蜂がいなくなったら人類は4年しか生きられない。 / アルベルト・アインシュタイン
【脱トリチウムの話】
● 全く報道されない「トリチウム」の危険性
カリフォルニア州ローレンス・リヴァモア国立核研究所での研究(91~93年)では、トリチ
ウムによる催奇形性(奇形を生じさせる性質)の確率は、致死性癌の確率の6倍にものぼるのだ。
特に人体の有機物と結合したトリチウムは、容易に代謝されずに、その分子が分解されるまで1
5年以上もベータ線を出し続ける。15年とは、生まれたばかりの赤ん坊が、中学を卒業するま
での長さだ。そしてトリチウムの原子核についていた中性子が、"マイナスの電荷を持った電子”
を放出して、"プラスの電荷を持った陽子”に変化し、水素がヘリウムHeになる。この細胞に
は、男女(精子・卵子)から受け継がれた染色体が23組46個ずつ含まれている。それぞれの
染色体は、二重らせん構造のDNAからできていて、その中に多数の遺伝子が含まれている。3・
11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多い
からだ。
実は、「トリチウム問題」は現在、日本中の原発から使用済み核燃料を集めてきた青森県の六ヶ
所村で最大の問題となっています。六ヶ所再処理工場では、06~08年におこなわれた試験的
な再処理(アクティブ試験)で、海洋放出廃液のトリチウムの最高濃度が、実に「1億7千万ベ
クレル/リットル」だったのです。これは、フクシマ原発事故現場のトリチウム放出規制値であ
る「1500ベクレル/リットル以下」の11万倍ですよ。だから下流域の岩手県三陸海岸近く
の住民は、「総量規制をしろ。規制できない再処理を断念しろ」と要求しているのです。このト
リチウムが、千葉県まで流れてきます。その時に出される電子が、ベータ線と呼ばれる放射線な
のである。この放射能が半分に減るまでの期間、半減期は12.3年なので、安全な千分の1に
なるのに123年かかるから、この影響はほぼ一世紀続くと思ってよい。
ところが、ソ連のチェルノブイリ原発事故で大汚染したゴメリなどの地帯では、住民の染色体を
調べると、この顕微鏡写真(不掲載)のように、左側の正常な染色体に比べて、右側の染色体のよ
うに明らかに異常な状態になっていたのである。 父母の体内の染色体がこのように異常になれ
ば、当然、その両親のあいだに生まれる子どもには、大きな障害が発生することになり、大被害
が発生してきたのである。このトリチウムは、化学的には容易に除去することができないので、福島第
一原発では、どんどんたまっている。そこで、原子力規制委員会の田中俊一委員長と、委員の田中知《さ
とる》は、福島第一原発の事故現場で大量に発生しているトリチウムを、「薄めて海に放流してしまえ」と、
苦しまぎれの暴言を吐いている。大量の海水を持ってきて薄めれば、流していいだって?放流するトリチ
ウムの量は変らないだろう! そんなことが分らないのか。実に、おそるべき犯罪者たちである。
「フクシマ原発からの放射能漏洩はトテツモナイ量に!」
(「東京が壊滅する日 ― フクシマと日本の運命」
ダイヤモンド社 書籍オンライン 2015.07.28)
うっかり八兵衛ならぬ、トリチウム禍の新情報を見逃していたことを反省。そこで、マイ・デジタル
図書に新たなドメイン・ページを作成(下図)。ウオッチングを欠かさないように開設。それにして
も、このシリーズの対談で、広瀬隆の怒りが生々しく伝わり、怒られているような錯覚さえ覚える始
末。すごい方だ。
【脱産廃の話】
● 完全な循環社会実現プロジェクト=脱産廃産業
石坂産業の話はこれが初めてしてはないが、TBS「がっちりマンディ」(2015.10.18)で紹介さ
れていたが「脱産廃産業」という言葉に惹かれる。もとは、石坂好男が代表取締役社長だった昭和
62年から01年までは建設廃棄物の中間処理業としての事業を中心としていたが、02年に石坂
好男が代表取締役会長に、娘の石坂典子が取締役社長になると企業改革としてリサイクル工場に転
身、地産地消の考えで敷地内に5千平方メートルの花木園(くぬぎの森)を整備し、地元住民に共有。
この活動がJHEP認証における日本で最高ランク(AAA)の認定をさせる要因となり、11年に日立建機
と共同で建設業界初となる電気駆動式油圧ショベルを使った国内クレジット制度の認定を受けた他
14年には業界初となる国際規格7統合によるマネジメントシステムの運用を開始する。
99年2月1日、久米宏の報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日)で「汚染地の苦悩
農作物は安全か?」という特集が放映され、翌日、テレビ朝日が「煎茶のダイオキシンも健康に影
響を及ぼすほどではなく、報道が誤っていた」と誤報を認めても、騒動は一向に収まらなかった。
当時、所沢市、川越市、狭山市、三芳町の三市一町にまたがる「くぬぎ山」と言われる雑木林には
何社もの産廃業者があり“産廃銀座”と呼ばれ、石坂産業は「くぬぎ山」最大手の産業廃棄物処理
業者であり、焼却炉を3基持っていた。
01年6月、住民が埼玉県に対し、石坂産業の産業廃棄物処理業許可の取消を求める提訴。絶体絶
命の危機から12年の月日が流れ、「ここから出ていけ」という横断幕がいくつも貼られた当時と
同じ埼玉県入間郡三芳町にあり、建設系産業廃棄物のリサイクル事業を継続中だ。現在、敷地面積
は、東京ドーム3.5個分、8割が里山、2割が工場。里山の中にはいくつもの公園があり、地域
の人たちの憩いの場である。保全前は、ジャングルのように木が生い茂り、昼でも暗く、ゴミが投
棄されるな雑木林だったが、現在では明るい里山に生まれ変わる。里山の中にある「くぬぎの森・
花木園」と呼ばれる公園には、きれいな水にしか棲まないゲンジボタルや絶滅危惧種のニホンミツ
バチも生息する。
● 宝の山を復元する方法
里山再生の作業は、針葉樹を間伐することから始まり、森林は苗木を植えてから15年くらい経ち
木が生長してくるとお互いの枝葉が重なり成長できなくなるため間伐を行うと徐々に絶滅危惧種で
あるシュンランや、オオバのトンボソウなどが増えていく。ミツバチを森で育ててみようと思い、
絶滅しそうなニホンミツバチを飼いはじめ、ニホンミツバチは巣への帰属性が弱く、森に放すと逃
げてしい西洋ミツバチに比べ、非常に飼いにくいがあえてニホンミツバチを飼い養蜂に成功する。
そのようない石坂産業は、企業理念として「完全な循環型社会になるとき、廃棄物とは、言わなく
なるのでしょう。しかし、今はまだ人々の豊かな生活と引き替えに、廃棄物が出ます。その処理は
誰かが必ずやらなければならない仕事。その処理は誰かが必ずやらなければならない仕事。私たち
はこれを使命ととらえ、日々努力し、知恵を凝らします。」と唱うっているが、「完全な循環」と
の言葉に吸収され釘付けとなる。これだ、これを忘れていた。と、言うのは簡単が、これを実現す
るのは、トリチウムの完全回収と再資源化と同様に、つまり比叡山の「千日回峰行」と同じだねぇ
~と自問することとなった。これは面白い気つきだ。
例のトラブル以来、06年の夏の日に体験した右目の異常―――失明の恐怖に怯えている。とは言え、
薬服用や点眼、眼球の温熱治療――濡れたナップキンをポリ袋に入れハンカチで包み約1分間電子レ
ンジで加熱し暖めるなどでその場凌のぎをしているが、凌げそうもなさそうだ。追い込まれたらどう
する?開き直るしかない。歳はたんなる数字だ。ボリューム上げて、一人で夜のレイクサイドを突っ
走る。
別に大したことじゃない
そりゃね敵はかリ見えるけど
よく見てごらんよあいつもヒヒってる
みんなちょっとはやっぱり不安なんだな
キンチョーすることはいいことさ
好きなことをやっている証拠
チヒるくらいの武者震いを隠したら
信じた道を突き進むだけ
攻めていこ-ぜ!守りはコメンだ
叱られるのなんてほんの一瞬のことだよ
攻めていこ-ぜ!敵を味方に
つけちゃうくらいのイキオイで・・・・・・
『せめていこうぜ!』
歌/作詞/作曲 斉藤和義