ところが、彼らの音楽のどこがどうオリジナルなのか、ほかの音楽と
どこがどう違うのか、ということを筋道立てて言語化しようとすると、
これは至難の業になります。
村上春樹 / 『職業としての小説家』
● 特定外来生物「ツマアカスズメバチ」日本列島上陸中!
世界中でミツバチを食い荒らす外来種「ツマアカスズメバチ」が中国由来、韓国経由し、この日本に
も上陸し、農産物の被害をもたらせている。この蜂は非常に凶暴で、人にとって危険というだけな
く、ミツバチを主食としているため、養蜂業や農業に打撃を与える可能性があり下記の驚異の特徴を
もつ。
(1)生息範囲を急激なスピードで拡大する。
(2)養蜂・農産物に大きな被害を与える。
(3)針害事故の多発で死者も出ている。
すでに、12年に長崎県・対馬への侵入が確認され、中国原産の個体が船などで紛れ込んできたとみ
られている。当初、島の北部のみだった、わずか1年ほどで島の南部にも巣が見られるようになる。
対馬ではニホンミツバチを使った日本古来の養蜂業が盛んに行われ、ミツバチをエサとするツマアカ
スズメバチにより、既に甚大な被害が発生。ひとつの養蜂業者だけで年間、10以上の巣箱(蜂洞)
が全滅させられたという事例あり、すでに北九州でも発見されている。
それでは、その駆除方法はというと、早目の対策が必要だと警告されているものの、巣は、駆除が困
難な高い木の上や、崖の上などに多く現状の対策(従来のスズメバチ駆除方法)では分布の拡大を防
ぐには不十分だとされているが、スズメバチ駆除の職業専門家によると、(1)迅速な対応、(2)
蜂を一匹も逃さず、一網打尽に捕獲・駆除――蜂の出入口の封鎖・殺虫剤散布する。(3)蜂防護服
の着用、 ファイバースコープの使用、閉鎖箇所に薬剤が充満した場合に備え強制換気装置の使用、
ハシゴが届かない場所には高所作業車を使用。
手順としては、関係役所への通報――(1)発見場所、(2)蜂の種類――ツマアカスズメバチは尻
がオレンジ色している、(3)巣の大きさ、(4)駆除対象となる巣の数の把握を行い、デジカメ・
形態電話カメラでの撮影映像を伝送するなど必要な情報を伝えた上、役所の指示要項を聞き出し、職
業駆除専門家に依頼する。
以上のことを踏まえ、油断することなく脅威から防衛することが肝要と腹をくくる。とういえ、地震・
原発事故・集中豪雨などの異常気象(滋賀は火山がない直接的な被害除かれる)、シロアリ駆除・庭
の害虫退治となにかと家を守るのも大変な時代なようだ。トホホのホ・・・!。^^;。
パナソニックは9月30日、中米エルサルバドルに合計出力2.5メガワットのメガソーラー(大規
模太陽光発電所)を設置したと発表した。同国内で電力を供給するグルーポ・シマン社が所有する「
エル・アンヘル綿織物倉庫」の屋根に設置。出力5百キロワットの3つの太陽光発電システムと、出
力1メガワットの1つのシステムから構成されており、1日約1万1千キロワット時の発電が可能。
発電電力は、エルサルバドル政府系電力会社に売電するほか、企業への直接売電分もある。
シャープなどの日の丸ソーラーパネルメーカは軒並み中国の官民複合メーカなどの攻勢でことごとく
惨敗のなか、京セラ、パナソニックが徳俵で踏みとどまっている感を拭えないなか、今回の導入は、
政府による入札を通じ、グルーポ・シマン社の産業部とパナソニックとのパートナーシップによって
実現したというが、その内実はどのようなものか?ほこりの多い中米地域では、導入にあたって、機
材・システムなどの保守・管理体制の構築が重要っだが、今回、パナソニックは、発電設備のほか、
システムのパフォーマンスについても保証――9台のインバーターや1万19枚のパネルの稼働状況
をオンラインでモニタリングし、不具合があっても瞬時に把握し、迅速に対処可能――したことが成
功要因である。
当のパナソニックは、グローバルでクリーンエネルギーへの意識が高まる中、40年の歴史を持つ太
陽光発電システムとサービスで、世界から品質に対する信頼を集めているが、ワンストップサービス、
設計、ヒアリング、モニタリング、保守管理のすべての局面で常に技術とサービスの向上に努め、こ
れからもグローバルでのチャレンジを続けていくという。
● トヨタより先行した本田の燃料電池自動車が登場!
本田技研工業は、第44回東京モーターショー(開催期間:15年10月28日~11月8日。一般
公開は10月30日から)で、燃料電池自動車(FCV)のセダンを世界初公開する。このセダンは、
08年にリース販売された世界初のFCV専用設計セダン「FCXクラリティ」のコンセプトを受け継ぐ市
販モデル。FCVクラリティでは、左右座席間のセンタートンネル内に燃料電池スタックが設置。乗車
定員は4人だったが、新型モデルでは燃料電池スタックや発電システムなどを大幅に小型化。燃料電
池パワートレインをV6エンジンと同等のサイズまで小型化することで、市販車セダンとして、世界で
初めてボンネット内に集約し、「大人5人が快適に座れる、ゆとりあるフルキャビンパッケージ」を
実現。
搭載燃料電池の最高出力は百キロワット超、モーターの最高出力130キロワット、航続距離は7百
キロメートル以上(JC08モード走行時)に達する。水素タンクの充塡時間は3分程度――ガソリン車
と同等。エクステリアデザインは“BOLD and AERO”をコンセプトとし、「堂々とした車格を演出す
るワイド&ローボディーと、空力性能を追求した流麗なフォルムを融合」。「瞬間認知・直感操作の
設計思想」に基づいたインターフェースデザインを採用した広さを感じるシンプルな構成仕上げ。
ところで、ホンダはFCVの本格的な普及を進めるため、「つくる」「つかう」「つながる」をコンセ
プトに、水素社会の実現に向けた研究開発を続けており、「スマート水素ステーション」は独自の高
圧水電解システムを水素ステーションで、事前に工場で組み立てて設置する「パッケージ化された水
素ステーション」で、設置工事期間と設置面積が大幅削減。またスマート水素ステーションは、すで
にさいたま市と北九州市に設置され、実証実験が進行中。さらに、新型モデルを一般家庭のおよそ7
日分の電力をまかなう「発電所」として利用可能な外部給電用インバーターを同時公開する。
それにしてもフォルクワーゲンの不正事件は、世界の自動車産業に衝撃をあたえた。環境リスク本位
制時代にあって、致命的な倫理行動違反を犯ししたというだけでなく、米国市場進出の戦略的誤算り
は、水素電池自動車と電気自動車の二頭立ての競合舞台であることの見落としであった。、
● 折々の読書 『職業としての小説家』11
そしてそういう人たちが二十人に一人でもこの世界に存在する限り、書物や小説の未来について
僕が真剣に案じることはありません。電子書籍がどうこうというようなことも、今のところとり
たてて心配はしていません。紙だろうが画面だろうが(あるいは『華氏451度』的な目頭伝承
だろうが)、媒体・形式は何だってかまわないのです。本好きの人たちがちゃんと本を読んでく
れさえすれば、それでいい。
僕が真剣に案じるのは、僕自身がその人たちに向けてどのような作品を提供していけるかとい
う問題だけです。それ以外のものごとは、あくまで周辺的な事象に過ぎません。だって日本の総
人口の五パーセントといえば、六、百万人程度の規模になります。それだけのマーケットがあれ
ば、作家としてなんとか食べ繋いでいけるのではないでしょうか。日本だけではなく、世界に目
を向ければ、当然ながら、読者の数はもっと増えていきます。
ただし残りの人口の九五パーセントに関していえば、この人たちが文学と正面から向き合う機
会は、日常的にそれほど多くはないだろうし、そしてその機会はこれからますます減少していく
かもしれません。いわゆる「活字離れ」は更に進行していくかもしれません。それでもおそらく
今のところ――これもまただいたいの目安に過ぎないのですが――少なくともその半分くらいは、
社会文化の事象としての、あるいは知的娯楽としての文学にそれなりの興味を抱いており、機会
があれば本を手に取って読んでみようと考えているように見受けられます。文学の潜在的受け手
というか、選挙で言えば「浮動票」です。だからそのような人々のための、なんらかの窓口が必
要になる。あるいはショールームのようなものが。そしてその窓口=ショールームのひとつを、
今のところ芥川賞がつとめている(これまでつとめてきた)ということになるかもしれません。
ワインでいえばボジョレ・ヌーボー、音楽でいえばウィーンのニューイヤーズ・コンサート、ラ
ンニングでいえば箱根駅伝のようなものです。それからもちろんノーベル文学賞があります。し
かしノーベル文学賞まで行ってしまうと、話がいささか面倒になります。
僕は生まれてこの方、文学賞の選考委員をつとめたことが一度もありません。頼まれることも
なくはないのですが、そのたびに「中し訳ありませんが、僕にはできません」とお断りしてきま
した。文学賞の選考委員をつとめる資格が自分にはないと思っているからです。
どうしてかといえば、理由は簡単で、僕はあまりにも個人的な人間でありすぎるからです。僕
という人間の中には、僕自身の固有のヴィジョンがあり、それに形をyえていく固有のプロセス
があります。そのプロセスを維持するためには、包括的な生き方からして個人的にならざるを得
ないところがあります。そうしないとうまくものが書けないのです。
でもそういうのはあくまで僕自身のものさしであって、僕自身には適していても、そのままほ
かの作家に当てはまるとは思えません。「自分のやり方以外のすべてのやり方を排除する」とい
うことでは決してないのですが(僕のやり方とは違っていても、敬意を抱かされるものは、もち
ろん世の中に数多くあります)、中には「これはどうしても自分とは相容れない」、あるいは「
これは理解することもできない」というものもあります。いずれにせよ僕は、自分という軸に沿
ってしか、ものごとを眺め、評価をすることができないのです。良く言えば個人主義的だけど、
べつの言い方をするなら自己本位で、身勝手なわけです。で、僕がそんな身勝手な軸やものさし
を持ち込んで、それに沿って他人の作品を評価したりしたら、された方はたまらないだろうとい
う気がします。既に作家としての地位がある程度固まった人ならともかく、出たばかりの新人の
作家の命運を、僕のバイアスのかかった世界観で左右するようなことは、おそろしくてとてもで
きない。
とはいえ、そういう僕の態度は作家としての社会的責任の放棄にあたるんじゃないかと言われ
れば、まあそのとおりかもしれません。僕だって「群像新人文学賞」という窓口を通過し、そこ
で入場券を一枚受け取って、作家としてのキャリアを開始したわけです。もしその賞をとらなか
ったら、僕はおそらく小説家になっていなかったんじゃないかという気がします。「もういいや」
と思って、そのあと何も書かないままで終わっていたかもしれない。じゃあ、僕としても同じよ
うなサービスを若い世代に向かって提供する責務があるのではないか? 世界観に多少のバイア
スがかかっていたとしても、努力して最低限の客観性を身につけ、後輩のために今度はおまえが
入場券を発行し、チャンスを与えてあげるべきなのではないか? そう言われれば、たしかにそ
のとおりかもしれません。そういう努力をしないのはひとえに僕の怠慢であるかもしれません。
しかし考えていただきたいのですが、作家にとって何より大事な責務は、少しでも質の高い作
品を書き続け、読者に提供することです。僕はいちおう現役の作家だし、言い換えれば未だ発展
途上にある作家です。今自分が何をしているのか、これから何をすればいいのか、それをまだ手
探りで探す立場にある人間です。文学という、いねば戦場の最前線で、生身で切り結んでいる状
態の人間です。そこで生き残り、なおかつ前に進んでいくこと、それが僕にyえられた課題です。
他人の作品を客観的な視線で読んで評価し、責任を持って推奨したり、あるいは却ドしたりする
作業は、現在の僕の仕事の範囲には入っていない。真剣にやれば――もちろんやるからには真剣
にやるしかないわけですが――少なからぬ時間とエネルギーが要求されます。そしてそれは、自
分の仕事に割く時間とエネルギーが奪われることを意味します。正直なところ、僕にはそれだけ
の余裕はありません。そういうことがどちらも同時にうまくできる人もおられるのでしょうが、
僕は自分自身に与えられた課題を日々こなしていくだけで手一杯なのです。
そういう考え方はエゴイスティックではないのか? もちろん、かなり身勝手です。それに反
論の余地はありません。批判は甘んじて受けます。
しかしその一方で、出版社が文学賞の選考委員を集めるのに苫労しているという話を耳にした
ことはありません。少なくとも、選考委員が集まらないので借しまれつつ廃止になった文学賞の
話もまだ聞いたことかありません。それどころか世間の文学賞の数はますます増え続けているよ
うに見えます。日本中で毎日ひとつは文学賞が誰かに授与されているような気がするほどです。
だから僕が選考委員を引き受けなくても、それで「入場券」発行数が減って、社会的問題になる
ということもないみたいです。
それからもうひとつ、僕が誰かの作品(候補作)を批判して、それに対して「じゃあ、そうい
うおまえの作品はどうなんだ? そんな偉そうなことを言える立場におまえはあるのか?」と問
われると、僕としては返す言葉がなくなってしまいます。実際にその人の言うとおりなんだから。
できることならそういう目にはあいたくない。
かといって――はっきり断っておきたいのですが――文学賞の選考委員をしている現役の作家
(いれば同業者です)についてあれこれ言うつもりは僕にはまったくありません。自分の創作を
真摯に追求しながら、同時にそれなりの客観性をもって新人作家の作品を評価できる人もちゃん
といるはずです。そういう人たちは頭の中にあるスイ″チをうまく切り替えられるのでしょう。
そしてまた、誰かがそういう役目を引き受けなくてはならないことも確かです。そのような人々
に対して畏敬の念、感謝の念を抱いてはいるものの、残念ながら僕自身にはそういうことはでき
そうにありません。僕はものを考えて判断するのに時間がかかりますし、時間をかけてもよく判
断を間違えるからです。
文学賞というものについて、モれがどのようなものであれ、これまで僕はあまり語らないよう
にしてきました。賞を取る取らないは作品の内容とは多くの場合、基本的に関わりを持だない問
題だし、それでいて世間的にはけっこう刺激的な話題であるからです。しかし最初に言ったよう
に文芸誌に載った芥川賞についてのこの小さな記事をたまたま読んで、そろそろここらで文学賞
について自分の考えていることをひととおり語っておいていい時期かもしれないと、ふと思いま
した。そうしないと、妙な誤解を受ける可能性もあるし、それをある程度正しておかないと、そ
の誤解が「見解」として固定してしまう恐れもありますから。
でもこういうものごとについて(まあ、生ぐさいものごとと言いますか)、思うところを語る
のはなかなかむずかしいですね。ことによっては、正直に語れば語るほど嘘っぽく、また傲慢に
響いてしまうかもしれない。投げた石は、より強い勢いでこちらに跳ね返ってくるかもしれない。
にもかかわらず、正直にありのままを語ることが、最終的にはいちばん得策なのではないかと、
僕は考えます。僕の言わんとするところをそのまま理解してくださる方も、きっとどこかにおら
れるだろうと。
僕がここでいちばん言いたかったのは、作家にとって何よりも大事なのは「個人の資格」なの
だということです。賞はあくまでその資格を側面から支える役を果たすべきであって、作家がお
こなってきた作業の成果でもなければ、報償でもありません。ましてや結論なんかじゃない。あ
る賞がその資格を何らかのかたちで補強してくれるのなら、それはその作家にとって「良き賞」
ということになるでしょうし、そうでなければ、あるいはかえって邪魔になり、面倒のタネにな
るようであれば、それは残念ながら「良き賞」とは言えない、ということです。そうなるとオル
グレンはメダルをさっさと投げ捨て、チャンドラーはストックホルム行きをおそらく拒否するこ
とになります もちろん彼がそのような立場に置かれたら実際にどうしたかまでは、僕にはわ
かりかねますが。
そのように、賞の価値は人それぞれによって違ってきます。そこには個人の立場があり、個人
の事情があり、個人の考え方・生き方があります。いっしょくたに扱い、論じることはできない。
僕が文学賞について言いたいのも、モれだけのことです。一律に論じることはできない。だから
一律に論じてほしくもない。
まあ、ここでそんなことを言いたてて、それでどうなるというようなものでもないのでしょう
が。
「第三回 文学賞について」
村上春樹 『職業としての小説家』
この章はひたすら流すしかなかった、受賞と関係なく読むもので、"求めた"から読んだのであって、
その偶然が感性を刺激し、作品シンクロナイズした余韻が糸を引き、次作品の購読を生むというわけ
そのトリガーが『風の歌を聴け』であったが、『ノルウェイの森』にはそれがなかった。それ以降、
家庭持ちが無駄と知りつつ、積んでおくだけの本として購読し続けたのは、収入に余裕があったから
で、なければ図書館や本屋の立ち読みで(しっかり)判断してから購読していた。この期間著者の書
き下ろし作品よりレモンンド・カーヴァーの翻訳本の熱心な読者だった。しかし、『ノルウェイの森』
は世界に一大旋風を巻き起こしノーベル文学賞候補の常連者として取り上げられるようになる。
オリジナリティーとは何か?
これは答えるのがとてもむずかしい問題です。芸術作品にとって、「オリジナルである」とい
うのはいったいどういうことなのか? その作品がオリジナルであるためには、どのような資格
が必要とされるのか? そういうことについて正面からまともに追求していくと、考えれば考え
るほどわけがわからなくなってくる、というところがあります。
脳神経外科医のオリヴァー・サックスは、『火星の人類学者』という著書の中で、オリジナル
な創造性をこのように定義しています。
創造性にはきわめて個人的なものという特徴があり、強固なアイデンティティ、個人的ス
タイルがあって、それが才能に反映され、溶けあって、個人的な身体とかたちになる。この
意味で、創造性とは創りだすこと、既存のものの見方を打ち破り、想像の領域で自由に羽ば
たき、心のなかで完全な世界を何度も創りかえ、しかもそれをつねに批判的な内なる目で監
視することをさす。
(吉田利子訳・ハヤカワ文庫、三二九ページ)
まことに要を得た、的確で奥深い定義ですが、しかしそうきっぱりと言われてもなあ……と思
わず腕組みしてしまいます。
でも正面突破的な定義や理屈はとりあえず棚上げして、具体例から考えていくと、話は比較的
わかりやすくなるかもしれません。たとえばビートルズが出てきたのは、僕が十五歳のときです
初めてビートルズの曲をラジオで聴いたとき、たしか『プリーズ・プリーズ・ミー』だったと思
いますが、身体がぞくっとしたことを覚えています。どうしてか? それがこれまでに耳にした
ことのないサウソドであり、しかも実にかっこよかったからです。どう素晴らしいか、その理由
はうまく言葉で説明できないんだけど、とにかくとんでもなく素晴らしかった。その一年くらい
前にビーチボーイズの『サーフィンUSA』を初めてラジオで耳にしたときにも、それとだいた
い同じことを感じました。「いや、これはすごいぞ!」コはかのものとはぜんぜん違う!」と。
今にして思えば、要するに彼らは優れてオリジナルであったわけです。他の人には出せない音
を出していて、他の人がこれまでやったことのない音楽をやっていて、しかもその質が飛び抜け
て高かった。彼らは何か特別なものを持っていた。それは十四歳か十五歳の少年が、貧弱な音の
小さなトランジスタ・ラジオ(AM)で聴いても、即座にぱっと理解できる明らかな事実でした。
とても簡単な話です。
ところが、彼らの音楽のどこがどうオリジナルなのか、ほかの音楽とどこがどう違うのか、と
いうことを筋道立てて言語化しようとすると、これは至難の業になります。少年である僕にはそ
んなことはまったく無理だったし、大人になった今でも、そしてこうしていちおう職業的文章家
になった今でも、かなりむずかしそうです。そういう説明は少なからず専門的にならざるを得ま
せんし、そういう風に理屈で説明されても、された方はあまりぴんと来ないかもしれません。実
際にその音楽を聴いた方が早いです。聴きゃあわかるだろ、と。
でもビートルズやビーチボーイズの音楽について言いますと、彼らが登場してから既に半世紀
が経過しています。ですからそのときに、彼らの音楽が僕らに同時代的に、同時進行的に与えて
くれた衝撃が、どれくらい強烈なものであったかというのは、今となってはいささかわかりづら
くなっています。
というのは彼らが登場したあと、当然のことながら、ビートルズやビーチボーイズの音楽に影
響を受けたミュージシャソが数多く出てきています。そして彼ら(ビートルズやビーチボーイズ)
の音楽は既に「ほぼ価値の確定したもの」として、社会にしっかり吸収されてしまっています。
すると、今現在十五歳の少年がビートルズやビーチボーイズの音楽を初めてラジオで耳にして
「これ、すごいなあ」と感激したとしても、その音楽を「前例のないもの」として劇的に体感す
ることは、事実的に不可能になるかもしれない。
同じことはストラヴィンスキーの『春の祭典』についても言えます。1913年にパリでこの
曲が初演されたとき、モのあまりの斬新さに聴衆がついてこられず、会場は騒然として、えらい
混乱が生じました。その型破りな音楽に、みんな度肝を抜かれてしまったわけです。しかし演奏
回数を重ねるにつれて混乱はだんだん収まり、今ではコンサートの人気曲目になっています。今
僕らがその曲をコンサートで聴いても、「この音楽のいったいどこが、そんな騒動を引き起こす
わけ?」と首をひねってしまうくらいです。その音楽のオリジナリティーが初演時に一般聴衆に
与えた衝撃は、「たぶんこういうものであったのだろうな」と頭の中で想像するしかありません。
じゃあオリジナリティーというのは時が経つにつれて色梗せていくものなのか、という疑問が
生じるわけですが、これはもうケース・パイ・ケースです。オリジナリティーは多くの場合、許
容と慣れによって、当初の衝撃力を失ってはいきますが、そのかわりにそれらの作品は――もし
その内容が優れ、幸運に恵まれればということですが――「古典」(あるいは「準古典」) へ
と格上げされていきます。そして広く人々の敬意を受けるようになります。『春の祭典』を聴い
ても、現代の聴衆はそれほど戸感ったり混乱したりしませんが、今でもやはりそこに時代を超え
た新鮮さや迫力を体感することはできます。そしてその体感はひとつの大事な「レファレンス(
参照事項)」として人々の精神に取り込まれていきます。つまり音楽を愛好する人々の基礎的な
滋養となり、価値判断基準の一部となるわけです。極端な言い方をすれば、『春の祭典』を聴い
たことのある人と、聴いたことのない人とでは、音楽に対する認識の深度にいくらかの差が出て
くることになります。どれくらいの差か、具体的には特定できませんが、何かしらの差がそこに
生じるのは間違いないところでしょう。
マーラーの音楽の場合は少し事情が違います。彼の作曲した音楽は当時の人々には正当には理
解されませんでした。一般の人々は――あるいはまわりの音楽家さえ―彼の音楽をおおむね「不
快で、醜くて、構成にしまりがなく、まわりくどい音楽」として捉えていたようです。今から思
えば彼は交響曲という既成のフォーマットを「脱構築」したということになるのでしょうが、当
時はまったくそういう風には理解されなかった。どちらかといえばむしろ後ろ向きの「いけてな
い」音楽として、仲間の音楽家だちから軽んじられていたようです。マーラーがいちおう世間に
受け入れられていたのは、彼が非常に優れた「指揮者」であったからです。彼の死後、マーラー
の音楽の多くは忘れ去られました。オーケストラは彼の作品を演奏することをあまり喜ばなかっ
たし、聴衆もとくに聴きたがらなかった。彼の弟子や数少ない信奉者たちが、火を絶やさないよ
うに大事に演奏し続けてきただけです。
しかし一九六〇年代に入ってマーラーの音楽の劇的なまでのリバイバルがあり、今ではその音楽
はコンサートには欠かせない重要な演目となっています。人々は好んで彼のシンフォニーに耳を
傾けます。それはスリリングで、精神を揺さぶる音楽として我々の心に強く響きます。つまり、
現代に生きる我々が時代を超えて、彼のオリジナリティーを掘り起こしたということになるかも
しれません。時としてそういうことも起こり得ます。シューベルトのあの素晴らしいピアノソナ
タ群だって、彼の生きている間はほとんど演奏されませんでした。それらがコンサートで熱心に
演奏されるようになったのは、二十世紀も後半になってからのことです
「第四回 オリジナリティについて」
村上春樹 『職業としての小説家』
この項つづく