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蓄電池パリティ時代

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   それを境に僕の人生の様相はがらりと変わってしまったのです。
                       ディブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、神宮球場で美しく鋭い
                       二塁打を打った その瞬間に。

                                              村上春樹 / 『職業としての小説家』 



【再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る 13 】

● 世界は蓄電池パリティへ

15年6月10-12日にかけミュンヘンで開催された太陽光発電技術関連の展示会「lntersolar
Europe」太陽光発電業界では世界最大級の展示会。ここ数年は規模の縮小に歯止めが掛けられず出
展企業は数年前の半分程度まで落ち込んでいる。原因は太陽光発電パネルと架台関連企業の減少。
太陽光発電パネルメーカーの話では、中国など海外の太陽光発電パネルメーカーの乱立も一段落し
太陽光発電パネルや架台の技術も成熟期を迎えて落ち着いた印象が強い。かわりにパワコンメーカ
ーや蓄電池、太陽熱など関連業種が相反し伸長。新たに設けられたオフグリッド・プラットフォー
ムや、イノベーティブ・モビリティ、スマート・エネルギー・テクノロジー・ソリューションなどのフ
ォーラムのプレゼンスが特徴で、どうすれば効率よく太陽光発電を施工・運営できるかから、太陽
光発電で発電した電力をいかに行き渡らせ、いかに使うかという下流へ移りつつあるという(「世
界は。蓄電パリティへ」環境ビジネス 2015年秋季号)。

蓄電技術関連企業のここ数年の発展は目覚ましい。数年前にわずか数社だった出展企業数は昨年か
ら蓄電技術関連展示会「ees Europe」として独立するほどに増え、15年の出展企業三百社以上と
なる。今後も十分な蓄電関連の技術発展、市場の成長が見込める。全体的には太陽光発電市場が次
の段階に移行している。

● グリッドパリティと蓄電池パリティ

ドイツでは太陽光発電の発電単価が、平均電力小売価格を下回るグリッドパリティをすでに達成し
ている。そして、パネル+蓄電池の発電コストが小売価格を下回る蓄電池パリティに間もなく到達
すると考えられている。様々な機関が蓄電池パリティに至る時期を予想しているが、15年中から
遅くとも16年前半という予測で一致しているという。蓄電池パリティの損益分岐点については例
えば、Germany Trade &lnvestは1充電サイクルあたり15~20セント(18~24円)あたりと
予想しており、PV+蓄電池システム全体では30~35セント(36~42円)とみている。

蓄電システムの普及動向

グリッドパリティになれば太陽光で発電している時間帯は自家消費をしたほうが経済的となる。そ
して、蓄電池パリティになれば、昼間に太陽光で発電した電力を電池に蓄え、夜間の電力需要も自
家消費としたほうが経済的。蓄電池パリティ到達後は原則的にはエネルギー自立が最も経済的な手
段となり、16年以降蓄電池が爆発的に普及する可能性がでてくる。ドイツ政府は太陽光発電に接
続する蓄電池を家庭が設置する場合に、蓄電池に対する支出の最大30%までをカバーする補助金を
支給。それも蓄電池の普及を後押ししている。補助金が開始された13年5月から15年4月まで
の支援件数は合計で1万余件を超え、支援を受けていない設備も含めればすでに2万台を超える蓄
電池がドイツの家庭に設置されている(同上社、予測)。20年ころには家庭用定置型蓄電池の設
置台数が年間で4万5千件程度となる(予測)。

蓄電池といえば、アメリカのテスラ社が家庭用蓄電池を2モデル販売する。これはすでに掲載した
(『ステラ旋風』2015.09.14)。このように、太陽光や風力などの再生可能エネルギーなどと組み
合わせ、蓄電池を設置することで、蓄電池を社会インフラとし、蓄電池や次世代自動車間の電力融通
等も活用し、非常時に中央からの給電が停止しても、一定期間、一定の地域で自立的に電力供給を可
能とする社会がスタートする。IEA(国際エネルギー機関)による電力系統用の大型蓄電池導入ポ
テンシャル予測(08年)では、世界の蓄電池需要としては、欧州における需要増等に牽引され 20
年に約50ギガワットまで拡大するという。

 

蓄電池産業・技術の現状 蓄電池の果たす役割・必要性

再生可能エネルギー導入拡大との関係について、政府は新たなエネルギーの長期需給見通しの策定
作が行われているが、長期的には、再生可能エネルギーの大幅導入拡大は不可欠と見込まれている。
短中期的にも、自家消費型の太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギーの拡大が想定され
る。このような導入拡大を現状のままで進めた場合、蓄電池を設置・活用して、余剰電力を無駄な
く活用することが加速する。これを踏まえ、現時点から蓄電池の導入を促進することで、早い段階
で蓄電設備網を構築するとともに、人為的にマーケットを創造し、蓄電池のコスト低減化を進めて
いくことが可能となる。このことによって将来における再生可能エネルギーの円滑な活用、ひいて
は二酸化炭素の排出削減を着実に進めていくことが可能となると、経産省はその市場推移を描いて
いる。

ピークカット・ピークシフト・停電時バックアップ対策

大震災以降、真夏・真冬のピーク時間 帯における電力需給逼迫問題が顕在化した。ピークカット、
ピークシフト対策及び停電時のバックアップ対策が大きな課題となる。ピークカット、ピークシフ
ト対策には、現在は、揚水発電という安価な手段に頼っているが、コスト面さえ解決されれば、技
術的にはよ立地制約が、少なく、建設のリードタイムがより短いという点で蓄電池――NAS電池
などに優位性がある。たとえば、揚水発電の建設リ ードタイムは約15~20年であるのに対 し、
蓄電池は約1年で稼働可能である。これに加え、停電時バックアップ対策としては、現在は、ガス
タービン、ディーゼルエンジン等といった手段に頼っているが、燃料価格に依存しない、化石燃料
を焚く必要がない、ランニングコストで赤字にならない、インフラ整備の制約を受けないという点
で蓄電池(リチ ウムイオン電池など――に優位性がある。

大震災以降、真夏・真冬のピーク時間帯における電力需給逼迫問題が顕在化。このため、ピークカ
ット、ピークシフト対策及び停電時のバックアップ対策が大きな課題になっている。ピークカット、
ピークシフト対策のためには、現在は、揚水発電という安価な手段に頼っているが、コスト面さえ
解決されれば、技術的には、より立地制約が少なく、建設のリードタイムがより短いという点で蓄
電池(NAS電池など)に優位性がある。たとえば、揚水発電の建設リードタイムは約15~20
年に対し、蓄電池は約1年で稼働可能である。



これに加えて、停電時バックアップ対策としては、現在は、ガスタービン、ディーゼルエンジン等
といった手段に頼っているが、燃料価格に依存しない。化石燃料を焚く必要がない、ランニングコ
ストで赤字にならない、インフラ整備の制約を受けないという点で蓄電池(リチウムイオン電池な
ど)に優位性がある。このため、電力会社、再生可能エネルギー発電事業者、蓄電池メーカー等の参
画により、蓄電池のこれらの点の実証に取組み、市場創造を加速する。



以上が、蓄電池パリティの世界動向を俯瞰してみた。しかしながら、日本の動きは鈍い。それはな
ぜか? このことはまた改めて考察するとして、欧米の本気度がよく伝わってきた。




● 折々の読書 『職業としての小説家』6

   結婚していましたし、仕事も始めていたし、今さら大学の卒業証書をもらっても役にも立ち
 ません。でも当時の早稲田大学はとった講義の単位分だけ授業料を払えばいいという制度で、
 残した単位もそれほど多くなかったので、仕事をしながら暇を見つけて講義に出て、七年かけ
 てなんとか卒業しました。最後の年、安堂信也先生のラシーヌの講義をとっていたんですが、
 出席日数が足りず、また単位を落としそうになったので、先生のオフィスまで行って「実はこ
 ういう事情で、もう結婚して、毎日仕事をしておりまして、なかなか大学に行くことができず
 ……」と説明したら、わざわざ僕の経営していた国分寺の店まで足を運んでくださって、「君
 もいろいろ大変ねえ」と言って帰って行かれました。おかげで単位もちゃんともらえました。

  親切な方だったですね。当時の大学には(今は知りませんが)そういう柄の大きな先生がけ
 っこうおられたみたいです。講義の内容はほとんど覚えていませんが(すみません)。
  国分寺南口にあるビルの地下で、三年ばかり営業しました。それなりにお客もついて、借金
 もいちおう順調に返していけたんですが、ビルの持ち主が急に「建物を増築したいから出て行
 ってくれ」と言い出して、しょうがないので(というような簡単なことでもなく、いろいろと
 大変だったのですが、これも話し出すと実にキリがないので……)国分寺を離れ、都内の千駄
 ヶ谷に移ることになりました。店も前より広くなり、明るくなり、ライブのためのグランド・
 ピアノも置けるようになって、それはよかったのですが、そのぶんまた新たに借金を抱え込ん
 でしまいました。なかなかゆっくりと落ち着けません(こうして来し方を振り返ってみると、
 「なかなかゆっくりと落ち着けない」というのが、どうやら僕の人生のライトモチーフになっ
 ているみたいです)。

  僕にはとくに経営の才能があるとも思えないし、もともと愛想がない非社交的な性格なので、
 客商売をするのには明らかに向いていないんですが、でも「好きなことならとにかく、文句も
 言わずに一生懸命やる」というのが取り柄です。だからこそ店の経営もそこそこうまくいった
 んだと思います。なにしろ音楽が好きなもので、音楽に関わる仕事をしていれば基本的に幸福
 でした。
  でも気がつくと僕はそろそろ三十歳に近づいていました。僕にとっての青年時代ともいうべ
 き時期はもう終わろうとしています。それでいくらか不思議な気がしたことを覚えています。
 「そうか、人生ってこんな風にするすると過ぎていくんだな」と。



  一九七八年四月のよく晴れた日の午後に、僕は神宮球場に野球を見に行きました。その年の
 セントラル・リーグの開幕戦で、ヤクルト・スワローズ対広島カープの対戦でした。午後一時
 から始まるデー・ゲームです。僕は当時からヤクルト・ファンで、神宮球場から近いところに
 住んでいたので(千駄ケ谷の鳩森八幡神社のそばです)、よく散歩がてらふらりと試合を見に
 行っていました。

  その頃のヤクルトはなにしろ弱いチームで、万年Bクラス、球団も貧乏、派手なスター選手
 もいない。当然ながら人気もあまりありません。開幕戦とはいえ、外野席はがらがらです。一
 人で外野席に寝転んで、ビールを飲みながら試合を見ていました。当時の神宮の外野は椅子席
 ではなく、芝生のスロープがあるだけでした。とても良い気分だったことを覚えています。空
 はきれいに晴れ渡り、生ビールはあくまで冷たく、久しぶりに目にする緑の芝生に、白いボー
 ルがくっきりと映えています。野球というのはやっぱり球場に行って見るべきものですよね。
 つくづくそう思います。

  ヤクルトの先頭打者はアメリカからやってきたデイブ・ヒルトソという、ほっそりとした無
 名の選手でした。彼が打順の一番に入っていました。四番はチヤーリー・マニエルです。後に
 フィリーズの監督として有名になりましたが、その当時の彼は実にパワフルな、精悍なバッタ
 ーで、日本の野球ファンには「赤鬼」と呼ばれていました。
  広島の先発ピッチャーはたぶん高橋(里)だったと思います。ヤクルトの先発は安田でした。
 一回の裏、高橋(里)が第一球を投げると、ヒルトンはそれをレフトにきれいにはじき返し、
 二塁打にしました。バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。
 ぱらぱらというまばらな拍手がまわりから起こりました。僕はそのときに、何の脈絡もなく何
 の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。


 


  そのときの感覚を、僕はまだはっきり覚えています。それは空から何かがひらひらとゆっく
 り落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした。どうしてそれがたまた
 ま僕の手のひらに落ちてきたのか、そのわけはよくわかりません。そのときもわからなかった
 し、今でもわかりません。しかし理由はともあれ、とにかくそれが起こったのです。それは、
 なんといえばいいのか、ひとつの啓示のような出来事でした。英語にエピファニー(epiphany)
  という言葉があります。日本語に訳せば「本質の突然の顕現」「直感的な真実把握」というよ
 うなむずかしいことになります。平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、
 それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じです。それがまさに、その日の午
 後に、僕の身に起こったことでした。それを境に僕の人生の様相はがらりと変わってしまった
 のです。ディブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、神宮球場で美しく鋭い二塁打を打った
 その瞬間に。

                                                「第二回 小説家になった頃」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』

                                    この項つづく



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