いま士の身を用うるは、商人の一布を用うるの慎むにしかず。 / 墨子
● 史上最強のハリケーン「パトリシア」 メキシコに上陸
最強ハリケーン、「大きな被害ない」も油断できない状況
史上最強のハリケーン「パトリシア(Patricia)」が23日夕方(日本時間24日朝)、中米メキシコ
西部ハリスコ(Jalisco)州の太平洋沿岸に上陸している(上図)。ハリケーンの強さを示す「シンプ
ソン・スケール(Saffir-Simpson Hurricane Scale)」で最高のカテゴリー5に勢力を拡大し、沿岸地域
に猛烈な雨となっている。米国立ハリケーンセンター(NHC)によると上陸前の最大風速は90メー
トル(瞬間最大風速は110メートルを記録)。
こういう時代は当面、史上最高記録の塗り替えが常態化すると確信したのは、1999年の夏のある
日であったことを思い出す。
【時代は太陽道を渡る18】
● 世界初!変換効率25%超の1・2・3フィニッシュのクール・ジャパン
株式会社カネカとNEDOは両面電極型ヘテロ接合結晶シリコン太陽電池として世界最高となるセル
変換効率25.1%を実用サイズの5インチのセルサイズ(152平方センチメートル)で達成(測
定値はドイツFraunhofer Instituteが認定。技術的詳細は15年10月28日に開催されるNEDOの
「2015年度新エネルギー成果報告会」で発表。結晶シリコン系太陽電池では、パナソニックが、
14年4月に実用セルで変換効率25.6%、シャープも同月に、同25.1%を達成しているので、
カネカは実用サイズの同系太陽電池で25%台を達成の3社目のメーカーとなった。
ただし、パナソニックとシャープの太陽電池は、共に、セルの裏面にのみ電極を形成した構造を採用。
一方、カネカの開発品は、セルの表側にも電極を残す両面電極型。同型のシリコン系太陽電池として
は初の25%台となる。 前回と同様に今回もセルの表側のバス配線に銅配線を銅めっき法で形成し、
また、高品質のアモルファスシリコンを用いた結晶シリコン基板の表面欠陥低減技術などがが特徴。
※ これは蛇足だが、日本の現状水準からいえば、開発目標値が低く設定されすぎではないかと考える。
● 再生可能エネルギーは、基幹電源として育成?!
今月22日、太陽光発電協会(JPEA)は、「太陽光発電シンポジウム」を都内で開催。経済産業省の
省エネルギー・新エネルギー部の藤木俊光部長が「再生可能エネルギーの現状」と題して講演した(
日経テクノロジーオンライン 2015.10.23)。それによると、(1)長期エネルギー需給見通しで示し
た30年度における電源構成(ベストミックス)では、再生可能エネルギーの比率を22~24%と
した。この数字には賛否があるが、相当、努力する必要がある数字。(2)水力を除いた再エネは急
増したといっても14年度で3.2%に過ぎない。ベストミックスでの再エネ比率は、30年には20
%を超えて基幹電源になってもらうというメッセージ。22~24%は最低限、責任を持ってほしい
数字。(3)固定価格買取制度(FIT)による普及をブームに終わらせず、FIT後を睨み、いかに自立
した電源育成するかが課題。(4)トータルとしての効率をさらに高めて国民負担を減らすこと(5)
電力システム改革の中で市場取引を通じていかに活用していくかが課題。以上のように要約されるが
迫力がたらない。
● 今夜の一品
60リットルの大容量を持つキッチン用ゴミ箱。取り外し可能なコンテナボックスがあり、ゴミを分
別し捨てることができる。消臭フィルターやワンタッチ開閉フタを備えて、使いやすくて便利な一品、
これからの時代の一品だ。
● 折々の読書 『職業としての小説家』24
僕は高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになりました。とくに英語か得意だっ
たわけじゃないんですが、どうしても原語で小説を読みたくて、あるいはまだ日本語に翻訳され
ていない小説を読みたくて、神戸の港の近くの古本屋で、英語のペーパーバ″クを一山いくらで
買ってきて、意味かわかってもわからなくても、片端からかりかり乱暴に読んでいきました。最
初はとにかく好奇心から始まったわけです。そしてそのうちに「馴れ」というか、それほど抵抗
なく横文字の本か涜めるようになりました。当時の神戸には外国人か多く住んでいたし、大きな
港があるので船員もたくさんやってきたし、そういう人だちか、まとめて売っていく洋書が占本
屋にいけばいっぱいありました。僕が当時読んでいたのは、ほとんどが派手な表紙のミステリー
とかSFとかですから、それほどむずかしい英語じゃありません。言うまでもないことですか、
ジェームズ・ジョイスとかヘンリー・ジェイムズとか、そんなややこしいものは高校生にはとて
も歯が立ちません。しかしいずれにせよ、本を一冊、最初から最後までいちおう英語で読めるよ
うになりました。なにしろ好奇心がすべてです。しかしその結果、英語の試験の成績が向上した
かというと、そんなことはぜんぜんありません。あいかわらず英語の成績はぱっとしませんでし
た。
どうしてだろう? 僕は当時、そのことについてけっこう考え込んでしまいました。僕より英
語の試験の成績が良い生徒はいっぱいいるけれど、僕の見たところ、彼らには英語の本を一冊読
み通すことなんてまずできません。でも僕にはおおむねすらすら楽しんで読める。なのにどうし
て、僕の英語の成績は相変わらずあまり良くないのだろう? それで、あれこれ考えた末に僕な
りに理解できたのは、日本の高校における英語の授業は、生徒か生きた実際的な英語を身につけ
ることを目的としておこなわれてはいないのだということでした。
じゃあいったい何を目的としているのか? 大学受験の英語テストで高い点数を取ること、そ
れをほとんど唯一の目的としているのです。英語で本か読めたり、外国人と日常会話ができたり
なんてことは、少なくとも僕の通った公立校の英語の先生にとっては、些末なことでしかありま
せん(「余計なこと」とまでは言いませんが)。それよりはひとつでも多くのむずかしい単語を
記憶したり、仮定法過去完了かどういう構文になるかを覚えたり、正しい前置詞や冠詞を選んだ
り、というようなことか重要な作業になります。
もちろんその手の知識も大事です。とくに職業として翻訳をするようになってからは、そのよ
うな基礎知識の手薄さを、あらためて痛感しました。でもそういう細かいテクニカルな知識は、
その気にさえなれば、あとからいくらでも補強できます。あるいは現場で仕事をしながら、必要
に応じて自然に身につけていけます。それよりもっと大事なのは「自分は何のために英語(ある
いは特定の外国語)を学ぼうとしているのか」という目的意識です。モれか曖昧だと、勉強はた
だの「苦役」になってしまいます。僕の場合の目的はとてもはっきりしていました。とにかく英
語で(原語で)小説か読みたい。とりあえずはそれだけです。
言語というのは生きているものです。人間も生きているものです。生きている人間か生きてい
る言語を使いこなそうとしているのだから、そこにはフレキシピリティーがなくてはなりません。
お互いか自在に動いていって、いちばん有効な接面を見つけなくてはなりません。実に当たり前
のことなんだけど、学校というシステムの中では、そういう考え方はぜんぜん当たり前のことで
はなかった。モういうのはやはり不幸なことだと僕は思うんです。つまり学校というシステムと、
僕というシステムかうまくかみ合っていなかったということになります。だから学校に行くこと
があまり楽しくなかった。仲の良い友だちやら、可愛い何人かの女の子やらかクラスにいたから、
いちおう毎日通ってはいましたが。
もちろん「僕の時代はそうだった」ということですし、僕が高校生だったのは半世紀近く昔の
ことです。それから状況はずいぶん変化したのだろうと思います。世界はどんどんグローバル化
しているし、コンピュータや録音録画機器などの導入によって教育現場の設備も改良され、ずい
ぶん便利になっているはずです。とはいえその一方で、学校というシステムのあり方、その基本
的な考え方は、今でも半世紀前とそれほど違いかないんじゃないか、という気がしないでもあり
ません。外国語に関していうなら今だってやはり、本当に生きた外国語を身につけるためには、
個人的に外国に出て行くしか方法かないみたいです。ヨーロでハなんかに行くと、若い人たちは
たいてい流暢に英語を話します。本なんかも英語でどんどん読んでしまう(おかげで各国の出版
社は自国語に訳された本か売れなくて困っているくらいです)。でも日本の若い人たちの多くは
しゃべるにせよ、読むにせよ、書くにせよ、今でもまだ生きた英語を使うことか苦手なようです。
これはやはり大きな問題だと僕は考えます。このようないびつな教育システムをそのままに放置
しておいて、一方で小学生のうちから英語を勉強させたって、そんなものはあまり役に立たない
でしょう。教育産業を儲けさせるだけです。
英語(外国語)だけではありません。ほとんどすべての学科において、この国の教育システム
は基本的に、個人の資質を柔軟に仲ぱすことをあまり考慮していないんじゃないかと思えてなり
ません。いまだにマニュアル通りに知識を詰め込み、受験技術を教えることに汲々としているよ
うに見えます。そしてどこの大学に何人合格したというようなことに、教師も父兄も真剣に一喜
一憂している。これはいささか情けないことですよね。
学校に通っている間、よく両親から、あるいは先生から「学校にいる間にとにかくしっかり勉
強をしておきなさい。若いうちにもっと身を入れて学んでおけばよかったと、大人になってから
必ず後悔するから」と忠告されましたか、僕は学校を出たあと、そんな風に思ったことはただの
一度もありません。むしろ「学校にいる間にもっとのびのび好きなことをしておけばよかった。
あんなつまらない暗記勉強をさせられて、人生を無駄にした」と後悔しているくらいです。まあ
僕はいささか極端なケースかもしれませんか。
僕は自分の好きなこと、興味のあることについては、身を入れてとことん突き詰めていく性格
です。中途半端なところで「まあ、いいか」と止まってしまったりはしません。自分の納得のい
くところまでやる。しかし興味か持てないことは、それほど身を入れてやらない。というか、身
を入れようという気持ちにどうしてもなれないのです。そのへんの見切りのつけ方は昔からずい
ぶんはっきりしています。「これをやりなさい]とよそから(とくに上から)命じられたことに
関しては、どうしてもおざなりにしかできないのです。
スポーツにしてもそうです。僕は小学校から大学まで、体育の授業かいやでいやでしょうかあ
りませんでした。体操着に着替えさせられて、グラウンドに連れて行かれて、やりたくもない運
動をさせられるのか苦痛でたまらなかった。だからすっと長いあいだ自分は運動が不得意なんだ
と思っていました。でも社会に出て、自分の意思でスポーツを始めてみると、これかやたら面白
いんです。「運動するのってこんなに楽しいものだったのか」と目から鱗がぽろぽろと落ちたよ
うな気持ちかしました。じゃあ、これまで学校でやらされてきたあの運動はいったい何だったん
だろう? そう思うと茫然としてしまいました。もちろん人それぞれですし、簡単に一般化はで
きないでしょうか、極端に言えば、学校の体育の授業というのは、人をスポーツ嫌いにさせるた
めに存在しているのではないのか、そういう気さえしました。
もし人間を「犬的人格]と「猫的人格]に分類するなら、僕はほぽ完全に猫的人格になると思
います。「右を向け」と言われたら、つい左を向いてしまう傾向があります。そういうことをし
ていて、ときどき「悪いな」とは思うんだけど、それか良くも悪くも僕のネイチャーになってい
ます。そして世の中にはいろんなネイチャーかあっていいはずです。でも僕か経験してきたロ本
の教育システムは、僕の目には、共同体の役に立つ「犬的人格」をつくることを、ときにはそれ
を超えて、団体丸ごと目的地まで導かれる「羊的人格」をつくることを目的としているようにさ
え見えました。
そしてその傾向は教育のみならず、会社や官僚組織を中心とした日本の社会システムそのもの
にまで及んでいるように思えます。そしてそれは-その「数値重視」の硬直性と、「機械暗記」
的な即効性・功利性志向は-様々な分野で深刻な弊害を生み出しているようです。ある時期に
はそういう「功利的」システムはたしかにうまく機能してきました。社会全体の目的や目標がお
おむね自明であった「行け行け」の時代には、そういうやり方か適していたかもしれません。し
かし戦後の復興か終わり、高度経済成長か過去のものとなり、バプル経済が見事に破綻してしま
ったあと、そういう「みんなで船団を組んで、目的地に向かってただまっすぐ進んでいこうぜ」
的な社会システムは、その役割を既に終えてしまっています。なぜなら僕らのこれからの行き先
はもう、単一の視野では捉えきれないものになってしまっているからです。
もちろん世の中が侠みたいな身勝手な性格の人間ばかりだったら、それはそれでちょっと困っ
たことになるでしょう。しかしさきほどの喩えで言えば、大きなやかんと小さなやかんは、台所
の中で上手に併用されなくてはなりません。用途に応じて目的に応じて、それらをうまく使い分
けていくのが人間の知恵というものです。あるいはコモンセンスというものです。いろんなタイ
プの、いろんな時間性の思考方法や匪界観がうまく組み合わされ、それで初めて社会が円滑に、
良い意味で効率よく動いていくのです。簡単に言えば[システムの洗練化」ということになるの
かもしれません。
どんな社会においてももちろんコンセンサスというものは必要です。それなくしては社会は立
ちゆきません。しかしそれと同時に、コンセンサスからいくらか外れたところにいる比較的少数
派の「例外」もそれなりに尊重されなくてはなりません。あるいはきちんと視野に収められてい
なくてはなりません。成熟した社会にあっては、そのバランスが重要な要素になってきます。モ
のバランスの取り方によって、社会に奥行きと深みと内省が生まれます。でも見たところ現在の
日本では、そういう方向に向けての舵かまだ十分うまく切られていないようです。
「第八回 学校について」
村上春樹 『職業としての小説家』
この項つづく
一昨日、亡母の弔いに、母と旧交のあった司法書士で県立大学の湖風会初代会長の種村清一さんが訪
れる。彼女が初回忌(9月27日)をすませたことの連絡とお礼にお邪魔させてていただいたときに
は外出不在であったため奥様にその旨を伝え帰ってきている。新米のお供え物と自宅の畑の芋茎ずい
きを頂く。近況のこと母との思い出をしばらく話していたが、母が代理委託した「遺言書」をいれた
封書を差し出され、突然のことで驚いたが、彼が心配していたので、その後の顛末を話し、その封書
を返却して頂いた。
さらに、話は広がり、終戦前後の体験を語りはじめ、24年の夏に空襲の体験――近江鉄道が飛来し
た濃緑色のグラマン戦闘機とジュラルミン色のロッキー戦闘機の機銃掃射を受け被災者の出血で血の
海になっ車内の片付けや、軍事工場(現在近江高校)からの空襲火災の消火の手伝や現在のJR彦根
駅の空襲の体験など詳細に話された。これは彼が戦争体験を伝えておきたいとの意志の表れであること
を理解した。約1時間ほど話し終えたところで、た芋茎の皮むきの実演と前処理方法を教えていただいた。
※ 低空飛行の機銃掃射でパイロットの頭が見えるほどの低さ。