幸福の七ヶ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
水木しげる
『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家・作家の水木しげるさんが亡くなったことが、昨日わかった。
水木 しげる(1922年3月8日 - 2015年11月30日)は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は
武良 茂(むら しげる)。大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身、東京都調布市在住。
ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市で経営していたアパート「水木荘」から名付けた。5
8年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表。
妖怪漫画の第一人者となる。武蔵野美術学校(武蔵野美術大学)中退。
66年から『少年サンデー』連載の「ふしぎなふしぎなふしぎな話」で妖怪画を発表し始める。やが
て、『少年マガジン』増刊の『日本妖怪大全』を経て、70年に『水木しげる妖怪画集』を刊行。そ
の後も「妖怪図鑑」の類を多数執筆。水木は妖怪を題材にするにあたり、古い文献や絵巻などから多
くの伝承や妖怪画を蒐集してゆく。鳥山石燕など古典の画が存在する場合は参考にして描き、「子泣
き爺」「砂かけ婆」「ぬりかべ」「一反木綿」など文字の記録のみで古典の画が存在しないものは、
水木によって初めて絵として描かれていった。そのため多くは水木が創造した形であり、現在の日本
人が持つ「妖怪」イメージは、水木の作品が大きく影響している。
大衆の中で失われていた多くの妖怪を救ったともされ、こうした仕事に対しては、水木を妖怪文化の
継承者にして布教者などと評す声もある一方、出典が不詳のため、創作の可能性を指摘されている妖
怪(樹木子など)も幾つか描く。また、07年8月に、妖怪研究家の湯本豪一が保有する江戸時代の
絵巻に描かれた「四角い犬のような妖怪」が、米国ブリガム・ヤング大学の図書館にあるものと符合
され「ぬりかべ」の絵と判明したように、近年の研究で水木の創作以前の絵が発見された例もある。
80年代には『水木しげるの妖怪事典 正・続』、『水木しげるの世界妖怪事典』などを発表。92
年には『カラー版 妖怪画談』を岩波新書から刊行して話題となる。98年からは、千六百点以上の
妖怪画を収録した『妖鬼化』シリーズの刊行が開始。水木の周囲に妖怪好きの人々たちが集まってき
たことから、95年に世界妖怪協会を設立し会長におさまる。荒俣宏、京極夏彦、多田克己らが会員
となり、「世界妖怪会議」が開催され、97年からは、世界妖怪協会公認の妖怪マガジン『怪』(角
川書店)が刊行開始。水木も漫画を執筆した。
90歳を超えてなお新作漫画を発表し続け、近年の主な作品としては、『遠野物語』を漫画化した『
水木しげるの遠野物語』、長年の課題としていた出雲を描いた『水木しげるの古代出雲』、極貧時代
の家計簿を元にした『ゲゲゲの家計簿』などがある。『ゲゲゲの鬼太郎』の実写映画や貸本版『墓場
鬼太郎』のテレビアニメなどが実現した。10年、妻・布枝の著書『ゲゲゲの女房』がNHK連続テレ
ビ小説としてテレビドラマ、および映画化されるなど改めて水木の人生に注目が集まった。海外での
評価も高まり、フランス・アングレーム国際漫画賞、米アイズナー賞などを受賞している。11年、
東日本大震災について考察した絵を描き、ニューヨーク・タイムズに掲載された。
なお、『水木しげるの遠野物語』は、「我が家の焚書顛末記」の対象となり処分寸前にあったが、急
遽とりやめデジタル(ファイル)化し、このように一部を切り取りブログ掲載した。志望者があれば
物語一話ごとに掲載し作家の遺徳と作品のバックグランドを適宜再考してみてもそれは意味があるか
もしれないと思っているがどうだろうか。享年九十三。
合唱
【量子・ナノサイズ電子工学時代 Ⅱ】
昨夜のつづき。
下図の方法には、分散性が高くかつ生産速度で、サブミクロン/ナノスケール粒子を製造できる。短
時間で約毎時35グラムで、約75ナノメートル未満の平均直径の均一な粒子を製造でき、パウダー
コーティングで均一なサブミクロン/ナノスケール粒子堆積が可能となる。
代表図 US 9175174 Dispersions of submicron doped silicon particles
下図は、電気化学的活性電極材料例で、金属シリサイドとテンプレートに堆積し、高容量の活物質を
大表面積テンプレート上に積層でき、例えば、基板の活物質や活性材料間の電気伝導体の機械的支持
機能に最適に、テンプレート大表面積で十分な活性物質のローディングに対応する電池容量を均質薄
層が提供できるだけでなく、活性物質を長時間に亘り維持でき、電池のサイクル間、その構造が完全
に維持できる。
代表図 US 9172094 Template electrode structures for depositing active materials
下図の方法とシステムは、薄い金属や酸化物被覆のパターニングもつポリマーベースのインプリント・
リソグラフィ・テンプレートの作製装置システム。これによるとテンプレートは、流体拡散し埋める、
最適なな剥離特性と長寿命性を向上。酸化物被覆バージョン製造方法とステムは、特に低コスト処理
と強化スループットを常圧下で実施できるものである。
代表図 US 9170485 Nano imprinting with reusable polymer template with metallic or oxide coating
下図、最初のイメージセンサアレイと第一のイメージセンサアレイがカメラの前に最初の焦点面に設
計し、第2の画像センサアレイと第2の画像センサアレイを含むカメラシステムは、前の第二焦点面
に設計された最初の焦点面までの距離が、第二焦点面との距離よりも実質的に異なる構成カメラであ
る。なお、この技術は、新発光ダイオード(LED)の形成に、CMOSイメージセンサ、ディスプレイ、
マイクロディスプレイ、太陽電池でのイオン・カットなどの多接合層として転写方式利用に検討され
ている新技術である。
、
代表図 US 9197804 Semiconductor and optoelectronic devices
IMM太陽電池を製造する新技術。第一のサブセルは、一時的基材上に形成され、第二のサブセルは、第
一のサブセル上に形成してもよいです。第二のサブセルは、第一のサブセルよりも小さなバンドギャ
ップをもつことができます。この方法は、シリコンサブセルに第一と第二のサブセルを結合した後、
仮基板を除去できる。 IMM太陽電池では、第二のサブセルと第一のサブセルよりも小さなバンドギャ
ップをもつる第二のサブセル上に配置された第一のサブセルと第一と第二のサブセルを含む(IMM太陽
電池は、第一のシリコン支持サブセルを含んでいてもよい)。第二のサブセルその上にシリコンサブ
セルと第二のサブセルとの間に金属-金属結合をもつ新しい構造である。
代表例 US 9184332 Inverted metamorphic multi-junction (IMM) solar cell and associated fabrication method
この項つづく
● 折々の読書 『職業としての小説家』38
あとがき
本書に収められた一連の原稿をいつ頃から書き始めたのか、はっきりとは覚えていないのだが、
たぶん五、六年前のことだったと思う。自分が小説を書くことについて、こうして小説家として
小説を書き続けている状況について、まとめて何かを語っておきたいという気持ちは前々からあ
り、仕事の合間に暇を見つけては、そういう文章を少しずつ断片的に、テーマ別に書きためてい
た。つまりこれらは出版社から依頼を受けて書いた文章ではなく、最初から自発的に、いねば自
分自身のために書き始めた文章だということになる。
最初のいくつかの章は通常の文体で――たとえば今こうして書いているような文体で――書い
ていたのだけれど、書いたものを読み返してみると、文章の流れがいくぶん生硬というか、とん
がっているというか、もうひとつうまく気持ちに馴染まなかった。それで試しに、人々を前にし
て語りかけるような文体で書いてみると、わりにすらすらと素直に書ける(しゃべれる)感触が
あり、それならと、講演原稿を書くつもりで全体の文章を統一してみることにした。小さなホー
ルで、だいたい三十人から四十人くらいの人が僕の前に座っていると仮定し、その人たちにでき
るだけ親密な口調で語りかけるという設定で書き直したわけだ。しかし実際には、これらの講演
原稿を人前で声に出して読む機会はなかった(最後の河合隼雄先生に関する章だけは、現実に京
都大学の講堂で、千人ほどの人を前に語ったけれど)。
どうして講演をしなかったのか? まずだいいちに自分について、また自分が小説を書くとい
う作業について、こんな風に正面から堂々と語ってしまうことがいささか気恥ずかしかったから
だ。僕には、自分が書く小説についてあまり説明したくないという思いが、わりに強くある。自
作について語ると、どうしても言い訳をしたり、自慢したり、自己弁護をしたりしてしまいがち
になる。そうするつもりはなくても、結果的にそう「見えてしまう」ところがある。
まあ、いつかは世間に向けて語る機会もあるだろうが、まだ時期的に少々早すぎるかもしれな
い。もう少し年齢をかさねてからでいいだろう。そう思って、抽斗に放り込んだままにしておい
た。そしてときどき引っ張り出しては、あちこち細かく書き直した。僕を取り巻く状況――個人
的状況、社会的状況――も少しずつ変化していくし、それにあわせて僕の考え方や感じ方も変わ
っていく。そういう意味では、最初に書いた原稿と、今ここにある原稿とでは、雰囲気やトーソ
がけっこう違ってきているかもしれない。でもそれはそれとして、僕の基本的な姿勢や考え方は
ほぼまったく変わらない。考えてみたら、僕はデビューした当時から、ほとんど同じことばかり
繰り返し述べているような気がするくらいだ。三十年以上前の自分の発言を読んで、「なんだ、
今言っていることとまるで同じじやないか」と自分でも驚いてしまう。
というわけで本書では、これまで僕がいろんなかたちで書いたり語ったりしてきたことが、(少
しずつ姿かたちは変えられているにせよ)繰り返し述べられることになると思う。「それって、
前にどっかで読んだよ」と思われる読者も多いかもしれないが、その点はどうかお許し願いたい。
このように今回、これらの「語られざる講演録」を文章のかたちで出しだのは、これまであちこ
ちで述べてきたことを、系統的にひとところに収めたいという意味合いもあったからだ。小説を
書くことに関する、僕の見解の(今のところの)集大成みたいなものとして読んでいただければ
と思う。
本書の前半部は、雑誌「Monkey」に連載された。たまたま柴田元幸さんが「Monkey」を新雑
誌として起ち上げ(新感覚のパーソナルな文芸誌だ)、「何か書いてくれませんか?」という依
頼があった。それで「いいですよ」と、短編小説を一本渡したのだけど(ちょうどうまく、書き
上げたばかりの作品があったので)、ついでにふと思い出して、「そういえば、私的講演録みた
いなものの手持ちもあるんだけど、もしスペースがあったら連載させてくれませんか?」と持ち
かけてみた。
そのようにして最初の六章ぶんが「Monkey」に毎号掲載されることになった。机の中に眠ってい
たものを毎号渡すだけだったので、これは実のところ格段に楽な仕事だった。章は全部で十一章
ぶんあったので、前半の六章は雑誌掲載、後半の五章は書き下ろし収録ということになった。
そこに河合隼雄先生についての講演原稿を付け加え、全部で十二章の構成になった。
本書は結果的に「自伝的エッセイ」という扱いを受けることになりそうだが、もともとそうな
ることを意識して書いたわけではない。僕としては、自分が小説家としてどのような道を、どの
ような思いをもってこれまで歩んできたかを、できるだけ具象的に、実際的に書き留めておきた
いと思っただけだ。とぱいえもちろん、小説を書き続けるということは、とりもなおさず自己を
表現し続けることであるのだから、書くという作業について語り出せば、どうしても自己という
ものについて語らないわけにはいかない。
本書が小説家を志す人々のためのガイドブック、案内書になりうるかどうか、正直言ってそこ
までは僕にもよくわからない。というのは、僕はあまりにも個人的な考え方をする人間であって、
僕のものの書き方や生き方にいったいどれほどの一般性・汎用性があるのか、自分でもうまくつ
かめないからだ。小説家どうしのつきあいもほとんどないので、他の作家の方がどのような書き
方をされているかもよく知らないし、従って比較することもできない。僕はこのような書き方で
なくては書けないから、とにかくそうやって書いているというだけのことであって、それが小説
を書くためのいちばん正しいやり方だと主張しているわけでは決してない。僕の方法の中には一
般化できるものもあれば、一般化するのはちょっと無理があるかもしれないというものもあるだ
とは、みなさんが各自見きわめて、適正に判断していただければと思う。
ただひとつ理解していただきたいのは、僕は基本的には「ごく普通の人間」であるということ
だ。たしかに小説を書く資質みたいなものはもともといくらか具わっていたのだろうと思う(ま
ったくなければこれだけ長くは小説を書き続けられないから)。しかしそれを別にすれば、自分
で言うのもなんだけど、僕はどこにでもいる普通の人間だ。街を歩いていても目立だないし、レ
ストランではたいていひどい席に案内される。もし小説を書いていなかったら、誰かにとくに注
目されるようなこともなかっただろう。ごく当たり前に、ごく当たり前の人生を送っていたはず
だ。僕自身、日常生活の中で、自分が作家だという事実を意識することはほとんどない。
でもたまたま小説を書くために資質を少しばかり持ち合わせていて、幸運みたいなものにも恵
まれ、またいくぶん頑固な(よく言えば一貫した)性格にも助けられ、三十五年あまりこうして
職業的小説家として小説を書き続けている。そしてその事実はいまだに僕自身を驚かせている。
とても深く驚かせる。僕がこの本の中で語りたかったのは、要するにその驚きについてであり、
その驚きをできるだけピュアなままに保ちたいという強い思い(たぶん意志と呼んでもいいだろ
う)についてである。僕のこの三十五年間の人生は結局のところ、その驚きを持続させるための
切々たる営みであったのかもしれない。そんな気がする。
最後にお断りしておきたいのだが、僕は純粋に頭だけを使ってものを考えることが得意ではな
い人間である。ロジカルな論考や、抽象的思考にあまり向かない。文章を書くことによってしか、
順序立ててものを考えられない。フィジカルに手を動かして文章を書き、それを何度も何度も読
み返し、細かく書き改めることによってようやく、自分の頭の中にあることを人並みに整理し、
把握していくことができる。そのようなわけで僕は歳月をかけて、本書に収められたこれらの文
章を書きためることによって、またそれに何度も手を入れることによって、小説家である僕自身
について、また自分か小説家であることについて、あらためて系統的に思考し、それなりに俯瞰
することができたように思う。
そのような、ある意味では身勝手で個人的な文章――メッセージというよりはむしろ思惟の私
的プロセスのようなものかもしれない――が、読者のみなさんのためにどれほどお役に立てるか
は、僕自身にもよくわからない。わずかなりとも、何か現実のお役に立てればとても嬉しいのだ
2015年6月
「あとがき」 村上春樹
長編小説は苦手だ。それは仕事のありようがそうさせる側面がある。常にビジネスのことがあり、新
しいアイデアを求めていたからだ。それでも『羊をめぐる冒険』などは読み切っている。だからロシ
ア文学は埒外で、ミニマリストのレーモンド・カヴァーの作品は欠かさず読んでいる――俵万智の『
サラダ記念日』は冒頭の一首で彼女の感性の上質さを了解できたので購入した本はそのまま積んどく
だけにした事例があるほどだ。さて、村上春樹のの作品は『高度消費社会の日本状況論』としての価
値ある文学作品――それ以上でもそれ以下でもない――とわたしは了解しているが、その作品がどの
ように生み出されているのかこの本で理解することが十分にできた。新作に期待してこの項を了とす
る。
● 今夜の一曲
古い話だが、クリスマスパーティーのダンスの合間にに。この「ゲゲゲの鬼太郎の歌」やビートルー
ズの「ミッシェル」「ガール」などを選曲してアコースティクギターソロで歌う準備していたものの、
スケジュールの都合で没になってしまたことがあったことを、思い出した。いまは懐かし思い出のひ
とつだ。
【東野物語と盆暗】
● 気がつけば師走
水森しげるの「第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」をかみしめている。これを日
本語以外に翻訳するとどうなるのか?翻訳家のプロに聞いてみたいものだが、わたしは畏怖を感じさ
せる名言だとと考える。その意味で遺作となった『遠野物語』は再評価したい。ブログ掲載しはじめ
て、ことしで6年になるが、いろいろなことがあった。政権交代が政治的には一番の出来事――東日
本大震災・福島原発事故・地球温暖化の顕著をのぞき――だろうが、できたばかかりの政権では「経
済運営の能力"ゼロ"」もいたしかたないが、手練手管の自民党政権はどうかというと、その学習能力
に期待すれど『アベノミクス』は国家官僚の羽交い締めにあい機能できす「政権能力近似ゼロ」とい
うことが明らかになった。政権に片思いの高橋洋一はある意味尊敬しているからこそ、むしろ、哀れ
である。いわんや、たとえば選挙応援演説している谷垣禎一に至っては陰がない。日本で政治家と言え
る者は、橋本徹と松井 一郎のこの二人以外に見あたらない。関西弁で言うところの「盆暗」ばかだと考えるの
はわたし(たち)だけだろうか。
つ