当時は強力に軍拡を推し進めたレーガン政権下。
プルトニウムの増産が求められ、安全性や環境などはおかまいなしだった。
ケイシー・ルード
札幌市が、ごみとして収集する使用済みスプレー缶などについて、今後は穴開けされていない状
態で回収することが17日、分かった。現在は、ごみとして出す市民に穴を開けるよう求めてい
るが、同市内で穴開け作業が原因とみられる死亡火災が2年連続で発生したため改める。10月
から清田区の一部を対象に試験的に導入し順次、全市に拡大する。同市は、使用済みのスプレー
缶やカセットボンベなどについて、市民に対して穴を開けた上でごみステーションに出すよう求
めている。ごみ収集車の中で圧縮され、残っているガスが火災や爆発を引き起こす恐れがあるた
め。同市内では、昨年3月と今年5月、自宅で行っていたスプレー缶などの穴開け作業が原因と
みられる火災が発生し、計3人が死亡。死亡火災が相次いだことを受け、回収方法の変更を決め
た(北海道新聞 2015.08.18)。
我が家では、使用済みスプレー缶の穴あけ器を常備し、屋外で穴を開け指定の廃棄物集積所へ持
ち運び処理している。ただ、そういう作業に心得のない方は間違いを犯す危険性が大いあるが、
(1)自治体単位での注意喚起運動、(2)二酸化炭素ガスなど不燃性ガスにすべて切り替える
法整備、(3)このようなケースのように自治体が回収するなどの3つの選択肢が考えられる。
ただ、札幌市は対策費のコストを問題にしているが、"人命は地球より重し"を考慮すればクリア
―――この経費を、民間・民営・官営で行うかは別次元の問題――できるはずだと考える。それ
でもコスト高で問題だというなら、応益税の消費税を充当――ただし、地方への税の移譲が進ん
でいない法制度を改正する必要がある。こうのようなきめ細かな対応能力は日本人の特徴なのだ
が。
● 高性能スパコン立国 ニッポン
計算科学センター内に15年6月末までに「Suiren Blue(青睡蓮)」として稼働を開始した国産超
小型スパコン。わずか1.6平方メートル程の非常に小さな室内設置面積に、 超小型の液浸冷却
槽1台と冷媒循環用の配管だけの極めて小規模な構成(「ExaScaler-1.4」)となっている。理論上
の最大演算性能は倍精度浮動小数点演算で428TFlopsである。このスパーコンピュータをはじめ
とした日の丸スパーコンピュータが快挙を果たす。スーパーコンピュータの省エネ性能を競う国
際ランキング「グリーン500」で、上位3位までを日本のスパコンが独占。上位20位に日本
のスパコン8台が入り、日本の省エネ技術の高さが評価された。
※ TFlops, GFlops/WFlops は Floating-point operations per second の略、1秒間に実行できる浮動小
数点数演算の回数を示す。1TFlops の場合、1秒間に1Tera(テラ:1兆(10の12乗)の単位
)回の浮動小数点数演算を行う。また、Flops/W は電力1ワットあたりの演算量(Flops)を示
す指標。1GFlops/Wの場合、1Wの電力を用いて、1秒間に1Giga(ギガ:10億(10の9乗)の
単位)回の浮動小数点数演算が行える。
ムーアの法則の進行が鈍化しているのと時を同じくして、データを処理するための需要が過去最
高。世界の全データの90%強が過去2年間に蓄積され、データセンタが米国全体の電力量の2
%を消費。最適温度で大規模サーバーファームやスーパーコンピュータを維持、経済性と環境的
見地から費用がかかる。特に、東日本大震災後、省エネが叫ばれるなか、東京工業大学は油冷の
"Tsubame KFC"のアイデアが生まれる。スーパーコンピュータは、テキサス州オースティンを拠
点とする"Green Revolution Cooling " によって開発された "CarnotJet"と呼ばれる鉱物油系冷却ソリ
ューションを採用する。一昨年11月 ”Tsubame KFC” は、引火点が高い、危険物該当外の油で
最もエネルギー効率の高いマシン。旧マシンと比べ50パーセントと高性能である。
内部では、システムが丸ごと油に浸かっている状態で油を循環する。システムからの熱を奪った
油は、水冷式の熱交換器で冷やされる。この熱交換器によって水が奪った熱は、屋外の冷却シス
テムで冷却する、という仕組みる。今後、この熱を回生エネルギーとして活用することも考え。
冷却は、外気温や湿度などに影響される。気温26℃の空冷よりも、28℃の油を冷媒とした方
が冷え、半導体温度が低くなることでリーク電流が減少し、システムとし消費電力削減に繋がる
(東工大、省エネランキング二冠の油浸スパコン「TSUBAME-KFC」を解説-TSUBAME 2.5 は
年換算1,000万円以上の電気料金削減, PC Watch、 2013.11.25 )。
US 8305759 B2
発表は15年前期の評価で、一定の消費電力当たりの計算性能を比較。1位は理化学研究所が民
間企業と共同開発し、今年6月に試験稼働を始めた「Shoubu(菖蒲)」。2位、3位はいずれも
高エネルギー加速器研究機構などが開発した「Suiren Blue(青睡蓮)」と「Suiren(睡蓮)」だっ
た。搭載されたプロセッサ「PEZY-SC」は、1チップ内に世界最大級の1,024個の演算コアを有す
ことで超並列演算を可能とし、倍精度浮動小数点数演算1.5TFlops の演算性能を実現。PEZY-SC
は、プロセッサ単体で見た場合の消費電力効率が 25GFlops/Wで世界最高レベルの省電力性能を達
成。スパコン「Shoubu(菖蒲)」は、この「PEZY-SC」を合計1,280個使用し、システム全体の理論性能として、
2PetaFlops 級の演算能力を有す。
また、今回、省電力性能が高い順に並べ替えたGreen500リスト(8月1日)では、システム全体の
電力効率として 7,031MFlops/Wを記録、世界1位にランクイン。同様に 「Suiren Blue」は 6,842
MFlops/W で2位、「Suiren」は 6,217MFlops/Wで3位にランクインする。中国製のスパコン「天
河二号」の消費電力は原発1基百万キロワット分に相当するが、世界動向は、「演算能力×低消
費電力=高性能(=日の丸プロセッサ「PEZY-SC」)の競争力に舞台は移っていく。
目次
第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
第4章 世界的なウラン産業の誕生
第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
第6章 産業界のおぞましい人体実験
第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
あとがき
第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
チェリャビンスク40番地に起こった凄絶な惨劇
ネバダの核実験B期間直後の一九六〇年、アメリカの偵察用U2型機がソ連の領空に侵入
し、いま述べたチェリャビンスク近くの都市で撃ち落とされ、パイロツトのフラフンシス・
パワーズが捕虜となった。しかし彼は何を調べるため、その都市まで危険な飛行を試みたの
か。
1976年11月4日号のイギリスの科学誌”ニュー・サイエンティスト”に発表されヨ
ーロッパとアメリカに大センセーションを巻き起こした事件があった。これは一人のソ連人
が報告した、「ソ達における放射能大災害」であった。その後、”ロサンジェルス・タイム
ズ””インターナショナル・ヘラルド・トリビューン”、”ッガーディアン”、イブニング・
スタンダード”、”デイリー・テレグラフ”、”ロンドン・タイムズ"、"エルサレム・ポス
ト"、"タイムズ" などが、日を追ってこれを克明にレポートした。
この事件が、現在のわれわれ日本人に重大な警告を与えるのである。
この事件の真偽については、なぜか敵方のアメリカCIAが、執拗にこの「ソ連の不祥事
を告発するソ達人」に対してするどい反論を加え、全世界の原発シンジケートが、そのCI
Aの肩を持ち、それだけにまた欧米のジャーナリストが応酬して激論をたたかわせる、とい
った図式で大綸争がくり広げられた。だがスリーマイル島原発事故が起こった1979年に、
このゾ達人が事実経過を1冊の本にまとめて発表し、すべてのデータを突きつけた時には、
これに反論できる者はいなかった。
このソ連人は、ジョレス・A・メドベージェフ。
彼はモスクワの大学で生化学部長をつとめ、放射能と生き物の結びつきを研究していたト
ップ・クラスの科学者だったが、その事件について事実を知りすぎ、そのほかさまざまの内
容を地下出版によって報じたため、1970年に”精神病者”として強制収容されたが、作
家のソルジェニツィンらの必死の救援活動によって20日後に救い出された。しかしその1
2年後、イギリスヘ渡った時”非国民”としてソ遠の市民権を奪われ、帰国できなくなった。
メドベージェフが明らかにしたその事件とは、ソ連のチェリャビンスク地域に起こった巨
大な放射能汚染だった。
しかし、正確にいつ、どこで、どのようにこの大事故が起こったかを知る者は、ほとんど
いなかった。かなりの数にのぼる科学者が動員され、動物や植物がどれほど汚染されている
かを調べる作業にあたったが、調査の結果は最高機密に属し、公表を一切許されなかったか
らである。
メドベージェフは、そのチェリャビンスク現地に作られた汚染研究所で、研究室の室長を
つとめるよう要請された。しかし、”自分がそこで見聞きしたことを誰にも語ってはならな
い”という秘密主義に不審を抱いた彼は、その要職を断り、本来の研究を続けたのである。
それでも、その地域の放射能汚染がただごとでないことは、職業がら目を通す文献から感じ
とることができ、仲間からの秘密の会話を通じて確信できた。
問題は、何が、いつ、どこで起こったか、である。
数多くの科学者がひとつの”不思議な放射能汚染地帯”を追い、データを発表しながら、
それらのデータがすべて「場所」と「期日」について口を閉ざしていた。しかも「実験的
に放射能で汚染してみたところ、結果は・・・・・・」と言いながら、たとえば巨大な湖を
汚染させるというような、通常では考えられない出来事が次々と引用されていた。
「これは、実験ではない。大事故があったに違いない」
メドベージェフは仕事のかたわら、緻密に科学文献を調べてゆき、この汚染の全容をつき
とめる作業に精力を注いだ。メドベージェフが握った最初の鍵は、数多くのデータのなかに
共通するひとつの嘘を発見したことにあった。
放射能の汚染の単位を、千倍もいつわって小さく書いてきた科学者の一人が、ある時、書
き替えを忘れたのか、生のデータを提出してしまい、それが公式の文書にプリントされた結
果、ひとつの仮説を追跡中のメドベージェフによって秘密をあばかれたのである、背後から
突然、肢がカーテンをまくり上げた時、そこに群を成して事を論じ合っていた異様な科学者
グループの手には、つぎのようなデータが握られ、まぶしい光を当てられた数字が、いくつ
もの事実を語り出したのだった。メドベージェフが嗅ぎつけた恐怖の大事件は、ウラル山脈
のちょうど裏側に位置する、チェリャビンスクの町近くで起こっていた。
(中略)
わが国で言えば栃木県の中禅寺湖ほどの広さを持つふたつの湖全体から、放射性物質のス
トロンチウム90などがぞくぞく検出され、1000億リットルの湖水がすっかり放射能づけ
になっていることから、オビ川から北極海に至る数千マイルの河川が汚染されていることも
明らかだった。
一帯の動物を捕獲してみると、トナカイ、鹿などの大きなものから、毛皮に使われるイタ
チ類、野ネズミに至るまで、広大なステップ地帯の生き物が放射能で汚れきり、カエル、カ
ブト虫、クモの類はほとんど完全に死滅していた。
湖の鯉、スズキ、カマスからも異常な放射能が出ていたが、戦慄を覚えるのは、湖水のな
かを普通に泳ぎまわっていた魚の体内放射能が、水中の放射能に比べて平均1300倍の濃
縮度を示し、最高4200倍になっていた事実である。それでも、地球上で最初の脊椎動物
として誕生した魚類は、死ななかった。
さらに、行動範囲の広い鳥類も、カササギ、ムクドリ、スズメ、カモ、ライチョウ、フク
ロウ、キツツキ、ツグミなどがすべて汚染され、中央ウラルと南ウーフル全域で、鳥の狩猟
が何年にもわたって禁止されていた。鳥は風に乗って飛んでゆくが、放射能雲もまた、この
風に乗って運ばれる。アメリカで起こったスリーマイル島原発の事故のときには、鳥がバタ
バタと空から落ちた。鳥は、最も被害を受けやすい動物である。
樹木は、ポプーラ、松、モミなどが枯れたり落葉していたが、根さえ残っていれば、やが
て新しい芽を吹き出す不思議な生命力を見せた。もうひとつの不思議は、蟻が生き残ってい
たことである。木の根と、蟻、すなわち地中の生物たちが、なにか魔力を秘めているかのよ
うに地獄のウラルで生き続けたのだった。
さて、肝心の人間はどうなったのだろう。どこへ消えたのか。
自由世界へ逃げのびた民間人ふたりの証言によれば、汚染地帯近くの町の病院へ診察を受
けに行ったところ、医師から聞かされた話は戦慄すべきものだった。”放射能汚染”の犠牲
者であふれ、モの人たちは特別病棟に軟禁されたまま一歩も外へ出ることを許されず、ほか
の患者との会話は禁じられ、誰一人その病棟へ立ち入ることも許されていなかったという。
この証言者の一人は、当時おなかに子供を宿していたが、人工中絶を余儀なくされた。
それらの病院は大きく、数百のベッドを持ちながらすべて満員で、近在の大都市のあらゆ
る病院もまったく同様の状況にあり、二年後になっても患者であふれ、やがて、数千人の患
者のほとんどが死んでいったという。
一帯の強制退去者は数万人におよび、実際の死者の数は、いまだに不明である。
そこは、かつて風光明媚な土地柄で、ロシア人が愛し、人口流入のはげしい場所だったが、
ある年から人口が激減し、メドベージェフが収容所に入れられた1970年当時になっても、
その30数年前の人口より少ない状態であった。周囲の都市では人口が3倍近くに増えつつ
ある中で、そこだけ人口が減っていた。
メドベージェフが解き明かした謎の答とは、1957年秋から冬にかけて、チェリャピン
スク40番地で、大量の放射能をまき散らす "大爆発”が起こった――というものだった。
1957年といえば、アメリカではネバダの大気中核実験が終ろうとする時期にあたる。
メドベージェフがわれわれの前に再現してくれたこの年の地獄のウラルとは、次のような
ものだったのである。
二次大戦が終った翌々年(1947年)、ソ連では、プルトニウム生産用の大型原子炉が
南ウラルで運転を開始したが、ソルジェニツィンの『ガン病棟』(新潮社)に描かれている
通り、これら原子力施設けすべて囚人によって建設されたものだった。たとえば、放射線生
物学囚人研究所という無気味な名称の機関もあった。
この南ウラルが、ソ連で最初の核兵器製造センターとなり、プルトニウムエ場(わが国で
言えば茨城県・東海村や青森県・六ケ所村にある再処理工場と同じもの)がここに建設され、
燃料棒から取り出された高レベルの廃棄物がみるみる蓄積していった。
この大惨事について、メドベージェフが下したひとつの推論は、こうである。
重要なのは、原爆の原料として取り出したプルトニウムではなく、無用の高レベル。液体・
廃棄物だった。これを処理していた時に漏れた液が、わずかずつ地中にしみ込んでいったた
め、その土のなかにプルトニウムの原爆が自然に形成されてゆき、ある日、それが危険な限
度を超えたとき大爆発を起こしたと考えられる、と.言うのである。このように荒唐無稽な
話を誰が信じよう。
しかし、これは理論的に起こり得る現象である。
どくわずかのプルトニウムが排水の中に含まれてしまうことは、現在でも技術的に避けら
れない。近代科学最高水準のテクノロジーをもってしても、”1000分の5”のプルトニ
ウムは技術者の手から縄ぬけしてゆく。このわずかO・5%のプルトニウムでさえ、わが国
でも原子力発電の2015年6月現在の出力4220万キロワットから計算して、毎年ナガ
サキ級原爆を10個つくれるプルトニウムが廃棄物の中に入ってしまう勘定になる。
その液体が漏れた場合、地面に吸いこまれ、特定の深さのところで、特定の部分に、プル
トニウムだけが異常に密集してくる現象が起こる。その密集したプルトニウムがひとつの塊
になり、一定の量(連鎖反応の臨界量4キログラム)に達すれば核爆発を起こすのである。
プルトニウムが泥のなかに集まってくる……集まれば過熱してくる……過熱すれば濃縮され
る……濃縮が限度に達し、ついに土中で原爆が作裂し、冬期に50センチもの厚さに凍りつ
いた土を破って、空中高く噴出した。
これはメドベージェフの仮説のなかの、ひとつに過ぎない。彼はほかにも、さまざまの可
能性を提唱している。しかし、高レベルの廃棄物が原因であるという主張は一貫して変らず、
彼はそれを緻密に立証している。
ソ達の汚染地帯が現在の日本人に教える4つの危険性
メドベージェフが伝えた事件は、われわれ日本人に予期しないおそろしさを、いくつも教
えている。つまりこれらの教えは、フクシマ原発事故があった福島県で、ほとんど同じよう
な状況があることを感じさせる記録である。
第一に、放射能の汚染が広がるのを防ぐため、また、事件のパニックを小さくするため、
あらゆる強行手段が取られ、そのなかに寡黙の被害者(病人の群)がとりこまれ、ソ連では
”現地の人間が早く死ぬよな処置”を誰もが祈り、そうした処置が素早く実行されたことで
ある。
――福島県内では、同じようにパ二ックを小さくするため”放射能安全キャンペーン″が
大々的に展開されてきた。ソ連のチェリャビンスクでは、「ここから30キロのあいだ、絶
対に自動車をとめず、最高速度で通過せよ万車から外に出ることを禁ず」という立て札があ
ったが、福島県も同じだ。福島第一原発がある双葉町と大熊町だけでなく、近隣の浪江町、
富岡町、葛尾村、飯舘村の6町村では6万人を超える全住民がほかへ避難したまま、人はい
ない。その大汚染した原発敷地のすぐかたわら、数十キロにおよぷ完全な無人地帯のゴース
トタウンを通過する国道6号線と常磐自動車道の危険地帯が2014年から開通し、そこを
通過する自動車は、「車からおりてはならない」とされ、おりると警備員が飛んできて警告
するのだ。半世紀前のチェリャビンスクとまったく同じである。ところが、そこにいる警備
員本人が一番危ないのに、日本人ドライバーも報道界もそれが異常であると感じないほど、
徹底した”女全キャンペーン”に麻輝している。これこそまさに近隣住民を寡黙の被害者(
病人の群)に向かわせる死の行進である。
第二に、カモなどの渡り鳥をはじめとする動物と、河川が運ぶ水によって、チェリャビン
スクの汚染を食い止めることは不可能だった。そのため動物たちに数々の異常が発生したの
である。
――福島県内でも、フクシマ原発事故が発生した年の夏頃、ほとんど鳥の姿が見えなくな
ったと「野鳥の会」のメンバーが語っていた。こうした異常は、鳥の餌となる小さな虫が激
減したことも原因と考えられるが、大混乱していた事故直後の鳥類に関して正確な統計資料
はなかった。しかしアメリカのサウスカロライナ大学の生態学者ティモシー・ムソー教授た
ちは、事故があった2011年の7月から福島県内の放射線量が高い浪江町や飯舘村などで
調査をはじめ、2013年までに鳥類の数が滅少していることを突き止め、減少の度合いが
チェルノプイリ汚染地帯の2倍になっていることを明らかにした。
また琉球大学の調査によれば、沖縄県と比較した場合に、福島県地域でチョウチョ(ヤマ
トシジミ)に明らかな異常が認められ、放射能の影響が第一世代から第二世代にもおよんで
いることが陳かめられている。また日本獣医生命科学大学の調査では、福島県内の野生のニ
ホンザルは、セシウムによる体内放射能が異常に高く、内部被曝しているニホンザルほど、
赤血球・白血球の数が少なく、免疫力が半減している個体が発見されており、子ザルにまで
影響がおよんでいた。
さらに東京農工大学などの調査では、原発から40キロメートルの二本松市のカエルの体
内放射能は、最高1キログラムあたり6700ベクレルを超えるものが発見された。特筆す
べきことだが、鳥類やウサギなどを調べてきた福島県猟友会によれば、地中の野菜や小さな
生物を食べるイノシシは「食物連鎖(生物濃縮サイクル)の上位」にあるので体内放射能が
突出して高く、それが歳月と典に増え続けて、事故から2年後の2013年には1キログラ
ムあたり6万ベクレルという驚異的な数字を記録した。こうした自然界の調査は、何十年に
もわたって続けて初めて結論が出るので、真の恐怖を知る人たちは、次の世代以降である。
第三に、メドベージェフの”爆発仮説”とまったく同じ事態が、アメリカのハンフオード
再処理工場でも発生し、貯蔵タンクから漏洩したナガサキ原爆100個分のプルトニウムが
地表に蓄積され、核爆発寸前の危険な状態になっていたことがあった。また1986年9月
29日には、ハンフォードでプルトニウム臨界事故が起こり、核爆発寸前で食い止めたのだ。
全世界の再処理工場が高レベル廃棄物を大量にかかえながら、さまざまな未知の危険性と
隣り合わせに存在しているのである。
――茨城県・販海村と青森県・六ケ所村の再処理工場に蓄積されている大量の高レベル放
射性資質は、フクシマ原発と同様に、大地震などで停電すれば冷却不能となって、水素を発
生する液体なので、いつ爆発してもおかしくない超危険な状態にある。その不安定な液体が
かかえる放射能の量は、セシウム換算で、フクシマ原発事故で放出された原子力安全・保安
院推定量の実に80倍(東海村)と35倍(六ケ所村)である。一挙に日本全土が壊滅する
「チェリャピンンスクと同じ綱渡り状態」のままなのだ。次の大地震が迫っているというの
に一体、日本人は何をぼんやりしているのだ。
第四に、ソ連のセント・ジョージ、いや、セント・ジョージでさえ比較にならないほどの
大惨事を起こしたチェリャビンスク40番地だが、ウラルのパズルは解かれない。
というのは、ソ連では、放射能被バクの遺伝研究が禁止されていたからである、スターリ
ンと、その後を継いだフルシチョフ首相は、ソ連国内での遺伝学を禁止したのである。遺伝
学が禁止されたのは、悪名高い農学者ルイセンコの唱えた学説に負うところが大きかった。
近代遺伝学のなかで世界的に受け入れられていた染色体遺伝の法則に対して、あろうこと
かルイセンコという男は、それが "ブルジョワのいかさま科学”だと非難し、まともな学者
を秘密警察に密告しながら、やがてソ連の農業を牛耳る帝王の座についてしまったのである。
彼のため、多くの有能な科学者が拷問にかけられ、シベリアの収容所で殺されていった。
――そしてわが国でも、フクシマ原発事故の被害に関して、遺伝的な影響については、ほ
とんど禁句となっている。メンデルの遺伝の法則を考えれば、当然世代があとになるほど、
症状が顕現する比率が高くなるはずだが、その大被害が解明されないまま、被曝地帯の子供
たちの体内に引き継がれているのである。
毎日毎日、おびただしい資料に目を通すのは、体力がいると実感しているここ1週間。索引不足
もあり、そこは推論で裏データをとっているが、もうここでやめようと思っている自分を責める
もう一人の自分がいる。"静かなる大量虐殺”という言葉が、ふと浮かんだ。
この項つづく