思考こそが一次言語であり、数学は二次言語である。
数学は、思考の上に作られた、一つの言語に過ぎない。
ジョン・フォン・ノイマン
John von Neumann
December 28, 1903 – February 8, 1957
● 数学とエ学の断絶
ネット検索をしていると、目的と関係ない「ヘッドライン」にでくわくことがある。今回は(岡山大学大
学金谷健一教授の「数学と工学の断絶」(2010.12.14)だ。内容はかんたんなことだが、日米の格差が、
現在もあるのか心配になった。以下はその主旨の抜粋。
SSS総会での講演で広中平祐5いか、John von Neumann、Norben Wiener、RudolrE.Kalman、ClaudeE.Shannon
のような学者かなぜ日本から出ないのか,それは日本の縦割り制度のためである、と言われた'われた.
周知のように,彼らは傑出した数学ぶであっただけでなく,先駆的な計算機工学者、制御工学者、通
信工学者でもあった.私の研究は画像処理、コンピュータビジョンであるか,思い当たるところか多
い。私は画像|-の点列に代数曲線を糟密に当てはめる研究を行っていたので,円のような特殊な特殊
な曲線では当てはめの割算か簡単化されることを知っていたか、あるときある宋国の論えを読んでシ
ョックを受けた。訓算か簡単.になる(計算機による演算量が少なくできる)必要十分条件か、当ては
める曲線線の方程式F(x・y)=0の変数 x, y をそれぞれ複素関平面に拡張したときの各々の偏導関数
の零点の位置によって定まるというのである――中略――その論理の高級さに打たれ、日参入は決し
てこのような論文は書けないことを実感した.なぜなら、日本の数学者は画像処理やコンピュ一タピ
ジョンの問題に関心かないからである.
そして、「米国では数学科を卒業した学生か工学系の大学院に移ることか多い.大学院生は給料を貰って
研究するから、少しでも待遇のよい,研究費か多い分野に集まる。そのため画像関係の国際会議でも数学
出身の研究者か多く、その理論水準に日本人は太刀tlちできない」と指摘し「エ学部の学生か同じ学科の
大学院に進学し,数学科の卒業俘は数学科の大学院に進学する、両者に何の交流もないし,交流を促進す
るような金銭的な誘引もない、もし数学科の卒業生は必ずエ学系の大学院に進学するというような規規」
でもあれば日本本の科学技術は著しく進歩するであろう」結んでいるが、"画像(技術)産業"が第4次産
業であると考えていた吉本明ををはじめとするわた(たち)はにとって(参照『デジタル革命渦論』)、
「日本の国家官僚制」の弊害がここにもあらわれていたのかと改めて再確認することになる。さて、現在
は改善されているのだろうか?
【量子・ナノサイズ電子工学時代 Ⅰ】
昨夜は、高分子電解質膜燃料電池(固体高分子形燃料電池)のナノサイズ技術駆使による長耐久化と低コ
スト化事例を紹介ししたが、今夜は、太陽電池――ただし、それ以外の分野におも応用できるものもの含
む――における最新量子・ナノサイズ技術事例を紹介する。下図は、ディスプレイをタッチし、ソーラー
デバイス、スマートウィンドウ、ディスプレイ、タッチセンサパネルを含む電子または光電子デバイスの
様々機器の表面昼間部に高活性機能添加剤を配置するもので、低コストでデバイスコンポーネントを実現
新規技術事例である。
※ US9185798B2 Device components with surface-embedded additives and related manufacturing methods
下図の事例は、ナノ有機液体前駆体を有する電子供与体、電子受容体、液体キャリアと光起
電力素子を製造技術。液体前駆体は、電極に印加され、気体透過性層およびスタンプ接点と
電子供与体、受容体材料の均一な相互貫入網と固体活性物質形成の液体キャリアを除去する
有機液体前駆体に圧力を加え――二段階法も含む――える製造技術である。電子ドナー、ア
クセプターのいずれかを有する液体前駆体は、パターニング表面の固体形成し、ナノスケー
ルのパターンの第一タイムスタンプでで電極を印圧付加する。次に、電子ドナー、アクセプ
ターと第二の液体前駆体――活性物質形成――を第二のタイムスタンプでパターンするため
表面する。材料ナノ格子を含有する透明導電電極をロール・ツー・ロールなどで連続処理形
成する技術である。
※ US9184400B2 Methods of making organic photovoltaic cells having improved heterojunction morphology
このように、米国特許の最新動向を調査するだけでも数多く申請されており日米の技術格差
が広がりつつあるようにうかがえる。紙面・掲載字数の関係で掲載できなかったものを含め
下記にそのリストを参考までに掲載しておく。
※ 関連新技術事例索引
・US 9181455 Method of making hydrophobic coated article including hydrophobic coatings, and/or sol
compositions for use in the same
・US 91844B2 Methods of making organic photovoltaic cells having improved heterojunction morphology
・US 9175174 Dispersions of submicron doped silicon particles
・US 9172094 Template electrode structures for depositing active materials
・US 9170485 Nano imprinting with reusable polymer template with metallic or oxide coating
・US 9197804 Semiconductor and optoelectronic devices
・US 9190581 Light-emitting dies incorporating wavelength-conversion materials and related methods
・US 9184351 Polymeric binders incorporating light-detecting elements
・US 9184332 Inverted metamorphic multi-junction (IMM) solar cell and associated fabrication method
・US 9178095 High-efficiency solar-cell arrays with integrated devices and methods for forming them
・US 9171970 Alternating bias hot carrier solar cells
・US 9171909 Flexible semiconductor devices based on flexible freestanding epitaxial elements
・US 9161448 Laser assisted transfer welding process
・US 9142615 Methods and apparatus for identifying and reducing semiconductor failures
・US 9136402 High efficiency flexible solar cells for consumer electronics
・US 9159590 Encapsulated nanoparticles
・US 9129751 Highly efficient dye-sensitized solar cells using microtextured electron collecting anode and
nanoporous and interdigitated hole collecting cathode and method for making same
このブログでも(『新再エネ立国九州論 Ⅱ』など)地熱発電を掲載してきた。ここでは屋上屋を避ける
が参考に米国の新規システム技術を紹介する。話は変わるが『我が家の焚書顛末記』でも掲載しているよ
うに図書の廃棄とデジタル(ファイルリング)化をすすめているのだが、分厚い辞典類の処分に頭をなや
まさている。つい最近、上の朝倉書店の『流体機械ハンドブック』のデジタル化をすませた。『マルチメ
ディア画像情報技術辞典』もそうだったっが、膨大な知識情報の偉大さを再確認する作業でもある(アル
コール量が増えるのでこまりものです)。
下図のような地熱発電システムは、生産ケーシングとその中に配置され、生産チューブを持つその間に環
状部を形成する。パッカーは、第1の部分と第2の部分に環状部を分離可能な位置に環状部に配置。ウェ
ル環が第1部分に配置され、環状部の第1部分と生産チュービングを通って流れる流体の生産を流れる作
動流体との間の熱伝達できるよう構成されたタイバック管と第2環の部分内の流体の流体を分離する。作
動流体は第1環部分に接続させた構成でコンピュータ制御されたシステムの新規技術である。
US9074794 Systems and methods for co-production of geothermal energy and fluids
● 折々の読書 『職業としての小説家』37
でもその翌日、二度目にお目にかかったとき、すべては一変していました。河合先生は打って
変わったように快活で上機嫌で、ひっきりなしに冗談を口にされ、顔つきもがらりと明るくなっ
ていました。その目には、まるで子供の目のようにきれいに澄んだ奥行きがありました。一晩で
これくらい人は変われるものなのか、とあきれるくらいです。それで僕にも「ああ、昨日はこの
人は意識的に、自分を受動態勢に置いていたんだな」とわかったわけです。おそらく自分を殺し
てというか、自分を無に近づけて、相手の「ありよう」を少しでも自然に、いねばテキストとし
て、あるがままに吸い込もうとしていたんだなと。
僕にそれがわかったのは、僕自身ときどきそういうことをするからです。できるだけこちらの
気配を鎮め、相手の存在をそのままのかたちで受容しようとします。とくにインタビューをして
いるときがそうです。そういうときには、徹底的に集中して相手の言葉に耳を傾け、自分の意識
の流れみたいなものを殺してしまいます。そういう切り替えができないと、本当に真剣に人の話
を間くことはできません。僕はその何年かあと『アンダーグラウンド』という地下鉄サリン事件
についての本を書くにあたって、そういう作業を一年間とおして続けましたが、そのときに「あ
あ、これは河合先生があのときやっていたのと同じようなことなんだな」とあらためて感じまし
た。そういう意味では、河合先生のお仕事と、僕らがやっている仕事とは、似ている部分がいく
らかあるのかもしれません。
それで二度目に会ったときには、河合先生は僕の話すことに積極的に反応され、質問にもきち
んと答えてくださいました。話をしていてとても面白かった。たぶん「受容」(reception)から
「交換」(interchange)へと、河合先生の側でモードが転換されたということなんだと思います。
それからあとは、僕らはごく普通に、自由にいろんなことを話し合うようになりました。たぶん
それは僕が河合先生の「基準」をいちおうクリアしたということなんだろうと(厚かましいよう
ですが)僕としては解釈しています。それ以来ときどき河合先生から連絡があり、「どうですか、
メシでも食いませんか?」みたいなお誘いを受けて、あちこちで親しくお話をさせていただきま
した。いつも和気蕩々とした愉快な会話で、もちろんずいぶん教えられるところもあったんです
が、どんなことを話したのか、具体的な内容はほとんど覚えていません。記録しておけばよかっ
たんですが、なにしろお酒を飲みながら気持ちよく話しているんで、話すそばからどんどん忘れ
ていってしまいます。しょうがないです。僕が今でもよく覚えているのは、先生が口にされるい
つものしょうもない駄洒落ばっかりで。たとえばこんなものです。
「『21世紀日本の構想』懇談会の座長をやっておりましたとき、小渕総理の時代ですが、閣議
というものにいっぺん出たことがありました。そのときに、なんか用事があったんでしょうな、
小渕さんがちょっと遅れてはったんです。それでほかの閣僚がみんな揃って部屋で待っていると
ころに、遅れてすみません、すみません言うて、丁寧に謝りながら入ってきはりました。けど、
総理大臣いうのは偉いもんですなあ。僕は感心したんですが、英語で謝りながら入ってきはるん
ですわ。アイム・ソーリー、アイム・ソーリーいうて」
河合先生の駄洒落というのは、言ってはなんですが、このように実にくだらないのが特徴でし
た。いわゆる「悪い意味でのおやじギャグ」です。しかし僕は思うんですが、それはそもそもで
きるだけくだらないものでなくてはならなかったんです。そうでなくては意味がなかった。それ
は河合先生にとっては、いねば「悪魔祓い」のようなものだったのではないかと僕は考えていま
す。河合先生は臨床家としてクライアントと向かい合うことで、多くの場合、魂の暗い奥底まで
その人と一緒に降りていきます。それは往々にして危険を伴う作業になります。ひょっとしたら
帰りの道筋がわからなくなり、そのまま暗い場所に沈みっぱなしになってしまうこともあるかも
しれません。そういう力業の作業を日々、お仕事として続けておられます。そのような場所で糸
くずのようにべったり絡みついてくる負の気配、悪の気配を振り払うためには、できるだけくだ
らない、ナンセンスな駄洒落を口にしないわけにはいかなかった。僕は先生のゆるい駄洒落を耳
にするたびに、そういう感触を持ちました。あるいは少し好意的すぎるかもしれませんが。
ちなみに僕の場合の「悪魔祓い」は走ることです。かれこれ三十年ほど走り続けているんです
が、毎口外に出て走ることで、僕は小説を書くことで絡みついてくる「負の気配」をふるい落と
しているような気がします。ゆるい駄洒落よりは、まわりの人を脱力させないぶん害が少ないん
じゃないかとひそかに思っていますが。
僕らが会って話をして、でも何を話したかほとんど覚えていないと、さっき中し上げたわけで
すが、実を言えば、それは本当はどうでもいいことなんじゃないかと思っているんです。そこに
あったいちばん大事なものは、話の内容よりはむしろ、我々がそこで何かを共有していたという
「物理的な実感」だったという気がするからです。我々は何を共有していたか? ひとことで言
えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底に
あるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこ
そ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。僕は小説を書くことによって、日常的
にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアソトと向き合うこと
によって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。
河合先生と僕とはたぶんそのことを「臨床的に」理解し合っていた
そういう気がするんです。
言葉にはあえて出さないけれど、お互いにそのことはわかりあっていた。匂いでわかりあうみた
いに。もちろんこれは僕だけの勝手な思い込みかもしれません。でもそれに近い何かしらの共感
があったはずだと、僕は今でもはっきり感じています。
僕がそういう共感を抱くことができた相手は、それまで河合先生以外には一人もいなかったし、
実を言えば今でもI人もいません。「物語」という言葉は近年よく口にされるようになりました。
しかし僕が「物語」という言葉を口にするとき、それをそのまま正確なかたちで――僕が考え
るままのかたちで――物理的に総合的に受け止めてくれた人は河合先生以外にはいなかった。そ
して大事なことは、投げたボールが相手にしっかり両手で受け止められている、隈無く理解され
ているという感触が、説明抜きで理屈抜きで、こちらにありありフィードバックされてきたこと
です。そういう手応えは、僕にとって何より嬉しいことであり、励ましになることでした。自分
のやっていることは決して間違っていないんだと、実感できたわけです。
こんなことを言うといささか問題がありそうですが、僕はこれまでのところ、それに匹敵する
確かな励ましの手応えみたいなものを、文学の領域において得たことは一度もありません。それ
は僕にとってはいささか残念なことであり、不思議なことでもあり、もちろん悲しいことでもあ
ります。まあそのぶん、河合先生が専門分野を超えて、優れて大柄な方であったということにな
るわけですが。
最後になりますが、河合先生のご冥福をお祈りしたいと思います。本当にもう少しでも、一目
でも長く生きていていただきたかったんですが。
「第十二回 物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」
村上春樹
この章で終わろうかと考えた――これを一言でいえば、村上春樹の『文学的創作パワー論』というふ
うに受け止めてきた――が、時宜をみて「あとがき」を掲載する。
この項つづく