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ベストミックスは誰のため

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    たとえ言葉や表現の数が限られていても、それを効果的に
        組み合わせることができれば、そのコンビネーションの持
        って行き方によって、感情表現・意思表現はけっこううま
        くできるものなのだということでした。

                                              村上春樹 / 『職業としての小説家』 

 

 




● ポスト・ロストスコア論 Ⅰ: 依然見えぬ脱デフレ不況

8月の消費者物価指数(生鮮食品除く)は、前年同月比0.1%下落し、日銀が量的・質的金融緩和
に踏み切った13年4月以来のマイナスに転じた。日銀の大規模緩和開始後、物価は順調に上昇基調
をたどったかにみえたが、消費税増税の影響や昨年夏以降の原油価格下落を契機に変調し、緩和効果
が吹き飛び、2%の物価上昇を目指す日銀の「異次元緩和」は振り出しに戻った格好(時事通信 2015.
09.25)。

これによると、黒田東彦日銀総裁は25日、安倍晋三首相との会談後、記者団に「物価の基調はしっ
かりしている」と、エネルギー価格の下落を除けば、物価はプラスを維持しているとの認識を示した。
実際、食料品や日用品などは値上げが相次いでおり、安倍首相も24日の会見で「デフレ脱却はもう
目の前だ」などと強気だが、原油安が続けば、日銀が「16年度前半ごろ」としている2%物価目標
の達成時期がさらに後ずれすることは避けられない。中国など海外経済の減速で国内景気の足が引っ
張られる恐れもあり、SMBC日興証券の牧野潤一チーフエコノミストは「物価が短期間で2%程度ま
で上昇は考えにくく、遅かれ早かれ(日銀の)追加緩和が必要」という。

このように、新興国の経済成長の一巡による下降局面に上海ショック、シリヤ難民問題に顕示された
欧米露列強(+日帝)の世界戦争→冷戦下の代理戦争→米欧の中東への武断介入=戦後70年間の不
毛で無惨なカオス社会の導出。英米流金融資本主義の破綻(リーマンショック)→ギリシャ危機→欧
州共同体崩壊の危機。フォルクスワーゲンの組織犯罪?を引き金としたドイツ経済危機への連鎖など
マイナス要因の天こ盛り状況である。霞ヶ関の天下り族議員天国の自民政権が打ち出した株価・輸出
の偏重のアベノミクスでは、この"赤信号"が点灯する状況を脱するのは覚束無く、ご同情申し上げる。

                                      この項つづく



 

● フォルクスワーゲンの不正はこうして暴かれた?!

13年、ディーゼルエンジンの大気汚染を心配した欧州当局が、米国の路上検査結果が欧州よりも検
査査結果に近いと考え、米国で販売された欧州車の路上走行排ガス検査を委託したのが発端。結果は
その逆となる。カリフォルニア州の調査官25名が選任で検査したところ、フォルクスワーゲが検査
結果を不正改ざんするソフトウエアが搭載――ハンドルの動きなどから排ガス検査中であるかどうか
を識別するソフトウエアを発見。VWは09~15年にかけてこのソフトを、エンジンをコントロー
ルするモジュールに組み込む――されていたことが露見する。そしてその対象が1千百万台であるこ
とも明らかにされた。つまり、技術力が追いついていなかったというわけだ。それにしても、欧州当
局が、クロスチックしなければ、この不正の発覚は遅れたはずだが、かれらの"良心"がそれを許さな
かったというわけだろうか。

なお、検査では窒素酸化物濃度は、規制値の40倍だった。

 

 

 ● 電気で生きる微生物を初めて特定

これは時間軸が非常に大きい話だ。地球上の生物は、光合成と化学合成の生物によって作り出される
有機物によって支えられている。前者は太陽光をエネルギーとし、化学合成生物を水素や硫黄などの
化学物質をエネルギーとして利用し、二酸化炭素から糖やアミノ酸を作り出すが、食物連鎖の出発点
となり、人間を含めた地球上の生命活動を支えてきた。一方、ごく最近になり、光合成と化学合成に
代わる第3の有機物を合成する生物として、電気で生きる微生物(電気合成微生物)が注目を集める。
特に、深海底や地中などの生物が利用できるエネルギーが極端に少ない環境では、海底を流れる電流
を利用する電気合成微生物が深海生命圏の一次生産者となる可能性があるみられている。

理化学研究所の共同研究グループは、これまでに、深海底には電気をよく通す岩石が豊富に存在する
こと、そして、マグマに蓄えられた熱と化学エネルギーが岩石を介して電気エネルギーに変換するこ
とを解明しているが、この電流を利用し細胞増殖可能な微生物を特定できずに、また、微生物が電気
エネルギーを利用する上で必要となる代謝経路も解明されずにいた。今回、同グループは、10年に
太陽光が届かない深海熱水環境に電気を通す岩石を発見、電気を流す岩石が触媒となり、海底下から
噴き出る熱水が岩石と接触することで電流が生じることを発見する。海底に生息する生物の一部は光
と化学物質に代わる第3のエネルギーとして電気を利用して生きているのではないかという仮説を立
研究をすすめる。

まず、鉄イオンをエネルギーとして利用する鉄酸化細菌の一種である Acidithiobacillus ferrooxidans(A.
ferrooxidans)に着目。鉄イオンは含まれず、電気のみがエネルギー源となる環境で細胞の培養を行う。
その結果、細胞の増殖を確認し、細胞が体外の電極から電子を引き抜くことでNADH――ニコチンアミ
ド・アデニンジヌクレオチド(nicotinamide adenine dinucleotide)の略。生物が用いる電子伝達体物質の一つ―
を作り出し、ルビスコタンパク質――二酸化炭素を取り込み、糖を合成するタンパク質――を介し二
酸化炭素から有機物を合成する能力を持つことを突き止める。さらに A.ferrooxidansは、わずか0.3
ボルト程度の小さな電位差を1ボルト以上にまで高める能力を持ち、非常に微弱な電気エネルギーの
利用できることを解明する。

この研究成果は、電気が光と化学物質に続く地球上の食物連鎖を支える第3のエネルギーであること
と同時に、二酸化炭素の固定反応わる微生物代謝の多様性を示す。深海底に広がる電気に依存した生
命圏の電気生態系を調査上で、重要な知見になり、極めて微小な電力で生きる電気合成微生物の存在
は、微小電力の利用という観点から新たな知見を提供する。

 

 

【再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る 14 】

● ベストミックスは誰のため?

昨夜の「世界は蓄電池パリティ」(『蓄電池パリティ時代』2015.09.26)では、太陽光電池と蓄電池
のパリティ(グリッドパリティに含まれる概念)が世界の潮流になっていることを考察したが、これ
に対し、日本での取組みが鈍いが、この根底に旧来の「ベース電源」にあるのではとの思いで書いた。
このことはブログ掲載済み(「ネクストディケイド:縮小する電力市場」/『次世代電力のフロンテ
ィア』2015.09.18)であるがここで改めて考察する。

昨夜と同様に、「環境ビジネス」の2015年秋季号の安田陽関西大学システム理工学部准教授の『
旧電源構成に固執し、ガラパゴス化』では、エネルギーミックスとは、発電電力量におけるエネルギ
ー源の配分(すなわち電源構成)のことを示し、一方、ベストミックスはよく「最適な電源構成」な
どと説明される。しかし海外文献を調査するとわかるのが、実は海外のエネルギー政策に関する議論
では、「energy mix」という表現はよく使われるものの 「best mix」 という表現はほとんど登場しな
い。最近の審議会等の資料では「ベストミックス」はほとんど使われず、よりニュートラルな「エネ
ルギーミックス」あるいは、「電源構成」が用いられていると指摘する。まず、「ガラパゴス化」と
いう言葉に抵抗、つまり、正当な理由があれば「ガラパゴス化」も結構ではないかと考えているため
だが、それはさておき先を読み進めた。

 しかし、筆者がウェブや新聞データベースで調査した結果では、依然として電力会社をはじめと
 する産業界の資料や政治家の発言でこの「ベストミックス」という言い回しが多用されています。
 さらにマスコミも同様で、多くの日本のメディアがこの用語を好んで用いる傾向にあります。ち
 なみに米国や欧州連合(EU)の政府関係の資料では エネルギー政策の文脈で「best mix」を用いた
 ものはほとんど見られません。Washington Post や Wall Street Joumal, The Times,CNN,BBC  など
 海外有カメディアでも同様です。もちろんこの表現を使う記事や報告書は皆無ではありませんが、
 あったとしても再エネの中の配分であったり特定の設備でのベストなエネルギー配分だったりと、
 国全体のエネルギー政策の文脈で best mix という言葉が使われる例はむしろ稀なケースです。
 
  このように、実は「ベストミックス」は限りなく和製英語に近い言葉であることがわかります。本
  稿では、この日本独自の概念である「ベストミックス」を取り上げ、そこに込められた「ベスト」
 の意味が一体何のために、誰のためにあるのかを、国際比較分析から炙り出していきたいと思い
 ます。

                      安田 陽『旧電源構成に固執し、ガラパゴス化』


● 電源構成の変遷の国際比較

他国のエネルギーミックス(電源構成のようになっているかは、日本語でもさまざまな資料やデータ
が入手可能できるが、政府が毎年公表する「エネルギー白書」でも、ドイツやフランス、米国などの
単年の電源構成のグラフから異なる視点から分析している。(1)90年から約20年に亘る電源構
成の時系列変化、(2)再エネ(特に風力)の導入が進んでいるが、日本ではほとんど取り上げられ
ない国(デンマーク、ポルトガル、スペイン)の分析を行う。上図のグラフは、デンマーク、ポルト
ガル、スペインの電源構成を90年から現時点で入手可能な最新の年次の13年まで時系列で描いた
グラフ。比較に、図4に日本のデータを掲載。

その特徴は、(1)各国とも化石燃料や原子力(スペインの場合)を過去20年で徐々に着実に減ら
している。その裏返しに再エネ(特に風力発電)がを着実に増やしている。(2)図1のデンマーク
は原子力がないことに加え、国が平坦なため水力がほとんどないが、過去20年間で電源構成を大き
く変えてきたことがグラフからわかる。具体的には、90年には石炭火力が95%以上占めていたが、
現在では40%にまで低減。さらに90年代から風力発電を着実に増加させ、現在は風力だけで30
0%以上、バイオマスなどを含めると再エネ全体で50%に達する。デンマークの事例では、石炭に依
存から、20年かけ徐々に電源構成を変化させ、一国の電力量の半分を再エネで賄うまでに成長して
いる。デンマークはさらに50年までに電源構成における再エネを百%にする目標を打ち出している。

(3)図2のポルトガルは元々水力発電が豊富で90年代は40%近く占めていたが、2000年代
後半以降急速に風力を伸ばし、現在は再エネ全体で60%の導入率を達成している。なお、水力発電
の年ごとの増減は、渇水年と豊水年の差が激しいため。(4)図3のスペインも同じイベリア半島に
あり、ポルトガルと似た傾向をみせるが、原子力を保有し、その比率を90年の35%から13年の
20%へと徐々に漸減させている。また、風力だけで約20%と原発と肩を並べ、再エネ全体だと40
%の導入率をすでに達成。

● 日本の「ベストミックス」の「ベスト」って何?

上記の3ケ国と比較するため、(5)図4に日本の電源構成の変遷を示す。日本の場合、11年の原
発事故のため、11年を境に断絶的な変化が発生。90年から10年までは多少の波があるものの、
変化はない。10年までの特筆すべき変化とし、石油を減らす代わりに石炭を倍増する。図4では
30年の電源構成の案も提示。このように過去の変遷の延長線上に置くと明らかな通り、実はこの配
分は、再エネが若干増えて石油が石炭に置き換わった以外は90年の構成比とほとんどあまり変わら
ない。これは図1~3のように10~20年かけ電源構成を劇的に変革させた国々とは真逆の方向性
にある。この90年代(30年から振り返ると40年前)とほとんど変わらない電源構成が、「ベス
トミックス」と呼ばれいるもの(さすがに経産省自身はそう呼んでいない)。これは誰にとっての何
のための「ベスト」なのか?

今回紹介した3ケ国だけでなく、多くの先進国がここ10年で(先見性のある国はここ20年で)電
源構成を変えている。それは気候変動緩和(二酸化炭素排出抑制)やエネルギー安全保障(エネルギー
輸入依存度低減)の理由からだ。電源構成は本来、めまぐるしく変わるグローバル環境に対応するた
めに、将来を見据えたエネルギー戦略の中でダイナミックに変化していくもの。これに対し、日本で流
布する「ベストミックス」という表現は、「ベスト」の名の下にこのダイナミックな変化から目を背け、
変革を拒み現状を固定化させる危険性を孕む。これは、「変化しないことがベスト」というメッセージ
だと、国際社会から取られてしまう。

日本以外の国では「ベストミックス」なる電源構成は存在しない。あるのは(主に再エネの意欲的な
)ターゲットであり、それに向かって前進するための実現可能性のあるロードマップ。ターゲットは通
常、政府が設定し、ロードマップは産業界が競い合い提案。さらにターゲットは定期的に見直されダ
イナミックに変わっていく。それ故イノベーションが促進される。日本にこのような仕組みや機運は
あるでしょうか? このように電源構成の時系列の変遷を国際比較すると、日本の特異性が如実に浮
かび上がる。と、このように著者は述べる。特に、「日本にこのような仕組みや機運はあるでしょう
か?」との件は、「蓄電池」「グリッド」のパリティーへの取り組みの「鈍さ」に顕示していると、
腑に落ちることとなる。

 

                                                          この項つづく

 



● 折々の読書 『職業としての小説家』7

 


    試合が終わってから(その試合はヤクルトが勝ったと記憶しています)、僕は電車に乗って新宿の紀伊
  國屋に行って、原稿用紙と万年筆(セーラー、二千円)を買いました。当時はまだワードプロセ
 ッサーもパソコンも普及していませんでしたから、手でひとつひとつ字を書くしかなかったので
 す。でもそこにはとても新鮮な感覚がありました。胸がわくわくしました。万年筆を使って原稿
 用紙に字を書くなんて、僕にとっては実に久方ぶりのことだったからです。

  夜遅く、店の仕事を終えてから、台所のテーブルに向かって小説を書きました。その夜明けま
 での数時間のほかには、自分の自由になる時間はほとんどなかったからです。そのようにしてお
 およそ半年かけて『風の歌を聴け』という小説を書き上げました(当初は別のタイトルだったの
 ですが)。第一稿を書き上げたときには、野球のシーズンも終わりかけていました。ちなみにこ
 の年はヤクルト・スワローズが大方の予想を裏切ってリーグ優勝し、日本シリーズでは日本一の
 投手陣を擁する阪急ブレしブスを打ち破りました。それは実に奇跡的な、素晴らしいシーズンで
 した。

  『風の歌を聴け』は、原稿用紙にして二百枚弱の短い小説です。でも書き上げるまでにはずい
 ぶん手間がかかりました。自由になる時間があまりなかったということももちろんありますが、
 それよりはむしろ、そもそも小説というものをどうやって書けばいいのか、僕にはまったく見当
 もつかなかったからです。実を言うと僕は、十九世紀のロシア小説やら、英語のペーパーバック
 やらを読むのに夢中になっていたので、それまで日本の現代小説(いわゆる「純文学」みたいな
 もの)を系統的に、まともに読んだことかありませんでした。だから今の日本でどんな小説が読
 まれているかも知らなかったし、どんな風に日本語で小説を書けばいいのかもよくわからなかっ
 たのです。

  でもまあ「たぶんこんなものだろう」という見当をつけ、それらしいものを何か月かかけて書
 いてみたのですが、書き上げたものを読んでみると、自分でもあまり感心しない。「やれやれ、
 これじゃどうしようもないな」とがっかりしました。なんていえばいいんだろう、いちおう小説
 としての形はなしているのですが、読んでいて面白くないし、読み終えて心に訴えかけてくるも
 のがないのです。書いた人間が読んでそう感じるんだから、読者はなおさらそう感じるでしょう。
 「やっぱり僕には、小説を書く才能なんかないんだ」と落ち込みました。普通ならそこであっさ
 りあきらめてしまうところなんだけど、僕の手にはまだ、神宮球場外野席で得たepiphanyの感覚
 がくっきりと残っています。

  あらためて考えてみれば、うまく小説が書けなくても、そんなのは当たり前のことです。生ま
 れてこの方、小説なんて一度も書いたことがなかったのだし、最初からそんなにすらすら優れた
 ものが書けるわけがない。上手な小説、小説らしい小説を書こうとするからいけないのかもしれ
 ない、と僕は思いました。「どうせうまい小説なんて書けないんだ。小説とはこういうものだ、
 文学とはこういうものだ、という既成観念みたいなのを捨てて、感じたこと、頭に浮かんだこと
 を好きに自由に書いてみればいいじゃないか」と。

  とはいえ「感じたこと、頭に浮かんだことを好きに自由に書く」というのは、口で言うほど簡
 単なことではありません。とくにこれまで小説を書いた経験のない人間にとっては、まさに至難
 の業です。発想を根本から転換するために、僕は原稿用紙と万年筆をとりあえず放棄することに
 しました。万年筆と原稿用紙が目の前にあると、どうしても姿勢が「文学的」になってしまいま
 す。そのかわりに押し入れにしまっていたオリベごアィの英文タイプライターを持ち出しました。
  それで小説の出だしを、試しに英語で書いてみることにしたのです。とにかく何でもいいから

 「普通じゃないこと」をやってみようと。

  もちろん僕の英語の作文能力なんて、たかがしれたものです。限られた数の単語を使って、限
 られた数の構文で文章を書くしかありません。セソテンスも当然短いものになります。頭の中に
 どれほど複雑な思いをたっぷり抱いていても、そのままの形ではとても表現できません。内容を
 できるだけシンプルな言葉で言い換え、意図をわかりやすくパラフレーズし、描写から余分な贅
 肉を削ぎ落とし、全体をコンパクトな形態にして、制限のある容れ物に入れる段取りをつけてい
 くしかありません。ずいぶん無骨な文章になってしまいます。でもそうやって苦労しながら文章
 を書き進めているうちに、だんだんそこに僕なりの文章のリズムみたいなものが生まれてきまし
 た。

  僕は小さいときからずっと、日本生まれの日本人として日本語を使って生きてきたので、僕と
 いうシステムの中には日本語のいろんな言葉やいろんな表現が、コンテソツとしてぎっしり詰ま
 っています。だから自分の中にある感情なり情景なりを文章化しようとすると、そういうコンテ
 ソツが忙しく行き来をして、システムの中でクラッシュを起こしてしまうことがあります。とこ
 ろが外国語で文章を書こうとすると、言葉や表現が限られるぶん、そういうことかありません。
 そして僕がそのときに発見したのは、たとえ言葉や表現の数が限られていても、それを効果的に
 組み合わせることができれば、そのコンビネーションの持って行き方によって、感情表現・意思
 表現はけっこううまくできるものなのだということでした。要するに「何もむずかしい言葉を並
 べなくてもいいんだ」「人を感心させるような美しい表現をしなくてもいいんだ」ということで
 す。




  ずっとあとになってからですが、アゴタ・クリストフという作家が、同じような効果を持つ文
 体を用いて、いくつかの優れた小説を書いていることを、僕は発見しました。彼女はハソガリー
 人ですが、一九五六年のハソガリー動乱のときにスイスに亡命し、そこで半ばやむなくフランス
 語で小説を書き始めました。ハソガリー語で小説を書いていては、とても生活ができなかったか
 らです。フランス語は彼女にとっては後天的に学んだ(学ばざるを得なかった)外国語です。し
 かし彼女は外国語を創作に用いることによって、彼女自身の新しい文体を生み出すことに成功し
 ました。短い文章を組み合わせるリズムの良さ、まわりくどくない率直な言葉づかい、思い入れ
 のない的確な描写。それでいて、何かとても大事なことが書かれることなく、あえて奥に隠され
 ているような謎めいた雰囲気。僕はあとになって彼女の小説を初めて読んだとき、そこに何かし
 ら懐かしいものを感じたことを、よく覚えています。もちろん作品の傾向はずいぶん違いますが。

  とにかくそういう外国語で書く効果の面白さを「発見」し、自分なりに文章を書くリズムを身
 につけると、僕は英文タイプライターをまた押し入れに戻し、もう一度原稿用紙と万年筆を引っ
 張り出しました。そして机に向かって、英語で書き上げたI章ぶんくらいの文章を、日本語に
 「翻訳」していきました。翻訳といっても、がちがちの直訳ではなく、どちらかといえば自由な
 「移植」に近いものです。するとモこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきま
 す。それは僕自身の独自の文体でもあります。僕が自分の手で見つけた文体です。そのときに
 「なるほどね、こういう風に日本語を書けばいいんだ」と思いました。まさに目から鱗が落ちる、
 というところです。

                                                                   「第二回 小説家になった頃」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』

 

どのように、村上春樹の読者になっていったかを書かなければと思ったが、今夜は時間切れとなって
しまった。それでは次回を楽しみに。

                                     この項つづく

  ● 今夜の一品

水中ドローン登場?

 

 


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