 

 ● 今夜の一曲



MIYAVI 石原貴雅:日本人の母親と日本に帰化した元在日韓国人二世の父親の間に大阪市此花
区西九条で生まれ――は、日本のミュージシャン。 エレクトリックギターをピックを使わずに
全て指で弾くという独自の“スラップ奏法”で世界から注目を集め、4度のワールドツアーに
成功している。ことし4月15日、約2年ぶりのアルバム『The Others』をリリース。グラミー
受賞チーム、ドリュー&シャノンをプロデューサーに迎え、全編アメリカ・ナッシュビルとロサ
ンゼルスで制作。

 


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