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最新全印刷電子工学

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           僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と
           呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。
 
         (1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体な
            りフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の
            表現だと(おおむね)瞬時に理解 できなくてはならない。
          (2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。
            時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっ
            ていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。
     (3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキ
      に吸収され価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。ある
      いは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

                                      村上春樹 /  『職業としての小説家』 

 

 

 

● 真夜中の味噌ヨーグルト

雨風がきつく目を覚まし、雨漏りなどないか点検し、テレビをつけると「味噌ヨーグルト」なるもの
が紹介されていた(NHKテレビ「マサカメTV」再放送)。ヨーグルトにかけるものといったら、はちみ
つやシロップなのだが、それがヨーグルト専用の味噌ソース――岩手県湯田町の株式会社湯田牛乳公
社製造する商品「ヨーグルトにかけるお味噌」――というものだが、おもしろいことを考えるものだ
とネット検索してみると、相当なレシピが展開済み。甘み、塩味、まろやか、酸味、うまみともヨー
グルトを超える。さらに、味噌ヨーグルトに野菜つけ込む、漬け物、マヨネーズを和えたヨーグルト
マヨディップもあり、醤油ヨーグルトまであり日本発酵文化も成熟沸騰?しているかのよう。考えて
みれば、イランなどの中東はヨーグルトといえば塩ヨーグルトが常識。なので、40年前「日本列島
は文化の袋小路」とはじめて喩え呼んだのは間違いなかったと納得する。ところで、値段が安い味噌
でもヨーグルトを加えるだけで高級感が簡単にえられることも掲載されていた。

 

 

【最新全印刷電子工学】

● プリンテッドエレクトロニクスを高度化する新たなラインアップ  

 

電子デバイスはどこまで薄くダウンサイジング進むものなのかを突き詰めていくと発熱によるリスク
回避できない時であると尋ねた同期の友(若くして他界)に答えたことがある。もう、25年程前の
話だが。そんなことを思い出させる発明が提案される。有機強誘電体では、デバイス化に必須となる
薄膜化が難しい。そこで、溶液からの膜形成を促す新たな印刷手法で、均質性の高い強誘電体単結晶
薄膜を形成させる技術。この技術を用いた薄膜素子は、各種の記録素子の標準的な動作電圧を下回る
わずか3ボルトという低電圧でメモリー動作する。印刷手法をプリンテッドエレクトロニクスと呼び、
強誘電体メモリーや不揮発トランジスタなどの低消費電力デバイスの研究開発が大きく前進するとい
うもの。

しかし、この強誘電体は、無機質でなく有機質でそれが可能だとはにわかに信じられないが、高分子
系の有機強誘電体が知られ、その性能は無機物に比べて著しく劣っていたが近年、低分子系の強誘電
性有機材料の開発が進み、無機物に匹敵する特性のものが見出されてきている。その心配はなくなっ
だのだが、この有機強誘電体は、デバイス化で必須の薄膜化が難しいことが新たな問題となる。

 

今回、有機強誘電体として、2-メチルベンゾイミダゾール(MBI)(図1a)を用いた。MBIは水素
結合型有機強誘電体の一種であり、有機溶剤への溶解性に優れ、室温で優れた強誘電性を示し、きわ
めて低い抗電場(数10 kV/cm)で分極反転する。また、単結晶内では、2つの直交した方向に自発
分極 P を現すことができる。膜の上下方向に電圧をかけるデバイスでは、自発分極は薄膜に対し垂
直な方向の成分を持つ必要があるが、MBIはそのような分極方向をもつ板状結晶に成長しやすい。

図1bに今回開発した常温・常圧下での印刷法による薄膜作製プロセスを模式的に示す。1cm角の酸
化膜付シリコン基板表面上に、幅百μmの親水領域と、幅百μmの撥水領域が交互になった縞状の親撥
パターンを作製し、その上に平坦な板(ブレード)を用いてMBIを溶解させた溶液を掃引して塗布した。
乾燥させると、親水領域上にだけ、MBI薄膜が選択的に形成された。偏光顕微鏡による観察で、特定の
方向の偏光に対し薄膜全体が消光したことから、形成された薄膜は、分子の配列方向がそろった単結
晶薄膜であると考えられる(図1c)。

できあがった試作品を評価(下図)したところ、熱処理などの前処理をしなくても、良好なヒステリ
シスループを示した(図3a)。分極反転が生じた電圧は、10 Hzの走査周波数では平均3~4Vで、
低い電圧で分極反転可能なデバイスが得られた。また、10から千Hzの速度で掃引して分極反転の繰
り返し耐久性を調べたところ、速度千 Hz の走査周波数では数10万回程度まで強誘電特性を保持で
きることが分かった(図3b)。これにより電極構造を最適化すれば耐久性はさらに向上する。

 

 

図2 放射光X線回折測定のイメージと回折写真 (a)、結晶中の分子構造模式図(b)、単結晶薄膜内の
   分子構造と自発分極の模式図(c)

今回の有機強誘電体薄膜の、分極反転がミクロ領域の形態は。膜厚約1 ?m の薄膜に10~千ミリ秒
の様々な時間の間+20 Vの電圧をかけると、それぞれ時間によりサイズの異なる円形の分極反転ド
メインが結晶表面に書き込まれていた(図4a)。ドメインのサイズは、電圧をかけた時間に対し対
数関数的に増加し、最小値は直径5百 nm(図4b)。この分極反転ドメインは、室温大気下で40
時間以上にわたり安定に保持された。なお、圧電応答顕微鏡像の位相成分から、分極方向は90度回
転ではなく180度反転である(図4c)(下図)。このように印刷法の薄膜作製技術を活用し、金
属配線や半導体薄膜の印刷技術と組み合わせて全印刷法による電子デバイスの作製の取り組みがまた
一歩前進した。

※ なお、関連特許の一例を下記に記載する。 

 

 【概要】

第1及び第2の平滑基板を離間対向させた間隙に有機強誘電体化合物を溶解させた溶液を介在させ、
この有機強誘電体化合物を晶出させ平滑基板の主面と垂直方向に配向成長するよう乾燥させることを
特徴とする。この発明によれば、単一のプロセスで薄膜の分子配向制御と基板への接着を出来て、し
かも溶媒をそれほど必要とせず、ウエットプロセスでありながら簡便でかつ取り扱い性に優れるので
ある。

この方法での有機強誘電体化合物は、配向成長させる方向を分極方向をもってもよい。また、有機強
誘電体化合物は、クロコン酸、3-ヒドロキシフェナレノン、2-メチルベンゾイミダゾール、2,
3,5,6-テトラ(2-ピリジル)ピラジニウムブロマニル酸塩、及び、5,5’-ジメチル-2,
2’-ビピリジニウムヨーダニル酸塩重水素置換体のうちの1つからなるものとしてもよい。より配
向性に優れた結晶を簡便で、取り扱いが優れた方法で得る。

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』12

   セロニアス・モンクの音楽も優れてオリジナルです。僕らは――少しでもジャズに興味を持つ
 人であればということですが――セロニアス・モソクの音楽をけっこう頻繁に耳にしていますか
 ら、今さら聴いてもそれほどびっくりしない。音を聴いて「あ、これはモソクの音楽だ」と思う
 くらいです。でも彼の音楽がオリジナルであることは、誰の目にも明らかです。同時代のほかの
 ジャズ・ミュージシャンの演奏する音楽とは、音色も構造もぜんぜん違います。彼は自分の作っ
 たユニークなメロディーラインを持つ音楽を、独自のスタイルで演奏します。そしてその音楽は、
 聴いている人の心を動かします。彼の音楽は長いあいだ適正な評価を得ることができませんでし
 たが、少数の人々が強く彼を支持し続けた結果、徐々に一般的にも受け入れられるようになりま
 した。そのようにしてセロニアス・モンクの音楽ぱ今では、僕らの身体の中にある音楽認知シス
 テムの自明の、そして欠くことのできない一部になっています。言い換えれば「古典」となって
 いるわけです。

  絵画や文学の分野においても同じことが言えます。ゴッホの絵や、ピカソの絵は、最初のうち
 ずいぶん人を驚かせたし、場合によっては不快な気持ちにもさせました。しかし今では彼らの絵
 を見て心を乱されたり、不快な気持ちになる人はあまりいないと思います。むしろ大多数の人々
 は、彼らの絵を目にして感銘を受けたり、前向きな刺激を受けたり、癒されたりします。それは
 時間の経過とともに彼らの絵がオリジナリティーを失ったからではなく、人々の感覚がそのオリ
 ジナリティーに同化し、それを「レファレンス」として自然に体内に吸収していったからです。

  同じように、夏目漱石の文体やアーネスト・ヘミングウェイの文体も、今では古典となり、ま
 たレファレンスとして機能しています。漱石やヘミングウェイも、しばしば同時代の人々にその
 文体を批判され、あるときには鄭楡されたものです。彼らのスタイルに強い不快感を抱く人々も
 当時は少なからずいました(その多くは当時の文化的エリートです)。しかし今日に至るまで、
 彼らの文体はひとつのスタンダードとして機能しています。もし彼らの作り上げた文体が存在し
 なかったら、現在の日本小説やアメリカ小説の文体は、今とは少し違ったものになっていたんじ
 ゃないかという気がします。更に言えば、漱石やヘミングウェイの文体は、日本人の、あるいは
 アメリカ人のサイキの一部として組み込まれている、ということになるかもしれません。

  そのように過去において「オリジナルであった」ものを取り上げて、今の時点から分析するの
 は比較的容易です。ほとんどの場合、消え去るべきものは既に消え去ってしまっていますから、
 残ったものだけを取り上げて、安心して評価することができます。しかし多くの実例が示すよう
 に、同時代的に存在するオリジナルな表現形態に感応し、それを現在進行形で正当に評価するの
 は簡単なことではありません。なぜならそれは同時代の人の目には、不快な、不自然な、非常識
 的な――場合によっては反社会的な――様相を帯びているように見えることが少なくないからで
 す。あるいはただ単に愚かしく見えるだけかもしれません。いずれにせよそれは往々にして、驚
 きと同時にショ″クや反撥を引き起こすことになります。多くの人々は自分に理解できないもの
 を本能的に憎みますし、とくに既成の表現形態にどっぷり浸かって、その中で地歩を築いてきた
 エスタブリッシュメントにとって、それは唾棄すべき対象ともなり得ます。下手をするとそれは、
 自分たちの立っている地盤を突き崩しかねないからです。

  もちろんビートルズは現役で演奏しているときから、若者たちを中心に絶大な人気を得ていま
 したが、これはむしろ特殊な例だと思います。とはいっても、ビートルズの音楽がその当時から
 世間一般に広く受け入れられた、ということではありません。彼らの音楽は一過性の大衆音楽だ
 と思われていたし、クラシック音楽なんかに比べるとずっと価値の低いものだと見なされていま
 した。エスタブリ″シュメントに属する人々の多くは、ビートルズの音楽を不快に感じていたし、
 その気持ちを機会あるごとに率直に表明しました。とくに初期のビートルズのメソバーが採用し
 たヘアスタイルやファ″ショソは、今から思うと嘘のようですが、大きな社会問題になり、大人
 たちの憎しみの対象となりました。ビートルズのレコードを破棄したり、焼き捨てたりする示威
 行動も各地で熱心におこなわれました。彼らの音楽の革新性と質の高さが、一般社会で正当に公
 正に評価されるようになったのは、むしろ後世になってからです。彼らの音楽が揺らぎなく「古
 典」化してからです。

  ボブ・ディランも一九六〇年代半ばに、アコースティック楽器だけを使ったいわゆる「プロテ
 スト・フォークソング」のスタイル(それはウディー・ガスリーやピート・シーガーといった先
 人から受け継いだものでした)を捨てて、電気楽器を使うようになったときには、従来の支持者
 の多くから「ユダ」「商業主義に走った裏切り者」と悪し様に罵られました。でも今では彼が電
 気楽器を使い出したことを批判するような人はほとんどいないはずです。彼の音楽を時系列的に
 聴いていけば、それがボブ・ディランという自己革新力を具えたクリエーターにとって、あくま
 で自然で必須な選択であったことが理解できるからです。でも彼のオリジナリティーを、「プロ
 テスト・フォークソング」という狭義のカテゴリーの檻に押し込めようとする当時の(一部の)
 人々にとって、それは「裏切り」「背信」以外の何ものでもなかったのです。

  ビーチボーイズも現役のバンドとしてたしかに人気はあったけれど、音楽的リーダーであるブ
 ライアン・ウィルソンは、オリジナルな音楽を創作しなくてはならないという重圧のために神経
 を病んで、長期間にわたる実質的な引退状態を余儀なくされました。そして傑作『ペット・サウ
 ンズ』以降の彼の緻密な音楽は、「ハッピーなサーフィン・サウンド」を期待する一般リスナー
 にはあまり歓迎されないものになっていきました。それはどんどん複雑で難解なものになってい
 きました。僕もある時点から彼らの音楽にはあまりぴんと来なくなって、だんだん遠ざかってい
 った人間の一人です。今聴き直してみると「ああ、こういう方向性を持つ素晴らしい音楽だった
 んだな」と思うんだけど、当時は正直言ってその良さがよくわからなかった。オリジナリティー
 というのは、それが実際に生きて移動しているときには、なかなか形を見定めがたいものなので
 す。

   僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、
 基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。
 
 (1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり
 色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解 
  できなくてはならない。
  (2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過と
 ともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そう
 いう自発的・内在的な自己革新力を有している。
 (3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、
 価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな
 引用源とならなくてはならない。

  ※サイキ:再帰 recursion(→反復帰納)

  もちろんすべての項目をしっかり満たさなくてはならない、ということではありません。(3)
 は十分クリアしているけれど(2)はちょっと弱い、というケースもあるでしょうし、(2)と
 (3)は十分クリアしているけれど(1)はちょっと弱い、というものもあるでしょう。しかし
 「多かれ少なかれ」という範囲でこの三項目を満たすことが、「オリジナルである」ことの基本
 的な条件になるかもしれません。

  こうしてまとめてみるとわかるように、(1)はともかく、(2)と(3)に関してはある程
 度の「時間の経過」が重要な要素になります。要するに一人の表現者なり、その作品なりがオリ
 ジナルであるかどうかは、「時間の検証を受けなくては正確には判断できない」ということにな
 りそうです。
  あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて、世間の耳目を強く引いたとしても、
  もし彼なり彼女なりがあっという間にどこかに消えてしまったとしたら、あるいは飽きられてし
 まったとしたら、彼なり彼女なりが「オリジナルであった」と断定することはかなりむずかしく
 なります。多くの場合ただの「一発屋」で終わってしまいます。

  実際の話、僕はこれまで様々な分野において、そういう人々を目にしてきました。そのときに
 は目新しく斬新で、「ほうっ」と感心するんだけど、いつの間にか姿を見かけなくなってしまう。
 そして何かの拍子に「ああ、そういえば、あんな人もいたっけな」とふと思い起こすだけの存在
 になってしまいます。そういう人々にはたぶん持続力や自己革新力が欠けていた、ということな
 のでしょう。モのスタイルの質がどうこうという以前に、ある程度のかさの実例を残さなければ
 「検証の対象にすらならない」ということになります。いくつかのサソプルを並べ、いろんな角
 度から眺めないと、その表現者のオリジナリティーが立体的に浮かび上がってこないからです。

  たとえばもしベートーヴェンがその生涯を通じて、九番シンフォニーただ一曲しか作曲してい
 なかったとしたら、ベートーヴェンがどういう作曲家であったかという像はうまく浮かんでこな
 いのではないでしょうか。その巨大な曲がどういう作品的意味を持ち、どれほどのオリジナリテ
 ィーを持っているかというようなことも、その単体だけではつかみづらいはずです。シンフォニ
 ーだけ取り上げても、一番から九番までの「実例」がいちおうクロノロジカルに我々に与えられ
 ているからこそ、九番シンフォニーという音楽の持つ偉人性も、その圧倒的なオリジナリティー
 も、僕らには立体的に、系列的に理解できるわけです。

  あらゆる表現者がおそらくそうであるように、僕も「オリジナルな表現者」でありたいと願っ
 ています。しかしそれは先にも述べたように、自分一人で決められることでぱありません。僕が
 どれだけ「僕の作品はオリジナルです!」と大声で叫んだところで、あるいはまた批評家やメデ
 ィアが何かの作品を「これはオリジナルだ!」と言い立てたところで、そんな声はほとんど風に
 吹き消されてしまいます。何かオリジナルで、何かオリジナルではないか、その判断は、作品を
 受け取る人々=読者と、「然るべく経過された時間」との共同作業に一任するしかありません。
 作家にできるのは、自分の作品が少なくともクロノロジカルな「実例」として残れるように、全
 力を尽くすことしかありません。つまり納得のいく作品をひとつでも多く積み上げ、意味のある
 かさをつくり、自分なりの「作品系」を立体的に築いていくことです。

  ただ僕にとってひとつ救いになるというか、少なくとも救いの可能性となるのは、僕の作品が
 多くの文芸批評家から嫌われ、批判されてきたという事実です。ある高名な評論家からは「結婚
 詐欺」呼ばわりされたこともあります。たぶん「内容もないくせに、読者を適当にだまくらかし
 ている」ということなのでしょう。小説家の仕事には多かれ少なかれ手品師(illusionist)の
  ような部分がありますから、「詐欺師」と呼ばれるのはある意味、逆説的な賞賛なのかもしれま
 せん。
  そう言われて「やったぞ!」と喜んだ方がいいのかもしれません。しかし言われる――というか
 現実には活字になって世間に流布されるわけですが――方にしてみれば、正直言ってあまり愉快
 なものではありません。手品師はちゃんとした生業だけど、結婚詐欺というのは犯罪ですから、
 そういう表現はやはりいささか礼節に欠けるのではないかという気がします(あるいはディセン
 シーの問題ではなく、ただ比喩の選択が粗雑だったというだけのことかもしれませんが)。

  もちろん中には、僕の作品をそれなりに評価してくれる文芸関係者もいましたが、数も少なく、
 声も小さかった。業界全体的にみれば「イエス」よりは「ノー」の声の方が圧倒的に大きかった
 と思います。当時もし僕が池で溺れかけていたおばあさんを、池に飛び込んで助けたとしても、
 たぶんだいたい悪く言われただろうと――半ば冗談で半ば本気で――思います。「見え透いた売
 名行為だ」とか「おばあさんはきっと泳げたはずだ」とか。

  僕は最初のうち、自分でも作品の出来にあまり納得できずにいたので、「そう言われれば、そ
 うかもしれない」というくらいに批判を素直に受け止めていた、というか、おおむね受け流して
 いたのですが、歳月を経てある程度――もちろんあくまである程度ですが-I自分で納得のいく
 ものが書けるようになっても、僕の作品に対する批判は弱まりはしなかった。いや、むしろます
 ます風圧が強くなったようでした。テニスで言えば、サーブしようと上げたボールが、コートの
 外に流されていってしまうくらい。

  つまり僕が書くものは、出来不出来にあまり関係なく、少なからぬ数の人々を終始「不快な気
 持ちにさせ続けてきた」ということになりそうです。もちろんある表現形態が人々の神経を逆な
 でするからといって、それがオリジナルであるということにはなりません。当たり前の話ですね。
 ただ「不快なもの」「どこか間違ったもの」だけで終わってしまう例の方がずっと多いでしょう。
 しかしそれは、作品がオリジナルであることのひとつの条件になり得るかもしれない。僕は誰か
 に批判されるたびに、できるだけ前向きにそう考えるように努めてきました。生ぬるいありきた
 りの反応しか呼び起こせないより、たとえネガティブであれ、しっかりした反応を引き出した方
 がいいじゃないか、と。


  ポーランドの詩人ズビグュェフ・ヘルベルトは言っています。「源泉にたどり着くには流れに
 逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」と。なかなか勇気づ
 けられる言葉ですね(ロバート・ハリス『アフォリズム』サンクチュアリ出版より)。
  僕は一般論があまり好きではありませんが、あえて一般論を言わせていただくなら(すみませ
 ん)、日本においてあまり普通ではないこと、他人と違うことをやると、数多くのネガティブな
 反応を引き起こすというのは、まず間違いのないところでしょう。日本という国が良くも悪くも
 調和を重んじる(波風をたてない)体質の文化を有していることもありますし、文化の一極集中
 傾向が強いこともあります。言い換えれば、枠組みが堅くなりやすく、権威が力を振るいやすい
 わけです。

 とくに文学においては、戦後長い期間にわたって「前衛か後衛か」「右派か左派か」「純文学か
 大衆文学か」といった座標軸で、作品や作家の文学的立ち位置が細かくチャートされてきました。
 そして大手出版社(ほとんどは東京に集中しています)の発行する文芸誌が「文学」なるものの
 基調を設定し、様々な文学賞を作家に与えることで(いねば餌を撒くことで)、その追認をおこ
 なってきました。そんながっちりとした体制の中で、作家が個人的に「反乱」を起こすことはな
 かなか容易ではなくなってしまった。座標軸から外れることは即ち、文芸業界内での孤立(餌示
 まわってこなくなること)を意味するからです。

  僕が作家としてデビューしたのは一九七九年ですが、その頃でもまだそういう座標軸は、業界
 的にかなりしっかり機能していました。つまりシステムの「しきたり」は依然として力を持って
 いたわけです。「そういうのは前例示ありません」「それが慣例ですから」みたいな言葉を、編
 集者の口からしばしば耳にしました。僕は作家というのは、制約なんかなしに好きなことができ
 る、自由な職業だという印象を持っていたので、そういう言葉を聞かされるたびに「どうなって
 いるんだろう?」と首をひねってしまったものです。

 僕はもともと争いや喧嘩を好む性格ではないので(本当に)、そのような「しきたり」「業界不
 文律」に逆らおうというような意識はとくに持ち合わせていませんでした。ただきわめて個人的
 な考え方をする人間なので、せっかくこうして(いちおう)小説家になれたんだから、そして人
 生はたった一度しかないんだから、とにかく自分のやりたいことを、やりたいようにやっていこ
 うと最初から腹を決めていました。システムはシステムでやっていけばいいし、こちらはこちら
 でやっていけばいい。僕は六〇年代末のいわゆる「反乱の時代」をくぐり抜けてきた世代に属し
 ていますし、「体制に取り込まれたくない」という意識はそれなりに強かったと思います。でも
 同時に、というかそれより前に、仮にも表現者の端くれとして、何より精神的に自由でありたか
 ったのです。自分の書きたい小説を、自分に合ったスケジュールに沿って、自分の好きなように
 書きたかった。それが作家である僕にとっての最低限の自由であると考えていました。

  そしてどういう小説を自分が書きたいか、その概略は最初からかなりはっきりしていました。
 「今はまだうまく書けないけれど、先になって実力がついてきたら、本当はこういう小説が書き
 たいんだ」という、あるべき姿が頭の中にありました。そのイメージがいつも空の真上に、北極
 星みたいに光って浮かんでいたわけです。何かあれば、ただ頭上を見上げればよかった。そうす
 れば自分の今の立ち位置や、進むべき方向がよくわかりました。もしそういう定点がなかったな
 ら、たぶん僕はあちこちでけっこう行き感っていたのではないかと思います。

  そのような自分の体験から思うのですが、自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出す
 には、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、[自分から何かをマイナ
 スしていく」という作業が必要とされるみたいです。考えてみれば、僕らは生きていく過程であ
 まりに多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。情報過多というか、荷物が多すぎる
 というか、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試み
 るとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみた
 いな状態に陥ってしまいます。そして身動きがとれなくなってしまう。とすれば、とりあえず必
 要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで、情報系統をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっ
 と自由に行き来できるようになるはずです。


  それでは、何かどうしても必要で、何かそれほど必要でないか、あるいはまったく不要である
 かを、どのようにして見極めていけばいいのか?    


                                                      「第四回 オリジナリティについて」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく

 

     ● 今夜の一曲

マーラー:交響曲第1番『巨人』

1884年から1888年にかけて作曲されたが、初め「交響詩」として構想され、交響曲となったのは1896
年の改訂による。「巨人」という標題は1893年「交響詩」の上演に際して付けられ、後に削除された。
この標題は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説『巨人』(Titan)に由来する。この
曲の作曲中に歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出された。同歌曲集の第2曲と第4
曲の旋律が交響曲の主題に直接用いるなど、双方は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。演奏時
間約55分である。 

 


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