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現代大量虐殺史 Ⅳ

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   永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。  /   中国のことわざ



 

● 日光下でも金属が熱くならない塗料

金属製の屋根に塗ると、日光を跳ね返して屋根が大気と同じ温度に保つたれるシリコン塗料が話
題となっている。また、半導体使われる二酸化ケイ素を使用しているため樹脂などのように紫外
線劣化がなく耐候性に優れている。シリコン系圧電素子などの製法開発に携わってきた(特許出
願1件)、米ジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所のジェイソン・ベンコスキは金属面を
岩でコーティングするようなもので、数十年どころか、数百年もつ可能性があると話す。90%
の太陽光エネルギーを反射するニューヨークで「ホワイト・ルーフ・プロジェクト」が進められ
建物の屋根を白く塗ることで、夏期のエネルギー使用量を10〜40パーセント削減する(「温
暖化阻止へ7つの解決策:白い屋根」
)が、この発明品はさらに効率が高く、白い塗料は3年程
度で劣化し反射効率が1/2まで劣化する。

もともと、この開発品は、軍艦の寿命を延ばす目的で米国海軍研究局から委託を受けた軍産共同
開発品。(1)日光を反射し金属面温度を低く保つことで金属腐食を抑制するだけでなく、(2)
建物のエネルギー削減効果もあるという文字通り一石二鳥となるが、ガラスやコンクリート、岩、
グラスファイバー、さらには樹脂塗装面に断熱効率向上でき、さらに、「エアピュアペイント」」
(下図)のような、ホルムアルデヒドのや光化学物質の窒素酸化物の分解する機能を付加させる
ことも可能だ。



尚、この日本でも類似商品や新規考案(特許)もあるが、この発明品の商品化には5年ほどと話
すが、それでは遅すぎるだろう。




● ポルトガル共和国で自動ディマンドレスポンス実証へ    

ポルトガルは、再生可能エネルギーの比率31%を目指している。14年の第一四半期には電力
需要の約70%を風力発電や水力発電を中心とする再生可能エネルギーが占め、欧州でも有数の
再生可能エネルギー大量導入国。今後、風力発電・太陽光発電の導入増加を見込む。日本政府は
ポルトガルのスマートコミュニティの実証プロジェクト(16~18年度)を共同で推進の基本
協定書締結。 

この事業では、リスボン市内の公共ビルや一般家庭などで、空調機器を需要に応じ、自動運転管
理することで、快適性を損なわずに電力需給調整(=自動ディマンドレスポンス)を行う。手動
ディマンドレスポンスでは、電力需給調整量が不確実となるが、自動調節することで確実性を確
保し、再生可能エネルギーの大量導入に伴う電力需給安定化ニーズに応える。また、電力調達価
格の高い時間帯から低い時間帯へと需要のシフトを行い経済性の確保のシステム化目指す。

 尚、実験委託先には、株式会社エヌ・ティ・ティ・データ、ダイキン工業株式会社、株式会社日
本総合研究所の3社が選らばれ、16年1月まで実証前調査し、16年度から実証事業開始する。


特開2012-235644
電力シミュレーション装置、電力シミュレーション方法、電力シミュレーションプログラム

 

 

   

 【縮原発論 20: 核ごみ廃棄処理のススメ】   

 目次    

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか
  あとがき 

 

  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた

                 ソ達の汚染地帯が現在の日本人に教える4つの危険性

  チェリャビンスクー帯の住民にはおそらく、膨大な数の癌患者と白血病患者が発生してい
 たはずだ。アメリカはこの事故を重視して調査をおこない、軍がさまざまの機密文書を握っ
 ていると伝えられる。その中には、。死の部隊〃と呼ばれる囚人がチェリャビンスクに駆り
 出され、惨事の後始末に従事した顛末が記録されているという。
  しかしその囚人たちは、どのような服装で現場に臨み、作業を終えたあと、どのような末
 路をたどったのか。ソ連の科学者は、その姿を見ていたはずだ。アメリカの軍部とCIAも、
 AECも、かなりの事実を握っていたはずだ。しかし、公表されず、西側諸国は、むしろメ
 ドベージェフの推理に激しい攻撃を加えてきた。イギリスの原子力委員会議長のジョン・ヒ
 ル卿は、単なるサイエンス・フィクションだと決めつけ、アメリカのロスアラモス研究所は、
 池に投棄した廃棄物が乾燥して飛び敵ったか、化学反応による爆発だろう、と推論して、メ
 ドベージェフの考えを必死に否定してきた。

  メドベージェフは、ソ連の反体制活動家として母国を追われたが、本人は普通の市民的な
 感情から活動したにすぎない。反体制ではあっても反ソ的な屑を持たない。むしろソ迪を愛
 していた。その科学者が故国の悲劇を伝えようとした時、なぜ西側の原子力関係者がメドベ
 ージェフに攻撃を加える必要があるのだろう。

  彼自身、この疑問に答えていた。

 「東側と西側を問わず、これは都合の悪い事件である。原子力発電の廃棄物が重大な問題と
 なっている時代に、大事故を暴露されてはまずいだろう」
  それを証明する事実として、こういうことがあった。アメリカの大統領アイゼンハワーの
 孫娘スーザンが、ソ連崩壊直前の1990年2月に、ソ連の物理学者ロアルド・サグデエフ
 と結婚した。サグデエフは宇宙計画の専門家を装っていたが、モスクワ大学を卒業してただ
 らにソ連の原爆開発に従事した危険人物で、フルシチョフ~ブレジネフ書記長の冷戦時代に
 10年にわたって超秘密機関のシベリア核物理学研究所で所長の職にあった。特に重要なの
 は、”エリャビンスク40”で1957年に大爆発か起こり、アメリカでCIAがすぐにこ
 れを知りながら、その史上最大の惨事の真相を何年にもわたって米ソ両国が隠し続けたとき
 の責任者であった。その1957年――それはアイゼンハワーが大統領だった冷戦(ネバダ
 の核実験)時代である。その男が、アイゼンハワー大統領の孫娘と結婚した、ということに
 なる。

  以上すべては、わが図でも訳書が出版されているメドベージェフの著書『ウラルの核惨事』
(梅林宏道訳、技術と入間)に集録されている事実と、それに対する考察である。
            

            CRPが誕生し、放射能の危険性を隠しはじめた!

  自由世界の盟主を自認するアメリカの原爆産業は、このようにソ連の原爆産業と内通しな
 がら、ソ連と敵対するポjズをとってきた。その手前、国際的な立場からは、共産主義国・
 ソ連が一九回九年に最初の原爆実験に成功した重大事に応えなければならなかった。
  そこで翌年の一九五〇年、放射能の危険性を追及してきたIXRPC(国際X線および・
 フジウム防護委員会)が、名称を1CRP(国際放射線防護委員会― Lnkrna6onal Commissi-
     on on Radiologjcal Protection)に改称したのだった。そして、人間がどれだけ放射縁を浴びら
 れるかという許容量の値を改定したのである(150頁の「ICRPの沿革」年表を参照された
 い)。これが、現在まで続く、ICRPの"安全論”が誕生した時であった。

  この改組は、ネバダ州での核実験が開始される「前年」のことである。なぜこのような組
 織の変更と、許容量の変更が必要であったか?
  南太平洋ピキニの核実験で、大汚染が起こって住民の体にすさまじい大被害が出ており、
 翌年にもネバダで大気中の原爆実験をはじめようとする時期であった。そのため、この時、
 当然のことながら、放射線医学と放射線遣伝学の専門家に被バク問題を任せておくことがで
 きず、AECの原爆開発部隊の下部組織NCRP(アメリカ放射線防護委員会)が、ICR
 Pの委員に続々と加わって、放射線被バクを正当化しよ5とする巨大な軍事勢力が、この委
 員会を完全に乗っ取った。その結果、委員会が『放射能の危険性を隠蔽する組織』へと変質
 したのが、まさにこの時であった。

  分りやすく言えば、NCRPのN(Nation-アメリカ)を、I‐(lntemational ‐国際)
 に取り替えただけの組織が、ICRPであったのだ。
  人体の医療・予防医学より、原爆製造の利権を維持することが主たる目的だったからであ
 る。このICRPが、現在の全世界の放射線”安全基準”の作成者となって、大手を振って
 歩き出したのがこの時代であった。東西の緊張が高まれば高まるほど、核兵器の開発は容易
 になる、

  そして原爆利権が原子力発電の利用へと移ってゆこうとしているなかで、彼らに必要とな
 ったのは、”放射能の安全論”であった。そこで、数々の人体実験をおこなってきた科学者
 が所有しているデータに目がつけられた。
  ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基
 準が設けられ、1954年には暫定線量限度15ミリシーベルト、1958年には線量限度
 5ミリシーペルトを勧告したのも、それが目的であった。一般人に対する基準が新たに設定
 されたことに対して、アルベルト・シュバイツアー博士は、「誰が彼らに許容することを許
 したのか]と憤ったが・・・・・・

  その基準設定に関与した一人、おそるべき主導者となったのがジョゼフ・ハミルトン(Jo-
  seph Gilbert Hamilm)であった。彼こそ、先に述べたプルトニウム人体実験で中心的な役割
 を果たした医師であった。このフヽルトンが、カリフォルニア大学の放射線医学の権威と
 して、白血病患者に放射性ナトリウムを静脈注射したのは、原爆製造計画が指導するよりも
 3年も前の、1936年のことであった。これが、おそらく「放射性物質を人体に注射した
 世界で最初の出来事」として知られている。

  そして戦時中のオッペンハイマーによる”50万人放射能殺戮計画”では、ハミルトンが
 実作業の中心にあって、マンハッタン計画の研究プロジェクトの主任をつとめた。だが一方
 ハミルトンは、核兵器とは関係のない分野でも、アメリカ国立保健局(NIH)の放射線生
 物研究部長という重要な役職にあって、彼の死後に明らかにされた事実として次のことがあ
 った。

          いつまで殺人医師のデータに子供たちの生命を賭けるのか

  現在チェルノブイリ原発事故やフクシマ原発事故の被害者をはじめ、国際的に問題となっ
 ている原子力発電の放射能被曝量は、ICRPが定めた安全基準、いわゆる閾値と呼ぱれ、
 癌などの発生限界をもとに危険性が議論されてきた。その基礎となりだデータは、「広島・
 長崎で分析された被湯量が大きな算定基準になった」と言われてきたが、実はおそるべきこ
 とに、この人体実験医ハミルトンの指導のもとにカリフォルニア大学クロッカー研究所から
 大半のデータが供出されていた。つまり彼が、核実験を主導したAECと、ICRPの放射
 能許容値データの大半を作成して、放射能の”安全”基準を生み出し、大量の被バク者を見
 殺しにしてきたのである。

  さらに、このハミルトンとカリフォルニア大学バークレー校の同僚で、X線など外部被曝
 の権威であったバートラム・ロウービーアは、ICRPが生まれた1950年には、この分
 野でパイオニアの『放射性同位元素の臨床使用』という本を書いた。この"臨床"(クリニッ
 ク)という医学用語は、患者に対して病床で直接の処置をすることである。
  事実、その執筆の3年前に、黒人患者の病床に彼が突然姿を現わしてプルトニウム注射に
 立ち会い、またわずか4歳の少年が彼の手でプルトニウム人体実験にかけられていたのだ。
 そして1951年に隣のネバグ州で核実験がスタートすると同時に、カリフォルニア大学バ
 ークレー校の「放射線安全委員会の初代委員長」に就任し、大量の被バク者を生み出した重
 大責任者が肢であった。

  ハミルトンとともに、1926年に白血病患者に放射性ナトリウムを静脈注射した医師ロ
 バート・ストーンもまた、カリフォルニア大学に放射線科を設立し、「放射線研究所の所長」
 としで1964年まで君臨した重要人物で、「放射能の安全基準を定めるICRPの幹部」
 だったばかりか、「国連のWHO(世界保健機構)で放射能被曝問題の最高顧問一であった。
  勿論、彼も核実験時代KAECの要職にあって、ユタ州住民を殺してきた。
  いま人類は、これらの殺人医師のデータに子供たちの生命を賭けている、ということにな
 る!

 

   第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体

          水素爆弾が生まれ、原子力の平和利用の言葉が登場した

  こうして原爆産業が、あらゆる被バクの実害を隠す努力を続けた時期、戦後7年目に、南
  太平洋の空か大きく燃えあがった。今度は、これまでとはスケールが異なる出来事だった。

  人類最初の『水爆』マイクが1952年10月31日に南太平洋の島エニウェトクを吹き
 飛ばしたのである。これまでの原爆は、キロトンで爆発力を表現していたが、今度はその千
 倍の「メガトン」という言葉が使われた。マイクは、10・4メガトンであった。
  広島原爆のおよそ700発分という驚異的な規模の爆発力であった。
  さらに翌年、独裁者スターリンが死んでから5ヶ月後、1953年8月12日には、アメ
 リカを追ってソ達もシベリアで初の水爆実験に成功した。

  アメリカとゾ連が成功した水爆とは、水素爆弾のことであった。
  水爆の爆発メカニズムはさまざま応考えられているが、爆弾の内部で、まず起爆材のウラ
 ン・プルトニウムの原爆を爆発させる。すると、爆弾内部に超高温度の熱が生まれ、同時に
 大量の中性子が飛び出す。これを使って、連鎖的に大量のプルトニウム原爆をつくり出し、
 それらが生み出す2億度以上という高熱で、最終的に「水素の核融合」を同時におこなわせ
 る、というのが基本的なメカニズムであった。これらの原爆1原爆奉水爆が一斉に連鎖的に
 爆発するのだから、天文学的なエネルギーを生み出す。

  核融合発電とは、このとてつもない高温で生まれる巨大な核融合エネルギーを、炉内でお
 さえこんで電力を取り出そうというのだから、あり得ないことを夢想しているだけである,
 半世紀たっても成功しないのは当たり前のことだ。水爆は、(無責任に)ただ爆発させるか
 ら、核融合が可能なのだ。



  アメリカでは、マンハッタン計画に参加していたエドワードこアラーが、この水爆開発の
 中心人物となった。ソ逓では、原爆実験の成功後に登場してきたのが、アンドレイ・サハロ
 フという若き学者であった。後年、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカ・グラスノスチ
 (改革・開放)の動きのなかで民主化運動の英雄のどとく讃えられたサハロフだが、この男
 こそ、水爆という人類最大の凶器を独裁者スターリンに捧げるために骨折った男であった。
  
  さて、現代につながる原子力の物語は、いよいよこれからがIAEAの登場する時代――
 本当の幕開けであった。ソ連が水爆に成功した大事件を受けて、4ケ月後の1953年12
 月8日に、アメリカのアイゼンハワj大統領が国連総会で演説し、「原子力の平和利用(At-
    oms‐for‐Peace)」を宣言し、国連を柱にした国際機関の創設を提唱したからである。彼ら米
 ソは、互いに軍事的な対立を利用しながら核兵器に巨大予算を投じてきたが、今度はもう一
 方の手で、この演説から原子力発電の時代へと急カーブを切り、さらにモの先にある巨大な
 利隆に食らいついていった。ついに、「原子力発電の時代」に幕を切って落としたのである。

  それは、マンハッタン計画部隊を引き継いだAECと二大財閥にとって、大量のウランの
 採掘・精錬から、原子力発電所の巨大ブラントを建設する機械・土木ビジネス、さらに電力
 会社が全土から電気料金を吸い上げるエネルギー産業の誕生へと、果てしない利益を約束す
 る輝かしい未来、つまり新たな暗黒時代のスタートであった。


          ビキニで第五福竜丸が被バクした"水爆マグロ”の恐怖!

  このシラジラしい平和演説から3ケ月後、1954年3月1日、マーシャル諸島ビキ二環
 礁でアメリカニ発目の水爆、ブラヴォー実験がおこなわれた。今度は一発目の水爆よりさら
 に巨大で、15メガトン、広島原爆のちょうど1000倍の爆発力であった。
 100万キロワット出力の平均的な原子炉は広島原曝の1000倍の死の灰を一年で生み出
 す。その一年分を一瞬で作製させるのが、この一発のビキニ水爆であった。

  現地マーシャル諸島のロングラップ島の住民は、太陽のように輝く放射線の閃光を直接に
 浴び、順にドッと降り注いだ死の灰によって、大量に破パクした。米軍は、風下にあたるピ
 キニ東方沖にいたアメリカの艦艇には万全の措置を取って、風ドを避けて80キロメートル
 南に移動するよう勧告していなから、マーシャル諸島の住民は、何ら警告を受けずに放射能
 雲に包まれたのである。そしてすさまじい被バクをしたあとに強制移住を命じられ、避難し
 たのはようやく3月3日のことであった。直接の閃光を浴びて被爆した住民は、その後、飲
 み水と食べ物を通して死の灰を取りこみ、体内被曝を受け続けた。

  それ以降も、この人たちは充分な治療も受けずに、核実験のモルモットとして太平洋を流
 浪させられ、現在まで甲状腺癌など数々の疾病にもがき苦しんできた。
  この水爆は、直径か100キロメートルに達する巨大なキノコ雲を立ち昇らせた。100 
 キロは”東京駅~富士山”の距離なので、われわれにはそのトテツモナイ大きさを想像する
 ことができない。だがそのキノコ雲が空を厦った時、静岡県焼津漁港所属のマグロ漁船――
 第五福竜丸」が南太平洋に遠洋出漁中で、ビキニ環礁の東方160キロメートルの海上とい
 う近い距離にあって、漁船員たちも閃光を受け、霊のように真っ白い死の灰を浴びて、すさ
 まじい放射能に被バクした。

  2週間後2月16日、新聞が「第五福竜丸が水爆の放射能で被災した」というニュースを
 報じた。この日、東京築地の魚河岸で、第五福竜丸から水揚げされたマグロから強度の放射
 能が検出され、マグロはただちに廃棄された。
  このニュース以後、東京と大阪の中央魚市場で、ぞくぞくと多数の魚から放射能汚染が発
 見され、日本全土に「水爆マグロの恐怖」が広がった。北海道最北端の宗谷岬から九州最南
 端までの距離で正方形を描いたほど、太平洋の広大な範囲が”漁業危険海域”に指定された。

  この水温実験当時、ビキニ周辺の海域で操業していた日本の漁船は膨大な数にのぼり、実
 際に汚染が発見された漁船の数は900隻前後とされ、出漁した漁船の水揚げ魚が検査され、 
 廃棄された魚は数百トンに達した。調査分析から、魚の内臓の放射能汚染が顕著であること
 が判明したのである。日本人の主な動物性タンパク源である水産物全体に対して、全国民の
 恐怖心を呼んだこの事件は、食卓が警戒心と拒否反応を起こし、魚鱗が半値以下に暴落して、
 水産業だけでなく、レストランや食堂などの飲食業界に甚大な損害を与えた。その影響は長
 期間におよび、マグロ漁業は壊滅的とも言える被害を受けた。

  アメリカは、AEC(厚子カエネルギー委員会)がこの水爆による放射能大汚染を調査し
 て、翌年に報告していたが、すべて機密扱いとした。それどころかAECは、日本人の反米
 意識の高まりに対して、「廃水の放射能はいずれ無害になる」……「第五福竜丸の船員の皮
 膚障害は、放射能によるものではなく、珊瑚によるものである」……「アメリカでは、太平
 洋から水揚げされた魚で放射能汚染されたものは、一匹も見つかっていない」などと非科学
 的な暴言を次々と発表した。

  ところがアメリカの缶詰輸入業者は、自分の国の政府が大嘘をついていることを知ってお
 り、日本からの輸出マグロに、厳しい検査を要求していたのである。
  この時代に、国際的な組織のICRPと並行して、日本にも各種の放射能研究組織が誕生
 することになった。戦後間もない日本は、ヒロシマーナガサキの被爆国であり、当時はその
 被害のおそろしさが日本人に広く伝えられ、当時私は小学生だったが、その子供でさえ放射
 能の危険性を常識として、アメリカとソ連を憎んでいた。この3年前の1951年5月1日、
 現在の9電力体制が発足したと同じ日に、日本放射性同位元素協会が設立されていた。そし
 て、この協会が、1954年のビキニ被バク事件を受けて、”原水爆実験反対運動”の先駆
 者として活躍し、全世界に先駆けて放射能の危険性を告発したのである。

  さらに1954年5月9日には、東京・杉並区の主婦が中心となって原水爆禁止のための
 杉並協議会を結成し、原水爆反対の巨大な全国署名運動をスタートした。特に、福島県原町
 (現・南相馬市)生まれの亀井文夫監督が、1957年にドキュメンタリー映画『世界は恐
 怖する――死の灰の正体』を製作し、そこに日本の良心的な科学者が登場して警告を発した。

                  世界最初の原子力発電がスタートした

  ところがビキニ水爆と同じ年、1954年6月27日に、ソ連が「世界最初の原子力発電」
 を、モスクワから南西100キロメートルにあるオブュンスク原子力発電所で開始したので
 ある!電気出力は5000キロワットの、現在から見れぽごく小型のものだったが、その意
 味は大きかった。東西の軍需産業が冷戦を利用して、裏で手を組み、原子力発電によるウラ
 ン・カルテルの国際的な巨大利権が動き出したのだ。


水爆実験に成功した情報を入手したとき、最高権力者の心中はいかなるものであっただろう。お
そらく、"無敵幻想"を実感したんだろう? と、その後どう考えたろう。米ソで世界の盗掘手順
を考え、それが冷戦となりオセロゲームが開始され、それに伴い核拡散が始まり、そして核の平
和利用としての原子力発電が建設されていくが、それにつれ使い勝手の悪いものになって行き、
核開発の20世紀の物理学に終焉が告げられる・・・・・・。それでは、次回も第8章。

                                    この項つづく

 

   ● 今夜のアラカルト

おや? これはと目がとまる。キュウリがやすく大量に入手できる季節。一工夫したレシピはない
か思案していたところ、料理愛好家の平野レミが「きゅうりの冷え冷えパスタ」を紹介していた。
材料一人分で、カッペリーニ/80グラム、きゅうり/2本(200グラム)、あとは、ツナ/1
缶(70グラム)、マヨネーズ/小さじ2、レモン汁/小さじ1、塩/小さじ2分の1、黒こし
ょう/少々、そして、オリーブオイル。つくりかたも簡単。(1)きゅうりは粗めにすりおろし、軽
く水けをきり、凍らせておき、(2)カッペリーニは袋の表示どおりゆで、冷水にさらし水けをきり、(2)用意し
た材料と、(1)の半量を混ぜ、器に盛り、残り半量のきゅうりをのせ、オリーブ油をかける。というもの。こ
れは、素麺やフォー(米粉麺)でも可。早速、トライすることに。 

● 今夜の一品 こんなの欲しかった

音と振動で周囲の魚を呼び寄せるデバイス「The Fish Call」が、クラウドファンディングサイト
Kickstarterにて登場。電源を入れて水面に投げ込むだけで、魚を呼び寄せてくれて、非常に多く
の魚を釣り上げることができるというすぐれもの。釣りの一大革命だ!

 


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